泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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誰がために

 

 

 黒い疾風となって、ギレーヌは荒野を駆けていた。

 

 赤い剣光と共に死を振り撒く黒い風となって、眼前に立ち塞がる兵士たちを次々と斬り伏せる。

 血風に混じり砂塵が舞い、立ち昇った砂埃のカーテンを切り裂くように赤刃が乱舞する。肉を裂き骨を断つ、もはや馴染みすぎるほどに手に馴染んだ感覚。

 音速を優に超えた刃先が宙空に弧を描き、立ち塞がる兵士を──不運にもギレーヌの前に立ってしまった兵士を、脳天から断ち割った。噴き上がった血脂が、褐色の頬を土埃の上に重なるように汚す。

 今やギレーヌは、手負いの獣染みた殺気を周囲に放射していた。敵兵たちは後退り、殺意の視線を受け取った者は悲鳴を上げて逃げ惑う。

 それに喉奥で軋るような唸り声を溢しながら、ギレーヌは肉食獣のような呵責なさで倭刀片手に襲いかかった。

 

 

 

 その背中を守るように、一人の男が剣を振るっていた。

 (いかめ)しい顔つきの短髪の男である。

 ビゴ・マーセナルというこの男は、マルキエン傭兵国に属する傭兵──兵士である。ビゴがギレーヌと出会ったのは実に数週間前、エジンの森でのことである。

 連合軍を前に劣勢を強いられていたマルキエン傭兵国の起死回生の強襲作戦。そこで絶体絶命の窮地に陥ったビゴは、乱入してきたギレーヌに命を救われたのである。

 ギレーヌの助力もあり作戦は成功し、戦局は傭兵国側に傾いた。強襲部隊の決死の突貫により二国の元首は共に斃れた。が、それでもなお連合軍の兵力は傭兵国と拮抗し得る。戦争の趨勢を決定的なものにするには、二国に新たな元首が据えられ、混乱から立ち直る前に畳み掛けなければならなかった。

 そして成り行きと、ギレーヌのボレアス縁者の捜索という利害の一致を果たしたビゴは、以降戦地を彼女と共にすることで数多くの戦果を挙げているのだ。

 

 ビゴが自分を利用しているということは、ギレーヌもそうと察しがついていた。だが、それでも良いとも割り切っていた。

 ギレーヌとてビゴを──正確にはマルキエン傭兵国を利用しているのだ。

 フィットア領を襲った魔力災害より数ヶ月。ギレーヌは自分を襲った災害について大雑把ながらも把握していた。そしてボレアス縁者を捜索するならば、広い紛争地帯を闇雲に探すよりは国家の助けを得た方が遥かに効率が良い。

 かくしてギレーヌは一度の会戦と数度の局地戦を勝利に導き、傭兵国逆撃の立役者となったのである。

 

 

 

 紛争地帯の情勢と勢力図の変化。その直接的な原因に己がいることは疑いようがない。

 だがもう一方で、勢力図に変化を与えた外的要因が己だけではないことを、その野性染みた嗅覚と直感によって察知していた。

 事実、マルキエン傭兵国による連合軍に対する奇襲作戦は、悉くが成功を収めている。まるでディクト王国やブローズ帝国の斥候や巡回兵が予め潰されているかのように。

 小競り合いを繰り返していたはずの敵陣地が一夜のうちに壊滅していたという報告が上がっているということを、ビゴがなにやら話していた。

 

 だがそういった客観的な情報によるものでなく、肌に感じる戦場の空気から、ギレーヌは他の強者の存在を感じ取っていた。

 

 ──何かが、いるのだ。

 小国とはいえ、国家間の戦争に介入し、戦局すら覆し得るほどの戦闘力をもった何かが。

 

「ですがギレーヌ殿、お気をつけを。最近また、ここらに『亡霊』の噂が出ております」

「亡霊……? なんだ、それは」

 

