泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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吐露

 

 

 

 村の巡回の仕事に向かうパウロを見送ってしまうと、午前中にはやることがなくなってしまった。

 剣の稽古がなければ、やることは自主的な魔術の練習くらいしかない。だがその日は妙にやる気が起きずに、なにか家事の手伝いでもしようとゼニスのもとへ寄って行ったのだ。

 ゼニスは居間でぐずるノルンをあやしつけていた。

 針仕事の途中だったのだろう、その傍には針山と縫いかけのシャツが置かれている。

 

「んま、あああん」

「よしよし、お母さんはここよ」

 

 去年産まれたばかりのノルンは、まるで泣かなかったルディアに比べ手のかかる赤子だった。それはアイシャも同様で、朝も夜も関係なく、僅かでも気に入らない事柄があればすぐさま声の限りに不満を訴えるのだ。

 家事に育児に追われるゼニスとリーリャは毎日を忙しなく動いていたが、それでも我が子を見る目には愛情が篭っている。むしろリーリャはまるで手のかからない子供だったルディアの育児に釈然としていなかったようで、ノルンとアイシャの夜泣きにも精力的に対応していた。

 

「母様、なにか手伝えることはありませんか?」

 

 と尋ねたが、今は特にこれといったものはないのだという。普段から時折家事を手伝っていたルディアだが、歳の離れた妹二人が産まれてからはより積極的に手を貸すようになっていたのだ。

 手持ち無沙汰になってゼニスのすぐ隣に腰を下ろすと、ゼニスの手が横合いからすっと伸びてきて、ルディアの髪を撫ぜた。

 

「いつもありがとね、ルディ。そうね……じゃあノルンのことをお任せしちゃおうかしら」

「まかされました」

 

 受け取ったノルンは歩き始めるかどうかといった頃合いで、一歳に満たない。すっかり首は据わっているが、抱き上げてみるとその身体の小ささに驚く。

 ルディアよりも体温が高く、湯たんぽを抱えているような気分だった。

 

「よしよしノルン、お姉ちゃんですよー」

「んま、あぅあ」

「へへ」

 

 ぐずついていたノルンに、ポニーテールに結んだ毛先を遊ばせる。

 なにやら不満を訴えていたノルンも物珍しさが勝ったのか、目元を赤くしたまま小さな手をしきりに伸ばしはじめた。

 

「あら? ルディ、あやすの上手ね」

「ポニテが気に入ったんですかね」

「お揃いだし、私も今度やってみようかしら」

 

 人差し指を差し出すと、小さな手のひらがきゅっと握りこんでくる。それが妙に可愛らしくて思わず頬が緩んだ。

 

「かわいいですねぇ」

 

 前世にも弟がいたが、記憶の底で褪せて風化したそれよりも、目の前のノルンの方がルディアにとってはずっと愛らしかった。

 歳の離れた小さな妹。目に入れても痛くないというのはこのことだろう。外の庭にはアイシャを背に負ったまま洗濯をするリーリャもいる。早産でありながら健康に育つアイシャも、ノルンに劣らず愛らしい。

 

「あなたもかわいいわよ、私のルディ」

 

 横を見ると、ゼニスが慈母のような笑みを浮かべていた。

 それにどう反応しすればいいものか分からず、照れたように曖昧な笑みを浮かべて目を逸らした。

 かわいい、という褒め言葉は嬉しい。

 そう言われるたびにルディアの中の男の意識は小さく抗議の声をあげるが、それも少ししたら萎んでいく。ゼニスのそれはルディアを女の子としてよりも、我が子として慈しんでいるからこその言葉であるというのがわかるからだ。

 

「照れます」

「そういうところもよ」

「……むう」

「あぶぅ!」

 

 腕の中のノルンが、抗議するかのように声を上げた。

 ルディアのあやす手が止まったことに対する不満であった。ごめんね、と構うと途端に機嫌が戻る。現金なものだが、赤子とはそういうものだ。

 

「はい、終わった。ありがとねルディ、ノルンを見てくれて助かったわ」

「このくらいお安いご用ですよ」

「……どうする? まだ抱く?」

 

 差し出した指を両手で掴むノルンを見ながら逡巡する。このまま抱いていてもいいが、庭のリーリャも手伝ってあげたい気持ちもあった。

 少し名残惜しく思いながら、人差し指をしゃぶり始めたノルンを差し出すと、ゼニスが慣れた手つきで受け取った。

 園芸で僅かに日に焼けながらも、それでもまだ白い手。繊細な指先は、とても冒険者をやっていたようには見えない。

 

