泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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雨の日暮らし借り暮らし(後)

 

 

 

 木造の屋根に降りしきる雨を遮られながら、エリオットは小屋の軒下に腰を下ろしていた。

 ここ数週間、どんよりと濃い灰色をした雲は四六時中空を覆っている。あと一、二週間ほどで雨季も終わると言うが、雨脚が弱くなっていなければ信じられなかっただろう。

 遠い眼下は増水した川のような有様で、地盤が緩んで家屋のある榕樹すら傾いでしまうのではないかという危惧すら抱かせる。

 景色の変わらなさに安心ではなくどことない鬱屈を抱くのも、ひとところに留まり続けていることに僅かな焦りを感じているからかもしれない。

 

 一年半もの間、ひたすらに移動を続ける毎日だった。一、二週間程度一つの街に留まることはあっても、何日も宿に籠りきりということはなかった。気を抜くとすぐに目減りしてしまう財布を少しでも暖めようと、冒険者としての活動に追われていたからだ。

 それが、今はない。食事も寝床の心配もしなくて良い。時折迷い込んでくる魔物を倒せば集落の者たちが買い取ってくれて、雨季を終えたあとには路銀も持たせてくれるという。

 ならば、なにも問題はないではないか。

 しばらくは金銭の心配に精神を擦り減らさなくて良いと言うならば、諸手を挙げて歓迎すべきだ。財布の重みと移動速度は直結するのである。謝礼の金額次第では、そのままミリス神聖国を抜けて中央大陸まで渡ってしまえるだろう。

 

 思考を前向きなものに切り替えて、エリオットは眼前に意識を戻した。

 エリオットの前では、同じように軒下に腰を下ろしたミニトーナとテルセナが、木の下敷きと羊皮紙を膝の上に乗せてかりかりと音を立てている。

 

「……できたっ」

「テルセナ、早いニャ……」

「ん。見せてみろ」

 

 テルセナが差し出した羊皮紙を受け取り、目を通す。

 集落の備品の管理係から分けて貰った粗悪な羊皮紙は、連日の雨による湿った空気で表面がごわついておりやや書きづらい。だがそれでも紙としての使用には充分耐える。

 

「昨日よりも出来てるな」

「本当?」

「ああ。勉強の成果が出てる……テルセナ、これは?」

「『大森林』」

「これは?」

「んー……『ミリス神聖国』?」

「正解」

 

 まず言語を教えるには単語から。文法やらは使っていくうちに自然と覚えるものだ。かつてルディアがエリオットに教えていた通りのやり方である。

 

「そのくらいならあたしにもわかるニャ」

「ならそれをさっさと終わらせろよ」

「ちょっと待つニャ……できたニャ!」

「あ、そこ間違ってるぞ」

「ニャっ?」

 

 エリオットはミニトーナとテルセナに人間語を教えていた。この二ヶ月半余りで二人との仲が進展した結果であった。

 事の発端は、剣の稽古を嫌がっていたミニトーナが、何を思ったかエリオットに稽古に付き合ってほしいとねだったところから始まった。

 一日のほとんどで暇を持て余していたエリオットは当然それに了承し、付き合ううちにミニトーナが人間語に興味を持ち始めたのである。ルディアに教えを請えばいいとも思ったが、頼まれたことを無下に断ることもない。

 そうして稽古後に軒下で教えるうちに、ルディアから魔術を教わっていたテルセナが混ざるようになり、それがいつの間にか習慣と化していたのである。

 

「ふふん、勉強ならトーナより私の方が得意だよ」

「テルセナ、お前も同じところ間違ってるからな」

「あれ?」

 

 はてな? という顔で小首を傾げるテルセナの鼻先に添削した羊皮紙を押し付ける。

 字はあまり綺麗ではないが、家庭教師に勉強を習い始めたころの己よりはマシな気もする。

 

 それこそ最初の頃は、稽古後にいそいそと寄ってきた二人が挙げた単語に、人間語で対応するものを教えるだけだった。

 ミニトーナがそのうち人族の領域であるアスラや、姉の留学先である北方大地に行ってみたいと口にし、テルセナがそれに同調したことで、エリオットも骨を折る気になったのである。半ばお遊びのようなものだが──羊皮紙を工面し、記憶の片隅に残っていたルディアの問題集を思い出しながら、苦心して似たようなものを作成してみたところ、二人はそれなりの意欲をもって取り組んでくれたのだ。

