「ふむ」
俺ことルディア・グレイラットは、自室のベッドの上で白い布を前に腕を組んでいた。
白い布──すなわちパンツである。
下着。パンツ。パンティ。ショーツ。
名称はどうでもいいが、真に重要なのはこのパンツが誰のものなのかということだ。
シンプルな白い生地に、小さなリボンがあしらわれた可愛らしいデザイン。
そう、これはロキシーのパンツである。
時を遡ること一年ほど前。
そう、あれは寝苦しい夏の夜……という訳ではなかったが、ロキシーがまだうちの家にいた頃の話である。
ブエナ村は田舎だし、俺の自室と両親の寝室は比較的近い。つまり誰もが寝静まる深夜に音を立てれば当然聞こえてくるわけで。
いつものように魔術の鍛錬兼趣味としてフィギュア作りに勤しんでいた俺は、今日も今日とて弟か妹作りに励む両親に、たまには無知な子供の振りをして声を掛けてみようとしたことがあったのである。
声を殺して部屋から出た俺が目撃したのは、夫婦の寝室の前で床にへたり込みながら、僅かに開けた部屋の奥を覗き込むロキシーだったのである。
荒い息、蕩けた顔、部屋の奥に注がれる熱い視線、そしてローブの下に潜り込む手……ここまでくれば一目瞭然である。
いたずらに師匠の痴態を暴き立てることもあるまい……と、俺は黙って部屋に引き返し、布団に潜り込んだのである。ルディちゃんにも慈悲の心は存在したのだ。
そして翌日である。
俺は一計を案じた。
ロキシーとの魔術の授業中、事故を装って水魔術の制御を乱し、二人揃って
授業もキリの良いところまで進んでいたので、俺はロキシーを水浴びに誘ったのだ。
そうこの体は既に女の子──息子とは永遠の離別を余儀なくされてしまったが、ならば女の子としての役得を全力で追い求めるべし。水に濡れ、陽光を照り返す瑞々しい肢体を穴が開くほど眺め、脳裏に焼き付ける。
途中で鼻血が出て慌てたロキシーにヒーリングをかけられたのはご愛嬌だ。
そして体を拭いたあと、リーリャに用意して貰った服を着ながら、籠に放り込まれていたロキシーの下着を失敬したのだ。
後日ロキシーが「ルディ、私の下着を知りませんか?」と聞いてきたが、「うーん、見てないですねえ」としらを切り通した。
「風に飛ばされてしまったのでしょうか……」と首を傾げるロキシーを余所に、俺は脳内で喝采をあげていた。
そう! 俺は!
ロキシーのロキ◯ー済みパンツを手に入れたのだ!
神の身に着けていた下着……すなわち聖衣物。
いややっぱり御神体でいいや。
御神体は、その後俺の精神的支柱になり、俺の部屋で厳重に保管している。
そしてその御神体を毎朝拝み、今も世界の何処かを旅している神に祈祷を捧げるのが毎日のルーティーンである。
祈りの聖句でも考えた方がいいかもしれないな。
ああ神よ、我を導きたまえ!
「ルディアお嬢様、少々宜しいでしょうか。お部屋の掃除を──」
「あ」
×××
ずっと家に篭りきり、というのも良くないのかもしれないな。
そう俺が考えたのは、ロキシーとの別れから少ししてのことだった。
家でやることは案外多い。
魔術の鍛錬、パウロとの剣術の稽古、ゼニスからの淑女教育に、リーリャから教えられる宮廷でも通じる貴族の作法──エトセトラ。
更に暇を見て家事の手伝いも率先してやっている。
これがゼニスが喜ぶのだ。
俺の前世が昭和の頑固親父だとしたら家事すらやらなかったのかもしれないが、現代日本は男も家事をするものである。
料理、裁縫、洗濯に掃除。
家事に関わり始めてわかったことだが、前者二つはゼニスが得意で、後者二つはリーリャが得意としている。
だからそれぞれの家事を手伝いながら二人と交流するのだ。ゼニスと一緒に料理をしていると、俺たちの背中を見てパウロがたまにだらしない顔をしているのが妙に腹立つが。そんなに似ているのだろうか?
