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パウロは一人、酒を呷っていた。
丸テーブルの上に乱雑に並べられた酒瓶は、数刻前と比べ明らかに数を増している。
味など大したことのない安酒だが、それでも度数はそれなりにある。下戸ならば早々に酔い潰れ、夢も見ないほどの昏睡に陥るだろう量だ。酔漢染みた風体のパウロだが、しかし酒精に溺れるほど酔えているのかと問われれば、それは否だった。
元より酒には強い体質である。浴びるほどに飲めば酔えるが、酔い潰れるほどとなるとそうもいかない。それでも酒を飲んでいれば時間が過ぎるのは早くなる。
いつもなら、これだけ飲めば前後不覚までとは言わずとも、思考を鈍化させ眠気を呼ぶには十分なほどだ。だのに、今日に限って時間の進みが遅いのだ。酒が足りない。酔いが、酒精が足りない……
いや、理由などわかっている。
問われるまでもない。昼間に再会した、我が子ルディア。この酒場で起こった長女との一悶着、その記憶が、パウロの腹の底に居座っているのだ。
忌々しげに舌打ちし、酒瓶から木製のコップに酒を注ぎ出す。明らかに不機嫌なその様子に、酒場の誰も話しかけてくることはない。夜の帳が下り始め、酒場から団員が減り、一般客が増え始めれば尚更である。
酒を一息で呷り、口元を袖で乱雑に拭う。いつものように、早々に泥酔し、部屋に戻ってそのまま眠ってしまいたいのに。酒瓶を傾けると、もう数滴しか残っていなかった。空の酒瓶を横に退け、新たな酒瓶を手に取る。
それを新たに注ぎ足そうとして、パウロの肩に手が置かれた。動きを阻まれたパウロがその腕の主を剣呑な目で睨み据える。が、発した敵意もすぐに霧散した。
「よおパウロ。まぁた飲んでんのかよ」
「ギース……てめぇ。今まで何処ほっつき歩いていやがった」
「なんでぇ、ご挨拶だな」
振り仰いだ先にいたのは、見覚えのある猿顔の魔族、ギースである。
ギースはへらへらと笑いながら丸椅子を引き寄せて座ると、勝手知ったる風でパウロと同じ安酒を注文する。
「相っ変わらず不機嫌そうな面しやがってよ。誰も寄りつきもしねえじゃねぇか」
「大きなお世話だ」
不機嫌さを隠しもせずに吐き捨てて、パウロは舌打ちした。
その様子を頬杖を突きながら可笑しそうに眺めていたギースは、悪戯を仕掛ける悪童のような表情で口を開く。
「なあパウロ、こんなとこで安酒をひっかけてんならよ、明日、冒険者ギルドに顔を出してみろよ。面白え奴と会えるかもしれねえぜ」
憚りない物言いに、憮然とした店主から「こんなところで悪かったな」と声が飛んだ。
その要領を欠いた言い回しに、パウロにも思い当たる節はあった。思えば今日の昼にして、今日のこの男の帰還である。タイミングとしては疑うべくもない。
「ルディか」
「なんだよ、もう会ってたのか。その割には嬉しそうじゃねえな。喧嘩でもしたか?」
問いに答えず、パウロはコップに口をつけた。胃の腑に酒精が落ちていき、熱をもつ。
「何があったんだよ。話してみろって。な?」
邪気のない笑みを浮かべたギースは、身を乗り出すような前傾姿勢でパウロを促した。
その遠慮のない態度は、冒険者時代を想起させる。かつてパーティメンバーと揉めたときも、こうやってギースはパウロから話を巧みに聞き出したものだ。
隠すほどのことでもない。あの場にいた捜索団のメンバーに話を聞けば、すぐにわかる内容でもある。
パウロは酒臭い、一際大きな溜め息を吐き出すと、昼間の出来事を滔々と語り始めた。
再会の場こそ最悪といって差し支えない有様だったものの──パウロとて、我が子との対面に何の歓びを見出さなかった訳ではない。
その感情の多くに、ルディアが離れ離れとなった家族たちの情報を持っているのではないかという希望が混じっていたことは、否定しようのない事実ではある。純粋な気持ちで再会を喜べなかったものの、それでもルディアとの再会を喜ばしく思ったのもまた事実なのだ。
