ストックなくなっちゃった
弧を描く曲剣が、粗末な棍棒をいとも容易く弾き飛ばした。
得物を手放し無手となってしまったゴブリンが、恐怖と怒りの入り混じった威嚇の声を上げる。
薄汚い緑の体色をした子供ほどの魔物──ギャアギャアとがなりたてる声は、まるで鴉が断末魔の鳴き声をあげているかのように耳障りだ。
ゴブリンには知性があり、言葉が通じる個体もいるとは聞いていたが、実際に対峙してみるとそれが真実かどうかは疑わしい。
「苛烈なる炎の精霊にして地獄に轟く黒の落とし子よ! 今こそ大地に這い上がり、拳を振り上げよ!」
エリオットは棍棒を弾き飛ばした勢いを殺さずに背中を見せるように身体を一転させ、後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
背丈同様に体重もそこまでではないゴブリンは容易く吹き飛び、草地を何度も転がる。
転がった先には更に六体のゴブリンが、やはり棍棒や粗末な槍を手に、唾を飛ばしながら威嚇している。
都合七体。ゴブリンは貧弱で、健康な大人なら戦いの心得がなくとも倒せてしまうほど貧弱だが、数が揃えば連携を取ってくる分厄介ではある。ただそれでもエリオットの敵ではなく、生かさず殺さず、足留めしながら集団を一箇所に集める程度なら鼻歌混じりにやってのける。
「怨敵を叩き潰し燃やし尽くし喰らい尽くし黒に染めよ! ──
だが斜め後方で発動した魔術の気配に、エリオットは慄然となった。
視線を向けてみれば、クリフの差し向けた杖の先から、極大の火焔弾が渦を巻き発射されんとしていた。
無論その対象となっているのはエリオットが集めたゴブリンの集団である。しかしその射線上では僅かに、そして予測される被害半径に明らかに、エリオットの立ち位置は含まれている。
「……ちっ」
発射された火焔弾が、足元の若草を炙りながら凄まじい勢いでゴブリン達に迫る。
エリオットは舌打ちしながら地面を蹴り、一飛びでその場から離脱した。
直後、盛大な爆発音とともに空気が震撼し、爆炎がゴブリン達を呑み込む。咄嗟に顔を庇ったエリオットを熱波が炙った。
再び顔を上げると、そこに残っていたのは抉れて焼け焦げた地面と、黒く炭化したゴブリンの遺骸が七つばかりである。もし気付かなければ、エリオットは彼らの仲間入りをしていたことだろう。
エリオットが物言いたげにルディアに顔を向けると、視線を受けたルディアも苦笑して肩をすくめた。
「どうです、凄いもんでしょう!」
一撃のもとに集団を殲滅してのけたクリフは、鼻高々に胸を張った。
エリオットはそれに憮然とした顔を返し、何か文句を言い募ろうとして、やめた。こういう手合いは不機嫌にさせると対応が億劫だ。
「そうか、すごいな」
「そうでしょうとも、今の魔術は
「そうか、すごいな」
「……どうやら、上級魔術がどれほど凄いかよくわかっていないようですね。剣士のエリオットさんなら仕方ないことですが、ルディアさんに代わって僕がお教えしましょう」
そうして、クリフはこんこんと如何に自分の放った魔術が高度なものか説法を始めてしまった。
わざわざ説明されずとも、ルディアから魔術の授業を受けていたエリオットは概要を把握していたし、詠唱も覚えていた。むしろ問いただしたいのはエリオットの方である。見せつけるように魔術を使い、長々と講釈を垂れているクリフは、その魔術の軌道や加害半径を本当に把握していたのだろうか?
