一ヶ月ぶりです。
正直キリのいいところまで書いてから投稿したかったのですが、流石に一ヶ月以上の間を空けてしまうのもどうかと思い投稿を再開します。
大丈夫かしら……
荒漠の大地(前)
前触れもなく唐突に、俺の意識は覚醒した。
地面も空も、見渡す限りが白い空間。
まるで見知らぬ場所なのに、意識は驚くほどはっきりとしていて、夢だと認識するのに時間は掛からなかった。
夢だからこそというべきか、違和感がある。
妙に体が重く、視線が高い。だのに、違和感と同時に妙にしっくりとした感覚もある。
何気なく体を見下ろして、俺は目を見開いた。
なぜなら、見覚えのある三十四歳のデブの身体に戻っていたからだ。
混乱はすぐに収まった。
考えてみれば当然のことだ。きっとあの世界での出来事は、今際の際に見ていた夢で、それが覚めただけのことなのだろう。
納得とともに、諦観が押し寄せてくる。
生前に嫌というほど感じていたマイナスな感情が、俺の体に渦巻いていく。
まるで飛沫のごとく消え去った、俺の一〇年間。
それら全てが否定され、怒りと落胆が込み上げてくる。
くそっ!
白い地面に拳を叩きつけても、じんわりとした薄い痛みが広がるだけだ。
……なんだ、これ?
よくよく叩きつけた手を見てみると、手が、肌がブレていた。解像度の低い昔のビデオを巻き戻しているかのような、微細なノイズが走っている。
観察してみると、それは手だけではなく、全身にまで及んでいた。
一体、こりゃなんなんだ? 意識が消失すると同時にこの体が分解でもされるのだろうか?
「やあ、こんにちは」
はたと顔を上げると、まっ白い奴が目の前に立っていた。
そこはかとなく卑猥で、全身がモザイクの塊とでもいうような奴だ。
そんな奴が、どことなくカンに障る柔らかな声音で話しかけてきた。
「君の事を見ていたよ。ルディア……ちゃんかい? 君かい? どちらで呼ぶのが正しいのかな?」
×××
ぱちりと火の粉が弾ける音で、エリオットは覚醒した。
瞼を上げると、ほど近いところで炎が揺れている。
火が焚かれているようだった。微かに煙を上げる薪木が、赤熱し火の粉を散らしている。
眼球を転がすと、空は黒く染まっており、星々が点々と夜空で瞬いている。
固い地面に寝かされていた体の節が、僅かに痛んだ。
夜に、屋外で寝かされている。目の前にあるのは誰かの焚いた火──
ロアの街の郊外で、ルディアとともに光の洪水に呑まれたところまでは、憶えていた。それからの記憶がまるきり断絶している。
判別できる事柄を増やそうと、エリオットは己の体をまさぐった。
服はそのままだ。外套と、その下の平服。外出したときそのままの格好で、厚手のブーツも履いたままだ。
だが、ない。つけていたはずの剣帯と、曲剣がはずされている。
身を起こして見回すと、探し物はすぐに見つかった。反対側には、ルディアが横に寝かされている。
その胸がゆっくりと上下していることに安堵の息を吐いて、エリオットは焚き火の向こう側の人影に気付いた。
ギレーヌ──ではない。見知った彼女のシルエットとは異なっている。
目を凝らすと、こちらをじっと見据えていた瞳と目があった。闇の中、焚き火の光源に照らされた男は、座り込んだまま黙然とこちらを観察している。
エリオットは、その男の風貌に総毛だった。
エメラルドグリーンの髪と、その隙間から覗く赤い宝石。顔に走った大きな一筋の傷痕は、その男が歴戦であることを物語っている。
(スペルド族──!)
