折原臨也と実力至上主義の教室   作:あいうえお

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第八話:裏切りの勉強会Ⅱ

 

 綾小路清隆について情報を集めて欲しい。

 

 臨也がDクラスの“自称お友人たち”にそう依頼したのは、さほど深い理由のない暇潰しのようなものだった。

 勉強会で彼の存在を認知し、そこから何か直感するものがあったわけでもない。特筆するほど、特徴的な何かを見つけたわけでもない。

 ただ、何となく気になったから。

 

 依頼のメールを送り、半日が経過する頃には、臨也の元に多くの情報が寄せられた。

 調査は秘密裏に行う必要もなかったため、中には綾小路と親しい友人や、本人に直談判をした者もいたのかもしれない。

 

 ──教室内では影が薄く、友達も少なめだが、孤立はしていない。

 ──本人曰く、得意なことは特にないらしい。

 ──ゲームやアニメは、興味はあるけどよく分からないとのこと。

 ──地味だが顔は良く、女子のイケメンランキング上位にランクインしていた。

 ──ピアノと書道を習っていたことがある。

 

 凡庸、平凡、至って普通。

 しかし、平均的かと言われるとそうではなく、むしろ臨也が抱く印象は“透明”。

 まるで背景として神に作られたかのような、無色透明な人間だ。

 色んなことに興味があると言っておきながら、全く趣味のようなものを感じさせないところが、綾小路清隆の輪郭をより見えにくくしている。

 

「これは、何ていうか……退屈でもなく面白くもないな」

 

 だからこそ、逆に珍しい。

 透明な身体のその奥に、一体どんな原点を隠し持っているのか、臨也の興味を駆り立てる。

 そして、集められた情報をスクロールしていると、最後の行に辿り着く。

 

「……はは。ほーら、やっぱりあるじゃないか──」

 

 普通と呼ぶには普通すぎる、異常な人間性が。

 

 

 ──綾小路清隆は、入試テストで全教科50点を取った。

 

 

 そして臨也は、新しいオモチャを見つけたとばかりに、満足げに嗤う。

 電源を落とすと、学校から支給された携帯がいくつも詰みあがった机の上のバスケットの中に、持っていた携帯を放り落とし、ポケットから新しい携帯を取り出した。

 

「さぁて、彼らはどこまで俺を楽しませてくれるのかな?」

 

 

 

 × 〇 × 〇 ×

 

  

 

 ──ADの合同勉強会に、Cクラスが参加して二週間が経過した。

 

 中間テストまであと一週間を切っており、勉強会参加者たちに流れる雰囲気もピリピリと張り詰めてきている。勉強会とは最初からそうあるべきだと思うが、オレたちはやる気を出すのに時間を掛け過ぎた。正直、今から真面目に勉強し始めた奴らはもう間に合わないとすら感じる。

 

 そう思うと、やはり過去問をもたらしたCクラスを入れて、正解だったのかもしれない。

 

 龍園曰く、中間テストでは過去問と同じ問題が出題されるとのことで、それについてはオレも同意見だ。奴の話は信憑性がかなり高い。

 そして、過去問を全体に配布するタイミングをテスト直前にすべき、という助言についてもオレと同じ考えだった。あの龍園という男は、素行はともかく考え方はオレとよく似ているのだろう。

 

「ねぇ綾小路くん」

 

 オレが計算ドリルと格闘していると、隣の席にやってきた堀北に声を掛けられた。

 オレが私語したら怒るくせに、自分からは堂々と話しかけてくるのか……。

 

「あなた、松下さんと何かあったの?」

「松下……?」

 

 聞きなれない人物名にオレは首を傾げた。

 確か入学初日の自己紹介の時、そんな人物もいたような──そう、確かフルネームは松下千秋。あまり目立った話は聞かないが、よく櫛田とかと一緒にいる所を見る。

 

「いいや、何もないと思うが。というか話したこともないな。どうしてそんなことを?」

「……昨日のことなのだけど、松下さんから突然聞かれたのよ、『綾小路くんがどんな人なのか』とね。その時はどうも思わなかったのだけれど、どうやら他の人も同じような質問をされているようだから、気になって」

「なんだそりゃ」

 

 松下千秋……接点はないと思う。

 いや、一回廊下でぶつかりかけたことがあって、謝ったっけ……あ、いやそれは篠原だったな。

 やはり関わりはないはず。彼女に気にされるような理由が、どこかにあっただろうか。

 

「もしやオレはモテているのか?」

「調子に乗らないで。私はそんなあなたの惚気を見たかったわけじゃないわ。彼女に綾小路くんについて詳しいと思われていたことについて、苦情を言いに来たの」

「り、理不尽すぎる……」

 