「へえ、その歳でもう上級魔術が扱えるんですか。クリフ君は凄いですね」
「やはりルディアさんは分かってくれますか! それだけじゃありませんよ。僕は他にも治癒や解毒、神撃魔術も上級を──」
先ほどまでエリオットとルディアの
そして、
社交辞令とはいえ迂闊にも褒めてしまったルディアも若干の後悔を滲ませている。
「流石ですね。私なんて治癒魔術
「いえ、ルディアさんこそその歳で複数の魔術を中級で使えるんですから大したものです。ちゃんとした師を得ればすぐに上級を使えるようになるはずですよ」
ただの剣士だと侮っているエリオットが魔術を扱えると知ったら、クリフはどのような顔をするのだろうか。
「ルディアさんも、もし良かったら僕が魔術の手解きを──」
「そうか。わかった、わかったから」
行くぞ、と曲剣を剣帯に納めたエリオットに、話を遮られたクリフは不満そうな、次いで訝しげな顔を浮かべる。
「まだ耳を取っていませんよ。忘れているんですか?」
「……よく見ろ。それじゃ多分証明にはならないだろ」
溜息を溢したい気持ちをぐっと堪え、エリオットは二人に移動を促した。討伐証明のゴブリンの耳は、炭化してしまって取れそうにない。今は形こそ保っているが見るからに頼りなく、袋に詰めて持ち歩けば冒険者ギルドに着く頃にはぼろぼろに崩れ去っていることだろう。
歩き始めたエリオットの背を追いかけて、ルディアが小走りに傍へ寄った。そして小声で囁く。
「エリオット、すみません。正直ここまでの曲者とは思っていなくて。悪い子じゃないんですけど」
「……これ、何回続ければいいんだ?」
「まあ満足するまで……あと二回か三回ちゃちゃっとやったら帰っちゃいましょう」
「気が重いな……」
「今度埋め合わせしますから」
ね、とクリフに見えぬよう小さく手を立てて頼むルディアに、エリオットは仕方なく頷く。
それにほっとした顔を浮かべたルディアは、歩調を落としクリフの位置まで下がった。
向かう先はミリシオン東に広がる森林地帯である。
森深くまで足を踏み入れれば危険な魔物が跋扈するが、街道付近であれば危険度は格段に減る。ルイジェルドがおらずとも、今のエリオットならば方角を見失う心配もない。
この世界におけるゴブリンの存在は、ルディアの前世のそれと大差ない。
緑の体色に鉤状の鼻と尖った耳。個の戦闘力こそ大したことはないが、優れた繁殖力による数の力は侮れず、たびたび人里に被害を与える。
何より特筆すべきなのは──ルディアが勝手に注目しているだけなのだが、奴等には雌が存在せず、母胎を他種族の雌に依存しているというところである。その際標的にされるのは人型種族、専ら数が多く、戦闘力の控えめな人族である。
戦ってみたところ奴らは弱い。というか雑魚である。Eランクの冒険者が受けられる依頼の標的に、どうしてAランクの彼らが苦戦できようか。
だがそれだけの戦力計算をしていながらも、ルディアは何処かで戦々恐々としていた。ゴブリンを相手に女冒険者が敗北すれば、その結末など語るまでもない。
そしてまずあり得ないことだが、ルディアたちが敗北することも、可能性としては存在する。万が一、億が一のことではあるが、エリオットの刃を、ルディアの弾幕を潜り抜け棍棒の一撃を届かせる可能性というのも全くのゼロとはいえないのだ。ゴブリンを前にすれば、屈強な女騎士も、優秀な女魔術師も一瞬の油断が命取りなのである。オークを前にしたエルフのようなものだ。
そしてそういった無限小にも等しい可能性を、奴等は理不尽にも掴み取ってくる。ルディアの知る
そういう訳で、ルディアはエリオットの後ろで一応の警戒をしながら、暇を持て余して「ざぁこ、ざぁこ、ざこゴブリン!」などとうっかり
自分が対象だからこそルディアはこうしてのほほんとしているが、もしエリオットと自分の性別が逆転していたならば、ゴブリン退治など断固として反対していただろう。
