泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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節目を前に

 

 

 

「母様、それにリーリャも! お久しぶりです!」

 

 使用人に先導されて屋敷の門を潜る二人の姿を見咎めるや否や、ルディアは喜色を満面に浮かべて声を上げた。

 打ち合っていたエリオットは何事かとばかりに目を剥いたが、ルディアの向かった先を見て木剣を下ろす。

 

「会いたかったわルディ! 少し見ないうちに大きくなったかしら」

「そう言う母様は変わらず美人ですよ」

「まあこの子ったら、そういうところはパウロに似たの?」

 

 駆け寄ってきた娘の姿を見て相好を崩したゼニスは、そのまま抱擁しようとしたが両手が塞がれていることに気付き、ルディアからの抱擁に身を任せた。

 ゼニスとリーリャの腕に抱かれた存在に気づいたルディアが表情を綻ばせる。

 

「ノルンとアイシャも連れてきてくれたんですか?」

「ええ、ルディも会いたいと思って」

「嬉しいです」

 

 ノルンを抱いたルディアに、膝をついたリーリャが腕の中のアイシャを寄せる。

 

「ルディアお嬢様、お久しぶりです」

「リーリャさん元気にしてましたか?」

「はい、おかげさまで」

「ねえルディ、お稽古の途中だったんじゃないの?」

 

 ゼニスに指摘されて、ルディアはようやく自分が剣術の稽古中だということを思い出した。断ることもなく飛び出してしまったが、ギレーヌの顔を見れば仕方ないとばかりに肩をすくめている。

 その厚意に甘えさせて貰おうとばかりに、ルディアはゼニスとリーリャに向き直った。

 

「ギレーヌの許しは出たので大丈夫です」

「そう? ならいいんだけど……」

「来たのか、ゼニス」

「ええギレーヌ、半年ぶりね」

「子供も大きくなった」

 

 ルディアの腕の中のノルンをギレーヌが覗き込む。

 すっかり首の据わったノルンは、見覚えがあるのかないのか、しきりにギレーヌに手を伸ばしている。

 

「そっか、ノルンもアイシャももう一歳なんですね」

「そうよ、ちょっと遅かったけどノルンもハイハイ出来るようになったわ」

 

 あーうーとルディアそっくりなエメラルドグリーンの瞳を向けるノルンに指を差し出すと、小さな手できゅっと握りしめてくる。

 

「ふへへ……かわいいですねえ。お姉ちゃんですよー」

「ねえルディ。そのお姉ちゃんにお願いがあるんだけど」

「? なんでしょう?」

「後ろの彼、紹介していただけないかしら?」

「──あっ」

 

 そういえば、とルディアは振り返った。

 木剣を提げたエリオットが所在なさげに立っている。ギレーヌはともかく、彼はゼニスやリーリャとの面識はないのだ。

 ゼニスにエリオットを紹介しようとして、少し思いとどまったあと振り返る。この場の誰も気にしないだろうが、立場の差を考えれば、まずは家格に劣る母から紹介しなくてはならない。これもこの半年の間に学んだ事だ。

 

「えーっと……こちらが私の母様のゼニスと、同じく母親兼メイドのリーリャです」

「ゼニス・グレイラットです。娘が世話になっております」

「メイドのリーリャ・グレイラットと申します。以後お見知りおきを」

 

 ルディアの紹介に、ゼニスが微笑みながら腰を折った。ミリス式のそれはエリオットにとっては馴染みが薄かったが、流麗で礼を尽くされたものだとわかる。

 対してリーリャはルディアの母親という単語に、感動に震えていた。

 

「それで母様、こちらが私が家庭教師として教えているエリオットお坊ちゃまです」

 

 言いながら、ルディアはエリオットの脇腹を肘でつついた。身を捩ったエリオットがルディアを睨む。

 

(ほら、お坊ちゃま。エドナさんとの練習の成果を見せるときですよ)

 

