ルディ子はかわいいね
照れ隠しとかほんとかわいい
朝の爽気が街を包む中、『デッドエンド』の三人は冒険者区の通りを歩いていた。
人々が活動を始める時間からそれなりに経ち、人通りは昼時のそれよりは少ないものの、通り沿いの商店や露天は既に店を開いており、俄かに活気付きつつある。
朝食の席で、パウロともう一度会って話す旨を伝えたとき、ルイジェルドは心なしかほっとしたような表情で、「そうか」と頷いた。
家族というものに対して一家言のあるルイジェルドのことである。パウロを擁護できぬまでも、このまま街を発つことに関しては大いに懸念があったらしい。親子仲が拗れたままの別離に思うところもあっただろう。
昨夜までの陰鬱とした気分は薄れつつあった。
今ならば、パウロと対面したとて竦むようなことはないだろう。ルディアの内心を占めていた、肉親に拒絶されるという恐怖──それがなくなったわけではない。昨日の情景は、今なおまざまざと脳裏に焼き付いている。だがそれでも今一度、と踏み出すだけの勇気をルディアは取り戻していた。
眠るまでの間、ずっと肩を貸してもらっていた。
立ち上がれぬほどに憔悴していた昨日の自分。それを慰める不器用な腕の感触を、今でも鮮明に思い出せる。あれがなければ、今頃ルディアは失意のままにミリシオンを発っていたかもしれない。
だが、自分のものではないその体温に、目覚めた時に視界に広がっていた深紅の髪に、思いがけぬ安堵を抱いてしまったのは一生の不覚だ。慰められた立場のくせに今更とも思うが、今朝方抱いたその感覚だけは、断じて誰にも悟られるわけにはいかなかった。特にこの、自分の前を先導するように歩く少年にだけは。
「どうした?」
「いえ? 寝癖がついてるなって思っただけですよ」
物言いたげな視線を察知したのか、エリオットが首だけで振り向いた。しれっと素知らぬ顔で誤魔化したルディアに、エリオットは胡乱な顔をしながら手櫛で髪を撫で付ける。
「違います、こっちですよこっち」
首を傾げるエリオットに、見当違いの部分に指を差す。当然寝癖云々など嘘である。ただルディアがエリオットを振り回して鬱憤を解消したいだけだ。この少年の顔を見ると、どうしても今朝のことを思い出してしまう。完全なる逆恨みなのは理解しているが、今朝のことを認めるのはそれはそれで癪だった。
そうやって戯れる二人の姿をルイジェルドは微笑ましげに見つめていたが、その目が不意に訝しげに眇められる。ひとしきりエリオットを弄んで満足したルディアは、ルイジェルドの変化に気付き視線の先を追った。
まばらな人混みの只中に、小さな影があった。
おぼつかない足取りで、不安そうに周囲を窺いながら歩く少女は、ルイジェルドと目が合うや否やその目を大きく瞬かせた。
その表情に喜色を浮かべた少女は、ぱたぱたという擬音が相応しいかのような足取りで駆け寄ってくる。
「昨日の! ハゲのおじさん!」
「む……」
「あの! あの、昨日はありがとうございました!」
「礼なら昨日貰った。気にするな」
「あっ……なら、昨日の林檎のお礼!」
ルイジェルドに撫でられて相好を崩していた少女は、ふと当惑にその表情を曇らせる。
「何かあったか」
「えっと、実は探してる人がいるの……」
現れた少女に、ルディアとエリオットは首を傾げる。
見てみれば、少女の身長はルディアの胸元か腹までしかない。少女と言うよりも、どちらかと言えば幼女寄りだ。
まさかルイジェルドの言っていた知人がこの幼女とも思えず、ルディアは当然の疑問を口にした。
「ええと……お知り合いですか? ルイジェルドさん」
「いや。昨日会ったばかりだ」
少女はそこでようやく、ルイジェルドが一人ではないことに気付いたのか、ルディアの方に顔を向けた。
その目が、あ、と驚きに見開かれる。
対するルディアも、ほぼ同時に瞳を瞬かせていた。
柔らかな金髪に、ぱっちりとしたエメラルドグリーンの瞳。幼ながらに端整な容貌は、何処か既視感を覚える。
まさかという気持ちとともに、記憶の中の名前を口にする。
「お姉ちゃん!」
「……ノルン?」
当惑するルディアの胸の中に、少女──ノルンは飛び込んだ。
「ノルン、私のこと憶えてるの?」
「うん!」
「ルディア、お前の妹か」
「はい……まさか、こんなところで会うなんて」
「確かに似ているとは思ったが……」
ルディアがノルンと最後に会ったのは二年前である。当時のノルンは四歳になるかどうかという塩梅だったはずだ。半年に一度しか会えない姉の顔を憶えていてくれたことは素直に嬉しい。
