泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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序章
覚醒


 

 

 

 ……俺は事故で死んだはずだ。

 

 長い昏睡から目覚めるかのように意識が浮上して、木張りの天井を見上げた時最初に思ったのはそれだった。

 家から叩き出されて、らしくもなく痴話喧嘩をする高校生カップルを助けようとしてトラックに轢かれたことまでは覚えている。

 だが、思い起こされるその光景すら、遥か昔の出来事のように輪郭を失い判然としない。

 あれからどれほどの時間が経ったのだろうか?

 

 茫洋と霞む視界の中に、誰かのシルエットが映り込む。煌めく金糸のような髪に、碧眼の女性。端正な容貌は慈愛に満ちており、こちらを見下ろしている。

 

『──気そうな──の子──』

『目元は──那様に──』

 

 女性が顔を上げ、ほっとした表情で誰かと話している。言葉はわからなかった。日本語ではないのだろうか。だが英語にしては発音がおかしい。

 

『──にも──せてくれ──』

 

 ふと聞こえる三人目の声。

 視界に入ってきた明るい茶髪の男性が、にこやかに自分に笑いかける。悪戯っ気をみせる垂れ目に泣きぼくろの長身の男。

 

「ああー、あうあー」

 

 ここはどこで、あなた方は誰なのか。

 それを問おうとして、しかし口から漏れたのは言語としてまるで意味をなさない声。

 それに困惑していると、男に抱き上げられた。

 冗談だろう、と目を剥く。

 トラックに轢かれる前までは、少なくとも体重は一〇〇キロを超えていたはずだ。そんな自分を持ち上げるとは……

 

 身じろぎをしようとして、ほとんど体が動かないことに気付く。脚も動かず、上体を起こすことすらできない。ただ両腕だけが、泳ぐように宙を掻いた。

 

 視界に入る、小さな小さな両の手。

 そこでようやく、自分が赤子となっている事に気がついたのだ。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 一ヶ月が経った。

 多分一ヶ月くらいだろう、という感覚でしかないが。

 

 一ヶ月も経てばわかってくることもある。

 まず、父親の名前はパウロ。

 明るい茶髪でエメラルドグリーンの瞳のあいつだ。

 マッチョというほどではないが筋肉のついたイイ体をしている長身の美男子である。正直嫉妬するレベルだ。

 そして母親の名前はゼニス。

 金髪に碧眼、白い肌という三拍子揃った美女である。

 まだ二〇歳にもなっていないのだろう、あどけなさの残った端正な顔に、素晴らしい乳と尻を持ったお方である。パウロへの嫉妬はこの美女をモノにできた事が多分に入っていると言っても過言ではない。

 そしてリーリャ。

 艶のあるボルドーの長髪を後頭部でまとめ、紫がかった蒼い瞳を眼鏡の奥に秘めた美女である。

 パウロと同年代だろうか、ゼニスよりも一、二歳ほど年上に見える。そしてなにより、こちらもまた非常に素晴らしいメロンをお持ちだ。

 正直、彼女の立ち位置はよくわからない。

 パウロやゼニスを立て、常に一歩引いたような立ち位置で、そして主に家事を担当している……のだと思う。何度かシモの世話もしていただいた。

 使用人かハウスキーパーだろうか。雇われの乳母のような存在なのかもしれない。血が繋がっているようには見えないが、親戚が手伝いに来ている可能性もある。

 一ヶ月経ったとはいえ、なにも出来ぬ赤子だ、断言するにはまだ早い気はする。

 

 一ヶ月という月日は、何もできない赤子の俺には随分と長く感じられた。

 それもそうだ。

 首も据わらず、寝返りも打てない。

 まさに無力な赤子の俺に、能動的に出来ることなんて大声で泣き喚く事くらいだ。

 流石にみっともないのでしないが。

 泣くのは飯を要求するときと、オシメが汚れてしまったときだけだ。

 

 はじめはだいぶ抵抗があった。

 考えてもみろ、幾ら体は無垢な赤様だからといって、精神は三四歳童貞ヒキニート。シモの世話をされるのは罰ゲームか何かとしか感じられないわけだ。

 まあ本人がいくら嫌でも自分で処理できるはずもなし。我慢しても体にいいわけでもない。

 漏らしたあとは泣く泣く──精神的にも肉体的にも泣く泣くそれを知らせて面倒を見てもらうわけだ。

 それは仕方ない。一ヶ月もすれば慣れた。

 