「エ、エリオット・ボレアス・グレイラットです」

「あら、これはどうもご丁寧に」

「ゼニス、ここにはサウロス様もフィリップ様もいない。もっとくだけてもいいだろう」

「そう?」

 

 視線を向けられたエリオットは、慌てたように首肯した。息が詰まるような気分になるのは勘弁願いたかったからだ。

 それをノルンを抱いたまま横目で見ていたルディアが、やれやれとばかりに揶揄する。

 

「お坊ちゃまが作法をマスターする日はまだ遠そうですねえ」

「余計なお世話だ!」

「仲が良さそうでなによりね。ねえエリオットくん、ルディアはボレアスで上手くやれているかしら」

「……どうして?」

 

 目の前に本人がいるのに、何故わざわざこちらに聞くのだろうとエリオットは首を傾げた。

 その意図が伝わったのだろう、ゼニスは苦笑しながら首を振った。

 

「ルディとならあとでいくらでもお話しできるもの。それにこういうのは本人の口を信用しちゃだめなのよ」

「私の前で言うことですかそれ?」

 

 嗜められて、エリオットは腕を組んで難しい顔をしたあと、そろそろと言葉を選ぶように口を開いた。

 

「ルディアは上手くやれてると思う……思います。メイドたちとも仲が良いし、ギレーヌもルディアのことを褒めてたし」

「それは良かった。それで、貴方はうちのルディのこと、どう思ってるの?」

「……良い、先生です?」

「なんで疑問系なんですか」

 

 まるで娘の彼氏を前にした父親の如き台詞に、ルディアは思わず目を剥いてゼニスを見た。

 ゼニスとしても、それはエリオットの人間性を探るためのほんのジョークのつもりだった。可笑しそうに目を細めて様子を窺うゼニスは、微妙に頬を赤らめたエリオットを見て更に笑みを深める。

 

「お坊ちゃま、照れてます?」

「うるさい」

「あたっ」

 

 茶化したルディアの頭に、エリオットの手刀が落とされる。

 

「ギレーヌ、木剣片付けといてくれ」

 

 そう言い残して去っていったエリオットの背中を、ルディアは頭をさすりながら見送った。背後ではゼニスがくすくすと童女のように笑っている。

 

「かわいいわねえ。ね、ギレーヌ?」

「かわいい……というのはわからんが、お坊は真面目で良い子だぞ」

「あら、いいじゃない」

 

 なにが琴線に触れたのかは知らないが、ゼニスはエリオットに対しさほど悪印象は抱かなかったようだ。

 和やかに談笑する二人を尻目に、ルディアはリーリャとともに幼い妹たちをあやす作業に戻った。

 

 

 

 

 

 

 ゼニスがロアに留まるのは、どうやらほんの一日だけらしい。

 屋敷で一晩を明かしたゼニスとリーリャが、早々に帰りの支度をしているのを見て、どうにももの寂しい気分になる。

 

「もう帰っちゃうんですか?」

 

 言ってから、言ってしまったとばかりに口を抑える。

 まるで子供のような台詞だった。

 振り返ったゼニスがまるで慈母のような笑みで目線を合わせた。

 

「ルディ、さみしいの?」

「そりゃさみしいですよ」

 

 強がる場面でもなく、当然のようにそう言った。声音には微妙に不満そうな色が含まれている。

 さようならも行ってきますも言う間もなく、魔法のように眠らされて簀巻きにされてロアまで送られたのだ。恨み言も言いたいこともそれなりにあるが、突き詰めれば『寂しい』に尽きる。それを認めずに強がるのは妙に子供っぽい気がして、ルディアは素直に頷いた。

 

「ごめんねルディ。母さんのこと、嫌いになっちゃった?」

「その聞き方はずるいですよ、母様」

「よかった」

 

 嫌いだったら寂しがることもない。

 その意図を込めてゼニスの首に腕を回す。

 

「大好きよ、ルディ」

 

 妙に気恥ずかしくて照れてしまう。

 だが家族への好意は隠さないほうがいいだろう。

 それも前世の後悔からだ。

 