 とはいえ、雨季が終わればミリス神聖国との交易も再開される。そうすればエリオットの作成したものよりもずっと良質な教本も手に入るだろうが。

 

「……」

 

 しかし、悪い気はしない。

 二人と接するのも、忘れかけていた獣神語を使う良い機会になる。なにより、頭の上でぴこぴこと動く獣耳や、尻の動きに応じて揺れる尻尾を眺めていると妙に落ち着くのだ。

 懐かしさすら感じる感覚だった。だがまた別個の感覚として、それらを漫然と眺めていると、うず、と昂るものがある。

 その視線を察知したのか、ミニトーナは耳を抑え尻尾を腿に挟むと、僅かに警戒するようなジト目をエリオットに向けた。

 

「目が怪しいニャ……」

「む、」

 

 心外であった。エリオットとしては怪しい気持ちを抱いているつもりはない。純真な気持ちで撫で回したいだけなのだ。だがエリオットのそれ(よーしよしよし)は、色を覚えるかどうかという年頃のミニトーナをして微妙に危機感を煽るほどのものだったらしい。

 事情を知らないテルセナは首を傾げるばかりであったが。

 

「耳や尻尾くらい触らせてあげてもいいと思うけど……」

「テルセナは触られたことがないからわからニャいのニャ。エリオットのあれは……なんか、変な感じがするニャ」

「……変な感じって何?」

「変は変ニャ。危ない感じがするニャ」

 

 散々な言われようだが、仕方ないだろうと開き直る気持ちもある。獣族を、中でも見目麗しいものを好むのはエリオットにとっては本能に近い。ノトスが豊満な胸に目がないようにだ。

 それはボレアス姓を持つ者として逃れられない性癖であり、宿命であった。もとよりそれに抗おうと思ったことはない。

 

「ええっと……触る?」

「いいのか?」

「あー、あたしは知らニャいニャ」

 

 こんなもの触って何が良いのかわからないけど、と耳を差し出したテルセナに、ミニトーナは忠告はしたぞ、と言わんばかりに成り行きを眺める体勢になる。

 

「そんな警戒することなんて……あっ」

 

 テルセナの耳にするりと指先が這い、びくりと背筋が跳ねる。

 忠告に逆らって不用意に耳を差し出したテルセナは、未知の感覚に慄くこととなった。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 エリオットは得物の点検をする傍ら、窓の外をちらりと見遣った。

 

 厚い雲に覆われていたはずの空から、時折淡い陽射しが差し込むようになった。

 雨季が終わろうとしている。獣族たちの言葉通り、雨脚は日を追うごとに少しずつ弱まっていき、木造の小屋をひっきりなしに叩いていた雨は今では小雨と形容できるほどだ。

 冠水していたはずの地表も、今では二ヶ月前の泥濘程度にまで落ち着いている。それでもいざ降りたてば歩くのに難儀しそうではあるが、ひとまず行軍できないほどではない。しかし降り立つにも雨季の間ひたすら水に浸かっていた梯子や階段の補強が急務であり、昨日から防人以外の獣族たちはその職務に取り組んでいる。

 戸数三〇〇に迫り、人口も同様に数百を数えるドルディアのそれは相応の大工事である。が、彼らも毎年より恒例行事とばかりに慣れ切った手際と極めて高度な作業効率でもって遂行している。主要なものだけでも明後日までには、その他雑多な梯子や小さな昇降用階段を含めても一週間もあれば工事を終えてしまいそうな勢いである。

 工事をはじめたばかりのころはただで厄介になっていることを忍びなく思い、人足として加わろうかと考えたが、あれではむしろ邪魔をしてしまいかねない。客人は客人らしく、客間で大人しくしているが相応、と思いエリオットはあてがわれた部屋に引っ込んだ。

 

 ルイジェルドの姿は見当たらなかった。

 またぞろ族長の屋敷に招かれて、酒盛りでもしているか、あるいは集落の子供たちの遊具にでもなっているのだろう。もしくは戦士たちを相手に教練まがいのことでもしているか。

 ルイジェルドは寡黙な性質(たち)だが、子供好きな気性も相まってか好かれやすい。初対面ではその強面に敬遠されがちだが、無害とわかると子供たちは恐る恐る寄ってくる。

 猫のように全身に幼い子供たちを引っ付けて、よじ登られている様を目撃したルディアはけらけらと笑っていたが。

 

「……」

 