「母様は昔父様と冒険者をしていたんですよね」

「そうよ。私はほんの二年くらいだったけど、楽しかったわ」

「母様も戦ってたんですか」

「うーん、私はほとんど治癒担当だったから……たまに援護はしたけど、タルハンド……魔術師は他にもいたから、本当に数えるくらいね。

 ……どうしたの、急に。もしかして昨日のこと?」

 

 ルディアの唐突な話題にゼニスは怪訝に感じたようだったが、心当たりがあったのかすぐに得心した風に頷いた。

 昨夜のことである。パウロ、ルディアとの寝物語の最中に、せっかく親子三人で同衾したんだから、とパウロが冒険者時代の話に言及したのである。

 ええかっこしいのパウロはよほど娘からの尊敬が欲しいと見えて、ゼニスがいないところでも時折己の武勇伝をルディアに語って聞かせていた。その多くが迷宮探索などの華々しいものであったが、今回のそれは、少なくともルディアにとってはそうではなかった。

 パウロの語ったそれは、近隣を略奪する野盗団の討伐である。

 

「はい。……その、少し気になってしまって」

「そうね……ルディが驚く気持ちもわかるわ」

 

 魔物だけでなく人も斬ったことがあるというパウロの話に、ゼニスも少なからず驚いていたようだった。

 だが彼女がすぐに納得したのは、それは本来であれば兵士や騎士の仕事であり、彼らの手が回らない部分を代行しているのだと思えば殊更に忌避する話でもないと、そういう意識があったからだろう。

 ゼニスの生国であるミリス神聖国では聖堂騎士団がそうであり、教導騎士団に至っては紛争地帯で傭兵紛いの仕事すらしている。そういった血生臭さはルディアが思っているよりも身近なのだ。

 フィットア領の北部にあるブエナ村は極めて平穏で、今まで略奪に遭ったこともなければ人攫いに襲われたこともない。だが赤竜山脈を挟んで紛争地帯と隣接した東部や、フィットア領の南にあるミルボッツ領では盗賊や野盗の被害も事欠かないという。

 

「私も、人に魔術を撃てるようにならなくちゃなりませんかね……」

 

 その言葉には、言外で『殺すつもりで』という枕詞がついた。つい溢れた言葉であった。

 今でこそブエナ村は平穏だが、衛兵や街壁で守られた街よりは、ならず者たちにとってはよほど与しやすく見えるはずだ。そもそもが開拓村などそうやって略奪に遭うのが世の常なのである。

 今後そういった輩に目をつけられないとも限らない。

 

「誰もが人を傷つけられるほど強いわけじゃないわ」

 

 それは実力の話であり、心構えの話でもあった。

 パウロは両方を兼ね備えていたが、ルディアはどうだろうか。少なくとも今は前者のみだ。

 この世界での殺人のハードルは低い。日々の糧を、尊厳を、命を奪われんとしたならば抗わなければならない。法の力は現代日本ほど強くはないのだ。それを理解しなければならない。

 

「大丈夫よ。何かあっても、私とパウロが守ってあげる。ルディも、ノルンも、アイシャも、私たちの可愛い子供たちだもの」

 

 ノルンを抱いたゼニスの膝に乗せられて、ルディアは力を抜いた。

 来るか来ないか分からない仮定の未来に思いを馳せても仕方がない。ロキシーに教わった魔術も、そんな剣呑な使い方よりももっとずっと良い使い道があるはずだ。

 願わくば、この生活がずっと続けばいい。

 そう思いながら、ルディアはゼニスの腕に身体を預けた。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 懐かしい夢を見た。

 もう五年以上も昔の夢だ。

 薄ぼんやりとした視界が徐々に明瞭になっていき、板張りの天井の木目を視認するに至って、ようやく自分が寝かされていたことに気付いた。

 

「……」

 

 ここは何処だろうか。

 ブエナ村の生家ではないことは確かだ。ロアの屋敷の自室でもなければ、魔大陸の粗末な安宿でもない。

 寝る前の記憶がまるきり欠落しているような、そんな気分だった。思考が鈍く、まるで判然としない。

 だが妙に、白い清潔なシーツが体を包んでいることに違和感を感じた。むしろ思い出すのは、手首を縛める鉄鎖やロープ、そしてささくれだった板材の感触──

 そうだ。己はドルディアの集落で、牢に囚われていたはずだ。

 