「リーリャも、久々に会えて嬉しかったです」

「私もです、お嬢様」

 

 手を広げると、リーリャは少し逡巡したのち、ルディアの背中に手を回した。

 リーリャは以前よりもずっと付き合いやすくなった。ねだれば昔話もしてくれる。かつては一線を引いていたが、距離感が近くなったというべきだろうか。その視線にたまに崇拝めいた色が混じるのだけは気がかりである。

 

「ノルンとアイシャともしばらくお別れですね……」

「大丈夫よ。半年くらいしたらまた来るわ。今度はパウロも一緒にね」

「父様は別にいいです」

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 中央大陸諸国や、ミリス神聖国といった人族の住む領域では、五歳・十歳・一五歳の誕生日は盛大に祝うという風習がある。

 もちろんアスラ王国もその例に漏れず、聞けば家庭教師のルディアも五歳の誕生日には家族総出で祝われ、様々な贈り物をプレゼントされたという。

 だがそれが身内だけのパーティで済んだのも、彼女の立場があくまで辺境の駐在騎士の一家という、下級貴族のものだったからに他ならない。

 それが中級以上の貴族となるならば、その風習すらも政略の道具だ。大々的に開くことで、ホストの財力をアピールすることができ、招待に応じた他家の面々を見れば、その家の影響力を喧伝することができる。

 当然、パーティの主役たるホストの子女も衆目に晒される。その場の作法、受け答え、立ち居振る舞いから、ゲストは次代の為政者の器を見定めるのだ。

 

 ──かいつまめば、エリオットが父から受けた説明はそのようなものだった。

 貴族の道理を解すには未だ年若いエリオットだが、そう言って聞かされればそういうものなのだろうと納得する程度には、フィリップの説明は端的だった。

 ともあれ、エリオットとしてはただ祝われるためだけに出席するのではないということだけは把握していた。

 

「そんなに気構えなくていい。パーティに出席してくれる貴族は、ほとんどがうちのシンパだからね」

 

 礼儀作法の授業の進捗を、エドナから報告を受けているフィリップは別段エリオットの素行に心配するところはない。

 周辺貴族には、山猿と言われていたころのエリオットの印象しかないだろう。ならば、今のエリオットを見せるだけでも十分にポジティブな印象付けを期待できるはずだ。

 

「ま、他家への挨拶は基本は私がするから、お前は私のそばにいればいい。貴族の顔と名前はなるべく覚えておいた方がいいんだけど、それはおいおいね」

「わかりました」

「あ、そうだ。そのパーティなんだけど、ダンスパーティに変えたから」

「……えっ」

 

 予定の日時は三ヶ月後。

 当初はサウロスによって立食パーティの予定が立てられていたが、内実は参加者に酒が振る舞われ、サウロス同様無骨な武官達による宴会もどきとなるはずであった。

 そこに口を挟んだのがフィリップである。

 サウロス主催の宴会では、武官貴族ばかりの出席になりかねない。ボレアスとしては問題なくとも、フィリップとしてはこの機会をうまいこと活用したかった。ダンスパーティなら近場の貴族も参加しやすい。

 

 無論それで大迷惑を被るのはエリオットである。

 

 

 

 

 

 一ヶ月が経過した。

 

 礼儀作法はそれなりに様になってきたものの、ダンスとなればそうもいかなかった。

 そもそもエリオットはダンスというものをつい最近までしたことがない。エドナは献身的に教えてくれるが、基本的なステップすら危ういというのが現状であった。

 まさか魔術以上に向いていないものがあるとは思わず、エリオットは愕然とした気分を味わっていた。

 

(このままじゃ、パーティに間に合わない……)

 

 焦りが生まれる。

 貴族のダンスパーティで、主催が踊れないとあっては周囲からの嘲笑は免れまい。

 それはエリオットの、今までの努力の否定に等しい。たまたま苦手な一分野のみを見て、教養を知らない子供だと、以前と変わらぬ山猿だと平易に決めつけられてしまうのは極めて屈辱的だった。

 

(でも、どうすれば……?)