 オレにクレームを入れられたって困る。

 

「で、どんなこと話したんだ?」

「松下さんに話す義理はなかったけれど、あなたのことを黙っていてあげる義理はもっとなかったから、知っていることは一通り教えたわ。あなたがピアノと書道を習っていることだったり、入試で全科目50点を取ったことだとか……」

「少しは躊躇ってくれマジで。プライバシーって知ってるか?」

「それは人権にまつわる話よ」

「オレには人権がないと言いたいのか……?」

「…………あるの?」

 

 あるに決まってんだろ。本気で驚くな。……えっ、あるよね?

 戸籍とか国籍には関係なく、日本国憲法はすべての人民の基本的人権を認めていたはずだ。よし、ならばやはりオレには人権があるな。自信を持つとしよう。

 

 ま、話されて困るようなことは堀北にも知られていないし、何を話されても特に問題はない。

 だが、理由も不明なまま、よく知らない奴に詮索されることはあまりいい気分じゃないな。

 それどころか────少し危機感すら覚える。

 

「…………松下、ね」

  

 一応胸に留めておこう。

 

「こんにちは~!」

 

 するとその時、食堂中に快活な少年の声が響く。

 絵に描いたような端麗な顔出しの美少年。

 真っ黒なインナーパーカーの上から、ネクタイもせずに制服のブレザーを羽織り、変わった指輪をはめている。校則の上で反復横跳びをしているかのようなその男には見覚えがあった。

 

「えっ、折原く」

「折原臨也ぁ! 出やがったなテメェ!!」

 

 驚いたような櫛田の声を、池の蛮声が掻き消した。

 そう、折原臨也だ。たびたびDクラスにも顔を出すAクラスの男子生徒。

 元々はAクラスとDクラスの勉強会なので、アイツがやってくることに何の不思議もないのだが、今まで不参加だった奴がこんなテスト期間の佳境に現れるというのは珍しい。

 

「下がってて桔梗ちゃん! 君は俺が守るよ!!」

「池くんは会うたびに面白い反応をしてくれるね。友達多いでしょ、君」

「おうよ! ……って話を逸らすな! 貴様には俺の桔梗ちゃんと目を合わせることすら許さん!!」

 

 すっかりナイトを気取っている池は、頑なに櫛田と折原の間を遮って動こうとしない。

 好きな女の子がオープンなのは悪くないと思うが、露骨すぎると嫌われるぞ……。ほら、櫛田もドン引いてるし。数少ない友達として、池の愚行は目に痛かった。

 

「……お前は勉強会に興味がないと思っていたぞ」

「あぁ、ないよ。ただ人探しの用があって近くまで来たから、ついでに康平くんたちの様子を見に来ただけ。同じAクラスなんだから、誰の許可なんていらないだろ?」 

「フットワークの軽いことだ」

 

 折原は食堂全体に目を走らせる。

 そして──一瞬だけ、俺と目があったような気がした。

 

「──うん。用事はもう済んだ」

 

 普通に受け取れば、それはここに来るまでに済ませたという意味だろう。

 しかしオレには、彼の探していた人物がこの勉強会の会場にいたかのように感じた。

 

「しかし、Dクラスはともかく、Aクラスは頑張りさんだよね。みんなが真面目に勉強していて俺は感激だよ。俺たちAクラスは、最悪赤点を取ってしまっても問題ないというのに」

「えっ、どういうことだい?」

 

 気になったのか、平田が問う。

 ……正直、ナイス質問である。聞き耳を立てているようで忍びないが、オレも折原の話は興味があった。オレは内心で平田にガッツポーズを送る。

 

「テストの点数はね、pr(プライベートポイント)で購入することが出来るのさ」

「……何だと? そうだったのか?」

「おやおや、もしかして康平くんは知らなかったのかな。確か、1点につき10万ポイントでの購入が可能だったという話だったかな」

 

 なるほど、言われてみればそうだ。

 オレも薄々そういう使い方があるんじゃないかと思っていたが、折原の発言で確信に変わる。

 中間テストの点はポイントで購入可能。ならば、ポイントに余裕のあるAクラスなら、クラスメイトが悪い点を取ってもある程度までなら救済可能というわけだ。

 

「見たところ順調のようではあるが、覚えておくといい。

 ──もしも仮に、()()()()()()()()()()()()()()、誰かが赤点を取ったとしても、即座に退学になることはない。そういう場合は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね。ま、必要額は状況によりけりだろうけど……」

