結論から言えば、エリオットとルディアは追手を躱しきり、無事に屋敷へと帰還した。
如何に王都に精通した野盗たちとはいえ、広い夜の王都に潜む子供二人を、捕捉しきることは叶わなかった。更に言えば、エリオットの帰宅が遅いフィリップが、何かを察してギレーヌを捜索に出したのも影響していた。
屋敷の付近に張っていた野盗は、その多くが黒狼の牙にかかった。そして定時連絡が来ないことを訝った頭目が、野盗団の総数の半分も数を減じたところで事態を悟り、泡を食って引き上げた。
追手を警戒して慎重を期しながら帰宅した二人を出迎えたフィリップは、ことの顛末を聞き終えると散らせていた私兵を呼び戻し、屋敷の警戒に当たらせた。
ギレーヌの代わりにエリオットの護衛についていた男は、ほんの数ヶ月前に雇用された素性の明らかでない男で、どのような経緯で雇われたかはまだ不明だという。
フィリップはその頃の人事記録を検める必要があるとし、念を入れてエリオットとルディアの周囲の使用人とメイドたちを、特に信用のおける者で固めた。
ルディアとエリオットの報告から、フィリップは野盗団の背後にいる者の狙いがルディアであると判断した。
が、彼にも一体どのような経路でルディアの情報が漏れたのか、判然としないらしい。屋敷内の使用人に、黒幕と繋がっている者がいるのか、もしくは出入りしている者が偶然ルディアを見つけたか……定かなのは、ルディアの身柄を欲する者が相応の地位にいるということだけだ。
ギレーヌはルディアの破かれた服を見て憤怒に顔を染めたが、本人がぴんぴんしているのを確認するや露骨に安堵の息を吐いた。
パウロと、特にゼニスに娘を頼まれた手前、傷物にしたとあっては申し訳が立たないと考えたのだろう。彼女の気性を考えれば、ゼニスに土下座をしたあと腹を切りかねない。
己が無事で良かったと、ルディアは心底そう思う。
夜明けも近くなってからようやく帰宅できたこともあって、疲れ切っていたルディアは翌日の昼まですっかり眠りこけてしまった。
気を利かせてくれたメイドが、すやすやと眠りこける彼女を起こさないように帰りの馬車に乗せてくれたのだが、そのおかげで目を覚ますまでの数時間、同乗したギレーヌに寝顔を観察されることとなった。
寝惚け眼のルディアに、ギレーヌは「ゼニスがそのまま小さくなったようだった」と微笑ましいものを見る目をしていたが、油断しきった姿を見られていた側としてはたまったものではない。
ちなみにエリオットはルディアのように爆睡することこそなかったものの、昼時までうつらうつらとしていた。体力があるとはいえまだ成長期の少年である。
幼い頃から世話係のいた身分であるエリオットは、生来の気質としてはむしろルディアとは比べ物にならないほど図太い。安全な場所と判断したら他者の視線など意に介さずさっさと寝入るほどだ。その図太さには若干呆れないでもないが、同時に羨む気持ちもなくはない。
その図太さは貴族としては有益だとフィリップは言う。
そして祖父のサウロスは、気苦労の多い貴族社会では、むしろ大成の器とさえ評価した。ピレモンのような小心者では早晩巨大な胃潰瘍をこさえることだろう。
そう聞くとなるほど、納得できなくもない言い分である。
一週間の行程を経てフィットア領へ帰還する頃には、一〇歳の誕生日も目前に迫っていた。
×××
「今日はこのくらいにしておきましょうか」
ルディアは手元の魔神語の教本を閉じると、小さく伸びをした。
ロキシー謹製の魔神語の教本は、緻密で極めて出来が良い。書店に並ぼうものなら、金貨二〇枚は下るまい。
ルディアは自主的に学習を始めて一年でマスターしたが、そんな彼女を見てかエリオットも授業をせがむようになった。