 エリオットは黙々と曲剣の点検整備をしていた。いかなるときにも得物の整備は怠るなというのがギレーヌの教えである。

 とはいえ現状でできることはそう多くない。

 鞘から抜き払われた曲剣に、刃毀れや歪みが無いか点検し、目釘を検め、柄に巻かれた革に不備がないか確認する。それだけだ。

 道具も整備油もなくはないが、残りが心許ない。獣族たちにそこまで無心するのも憚られる。ミリスではそれらを補充しなくてはならないだろう。

 幸いなのは得物の出来が良い事だ。無銘だがそれなりの業物であるし、今のところ刃毀れはしていない。ミグルド族の里で貰い受けたカトラスとは比べるべくもないが、それでも手に馴染む。手入れを怠らなければもう数年は使えるだろう。

 

 一通りの点検を終えて、息を()きながら板張りの床にごろりと寝転んだ。やや伸びた深紅の髪が広がる。

 退屈にもいい加減慣れたが、同時に辟易ともしてくる。毛先を漫然と弄びながら、あー……と気の抜けた声を出した。

 

「起きるか」

 

 腹筋に力を込めて起き上がる。緩慢な、しかし慣れた手つきで剣帯をつけた。どのような時でも得物は手の届くところに置いておく。最早無意識下での行動だった。

 また適当に、集落でもぶらついて無聊を慰めるとしよう。あと一週間もすれば見納めとなる。

 あるいは己の立場を考えれば、もう二度と来ない可能性が高いのだから。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 散策と言っても、三ヶ月近く過ごした集落である。

 ロアの街ほどの広さがあるわけでもなく、小一時間ほどぶらつけば元の場所に戻ってきてしまう。

 立体構造の集落が当初は物珍しく、あちらこちらと散策していたため、集落の重要な場所以外はほとんど見て回ってしまっていたのもあるだろう。

 

 ルディアにあてがわれた部屋は、エリオットの隣室である。

 基礎となった榕樹は同じだが建物自体は違うルイジェルドの自室と異なるのは、二人が兄妹のような扱いを受けているからかもしれない。

 エリオットと違って暇を潰す手段もあるとはいえ、行商人も来ない環境ではやはりルディアも退屈を持て余しているだろう。

 彼女の部屋に足を踏み入れたときも、ルディアは寝台に座ったまま、窓枠に頬杖をついて外を眺めていた。エリオットに気付いている様子はない。

 

 あめあめふれふれ、と囁くような小声でルディアが口ずさんだ。耳に心地の良い、鈴の転がるような声音であった。

 声をかけるタイミングを逸して、エリオットは口をつぐんだ。何か言えば、こちらに気付いた彼女はすぐに歌うのをやめてしまうだろう。そんな些末なことが、妙に躊躇われる。

 窓枠に頬杖をつきながら浮かべる物憂げな横顔が、歳に見合わぬほどに大人びて見えて、それが思わずエリオットの視線を惹くのだ。

 視線に気付いたのかルディアが振り向いた。聴きました? と照れながらへらりと笑う。彼女がたまに浮かべるこの笑みが、悪戯を咎められた子供のようで、いつもは澄ましているばかりに妙なギャップがある。

 

「童謡です。名前は忘れたけど。……聴いたことありません?」

 

 という問いにかぶりを振る。知らない言語の、耳慣れない歌だった。

 

「でしょうね」

「歌ってていいぞ」

「やですよ。恥ずかしい」

 

 そうか、と頷いたエリオットは部屋を見渡した。

 整頓のなされた、簡素な部屋である。作りかけの人形が二、三体ほど転がっているが、あとはエリオットの部屋と大差ない。

 記憶に残る母やメイドたちの部屋は、色彩を整えたり、装飾を凝ってみたりと自室を調える事に余念がなかった。対してルディアはそういったことに無頓着だ。

 いわゆる女性らしさ、というものに彼女は拘りがないような、あるいは興味がないように見えるのだ。

 

「どうしたんです?」

「集落を見てまわってたら、ルディアの姿がなかったから。部屋かと思って」

「見ての通りですよ。暇を持て余してます……それでわざわざ訪ねて来たんですか?」

「いや……実は俺も、暇すぎて」

「ですよねえ」

 

 ルイジェルドに師事し、ミニトーナとテルセナに人間語を教える生活。充実してこそいたが、空いた時間をどのように潰すかに頭を捻っていたほうが多かった。

 だがその生活も残りわずかだ。

 