「ま、杞憂だったみたいですけどねー」
「ルディアさん?」
だが、それにしても……
エリオットが俊敏ながらも堅実な立ち回りでゴブリンを圧倒しているのを見ると、やることがなく持て余してしまう。
森の中で若干視界や足場は悪いとはいえ、エリオットはそれをまるで苦にしない。どんな環境でも十全の戦闘力を発揮出来るようにするというルイジェルドの教えが活きているのだろう。クリフも上級魔術ばかり使いたがっているが、流石に森の中で火魔術を連発するような愚は犯していない。
うず、と衝動に襲われて、ルディアは自制する。
(いかんいかん。フラグは立てたら回収されてしまう。大人しくしておくべきだ。いいな、俺)
しかし、ちゃんと警戒を怠らなければ良いのだろう? とルディアの中の悪魔が囁く。元メス◯キとして、煽っておくのはある意味礼儀でもあるのではなかろうか。
僅かな思案を挟み、右を見て、左を見て、後方も振り向き、念のため頭上も確認して──
うむ、と頷いたルディアは満を持して口を開いた。
「ざぁこ、ざぁこ! ざこゴブリン! 数が多いのに敵わないなんてなっさけなぁい!」
「グギャッ!?」
果たして効果は覿面だった。
エリオットにいいように翻弄されていたはずのゴブリン達が、揃って憎悪の視線をルディアに向けたのである。
想像以上の反応に興が乗ったルディアは更に続ける。年齢的にもう数年もすれば言えなくなるだろうし、ここらで発散しておこうという魂胆もあった。
「こんなに良いようにされてるなんてかっこわるー! 根性なし! 恥ずかしくないのー?
──そこぉっ!」
「ギャバァッ!!」
言いながら、狙い澄ましたかのような
ルディアとて魔術ばかりではなく、冒険者として鍛えられているつもりだ。索敵や気配察知では二人には及ぶまいが、予見眼も併用すれば十分奇襲にも対応できる。
ふう、と銃口に見立てた指先に息を吹きかけたルディアの足首を、誰かががっしりと掴んだ。
「ぎゃーっ!!」
葉や土に紛れて身を潜めていたゴブリンが、伏せたままルディアの足首を掴んだのである。身も世もない声をあげて飛び上がるルディアの横に、素早く駆け寄ったエリオットがゴブリンの頸目掛け曲剣を突き立てた。
「何をやってるんだ……」
「ひえー……助かりました」
いかに予見眼とて足元までは把握できない。
フラグとはかくも恐ろしいものである。立てた瞬間に回収されるとはさしものルディアとて予想外であった。
調子に乗るもんじゃないな……と胸を撫で下ろすルディアに、エリオットは呆れた顔を向けた。
「……ちょっと待った」
二人の足を、先導していたエリオットが制止した。
ゴブリンの他に、更に二つほどの低ランクの魔物の集団を片付けた後の──街道に足を向けた折での事であった。
「どうしました?」
「……音がする」
エリオットが意識を向けているのは街道の方角。つまり三人の進行方向である。
日々の鍛錬によって研ぎ澄まされたエリオットの五感は、前方より風に乗って流れてくる剣戟の音や気配を感じ取っていた。
「音?」
「怒号と悲鳴……金属の音かな。多分人が襲われてる」
エリオットの言に、クリフは半信半疑となる。耳を澄ませてみても、聞こえるのは草木の揺れる音や虫の鳴き声ばかりだ。
「本当ですか? 僕には全然聞こえませんよ」
「私もあんまり……盗賊ですか?」
「ゴブリンやホブゴブリンじゃないなら、十中八九そうだろうな」
どうする? というエリオットの視線にルディアは慎重に思考を巡らせたあと、頷いた。
「『デッドエンド』の名前を売る良い機会です。助けて恩を売りましょう」
「わかった。……クリフだったか? 俺たちに付き合う必要はないから、先に戻ってろ」
エリオットにとっては完全に善意から出た言葉だったが、クリフはそれに肩を怒らせて反応した。