魔神語など役に立つかもわからないものをなぜ学ぶのかと疑問に思ったが、魔大陸やベガリット大陸などで冒険することは、冒険者を夢見る少年にとっては憧れのようなものだ。そういうものなのだろうと納得した。
文法も異なり独特な言い回しが多い魔神語は、地頭が悪いわけではないエリオットにとっても甚だ難しかったらしく、日常会話もまだまだ遠い。せいぜいが単語を拾えるようになったくらいだが、はじめて半年での出来ならまずまずだろう。
そもそも必要になる機会が巡ってくるのかすら怪しいものだが。
シーローンのロキシーは今頃何をしているのだろうか、と夢想する。
ミリス教徒でありながらロキシー教の宗主を務めるルディアだが、こと敬虔さでいえば後者の方が圧倒的だ。
手紙を見るに、彼女も元気でやっているようだが……最近色に目覚めた王子にセクハラされたり、拙い脅迫を受けていたりと気苦労が絶えないようだ。
ルディアの事を懐かしむような文が散見され、発見するたびにまだ見ぬシーローン第七王子への憎悪を募らせ、同時にロキシーのいる方角に向け簡易祈祷を捧げてしまう。
それと、どうやら売りに出したロキシー人形、そしてルディ人形が彼女の元まで辿り着いたらしい。何かの気の迷いで自分を模した人形も作っていたのだが、余りにも出来が良かったのでセットで行商人に売りつけてしまった。それが巡り巡ってシーローンまで辿り着くとは、なにかの因果を感じさせずにはいられない。
手紙には、私も重々気をつけますので、貴女も呪われたりしないよう気をつけてくださいと書かれていた。
「しかし、私ももうすぐ一〇歳ですか。早いものですね」
そうルディアがぼやくと、それを聞いていたエリオットとギレーヌの挙動がおかしくなった。
「……どうしたんです、二人して」
「な、なんでもない」
怪訝には思ったが、それ以上は追及せずにおく。
すると、二人は露骨に安堵した表情を浮かべた。
ここ最近、二人がこそこそと何かをしているのは、ルディアも察しがついていた。否、二人だけではなく、そこはかとなく浮ついた雰囲気が、このロアの屋敷に満ちている。それも、その顔ぶれの多くが、この二人の他にルディアと交友の深いメイドたちであった。
何が起こっているのかは皆目見当もつかないが……知られまいとしているのなら、無理に暴く必要もないだろう。
──あの子の身の上には同情するしかないな
──そうだねギレーヌ。少なくともこの国で貴族と関わる生き方をするなら、息苦しいことこの上ないだろう
──父上、ルディアはそういう生活を望んでいたようには見えませんが
──だろうね。でもうちにいる限り、そういう目で見られるのは覚悟しなくちゃならない
──これも全部パウロの血が悪いということだな
──言わないでやってくれ、ギレーヌ。悪いのは血じゃなくて、ノトスを出奔したパウロだよ
──……ままならないものですね。誕生日すらまともに祝ってやれないなんて
「……?」
三人の談笑の声が、息を潜めたルディアの耳に届いた。
柱の陰に隠れているのは、なにもやましいことがあるからではない。ただ勉強の合間に、屋敷内を散策するうちに三人で話し込んでいる場に遭遇したのだ。
声をかけようと思ったルディアだが、その話の内容が、なにやら己のことだということを察し、思わず隠れてしまったのである。
──なに、ルディアもゼニスに似たところがあるからな。泣いて喜んでくれるだろう
──ルディアのことだし、顔には出さないかも
──まったく、企画したお前が不安がるな
──そうですよお坊ちゃま! むしろお坊ちゃまに祝って貰えることを喜んでくれますって!