リーリャもまだ距離を感じるが、上手いことジョークを炸裂させると笑ってくれる。リーリャの笑顔はレアだ。見かけた日はいいことあるかも、と勝手に思っている。
話は脱線したが、つまるところ家ではやることが多過ぎて、出ようとしないといつまで経っても家で篭りきりになってしまうということだ。
幸い、家事は義務ではない。高頻度でやってはいるが、こちらが自主的にやっているだけだ。
魔術の鍛錬も別段家の庭でやる必要はない。剣術の稽古や礼儀作法も時間は決まっている。
ならば外に出る時間を作っても良いだろう。
なにより、せっかく外に出れるようにロキシーがしてくれたのだ。無駄にするのも申し訳ない。
というわけで、いざゆかん。
「父様、今日は外で遊んできてもいいですか?」
という問いに、パウロやゼニスは一瞬だけ面食らったものの、すぐに快諾してくれた。
髪は例の白い髪飾りで結わえ、手には植物辞典を持った俺の姿に両親は喜びを隠せない様子だった。
おいおい、あまり喜ぶなよ。こっちもにやにやしちゃうだろうが。
「それにしてもルディが外に、か。
いや感慨深いもんだな。昔は体が弱いんじゃないかと心配していたんだが」
パウロが遠くを見るように視線を虚空に彷徨わせた。ゼニスも思い当たるところがあったのだろう。隣で頷いていた。
「そうなんですか? 結構家の中をちょろちょろ動き回ってたと思いますけど」
「まあそれはそうだが。でもお前、ぜんぜん泣かなかったろ?」
「言われてみればそうですね」
目を離せばすぐにあっちこっちと、ひたすらに忙しなく動いていた記憶しかない。とはいえみっともなく泣き喚いた記憶は──後にも先にも一回だけだ。
だからパウロにはそういう懸念もあったのだろう。
ううむ、泣かないから逆に心配させていたとは。
ここは安心させてやるべきだな。
「丈夫で愛嬌のある娘に育ってますよ? ほい」
くるりとターン。
愛嬌を振り撒くと、動きに合わせて伸ばし始めたポニーテールが靡く。
愛らしさに悶えるがいい。
……やっぱり恥ずかしいな。二度とやらん。
「そういうところが、逆に子供らしくないんだけどな」
「お嬢様、殿方にはもう少したどたどしいほうがよろしいでしょう。少々あざとすぎるかと」
「リーリャ、貴方はなにを言っているの……?」
リーリャの言わんとすることはわからんでもない。
スーパーモデルの華麗なターンよりも、ドジっ子が一生懸命やった方が萌えるという理屈だろう。だがリーリャ、こんな事言う人だったか……?
