ミリス神聖国首都、ミリシオン。
ミリス大陸西部を版図に治める神聖国、その東端に位置する聖都ミリシオンは、世界最大宗教のミリス教の聖地であると同時に、魔大陸の魔族や、大森林の獣族、
その国力、経済力こそアスラに譲るが、その地政学的観点からは練兵に対する情熱は大きい。軍備の充実さこそ劣るものの、騎士団の練度に於いては上回るだろう。
そんな聖都の座する肥沃な平原はミリスの国力の源となっており、それこそがミリスがアスラに次ぐ世界第二位の国家たらしめる要因である。
北東の青竜山脈より流れ出たニコラウス川の清流は、ミリシオンの中央部の巨大な湖──グラン湖に流れ込む。グラン湖には純白に輝く皇城ホワイトパレスが浮かび、その威容は聖剣街道からも目視できる。
ニコラウス川に沿って存在するのはミリス教の総本山たる黄金の大聖堂と、それに対を為すような白銀の冒険者ギルドの総本部。歴史の深さと、同時に格調高さを感じさせる街並みは、大陸最大都市の名に相応しい。
ホワイトパレスを臨む四方には居住区、商業区、冒険者区、神聖区の四区に分かれ、それらを更に囲うように七つの魔術塔が堅固な結界を敷いている。
「ふおお……」
「凄いな……」
きらきらと陽光を反射する湖と、その中央に浮かぶホワイトパレスを臨んで、ルディアは感嘆の息を溢していた。
グラン湖の周りは高い城壁のような堤防に囲まれており、ホワイトパレスほどではないものの、同様に白い建材が使われている。
思わず堤防から身を乗り出すと、視界いっぱいにそれらの景色が広がった。蒼天と湖の青と、パレスと堤防の白のコントラスト。夜の間にミリシオンに入っていたなら見れなかった光景である。
微風に栗色の髪が煽られて、毛先が馬の尾のように外套の上を滑った。鼻腔から清涼な空気を吸い込むと、この数ヶ月嗅ぎ慣れた森の緑の匂いとはまた違った匂いがする。
「どうよ、すげえもんだろ?」
「なんでギースが自慢げなんだよ」
まるで我が事のように胸を張るギースに、エリオットが突っ込みを入れた。
よそ見をした隙に、ルディアの手がずるりと滑った。おわ、と慌てた声を上げるルディアの外套を、ルイジェルドが掴んで持ち上げる。
「危ないぞ」
「すみません」
ルイジェルドが手を出さなくても落ちることはなかったろう。石造りの堤防に胸を打つ程度だったろうが、肝の冷える思いだった。
素直に恐縮して、ルディアは石畳に着地した。
「ほんじゃ、俺はアテがあることだし、ここまでだな」
「あれ、そうなんですか?」
そそくさと消えようとするギースに、ルディアは意外そうな声を上げた。
「なんだお嬢。別れるとなって俺が恋しくなったか?」
「寂しくはありますけど……何か急ぎの用でも?」
「んん、別にそういう訳でもねえんだが」
ギースの返答は何処か歯切れが悪い。
「何処の宿が安いとか、物価だとか色々教えてくれても良いじゃないですか」
「おいおい、まだ子守が必要ってか? 要らねえだろ。ここは魔大陸よかずっと治安もいいし安全だぜ。今まで通りでいいんだって」
「まあ、そういうなら……」
特に引き留める理由もなく、ルディアは頷いた。
集落とミリシオンまでの道中、彼の存在はパーティにとって多くの助けとなった。今後もいてくれれば心強いだろうが、別れると言うなら是非もない。以前の環境に戻るだけのことである。
「ギース、色々と助かった。ありがとな」
「おうよ。坊主もなかなか教え甲斐のある生徒だったぜ」
道中でギースと最もいた時間が長いのは、意外なことにエリオットだった。
ギースが狩りの時間を活用して、経験豊富な
無論ギースやルイジェルドには遠く及ばないものの、その技術は駆け出し冒険者パーティの斥候程度なら十分務まるという。
聞けばエリオット自ら斥候の技術を教えてくれるようギースに頼み込んだのだという。その向上心には感服するが、同時に料理を教えてくれなかったことに一抹の不満もあった。
「んじゃ、俺ぁ行くぜ。一応街を出る時は声かけてくれよ。どっかの賭場か酒場にいるからよ」
「んな適当な……」
「ああ、あと冒険者ギルドには顔出せよ!」
達者でな、とギースは手をあげ、それきり去ってしまった。その背中が雑踏に紛れ、消えていく。
悪友にまた明日な、と言う少年のような、ギースらしいさっぱりとした別れ際である。あの男は誰にでもこういう対応をするのだろう。そのからりとした気性は接していて気楽で良い。
「それじゃ、私たちも宿を探しましょうか」