「──オイ」

 

 不意に伸びた腕に掴まれ、折原の足が少しだけ宙に浮く。

 折原を掴み上げているのは龍園だ。余裕めいた笑みを浮かべる折原は、どこかその状況を嬉しがっているようにも見えた。

 

「テメェ……何のつもりだ?」

「いきなり掴みかかるとは無礼な人だね。服が伸びる前に離してくれないかな、龍園くん」

「三度目は聞かねぇぞ。()()()()()()?」

 

 空気が凍る。

 あの葛城ですら、龍園の突然の行動に適切な判断が下せていないようだった。

 

「もしも俺の言ったことをテメェが忘れているようなら、今すぐこの場で殺してやろう」

「ゴメンゴメン、許してよ。もう()()()()()()()()

「……チッ」

 

 二人が離れる。

 龍園と臨也は面識があるのだろうか。断言はできないが、ただ折原が騒がしかったからという理由だけで、あれだけ龍園が激昂するとは思えない。

 

「おい葛城、こんなバカさっさと追い返せ。お勉強のお邪魔だろうがよ」 

「まぁ、そうだな。冷やかしならさっさと出て行ってくれ」

「えぇー? 見学すら駄目とかちょっとクラスメイトに意地悪すぎない?」

「お前の言う見学とやらを、世間的には冷やかしと言うんだ」

「はーっ、酷いリーダーですこと」

 

 状況が状況だ。

 丸く収拾するため、珍しく龍園の肩を持った葛城によって、折原は退室を余儀なくされた。

 

「困ったことがあれば、何でも聞いてね。力になるぜ」

「余計なお世話だ。いいからさっさと他の所で遊んで来い」

「俺は子供かっての」

 

 折原が出ていった後の食堂は、さっきにも増して静まり返っていた。

 カリカリとシャーペンの走る音に意識を沈めながら、オレは折原の言葉を振り返る。

 

 ──退学者はポイントで救済できる、か。

 

 オレにはそんな状況にならないことを、願うことしかできない。

 

 

 

 × × × × ×

 

 

 

「……高円寺くんにも会えると思ったんだけど」

 

 肩を落としながら、臨也は廊下を歩く。

 Dクラスの高円寺六助は、臨也ほど神出鬼没というわけではないが、活動範囲が広く不明瞭だ。教室に赴いても会えないことの方が多い。勉強会にも参加していないようだった。

 

「ま、主目的の方とは会えたし良いか」

 

 臨也の主目的──綾小路清隆。

 食堂に着く直前までは、直接話そうかとも思っていたが、顔を見て話す気が失せた。

 

「面白そうなヤツではあったけど、あの目は苦手だな」

 

 無気力で無感情で、機械的で事務的で、色という色のない少年の瞳。

 綾小路の目を直接見て、臨也の興味は粗方消え失せた。

 臨也は彼のように、大嫌いな魚の死体のような目をした人間は、あまり関わりたいと思えないのだ。

 

「さてさて、透明な彼がどんな彩を見せてくれるのか。今後の成長に期待、ってとこかな……っと」

 

 階段の前に辿り着くと、壁に寄りかかった少女の姿を見て足を止める。

 

「やっぱり、ここにいた。坂柳の読み通り」

 

 神室は複雑そうに臨也を見つめる。

 

「今から、ちょっと時間ある?」

「────は、ははっ」

「?」

「あはははッ! いやぁびっくりだなぁ!! 真澄さんの方から話しかけてくれるなんて、もうないと思ってたよ!!」

「……同感だね」

 

 あの夜の事件以来、めっきり教室では話さなくなった。

 もう完全に決別してしまったと考えていた少女は、臨也の予想に反して、何と彼の目の前に現れた。

 

 その現実に対面し、歓びと、悦びと、慶びに打ちひしがれた臨也は、小さく拍手を挟みながら神室の勇気を湛えた。

 彼女を動かしているのは怒りか、嘆きか、興味か、それとも以前までと変わらない感情なのか。

 

嬉しい(楽しい)なぁ悲しい(楽しい)なぁ悔しい(楽しい)なぁ!! 君は俺の想像の中に収まらなかった! 素晴らしいことだよ真澄さん!!」

「そりゃどうも」

「あ~……ははは。いやぁゴメン、大きな声出しちゃって。それで、何の用かな? 俺を殴りにでもやってきた?」

「……私とデートして」

「は?」

 

 

「だ、か、ら、デートしよっつってんのよ。恥ずいこと何度も言わせないで」

 

 

 

 

 

 ──いや、まぁ確かに俺も暇ではあったし、デートだろうと決闘だろうと受けて立つ所存ではあるが。

 