 ビゴの要領を得ない言葉にレイスか何かだろうか、とギレーヌは振り向いた。

 戦闘を終えたビゴの部隊は勝利に湧いていたが、その熱狂とはギレーヌは無縁だった。

 

「紛争地帯にいくつかある噂話の一つです。俺も戦争に参加するまでは眉唾だったんですが、どうにもそれは本物らしく」

「ほう」

「棒のような得物を持った、黒髪の男……なんでも、戦場でそいつを見た奴はほとんどが戦争終結までに死んでいるらしいそうで。

 一〇〇年ほど前からずっと姿形が変わらねえってもんで、一部の迷信深い輩が亡霊だの怨霊だのって騒いどるんです。普通に考えりゃあ、寿命の長い魔族あたりと想像がつくもんなんですがね。そいつが時折、紛争地帯のあちこちに現れるんです」

「強いのか」

「ええ。本人もべらぼうに強いのは確かなんですが、戦場で見かけた奴が直接殺されるのは、一割か多くても二割……」

「残りは違う要因で死んでいるということか」

 

 ギレーヌの言葉にビゴは頷いた。

 

「……(まじな)い師か何かか?」

「いえ、事はもっと単純……要するにその死神は、最も被害がでかい、泥沼の戦場に限って現れるんです」

「……?」

「あー……つまり、激戦地に限って姿を見せるもんだから、そこにいた兵士のほとんどは生き残れないんですよ」

「なるほど、そういうことか」

 

 小競り合いのような衝突には目もくれず、戦況が激化し破滅的となった戦場に限って姿を見せる男──

 目撃者が多くとも、生還者の少なさを鑑みれば成程、怪談や噂話として扱われるのも納得がいく話である。

 

「血を見るのが好きなのか、はたまた『そういうところ』でしか生きられない性分なのか……嘘か本当か、我々の戦線が持ち直した要因にこいつがいるとも聞きます。大隊長以上なら知っているかもしれませんが」

 

 ビゴが声音に僅かな警戒の色を覗かせる。

 

「ただなんにせよ、実力者というのは本当です。注意した方がいいでしょう」

「どんな相手だろうがあたしの前に立てば斬る、それだけだ」

「ギレーヌ殿ならそう言うとは思っていましたがね……」

 

 諫言を一蹴したギレーヌに、ビゴは口の端に苦笑いを覗かせた。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 開け放たれた窓から差し込むのは、柔らかな午前の日差しである。

 粗末なベッドの上でひび割れた漆喰の壁に寄りかかり、フィリップは漫然と外を眺めていた。

 

「戦争はやはりマルキエン側が優勢だそうですよ。王国と帝国側はやはり旗色が悪いようで」

「介入した君が、よく言う」

 

 世間話のような気軽さで出された話題に、フィリップは苦笑いのようなものを口の端に浮かべた。

 言葉を向けられたシャンドルは、おどけるように肩を竦める。

 

「私は戦争の結果市民達に出る被害を憂いただけですよ」

「兵士達の被害は知らないと?」

「彼らも兵士である以上、覚悟を決めて戦場に立っているはずですよ」

「おや、彼らだって徴兵されて望まぬ戦いを強いられているのかもしれないよ」

「王国と帝国の兵士は多くが職業軍人です。彼らは徴兵して農業人口を減らしたくないから連合を組んだんですよ」

 

 フィリップとシャンドルの二人は、マルキエン傭兵国北端の街、ハンマーポルカにて宿を取っていた。

 人の入れ替わりの激しい街であるハンマーポルカは余所者に対する懐が広く、金を落とす者には寛容だ。宿の主人も旅装のシャンドルはともかく、旅人らしからぬフィリップに眉を顰めたが、宿賃を多く握らせているうちは問題ないはずだ。

 

「具合は、大分良くなってきているようですね」

「……そうだね」

 