人族の子供であれば、ほとんどの例外なく教え込まれるのがスペルド族の逸話である。ラプラス戦役にて悪魔と畏れられたスペルド族。その恐怖は、四〇〇年の時を経てなお人々に脈々と受け継がれている。
喉から悲鳴が漏れでるのを、すんでの所で抑え込んだ。体温が一気に数度下がったかのような錯覚を受ける。
剣帯を掴みとり、脚を組み替えいつでも立ち上がれる体勢に移行しながら、背後に寝ているルディアを庇う。乾いてひび割れた大地が、ざり、と大きな音を立てた。
髪を、そして額の宝石を見たほんの数秒で、エリオットの顔には脂汗が浮き、両手がかたかたと震え始めている。
睨みつけながら鞘を払おうとして──柄を握った手を、小さな手のひらがそっと抑えた。
驚いてその手の主を見れば、気怠げな表情をしたルディアが身を起こしている。
「──エリオット、待ってください。ステイ。ステイです」
「ルディア……?」
「この人はたぶん、私たちの敵じゃありません──そうですよね?」
ルディアの視線を受けた男が、驚いたように目を見開いた。
×××
スペルド族の男は、ルイジェルド・スペルディアと名乗った。
魔族であるはずの彼だが、人間語が堪能で意思疎通には労しなかった。
エリオットは途中まで恐怖と警戒の眼差しを向けていたが、ルディアが率先してルイジェルドに話しかけるのを見て目を剥き、そして危険がないのを理解すると自分も口を開くようになった。
座ったままのルイジェルドだが、長身で鍛え抜かれた体をしているのは一目でわかる。民族衣装のような服装は腰から上が半裸に近く、肩を出した上衣に、肘近くまでを覆う革の手甲のようなものだけだ。その手元には、白い三叉槍が置かれている。
「ルイジェルドさん。ここが何処かご存知ですか」
「魔大陸北東、ビエゴヤ地方。旧キシリス城の近辺だ」
「魔大陸……どうしてこんなところまで飛ばされてしまったんですかね……」
「わからん。お前たちは突然空から降ってきた」
「ともかく、助けていただいてありがとうございました」
赤茶けてひび割れた大地。
雨などろくに降りそうもない土地では、散在する木々も痩せ細り、池や沼も見当たりそうにない。
乾いてひび割れた大地に叩きつけられていたら、無事では済まなかっただろう。
「お前たちは……何処から来たのだ?」
「アスラ王国の北東、フィットア領のロアの街ですね」
「アスラか……遠いな」
「遠いですね……」
「だが安心しろ。俺が必ずお前たちを故郷まで送り届けてやる」
見渡す限りの荒野──風と共に僅かな砂塵が運ばれてくる。この荒れようをみれば、砂漠よりは幾ばくかマシ、といった感想くらいしか出てこない。
日が沈んでからはどれほど経過したのかはわからないが、季節は春先だったはずなのに無性に冷える。
焚き火が無かったら凍えていたかもしれない。
「いえ、流石にそこまでしていただくわけにはいきません。近くの集落か街かに送っていただければ、私たちだけでなんとかします」
「子供たちだけではそうはいくまい。ここは魔大陸だぞ」
「私は魔術が使えますし、エリオットは剣神流を上級まで修めています。自衛くらいはできます」
「言葉はわかるのか? 金は?」
「私は魔神語を使えますし……魔術が使えれば稼げないこともないでしょう」
「そうなのか……では護衛だけはさせてくれ。傷一つつけさせん」
安心させるような声音で、しかし力強く断言するルイジェルドに、ルディアは困惑の視線を向けた。
「あの……見ず知らずの方にそこまでしていただく理由がありません。どうしてそこまで?」
彼の好意はありがたい。
が、ルディアとしては自分たちだけでことを為しおおせたかった。というのも、夢の中での助言に従うのはどうにも気持ちが悪く、あまり従いたいと思えないのだ。
ルイジェルドができるかどうかはさておいて、ヒトガミを名乗る卑猥なモザイクの通りに事が運ぶのは、なんとも据わりが悪い。