「何を言うんですか! ゴブリン数匹に苦戦するような貴方に、ルディアさんは任せられませんよ!」
「……」
エリオットの頬がひくついた。
冒険者として侮られることには慣れているエリオットでも、ルディアを護るには役者不足だ、と詰られてまで平静な顔を装うことは出来なかったからだ。
やはり置いていくか、と真剣に悩み始めたエリオットを宥めたルディアは、しかし念を押すように言い含めた。
「森に来ている時点で何をと思うかも知れませんが、危険があるかもしれませんよ?」
「構いません。その時は遠慮せず僕の魔術を頼ってください」
そう言って、全ての危険は己が請け負うとばかりにクリフは胸を叩いた。
×××
その集団を目の当たりにした時、クリフは全身が総毛立つのを感じた。
五〇メートル余り先の街道では、馬の逃げ去った馬車が横倒しになっている。そしてその車体を背に、一〇歳ほどの少女を庇った騎士が、数人の黒ずくめの集団と対峙していた。
騎士の纏う
騎士の所属が知れれば、それと相対する者達の因果も自然と知れる。むしろクリフが慄然となったのは、その黒ずくめの集団に対してである。
神殿騎士団は現教皇と対立している。騎士が背後に庇う少女は枢機卿お抱えの、次期教皇候補と噂される神子だろう。であるならばそれを付け狙う集団こそは、教皇直属の暗殺集団に他ならない。
アスラ王都に劣らず陰謀と策謀の渦巻くミリスでは、時にこのような実力行使も罷り通るのが常である。
エリオットに有無を言わせず地面に叩きつけられたときには怒りも湧いたが、そこで感情に任せ文句を垂れなかったのは幸いだった。騎士と神子に向けられている凶刃が、そのままこちらに向くことになりかねない。
顔を真っ青にしたクリフは、その頬に土汚れを付けて這いつくばりながら、隣の木立の陰で身を屈める二人に囁きかけた。
「二人とも、やばいですよ! あれは多分次期教皇候補の神子ですよ。そしてそれを囲んでるのは間違いなく教皇お抱えの暗殺集団です。いくら僕でも勝ち目はありませんよ!」
クリフの早口を半ば聞き流しながら、木立に背を預けたエリオットは油断なく観察を続けていた。隣で息を潜めるルディアも難しい顔で思案する。
「なんだかきな臭くなってきましたね。どうします? エリオット」
「恩を売れる相手には見えないな」
「藪蛇ってやつですね」
「何をのんきなこと言ってるんですか! 息を潜めてやり過ごしましょう!」
クリフの泣訴にルディアも頷く。
神子の護衛である神殿騎士も残り一人。他の騎士は血溜まりを作り物言わぬ骸となって転がっている。戦況は決定的である。
下手人も現場にいつまでも居座るものではない。速やかに残り二人を始末すれば直ぐに去るだろう。
「正直私も賛成です。触らぬ神にとも言いますしね。エリオット、気付かれず森に引き返すとかできますか?」
「……いや、無理だな。もう気付かれてる」
クリフが地面に叩きつけられ、そのままへっぴり腰で伏せの体勢に移行するまでの間に、暗殺者の一人が三人の存在に気付いた。
今こそ
死人に口無し──目撃者には、口封じである。
「逃げますか」
「いや。むしろ背中を襲われる方が不利だ」
「……ですよね。じゃあ、援護します」
「ちょ、ちょっと、二人とも、何を言ってるんですか!?」
会話の展開を聞いていたクリフは、信じがたいものを見るような視線を二人に向けていた。
「クリフ君。あなたはここで隠れていてください」
「ルディアさん!」
クリフの制止を振り切り、二人は木立から同時に飛び出した。
暗殺者の総勢は確認できる範囲で六人。エリオットは集団に突貫し、ルディアは街道へ出ず援護する。曲剣を抜刀したエリオットは爆発的な速力で瞬く間に一人へと肉薄し、容赦ない袈裟懸けの一撃を見舞う。