 包帯を取り替えながら言ったシャンドルの言葉に、フィリップは頷いた。

 フィリップがシャンドルに助け出されてから数週間。

 当時はほとんど危篤状態の一歩手前だったフィリップの容態を鑑みれば、現状は遥かに改善していた。

 細かい外傷はほとんどが治癒され、脱臼も快癒した。頬はまだ痩けているが、適切な栄養を摂り続けていればじきに元の血色の良さを取り戻すだろう。

 だがそれでも、失った手足が戻ることはない。

 左腕は付け根からの欠損。左脚は腿から下が断たれ、当然立つこともままならない。

 もし街で治癒術師を見つけることが叶わなかったら、フィリップの腕と足には痛々しい縫合痕が残っていただろう。

 今では傷痕こそ綺麗になくなっているが、絶え間ない掻痒感と、ないはずの部位にずきずきと幻肢痛を感じるのだ。

 

「痛みが引いてくると、途端に退屈を感じるようになったよ」

「退屈など、以前の貴方には何よりの贅沢だったのでは?」

「ああ……そうだね。確かにそうだった」

 

 政務に忙殺される傍らで、次期当主簒奪の為の策謀を張り巡らせていたフィリップにとって、暇などほとんど存在しなかった。余暇を取ろうと思えば取れたが、それだけだ。数日休めばまた政務が数を増して迫ってくる。

 このように身体を休めながら漫然と傷の治癒を待つなど、望むべくもない立場だった。

 

「実際のところ、北神の君がどうして紛争地帯に?」

「……ご主人」

「これは失礼。ついね、シャンドル」

 

 困ったような声で窘められて、フィリップは苦笑しながら謝罪した。

 

「まあ、所詮いつまでも隠し通せるものでもありませんしね」

 

 諦めたような細い溜息を落としたシャンドルは、遠くを見るように視線を虚空に彷徨わせると、滔々と語り始めた。

 

「もう一〇〇年以上は昔の話になりますか。

 これは私の過ちであり、北神英雄譚の恥部です。

 私はそれを雪ぐため、せめてもの罪滅ぼしとしてここにいるのです」

 

 

 

 

 

 かつてのシャンドル──アレックス・C・ライバックは、名高き北神カールマンの実子にして、英雄を志す青年だった。

 魔物討伐、竜退治(ドラゴンスレイ)、悪の神官と愚王を失脚させ、数多くの戦争を終結に導く──北神の名に恥じぬ英雄となる為、およそ英雄らしき名声を得られる事の全てに手を出し、成し遂げてきた。

 中でもベガリット大陸の熱砂を棲家とするベヒーモスの討伐と、王竜山脈に君臨する王竜王討伐は、その最たるものと言えよう。

 積み上げた偉業を人々は畏怖と熱狂を込めて、北神英雄譚と名付けた。アレックス・ライバックが七大列強の末席に名を連ねるに至った所以である。

 

 若きアレックスは己が最強の剣士であり、人々の語るに相応しい英雄であると疑わなかった。

 事実、不死魔族の血を引く頑強な肉体と、母より受け継いだ北神の剣技、そして王竜王の龍骸より造られた王竜剣を前に、悉くは敗れ去った。

 如何なる剣士、魔物、竜種すらも例外なく。

 英雄としての自負と、最強の確信。それが揺らぐ日がやってきた。

 

 中央大陸南部、紛争地帯と呼ばれる地域でのことである。

 皮切りは、王竜剣を盗まれたことだった。

 物乞いの少年に盗まれた王竜剣は、アレックスがその行方を追ううちにごろつきを束ねる野盗崩れの剣聖の手に渡り、アレックスはその剣聖と対峙することとなった。

 剣聖程度、神級剣士であるアレックスにとっては容易く制圧できる相手である。だが侮りに反し剣聖は食い下がり、アレックスは苦戦を強いられた。激戦を制したアレックスに齎されたのは、しかし勝利の歓びではなく、剣士としての己への疑念であった。

 王竜剣の力は凄まじかった。鍛え上げた肉体と北神流の剣技と比してなお、武装としての格は遥かに優っていた。アレックスは王竜剣のその真価を、他者に振るわれて初めて理解したのだ。

 

 湧いた疑念は大きくなり、アレックスを苛んだ。

 王竜剣を持ったアレックスは強かった。だが、王竜剣を持たぬただのアレックスは、真に強かったと言えるのだろうか──?