 気怠い体を苦労して起こすと、身体が軋む。

 まるで鉛を流し込まれたかのように体が重かった。

 開けられた窓から、しとしとと雨の音が響いてくる。湿っているが涼やかな空気が前髪を揺らした。

 

「……ルディア?」

 

 きい、と部屋の扉が開かれ、見慣れた少年が入ってくる。彼は起き上がったルディアに僅かに目を見開いたあと、足早に歩み寄る。

 

「起きたのか。よかった……」

 

 ルディアに目線を合わせる少年──エリオットは、声に安堵を滲ませて溜息をついた。

 落ち着いた深紅の髪が懐かしさすら感じさせる。

 声変わりを始めて低くなり始めた声音が耳に心地よい。

 

「エリオット、ここは……?」

 

 ルディアの声は乾いており、微かに掠れていた。

 小さく咳き込んだルディアを見て、エリオットがベッドの横の小さな机に備え付けられていた水差しから、木製のコップに水を汲み取る。舐めるように、少しずつと言われて、ルディアは一口含むと乾ききった口腔の粘膜に広げた。

 時間をかけて飲み干す。冷たい水が臓腑に沁み渡るようだった。

 

「ここは集落の一室だ。あいつら……いや、獣族が貸してくれた」

 

 エリオットの声に僅かに険がこもったが、すぐに声色を戻す。

 少しずつ、思考が明晰さを取り戻していく。頭は重いが、思い出すことはあった。

 そう──確か、集落が襲われていて、恩を売ろうと、ギースと共に助けようとして、それで──

 

「どれくらい寝ていたんですか?」

「……三日だ」

「三日、ですか……」

 

 呟く声には実感がこもらなかった。

 だがしかし、納得がいく話でもあった。

 一週間近くもの間牢に囚われ、体力を消耗しきったまま集落の防衛に加わったのだ。そして気を張っていたところに合流してきたエリオットの姿を見て、緊張の糸が切れたのである。

 それからぽつぽつと、ルディアがいなかった間の説明を受ける。思考は鈍く回らないが、エリオットの説明は端的で簡潔だった。彼らは彼らで事情があったのだ。

 

「ルディア、ごめん。すぐに合流していればこんなことにはならなかった」

 

 そう言って伏せられたエリオットの顔には、深い後悔が滲んでいた。

 即座に合流を選択しなかったことが、ルディアをこのような目に遭わせたのだ。その事実がエリオットの心に影を落としている。

 

「私は無事でしたよ。五体満足で合流できましたし……気にしないで、と言うのは無理かもしれませんけど」

「当たり前だ」

 

 ルディアの言葉にエリオットは憤然と切り返す。だがその憤りも、半分は己の迂闊さに対してのものだ。

 無事だったから、というのは結果論である。

 ルディアが目覚めるまでの三日間で、エリオットは彼女が受けた仕打ちについておおよそ把握していた。服を無理矢理剥かれたこと。冷水をかけられたこと。それはギースから聞いた話であり、調理担当の女戦士からの証言でもあった。

 獣族たちに他に余罪があるかはまだ聞きだせてはいないが、それでもエリオットにとっては許し難い蛮行である。

 

「俺が……俺が護衛なんて引き受けなければ……」

「それこそ、エリオットの判断は間違ってません。あの状況で子供たちの護衛が出来るのはエリオットしかいなかったんですから」

 

 それでも、エリオットは優先順位を違えるべきではなかった。

 ルディアとの合流を後回しにするという選択が、巡って彼女に害を為したのだ。いくらルディアが慰めても、その事実は容赦なくエリオットを責め立てる。

 

「でも、」

 

 なおも言い募ろうとするエリオットをルディアは制した。

 

「でもも何もありません。なんだかんだで間に合ったじゃないですか」

 

 エリオットの脳裏に蘇るのは、泥濘に転がったまま凶刃に晒されるルディアの姿だった。思い出すだに狂おしいほどの焦燥と、背筋が凍りつくほどの寒気に襲われる。

 咄嗟にカトラスを擲たなければどうなっていたか。それすら、間に合ったのは辛うじてという有様だった。

 もう数瞬遅ければ、ルディアは腕一本か、最悪命すら奪われていたかもしれない。もしもそんな結末に至っていたとすれば、エリオットは生涯己を許せないだろう。

 俺がどれほど心配したか、お前はまるでわかっていない──そう言いたい気持ちはあった。だがそれを口にする資格はないのだ。そう思うなら、護衛の任など放り捨てて駆けつけるべきだった。