何故ここにノルンがいるのだろう、という疑問はすぐに氷解する。おそらく、パウロに保護されているのだろう。魔力災害のときノルンは家にいたはずだ。ルディアがエリオットと触れ合っていたように、ノルンもパウロと身体の何処かが接触していたのだろう。
「探していたのはルディアか?」
「うん。あ……でもね」
腕の中で、ノルンが困ったように眉根を寄せる。ころころと表情が変わるのも、まだ幼い故か。
「──ノルン!」
「……お父さん!」
突如響いた声に、ルディアは反射的に顔を伏せた。その様子を目敏く察したエリオットが、声の主からルディアを身体で隠す。
声の主──パウロは小走りで駆け寄ってくると、するりとルディアの腕から抜けていたノルンに目を合わせ、常よりも強い語調で咎める。
「こら、ノルン! こんな朝からどこに行ってたんだ」
「ごめんなさい……」
「出かけるなら、俺か捜索団の人に声をかけなきゃ駄目だろう」
ルディアとエリオットの様子に小さく嘆息したルイジェルドは、縮こまって頷くノルンの頭を撫でるパウロに視線を向ける。
「この子の父親か」
「ああ──すまない。うちのノルンが何か粗相をしなかったか?」
「問題ない。だがお前が気にかけるべきは、もう一人の娘の方だろう。パウロ・グレイラット」
その言に訝しんだパウロは、視線に僅かに警戒の色を乗せてまじまじとルイジェルドを凝視した。引き締まった禿頭の長身に、白い三叉槍。頭に巻かれた鉢金は、額にあるべきものを隠すためか。
眼前の人物の正体にあたりをつけたパウロは、そこでようやくエリオットと、その背で顔を伏せたままのルディアを見つけた。
「ル、ルディ……」
聞き馴染みのある声に、ルディアはびくりと肩を震わせる。だが同時に、その声音を聴いただけで理解した。
パウロはどうやら、昨日の続きをしようという腹ではないようだった。一晩の間を置いたことで、頭も冷えたのだろう。
大丈夫なのか、という視線に頷きを返し、ルディアはエリオットの背中をそっと押し退ける。
「も……もしかして、これから街を出るところなのか?」
「いえ……私もちょうど、父様に会いに行くつもりだったので」
否定すると、パウロは僅かに安堵を滲ませて、溜め息のような声を溢した。
「なら、よかった。……場所を移さないか? 近くの酒場でいい」
×××
パウロと入った酒場は、ピークを過ぎたのか人影もまばらだった。
エリオットとルイジェルドは、ノルンを伴って席を外している。
パウロと二人で話し合うことに、当然エリオットは良い顔をしなかったが、ルイジェルドに嗜められて不承不承見送った。
「あれが、お前が昨日言っていたスペルド族か」
沈黙を最初に破ったのはパウロだった。
「はい。魔大陸から、私たちの旅に付き合ってくれていて……」
「そうか……なら、後で礼を言わなきゃな」
三人と別れるとき、パウロはルイジェルドに何事か囁かれていた。ルディアにそれは聞こえなかったが、パウロの表情を見るに、よほど耳が痛いことでも言われたのか。
「その……なんだ。よくここまで来たな、ルディ。会えて嬉しいよ」
言葉を選びながら、迷うようにパウロが言った。
少なくとも本心ではあるのだろう。どうして手放しで喜べぬ事態にまで拗れてしまったのだろうか。
「昨日はすみませんでした。考えなしに、父様のお仕事の邪魔をしてしまって……」
「いや、いいさ。過ぎたことだろ? それに、お前だって大変だったらしいじゃないか」
「……そんなことありませんでしたよ。このくらいの旅、余裕でしたから」
道中の苦労の記憶を脳裏から締め出して、乾いた笑みとともに虚勢を張る。
気心の知れているはずのパウロとの会話も、何処かぎこちない。
「そうか、余裕か……」
裏でいくつもの言葉を飲み込んで、パウロがまた小さくぎこちない相槌を打った。
「これからどうするんだ? なんだったら、このままミリシオンにいても……」
「いえ、私はエリオットをフィットア領まで送り届けなければいけないので」
ルディアはすでにエリオットやルイジェルドと運命を共にする共同体だ。彼女がただの、転移事件に巻き込まれた非力な少女だったとすれば、無論パウロ他捜索団の面々に保護されるべきではある。
ここで二人と離れれば、スペルド族の汚名返上という約束を違えることになる。だがルイジェルドがおらずエリオットのみだったなら、なおのこと同行しただろう。今のエリオットなら単身でフィットア領にまで辿り着けるかもしれないが──しかしそうするにはルディアはあまりに、二人と過ごした時間が長過ぎた。