 そのときアレックスの耳に聞こえたのは、叩き伏せた剣聖の断末魔の呪詛であった。

 お前のせいで、この国は滅茶苦茶だ──

 その言葉に、アレックスはふと我に返った。

 

 紛争地帯として血を流し続けているこの土地は、かつてはアスラ、ミリスに次ぐ大国に治められていた。

 圧政を敷く愚王と、私腹を肥やす悪の神官によって民は飢え、悲鳴を上げていた。それを義憤と言う名の一方的な正義と名誉欲で救ったのがアレックスだった。

 王を排し、神官を斬り、国は救われたかのように見えた。だが強力な指導者と宗教という拠り所を失った国体は瞬く間に崩壊し、中央大陸南部は戦火に呑まれ、今なお小国が興廃を繰り返している。

 仮初の平和を壊し、戦乱の世へと導いたのは紛れもなくアレックスだった。そこに弁解の余地はかけらも存在しなかった。

 

 かくして、アレックスは英雄を名乗ることを止めた。

 列強七位の座を退き、王竜剣とともに息子へと託したのだ。

 

 

 

 

 

「……難儀だね」

 

 言葉を切ったアレックス──シャンドルに、フィリップは小さく相槌のような声を溢した。

 

「今でも老成しているとはとても言えませんが……あの頃の私は、やはり若かったのでしょうね。

 名声を追うことばかりにかまけ、周りが見えていなかった」

「若者にはよくあることさ」

「かもしれません。ですがかつての私の無軌道が、多くの人々を不幸に追いやったのもまた事実です。あのとき余計なことをしなければ、この地域は紛争地帯などとは呼ばれていなかったかもしれない」

 

 フィリップはベッドの上で片膝を立て、備え付けの小テーブルの上の水差しを手に取った。

 

「だからこうして戦争に介入しているわけだ」

「どちらかに肩入れをしよう、と思ってやっているわけではありません。私がしているのは、無辜の民の犠牲を減らすこと」

「ああ……なるほど」

 

 そういうことか、とフィリップが納得したかのように頷いた。

 

「素性を隠しマルキエン傭兵国に与しているのも、そういった事情からです。

 数ヶ月前、二国の連合に宣戦布告を受けた時、傭兵国にとっては晴天の霹靂だったのでしょう。侵攻の速度に対して、国境付近の街や村の避難は全く済んでいませんでした」

 

 険悪な王国と帝国は、既にその時点で戦後を見据えていた。

 傭兵国との戦いを可能な限り消耗を抑えて乗り切りたいという魂胆が透けていた。戦後の統治を見据え無理な徴発、略奪はしないものだが、彼らはそれを顧みなかった。

 マルキエン傭兵国を下し、相争う王国と帝国。その略奪と民の虐待の咎は、敗れた国に押し付けるつもりなのだ。

 懸念はそれだけではなかった。

 二国の連合軍が傭兵国の首都まで攻め上り、罷り間違ってどちらかが奇襲を仕掛け、泥沼の戦争が起こったならば、傭兵国の国土は荒廃し、戦場となった街は破壊し尽くされることだろう。

 

 ゆえにシャンドルは介入した。

 二国による侵攻を妨害し、戦況を拮抗までに持ち直させた。その結果傭兵国が戦線を押し返しているのは誤算だったが、傭兵国が独力で二国を打ち破るのならば問題はない。少なくとも危惧していた事態にはなり得ないだろう。

 

