泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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難産、難産。



けじめ、克服

 

 

 ルディアにあてがわれた小屋は先の密輸組織の襲撃により、先住者の居なくなったものである。

 監禁されていた牢に比べれば、その快適さは比べるべくもない。魔大陸の旅の道中も、節制を心掛け雨風が辛うじて凌げる程度の安宿に泊まっていたことを鑑みれば、居住性には天地の差があると言ってよかった。

 だが今このタイミングに限って言えば、その快適さにも疑念が湧く。

 

「……エリオット?」

 

 ルディアが名を呼ぶとエリオットは視線を返さずに、後手で座っていろ、とジェスチャーした。

 ルディアはその背中に庇われながら、困惑に視線を彷徨わせる。寝台に腰を下ろしたままの姿勢では、エリオットの背中に遮られて部屋の入り口の来客の姿を確認できない。

 しかしその訪問者たちと対面するには、ルディアにはまだ心の準備が足りていなかった。故にエリオットの気遣いはルディアにとって極めて心強かった。

 

 部屋にはぴんとした空気が張り詰めていた。

 エリオットは敵意を隠しもせずに、訪問者たちを鋭い眼光で睨め付けていた。その剣呑な視線の先には、見覚えのある獣族の戦士たちが、青い顔で佇んでいる。

 

「……何をしに来たんだ?」

 

 冷ややかながらも押し殺した声で、エリオットが問うた。だがそれは問いの形こそ取り繕っていたが、声音からは明確な拒絶の意思が込められている。

 琥珀色の双眸には、まるで視線だけで戦士たちを斬り刻むかのような明確な敵意が凝っていた。平素であれば敵意殺意の類にはまるで臆しない戦士たちも、ことこの状況下においては顔を青くして縮こまるしかない。

 部屋の隅には、ルイジェルドが槍を片手で抱えるような姿勢で座り込んでいる。こちらもエリオットのそれほどではないが、やはり歓迎しているとは言い難い視線であった。

 

「それは……我らの働いた狼藉について、ルディア殿に謝罪を、と……」

 

 戦士たち──ギュエスとラクラーナはエリオットの刃のような視線を受けて顔を伏せながら切り出す。

 

「面会は断っていたはずだ」

 

 けんもほろろに切り捨てられて、ギュエスは二の句を継げずに口籠る。しかし引き下がる気はないと見えて、渋面を作ったまま頭を下げる。

 

「子供達を救った恩人に仇為したとあっては、我らは先祖に顔向けが出来ませぬ。どうか謝罪の機会を頂きたい」

「お前たちの都合など知るか」

 

 エリオットはルディアの前でこそ平静を装っているが、よほど腹に据えかねていたのだろう。下手人を前にその視線も声音も冷え切っている。

 

「……なあ、話くらい聞いてやってもいいんじゃねえか?」

 

 空気に耐えかねてそう口を開いたのはギースである。

 ギースとエリオットは襲撃を撃退した日の時点で顔合わせを済ませていた。応援にきたぜ、と声高に駆けつけたギースに、エリオットはすわ野盗たちの残党かと得物を構えたが、ギースの必死の弁明により事なきを得たのである。

 獄中のルディアに色々と便宜を図ってやったという話にはエリオットも感謝していた。が、だからと言ってエリオットの獣族に対する怒りが鎮まることはない。

 

「ギース、お前はこいつらの肩を持つのか?」

「そうじゃねえ。そうじゃねえけどよ……」

 

 歯切れ悪く続けるギースは、庇われたままのルディアにちらりと視線をやると、小さく嘆息した。

 

「なあ坊主、お前さんが怒り心頭ってのはよくわかるぜ? てめえの女を傷付けられたんだ。そりゃキレて当然だろうよ」

 

 む、とギースの台詞に思うところがあったのかエリオットは僅かに眉をひそめたが、黙って先を促す。

 

「勘違いとはいえ冤罪をふっかけた挙句、裸に剥いて縛り上げるなんざ、嬢ちゃんにとっちゃトラウマもんだ。だからまあ、この後に及んで謝罪だなんだって言われても都合良く聞こえるだろうけどよ」