 

 思考を巡らせても良案は思い浮かばない。

 上手くいかない焦燥感と癇性を募らせながら、時間ばかりが無為に過ぎていった。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 最近エリオットがダンスの練習に四苦八苦しているらしい、というのは、ボレアスの屋敷では周知の事実となり始めていた。

 それは家庭教師や使用人たちの間のみの話ではあったが、フィリップあたりはなんとなく気付いているだろう。わかっていて何も言わないのだとすれば性格の悪い話である。

 かくいうルディアも仲の良い獣族のメイドから聞いたばかりであったが。

 

(しっかし、あと一ヶ月でしょ?)

 

 間に合うんですかねえ、と他人事のようにルディアは呟いた。

 

 一ヶ月ほど前、難しい顔をしたエドナが、授業時間を融通して貰えないかとルディアのもとを訪ねてきていた。そのときのルディアはどうぞどうぞと授業時間を譲り、今では魔術の授業は週に一回程度に減らしている。

 剣術の稽古は変更がなかったため、毎日顔を合わせてはいるものの、エリオットは不本意極まりないという顔をしていた。

 

「そこんところ、どうなんです?」

「最近お坊ちゃまはどうにも虫の居所が悪いようで……」

「カリカリしてますか?」

「してますねえ……」

 

 そう答えたのは、ルディアと仲の良いメイドである。

 猫耳をぴこぴこと揺らす彼女は一〇代半ばほどの、まだ少女と言ってよい年頃で、ルディアとはひと回りしか歳が離れていない。人好きのする性格の彼女の猫耳を、ルディアは時折せがんで撫でさせてもらっている。

 

「あ、でも、ルディア様はご存知ないかも知れませんけど、お坊ちゃまは昔はもっと酷かったんですよ?」

「へえ、そうなんですか?」

「もう二年も前で、私がボレアスに買われたばかりの頃なんですけどね。ちょっと気に入らないことがあればすぐ癇癪を起こして……」

 

 そこが可愛かったんですけど、と頬に手を当てて笑うメイドに、ルディアは反応に困って苦笑いを浮かべた。

 確かにエリオットは両親に似て非常に顔立ちは整っている。幼い頃だったなら、それはもう珠のように可愛いらしかったに違いない。サウロスが孫のわがままを許す姿が目に浮かぶようだ。

 

「最近はわがままを言ってくれなくなったから、私たちも少し寂しくて……いえ、今のお坊ちゃまに不満がある訳じゃないんですけどね?」

「わかってますよ」

 

 そういえば、とメイドが拍手をするように両手を合わせた。

 

「この前久々にお坊ちゃまが癇癪を起こされたんですけど、声を荒げたあとにしまったって顔をして、でも謝ろうにも謝れない様子がもう可愛らしくって……」

「あはは……」

 

 エドナが現れたのはそのときだった。

 困り顔で手を頬に当てながら眉根を寄せている。ルディアの把握している限り、この時間はエリオットのダンスの授業のはずである。

 

「あれ、エドナさん?」

「おや、これはルディア様。エリオットお坊ちゃまをお見かけになられませんでしたか?」

「いえ、見ていませんけど……ウルリカさんも見てませんか?」

 

 視線を向けられて、ルディアと談笑していたメイドは首を振る。

 はて、とルディアは首を傾げた。一年弱の付き合いであるが、エリオットは授業を投げ出したことは一度もない。癇癪を起こしたことだって、模擬戦でルディアに負けたときの一度きりだ。それを思えば、逃げ出すのはどうにも想像つかない事態であった。

 

「見つからないんですか?」

「はい。今朝方私の方にいらして、『今日の授業は休みにする』とだけ仰られてから姿が見えないのです」

「それは……お坊ちゃまもストレスが溜まっているんでしょう? 今日くらいは休日にしても……」

 

 ルディアの声にエドナは首を振った。

 

「お坊ちゃまのお気持ちはわかりますが、パーティまであと一ヶ月を切っています。一日だって惜しいのです」

 