「ん、ああ……そうだな」
振り返ったルディアがそう言うと、ギースの消えた雑踏を眺めていたエリオットは気のない返事をした。
×××
条件の良い宿を見つけるのに、存外に時間はかからなかった。
時期的に丁度良かったのもあるだろう。
ザントポートへと向かう商人や冒険者たちは、雨季が終わると早々に出立し、逆にザントポートからミリシオンへと来る者たちは到着にはまだ早い。
中央大陸西部や魔大陸と違い利用客の集中する時期がわかりやすい分、その時期を避ければ宿の確保は容易だった。
ルディアは小考の末、いくつかピックアップした宿のうち一つを選んだ。『夜明けの光亭』の主人に一週間分の家賃を先払いし、交渉の末に角部屋の確保と、食事にデザートを付けることを約束させる。ルディアやエリオットが自分で湯を出せるため、湯浴みの準備を無用と言ったのが効いたのだろう。大桶を借りるだけで事足りる。
銀貨数枚を手渡し鍵を受け取ったルディアは、部屋に入るやベッドにダイブしたい気持ちを抑え、エリオットやルイジェルドとルーティンを開始した。
機嫌良くシーツをめくり、ダニ殺しの熱風を送るルディアに、ルイジェルドはもっと安いところにしなくて良かったのか、と口を挟んだ。
「まあ、いいじゃないですか。資金にも余裕はありますし、減った分は稼げばいいんですよ。ミリシオンは魔大陸よりずっと割の良い依頼が多いんですから」
「そうか。お前がそう言うのならば良いが」
ルディアの言う通り、実際パーティの資金にはそれなりの余裕があった。魔大陸で稼いだ金はほとんどがルイジェルドの渡航費に消えたが、ザントポートでの子供達の警備で得た金に、獣族からの謝礼金を加えればそれなりの額にはなる。同じ宿でも二、三ヶ月は泊まれるだろう。
もちろん、たまには良い宿で泊まりたい気持ちがあったのも嘘ではない。六割方はそうである。
魔大陸の木賃宿では部屋に鍵などかけられなかったし、ベッドも藁と薄い毛布だけの粗末なものがほとんどだった。むしろそれならまだマシなほうで、底辺冒険者や浮浪者一歩手前の者たちが雑魚寝するような宿に泊まった事もあった。ルイジェルドが居たとはいえ、外套を着たまま、装備や荷物を抱えて眠らなければならず、気も休まらなかったのは記憶に新しい。
それに比べれば、この宿は──前世のビジネスホテルとは比べるべくもないが──天国のような環境であった。
鍵があり、窓には鎧戸に、安物だがカーテンも付いている。やはり安物だが柔らかいベッドは清潔で、その横には小さな椅子と文机が備え付けられている。路地裏に面しているため陽当たりは悪いが、同時に日中は涼しく過ごしやすいだろう。
荷を解いて街を一通り見て回り、夜も更け始めたころに、三人は部屋に戻りランタンを囲んでいた。灯りは他にもあるため部屋は暗くないが、雰囲気作りのためだと言う。ルイジェルドにはぴんと来なかったが、かつては冒険者に憧れていたエリオットはそのロマンを解した。
もはや恒例となった作戦会議の最中である。宿の隣には小さな酒場が併設されており、食事はそこで済ませていた。
明日は休日にしましょう、と切り出したルディアに首を傾げたのはエリオットである。
「体調が悪いのか?」
「そういうわけではないんですが」
「移動が長かったからな。疲れでも出たか」
「あー、体調は大丈夫ですよ。ほんとです」
ルディアは二人にぱたぱたと手を振って否定する。
「私も私で用事もありますので。手紙とかも書きたいですし」
「……手紙。そうか、手紙か」
もうそんなところまで来たのか、と呟くエリオットの、その表情の変化にまで気付かぬままルディアは先を続ける。
魔大陸を越え、ミリス大陸まで来てしまえば、出した手紙が届く確率もずっと高くなる。それでも何通か出さなくてはならないが。
「はい。まあそんなに時間をとる訳でもないですけど。半日くらいですかね?」
「ふむ。ならば俺も知人に会ってくるが」
「居たんですか? 知人」
「ああ、会うのは数十年ぶりになるがな」
数十年前に魔大陸で助けたという人族が、ミリシオンの街にいるらしい。ルイジェルドは街に入るまですっかりそのことを忘れていたが、『視えた』ので思い出したのだ。つくづく便利な能力である。
ともかく反対意見は出なかったので、ルディアは明日を休日と定めた。資金に余裕があるならば、休息を設けて精神にも余裕を持たせようという算段であった。
次はミリシオンでのおおまかな行動指針を決める。