「子供がしっかりしている分にはいいじゃないですか。私、長女ですよ?」
「自慢じゃないが、父さんがお前くらいの頃は女の子のスカートをめくることに夢中な悪ガキだった」
スカートて。
そういうのは万国共通なんだなあ。
「なるほど。これから父様の前ではスカートを履かないようにします」
「おいそりゃないだろう!」
「冗談ですよ。でもいいんですか? グレイラット家に相応しい人間になりなさい! とか威厳を出す機会でしょう?」
俺の言葉にパウロはなんだそりゃ、という顔をすると口をへの字に曲げた。
なにやら思うところがあるらしい。
「威厳はともかく、家格とか格式とかそういうしゃちほこばったのはしち面倒くさいだけだぞ」
となりではゼニスもうんうんと頷いていた。頷いてばかりだな。
パウロはともかくゼニスはこんな辺境で下級騎士の妻をやるには随分品があるし、顔立ちもなにもかも整っている。実はいいところのお嬢様で、それをパウロが上手いことコマしたのかもしれない。
「ま、グレイラット家に相応しい人間になりたいって言うんなら、ボーイフレンドの一人でも……いや、だめだ。連れてくるなら女の子にしなさい」
ちょっと嫉妬したな? パウロめ。
心配しなくても俺はノンケだ、男になど靡かんよ。
可愛い女の子の方がよほど興奮するね。
「わかりました。ではめくるスカートを探しに村に行ってきます」
「お前はそれでいいのか……?」
「野郎のパンツ見て興奮するわけないじゃないですか」
「そりゃそうだ」
間違いない、とパウロと固い視線を交わす。
ほら、と両手を差し出すと、意図を理解したパウロが脇の下に手を差し込みそのまま肩車の体勢にまでもっていく。
「危ないところには行かないように。それと、幾ら魔術ができるからって威張ったりしたらだめだぞ」
「もちろんです。強さとは女の子にいい格好を見せるためにあるんですよね」
「そうだ。……いやちがうちがう」
「冗談ですよ。強さとは女の子のしおらしさを引き立てるためにあるんですよね?」
「それにぐっとこない奴はいないだろうがなあ……」
パウロが渋い顔をしている。
ふざけすぎたかもしれない。
「弱いものを守るためにあるんだ。
といいたいところだが、お前も女の子だ。本来なら守られる対象なんだぞ?」
仮にも貴族だしな。パウロの騎士という役目もそれの一環なのだろう。
「可愛らしい女の子を守るためならいくらでもこの身を削りますよ」
「お前はそれで本当にいいのか……?」
当たり前だ。
可愛い女の子と親密な仲になるのは俺の至上命題だからな。
×××
というわけで外出を始めてから数日が経過した。
外はいい。一日に十数分でも日光を浴びればビタミンDが生成されるし、適度な運動は健康に必要不可欠だ。
どちらも不足していたわけではないが、家の外に出ないと得られない充足感というものもあるのだろう。
いつものように髪をポニーテールにまとめ、腰にロキシーからプレゼントしてもらったロッドを差し、植物辞典を手に村や畑を回る。
ブエナ村は自然が豊かだ。
人と自然しかない。
この数日でそれなりに多くの村人と知り合った。
小綺麗な格好でやたら整った顔立ちをしているせいか、村の人たちは一目で駐在騎士の家の子供だとわかるのだろう。邪険な対応は今の所されていない。
毎日風呂も入っているし、髪の手入れも欠かしていないからな。ゼニスとリーリャが。
それにパパンとママンが美男美女だからね、その遺伝子を引き継いでしまった己の美貌が憎いわ。
村の子供集団とは一度すれ違ったが、仲間に入れてもらうのは探索を終えてからでいいだろう。
別にびびったわけじゃない。
本当だぞ。
「ルディアちゃーん! こんにちはー!」
「こんにちはー!」
水車小屋の近くの川で洗濯をしている母娘に手を振る。
彼女は昨日仲良くなった村の女の子だ。
天真爛漫でいいねえ。両手を振って挨拶してくれるとこんなにも気持ちがいい。
ブエナ村には井戸がいくつか掘られているが、そこまで行くのがめんどくさい家庭は川で洗濯を済ませてしまうのだろう。
たしかにやたら水が綺麗だしな。
うちにも井戸はあるが、ほとんどは俺が魔術でぽんぽんと出してしまっている。