「……ならなんでだ」

 

 ギースはあー、と虚空に視線を彷徨わせ、後頭部をがりがりと搔くと言葉を探すように口を開く。

 

「けどまあ、なんつーかよ、獣族をどうこうするってのは、嬢ちゃんが決めることなんじゃねえの?」

「……」

 

 エリオットは押し黙った。

 彼がルディアの受けた仕打ちに、止めどない怒りを覚えながらも、感情に任せ私的な制裁を加えなかった要因にはそれがあった。

 無論、ルディアの戦闘力を知っているエリオットには、彼女が獣族に捕えられたと聞いた時、少なからず「信じられない」という思いが先行していたのもあったが。

 

「嬢ちゃんが塞ぎ込んじまって、獣族なんて顔も見たくなけりゃ声も聞きたくねえってなっちまってんなら、そんときゃ坊主が沙汰を下しゃいい。

 でもそうじゃねえなら、許す許さねえの判断くらいは聞くべきだ。違うか?」

 

 獣族の狼藉は、エリオットをして激怒させるに足るものであった。それこそルディアでなくば男性不審に陥り、一生を閉じ籠もって過ごすことになりかねない、許し難い蛮行である。

 本音を言えば、下手人たち全てを二度とルディアの目に入らないよう己が手で排除したいくらいだった。

 ちらりと視線を遣ると、ルイジェルドは険しい表情でギュエスを睨め付けている。

 

「ルイジェルド?」

「まずは、弁明を聞いてからだ」

 

 押し殺すような常とは異なる厳しい声音にエリオットは訝しんだが、今気にするべきではないと戒める。

 

「……ルディア。大丈夫か? 無理なら、突っぱねてもいい」

「いえ。大丈夫です」

 

 振り向いて背後に確認を取ると、ルディアは小さく首肯する。泳ぐ視線は僅かに不安を湛えていたが、それでも一瞬瞑目すると迷いの色は消え去っていた。

 

「話を、聞きましょう」

「……すまない。感謝する……!」

 

 

 

 

 

 地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げていたギュエスたちは、なにを思ったか床の上で仰向けに寝転がり始めた。

 

「この度は恩人であるルディア殿に、度重なる狼藉を……誠に、申し訳ございませんでした」

 

 突然の奇行に慄然となったルディアは、ひえ、と頬を引き攣らせながら後退り、巻き戻るように再びエリオットの背の後ろに納まった。

 

「な、なにを……エリオット? ギース?」

 

 謎の奇行を始めたギュエスたちを前に、ルディアは目に見えて狼狽える。

 

「嬢ちゃん、こりゃあれだ。初めて見るとふざけてるようにしか見えねえけど、獣族にとっちゃこれが最大限の謝罪の表明なんだよ」

「そ、そうですか……」

 

 ちらりとエリオットを確認すると、目つきは厳しいままだったが、当然だとでも言いたげな表情でもあった。

 ボレアス姓の彼はルディアよりも獣族に対し遥かに造詣が深い。それこそ生まれてからずっと関わってきたのである。そういった人族と違う文化に対しても理解があるのだろう。

 エリオット、そしてルイジェルドには、獄中でルディアが受けた扱いについては大部分を伏せていた。無用な心配をかけさせたくはない。今後続く旅のためにも余計な心労の種を抱えて欲しくはないからだ。ギースが話していないなら、彼らは知る由はないだろう。

 なにより、ルイジェルドがどういう反応をするかが未知数だった。子供を傷つけられたと解釈したなら、最悪の場合ギュエスは明日の朝日を拝むことはないだろう。それはルディアの本意ではない。

 

 が、正直なところ……ルディアとしては彼らの顔すら見たくはなかった。この集落で起こったことなど綺麗さっぱりと忘れて、エリオットたちとの旅に戻りたかった。

 雨季に入っていなければ間違いなくそうしていたはずだ。

 ただ肌を見られただけだと、水をぶっかけられただけだと、そう己に言い聞かせてはいたが──それでもあの情景は生々しく記憶に焼き付いている。

 

(そうだ……あんなもの、忘れちまえ)