「おかげで助かったのだから、私からは何も言えないが」

「貴方のそれも、言ってしまえば私の業。恨んでくれてもかまいませんよ」

「いいや。むしろ子供の時分に聞いた英雄譚、その歴史の裏側を聞けて非常に興味深かったよ。それも本人から聞けるなんてね」

 

 衒いなくそう言うフィリップに、シャンドルは苦笑いを浮かべ、背もたれに体重を預けた。

 窓枠から差し込む陽射しが角度を変えている。

 太陽はいつの間にか中天に差し掛かっていた。

 

「外が少々騒がしいようですね」

「そうかい? 私には何も聞こえないが……」

 

 フィリップは訝しげにしているが、シャンドルは窓の外から聞こえてくる声や物音を聞き咎めていた。

 鎧の触れ合う擦過音、軍靴が荒れ土を叩く足音、鞘鳴りの金属音──

 

「なにやら剣呑な気配がします。マルキエンの駐屯軍でもなさそうです。念の為脱出の準備をしておきましょう。

 フィリップ殿、荷造りは手早く──」

 

 その時、慌ただしい足音と共に宿の主人が部屋の扉を開けた。

 やや下腹部の弛んだ中背の主人は、血相を変えて捲し立てる。

 

「あんたら、まだここにいたのか!」

「どうしました?」

「略奪だよ! (やっこ)さん、よっぽど余裕がねえのかいまにも街に入ってきそうだ!」

「街には自警団が──」

「たった二、三〇人ぽっちでどうにかなる相手じゃねえ! 逃げるんだよ!」

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 また一人、構えられた鉄剣ごと兵士を両断したギレーヌは、上半身を失って立ち尽くす下半身を蹴り退けながら、略奪か、と吐き捨てた。

 

「左様ですな。別働隊というわけではなさそうです。おそらく、……ッ敵の落伍兵かと!」

「奴らの所属や因果など知らん。あたしはただ剣を振るう、だけだ!」

 

 ギレーヌとビゴは部隊を率い、ハンマーポルカを襲う部隊と交戦していた。

 ビゴの部隊は国境線付近の街の中で、ハンマーポルカに駐屯する部隊でもあった。補給に戻った矢先での襲撃を、間が良いととるべきか悪いと取るべきか。少なくとも襲撃者側からすれば後者だろうが。

 そして街の自警団からすれば僥倖だろう。落伍兵とはいえ数と練度に勝る兵士達を相手にしなければならなかったところを、すんでのところで救援が間に合ったのだから。

 

「総員吶喊しろ! 侵略者共にこれ以上の狼藉を許すなッ!」

「「「おおおおッ!」」」

 

 喊声を張り上げて吶喊するビゴの部隊に向けられたのは、不揃いに整列した刃の輝きである。

 自警団と駐屯軍、二部隊による挟撃を受けた落伍兵部隊は壊乱状態に陥るかと思いきや、むしろ鬼気迫る形相で反撃した。

 侵略に対する護国として立ち上がり、勢いを盛り返す傭兵国側に比べ、連合国側の将兵の士気は低い。押し返される戦線に、祖国に未来はないと軍を抜けた落伍兵の方が、惰性で軍に居残る将兵よりも、こと『生存』に対する執着の念は強かった。

 いずれ野盗に堕ちるとしても、紛争地帯を抜けるのに十分な量の物資を略奪出来ねば戦乱の中で果てるのみ。それが理解できているがゆえに、落伍兵達の奮戦には鬼気迫るものがあった。

 

「こいつら、どこにそんな力を……!」

 

 悪態を吐くビゴと鍔迫り合う敵兵を斬り捨てて、ギレーヌは次なる敵へと馳せる。

 二人、三人と屠る間に、四人目がギレーヌ目掛け怒号と共に剣を振りかぶる。それがギレーヌを捉えることはないが、それでもこれまでよりもはっきりとした抵抗の手応えを感じる。