どうやら魔力を込めて作るとより美味くなるようで、家でも好評だ。
子供の足では探索範囲はそう広くない。何日もかけ、少しずつ既知の範囲を広げていく。
三日が経つ頃にはなんとなく村の全体像が見えた。あとは道から外れたところや、森の浅いところを探索してみよう。
「こんにちは」
「ああルディアちゃん、こんにちは。いい天気だね」
農夫のおっちゃんにもにこやかに挨拶だ。
ちゃんと挨拶を交わしたのなんて二〇年ぶりくらいだろうか。
いや、美人だと対応が良くていいねえ、ほほほ。
調子に乗ってはいかんな。きっとこの対応の良さもパウロやゼニスの人徳が影響しているのだろうし。
場所は森の中。
とはいってもだいぶ浅いところだ。
入り口からせいぜい五〇メートルといったところだろう。
あまり奥に入り込みすぎると魔物が出てくるらしいからな。見たことは無いが、農作物だけでなく人にも被害が出るらしい。
猪なんか目じゃないくらい危険なのだろう。
パウロや村の大人も口を酸っぱくして言っていた。
逆にロキシーは俺でも倒せるとかなんとか言っていたが、それで無茶無謀をしていい理由にはなるまい。
月に一度、村の男衆総出で大規模な山狩り──森狩り? をやっているらしいから、そのうち同行させてもらえるよう頼んでみるか。
これでも治癒魔術も使えるのだ。嫌な顔はするまい。
森を探索中に、木々の葉の切れ目から一際巨大な木が見えた。
村の中でも一番といえるサイズのものが、小高い丘の上に一本だけ生えている。
よし、あそこに行ってみよう。
あそこからなら村も一望できそうだ。
「──魔族は村に入んなよなー!」
森を出てさあ行こうとしたところで、そんな声が聞こえてきた。
声の方向に視線を向けると、三人ほどの少年たちが、道を歩く少年一人に泥をぶつけている。
彼らの足元は先日の雨でぬかるんでおり、なるほどあれなら弾数にも困るまい。
その悪意に満ちた表情を見ると、ぞわり、と背筋が凍るような錯覚を得る。
びくり、と肩が震えた。
あれには覚えがある。
前世で俺を散々にボコり見せ物にした連中の顔だ。
相手を自分の思い通りにしないと気が済まない理不尽の顔だ。
「魔族は魔大陸に帰れ!」
「消えろー!」
ああ、いやだいやだ。
三人で寄ってたかって一人をいじめるなんて、いつぞやを思い出してしまう。
いじめというのも万国共通だ。どこの時代、どこの国にもあるものである。
少年はというと、さっさと通り過ぎて逃げ去ってしまえばいいものの、腹を抱えるような姿勢でよたよたと歩くせいでいい的だった。
目を凝らして見てみれば、その手にはバスケットが抱えられている。それを守っているのだろう。少年の白い上着は泥まみれだ。
当然、それをめざとく見つけたいじめっ子たちが口々に囃し立てる。
何か持ってるぞ。
あれにぶつけたら一〇〇点だ。
いいや、頭にぶつけたほうが一〇〇点だ。
指向性をもって投げつけられる泥玉を受け、少年はとうとううずくまってしまった。
そのとき、俺はまずいと思った。
反応に飽いたいじめっ子のリーダー格らしい少年が、足元の石ころを手に持ったのである。
「──やめなさい!」
駆け寄りながら拳大の水球を作り出し、射程に入ると撃ち出した。狙いは石ころを手に取った悪ガキだ。
当然加減はしている。俺の魔力で全力で撃ったら人体なんて木っ端微塵だからな。
「ぶあっ!」
狙い過たず水球は悪ガキの顔面に命中し、そいつはもんどりうって倒れた。
予期せぬ闖入者に、残り二人が喚き出す。
「なんだお前ー!」
「魔族の味方すんのかよ!」
「お前にはかんけーないだろ!」
一瞬でヘイトがこちらに向いた。
なんてわかりやすいやつらなんだ。
「魔族の味方じゃなくて、弱い者の味方なんです」
パウロは俺が女の子だからこういう事は期待していなかったようだが、俺とていじめに思うところはある。こんなのを見逃したら夢見が悪くなる事請け合いだしな。
「女のくせにかっこつけてんじゃねー!」
「お前、騎士んとこのやつだろ!」
「いいのかよ! 騎士が魔族の味方だって言いふらすぞ!」
言いながら、泥玉をこちらに投げてくる。
うお、あぶなっ! 容赦なしかよ!