 

 男だったら、殊更に気にすることではない。眦を釣り上げて、声高に責め立てるほどのことでもない。中身はどうせ中年のおっさんなのだ。本物の少女に比べれば、受けたダメージも大したことはない。

 こんなもの、犬に手を噛まれたようなものだ。少しばかり不便な場所で、少しばかり寒い思いをしただけのこと。

 前世で家族に袋叩きにされ、雨の中着の身着のままで家を叩き出されたときに比べれば、きっと大したことはない。あのときの方が、ずっと辛かったはずだ。

 

「……」

 

 ……本当なら、記憶の一片にすら残したくはない。

 記憶に蓋をして、永遠に忘れ去ってしまいたい。

 目の前の床に仰向けに横たわるギュエスにしてもそうだ。

 この部屋から出て行けと、二度と顔を見せるなと怒鳴りつけたい気持ちもある。そう言い放つのは簡単だ。だが──

 不意に、肩にエリオットの手が触れた。視線を遣ると、琥珀色の瞳と目が合った。その瞳に怒りはなく、今は純粋にルディアを気遣う色だけがある。

 

 胸に手を当てる。

 鼓動は既に平静で、一定の間隔を刻んでいる。

 

「……頭をあげてください」

 

 声は思ったよりも平静だった。

 おそるおそる顔を上げたギュエスたち──まずはラクラーナに歩み寄り、立ち上がらせる。

 ルディアの副看守を務めていた彼女は、深い悔恨を顔に滲ませていた。

 

「ラクラーナさん。貴女がこんな真似をする必要はありません」

「ですが……私は」

「いいんです。色々便宜を図ってくれて……そして庇ってくれたでしょう。とても助かりました」

 

 彼女はルディアが牢に入れられたばかりの頃こそ憎々しげな表情を隠さなかったが、時間が経ちルディアが憔悴していくにつれ、不憫そうな、そして心配そうな表情を覗かせるようになった。

 それにもし彼女が庇ってくれなかったとしたら、ルディアの牢での扱いは変わらなかっただろう。

 

「私から貴女に思うところはなにもありません。貴女が気に病む必要もないんです」

「……感謝します。ルディア殿」

 

 視線を戻すと、ギュエスは緊張した面持ちのまま床に正座している。まるで判決を言い渡される罪人のような風情であった。

 

「……看守の方はどうしているんですか?」

 

 意を決して口に出したのは、散々に己を冷遇した看守についてである。処遇については決めかねているが、ルディアの疑いが晴れた今、どんな心地でいるのか聞いてからになるだろう。

 看守と聞いてギュエスはすぐに思い当たるものがなかったのか当惑していた様子だったが、ラクラーナの耳打ちを受けて溜息のような声を漏らした。

 

「奴は……死にました」

「え?」

 

 数瞬理解が及ばず、ルディアは目を瞬かせた。

 その様子に気付くことなく、顔を伏せたままギュエスは続ける。

 

「先の襲撃で、人攫いどもに不意をつかれたらしく……致命傷を受け、そのまま」

 

 殊更に驚くほどの話でもない。入念な準備のもと行われたと思われる襲撃は、獣族と密輸組織の両組織に相応の被害を齎した。既にルディア達が潰していた拠点も含めれば、死者は五〇人は下るまい。

 例の看守も、そのうちの一人というだけの話だ。

 更に、あのときルディアを裸に剥いた戦士たちも、同様に不覚を取って命を落としたのだという。それがルディアの手によって負傷していたからなのかは判然としないが、今更確かめられる話でもない。

 

「そう、ですか……」

 

 そう聞いて、ルディアは悄然と肩を落とす。

 己の受けた仕打ちに怒りを覚えるかと問われれば、それはもちろん是である。

 怒りを覚えないはずがない。それがもっとか弱く気弱な少女であれば、怒りを覚える余裕すらなく塞ぎ込んでいたかもしれないが。

 だがその怒気も下手人の死を聞いて萎んでいく。あの仕打ちに関わった者で、今生きているのはギュエスのみであるという。そこに怒りをぶつけることに少しでも抵抗を感じるのは、ルディアがお人よしな故だろうか。