 なるほど、それなりに修羅場を潜っているビゴの部隊が苦戦するはずだと。負けることはない。だが予想外の出血を強いられている。

 

 戦場は町の入り口にまで達していた。

 既に一〇戸余りの民家が巻き込まれ、戦場に逃げ遅れた町民がちらほらと見える。

 戦闘開始からたったの数分で、戦況は乱戦の様相を呈し始めていた。落伍兵部隊は訓練が足りないのか統率は取れていないが、その分数人単位での連携に秀でていた。元より指揮の届かぬ乱戦となってしまっては統率も何もあったものではない。

 魔剣平宗を手に戦場を駆けるギレーヌの視界の端に、人を抱えて戦場を離脱しようする男の影が見えた。

 身の丈ほどの棍を片手で器用に振るい、敵兵を寄せ付ける気配がない。だが抱えられている男に無視できぬほどの既視感を感じて、ギレーヌは立ち止まった。

 癖のある褐色の髪に、端整な容貌。

 

「……おや?」

「──フィリップ様!!」

 

 血相を変えたギレーヌは更なる驚愕に見舞われた。

 フィリップが四肢の半分を欠損していること。その表情は色濃い疲労に歪められており──その主は見る影もない姿で目の前から消え行こうとしている。

 

「もしや、フィリップ殿の知人で──」

「ガァァァァッ!!」

「むっ!」

 

 男の因果を問うことすらせず、ギレーヌは奔った。

 咆哮とともに紅い剣光が男を襲う。剣神流奥義《光の太刀》を防ぎ得る手段は無いに等しい。それこそ魔剣の類でも無ければ、防御に使った得物と鎧ともども両断せしめるはずだった。

 男は自分が殺意の対象となったことを理解した瞬間、手に持つ棍を旋転させていた。空を切った棍の先端が地面を穿つ。鋼鉄の先端を叩きつけられた地面が爆ぜ、無数の砂と小石がギレーヌに殺到する。

 弾丸のようなそれらを胸に腕に顔面に受けてなお、ギレーヌは怯まなかった。だが《光の太刀》の剣速は僅かに落ち、剣閃は棍にいなされてあらぬ方に流れ散る。

 

「ギレーヌ殿!?」

 

 ビゴの戸惑いと焦りを含んだ制止も、ギレーヌには届かない。

 初手の《光の太刀》がいなされた事を意にも介さず、ギレーヌは獣のような唸り声を上げて眼前の男に斬りかかる。

 並の兵士ならば瞬く間に膾に裂かれ、原型を留めぬであろう殺意の刃。だがそれに曝された男はそれらを悉く受け流した。甲高い金属の衝突音が響き、両者の間に火花が凄烈に散る。

 渾身の一太刀も、男の胸を覆う革鎧を僅かに裂いたのみで終わった。

 

「──フィリップ殿、失礼!」

 

 一際大きな金属音と共に両者の得物が衝突し、仕切り直しとばかりに飛び退った男が抱えていたフィリップを下ろした。

 それはギレーヌを人一人抱えたまま相手取れるほど容易ではないと判断した結果であり、即ちその後に控えるのは先ほどに勝る熾烈な生死の競い合いであることを意味していた。

 ぐる、とギレーヌが平宗を正眼に構えたまま喉奥で唸った。

 名も知らぬ眼前の男が、己以上の武練を持つことをギレーヌは先の応酬で疑いようもなく理解していた。フィリップという文字通りの重りを捨てた今、勝利をもぎ取ることが困難を極めるということも同様に。

 だがそんなことをギレーヌは斟酌しなかった。

 かつて恩義を受けた相手。それに報いるうちにいつのまにか胸の内に懐いていた忠義。ボレアスの面々に、それは言葉にせぬうちに捧げていた。たとえ勝てぬとしても、ギレーヌにとっては挑まぬ理由にはならないのだ。