女の子にしていい態度じゃないぞ!
「よけんなよ!」
「お前もう仲間に入れてやらないからな!」
すいすいと避ける。
魔術で壁を作る必要すらない。パウロとの剣術の稽古の成果が出ているな。やってなかったら当たってたかもしれないが。
髪も出かける前にリーリャが結ってくれたのだ。当たってなんてやるものか。
「そんなんじゃ私には一生あたりませんよ?」
「うるせー!」
「お前! もう許さないからな!」
リーダー格の少年が石を握ったのを見て、瞬時に手元に水弾を叩き込む。
手首に命中して石を取り落とした少年が、悔しそうに顔を歪ませた。
石はいかんよ、石は。顔に当たって傷が残ったら君が責任を取ってくれるのかね? たぶんその前にパウロに真っ二つにされるぞ。
「ちくしょう!」
「おい! 兄ちゃん呼んでこいよ!」
女にいいようにやられて余程悔しいのだろう。
その顔を見て、ピンとくるものがあった。
「一人に寄ってたかって三人でいじめるなんて、情けないですよ!」
「余計なお世話だよ!」
「私みたいな女の子にしてやられて恥ずかしくないんですか?」
「んなっ!」
「うっせーブス!」
ひゅんひゅんと飛んでくる泥玉を躱し、水弾を二、三個ぶつける。
なんだか楽しくなってきたぞ。
「ざ、ざぁこ! いくじなし! 仲間を呼ぶしかできないなんて情けなぁい!」
「なんだとぉ……!」
「ざぁこざぁこ! 一発も当てれないなんてかっこわるぅ! 女の子に負けるよわよわ男子!」
「くっ、くっそぉ! おい! そこ動くなよ!」
「えっ?」
煽りすぎたのか、顔を真っ赤にしたリーダー格の少年が木の棒片手に駆け寄ってくる。
おいおい、なんだよ。それでぶっ叩こうってのか?
よくないぞ! 近付けば体が大きい分有利ってか?
そう思うと足がすくみそうになる。まんま前世の再現じゃないか。それは嫌だ。
腰に差していたロッドを抜いて構える。パウロに教えてもらった水神流の構えだ。
「こんにゃろっ……!」
「とりゃ!」
相手も子供とはいえ、五歳の体では相対的に大きく見えてなかなか威圧感がある。
つい目をつぶりそうになるのを我慢しながら、振り下ろされるわからせ棒にロッドを合わせた。
避けられただけではなく、棒が引き込まれるように絡め取られた少年が足を取られ、つんのめって顔面から倒れこむ。
「おわぁっ!」
「! 今です! 行きますよ!」
「逃げたぞ!」
「卑怯者ー!」
仲間も呼んでたし、ずっと構ってなんていられるか!
蹲っていた泥まみれの少年の手を引き、小高い丘の上まで引き返す。
追いかけるように泥玉が投げられるが、子供の腕で動く対象にそうそう当てられるもんじゃない。直撃しそうなやつは時折振り向いて全部叩き落とす。
三十六計逃げるに如かずってね。いちいち相手するのも馬鹿馬鹿しい。
すたこらさっさだ。
毎日ランニングをやらされている分俺の足はなかなか速い。少年もバスケットを抱えている割に遅れずついてくる。脚が長いのだろうか。羨ましい。ルディちゃんも負けてないと思うが。
丘を登り切り、巨木の下までやってくる。
見下ろすと、先ほどのいじめっ子たちがなにやら喚き散らしていたが、しばらくすると散っていった。
流石に追いかけては来ないようだ。
ほっ。
「君、大丈夫? 怪我はない?」
手を引いていた少年は、泥まみれの白い上着を目深に被っていた。バスケットが泥に汚れているということはない。無事守り通したらしい。
俯きがちなその顔を覗き込む。
んまっ! なんて美少年!