 ケヤキモールにあるカフェは閑散としていた。

 一目を気にしないでいい状況で男女が二人。それも、デートと銘打った会合だ。一般的にイメージされるのは甘い逢引だと思われるが、神室は終始仏頂面を崩すことなく、臨也の声掛けにもマトモに応じられない状況だった。

 

「……もしかして、自分から誘っておいて緊張してる?」

「はっ、はぁっ!? だ、だだだ、誰が緊張なんて……! 別に男女でお洒落な店に入ったことがないとか、注文の仕方が分からなくて困ってるとか、そんなことは全然全くないんだからねっ!?」

「すみませーん、注文お願いしまーす」

 

 ここは店員を呼び出すベルがないタイプの店だ。臨也が声を上げ、店員を呼ぶ。

 

「お待たせしましたー! ご注文お伺いします!」

「彼女にはこの店で一番人気のドリンクを、俺には一番不人気なドリンクを頂けますか」

「かしこまりました! キャラメルマキアートとマンゴージュースですね! トッピングはどうなさいますか?」

「……俺は結構。真澄さんはどうする?」

「め、めめ、メニュー表は……」

「いらないそうです」

 

 注文を受けると、店員は恭しく頭を下げ、厨房の方に戻っていった。

 

「……」

「フンフフンフ~ン♪」

 

 ティッシュで器用で鶴を折る臨也とは対照的に、神室はいつまでも沈黙を貫き続け、居心地が悪そうに身を捩っていた。

 彼女の方から誘ってきた以上、こちらから楽しい時間を提供する義理はない。

 注文の商品が届いてくるまでに、臨也の作成した鶴は3個に達していた。

 

「お待たせしました~! キャラメルマキアートとマンゴジュースです! ホイップはサービスしておきました!」

「気が利きますね。どうもありがとう」

「あ、ありが……」

「ごゆっくりどうぞ~!」

「……」

「いただきます。さてさてお味の方は──ッ、うげぇ、このジュース苦いっていうか酸っぱいっていうか、甘さ皆無なんだけど本当に売り物かよ……!? ま、飲めなくはないけどさぁ…………てかいつまで黙ってんの?」

「う、うっさい! ちょっと考えてるの!! 今喋るから待ってて!!」 

 

 随分と頭の中の整理に時間のかかる少女である。

 臨也が手元のジュースを全て飲み干しかけた頃になって、ようやく神室は口を開く。

 

「……よしっ、折原!」

「何?」

「私、あんたのこと許してあげる」

「は? 俺、君に許されなきゃいけないようなことしたっけ?」

 

 コップの隅に溜まったジュースと、余ったホイップをかき混ぜながら、臨也は冷笑していた。

 少女の心境の複雑さは大方察しがついている。

 愛憎渦巻きつつも、少年を一概に責めることの出来ない自分の落ち度に気が付いているのだろう。

 しかし、古今東西女性の涙は、あらゆる罪を洗い流してきた。泣いて悔やんで謝って、だから神室真澄に汚点はもうない。そんな風に考えたのだろう。

 

「これだけ時間かけて言葉にしたかったのって、ソレ?」

「……あんたさ、私の心を弄んでおいてその自覚もないのね。……忘れたとは言わせないわよ。あの夜のことよ」

「はは。君の感情を裏切った覚えならあるけれど、君を騙したわけではないし、まして弄んだなんてとんでもない。俺を糾弾したいのであれば、感情論でなく理屈で俺のしたことを言ってみなよ」

「……」

 

 少女は下唇を噛みながら、臨也を睨む。

 

「ほらね、言えないだろ? 俺は何も悪いことなんてしてないってことだ。

 全て君が勝手に勘違いし、勝手に暴走し、勝手に静まっただけの、神室真澄の一人相撲じゃないか。それの一観客に過ぎない俺に『許してあげる』とか、お門違いも甚だしいっつーの」

「でもあんたは、私が坂柳のことを誤解していることを否定しなかったでしょ」

 

 あくまで自分は被害者であると主張する神室に、少年は否と突き出し続ける。

 

「それを言うなら君さ、一度でも俺の意見を仰ごうとしたかい? 俺に助言を求めようとしたかい? 俺は君の鬱憤晴らしのイエスマンでしかなかった。正直、君のようなメンヘラに付き合ってやるのはしんどいことこの上なかったよ」

「それは……」

「違うとは言わせないよ」

 

 

「というか、有栖ちゃんを嫌ってたのは君の本心であって、俺の意思は介在していない」

 

 