「スペルド族が子供を見捨てることはない。お前たちを見捨てたとあっては、種族の誇りに傷がつく」
「……」
「夜が明けたら、俺が世話になっている集落まで連れて行こう」
そこまで言われては、ルディアとしても断りづらい。
とりあえずは明日、その集落とやらまで案内してもらおう。この男の信用の度合いとやらを測るのは、それからでも遅くない。
「わかりました。ではお世話になります。
──エリオット、私が決めてしまいましたが大丈夫ですか?」
ちらりと横を見遣ると、剣帯を付け直したエリオットは、決まり悪く頷いた。
「いや……ルディアに任せる。俺もそれでいい」
ルイジェルドに怯え、先走りそうになったことがエリオットの内心に影を落としているようだった。
そのばつの悪さが、怖じることなくルイジェルドと言葉を交わすルディアを見て更に大きくなっている。
気にすることはないのに、と思いながらルイジェルドに向き直る。初めての野営だが、不寝の番はどうするべきか。
口に出そうとしたところで、ルイジェルドが機先を制するように言った。
「見張りは俺がやっておく。お前たちは寝ていろ」
「え? でもそれじゃあ」
「子供が気にすることではない。体を休めることも子供の仕事だ」
「……わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」
横になると、エリオットが羽織っていた外套を脱いでかけてくれた。
ルディアの格好は上着こそ手首まで隠せる長袖だが、下はハイソックス程度の靴下に、ハーフパンツほどの丈のズボンのみだ。僅かな風でも、膝とその周囲の露出した肌から体温を奪っていくだろう。
エリオットの気遣いに感謝して、外套の中に体を丸めるように入り込む。
背後から、背中合わせに横になる気配を感じる。
ほんの一日前までは、ロアの屋敷のベッドで同じように眠っていたのだ。
背中の少年を、無事にロアまで帰さなくてはならない。だがアスラ王国から見て魔大陸は地の果てである。
(本当に帰れるのか?)
僅かにもたげた不安を、ルディアは内心から追い出した。まずは夜を安全に越せることを喜ぶべきだ。
焚き火の熱と、背中に感じる体温。
少なくも今夜のうちは凍える心配はない。
×××
ルイジェルドの宣言通り、一行は夜明けと共に移動を開始した。
ほとんど雲の見えない荒野は、太陽が照らすとその荒漠さに更に拍車をかけるようだ。
だが何もないと言うわけではない。
数刻も歩けば、小山や渓谷、岩棚のような地形が散在し、いくつもの巨大な岩塊が行手を遮る。とても真っ直ぐには進めない地形は、旅人を迷わせる意志を持っているかのようだった。
ルディアやエリオットには、太陽の位置から方角を掴むのが精一杯であったが、ルイジェルドは迷う素振りなどまるで見せることなく、熟練の探索者のように突き進んでいく。
「陽が強い……暑いですね」
「そうだな……」
「疲れたならすぐに言え。休憩をとる」
もう少し休んでから動き始めたい気分はあったが、ルイジェルドが夜明けとともに動くと言った理由がわかった。
魔大陸は緑が少なく、雲もほとんど流れていないため、昼夜の寒暖差が大きいのだ。それは砂漠ほどの激しさではないものの、火がなければ夜は越せず、昼になれば日光が容赦なく旅人を照らし上げる。
(春先でこれじゃあ、夏には岩の上で目玉焼きが作れるかもな……)
事実、硬い岩棚の上を歩いていると、地面からの輻射熱で体温の上昇が著しい。ルイジェルドがなるべく土の上を選んで歩いている理由がそれなのだろう。
歩いていると、頭と肩を陽がじりじりと照らす。
薄い半袖でいるよりも、長袖か外套を着ておくべきだ。長時間強い日を受けていると、その部分が火傷しかねない。
エリオットは自分の外套を、ルディアはルイジェルドの私物らしい薄手のマントを借りる。
ルイジェルドは上半身が半裸に近いのにも関わらず、汗ひとつかくことはなく、その歩調は常に一定だ。
「まぶしい……」