 

「正直、貴方のしたことは許せません」

 

 正座したまま項垂れるギュエスは、ルディアの声音に違和感を感じたのか小さく眉根を寄せて顔を上げた。

 

「ですが、禍根を残そうとも思いません。反省しているのなら……本当に申し訳ないと思ってくれているのなら、私は……」

 

 いたずらに責め立てようとは思わない。

 ギュエスの表情は今にも詫びとして自害しかねないほどのものであったが、ルディアはもう人の死に飽いていた。これ以上血を見たくもなかった。

 

「ですが、それでは……」

「そうだ。それでは足りん」

 

 割り込む声は予想だにしないものだった。

 いつの間にか立ち上がっていたルイジェルドが、ギュエスの胸ぐらを掴み上げ、軽々と宙吊りにする。

 

「ぐ……がッ、ル、ルイジェルド殿……っ?」

「ルディア。お前はまだ隠しているな。獣族にされたことはそれだけではあるまい」

「ルイジェルド、どういうことだ」

「エリオット、お前も気付いていただろう。奴の言葉が足りんのはいつものことだが、ウェンポートからは特に多い」

 

 ルイジェルドはルディアが何か伏せていると確信しているようだった。

 ルディアが目覚めるまでの間、獣族に私的な制裁を加えることもなく、不気味な沈黙を保っていたのは、獣族を裁くのはルディアであるべきだという考えがあってのことではない。

 むしろルイジェルドは、当初はさほど事を深刻視してはいなかった。ルディアの受けた仕打ちについても、怒りを覚えはすれども獣族の規律正しさについて見知っているが故に、身の安全は保証されているものだと思っていた。

 不当な扱いについては己の代わりにエリオットが怒りを露わにしている。ならば己は諌める立場にいるべきだと、そう判断しての事であった。更に言えば、ルイジェルドにとってルディアは庇護対象ではあったが、同時に守るものを持つ戦士であると認めていたのだ。

 服を剥かれ冷水をかけられた程度(・・)なら、槍を振るうことでもない。むしろ不当と思うのは一週間もの間不便な思いをしていたことについてだ。スペルド族と獣族の価値観の隔たりであった。

 

 だが、目覚めたルディアの獣族に対する反応を見て、ルイジェルドはその判断を改めた。心配をかけさせまいという態度と裏腹に、その目によぎる怯えの感情をルイジェルドは見逃すことはなかった。何かと聡いエリオットも気付いてはいるだろうが、エリオットはルディアの判断を尊重するあまり我を押し殺す悪癖があった。

 そして──そのルディアの反応は、ルイジェルドに最悪の事態を想起させた。

 

「隠しておきたいなら、それでもいい。だが口に出すのも憚るようなことをされたと言うのならば、そのときは俺が始末をつける」

「……」

 

 ルディアは迷うように視線を彷徨わせた。

 

「無理に暴き立てようとも思わん。が、半端に許そうとするならば、それこそが禍根を残すと思え」

 

 唇を引き結び視線を落とす。

 ルイジェルドの理屈は理解できた。だがこれ以上の波風を立てない事を望むルディアにとっては、どうすればいいのか処方はない。エリオットやルイジェルドが事の詳細を知らぬ以上、彼らだけでギュエスを裁くわけにもいかない。だがルディアは彼らのいなかった一週間あまりのことを口にするのも抵抗があった。

 ルディアから視線を逸らしたルイジェルドは、部屋の隅で沈黙を保っていたギースに視線を向けた。

 

「ギース。お前は獄中をルディアと共にしたと言っていたな。どうなんだ」

「いや、俺の知る限りじゃあそんな心配するようなことはされてねえ筈だぜ。ほんとだ」

「ならば話せ」

「んな事言われたってなあ……俺はどっちかってーと嬢ちゃんの味方で──わかった! 話す、話すからそんな睨まないでくれよ旦那」

 

 ギースはがりがりと後頭部を掻いて、大きな溜息を一つ落とした。

 