(……ははぁん)
つまるところ、これは自分に向けたサプライズパーティの密談なのだ。
政治的に表沙汰にしにくい自分を、せめて身内だけでも祝ってあげようという企画らしい。その上、聞けば立案者はエリオットという話ではないか。
(ああ、あのツンデレお坊ちゃまが、こんなにもデレて……)
あのメイドの言う通り、確かにそれだけで喜んでやれる話である。
盛り上がりようからして、むしろメイドのほうが活き活きと動き回っている節はあるが。メイドたちとやたら仲良くしていた自覚はあるが、なかなかに好感度を稼いでいたらしい。
というよりも、事情を聞いたメイドたちが、話を回すうちにルディア様が不憫、という流れになったらしい。上級貴族の血を引きながら使用人も同然の扱いを受け、それに文句も言わず健気に頑張っている、という美談がルディアの預かり知らぬところで出来上がっていた。
特に否定する部分がないのが悩ましいところである。
その上、本来なら大々的に祝われるべき一〇歳の誕生日も、ろくに祝ってもらえない。
そこで、エリオットがサウロスやフィリップに話を持ちかけたところ、むしろ話を聞いたメイドたちのほうが盛り上がってしまったのだろう。
「……さて、バレないうちにドロンしますか」
幸いなことに三人の他にも、準備中と思しきメイドたちがばたばたと忙しなく動いているし、なんならヒルダもそれに活き活きと指示を飛ばしている。
そうでなければたちまちギレーヌに見つかっていたかもしれない。
誰にも見つかることなく私室まで撤退したルディアは、改めて教本を開きつつ、にやけていた頬をぐにぐにと直した。
我ながら存外にチョロいらしい。
×××
後日。
「ルディア! 一〇歳の誕生日おめでとう」
夕食の支度ができたとメイドが伝えに来たとき、やや挙動不審気味のギレーヌは、常よりも多く尻尾を揺らしていたし、メイドは微笑ましげな視線をルディアに向けてきた。
その時点でそうと察しのついていたルディアは、華美な装飾の施された食堂で、笑顔のエリオットに花束を差し出されたときも、さほどの苦労もなく目に涙を溜めることができた。
「え……あ、これ……え……?」
「……ル、ルディア?」
無論、それは自前の涙ではなく水魔術によるものであったが、効果は想像以上に覿面で、ルディアに拍手を送っていた面々は一様に唖然とした表情を浮かべていた。
それを涙に霞む視界の中確認したルディアは、想像以上の成果に動揺したが、ともかく演技は続行しなくてはならない。
「わ、私……ここにきて、失敗しちゃいけないと思って……そしたら、父様に迷惑がかかるからって……
でも、王都でも、迷惑かけてばっかりで……い、祝ってもらえるなんて……」
案の定、至近距離でぼろぼろと溢れる大粒の涙を見せられたエリオットは、過去最大級の狼狽をみせていた。
だがしゃくりあげ、激情に掠れたような声を喉から絞り出してしまったのは、ルディアとしても誤算だった。目に溢れさせるだけの予定だった涙が、意思に反して鼻を、喉を詰まらせている。
結果として完璧すぎる演技をしてしまったルディアは、一人内心でやばい、やばい、やりすぎたと自責したが、それがエリオットや二人を囲む者たちに通じるはずもない。
「エリオッド、ありがどう……」
「な……な……っ!」
膝をついたところを助け起こそうとしたエリオットに、抱きついてそのまま肩口に目元を埋めた。服を涙で汚してしまうが、もとは水魔術なので、今日くらいは勘弁してほしいものである。
抱きついたのは、日頃の感謝とサービス精神あってのものだ。
「戦争じゃああ! ノトスん所と戦争じゃあ! ピレモンをぶっ殺してルディアを当主に据えるぞ!」
「父上! 抑えて! 落ち着いてください!」
「邪魔立てするかフィリィップ! 離せぇい!」
サウロスが杖を振り回して暴れる音と、それを必死で諌めるフィリップの声がする。
虚空に手を泳がせていたエリオットは、ルディアの肩に手を置くとゆっくりと引き離した。
「そういえばエリオット……父様や母様は、来ていないんですか?」
問うと、エリオットは見るからに表情を曇らせて視線を落とす。
「その……パウロさんは、最近ブエナ村で魔物が活性化しているから、手が離せないって……ゼニスさんたちも、子供が急に熱を出したって……」
「あ…………そう、ですか……」
「だから……その、な……」
口籠るエリオットの声は沈鬱そうで、今度こそ慌てたルディアは捲し立てるように声を上げた。
「いえ、父様もいつでもこっちにこれる人でもありませんし……母様やリーリャも、事情があるなら……」