だがその後の展開は芳しくないものだった。
期待したような情報はまるで得られず、ルディアは何の益体もない話を延々と垂れ流した。そんなに旅を楽しむ余裕があったならば、他にやるべきことがあったはずなのに。
それを指摘し、反論され、言い返すうちに口論に発展し──気付けば娘の胸ぐらを掴み上げ、一年半の間で積もった怒りをぶつけていたのだ。
それに対し、反省する気持ちがない訳ではない。どれほどの暴言を吐かれても、娘に手をあげたのはパウロの非だ。それは認めよう。だが災害よりこのかた、遊び呆けていたルディアに浮気を疑われ、それを詰られたのだ。平常な人間なら、激昂するのも当然のはずだ。
フィリップの次男──エリオットが言い放った言葉も、捜索団の一部や、パウロからすれば酷く許し難いものではあった。それはまさに貴種としての特権を振りかざし、無辜の民を顧みぬ傲慢なものであったからだ。時間を置いた今でさえ、思い出すだに腹立たしい。だが冷静に思い返してみた上で、その意図を読めぬほどパウロも耄碌したつもりはなかった。
あれは明らかに、ルディアを庇っていた。
パウロの、そして捜索団の目からルディアを背に庇い、その視線を受け止めていた。
だがあの言葉が本意でなかったとして、それでパウロの苛立ちが薄れても、なくなることはない。エリオットのあの強い視線──まるで、パウロこそを悪と断じるようなその視線は、未だに脳裏に居座っている。
捜索団の団員たちも大部分が、エリオットのあの言葉は、ルディアを庇うためのものだったと了解しているようだった。
四半刻ほど続いた愚痴混じりの独白に、結果としてギースから突きつけられた言葉は、お前は子供に期待を向け過ぎだ、というものだった。
「はあ? 期待だって? 俺が、ルディにか?」
「そうだ。そりゃ確かに嬢ちゃん……ルディアはすげぇ。無詠唱の魔術師で、一人で何体も魔物を倒してのける、本物の天才だ。
でもよ、よく思い出してみろよ。あいつはまだ十一歳のガキなんだぜ?」
ギースの言葉は、パウロの酒を呷る手を止めた。
「どんなに優秀な天才様でも、十一歳とちょっとしか生きてねえケツの青い娘っこだぜ。それに一体何を期待してんだ?」
「ギース、いつになく話が回りくどいじゃねぇか。わかりやすく言ったらどうだ? 『俺様の顔を立てて、仲直りしろ』ってよ」
ギースはテーブルの上のつまみを頬張りながら、やれやれと言わんばかりに鼻息を噴いた。
「そういうお前は相変わらずせっかちだよな。まずは俺様の説法をありがたく拝聴しろってんだ」
「へっ、魔族が坊主の真似事かよ」
「懺悔なら聞いてやるよ。特別に今日はご寄進は無しでいいぜ」
「ほざいてろ」
さて、どこまで言ったか、とギースはアルコールで唇を湿らせる。
「家も出てねえガキの頃のお前が、身一つで魔大陸に放り出されて、無事に生きて帰れるか?」
「ギース、何か忘れちゃいねぇか? うちの天才様はよ、強い強い魔族の護衛と、剣もできる坊ちゃんに守られながらここまで来たんだ。
護衛を何人も引き連れた貴族のボンボンが、迷宮の浅いとこに潜って冒険者気分を味わうのと大して変わりゃしねえ」
「いいや違うね。お前は魔大陸のことを何もわかっちゃいない」
その語り口は、一〇年前と何ら変わっていなかった。
ギースは荒れるパウロを宥めすかすような口調で生まれ故郷について語る。
「俺の故郷は……っつーか魔大陸はな、そりゃあ厳しい土地でよ。雨は降らねえし木もろくすっぽ生えてねえ。魔術が使えなきゃ水もねえし、焚き火一つ熾すにしたって、魔物を狩らなきゃ事欠く生活だ。
だのにその魔物は、最低でもCランクだ。それが街道もねえ大地にうようよといやがる」
「ほんとかよ。幾らなんでもフカシ過ぎだぜ」
「俺ぁ冗談は言ってねえぜ。こんな嘘吐くかよ」
「どうだかな」
パウロにとってギースの言は聞くに値するものだったが、それもこの男の吐く言葉が真実ならばの話である。