「もうすぐ雨季が終わる。集落を出るのは一週間後でいいのか? 工事は明日か明後日には終わるらしいけど」

「獣族から荷馬車が貰えますから。泥に足や車輪が取られないくらい地面が乾いてからになりますよね」

 

 ルディアが細い顎に指を当てて思案の声を上げる。それと同時に、部屋の外でがたん、という大きな音が鳴った。

 思わず肩を跳ねさせたルディアが誰何するよりも早く、扉を蹴破らんばかりの勢いで小柄な人影が部屋に飛び込んでくる。

 

「ちょ、ちょっとトーナ、だめだよ……!」

「二人とも、出ていっちゃうニャ?」

 

 テルセナの制止を聞かず、飛び出したミニトーナに二人は面食らう。部屋の外で盗み聞きをしていたのだろう。

 エリオットは僅かに躊躇ったのち、結局口を開いた。

 

「雨季が終われば集落を出てくよ」

 

 ミニトーナは荒らげていた息を落ち着かせ、悄然と眦を下げた。

 

「ずっとここにいて欲しい、ニャ」

「トーナ……」

 

 小さく、呟くような声でテルセナがミニトーナの名を呼んだ。

 

「剣の稽古、嫌いだったけど今では楽しいニャ。それに、エリオットのお陰で人間語も結構喋れるようになったニャ」

「……」

「テ、テルセナも魔術の勉強がまだまだしたいはずニャ。それに……耳とか尻尾とか、エリオットやルディアなら好きなだけ触らせてあげるニャ! だから……」

 

 日頃の快活さを失ったミニトーナの表情に、エリオットの心が僅かに痛む。だが答えは変わらない。それが彼女たちを拒絶する意味合いを持っていたとしても。

 エリオットはかぶりを振ったあと、ミニトーナの目を()っと見据えた。

 

「それは……駄目だ」

 

 その言葉を聞いて、ミニトーナの眦が釣り上がる。

 膨れ上がる怒気──というよりも、癇癪だろうか。抗いがたい喪失感と、ままならない現状に、ミニトーナは感情を持て余している。

 

「ずっとここにはいられない。俺たちには帰らなきゃいけない場所があるんだ」

「……」

 

 だがその怒気もふっと萎んだ。唇を噛み、視線を落とす。だがミニトーナの癇症は収まることはなく、沸々とした怒りは沈澱したまま凝っている。握り締めた手が震えているのがその証左だ。

 

「なあ、トーナ──」

「触るニャ!」

 

 ぱん、と乾いた破裂音。

 肩に手を置こうとしたエリオットの手を、ミニトーナが弾いた。

 

「うっ……」

 

 突如走った痛みにエリオットが顔を顰めた。

 ミニトーナの鋭い爪が手のひらを傷つけたのだった。引っ掻かれた傷から僅かに血が滲み、指を伝う。

 

「エリオット、大丈夫!?」

「あ……」

 

 テルセナがエリオットに駆け寄る横で、呆然とした顔をミニトーナが浮かべた。

 謝罪の言葉か、何か言おうとして──顔をくしゃりと歪め、そのまま背を向けて走り去ってしまった。

 

「ちょっと、トーナ!」

 

 テルセナがミニトーナを咎めた。大人しめなテルセナにしては珍しい厳しい声。だがその声は届かず、部屋に反響して終わる。

 人数が減って静寂を取り戻した部屋で、ルディアが口を開く。

 

「……言ってなかったんですか?」

「……ああ」

「私も……トーナは知ってたと思ったんだけど」

「そういうのは、ちゃんと言ったほうがいいと思いますよ」

「わかってたつもりだったんだけどな……」

 

 エリオットとミニトーナが剣の稽古に精を出す傍ら、テルセナはルディアと魔術の練習をしていた。テルセナはそのときに聞いたのだろう。

 だがエリオットが言わなかったからといって、ミニトーナが知らないはずはない。いずれ離れるときがくる、という事くらいは知っていたはずだ。

 

「私、ちょっと叱ってくるよ」

「いや、いい。俺が追いかける」

「ええ。このままお別れっていうのも寂しいですからね」

 

 エリオットはミニトーナと、ルディアはテルセナと一緒に過ごすことが多かった。少女三人は同性同士で会うこともあったようだが、今回はエリオットが追いかけるのが自然に感じられた。

 

 

 

 

 