 エリオットの気持ちもわからないでもないが、エドナの言い分にも理があるようにルディアには感じられた。ボレアスの立場やら、威信やら何やらは正直どうでもよいが、せっかくの誕生日に笑いものにされるのは不憫に過ぎるだろう。

 

「わかりました。私も探してみます」

「本当ですか! ありがとうございます」

 

 心当たりはなかったが、屋敷の敷地から出ているわけではないだろう。そうだとしたら護衛にギレーヌを連れて行くはずだ。そしてそのギレーヌがまだ敷地内にいることをルディアは先ほど確認していた。

 なら探す場所はそう多くない。

 

 

 

 

 

「お坊ちゃまー? エリオットお坊ちゃまー」

 

 控えめに声を上げながら、エリオットの姿を探す。

 やたらと広い敷地だが、エドナがすでに建物内を探していたこともあり、あとは散歩がてら残りの場所を巡っていくだけだ。

 

「あ、いた」

「……」

 

 幸いにして、エリオットはすぐに見つかった。

 厩の中の干し草の束の上で、腕を枕にして仰向けになっている。

 エリオットは厩に入ってきたルディアを一瞥しただけで、反応することなく視線を上に戻した。

 ルディアは身の丈ほどもある干し草の山を苦労してよじ登ると、服についた藁を払ってエリオットの隣に座る。

 

「お坊ちゃま。エドナさんが探してますよ。戻りましょう」

「……今日は休みだと言ってある」

「そうかもしれませんが……」

 

 ルディアの声に、エリオットはぶっきらぼうに返した。その声音に険はないが、やや投げやりだ。

 

「……エドナさん、このままじゃ間に合わないって言ってました。お坊ちゃまがパーティで恥をかいてしまうって」

「……」

「せっかくの誕生日にそんな思いをするお坊ちゃまは私も見たくないですし……ね、練習に戻りましょう?」

 

 顔を覗き込むと、エリオットは鬱陶しそうに顔を背け、そのまま背を向けてしまった。

 

「じゃあ、本番で踊らない。前の立食パーティに戻してもらう」

「今からフィリップ様に言っても間に合いませんよ」

 

 溜息をつきながらエリオットの前まで回り込むも、寝返りを打つように再び背を向けられてしまう。

 その背をつつくと、ようやくエリオットは胡乱なものを見る目を向けてきた。それと視線を合わせながら、ルディアは言葉を紡いだ。

 

「ダンス、だめなんですか? 私知ってますよ。人づてですけど、お坊ちゃまが真面目に練習してたって」

「……」

「お坊ちゃま、今まで頑張ってきたじゃないですか。ここで失敗したら、その分も無駄になっちゃいますよ。

 ……いや、無駄にはならないかもしれないですけど。それでも、ダンスが上手くできないだけで、他の全部ができないって思われるのも嫌でしょう?」

 

 その説得は、エリオットの内心のなにかを突いたようだった。その瞳が揺れ、口元が僅かに歪む。

 これでだめなら、諦めてフィリップやヒルダにでも相談するしかない──そう思った刹那、エリオットが口を開いた。

 

「……できないんだよ」

「え? ……うぷっ」

 

 顔を覗き込もうとするが、エリオットの手に押し戻されて、ルディアは藁束の上に腰を下ろした。

 エリオットは諦めたように、腕を枕にして視線を上げる。

 

「できないんだ。どんなにやっても上手くならない。魔術よりも苦手なものがあるなんて思ってなかった。……なんでもできるルディアには、わからないだろうけど」

「私にだって、苦手なものくらいありますよ」

 

 魔術も勉強も礼儀作法もできて、剣術すらそれなりにこなしている、というのがエリオットからみたルディア像なのだろう。だがルディアからしてみれば、自分は前世の知識と戒めから、小賢しく立ち回っているだけだ。

 確かにそれなりに努力している自覚はあるものの、それも努力ができるほどに恵まれた環境に置かれているからだ。

 ロキシーに手を引かれなければ家の敷地からすら出られなかった人間が、なんでも出来るだなんて烏滸がましい考えを持てるはずもない。

 