そしてパウロの常識に照らし合わせれば、深い森や迷宮の奥にいるCランク相当の魔物が、掃いて捨てるほどいる環境というのは俄かには信じがたい。なにより信憑性を損なうのは、それを語るのがギースというところにある。
だがギースはいつになく真に迫った表情で、聞き分けのない子供に言い聞かせるように続けた。
「で、そんな環境に、多少は剣が出来るとはいえ、貴族の坊ちゃんと放り出されて……そこでルディアは出会う訳だ」
「例のスペルド族だろ」
「そう、強くておっかねえルイジェルドの旦那だ。俺の見立てだと、ありゃ帝級は……っと、そうじゃねえな」
「最高じゃねえか。そんだけ強え護衛なら、身の安全は保障されたも同然だ」
「本当にそう思うか?」
「何?」
意味ありげに混ぜ返すギースに、訝しげな声を返す。
「ルディアはおっかなかったろうな。文化も違けりゃ常識も違う魔族、それも御伽話に聞くスペルド族が相手ときた。いつ気が変わって捨てられるか、あるいは……ってな。
聞いたことねえか? 魔大陸ってな、地方によっちゃ人族は狩猟対象なんだぜ。でけえ街ならともかく、部族単位の小さな集落なんか、怖くて寄りつけやしねぇ」
パウロは黙りこくった。
魔大陸でも、比較的人族の領域に近いウェンポートならば、治安はまだマシなのだろう。だがそこから離れるにつれ、加速度的に人族の比率は下がっていく。
魔物が増え、資源も少なければ、その場に残るのは弱肉強食の理だけだ。適応できない者から死んでいく、酷薄で非情な世界である。
「そんな状況で、差し伸べられた手を振り払えるか? ミリス大陸や中央大陸北部なら、二人でもやっていけたかも知れねえが、魔大陸じゃそうはいかねえ。
結果ルディアが考えることはシンプルだ。恩を売って、情で縛る。神経をすり減らしながら、一年半かけてな」
「……」
「見知らぬ土地に着の身着のままで飛ばされて、魔族の機嫌を窺いながら、旅のための路銀を稼ぐ……
昔を思い出してみろよパウロ。冒険者になりたての頃は、草むしりとか下水掃除とかでしか依頼をこなせなかったんだぜ。ランクを上げるのだって一苦労だ」
「……じゃあ、なんだ。なんでそこまで苦労した奴が、楽しそうに冒険の話を語るんだよ」
ギースはしばし口を噤んだあと、顎を撫でさすりながらパウロの目をじっと見つめた。
「なあパウロ、お前最近鏡見てねえだろ」
「あ? 鏡? んなこたどうだっていいだろ。今の話と何の関係があんだよ」
「大有りだ。俺にゃあルディアの考えが手に取るようにわかるぜ。──日がな一日飲んだくれて、髭も剃ってねえ親父に、これ以上心配をかけさせたくねえっていう子供心がよ」
言われてはじめて、パウロは我が身を顧みた。いつからか身嗜みになど、まるで気を遣わなくなって久しい。仮にギースの言ったことが真実で、娘に気遣われていたのだとしたら、苦々しく思わざるを得なかった。
「のんきに旅をしてきただって? 何よりじゃねえか。親ならまずは無事に再会できたことを喜べよ。捜索だなんだってのは二の次だろ?」
パウロはギースから顔を背け、舌打ちした。
それは奇しくも、昼間に吐き捨てられた言葉と同じだったからだ。そんなことはわかっている、と声を大にして言いたい気持ちはあった。だがここで再び癇癪を起こし、ギースに怒りをぶつけるほどパウロは子供でもなかった。
眉間の皺を揉みほぐしながら、パウロは降参だとばかりに頭を垂れる。
「ああ、そうだな──まったくその通りだよ。ギース、お前の言ってることは何一つ間違っちゃいねえ」
「ほん?」
「だがよ、一つ疑問があるんだ」
それはザントポートを経由したであろうルディアが、何故魔力災害の全容を把握していなかったについてである。
街の酒場や役所以上に、そういった情報が集まるのが冒険者ギルドである。冒険者として登録し、それで日銭を稼ぎながら旅を続けていたというのなら、冒険者ギルドに立ち寄らない理由はなかったはずだ。