だが、涙声のままフォローするルディアの姿は、落胆しながらも相手に気を遣わせまい健気さと映ったらしい。メイドたち、中でもかねてからルディアと交流のあった者ほど、つられて涙腺を刺激され、鼻をすする。
(うわわわやっばい)
ひえええ、と戦々恐々とするルディアの視界が、突然塞がれ、体の自由が奪われる。
駆け込んできたヒルダが、ルディアを胸元に抱き締めたのである。
「大丈夫よルディア、安心していいの。貴女はもううちの子よ!」
「んむむむむ!」
豊満なバストに抱き締められ、呼吸もままならないルディアが手をばたつかせ抵抗する。
「誰にも文句なんて言わせないわ! うちの養女に──いえ、エリオットと結婚なさい!」
「母上!」
「エリオット! うちのルディアのなにが不満なの!?」
「まだうちのじゃ……いや、そもそもまだルディアは一〇歳です!」
「はい、ヒルダ。そこまでにしておこうか」
食ってかかるヒルダに、猛然と反論するエリオット。
だがそこに割って入ったフィリップが、抵抗するヒルダを引き摺っていく。
「お祖父様やら母上やらはともかく……ルディアに、プレゼントを用意したんだ」
「プレゼント、ですか?」
「ああ……アルフォンス!」
呼び掛けに応じ、アルフォンスより杖が手渡される。
まだ成長途中のルディアには、背丈と同じほどの長さである。巻いてあった布を解くと、感嘆の息が漏れる。
暗い色合いの樫材の柄と、その先端に嵌め込まれた、拳大の吸い込まれるような蒼い魔石。
「これは……」
杖を掲げるルディアに、アルフォンスが滔々と杖の来歴を語る。
杖の素材はミリス大陸東部、エルダートゥレントの腕。魔石はベガリット大陸北部、はぐれ海竜の魔石。
どちらもランクにしてAはくだらない逸品であり、それらをアスラ王国屈指の杖製作師に依頼したのだという。
「銘を、《
ルディアの頬が僅かにひくついた。
「でも……いいんですか? こんなに高価なものを」
「受け取ってくれ。ルディアには世話になってるからな」
躊躇うルディアにエリオットは押し付けるように手渡した。
「ありがとうございます。大切にしますね」
二年前のエリオットの誕生日パーティとは異なり、見栄も虚飾もないホームパーティは、ただ主役に対する祝福と温かみに満ちていた。
仲の良いメイドたちにもみくちゃにされながら、ルディアは五年前のブエナ村での誕生会を、そして両親と妹たちを思い出す。
気にしてはいないつもりだが、やはり家族がいないことに対する残念さはある。パウロも、ゼニスもリーリャも、約束を違わず半年毎にロアの街を訪ねてきてくれていた。今回は叶わなかったが、事情があるのに無理に己を優先する必要はない。
サウロスはやはり最も喧しかったが、ヒルダとルディアの酌に相好を崩し、上機嫌で酒を呷るうちに泥酔した。エリオットはなにやらヒルダに引きずられていき、場にはルディアとフィリップだけが残った。
「……」
黙然とグラスを揺らしながら、宙を眺めるフィリップの瞳に、何が浮かんでいるのかはルディアに推し量ることは出来ない。
ワインを呷ったフィリップは、グラスの底に揺れる液体を眺め、ぽつりと一言を溢した。
「意外に思われるらしいんだが、私は葡萄酒よりも麦酒の方が好きでね」
なんと答えたものか判じかねて、ルディアは沈黙を貫いた。
だがフィリップは返答を期待していたわけではないらしかった。
「ミルボッツのワインも美味いけれど、フィットアのエールの方が思い入れがある。私と領民の仕事の成果という感じがしてね」
「……」
「でも……なんだろうね。今日飲むワインはなんだかいつもよりも味わい深いよ」
酒精を含んだ吐息からは、フィリップもまた酔っていることを窺わせる。
「君には、だいぶ世話になっているね」
「そうでもありません」
「そうかな。エリオットは君と関わるようになって随分思慮深くなった。息子がああまで柔らかくなったのは君のおかげだよ」
「そういうものですかね……」
「私が跡目争いに負けたってのは聞いてるよね」
ロアで暮らすうち、その手の話は嫌でも耳に入ってくる。詳細はともかく、ルディアもたびたび聞き及んでいた。
「エリオットには、兄と弟が一人ずついたんだ」
「いたって……もしかして?」
「そんな剣呑な話じゃない。取られたんだよ。王都の兄にね」
「取られた? それはどういう……」
「表向きは王都で勉学を学ばせるための養子。実際はただの伝統だよ」
フィリップの口から語られるのは、数年間に亘る兄達との当主の座を賭けた政争であった。