「嬢ちゃん、観念しようぜ。意地張ってたってしょうがねえ。言いにくいなら俺から言っちまうけどいいよな」

「……わかりました」

「じゃまあ、嬢ちゃんの許可も得たところで話すけどよ──」

 

 さも気が進まないという体でギースが口を開く。

 服を剥かれ水をかけられただけでは済まなかったこと。縛り上げられて濡れた床に放置されていたこと。口答えをすると殴られていたこと。そして自分が牢に放り込まれたときには、手足の指が凍傷を起こしていて、憔悴しきっていたこと──

 ぎしり、と何かが軋む音がした。エリオットの手が曲剣の柄を固く握りしめている。ルディアが慌ててもう片方の手を握る。が、むしろルディアが気にかけるべきはルイジェルドの方であった。

 ルイジェルドが、ギュエスを宙吊りにしたまま殺意を放射している。途端に部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を受けた。

 

「件の看守は死んだ。だがギュエス、貴様は戦士たちを束ねる者として負うべき責任がある。違うか」

「い、いえ……違いません、ルイジェルド殿……」

 

 ギュエスは血色を失った顔でルイジェルドの言に頷く傍ら、ギースの言葉が本当かどうか、俄かには信じがたいと言った表情をしていた。

 本当です、とラクラーナがギースの証言を裏付ける。獣族の規律を信じていたが故か、馬鹿な、と呟いて項垂れる姿は小さくなって見えた。

 

「……だが、先走ったのは私も同じか……」

「……。ルディアは許すと言った。ならばそれに異論はない──が、貴様にも娘がいるのだろう。同じ仕打ちを受けたとして、それが許せるか?」

 

 ルイジェルドの問いにギュエスは答えなかった。だが悔恨に唇を噛む姿からその内心は手に取るようにわかる。断腸の思いで聖獣を優先したとは言え、ギュエスとて愛娘が同様の責苦を味わったならば、刃を以てその蛮行を糺すだろう。

 

「いえ……そのときは、自分も怒りを抑えられないでしょう」

「そうか。ならば、歯を食い縛れ」

 

 言うな否や、ルイジェルドは固めた拳を振り抜いた。

 めきり、という音とともに顔面を打ち据えられたギュエスが、くぐもった呻き声と共に板張りの床に転がる。

 

「──ぐッ!」

「ルイジェルドさん!?」

 

 鈍痛に顔を歪め、身を起こそうとするギュエスの顔面のすぐ横に、白い三叉槍の石突が突き立てられる。

 

「忘れるな。お前の命があるのは、ルディアの慈悲があってのものだということを」

「……肝に、銘じます」

「そういうことだ。エリオット。気が済まんとは思うが堪えろ」

「ああ……わかった」

 

 鯉口を切ったまま柄を握り締めていたエリオットは、呻くようにそう言うとかちりと曲剣を納めた。

 ルディアにはエリオットがどれほどの怒りを堪えているか理解できた。自らを落ち着けるように暝目する姿と、吐く息の熱さとルディアの手を握り返す力を思えば、よほど腹に据えかねているというのは容易に理解できる。

 それを見て、ルディアは彼の心をどうにか晴らしてあげたくなった。自分のためにここまで怒りを露わにしてくれていることに、何も響かないわけではない。

 

「……よし」

「おい、ルディア?」

 

 エリオットの手を解いたルディアは小さく頷くと、立てかけてあった傲慢なる水竜王(アクアハーティア)を手に取る。

 そして口元に滲んだ血を拭いながら身を起こすギュエスに足音も高く歩み寄ると、杖を振り上げた。

 

「──ふん!」

「ぐはぁっ!?」

 

 渾身の力で振り下ろした杖は、ルイジェルドに殴られた頬を二度打ちする形で命中した。

 盛大な音と共にもんどりうって倒れるギュエスに、ふんと鼻息を一つ落とす。

 渾身の力で殴り伏せたのだ。手応えからして歯の一本は折れ飛んでいるかもしれない。だが、忌避すべき暴力は妙に心地よく、ルディアの胸に蟠っていた靄を少しだけ晴らした。

 