その最もな疑問を受けて、ギースは苦虫を噛み潰したような顔をした。話すべきか、迷っているようでもあった。
「あの……団長、すみません」
その会話の途切れたところで、団員のヴェラがおずおずと近寄ってくる。聞こえぬまでも、パウロとギースの会話を遠巻きに見守っていたようだった。
普段の下着も同然なビキニアーマーではなく、庶民の着るようなニットとズボンといった、露出を控えた格好である。
「なんだ、ヴェラか。誰かと思ったぜ。どうした?」
「いえ、その……ご息女のことなんですけど」
「ルディか? 昼間のことならお前が気にすることじゃない。あいつが邪推しただけだ。次会ったときに誤解は解いとくよ」
「そのことも、そうなんですが」
ヴェラは引き下がらず、言葉を濁す。
「これは、言うべきか悩んだんですが、やっぱり伝えておくべきかと思いまして……」
「お、おう。なんだ?」
深刻な表情に、パウロは訝しむ。
ヴェラはしばらく言い淀んだあと、しおらしく眉尻を下げながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「その、落ち着いて聞いて欲しいんですが。
ご息女は、もしかしたら……男性から暴行を受けたことがあるのかもしれません」
「な、……なんだって?」
ヴェラの口から語られたその言葉を、パウロが呑み込むには数秒の時間を要した。それほどまでにその事実は突拍子のないもので、同時に受け入れがたいものでもあった。
「昼間の喧嘩で、ご息女が団長を挑発されたときに……」
激昂したパウロが、胸ぐらを掴み上げたとき──そのときの反応を、ヴェラは間近で見ていたのだ。
悲鳴を呑み込むような、喉を引き攣らせた表情。おそらくは無意識のうちであろう、襟元を固く握りしめるその仕草。それら全てがヴェラにとって見覚えがあるもので、彼女がかつて身をもって体験したものでもあった。
呆けたような表情で、しばしパウロは聞いていた。
だが説明を受けるうちにじわじわと理解が及んでいき、己の顔面から血の気が引いていくのを実感する。
「おい……おい、ヴェラ、冗談だよな? 流石に笑えねえぞ」
現実を受け入れかね、力ない声で質すも、ヴェラは痛ましそうに眉根を寄せたままだ。
「一応、シェラにも確認を取ってみたんですが、私と同じことを感じてたみたいで……」
これが、見知らぬ相手から言われたことだとしたら、パウロは一顧だにしなかっただろう。ルディアに会う前だったなら、巫山戯たことを抜かすなと激昂していたはずだ。
だがヴェラとシェラの姉妹の言は、到底聞き流せるものではない。かつて野盗に囚われ、パウロたちに救出されるまで慰み者にされていた過去を持ち、現在では性被害に遭った難民のカウンセリングも担当している姉妹である。
レイプ被害者として、そしてカウンセラーとして捜索団に身を置く彼女たちから見たルディアは、程度の差こそあれ似たような思いをしたのだろうと判断するには充分だった。
「馬鹿な……そんな、ルディ……嘘だろ?」
「でも、もしかしたら私たちの勘違いかもしれませんし……」
取り繕ったような希望的観測が、何の慰めにもならないことをヴェラは口にしながらも理解していた。
パウロは身を乗り出しかけていた腰を落とし、震える手でコップを握りしめる。
パウロの脳内では、あり得ない、という思いと、もしかしたら、という懸念が反響していた。暴行を受けた、と……字義を理解しても、それを受け入れるのを脳が拒んでいる。
「ギース。お前、なにか知ってるんじゃないのか?」
俯いた視界の端で、ギースが額に手を当てているのを見てとったパウロは、鬼気迫る表情で食ってかかった。
その様子にギースは特大の溜め息を吐きたい気分に駆られた。
もちろんギースに思い当たる節はある。言わずに済めばそれに越したことはない話ではあるし、ルディアとて父親に話されることを望むまい。見知った彼女の気持ちを思えば、出来れば秘め隠しておきたい話だった。