サウロスの一〇人の息子のうち、特に優秀な三人が、ボレアス次期当主を巡って相争った。紆余曲折あり、勝ち残ったフィリップの兄ジェイムズは、フィリップの子を養子としたのだという。
次代の権力闘争に、子という駒を奪うためである。フィリップは伝統に従い、子を差し出した。
「え? でもそれだとエリオットは……」
「もちろんエリオットも取り上げられたさ」
話の要領が掴めず首を傾げるルディアに、フィリップは苦笑する。
「聞いたことはなかったかい? エリオットは昔、手のつけられない利かん坊で、山猿だったって」
「あ……」
言われてみれば確かに、どこかで聞き覚えのある話ではあった。
「エリオットはうちに返されたのさ。まるで手がつけられないってね。ま、
「でも、今は良い子ですよ?」
その言葉の何が面白かったのか、フィリップは肩を揺らした。
「そうだね。確かに今のエリオットはいい子だ」
「そんなエリオットがどうして?」
「そこは私も不思議なところさ。エリオットがうちに返されて……七歳ごろかな。急に大人しくなった。
私もヒルダも喜んださ。それまではもう冒険者にでもするしかないって諦め半分だったからね。当然本家は面白くなかったろうけど」
なんとなくは聞き及んでいたエリオットの変貌。そこになにか必ず原因があると睨んだが、結局はなにもわからなかったという。
「大人しくなっても気難しかったエリオットは、君と接するうちに貴族として順調に成長し……それで、どうだい? 誕生パーティは成功し、今じゃ王都で挨拶回りの共をして、勉強がてら政務の手伝いもできる」
「それは……私だけの功績ではありませんよ。エリオットの努力があってこそです」
「だろうね。無論そこは弁えているさ。だが、おかげで希望も見えてきた」
「それはなんの……?」
「ジェイムズを排して返り咲こうってことさ」
「……」
それまでソファに背を預けていたフィリップが、グラスをおいて意味ありげな視線を向けてくる。
「ルディア、君は優秀だ。演技ができ、社交辞令を解し、勉学に礼儀作法もこなす。なによりエリオットをあれほど成長させた。君がいなくては誕生パーティの時点で躓いていたかもしれない」
「買い被りすぎです」
そう返しながら、ルディアはフィリップが想像以上に己を買っていたことに面食らっていた。
「ルディア。君さえ良かったらエリオットの嫁に来ないか?」
「…………へっ?」
フィリップの提案に、ルディアは素っ頓狂な声をあげた。
結婚? 自分が? エリオットと?
「いくらなんでも話が性急すぎませんかね……?」
「貴族じゃこのくらい普通だよ。産まれる前の子の許嫁を決めることだってあるんだ」
「そうかもしれませんが……」
落ち着け、と自らを戒める。
なるほど確かに、自分の血は有用だろう。ノトス嫡男の子、そしてミリスの大貴族にも縁がある。しかし、フィリップの口ぶりからすれば、血筋よりもルディア本人を買ってくれているようにも聞こえる。
「なんなら、今夜君の部屋にエリオットを送るよ。あの子も嫌な顔はしないはずさ」
「あー、いや、その」
ルディアの脳内をさまざまなツッコミがよぎった。
子供にする提案ではない。買い被りすぎだ。そしてなにより、男と結婚するつもりはないのだ。
別段エリオットを嫌っているわけではないが、ルディアにはその意識の差が大きく隔たっている。
フィリップにはわかるまい。前世のことなど、パウロやゼニスにすら明かしていないのだから。
「私には、故郷に遺してきた幼馴染がいるので……」
「それは女の子だろう? 大丈夫、この国はそういうのにも寛容だよ」
「嫁のほうが重婚するって大丈夫なんですか?」
素朴な疑問をぶつけた後、嘆息してルディアは座り直した。
「とりあえず、酒の席での話ということで。聞かなかったことにします」
「そうかい」
予想に反し、フィリップはあっさりと引き下がった。
あるいはまだ機会があると睨んでいるのかもしれないが。
「それじゃあ私はここらへんで休ませてもらいます」
「ああ、おやすみ。気が変わったら、いつでも言ってくれよ」
頭を下げ、部屋を辞す。
フィリップはソファに身を預けたまま、鷹揚に手を振って送った。
去り際に、思わなくもない。
この身が本当に、身も心も女だったというのなら、あるいはそういった未来もあったのだろうか、と。
ルディア
男と結婚? それはちょっと……
故郷にシルフィを待たせているので……
あとシーローンに師匠を待たせているので……
フィリップ
うちこない? マジで。