胸郭を切り裂いて侵入した刀身は、そのまま胸骨と脊椎、そして臓腑をまとめて両断し、脇腹へと抜ける。
剣神流《無音の太刀》。剣先の速度は音速を超え、斬られた者は風切り音すら聴くことは叶わない。事実標的となった一人の暗殺者は、反応すら許されずに斬り伏せられた。
数で勝る相手に抗するには、囲まれず、動きを止めず、徹底して
既に散開しエリオットを包囲すべく動いている暗殺者達。出端を挫くように先陣の一人を斬り捨てるも、それすら織り込み済みだったかのように包囲が完成した。
残るは四人。挟み込むように二人の暗殺者が迫り、更に後方に位置した二人は短剣を投じた。先行する二人を追い抜くように飛翔する二本の短剣は、受ければ脚を止める事となり、避けるにも次手に続かない、巧妙な一手である。
「気を付けろ! その短剣には毒が塗ってある!」
だが凶刃に晒されたエリオットは、敢えて身を躱す事はせず──回転する刃は横合いから飛翔した砲弾に残らず撃ち落とされた。
ルディアの放った岩砲弾である。飛び道具を魔術にて撃ち落とすという離れ業は、予見眼を持つと同時に、ルディアが卓越した魔術師であるということの証明である。
「な──っ!」
のみならず、先行する二人の足はいつの間にか展開されていた泥沼に絡め取られ、大きく沈み込む。
動きの封じられた二人を瞬く間に斬り捨てられ、残った二人は
「お前は先に行け!」
一人
応じるように振るわれた曲剣を胴体で受け、体全体で封じ込めにかかる。腹を貫いた刃は背中から抜け、しかしそれ以上の動きを肋骨と腹筋に封じられた。
「が……っ、ぐぶゥッ!」
「──ちっ」
さしものエリオットといえど魔剣でもなければ、刃の止まった状態から腕力だけで圧し斬ることは出来ない。
エリオットは未練なく曲剣から手を離すや、腰の後ろに吊ってあるカトラスの柄に手を掛けた。そして縋り付く暗殺者を蹴りによって無理矢理退けると、逆手のままカトラスを一閃させ、その頸を刎ねた。
一目散に逃走した最後の一人は、今のやり取りの間に三〇メートル余りも距離を離している。
エリオットはそれを追おうとして──しかし断念し、傍に突き立っていた短剣を引き抜いた。柄頭に近い部分を指の股で挟み込み、大きく振りかぶる。
思い出すのは、かつてルイジェルドが見せた槍の投撃だ。肩から先のスナップを効かせた、近距離で使われる予備動作を消したものではない。より遠間のものを打ち倒す為の威力ある投擲である。
エリオットの身体が弓のように
だが暗殺者は姿勢を崩したものの倒れることはなく、そのまま地平線の彼方まで走り去った。
更なる増援に警戒し慎重に周囲を見回したあと、エリオットは骸から曲剣を引き抜き、血振りするように一閃させた。
ルディアもまた無事なようで、がさがさと薮を掻き分けて街道に出てくる。
「悪い、一人逃した」
とは言ったものの、彼らの得物が毒剣だと言うならば、逃げ去った暗殺者も長くはないのだろう。
対面した騎士はしばし驚きに身を固めたあと、兜を脱がぬままミリス式に則った礼を取った。
「私は神殿騎士団のテレーズ・ラトレイアと申す者。冒険者殿、ご助力に感謝致します」
「俺は冒険者パーティ『デッドエンド』の……エリオット・ボレアス・グレイラットだ」
「ボレアス……?」
既にそう言った場から離れて久しいが、エリオットとて名門貴族の端くれである。二年前の授業を思い出しながらアスラ式の礼をとると、テレーズと名乗った女騎士はしばし動きを止めたあと、会釈するように小さく頭を下げる。
「いや、失礼。ボレアス姓をここで聴くとは思いませんでした。……察するに、転移事件の?」
「領地に戻る旅の途中だ」
「左様ですか」
テレーズはそこで言葉を切り、やや躊躇うように言う。
「助力頂いた立場で言えた事ではありませんが、ボレアス家の縁者の方が冒険者とは些か不用心かと。護衛を雇われたら如何でしょう」