「ルッ……ぐふっ、ルディア殿……?」

「獣族にとって冷水をかけられることは、最大の屈辱なのだと聞きました」

 

 ギュエスは目を見開き、即座に起き上がって姿勢を正した。続く打擲を甘んじて受けようという姿勢であった。

 

「は……はっ! その件については、誠に申し訳ないと思っております」

「なので」

 

 ルディアは仁王立ちのまま、杖を持たない方の手のひらをギュエスに向ける。

 その手のひらに、拳大の水球が現れた。水球は込められた魔力に応じて、子供の頭部ほどから、バスケットボール大の大きさとなって渦を巻く。

 瞬く間にサイズと存在感を増していく水球は、どう見ても初級魔術の域に収まらない。

 

「──同じ目に遭っていただきます」

 

 ひくりと赤く腫れる頬を引き攣らせたギュエスは、しかし断るわけにも行かず、生唾を飲み込みながら首肯した。

 

「む……無論です。甘んじて──」

 

 ギュエスが言葉を紡げたのはそこまでだった。

 一抱えほどにまで肥大化した水球は、言い終える前に高速で射出され、風切る音に先んじてギュエスの胸板に直撃する。

 形容し難い湿った破裂音とともに、ギュエスの体は病葉(わくらば)同然に吹き飛ばされ、意識は暗転した。

 

 

 

 

 

「……これで、勘弁してあげます」

 

 ルディアの眼前には、しとしとと降りしきる雨と、雨季に入り雨粒に葉を揺らす大森林が広がっている。

 叩きつけられた水球は、ギュエスを吹き飛ばすのみならず、逗留していた小屋を半壊させていた。

 小屋の壁は内側から捲れ上がるように粉砕され、砕けた木材はその裂け目から水を滴らせている。

 視界の隅ではルイジェルドが目を見開き、ラクラーナとギースが唖然と口を開けている。

 小屋のすぐ外の木道にギュエスの姿がない事を鑑みるに、そのまま地表まで落ちていったのかもしれない。十数メートルの距離は、特に鍛えてもいない人族ならば危ういが、ギュエスは仮にも獣族の戦士たちをまとめ上げる武人である。死にはすまい。

 

「……はは、嬢ちゃん、前から思ってたけどよ、意外とやるときはやるんだな」

 

 ギースが感心したような声を上げた。

 せ、戦士長殿! と何処からか慌てたような声が響き、説明のためかラクラーナが失礼します、と飛び出していく。

 

「ルディア。満足したか?」

「はい」

 

 たった今魔術を放った手を開閉する。

 まだ心に蟠るものはあるが──それも少しだけ軽くなった。けじめの一撃である。それはギュエスにとってだけでなく、ルディアにとっても必要なものだったのだろう。

 外から駆け付けたのだろう二、三人の戦士たちと、困惑しきりなラクラーナの声が聞こえてくる。彼女には面倒をかけてばかりな気はするが、連帯責任と思って貰おう。

 

「とりあえず、新しい家を紹介して貰わないといけませんね」

「ああ。ここは随分と開放的になってしまったからな」

 

 彼にしては珍しい言い回しに、ルディアは僅かに驚いて視線を向けると、ルイジェルドは槍を担いだまま仄かに口元を緩めていた。

 思わず軽口で応じる。

 

「夏場だったら風通しも良くて過ごしやすいと思いますよ? 扉要らずですし、バリアフリーです」

「そうだな。改築士は余程腕が良いらしい」

「いやあ、それほどでも?」

 

 ふう、と殊更に大きく息を()いて振り返ると、エリオットが事態が飲み込めず困惑に目を瞬かせていた。どうにも今の流れが飲み込めないらしい。

 何故だかルディアはそれが妙におかしく感じて、ぷっと小さく噴き出すと、エリオットはなんだよ、と唇を尖らせた。

 その表情にはもう、先ほどまでの刺々しさはない。

 よかった。やった甲斐があったというものだ。

 

「……失礼な奴だな」

「だって、エリオット、変な顔してるんですもん」

 

 くつくつと肩を揺らすルディアに、エリオットが憮然と眉根を寄せた。

 

 

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