 それにしても素晴らしい。

 こんな美女の巨乳をただで吸えるなんて、前世じゃいくら金を積んでも出来なかっただろう。

 つい顔が緩んでしまう。抱き上げられたときも全身で堪能してやろう。

 なんだかリーリャに胡乱げな眼差しを向けられているような気がしないでもないが。

 そんな目でみないでくださいよぉ。こちとらまだ赤ちゃんですぜ? 食欲以外ありませんって。

 おっと、奥さんのがでかすぎると捕まえておくのも一苦労ですなあ、両腕でしっかり握らせていただきますぜ、へへへ。

 ……目がちょっと険しくなった気がしたので、ここら辺にしておきましょう。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 更に一ヶ月が経過した。

 二ヶ月もすれば視覚も聴覚も多少ははっきりとしてくる。

 もちろん体はまだまだ動かないが、出来ることはないわけじゃない。

 ベビーベッドを覗き込むようにして忙しなく変顔をするパウロや、それを微笑ましく見つめるゼニスやリーリャとの話を聞いて、言語習得に努めているわけだ。

 

「べろべろばー、ルディちゃん、パパでちゅよー」

 

 そんな顔したって面白くもなんともないぜパパン。

 

「なかなか笑わないな……むむ、ふぐぐぐ」

 

 お、それはちょっと面白いな。イケメンが俺を笑わせることにご執心だってのもちょっと滑稽だ。

 

「お、笑った笑った! ゼニス、ルディが笑ったぞ!」

「あらあらほんと」

 

 この言語は間違いなく日本語じゃない。

 英語やそれに連なる言語でもなさそうだ。

 この頭は乳幼児で柔らかいためか、異常に物覚えがいい。今のうちにしっかり話を聞いてなるべく早く覚えてしまいたいものだ。

 

 そう考えてると催してきてしまった。

 こうなると赤子にできることなど他に無い、遠慮なくぶっ放させてもらおう。

 

「うう、うああああん」

「うおっ、ゼ、ゼニス? リーリャ? ルディが泣き出しちまったぞ」

「旦那様、これは……ちょっとよろしいですか」

 

 泣くような、そうでもないような何かを訴える声。

 母乳を要求するときと、シモの世話を頼むときはなんとなく泣き方を変えるようにしている。そうすればわかりやすいだろうという親切心だ。

 金切り声だとみんなノイローゼになっちまうからな、あくまで泣き声は控えめだ。昔弟の世話をしたときに思い知った。

 察したリーリャが流石の手際でテキパキと世話をしてくれる。ゼニスがやろうとしたが止められていた。なんとなく順番でやっているらしい。

 ああ、そこそこ。いつもすいませんね、フヒ。

 

 ……。

 ……んん? なんだか拭かれる手に違和感がある気がするが。

 

 まあ気のせいだろう。

 ……気のせいのはずだ。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 自分が転生しているということに気付いてから早数ヶ月。

 時が経つのは早いもので、ついこの前まで寝返りしか打てなかったのに最近ではハイハイをして家中を這い回っている。

 日に日に行動半径が広がっていっている俺を、両親は苦笑しながら微笑ましく見守っている。

 ありがたいことだ。

 

 家族構成は三人プラス一人ということがはっきりした。

 父親のパウロ、母親のゼニス、俺。そしてメイドのリーリャである。

 そう、彼女はメイドだったのである。

 そしてこの家はメイドを雇っているのだ。

 この家はそれなりに裕福なのだろう。それは中世末期から近世初期程度の文明レベルの割には随分広い、家の間取りからも窺える。

 赤子の体は不便極まりないが、数ヶ月前まで比喩抜きで寝たきり生活だったことを考えれば雲泥の差だ。タダで美女の巨乳を堪能できたことを考えれば天国ではあったが。

 

 だが。

 ただ一つ、看過できない由々しき問題があった。

 それは俺のアイデンティティに関わる問題だった。

 

 この世に生まれてより半年近く。

 それだけ経てば否が応にでも理解する。

 初めのうちは理解できなかった。脳が理解を拒んでいた。

 それから数ヶ月はわからないふりをしていた。目を向ければすぐなのに、努めて目を向けなかった。

 心の奥底では理解していた事なのに。

 ああ、だが。何もわからないふりができたのは、体の自由が効かない時期だけだったのだ。

 事ここに至っては向き合わねばならない。

 理解せねばならない。

 そう、俺は──

 

 ──俺は、女の子だったのだ。

 

 誰も見ていないところで確認した。

 そして見てしまった。

 あるはずのものがなかった。

 それは男としてのアイデンティティ。

 前世でまるで有効活用されることなく別れを告げたマイサンと、転生という過酷な経験を乗り越えて感動の再会を果たすなどということは特になく。

 股間にあるべき可愛らしいナニも雄々しい一物も綺麗さっぱりつるんつるんに消え去り、俺に拭い難い強烈な喪失感を齎したのであった。

 かつてこれほど辛かったことがあっただろうか?