 幸いにして、集落をぶらついていたギースが走り去るミニトーナの姿を目撃していた。集落外縁に近い、今は使われなくなった物見台の方に向かったのだという。

 若いねえ、と茶化すギースにうるさい、と返し後を追う。

 何かから逃げ出したくなる衝動は、自分にも覚えがあった。人目を避けた場所に逃げ込んで時間が流れるままに任せる。ほんの数度きりだったが、ロアにいた頃はそうだった。

 

 ミニトーナの姿はすぐに見つかった。

 物見台の屋根の下で、膝を抱えて蹲っている彼女に声をかける。

 

「探したぞ」

 

 村の拡張に合わせ使われなくなった櫓は、古くなってはいるが頑健な造りで、雨が吹き込むことはない。小柄なミニトーナが座り込んでしまえば、手摺りもあり誰かから見咎められることもない。

 

「……」

「……」

 

 すぐ隣に腰を下ろし、手摺りに背中を預ける。

 ひっきりなしに屋根を叩いていた雨も今ではささやかにすら感じられるほどの小雨だ。この雨が止んだときが別れのときになる。

 三ヶ月。飛ぶように過ぎた魔大陸での日々を思えば、随分と長く感じられた時間だった。長過ぎるほどに。

 ミニトーナは膝を抱えたままちらりと視線だけエリオットに向け、すぐに戻す。

 

「……エリオットも、ルディアも薄情ニャ」

 

 視線を伏せたまま、ミニトーナがぽつりと呟いた。

 

「三ヶ月、一緒にいたニャ。剣の稽古ももっと見て欲しいし、人間語の勉強もまだ途中ニャ……」

 

 集落で生まれ、変わり映えのしない日々を過ごしていたミニトーナにとって、この三ヶ月は新鮮で掛け替えのないものになっていた。

 エリオットにとってもそれは同様だ。対等の友人が少ない彼にとって、地位や身分、家のしがらみに囚われない相手というものは得がたいものだ。

 だがそれでも、帰らなくてはならない。己の居場所はここではないのだから。

 

「俺も楽しかったよ。剣も、勉強を教えるのも」

 

 気難しい性格のエリオットにとって、珍しく素直な物言いだった。

 

「でも、俺はアスラに帰る。ルディアもだ」

 

 すん、とミニトーナが小さく鼻を鳴らした。目尻に涙が浮いていた。

 

「ミニトーナ。俺さ……上手く言えないけど、このまま別れたくない」

「……」

「今まで楽しかった。だから、別れ際くらい笑っててほしい」

 

 しばしの沈黙があった。

 

「エリオット、その、手……」

「ん? ああ……これか。このくらいすぐ治せる」

 

 ミニトーナの視線の先には、彼女の爪に傷つけられた手のひらがあった。血の滲む傷口に指を当てると、淡い光に包まれ傷口が塞がる。

 それを無言で見届けたミニトーナが口を開く。

 

「わがまま言ってごめんなさいニャ」

「ああ」

「あと、引っ掻いてごめんニャさい」

「いいよ。それくらい」

 

 ミニトーナはエリオットに向き直った。

 

「もう会えないニャ?」

「……」

 

 問いに、無言を通す。

 会えない、とは言わない。だがそれは長い別れとなるのは間違いない。

 帰郷後の自分の立場を思えば、容易に国を離れられるとも考え難い。それこそ、一〇年単位での別離だろう。

 

「なら、あたしがエリオットたちを訪ねるニャ」

 

 その言葉に、エリオットは僅かな驚きとともにミニトーナを見返した。

 

「いつかラノアに留学してる姉ちゃんを訪ねるって言ってたの、もう忘れたニャ? そのときに、ついでにエリオットとルディアの顔も見てくニャ」

 

 ミニトーナの顔には既に影はなかった。

 エリオットが探す間、既に心に整理をつけていたのだろうか。姉を訪ねるついで、というのもそれで閃いたのだろう。

 どう慰めたものか頭を悩ませていたばかりに、それが杞憂だったことに力が抜けて、エリオットは苦笑した。

 

「……テルセナも連れてか?」

「もちろんニャ」

 

 ふんす、と息をついてミニトーナは腕を組む。

 

「まあ、父ちゃんがそんな簡単に旅なんて許してくれニャいだろうし……いずれニャ、いずれ。首を長くして待っているといいニャ」

「そうか」

 

 そう言って立ち上がるミニトーナは、既にいつもの表情を取り戻していた。

 

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