 油断なく男を見据え、隙を探る。視覚で、聴覚で、嗅覚で。憎らしいほどに隙の一つも見当たらない男は、ぐるりと棍を旋転させ構え直す。

 埒があかない。元より隙の探り合いに勝機はない。

 かくなる上は乾坤一擲、今一度渾身の《光の太刀》に訴えるしか処方はない。

 ギレーヌの長身が力が込められ、撓む。来る爆発の瞬間を、今か今かと待ち受け──

 

「シャンドル! ギレーヌ! そこまでだ!」

 

 裂帛の気合いと共に飛び出そうとしていたギレーヌは、凛烈なる声に阻まれ尻尾をびくりと跳ねさせた。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 予想外の損害を受けたものの、ビゴの部隊は落伍兵達に対し勝利を収めた。

 残党は散り散りとなり、追う必要もないだろう。もとより過酷な紛争地帯で、旅の心得のない者が物資や食糧もなしに生き残れるはずもない。

 戦闘後の処理をいつものようにビゴに任せ、ギレーヌはフィリップの滞在していた宿の一室に招かれていた。

 

「ギレーヌ、君が無事なようでなによりだよ」

「フィリップ様……」

 

 朗らかなフィリップに対し、ギレーヌの表情は重く沈鬱だった。

 その視線の先には、肘、膝から先を欠いた左半身。四肢のどれかでも欠いてしまえば、今までと同じ生活は送れまい。

 フィリップの表情からはギレーヌに対する労い以外の一切を読み取れない。この状況下で、かつてと同じ薄い笑みを保てているのは彼が傑物ゆえか。

 

「私のことは気にすることはない。移動には難儀するが、政務ができないわけでもないからね。無論、フィットア領に戻ってからの話だけれど」

「は……ですが」

「君の献身は知っているよ。紛争地帯を散々走り回ったんだろう?」

「それも、徒労に終わりました。坊ちゃまも、ルディアも見つけることは叶わず……」

「なに、あの二人なら……ルディアが付いているならまず死ぬことはないだろう」

 

 そうフィリップはあっさりと言った。

 仮にも我が子に対する言葉にしてはあまりに無責任な物言いにも感じられたが、それは息子に対する──とりわけその家庭教師の少女に対する信頼の裏返しとも取れた。ギレーヌもまた同感である。

 最近めきめきと剣士として頭角を現しつつあるエリオットと、稀代の魔術師であるルディアならば、どこであろうと生き永らえるだろう。

 

「それに、なんだ。紛争地帯を抜ける前に君と合流できたのは幸いだった。ひやりとさせられたところもあったがね」

 

 そう冗談めかすフィリップの言に、ギレーヌは改めてこの場の三人目に意識を向けた。

 

「まさか、名高い北神殿がフィリップ様を保護していたとは……」

 

 棒術を修めた壮年の戦士。ビゴより聞かされた亡霊の噂話には胡乱に感じていたが、ギレーヌはその正体を明かされて、驚きよりもむしろ納得していた。

 

「あれほどの武人が、在野に埋もれているはずもないとは思っていた」

「私も剣王殿と刃を交える機会が巡ってくるとは思いませんでした。黒狼の噂は聞き及んでおりますよ。それに私は北神などではなく、ただのシャンドルです」

「失礼した。だが、何ゆえ素性を偽っておられる?」

「特にこれといって深い理由ではないのですが……紛争地帯(ここ)で北神や英雄を名乗るのは、少しばかり後ろめたい事情がありましてね」

 

 シャンドルはそう謎めいて答えた。

 

「何にせよ、フィリップ様を保護していただいた事、感謝の言葉もない。貴殿が居なくば私は危うく主を失うところだった」

 

 頭を下げるギレーヌに、シャンドルはいえいえと謙遜する。その姿はまるで名だたる武人というより、気の良い隣人めいている。

 