「うまくできないことだからこそ、一生懸命頑張って、できるようになったときの達成感もすごいんじゃないでしょうか」

「……そういうもんか」

「そうですよ」

 

 エリオットが苦手な魔術も、冒険者になったときにというモチベーションがあったからこそ取り組めた。より苦手なダンスを、モチベーションも、上手くなる見込みもなしに練習しろというのは酷なことなのかもしれない。

 だが思えば、この一ヶ月間剣術以外の全ての時間を練習に費やし、その間ほとんど文句も言わずこなしてきたのだ。本当にやる気がないのなら、早々に投げ出してサウロスに泣きついていたはずだ。

 

「なんだったら、私も手伝いますよ。ダンスの練習、もう一度やってみませんか?」

「……」

 

 エリオットは無言だった。

 説得は効かなかったのだろうか──諦めて戻ろうとしたとき、おもむろにエリオットが起き上がった。

 驚いて顔を仰け反らせるルディアに構わず、藁束から飛び降りて歩き去っていく。そして厩の出口に差し掛かり、振り向いた。

 

「なにやってんだよ。戻るぞ」

 

 ルディアは数瞬エリオットの言葉を判じかねて目を瞬いたあと、おお、と表情を輝かせた。

 追いかけるように藁束を飛び降りてエリオットの元まで駆け寄ると、母親譲りのにんまりとしたドヤ顔を向ける。

 

「……」

「ぁ痛っ」

 

 その笑顔のなんともいえない鬱陶しさにエリオットは眉根を寄せ、ルディアは頭頂部を襲った平手に小さな悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 エリオットを連れて練習に戻ったルディアは、エドナから大層感謝された。

 いえいえ、と謙遜しながら練習を再開する。

 

「ルディア様はダンスの経験はお有りですか?」

「いえ、ありませんね」

 

 エドナの問いに首を振る。前世含め、ダンスはこれが初めてである。だが、一、二時間ほど練習すれば、基礎的なステップは簡単にこなせるようになっていた。

 エドナは柔和な笑顔でルディアを褒め称えたが、エリオットは面白くなさそうな顔で鼻を鳴らしていた。

 

「二人いらっしゃるのなら、ご一緒に踊られるのも宜しいでしょう」

 

 との事で、エドナは二人を向かい合わせた。

 

「それではお坊ちゃま。ルディア様のお手を取られませ」

「……手を?」

「ほら、お坊ちゃま」

 

 ぐい、と手を引っ張って、エリオットを目の前に立たせる。性差と年齢差が相まってルディアはエリオットを僅かに見上げる形となる。

 ぱん、ぱんとエドナの手拍子に合わせ、ステップをこなしていく。が、すぐに綻びが生まれた。

 瞬く間にステップのタイミングがずれ、どたどたと慌ただしく靴音が鳴る。

 

「──いたっ!」

「……ごめん」

「大丈夫です。次行きましょう、次!」

 

 エリオットの足が、がルディアの爪先を踏んだのだ。

 苦手というならばそのくらいはあるだろう。まずは苦手の程度がどれほどなのか見極めなければならない。

 そして一時間後。

 

「ちょ、お坊ちゃま、はや、早すぎですって……!」

「ルディアが遅いんだろ……!」

「あわ、あわわわ!」

 

 ずだん、と痛ましい音とともに、二人でもつれあって転倒する。これで都合七回目の転倒だった。足を踏まれた回数については数えたくもない。

 

「うぐぐ、重症ですね……」

「……むう」

 

 すっ転んだ姿勢のまま、鈍い痛みを堪えつつルディアがうめいた。視界の端ではエドナが目を覆っている。

 エリオットを見れば、むっすりとした表情で俯いていた。その目には不甲斐なさと、僅かに諦観が滲んでいる。

 ルディアが手伝うとあって、エリオットは終始居心地の悪そうにしていた。だがその視線は真剣で、なぜルディアにできて自分にできないのか、苦手なりにどうにか見極めようとしている節さえあった。