目眩を感じるのは、日差しの強さだけではないのだろう。ふらつきそうになるのを堪え、努めて平常を装う。なるべくエリオットには不安を覚えて欲しくなかった。
昨夜から──転移してから、妙に体がだるい。
寝不足と栄養不足を同時に併発したかのような、そんな気分だ。意識が僅かに朦朧としている。
魔力枯渇を起こしたかのような感覚がずっと続いている。久しく覚えていなかった感覚である。
今のルディアの膨大な魔力は使い切るのも難儀で、同様に回復にも時間がかかる。昨夜よりはずっと体調はマシだが、万全とはとても言い難い。この不調も下手をすれば一週間近く続くかもしれない。
「うわっ」
「ルディア! ……大丈夫か?」
転びかけたルディアを、咄嗟にエリオットが支えた。
石か何かを踏んで靴裏を滑らせたのだろう。フォローが入らなければ尻から転んでいた。
「や、ちょっと脚を滑らしちゃいました。助かります」
「なんだ、ドジだな。ちゃんと足元は見ろよ。次は本当に転ぶぞ」
「えー、ならまた支えてくださいよ」
なんでもないように言って、視線を落とす。
ごつごつとした地面は、舗装された道を歩くよりもずっと早く体力を消耗する。今の体調では注意力も散漫で、また今のように段差を見過ごすかもしれない。
ルイジェルドの提案に甘えて少し休憩を取るべきだろう。
「ルイジェルドさん。そろそろ休みましょうか」
「わかった」
「どこかに日を遮れるところがあればいいんですが……心当たりはありますかね?」
「そうだな……このあたりだと、あっちだな」
二人でルイジェルドの背中を追いかける。
土魔術で屋根やらなにやらを作ることもできなくはない。が、今は、少なくとも今日のうちはなるべく魔術を使わないようにすべきだ。
明日になれば、体調はもっとましになっているだろう。魔力が全快するまで一〇日か、それ以上。体調に影響のない範囲まで回復するには、その半分は欲しいところだ。
エリオットは怖じることなく、ルイジェルドと話している。
剣を向けそうになった昨日の出来事がまるで嘘のようだ。
昨夜ルディアが寝入ったあとに、少しばかり会話していた気配があったが、そこで互いになにか感じ入るようなものがあったのだろう。
さほど言葉数の多くないエリオットが、ギレーヌを相手にしている時よりも多く話しかけている。ギレーヌともエリオットは仲が良かったが、同性ということで更に親近感があるのかもしれない。
見る限りルイジェルドはとても聞き上手で、しゃべくるエリオットに相槌をうち、たまに口を開いている。
思い返せば、ロアでのエリオットの話し相手はさほど多くはなかった。家族を除けば、ルディアとギレーヌしかいない。家庭教師は一〇歳を過ぎた頃からほとんど退職しルディアに引き継いでいたし、メイドには可愛がられていたが本人は若干鬱陶しがっていた。
そう考えると、新たな対等な話し相手というものはエリオットには真新しく映るのだろう。
会話のやりとりが続くうち、剣術やら、魔術やらの話からいつの間にか家族構成の話に移っていっているようだった。
「ルディアはお前の妹なのか」
「違う」
「だが、グレイラットというのは家名なのだろう」
「確かにそうだし、俺の方が歳上だけど、妹じゃない」
「腹違いか、種違いか?」
「もっと遠い。……ええと、再従姉妹だったよな?」
確認の視線に頷く。
「そうですね。サウロス様が私の大伯父で」
「では家族のようなものだな」
「まあ……そうだけど」
そうか? と思ったが、似たようなものかと思い直す。ただの親戚だと言うのも、少しばかりそっけないだろう。
「人族のことはわからんが、家族は大切にしろ。
お前が兄なら尚更だ」
いいな、という視線に、エリオットは曖昧に頷いた。
「だから兄じゃないって……わかったよ。大切にする」
「ルディアもだ」
「確かにもう家族みたいなもんですけどね」
「ならばいい」
その押しの強さに、ルディアは小首を傾げた。
なにやら、家族というものには一家言があるらしい。