「忠告はありがたいけど、護衛は要らないな」
すっぱりと提案を切り捨てたエリオットに、テレーズはさもありなんと頷いた。神子の護衛の神殿騎士を全滅寸前にまで追い込んだ暗殺集団。それらを容易く壊滅せしめた彼らの手腕なら、下手な護衛は雇うだけ金の無駄だろう、と。
「エリオット、無事ですか?」
「大丈夫だ。毒も受けてない」
「ならいいんですけど──あ、神殿騎士の方ですね? 私たちは冒険者パーティの『デッドエンド』です。お怪我はありませんか? そちらの神子さまも──」
ルディアの姿にテレーズは今度こそ驚愕したと言わんばかりに絶句して動きを硬直させていた。
その様子に首を傾げたルディアは一度後ろを振り向いて背後に誰もいない事を確認したあと、その視線の注がれる先が自分である事を理解した。
「……姉様……?」
「えー……っと、私の顔になにかついてますかね?」
「……失礼。小さな冒険者殿、お名前をお伺いしても?」
「はあ。ルディアと申します」
テレーズは口の中でルディア、と小さく呟く。
「姓はなんと……?」
「グレイラットですが……」
「……そうか」
目の前で膝をついて目線を合わせたテレーズは、面食らうルディアの前で兜を取り払った。
やや色素の薄い肩口までの金髪に碧い瞳。騎士としての修練のためか、その面差しは厳しく引き締められながらも、生来の柔らかな色を帯びている。
その容貌は、ルディアの知る人物とあまりにも相似していた。
「もしかして、母様の?」
「そうだ。君の母、ゼニスの妹だよ。私は」
ルディアの瞳の怪訝な色が驚きに変わった。
ぱちぱちと目を瞬かせて、まじまじとテレーズの顔に見入る。
「……驚きました。確かに母はミリス出身と聞いていましたが」
「姉様からは何も聞かされていなかったのか?」
「家族構成くらいは……あとは、お祖母様と喧嘩別れしたと。
……それにしても、よく私が姪だとわかりましたね」
「ああ。君の顔は、昔の姉様にそっくりだからな」
一目でわかったと、そう言って微笑むテレーズに、ルディアは照れてはにかんだ。
事実ルディアの容貌は、髪と瞳の色さえ除けばゼニスに良く似ていた。パウロの子だけありアスラ系の血も感じさせるが、どちらかといえば顔立ちの雰囲気はややミリス寄りである。
「母様はなんと?」
「君のことをとても頭が良く、優秀だと言っていたよ。なにより、目に入れても痛くないほど可愛いとね」
「そうですか。母様が……」
懐かしい目をするルディアにテレーズは立ち上がりながら兜を被ると言った。
「もう少し談笑していたいところだが、私にも任務がある。神子様をミリシオンまで無事送り届けなければならないからな。
道中の護衛も依頼したいところだが、ミリスの政争に付き合わせるのも申し訳ない。ここでお暇させて頂こう」
「お気遣いありがとうございます」
テレーズがぴいい、と指笛を吹くと、森に逃げていたのだろう馬が一頭、茂みを掻き分けて出てくる。
促される神子は視線に気づいたのか、テレーズの背後に隠れてしまった。ルディアと同じか少し下ほどの年頃の、ややふっくらとした少女である。テレーズの背中からちらちらと視線を向けてくる様は、他者に免疫がない故か。
「何か困ったことがあれば、私の名を出すといい。ラトレイアの家名にかけて恩義に報いると約束しよう。
かわいい姪っ子のためにもね」
神子と共に鞍に跨ったテレーズは、そう言い残すと騎首を巡らせ、馬の腹を蹴った。
駆け去っていく神子と神殿騎士の背中が見えなくなるほど小さくなると、成り行きを見守っていたエリオットは思い出したかのように周囲を見回した。
「まだそんなところにいたのか。さっさと戻るぞ」
街道脇の木立の影で、クリフが未だに蹲っていたのである。