 ルディアもこの一時間、文字通り振り回されていただけではない。観察していたのはルディアも同様である。

 そしてルディアには気付くところがあった。エリオットがダンスを苦手とする理由、その一端を。

 ルディアは再びエリオットを立たせて手を握ったあと、意を決して口を開いた。

 

「お坊ちゃま、目をつぶってみてください。これから魔法を使います」

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 結論から言えば、ルディアの魔法(・・)には覿面の効果があった。

 実に一年近くの間、エリオットとともに剣術の鍛錬に打ち込んできたルディアである。そのステップ──否、足捌きには見覚えがあった。速く、鋭く相手を幻惑するその足捌きは、ルディアにとって既知のものだ。

 要するに、エリオットのステップは速く、鋭すぎた。ゆったりと余裕をもって踏むべき足捌きを、最速でこなそうとするからタイミングがずれるのだ。

 ルディアはそこに、ギレーヌとの鍛錬でやったフェイントを盛り込んだのである。

 結果として、エリオットは先ほどとは見違えるような動きでルディアに追随できるようになった。

 

「で、できた……。できたぞ、ルディア!」

「ほら、魔法が効いたでしょう?」

「素晴らしいですルディア様! このエドナ、感服いたしました」

 

 笑顔を向けるエリオット。気難しいこの少年にしては珍しい表情だ。

 エドナは感心しきりといった様子で手を叩いている。

 

「いいですか、お坊ちゃま。上手くできないものがあっても、他の授業で学んだことが応用できるかもしれません。そういうときは、私や他の家庭教師の人に言われたことを思い出してみてくださいね」

「あ、ああ……」

 

 頷くエリオットは、いつにも増して素直だ。その姿に普段とのギャップを感じつつ、こんこんと言い聞かせる。

 

「この調子なら、きっと本番に間に合いますよ」

 

 劇的に改善を見せたエリオットのダンスは、その日の練習が終わるまでの間に更にじわじわと洗練されていった。

 この二ヶ月間、剣術以外の科目を返上してまでダンスの練習に時間を費やしてきたエリオットは、エドナに基礎を叩き込まれていたのだ。

 それがルディアの関与によって表面化した。この分なら、辿々しくとも本番では恥をかかない程度には踊れるだろう。

 

「……ルディアは、すごいな……」

 

 満足して解散を言い渡したエドナが退出したあと、エリオットがぽつりとそう呟いた。

 

「どうしたんですか、急に」

「……なんでもない」

 

 その声音に込められた賞賛が掛け値なしのものだと気付き、ルディアが瞠目する。

 今まで散々に苦手意識を植え付けられたものが、あっさりと出来るようになったのだから多少尊敬の念を持たれたところで不思議ではないが。

 これはもしや、ツンツン少年の貴重なデレではあるまいか?

 

「俺は先に行く」

「ありゃ」

 

 何か問い詰められそうな気配を感じたエリオットが、逃げるように退出しようとして──部屋の入り口で立ち止まる。

 

「……なあ、ルディア」

「なんでしょう」

「…………当日さ。俺と踊ってくれないか?」

 

 半身で振り返り、羞恥に顔を強張らせながら言われた台詞に、ルディアはまず自分の聞き違いかと錯覚した。

 次いで、聞き直したくなる衝動をぐっと堪えて内容を咀嚼する。

 あのエリオットがダンスの誘い? それも私に?

 

「……やっぱりなんでもない」

「なんでもあります! 踊ります! 踊りましょうとも!」

 

 慌てて追い縋る。

 

「当日まで、練習頑張りましょうね」

「ん」

 

 ともかく、やる気を引き出せてよかったと安堵する。

 照れくさかったのかエリオットは、また明日、と言い残してさっさと部屋を退出してしまった。

 それにまた明日、と返しながら、ルディアは今日の成果を噛み締めた。

 

 




ルディア
 手がかかるお坊ちゃまですねー

エリオット
 初めての挫折
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