「ノルンは無事だったんですね」
「ああ。偶然、俺と接触しててな……」
親もパウロしかいない、故郷に家もないなら、ノルンはミリシオンにいるのが最上だろう。パウロが捜索団を率いている以上、娘のノルンに他に居場所はない。
むしろ幸いだった。単独で転移していたなら、幼いノルンではどうする事もできなかったろう。よほどの僥倖に恵まれなければ命を落としていた。
「ならよかった」
「ああ、運が良かった。触れてなかったらと思うと、ぞっとするよ」
白々しいまでにいつも通りを演じながら、しかしその語調はどこか捨て鉢だった。
「エリオットを送り届けたら、中央大陸北部を探してみます」
帰らなければ。家がなくなろうと、土地が荒れ果てようと、フィットア領はエリオットの故郷なのである。ことによるとエリオットはルディア以上に、帰郷に対する意識は強いはずだ。
「……そうか」
冷え切った空気感のまま、情報交換を継続する。
フィットア領復興の状況、捜索団の運営、そしてまだ手の及んでいない地域について。
会話は途切れ途切れだった。辛うじて相槌を打ち、沈黙を挟み、仕切り直すようにどちらかが口を開く。やっていることは事務作業の確認も同然だった。金銭のやり取りがないだけで、やっていることはそう大差ない。
ふと、窓の外に視線を向けた。
酒場の中が静かなだけに、そとの喧騒が耳につく。
昔はどのように話していたんだったか。記憶を探ってもまるきり思い出せず、それが的外れな感傷な気さえしてきて、ルディアは自嘲に唇を歪めた。
肉親との仲は拗れたまま。前世の因果から逃れられず、今世にも引き摺られているのだ。
そのとき、とん、とささやかな衝撃が身体を震わせた。椅子からずり落ちかけて、不意打ちに目を剥いて視線を落とすと、さらさらとした金髪が揺れている。
ノルンだった。酒場に潜り込んだノルンが、ルディアの懐に飛び込んだのだ。
「ノ……ノルン? どうしてここに?」
エリオットとルイジェルドの二人に預けられていたはず──予期せぬ闖入者に目を瞬かせる。
「こ、こらノルン。今お父さんはお姉ちゃんと大事な話をしているんだから、邪魔するのはやめなさい」
「……」
パウロに諭されても無反応なノルンに、今度はルディアが窘めるように言い聞かせる。
「ノルン、もう少しだけ二人と待っていてくれない? お話が終わったら、お姉ちゃんが遊んであげるから……」
ぶんぶんと懐で首を振るノルンに、困り果ててルディアは眉根を寄せた。
「お姉ちゃん、あのね、お父さんと仲直りしてほしいの ……」
ノルンがこの場に出てくるのが想定外ならば、ノルンの口からその言葉が飛び出てくるのもまた予想外だった。
「ノルン……どうして?」
視界の端に、酒場の入り口に見覚えのある外套と、三叉槍がちらりと映る。二人がノルンを連れ戻しに来たが、断念したのだろう。
動揺に目を見開いたルディアに、ノルンが視線を伏せながらも、迷うように言った。
「お父さんがね、お姉ちゃんに酷いこと言ったのは知ってるの」
「……えっ」
「実は、あたし昨日見てたの」
昨日の醜態を、幼い妹に見られていた。その事実にルディアは愕然とノルンを見遣った。ルディアがパウロに詰られ、怒鳴りつけられる様の一部始終。それをノルンは見届けていたのだという。
その後去っていったルディアとエリオットを追いかけたが、人混みに紛れた二人を見失ってしまい、仕方なく今朝、パウロの目を忍んでルディアを探していたらしい。
「……なんで」
「お父さん、毎日がんばってるもん」
「おい、ノルン……」
「女の人と遊んでなんかないし、ずっとお母さんのこと探してたもん」
「……」
「昨日のお父さん、泣きそうになりながらお姉ちゃんに謝ってたもん……」
お姉ちゃんと仲直りしたがってるの、と続けるノルンの目元に、じわりと涙が浮かぶ。
そこではたと、ルディアは顔を上げた。
今まで一度もパウロの顔を見ていないことに、今ようやく思い至ったからだ。
痩けた頬に隠し切れない隈。顔色は昨日よりもずっと悪い。
ルディアとノルンの姉妹を前にしたパウロの顔は、悲痛と悔恨に歪んでいた。それはどうしようもないほどに不安に駆られ、悔いている顔だった。
親子の仲が致命的なほどに拗れてしまい、修復が不可能になってしまうことを──何より、その原因となったのが他でもない自分だということに、恐怖している顔だった。
「な……なんだよ」
「……父様、ひどい顔してますよ」
「ひどいって、ひでえな」