 弟にパソコンを粉砕されてしまったときよりもなお辛い喪失感が俺を苛んだ。

 

 薄々そうなんじゃないかと感じていたことではあった。

 だから向き合う覚悟を決めてからは理解は早かった。

 混乱はしなかった。

 理解して、泣いたのだ。

 それはもう盛大に。

 

 こっちの世界に産まれてこの方ろくに泣かず、飯やらシモやら要求するときも、ゼニスやリーリャがいるときに控えめに泣くくらいだった俺が。

 

 魂消るような絶叫を張り上げたのである。

 それは失われてしまったものに対する魂の慟哭だったのだ。もう戻ることのないものに対する鎮魂だったのだ。

 

 パウロやゼニス、リーリャには悪いことをした。

 家がひっくり返るような過去最大の泣き声を聴いて、血相を変えて駆けつけてみれば、下半身を丸出しにした長男……いや長女が、うああんうああんと慟哭しているんだもの。

 なにを訴えているのか、そもそも何かを訴えているのかも分からず、ひたすら泣き続ける俺に困惑するしかなかったわけだ。

 

 「どうしたの? 怖いことでもあったの?」とゼニスがあやそうと抱き上げると、更に堰を切ったかのように泣き始めるのだ。

 美人の巨乳に対して興奮はしても──それが性的なものではないことに気づいてしまったのである。

 

 ああ、一度くらい使ってやる機会があればよかったのになあ。

 だがもうどうしようもない。

 いくら嘆いても後悔しても、失われたマイサンが返ってくることはないのだ。

 俺は転生したこの世界で、女として生きるしかないのだ。

 

 それを理解してしまってからは、随分と落ち込んだ。

 一週間は落ち込んだかもしれない。

 ずっと無気力に項垂れていた気もする。

 家族には随分と心配をかけてしまった。

 吹っ切れて立ち直らなければ、村の治療院に駆け込まれていたらしい。

 吹っ切ったというよりは、どうにか受け入れた感じである。

 とにもかくにも、俺は女の子として今後の人生を生きるしかなくなったわけだ。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 転機が訪れたのはそれからすぐのことだった。

 

 結局のところ俺が女の子になってしまったからといって、現状をどうにかできるはずもなく、家の中の探索を続けるしかない。

 むしろ気を紛らわせるためにはただひたすらにぼーっとしているよりは、なにかしら動いていた方がいいというものだ。

 とは言っても多少広いとはいえ一軒家、探索もすぐ終わってしまった。

 玄関と居間、キッチンと物置のほかに、部屋が五つ。なかなか大きい家だ。四人で暮らすにはやや広い気もするが。

 

 そんなわけで、ここ数日はなんともなしに外を眺めていたりもする。

 場所は居間の窓からだ。目を離すとすぐに何処へやら這い回る乳幼児に手を焼かされているゼニスやリーリャの事だ、近くにいれば安心するだろうという気遣いだ。

 木製の椅子にふんぬとよじ登り、窓枠に捕まって外を眺める。

 窓枠から差し込んだ午後のうららかな陽光が、ぽかぽかと心地よい。

 現代日本のそれとは違う、どこかファンタジーな田園風景と、風にそよぐ小麦畑……いやあいい天気だ。

 夏はまだ遠いが、小春日和とはこういうことを言うのかね。

 遠くにやっていた視線を下ろせば、今日は非番らしいパウロが……パウロが……

 

(ええ……? ちょ、なにやってんの?)