だが、ここに及んで沈黙を通せば、状況が悪化するのは目に見えている。むしろフォローの意味合いを込めて、ギースは言葉を選びながら口を開いた。
「俺がルディアを見つけたのはな、ドルディアの集落の、牢の中だ。
人族の子供が捕えられてるってんで見に行ってみりゃ、年端もいかねえ娘っこが、全裸に剥かれて床に転がされててよ。目を疑ったぜ」
「ドルディア……獣族の……」
「なんでも、聖獣に襲いかかったって冤罪をかけられてたらしいぜ。あそこじゃあ、聖獣は獣神の次に偉いからな」
パウロにも聞いた覚えはあった。
獣族は裸に剥かれることに最大の屈辱を感じるのだと。冤罪とはいえ、聖獣を襲うと言うのは、獣族にとって神を冒涜するに等しい重罪である。だが、だからといって子供にする仕打ちではない。
顔面を蒼白にするパウロに、ギースは「安心しろよ」と嗜めた。
「俺の知る限りじゃあ、ヴェラが言うようなことはされてねえはずだ」
「そ、そうか」
ただな、とギースは前置く。
「服を剥かれたとき、すげえ抵抗したらしくってよ。後手に縛り上げられて、挙句猿轡まで噛ませられてた。
その上、看守がろくでもねえ奴でな。秋口の夜も冷え込む頃だってのに、冷水をぶっかけられて、縛られたまま毎日殴られてたみたいだぜ。
それがトラウマになっちまったんじゃねえかな。俺が来たときにゃ、酷く怯えられちまった」
「な……」
陵辱はないというギースの保証に、必要最低限の安堵を得たパウロだったが、続く話には絶句せざるを得なかった。
それは十一歳の少女が味わうには過ぎた地獄である。
パウロならば、悪態を吐きながら耐え切ってみせよう。精神の強い成人した男なら、耐えられぬ程ではない。だがそれが子供ならば。まして年端もいかぬ少女が──我が子が味わったとあっては。
目が眩むほどの獰猛な怒りに、パウロは歯を軋らせる。握られた木製のコップにみしり、と罅が入った。
「おいパウロ、落ち着けって。周りに殺気を撒き散らすんじゃねえよ。客が逃げちまうだろ」
「これが落ち着いていられるかよ」
案の定、怒気を噴き出すパウロに溜め息をついて、ギースはしかめ面で頬杖をついた。
「いいや落ち着いてもらうぜ。お前が幾らキレても、その怒りをぶつける相手はもういねえんだ。看守は死んだし、族長と戦士長からの謝罪を受けて、ルディアはそれを許した。もう終わった話なんだよ」
「──くそッ」
パウロは悪態をつき、がくりと項垂れた。
指向性を失った怒りが腹の中で渦巻いて、沈澱していく。知らぬ間に我が子に訪れていた危機。それが自分が蚊帳の外のうちに解決していた安堵感と疎外感。そしてそれを関知しようともしなかった己の態度。
だが、それをどうやって知れと言うのか。何かの偶然が積み重なってルディアの危機を察したとして、それで己がどうにかできたのか? 捜索団も規模こそそれなりだが、実態は大部分が元町民や農民の集まりだ。元冒険者などの人材は数えるほどしかいないのだ。
(いや……それも言い訳だ)
ルディアなら無事だろうと、魔大陸に転移しても余裕をもって踏破できるだろうと、そう何の根拠もなく決めつけて思考停止していたことこそ、度し難い怠慢なのではないか。
自己嫌悪と自己弁護が脳裏で巡って渦を巻く。
終わりのない思考のループに陥りかけたその瞬間、ギースが指先でテーブルを叩いた。
「旅の間のことは悔やんだってしょうがねえ。問題は昼間のお前の態度についてだが……まあ、明日会って謝るこったな」
「ああ……」
立ち上がり、酒場から出て行こうとしたギースが、おもむろに振り向く。
「朝イチで『夜明けの光』亭に行けよ。出て行っちまってからじゃ遅いんだからな」
「わかってる……」
念を押すように繰り返すギースの言葉を呆然と聞き流し、パウロは飲みかけのコップから手を離す。
最早アルコールに耽溺している場合ではないということは明らかだった。同時にそれは、酒精に頼らずに現実を直視せねばならないということでもあった。