 彼女の状況など知る由もなかったというのは、そんなものはただの言い訳だ。

 

「結局は最後、助けてくれたでしょう? あれ、結構嬉しかったんですからね」

 

 だから、そんなに自分を責めないでくださいと続けたルディアに、エリオットは反論を封じられて不承不承頷いた。

 納得はしないまでも、一先ずは言葉を飲み込んで──しかし、同時に恥じる。あれだけの仕打ちを受け、死にかけるような思いをしたルディアに、何故自分は慰められているのだと。

 

「……まだ辛いだろ。もう少し寝てろ。ルディアが起きたって伝えてくる」

「お願いします」

 

 そう言ってエリオットは席を立った。

 ルディアは退出していくその後ろ姿を見送って──口元を押さえながらうずくまる。

 

「……うぷ」

 

 思い出した。

 思い出してしまった。

 集落の防衛戦を。野盗たちとの戦いを。気を失う寸前に、ガルスを──人を、この手で殺めたことを。

 危ういところを助けてもらった。そのことを思い出せば、その隙を見逃さずガルスの腹部を撃ち抜いたことも、否応なしに脳裏に蘇る。

 窓から流れてくる空気の中に、血臭が混じっているような気がして、ルディアは膝を抱え真っ白なシーツに顔を押し付けた。

 

 膝の間に顔を埋めながら思う。

 あのときルディアを救ったカトラスが、剣を弾くのではなくガルスに突き立ち、絶命せしめていたとしたら──あるいはルディアは己の手を汚さずに済んだのではなかろうか。

 込み上げてくる吐き気を苦労して飲み下すと、脳裏をよぎった最悪の想像に顔を顰めた。

 

「……最低だ……」

 

 自己嫌悪する。

 自分が罪の意識から逃れたいばかりにエリオットに責任を転嫁するなど、浅ましいにも程がある。

 受け入れるしかないのだ。この世界では命はあまりにも軽い。でなくば、前世の価値観を後生大事に抱えたまま食い物にされるだろう。

 何故だか無性に、ゼニスの顔が見たくなった。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 ルイジェルドからの謝罪は、エリオットに増してルディアの胃を痛くさせるものだった。

 彼の表情は苦悶に満ちており、後悔と自責の念に苛まれているという事を否応なしに理解させられる。

 彼からすれば、己の行為が巡って仲間に、それも子供の害となったことは酷く許しがたい事なのだろう。それはあるいは彼のトラウマを抉っているのかもしれなかったが、ルディアにそれを推し量る術はなかった。

 ルディアにとってルイジェルドに含むところは何一つなかった。多少の不満や愚痴のようなものは内心で溢していたが、寝起きにエリオットの顔を見たら全て吹き飛んでしまっていた。

 なんにせよ、笑って全てを水に流すというのは出来そうにない。致し方なく厳粛に受け止める。

 伏せられた禿頭を眺め続けるのもなんだか妙な気分がして、ルディアは視線の置き場を探した。

 

「……?」

 

 不意に、視線が留まった。

 ルイジェルドが腰掛ける椅子の足元に、布に(くる)まれた何かが置かれている。寝台の陰になっていて気づかなかった。

 その視線を察したのか、ルイジェルドは彼にしては珍しく、どこか居心地が悪そうにしながらそれを手に取る。

 布を取り払い、全容を表したそれに、ルディアは今度こそ驚愕し目を見開いた。どうして気付かなかったのか。手放したという意識が強く残っていたからかもしれない。

 取り出された杖──傲慢なる水竜王(アクアハーティア)は、手放したときそのままの姿を保っていた。

 深みのある黒樫のような柄や、先端につけられた魔石は窓からの淡い光を含んで僅かな光沢を帯びている。

 

「ルイジェルドさん、これは……どうして?」

 

 困惑しきりといった問いに、ルイジェルドはばつが悪そうに視線を伏せた。

 もう少し、タイミングを測りたかった──口にはしなかったが、ルイジェルドの顔にはそう書いてあった。もとより腹芸の苦手な男である。そういうところがルディアにとって好ましく映るのだが。

 

「攫われた子供たちを獣族の戦士たちと救出したと伝えたな」

「はい」

 

 それは先ほど伝えられた情報だった。

 密輸船に囚われた子供たちを救出する作戦に、エリオットとルイジェルドも加わったという話である。

 

「密輸組織の船や拠点から、ザントポートの役人たちが押収したものの中にこれが含まれていた」

「含まれていたって……」

 