手を貸され立ち上がったクリフは、頬に付いたままの土汚れを拭うこともせず、呆然とルディアに魅入っていた。
クリフ・グリモルは傲慢な少年だった。
だが同時に、その傲慢さに見合うだけの実力も兼ね備えていた。
幼少よりその才を惜しみなく発揮したクリフは、周囲の教育者達から将来を嘱望され、存分に持て囃された。それがクリフの人格形成に大きく影響したのは言うまでもない。才あるものの宿命とも言えた。
前世の業から才に驕らず、謙虚さを失わないルディアという例は稀有なものだ。
増長したクリフは冒険者ギルドの門を叩いた。
その立場ゆえに冒険者として活動すれば、教育者達から咎められるだろうが、それもその事実が露見しなければ良いだけの話である。むしろその教育者達こそ、かつては冒険者だった者が多いのだ。ならば自分も経験するだけの権利はあるはずである。
言い訳を用意してあった。理解されずとも、結果を出して黙らせるつもりでいた。優秀な教育者でさえクリフより多彩な魔術を扱える者はいないのだ。結果を出すのは容易いとクリフは判断していた。
いずれクリフは成人すれば、教団の聖職者として教皇のもとで働くこととなるだろう。その事実さえ弁えてさえいれば、教育者達も形式的に叱りこそすれ必要以上に問題視はしないはずである。
肝心の冒険者生活は最初から頓挫しかけたものの、己の有能さを理解してくれるパーティを見つけることが出来た。
剣士の少年と魔術師の少女の二人組。
聞けばゴブリン討伐の依頼を受けたところだという。
見たところ彼らはクリフと年頃はそう変わらず、同じように駆け出しの冒険者のようだ、とクリフは判断していた。彼らの装備が使い込まれたものばかりだというのは、金銭的余裕がないため型落ちの中古品を装備しているものだと思っていたし、それにしては立ち居振る舞いが余りにも堂に入っていることを見抜けるだけの眼力を、クリフは持ち合わせていなかった。
相手がゴブリンというのは些か役不足な気がしたが、まずはこの二人に己の魔術の凄まじさを見せつけてやろうという魂胆だった。
侮りに反して、魔術師の少女──ルディアは優秀だった。その優秀さはクリフほどではないにせよ、複数の攻撃魔術を中級で使いこなす上、無詠唱魔術など初めて目にした。
対抗するように自分も上級魔術を使ってしまったが、その行為を子供っぽいと思われることはなかったようである。
剣士の少年──エリオットの方は、期待こそしていなかったもののやはり学のない剣士らしく、クリフがこの歳で上級魔術を使えることの凄まじさを理解していないようだった。反面ルディアは、クリフ君は凄いですねとむしろ褒め称えた。
クリフは得意絶頂となっていた。冒険者への憧れもあったが、この反応を得たいがためにパーティを組んだと言っても過言ではないからだ。
その後の戦闘でも、クリフは鼻高々に数々の魔術を使用した。まるで子供が玩具を見せびらかすような態度だったが、クリフがそれに気づくことはなかった。
ルディアとエリオットによる『接待』は、これ以上ない成果を出していた。
そして一つの考えを持つようになった。
ルディアは自分に及ばぬまでも非常に優秀である。が、エリオットはそうではない。ゴブリン数匹に苦戦するような剣士では彼女に釣り合わない。むしろ、己のように優秀な魔術師こそが、並び立つに相応しいと。
だからこそ、先に戻れと言われたときには信じられないとばかりに憤慨したのだ。
故に、教皇直属の暗殺集団を撃退したとき、クリフは己の節穴さを突きつけられたのだ。
教皇の対立派閥の鬼札を襲う暗殺者達……彼らはクリフの教師達であった。彼らがそういった裏の仕事を任されていることはクリフもまた知るところであり、同様にその実力もまたよく知っていた。
少なくともクリフでは勝利どころか、一矢報いたことさえない相手であった。