「畜生……ルディ、どうして……畜生……」
×××
気がついた頃には、ルディアは『夜明けの光』亭の一室に戻ってきていた。
帰り道ではエリオットに手を引かれたまま、終始俯いていた。まるで櫛の歯が欠けたように道中の記憶が判然としないが、それでも促されるままに、地面を見つめながら漫然と歩を進めていたのは思い出せる。きっと手を引かれなければ立ち止まってしまうような有様だったに違いない。
エリオットに促されるままにベッドに座って、どれほどの時間が経ったのか。のろのろと顔をあげると、窓から見える路地裏の壁は夕焼けに赤く染まりつつあった。
欠け落ちたような時間の経過に思いを馳せたところで、何の意味があるのか。ふと見下ろせば、身に付けていたポーチこそ乱雑にベッドの上に放られているが、靴も脱がず、外套に袖を通したままだ。酷く緩慢な動作でブーツを脱ぎ捨てて、両足をベッドに引き上げるように膝を抱える。
「……」
脳が痺れたように働かなかった。
パウロが発していた、怒気と隔意。あれらは紛れもなく、ルディアに向けられたものだった。
味方だと思っていた、肉親から向けられた負の感情。晒された暴力。それはルディアの精神を打ちのめすには十二分で、忘れかけていた前世の記憶を呼び起こした。
怒気に顔を染め、胸ぐらを掴み上げるパウロと、前世の兄弟たちの顔が、脳裏で重なった。
自分は、何をどう間違えたのだろうか。
魔大陸に転移してから、様々な苦難に見舞われてきた。未知の文化と風土に、過酷な環境。その只中に、着の身着のままで放り込まれた孤独感。自分たちはそれらと戦い続けてきたのだ。その上、人族は魔大陸においてどうしようもないほどに弱者だということを思い知らされた。多くの多種族がルディアたちを付け狙った。地方によっては、魔族にとって人族は狩猟対象でもあったのだ。
もしルイジェルドの助けが得られなかったら、たったの一年で魔大陸を縦断できただろうか。
自分は可能な限り、己の手の及ぶ範囲で最善を模索してきた。確かに瑕疵はあった。
おそらく、そんな余裕はなかったとはいえ──魔大陸で日銭を稼ぐ傍らで、転移被害者の捜索をしなかったのは己のミスだ。子供であることを利用し、ルイジェルドに助けを乞えば、スペルド族の名誉回復よりも優先させることもできたかもしれない。
道中の苦労話を聴かせなかったのも、久々に再会した家族に心配をかけさせまいという気持ちがあってのことだった。だが多いに誇張したそれは、心身を擦り減らして家族の捜索に当たっていたパウロにとって、酷く腹立たしいものに聞こえたかもしれない。それをルディアの配慮不足と詰るなら、なるほどそれもそうなのだろう。
最後の口論も、互いに一線を踏み越えた結果のものだ。少し思慮を巡らせれば、パウロが他の女に
もう一度話すべきだ。
昼間のことは、全て不幸なすれ違いだった。
パウロも、自分も、冷静に話し合うには余裕というものが欠けていた。互いにもう一度顔を合わせ、事情を説明し合えば、認識の齟齬を埋めることができるはずだ。
ああ、だが。
この一年半の間、ずっと再会を待ち望んでいたはずの家族に突き放されるというのは──思いの外、
再会の時に、言おうとしていた言葉もあった。長い旅路の間には苦労もあったが、それでも楽しいものだったと。自分もそれだけの成長をしたのだと、そう伝えたかった。あまり認めたくはないが──ルディアはただ、褒めて貰いたかっただけなのだ。
成長したなと、よく帰ってきたなと、ただそう言ってくれるだけで、旅の間の苦労も報われた。
それも、拗れてしまった今となっては望むべくもない。
肉親だからといって、無条件に味方をしてくれる訳ではないということなどわかっていたはずなのに。再会さえできれば、かつての平和で幸福な家族の姿があるものだと、そう期待していたルディアはやはり愚かだったのだろうか?