 

 俺は目を疑った。

 なぜならパウロが上半身裸で剣を振り回していたからね。

 なんてこった、うちの父親は中二病であらせられましたか。読めなかった、このルディアちゃんの目をもってしても。

 いやもちろん、そういう気持ちはわからんでもない。かつては俺とてそういう時代はあったものだ。修学旅行で木刀を買いそうになったし。

 パウロが剣を振るたび、それに連動した筋肉が伸縮し、うっすらとかかれた汗が散る。

 ああいうのが肉体美というのだろうか。

 ボディビルダーのような魅せることに特化したものではなく、バレエダンサーのように最適量の筋肉だけつけたわけでもない。そう、剣士として完成されたものだ。

 剣のことなんてわからんが、男として──いや、元男として羨ましくはある。ゼニスも見惚れてら。

 出来ちゃった婚らしいが、なるほど頷ける話である。お二人とも毎晩お盛んだ。羨ましくも妬ましい。

 

(……あっ)

 

 そんな益体もないことを考えていると、つるりと窓枠をつかんでいた手が滑ってしまった。

 

(あわわわ)

 

 手がかりを求めて泳いだ手が椅子の背もたれに触れるも、この乳幼児の手で体を支えられるはずもなく。

 後頭部から地面に落ちていく。

 次の瞬間、どしんという音とともに落下の衝撃が響いた。

 

「きゃあ!」

 

 次いで響く悲鳴。

 どうやら俺が落ちる瞬間を目撃してしまったらしいゼニスが、畳み終えた洗濯物を取り落としてこちらに駆け寄ってくる。

 

「大丈夫!? ルディ?」

 

 切羽詰まったような表情で俺を抱き上げたゼニスだが、顔を覗き込むとほっとため息をついた。

 心配かけるねママン。

 視界がちょっとくらくらする。

 まあまあ痛いが、ルディちゃんは強い子だからな。泣かんよ、泣かん。

 むしろ終生の友を失った心の痛みの方が……うっ。

 

「ああやっぱり痛かった? 大丈夫よ、念のためおまじない、かけてあげるわね」

 

 じわりと目の端に涙の浮かんだ俺を見て、母親が俺の頭に手をかざしてくる。

 

「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん──ヒーリング」

 

 なにやら妖しい詠唱を始めたゼニスに、なんじゃそりゃ、それが国伝統の「イタイのイタイのとんでけ」か? と訝しむ。

 そんな俺を他所に、頭に添えられたゼニスの手が淡い光を放ったかと思うと、すっと痛みが引いていったのだ。

 

「どう? もう痛くないでしょ? ママね、これでも昔は冒険者やってたのよ」

 

 衝撃だった。

 この不可思議現象がただのプラシーボ効果ではないことが理解できただけに、とんでもなく驚いた。

 うっそでしょう、とまたゼニスの腕から転げ落ちそうになったくらいだ。

 

「どうしたー?」

 

 ゼニスの悲鳴を聞きつけてか、先ほど覗いていた窓からパウロが声をかけてくる。

 

「聞いてあなた! さっきルディが椅子から落ちちゃったのよ」

「そりゃあんだけ毎日動き回ってるんだ。椅子から落ちもするさ」

「なによ、もう。もうちょっと心配してあげてもいいんじゃない?」

「心配はしてるさ。ルディも男の子かってくらい動き回るもんな」

 

 鍛錬のキリがついたのだろう、リーリャに手渡されたタオルでパウロが汗を拭きながら家に上がってくる。

 

「でも大丈夫さ。俺とお前の子なんだから、元気に育つよ」

「……あなた、もう……誤魔化されてあげるわ」

 

 パウロがゼニスの唇についばむようなキスを落とす。

 仲が良いのは良いが、俺の真上でやらんでもらえませんかね?

 あうあーと囃し立てる俺をベビーベッドに寝かしつけると、そのまま盛り上がってしまったお二人は二階へと姿を消していく。

 そうして弟か妹を作る作業へと入っていくのだ……けしからん。

 

 一人になると嫌でも先ほどの光景が思い出される。

 剣を振る父。詠唱に、妖しい光。

 薄々感じてはいたが、ここは地球ではない。

 そう、剣と魔法の世界だったのだ。

 

 そうとわかればなんと心の躍ることか。

 かつてニートで部屋に篭りきりだったころも幾度となく夢想したではないか。

 空から女の子が降ってきたら──

 突然不思議な力に目覚めたら──

 異世界に転生したとしたら──

 

 俺は今度こそ、本気を出せるはずだと。

 そのかつての戯言を現実にするときがきたのだ。

 女の子に生まれてしまったのは誤算だったが。

 

 今度こそ、本気で生きてやると、俺は心に誓ったのであった。

 

 




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