「誤解も何もないはずだ。君は坂柳有栖を正しく認識していた」

 

 

「そう、君は確実に彼女を嫌ってたのさ。今はどうか知らないけどね」

 

 

「その自分の感情の原因や理由を、赤の他人に押し付けるのはどうかと思うよ」

 

 

「自分の感情には自信を持つべきだ。特に愛や憎しみなんていうものはね。例えばこの俺がそうであるように。……人間は皆そうあるべきなんだ」

 

 

 デートは、重たい空気のまま終えた。

 そもそもあれはデートと呼べるものだったのだろうか。

 少女はいつしか何も反論しなくなり、少年もとうとう言葉を言い尽くしてしまう。

 帰り道、声もなく並行して歩く二人の間には、赤の他人よりも大きな溝が続いていた。

 

 ──身体の異変に気付いたのは、何の因果か、折原臨也が初めて神室と一対一で話したベンチの前だった。

 

 臨也は足を止め、頭を押さえる。

 風船で吊り上げられているかのような浮遊感のせいで、足元が定まらない。

 

 

「私さ、本気であんたのこと、好きになりかけてたみたい。ほんっと悔しい」

 

 

 気づけば、神室は隣にいなかった。

 空気がしみ込んでくるような曖昧な感覚を気力で研ぎ澄まし、臨也は何とか背後を振り返る。

 そこには、腕を組んでこちらを見下ろす神室の姿があり、少し遅れて臨也は自分が転倒していることに気が付いた。

 

「……さっきの飲み物に、何を入れた……?」

「やっときいてきたのね。いい気味」

「…………は、は」

 

 よくよく思い返してみれば、神室は出されたキャラメルマキアートにほとんど手を付けていなかった。

 臨也の飲んだマンゴージュースにあった苦い味わいも、薬物に特有のものだった気がする。

 

 道の脇から、数名の男子が現れる。

 臨也の周囲を取り囲むように近付いてきたのは、司城、島崎、橋本の三名だ。

 

「眠たそうだなぁ、折原? 睡眠不足か?」

「テスト勉強だからって頑張りすぎだぞ」

 

 入学以来、少年の顔に初めて焦りが出た。

 このままリンチにかけられる──とは思えない。彼らは坂柳派だ。無意味な復讐に手を染める愚を、あの少女は犯さない。

 眠って抵抗できなくなった臨也を、三人でどこかに運び込む。恐らくはこんな所だろう。

 

「舐め過ぎてた、かな……?」

「まっ、抵抗しなきゃ痛めつけたりはしないから、安心し──っ!?」

 

 座った状態からの右腕の薙ぎ。

 島崎が足元からぐるりと一回転して肩から地面にぶつかった所で、司城と橋本が臨也に襲い掛かる。

 

 ──意識が朦朧としている。

 ──手足に力が入らない。

 ──もう今すぐに倒れて、眠ってしまいたい。

 

「ははっ」

 

 それでも、余裕だと臨也は微笑んだ。

 中学時代は地元でよく喧嘩に勤しんだものである。多少の武術の心得だってある。この状態でパルクールは使えないだろうが、それを差し引いても切り抜けるのは難しくない。

 

「この──っ」

「俺を捕まえてどうしたいんだい? 君たち!」

「大人しく……しろっ!!」

「ほらほら、手加減してると負けちゃうぞ!」

 

 島崎が立ち上がり、二人の加勢に加わる。

 それに対して、臨也の肉体状況は悪くなるばかりだ。眠気が強まり、視界がぐらつく。

 素手での応戦が難しいと感じ、懐の隠しナイフに手を伸ばすと──

 

「~~~~~~ッッッ!?」

 

 臨也の身体が、浜辺に打ち上げられた魚のようにビクンと飛び跳ねた。

 それが、神室のスタンガンによる攻撃だったと気付くこともなく、臨也は身体と同時に意識を落としたのだった。

 

「はぁ、はぁ、薬きいてるんじゃなかったのかよ」

「コイツ喧嘩強かったんだな……」

「つーか、もしかして俺ら弱すぎ?」

 

 

「──捕まえたよ、坂柳」

『──お疲れ様です。では予定通り、20分後に橋本くんの部屋で』

「──ん。りょーかい」

 

 




調子に乗ってしっぺ返しを食らうのは、臨也のテンプレみたいなもんです

今後の臨也の観察対象は?(参考までに)

  • 戸塚弥彦
  • 山内春樹
  • 山田アルベルト
  • 石崎大地
  • 家電量販店の店員
  • 神室真澄
  • 坂柳有栖
  • 葛城康平
  • 橋本正義
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