「そういうわけでギレーヌ、再会も叶ったことだし、早速明朝にでも此処を発とうと思う。あまり長く領地を留守にするわけにもいかないからね」

「フィリップ様、少々お待ちを」

 

 さも自然に話題を切り替えるフィリップに、ギレーヌは困惑を隠せぬままに遮った。

 

「坊ちゃまやルディアが無事だろうというのはあたしも同意です。……ですが、戦える術を持たぬ者や──ヒルダ様の捜索はされないのですか?」

「……」

 

 あまりに性急に過ぎる、と困惑も露わなギレーヌにフィリップは静かな面持ちで言った。

 

「ヒルダは死んだよ」

「な、……」

「彼女の亡骸は埋めた。いずれ墓地は移すが……今はその余裕はない。そのうち迎えに来てやらないとね」

「…………わかりました」

 

 ギレーヌは唇を噛んで俯いた。

 それを黙然と見届けて、フィリップは改めてシャンドルに向き直る。

 

「シャンドル殿、貴殿にも重ね重ね感謝だ。私を牢から救い出してくれたこと、宿を見繕い治療してくれたこと……どれが欠けても、私の命はなかっただろう」

 

 そう前置いて、フィリップはシャンドルを正面から見据えた。

 

「その上で、シャンドル殿」

「なんでしょう」

「私に雇われないか?」

 

 シャンドルはその言葉を予見していたのだろう、特に驚いたような様子を見せなかった。

 

「そのような駆け引きをなされずとも、貴方は無事にフィットア領までお送りしますよ」

「私が、我が身可愛さで君を引き入れようとする男に見えるかい」

 

 その問いにシャンドルは答えなかった。

 

「お答えする前に、一つ質問を宜しいですか?」

「構わないとも。なんだい?」

「貴方が帰る理由をお聞かせください。野心のためですか? 領地のためですか? それとも、残った家族のため?」

 

 安宿の一室に、長い沈黙が下りた。

 問いの意味はわからずとも、フィリップは己が試されていることを過たず理解した。故に、その表情に当惑の色はない。

 

「……それなりに長く生きていると、見えてくるものもあります。それに、権力者が私を囲おうとしたことは一度や二度ではありません」

 

 シャンドルは眼前のフィリップを見据えていた。

 フィリップは無表情だった。常に口元に貼り付けていた、残滓のような薄笑み(ポーカーフェイス)を剥ぎ取った顔だった。

 

「貴方の目にはかつて野心の炎が燃えていたのでしょう。その炎は翳ってしまったようだが、消え失せているようにも見えないのです。

 私はそれなりに人を見る目はあると自負していますが……貴方は妙に、読み切れない」

 

 フィリップはしばし沈黙を保っていた。

 無言で虚空に視線を据えていたフィリップは、やがてシャンドルへと視線を戻した。

 シャンドルの経験上、ここまで言われた相手は多くが、これ以上暴かれまいとより深く仮面を被るか、不躾な物言いを咎めるかのどちらかであった。

 だがフィリップの無表情には、何かを秘め隠そうという気配はかけらも感じられなかった。瞳の奥に感じられるのは、見逃してしまいそうなほど僅かな懊悩の気配。

 

「……私は完膚なきまでに貴族だったが、良き父親ではなかった。それを理解した今でも、私は私の在り方を測りかねている。

 だから、どれかというのなら、その全てだよ」

 

 普段通り、平静に吐き出されたはずのその言葉は、常とは異なる重さを含んでいた。

 

「わかりました。このシャンドル、貴方様を一時の主として仕えましょう。

 差し当たっては、フィットア領まで。そして、ご子息と再会するまでの契約といたしましょうか」

「私の答えはお気に召したかい?」

 

 薄笑みを取り戻したフィリップに、釣られるようにシャンドルもまた肩を揺らす。

 

「それはもう。……私としても、思い当たる節もあることですし」

 

 そうして、新たなる主従は互いに了解を交わし合った。

 

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