決意に身体がついて来ず、時間ばかりが過ぎていく。窓から差した斜陽が、部屋を赤く染めつつあった。
「……明日、ミリシオンを発とう」
背嚢に荷物を詰めたエリオットが言った。
既に宿を出る準備だけでも済ませているようだった。
返答を期待して、大丈夫か、と安易に問うてこない姿勢がルディアにはありがたかった。何かしら問われたところで、今のルディアには黙然と首肯するか、首を振る程度の気力しか湧かなかっただろうから。
黙然と蹲っていたルディアは、気だるそうに顔を上げた。どれほど口を開くのが億劫でも、確認せねばならないことはある。
「知ってたんですか? フィットア領のこと」
「……うん」
脈絡のないルディアの問いに一時は疑問符を浮かべたエリオットだが、何の衒いもなく頷く。
「……いつから?」
「ロアがもう無いだろうなっていうのは、転移したときから薄々気付いてた。でもフィットア領が丸ごと消えてるって知ったのは、今朝だ」
「冒険者ギルドで、確認したんですか?」
「ああ」
冒険者ギルドでおおまかな事情を察したエリオットは、詳しい情報を集めるため捜索団の拠点がある『門の夜明け』亭まで足を運び、それでルディアたちの口論の現場に出くわしたのだという。
「ごめんなさい、エリオット……私、気付いていなくて。魔大陸で探していたら、エリオットの家族の誰かは見つかっていたかもしれないのに……」
懺悔のような独白にエリオットは首を振る。
「魔大陸じゃ、他に余裕なんてなかった。あれが最善だったんだ。ルディアが気に病むことじゃない」
エリオットの言はルディアを慰めるものであったが、同時に正論でもあった。仮に難民や、エリオットの親族を魔大陸で見つけることが出来たとして、それらを保護しても、その時点で『デッドエンド』は身動きが取れなくなっていたはずだ。魔大陸の過酷さを思えば、他に気を回す余裕はなかった。
悄然と俯くルディアの耳に、きぃ、と扉の軋む音が響く。
顔を向けると、槍と荷物を手にしたルイジェルドが部屋の入り口に立っている。彼は灯りの付いていない薄暗いままの部屋を訝りながら、後手に扉を閉めた。
「何処かで揉めたか」
薄暗い部屋の中でも、ルイジェルドの視力は常とは様子の違う二人を仔細に見てとった。
エリオットはその問いに応えることなく立ち上がる。
「ルイジェルド。明日、この街を出る」
「何かあったのか」
「……」
「この宿にも一週間は滞在するはずだったろう?」
話せ、という要請にルディアはしばし沈黙したあと、ぽつりと口を開く。
「この街に、父様がいました」
「ルディア」
制するようなエリオットの声。対するルディアの声は重く沈んでいる。
ぽつ、ぽつとあった事を話すうち、ルイジェルドの表情は険しくなっていった。
「街を出るのか?」
「……」
黙り込むルディアに、様々な感情が混じった視線を向けながらも、しかし声音は明瞭にルイジェルドは言う。
「ようやく再会したはずの父親なのだろう。もう一度きちんと話し合え」
「話し合いの余地なんてあるか」
その言葉に反応したのはエリオットだった。
ルディアがけなされ、悪し様に罵られる様を目の当たりにしていたエリオットには、それが愚にもつかない提案であると思えてならなかった。
無論エリオットとて、ほんの数度きりとはいえパウロとの交流はあった。二年ぶりに見たパウロが様変わりし、見る影もないほど荒れている様に解せない気持ちもある。だが、その上でエリオットは、ルディアはパウロと距離を取るべきだと判断していた。
「お前は親子喧嘩に口を出すな」
「……あれは。あんなものは、親子喧嘩なんかじゃない」
「……」
ルイジェルドはエリオットの言葉と、それを否定しないルディアの態度を吟味したあと、それでも意見を違えるつもりはないようで、かぶりを振る。
「苦しいかもしれんが、もう一度話し合え。今何も言わずに出て行ったら、必ず後悔するぞ」
言うべきことは言ったとばかりにルイジェルドは踵を返す。最後に二人を一瞥したあと、そのまま部屋を出て行った。
部屋に二人が取り残され、再び沈黙が下りる。
顔を伏せたままのルディアに対し、エリオットは身の置き場に困ったのか、しばし立ち尽くしたあと、結局隣に腰を下ろした。
二人分の体重に、ぎしりと寝台が軋んだ。
肉親に拒絶され、憔悴する彼女にかける言葉を、エリオットは持ち合わせてなどいなかった。何を言うべきか……どう慰めるべきか懊悩するうちに、漫然と時ばかりが過ぎていく。
部屋に下りた沈黙に耐えきれず、立ち上がろうとしたその刹那、ぽつりと独白のようにルディアが溢した。
「話し合うべきだとは、思うんです」