 魔大陸で手放したものが、何故こんなところにあるのだろうか。

 確かに魔大陸ではあまりにも釣り合わない高価なものである。質屋を営んでいた魔族は『こんな値打ちもん買い取ってやれるのはうちだけだぜ』と嬉々として緑鉱銭を吐き出したが、それでも手に余るだろう。

 二束三文で売り払ったか、買い手がつかないうちに盗まれたのだろうか。後者であったならなるべく穏便な方法であってほしいが。それが密輸組織の手に渡り、売り捌く前に押収されたのだろう。

 

「じゃあ、どうやって手に入れたんですか?」

 

 仮定はともかくとして、疑問はそこである。

 話に聞く役人たちが、押収した物品の中でも見るからに最も高価な杖を前に、『それは自分たちのものだから返して欲しい』と言われ、はいそうですかと受け渡すとは到底思えない。

 その上ザントポート側は獣族と揉めている最中だったはずだ。間違いなく強硬な態度を取られただろう。

 

「盗んだ」

「盗んだって……ええっ!?」

 

 ルディアは素っ頓狂な声を上げた。

 ルイジェルドはいわゆる悪徳とは対極に位置する人間である。そういう認識があったからかもしれない。

 ルイジェルドの瞳は真剣だった。己のしたことを微塵も後悔していないといった風情だった。

 

「……俺は、悪事を為した。

 正規の手段で手放したものを、己のために強奪した」

 

 それをルイジェルドがどんな思いで実行したのか、ルディアにはわからなかった。やむにやまれぬ事情があった訳でも、明日の糧にも事欠いていた訳でもない。

 

「必要とあらば悪事を為そう。お前たちのために主義を曲げよう。今度こそ、俺のことを信じてくれ」

 

 信じてくれ。

 その単語だけは、すっとルディアの心に浸透した。

 ルイジェルドに黙って杖を売った事は、彼の心に重くのしかかっていたのだろう。自分の主義が、ルディアとエリオットの思い出の品を手放させたことに、強い後悔を抱かせていたのかもしれない。

 だがそれにはルディアにも責任はあった。ルイジェルドの事を尊重して動いたとはいえ、それでも相談せずに動いたのはルディアだ。

 いや、その相談しなかったことも、そうなのだろう。

 

「……ルイジェルドさん」

 

 なんと返せばいいものか言葉に詰まった。

 

「すみません、でした……」

「何故謝る」

 

 何故だろうか。

 彼に罪を犯させてしまったことへの謝罪だろうか。

 だがそれはただの自己満足だろう。ならば口に出すべき言葉は違うはずだ。

 

「ありがとうございます」

 

 その言葉は思ったよりもずっとしっくり来た。

 独断専行をされたとき、裏切られたような心地だったはずだ。気遣いという名の壁を取り払えていなかったとこにショックを受けたはずだ。

 しかしそれでも、ルイジェルドは信頼を得ようと動いてくれたのだ。

 

「その礼はエリオットに向けてやれ」

「え?」

「その杖を見つけたのは奴だ。押収品の中に覚えのある品でもあったのだろう。もしかしたら、と探していた」

 

 確かにエリオットと一緒に傲慢なる水竜王(アクアハーティア)を売りには行ったが。その質屋の取り扱っていたものが押収品の中に紛れ込んでいたのかもしれない。

 

「それに、お前が寝ている間、奴はほとんど眠らずに看病していた」

「エリオットが?」

 

 初耳だった。

 だがエリオットが自分から申告するような事は想像しにくい。わかりづらく不器用なところが彼らしくもある。

 しかし、三日もの間付きっきりで看て貰っていたとは。思い返せば確かに、エリオットの釣り目気味の目元には隈が出来ていたような気もしなくもなかった。

 

「心配、させてしまいましたね……」

「……」

「……ルイジェルドさん?」

 

 立ち上がったルイジェルドは不器用にルディアの頭を撫でる。

 されるがままのルディアの、寝台のそばにそっと杖を置くと踵を返した。

 

「まだ体力も回復しきってはいないだろう。休むのも仕事のうちだ」

「はい」

 

 置かれた杖の柄を指先で撫ぜた。

 おかえりとでも言うべきだろうか。

 肌寒いせいか、吐く息はほんの僅かに震えている。

 人の悪意には触れたが、それと同じくらい善意にも触れている。それが妙に嬉しい。

 

 




書き溜めが尽きたため更新はここまで
ただキリも悪いのでドルディア集落編終了までは不定期更新します
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