滞在期間は概ね一ヶ月。その間は割りの良い依頼を可能な限り受け、一気にアスラまで渡ってしまえるだけの路銀を得るのだ。ミリスはアスラに次ぐ大国である。魔大陸で数年かけて稼いだ金を、ミリスで二、三ヶ月働けば容易に上回ってしまう。
スペルド族の名誉挽回も同時にこなしたいが、魔族に対する隔意の強いミリスでは梃子摺るだろう。効率を考えれば、多少ルイジェルドの事情は後回しになるかもしれない。そう伝えられたルイジェルドは、構わん、とただ一言告げた。
「エリオットはどうするんです? 手持ち無沙汰になるなら付いてきます?」
「あー……いや、俺はいいよ」
「そうですか?」
ルイジェルドと違い、エリオットに知己はいない。他に用事もないだろう。そう思っての言葉だったのだが、返答は否だった。
「何か用事でも?」
「用事ってほどでもないけど。ちょっと冒険者ギルドにな」
「依頼ならまた明後日三人で──ああ」
何処か歯切れの悪いエリオットに怪訝な目を向けていたルディアだが、なるほど、と手を打った。
人族の領域に入ったことで、冒険者ギルドに張り出される依頼も危険性の低いものが増えてきた。ルイジェルドとの鍛錬も欠かしていないエリオットが、ここらで一つ己の成長度合いを確かめようと思っても不思議ではない。おそらくソロか、あるいは適当なパーティと組んで依頼でも受けようという算段なのだろう。
もしくは。
エリオットもまた年頃の少年である。旅を再開してから一ヶ月余り、ルディアやルイジェルド、そしてギースと、常に誰かしらと一緒に居たはずである。ともなれば健全な男子として、溜まるものも溜まるのではないか。
つまりそういう欲望を発散する店に興味を持つのも、また自然な流れである。そう考えを至らせれば、ミリシオンに到着してから様子がおかしかったことにも説明がつく。
楽しむナニも無くなってしまったこの身を思えば複雑な気分だが、それでもその辛さには大いに理解の余地はあるのだ。
「あまり無駄遣いはしないようにしてくださいね」
「言われるまでもないけど……なんだよ急に」
生暖かくなったルディアの視線に怪訝そうにエリオットは首を傾げたが、真意を見破る事はできなかった。
「それじゃあ先に休ませて貰います」
「ああ」
ランタンの蓋を開けて灯りを吹き消すと、部屋の明度が一段下がる。
湯浴みを済ませ身綺麗になったルディアは、二人に断っていそいそと自分のベッドに移動した。湯を使い可能な限り身綺麗にして、旅に疲れた身体で清潔なベッドに潜り込むこの瞬間は、ルディアの密かな楽しみの一つだった。気の置けない仲間たちとの野営も嫌いではないが、見張りが要らず、土の匂いがしないというだけで熟睡の度合いはずっと違う。
「……おやすみ」
「ふあい」
はい、と返そうとして、欠伸が混じった。
急速に重くなっていく瞼に疲れを実感する。
その衝動に抗うことなく、ルディアは目を閉じた。
×××
ミリシオンの街並みは古く歴史を感じさせながらも、厳格な区画整理によって雑多な雰囲気を露ほども感じさせない。歴史の長さと言う観点から見れば、ミリシオンはロアのそれを上回っている。
行商人たちが露店を出す区画や、賭場や奴隷市場のある所では、粗野な冒険者や人族以外も目立つが、それでも魔大陸に比べればその治安は雲泥の差である。
涼やかな午前の爽気とは打って変わって、街を歩くエリオットの内心は暗く澱んでいた。
それでも努めて表情には出さず、雑踏の中歩みを進める。目的地は昨夜ルディアに伝えた通り、冒険者ギルドである。
そそり立つ白銀の威容は見上げるほどだ。ミリシオンのそれは冒険者ギルドの総本部であり、その規模は魔大陸のものとは比べ物にならない。
二年前の、ロアにいた頃の自分ならば、無骨ながらどこか壮麗な門構えを前にして心躍らせたかもしれない。
そんな益体もない感慨にふけりながら門を潜り、勝手知ったる風で広大なロビーに入り、受付を素通りする。
エリオットが冒険者ギルドに足を運んだのは、暇を持て余した末の金策でもなければ、腕試しでもなかった。
エリオットがルディアに目的を濁してまで別行動を取り、わざわざ一人ギルドを訪れたのは、どうしても確認をしなければならない事柄があったからだ。
端的に言うならば、現実を直視するため──その一事に尽きる。
エリオットのすぐ隣を、談笑する中堅冒険者のパーティが通り過ぎた。
午前とはいえ、既に昼も近い。