「え……? あ、うん……大丈夫」
白い肌に、ルビーのような赤い瞳。
さっきのいじめっこたちなんてまるで目じゃない容貌だ。将来を嘱望される美少年って感じだな。
ショタコンのつもりはないがキュンときてしまう。
無詠唱化した
泥があらかた洗い流されたのを確認すると、今度はドライヤーのように温風を作り出し髪を乾燥させてやる。
するとなんということでしょう、輝くようなエメラルドグリーンの髪と、長くとがった耳が現れたのです。
エルフじゃん! と興奮するよりも先に、ロキシーの教えが脳内に蘇る。
そう、あれは夜の自室でロキシー先生のなぜなに講座が開講されたときのことだ。
『エメラルドグリーンの髪に、額に赤い宝石のついた魔族には絶対に近付いてはいけませんよ』
そう言って彼女はおっかない顔で脅してきたものだ。全然おっかなくなかったし、むっちゃ可愛かったが。
そうだ、確か……スペルド族だ。
夜遅くまで起きていると、スペルド族が来て悪い子を食べてしまうらしい。ロキシーもそう言われて育ったのだろうか。
俺にとってロキシーの教えは絶対だ。とはいえ確認してからでも遅くはないだろう。
ちょいと前を失礼。
正面から確認すれば、真っ白なおでこが現れる。
宝石はないね。セーフ。
「あ、ありがとう……」
お礼を言われた。
人に感謝されると気分がいい。こっちもおっかない思いをした甲斐があるというものだ。
「はい、どういたしまして」
この子からすると俺はさしずめ白馬の王子様ってとこだろう。性別が逆な気はするが。
肩を縮こまらせて、まなじりを下げてちらちらと伺ってくる。庇護欲を誘われる態度だ。だが周りがそう感じるようになるのは、もうちょっと大人な年頃になってからだろう。
この年頃ではいい的だ。
ちゃんと言い含めておかなければなるまい。
「君さ、ああいうのはちゃんと抵抗しないとだめだよ」
「無理だよぉ……いつもは、もっとおっきな子もいるし……」
話を聞くに、抵抗するともっと数を増やしてやってくるらしい。
兄ちゃん呼んでこいよ! とか言っていたのがそうなのだろう。こんな美少年相手になんて奴らだ。嫉妬したって顔面偏差値はあがらんぞ。
……まあ、原因は見るからにこの髪色だろうな。
「君も大変だね。髪色で差別されるなんてさ。君、魔族なの?」
「わかんない……お父さんは違うって」
父親が
隔世遺伝とか、先祖返りか何かなのだろうか。
だが両親からは愛されているらしい。良かった。家でも針の筵だったとしたらノータイムで保護しているところだったぜ。
ちなみに抱えていたバスケットには弁当が入っていて、猟師をしている父のところまで持って行く途中だったとの事だ。
なるほど。
「よし。それじゃ俺──じゃないや、私がついてってあげるよ。さっきの奴らから守ってあげる」
「え? いいの……? でも、君も仲間外れにされちゃうよ」
「いいよ、もう遅いし。それに仲間外れにされても君がいるでしょ?」
「……え?」
「私の友達になってよ」
そう言ってにっと笑ってやる。
炸裂するルディちゃんスマイルだ。この年頃の男子には刺激が強いかもしれんな。
「う、うん!」
ぱっと笑顔が向けられる。
なんてこった、ずきゅんと来ちゃったぜ。俺にその笑顔は刺激が強いかもしれん。
「私はルディア・グレイラット。君は?」
「ぼく、シル、フ──」
「シルフ? 綺麗な名前だね」
そう言うと、シルフは照れたように身を縮こまらせた。