愕然と見つめてくるルディアに、パウロが苦笑染みた硬い表情を浮かべた。自嘲しているというよりは、どんな顔をしたらいいのかわからない、といった風だった。
「悪いことしたら、謝るの。お父さんにも、ごめんなさいさせるから」
小さな手でルディアの服を握り締めているノルンは、いよいよ鼻声でぐずりはじめた。
「喧嘩したままじゃやだもん。だから……だから……」
言いながら、ノルンは決壊してしまった。額を押し付けながら、ぼろぼろと大粒の涙をルディアの服に溢す。
泣き声を懸命に噛み殺すノルンを抱きながら、ルディアは懐かしい記憶に想いを馳せていた。
あのときのルディアも、ぐずるノルンを抱いて、あやしていた。五年近くも前の、ブエナ村での記憶。
ロアに家庭教師に行く前で、ノルンがまだ一歳にも満たない頃のことだ。懐かしい、まるで陽だまりの中にいたかのような、過日の景色。あのときのことはどうしてか、未だに鮮明に思い出せる。
村の見回りに行くパウロを見送った昼下がり。針仕事をするゼニスの隣でノルンを抱き、窓の外ではアイシャを背に負いながら洗濯をするリーリャがいた。
彼女らはまだ見つかっていない。だが久しく会えていなかった肉親の顔を前にすれば、夢想せずにはいられないのだ。いつかまた、昔のように、家族揃って全員で──
つんと鼻先に痛みが走る。ルディアの目尻に涙が溜まった。
かつてのようにノルンを抱きながら、ルディアは郷愁と悲嘆に暮れていた。
あの日の記憶は、もう遥か遠い。
だがここで父を赦さないということは、過日の光景が、
ぽたり、とノルンの金髪に雫が落ちた。
ルディアの頬を、一筋の涙が濡らしていた。
「ごめん。ごめんね……ノルン」
ぐすぐすと鼻をすするノルンを抱きしめて、ルディアは柔らかな金髪を指で梳いた。
「父様。仲直り、しましょう」
ノルンの登場に呆然としていたパウロの唇がわなないた。
「ルディ、いいのか? だって、俺は……」
「私も父様にひどいこと言いましたし……ノルンがこう言ってるんです。それに」
昨日のことなんて、忘れてしまいました。
しゃくりあげるノルンの小さな背中をさすりながら、ルディアはそう言った。幼い妹に懇願されたなら、それを受け入れるのが姉の度量というものだ。
親子関係に些細な諍いは付きものである。今回の件も同様で──関係の修復に、少しばかり回り道をしただけのこと。
「そんなところにいないで。久々の再会に、やることがあるでしょう」
「あ、ああ……」
展開を飲み込めないパウロはよろよろと立ち上がり、ノルンを抱くルディアの前に立った。
逡巡するパウロに早く、と急き立てると、その両腕がおそるおそる身体に回された。酒臭い吐息。懐かしい体温に、ルディアは目を細める。
「酒臭いですよ」
「ああ」
「少し痩せましたね」
「ああ……」
「会いたかったですよ。父様はどうですか」
ノルンを抱いているルディアは腕が塞がったまま、パウロの両腕に身体を預けた。
「……会いたかった。ルディ、俺も、会いたかったんだ」
喉を震わせてそう呟いたパウロは、二人を抱き締める腕に力を込める。
その顔が歪み、双眸から彭湃と涙が溢れはじめた。泣いている顔が何処かノルンに似ているな、と益体もない感想を抱きながら、ルディアはすんと鼻を鳴らした。
「ちょっと痛いです」
「ごめん……ごめんなルディ。ごめん……」
訴えても、腕の力は弛まない。
「俺が……俺が悪かった。ずっと、探してたんだ……でも、誰も見つからなくて……」
「大変だったんですね」
「お前の姿を見て……ごめん、ルディ……ひどいこと言って、ごめんな……」
「許すも許さないも、もう覚えてませんよ」
苦笑いしながら諭すようにそう言うと、ルディアはパウロの肩に顎を乗せた。
「ねえ、父様。私、頑張りましたよ。ちょっと大変な思いもしたけど」
「ああ……よく、帰ってきてくれた。よく頑張ったな、ルディ……」
仲違いしたまま、ミリシオンを去るつもりだった。もう関係の修復はできないと危惧していた。そのまま二度と会わなくなることすら想像していた。
それに、パウロがどれほど不安を感じたことか。
だがそうはならなかった。エリオットの、ルイジェルドの、そしてノルンの助けを得て、ようやく親子の再会は果たされた。
懐かしいパウロの腕。二年ぶりの感触。
パウロの涙混じりの声に安堵して、ルディアは目を閉じた。
「父様。ただいま」
ノルちゃは転移前はルディ子と定期的に会っていたので顔をちゃんと覚えています。
なんなら遊んでもらってたこともちゃんと覚えています。
少なくとも今は原作より姉妹仲はヨシ! てえてえ