だが二人は護衛を蹂躙したはずの暗殺集団を終始圧倒し、のみならず撃退までしてしまった。
その戦いぶりと熟練した連携を見れば、実力を秘め隠していたのは瞭然であり、彼らが決して駆け出しの冒険者ではないということを、否が応でも理解させられる。
事によると、二人は仮に単独であったとしても、暗殺者達を撃退していたかもしれない。
クリフはルディアを呆然と見つめていた。
それは熱のこもった憧憬の眼差しだった。
「クリフ君、長居するのもあれですし、移動しましょう。……クリフ君?」
反応のないクリフを訝ったルディアが顔を覗き込んでくる。驚くほど造形の整った顔立ちがすぐそばにある。
白状すれば、一目惚れだった。
驕りに目が曇っていたが、思い返せば冒険者ギルドで見かけた彼女は異彩を放っていた。
彼女ともっと近付きたいと思った。優秀な魔術師同士、切磋琢磨したいと思った。
「ル、ルディアさん……! 僕と、」
結婚してください。そう言葉がクリフの口から飛び出る直前、エリオットが呼ぶ声にルディアが振り返り、栗色の髪が翻る。
「周囲にはもういないと思うけど……ルディア」
「了解です。一応偵察してみますね」
ルディアが魔術を発動し、土魔術で自分をエレベートさせて高度を稼ぎ、偵察している。手の届かぬ位置まで離れてしまった彼女を、クリフは唖然と見ていた。
おそらくは中級魔術の
「大丈夫、人も魔物も周囲にはいませんよー」
「わかった」
高度を下げていたルディアは何を思ったか、途中で足場から飛び降りた。
骨は折るまいが、着地を誤れば打ち身くらいはする高さである。クリフなら飛び降りるのにそれなりに勇気のいる高さだ。
「エリオット!」
「おい、急に……!」
その身体をエリオットが受け止め、ルディアの身体を慣れた手つきでそっと地面に降ろした。
「あ、今お尻触ったでしょう」
「……不可抗力だろ」
「ふうん。そういうことにしておきます」
そう言って戯れる二人を、クリフは愕然とした気持ちで見ていた。あんな行為、余程の信頼関係がなければできることではない。
あの二人の間に入り込む余地などない──そうクリフに想わせるには十分だった。
「……僕、そろそろ帰りますね」
「あ、ちょっと待て」
いつの間にか肩を落とし、悄然としてしまったクリフにエリオットが歩み寄る。
「クリフ。帰るなら、これ」
「……なんですか?」
「討伐証明。お前が狩った分だろ。ちゃんと換金しておけよ」
きっちり三等分だ、と袋を手渡されたクリフが呆気に取られてエリオットの顔を見返す。そういえば今日のクリフはルディアばかり見て、この少年とまともな対話をしていなかった。
そのなんでもない、当然だと言わんばかりの表情に、ふと、クリフの心に火がついた。
エリオットの顔面を、正面からきっと睨み据える。
頭一つ分以上はあろうかという身長差。近付かれると見上げなければならないその差が酷く腹立たしい。クリフの内心を気にも留めずこちらを気遣う無遠慮さが腹立たしい。それになにより、冒険者としてルディアの傍に並び立てる、その実力が妬ましい。
「次に会ったときは、僕はもっと優秀な魔術師になってますから」
「……? ああ」
唐突な宣言に首を傾げるエリオットを尻目に、クリフは背を向けて歩き出す。その小さな背中を、夕陽が赤く染め上げていた。
それは少年の初恋の終わり。
そして苦難に満ちた、研鑽の日々の始まりだった。
クリフ
戦っている男の子と女の子がいたら、そりゃ女の子の方に視線がいくよという事なんですよね。美少女なら尚更。
しかも自分が褒めて欲しいところを的確に褒めてくれるわけです。免疫のない少年には毒だ、間違いない。
ちなみにグレイラット家の中でも、
アイシャは一〇〇パーセントのアスラ系の顔、
ノルンはアスラとミリスが半々、
ルディ子は若干ミリス寄りの顔で想定しています
4:6か3:7くらい?