浮かせかけた腰をもう一度寝台に下ろして、エリオットは口を開いた。
「無理に話し合う必要なんてない」
隣のルディアが無言で首を振った。それを気配で察し、エリオットは唇を引き結ぶ。
「……父様は、魔力災害からずっと家族を探してました。だから、あんな言い方をしたら怒るのも当然で……
私と、父様の仲が拗れたままになったら……それも、仕方ないと思います。でも、母様やリーリャたちは探さなきゃいけないから」
情報の擦り合わせ、未探索地域の確認など、パウロと顔を合わせなければできないことは多い。パウロと関係を絶ったまま、ルディアが独自で家族を探すにしても、それでは手探りも同然であり、あまりに非効率だ。
でも、とルディアはそこで言葉を切り、迷うように唇を
「父様は……私の顔を見ることも、もう……」
今回の確執は、どちらか一方にだけ過失があった訳ではない。どちらにも非はあり、何より間が悪かった。
そう頭では理解していても、あの酒場にもう一度戻るのは、どうしようもないほどに怖気付く。パウロだけではない。あの酒場にいた捜索団全ての視線が、今もルディアを苛んでいる。
それきり言葉を切ったルディアに視線を遣ったエリオットは、今更ながらに、その細い肩が震えていることに気付いた。
思わず、エリオットはその肩に触れていた。
「……エリオット?」
「……」
父親のことなど忘れて旅に戻れと、そう説得したところでルディアは納得すまい。だがもう一度父親と顔を合わせるのも、竦んでしまうほどに耐え難いのだろう。
かけるべき言葉を持たず、状況を打開するだけの案もないまま──それでもその震えをどうにかして止めたくて、エリオットは手を伸ばし、ルディアの肩を抱いた。
ルディアは抵抗しなかった。ただ小さく身を震わせただけだった。その肩の華奢さに動揺しながら、壊れ物を抱くかのようにそっと力を込める。
「ごめん。俺には、これくらいしかしてやれない……」
ルディアはそれに応えずに、エリオットのもう片方の手を取り、膝の上で握った。
人肌に触れたのは、いつぶりだったか。その思ったよりも高い体温に、固い手のひらに、自分でも驚くほどに安堵する。まるで、恐怖に
どれほどの時間そうしていたのか。ルディアは閉じていた瞼を開けながら口を開く。
「……明日、父様と話してみようと思います」
「大丈夫なのか?」
気遣わしげなその声に、小さく首肯する。
「はい。……もう、大丈夫そうです」
「なら、いいんだ」
助けてばかりいる気でいたが、この少年に自分は思いの外助けられているのだと、そう実感して、ルディアは小さく自嘲染みた笑みを浮かべる。
しばしエリオットに身を預けていた身体をゆっくりと離し、顔を上げた。
「エリオット、顔……」
「ん?」
そろ、と視線を上げたルディアの視界に、エリオットの顔が映り込む。その頬に、未だ青痣が残っているのを見咎めて、思わず手を伸ばした。
自分のことに関しては万事が迂闊で杜撰なエリオットのことである。切った唇を治癒し、それで事足れりとしてしまったのだろう。エリオットは居心地悪そうに身じろぎしながらも、ルディアの手に身を任せる。
琥珀色の瞳が瞬いた。手の中で、淡い光と共に青痣が消えていく。
これは、自分を庇った結果出来た傷だ。自分のために出来た傷だ。そう想った瞬間、普段のルディアでは考えられないような、熱を持った情動が湧き上がった。その感覚に努めて気付かないふりをして、そっと手を離す。
「ありがとう」
「なんでルディアが礼を言うんだ」
この衝動の正体が一体なんなのか、彼女にはわからない。様々な感情の入り混じったそれは、言葉にしようとも明確に定義できるものではないのだろう。
だが、ひとつだけわかることはある。
この少年は、きっと何があっても自分のことを裏切らないのだろう。
その確信に、胸の内に温かいものを感じて、ルディアは膝の上の手のひらを握る手に力を込めた。
パウロ
娘に対するバッドコミュニケーション。
八歳時点でワンチャン負けかけた相手だもの。実力だけじゃなく機転もきくし、無事だと思うのもまあ仕方ない。ただ子供だっていう意識がなかったのが致命的なだけで……あと再会を喜ばなかったのも良くないね。
情状酌量の余地は大いにアリ。人としては仕方ないね。ただ父親としてはいかんぜよ、が総評。
なおルディ子の話を伝え聞いて愕然としている。残当。
エリオット
ちゃんとものを考えるけど基本ルディ子の考えを優先する子。でも今回のスタンスはもうパッパと距離置いて街出ようぜってなってる。
ルディア
前世と今世両方のトラウマ刺激。
おつらいね。
あとエリオットがただの保護対象じゃなくなってきたよ。
続きは明後日。