早朝に出かけたルディアとルイジェルドを見送った後、自分も早々に宿を出るつもりだったのだが、こんな時間になってしまったのは、心の何処かに躊躇いが残っていたからだ。
緩やかに歩調を落としたエリオットは、表情を消したまま掲示板の前に立った。
掲示板にはランク毎に分かれた依頼と、ランクを問わない緊急依頼。そしてその欄外には、ギルド利用者に対する案内や、雑多な伝言メモが貼り付けられている。
エリオットは依頼の類には目もくれず、欄外の貼り出しに視線を走らせた。
冒険者ギルド利用規約──違う。
新人冒険者講習会のお知らせ──違う。
知らず、呼吸が浅くなっていた。
意識の底を焦燥の炎で炙られている。
視界の中に、探していた文字列が映り込んだ。
『フィットア領難民は、下記まで連絡すること』
「……見つけた」
溜息のような呟きを漏らして、エリオットはその張り紙の文字を指先でなぞった。
甲龍暦四一七年、フィットア領全域に魔力災害が発生。人工物、自然物問わず消滅させ、領民を無作為に転移。転移先は中央大陸、ミリス大陸、ベガリット大陸、魔大陸と様々。現在フィットア領は都市ロアにて復興活動中。
難民発見者はフィットア領捜索団まで連絡されたし。また、難民を保護した場合は謝礼を──
「フィットア領、消滅……」
頭の芯が痺れたような心地だった。
自分を落ち着けるように、長く、細く息を吐く。
そのたった数文字が脳に浸透していくのに、然程時間はかからなかった。元より、その可能性は常に想定していたのだ。
(落ち着け。このくらいは、わかっていたはずだろ)
目を閉じ、胸に手を当てて己に言い聞かせる。脈拍に乱れはない──それでいい。無様を晒すなら、無事にフィットア領に帰郷して、領地の惨状を目の当たりにしてからだ。少なくとも今は、その時ではない。
魔力災害の被害者は自分たちだけではないのではないか、という懸念は、実に一年半もの間エリオットを苛み続けていた。
それでも何処かで、仄かな希望に縋っていたのかもしれない。転移させられたのが自分たちだけで、帰りつけば以前と変わらぬままのフィットア領があるものと。
だが冷静に考えれば、それが甘い想定であることはすぐに知れる。転移直前に、自分たちを呑み込んだ光の奔流──その起点がロアの街であったのは間違いない。光に呑まれた者が例外なく魔力災害の被災者となったならば、最低でもロアは消し飛んでいるはずだと。
それを受け入れる覚悟が出来ていたかと問われれば──その答えは是だ。
だが、同時に仮定に思考を浸す。
フィットア領消滅の事実。その現実がなんの覚悟もないままに、唐突に突きつけられたとしたら、己は平静を保ってはいられたかどうか。少なくとも、酷く動揺したはずだ。
ルディアはそれをわかっていたからこそ、フィットア領消滅の事実を自分に伏せていたのだ。
「……ッ」
動揺は最小限だった。覚悟さえ出来ていれば、ただ現実をそのまま受け入れるだけの度量はあった。
しかし、苛立ちに唇を噛む。
ルディアに気を遣わせた己が恨めしく、未だ信任の得られぬ事実が腹立たしい。
「大丈夫ですか?」
声をかけられて、顔をその方向へ向ければ、妙齢の受付嬢が心配そうな面持ちを向けてきている。
その手には数枚の依頼の貼り紙。大方、追加の依頼を貼り出そうとして、掲示板の前で立ち尽くすエリオットを見咎めたのだろう。
「なんでもない」
邪魔をしたことを詫びて、冒険者ギルドを後にする。
昨夜ルディアに、冒険者ギルドで依頼を受けると言ったのはただの方便であった。
「……行くか」
エリオットが足を向けた先は宿屋街の大通りである。
ギルドからそれなりに近く、中堅以上の冒険者がよく利用する地域で、近場では鍛冶屋や雑貨屋が店を開いている。
その中の、大通りに面した一つの宿屋がエリオットの新たな目的地であった。
『門の夜明け亭』。先ほどギルドで確認した、フィットア領捜索団のミリシオン支部がそこであった。
そこで可能な限り情報を集める。いささか独断専行のきらいはあるが、自分たちに不都合な展開になるとも思えなかった。
ルディ子はシーローンでパックスされる?(回答結果による今後の展開の変化はありません)
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される
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されない