バスケットに入ったお弁当をシルフの父ロールズに届けたあと、俺たちは時間を持て余してしまい、結局先程の丘の上の大樹の下までやってきてしまった。
ちなみに、シルフの父ロールズは
さて何をして遊んだものかと思案するが、いい案はない。シルフはいじめられていた事もあり友達は当然ゼロ、対する俺は実に二〇年もののぼっちと来た。
うーむ絶望的だな。
悩んでいると、シルフから魔術を教えてほしいとせがまれた。わかるぞ。魔術はロマンだからな。
どうにもお湯と温風の魔術を見て興味を持ったらしい。
とりあえず水属性の初級魔術の練習からいくとしよう。いきなり火はなんだか危ない気もするしな。
「じゃあ
「うん!」
胸の前でぐっと拳を握る姿が微笑ましい。
美少年は得だ。さっきのいじめっこたちにも見習わせたい姿である。
魔術教本があればもっとしっかり教えられるが、生憎今持ってきているのは誕生日にもらった植物辞典だ。
とはいえ急ぐことでもない。魔術教本はまた明日持ってくるとしよう。
「それじゃ、お手本やるから見てて」
腰に差したロキシー謹製のロッドを手に取り、詠唱する。
人のいない方に撃とう。まあ、適当に撃ったところでブエナ村の人口的にそうそう当たらんと思うが。
「そりゃ」
ばしゅん、とそんな音がして、子供の頭くらいある水球が緩やかな放物線を描いて飛んでいく。
……あっ。
「ごめん、今のなし」
首を傾げるシルフに断りを入れ、もう一度。
いつもの癖で無詠唱で撃ってしまった。
普通に教えるなら詠唱ありでやったほうが教えやすかろう。まずは基礎。ロキシーも言っていたことだ。神の教えは大事にせねば。
「えっと……汝の求める所に大いなる水の加護あらん、
清涼なるせせらぎの流れを今ここに──
体から勝手に魔力が吸い出され、掲げた手のひらに集まるや、水球の形を成していく。
詠唱ありは無詠唱より制御が楽でいい。中級、上級となるとまた違った魔力制御が必要となるから、詠唱を覚えただけで使えるようになるわけではないが。
駄目な人はとことん駄目とも聞いたが、初級程度なら慣れればすぐだろう。
先程と同じ水球が、まったく同じ軌道を描いて飛んでいく。
これでよし。
「こんなかんじ」
「わ、すごいなあ……ね、ボクにも出来る?」
「もちろん」
上目遣いで聞いてくるシルフに頷く。
「じゃあやってみよっか。それじゃ、先に詠唱するから同じように言ってみて。リピートアフタミー」
「りぴ……?」
「んん、失礼。
……汝の求める所に大いなる水の加護あらん、」
「汝の求める所に──」
×××
シルフと魔術の訓練をしながら遊んでいると、高かった日はあっという間に傾き、茜色の夕焼けが小高い丘を照らしていた。
俺は別れを惜しむシルフに明日もまた遊ぶ約束をすると、帰路を急いだ。
大樹の丘から家までは然程離れてはいない。子供の足でも二〇分かそこらだ。とはいえ家に着く頃には暮れかけていた日は更に沈み、夕闇が周囲を覆い始めている。
「おや?」
怪訝な声をあげたのは、意外な光景が目に入ったからだ。
パウロが家の敷地の入り口で腕を組み、花壇の辺りで腰を掛けている。まるで誰かを待っているような風情である。というか、俺を待っていたのだろう。
「ただいま戻りました、父さま」
「……おかえり、ルディ」
うん?
なんだかパウロの調子がおかしいぞ。
なんかこう、対応を図りかねているような……
まさか、御神体が見つかったのか?
「なあ、ルディ。さっきエトんとこの奥さんが来たんだがな。お前、ソマル坊を殴ったんだって?」
「えっ?」
急に知らない名前を出されて混乱する。
エト。知らない。
ソマル。誰だそれは。
しかも俺がそいつを殴ったって?
まるで身に覚えが……うん?
「それは今日の話ですか?」
「そうだ」
なるほど読めたぞ。
今日シルフをいじめていたいじめっこたち、そのうちのどれかがソマルとやらなのだろう。たぶん石とか投げつけようとした挙句、俺にわからされてしまったあいつだ。
さては親に泣きついたな? それが許されるのはいじめられた側だけだぞ。
こちらが悪者にされるのも腹ただしいが、まずは誤解を解かねばなるまい。
「喧嘩が駄目とは言わない。でもなルディ、父さんが教えている剣術も、ロキシーちゃんに教わった魔術も、威張るためにあるんじゃないんだぞ」
「父さま、確かに怪我をさせたかもしれませんが、私にも言い分はあります」
反論の声を上げると、パウロは一瞬なにか言いたそうな顔をしたが、無言で続きを促してくる。
言い訳を聞こうという姿は好ましい。
「私は今日、ロールズさんのところのシルフを、三人がかりで泥を投げつけていじめていた子たちを見つけたんです」
「ロールズのところの……?」
「はい。注意したところ、こちらにまで泥を投げてきました」
「……」
パウロは難しい顔をして腕を組んでいる。
俺は畳み掛けた。
そのいじめっこたちが泥だけでなく石も投げようとしたこと。
上手く転ばせてシルフと一緒に逃げたこと。
話していたがひどい奴らだ。後から怒りが沸いてくる。
「そうだったのか……すまん、ルディ。疑っちまった父さんを許してくれ」
「そんな、父さまが謝る必要なんてありませんよ」
聞き終えたパウロは頭を掻くと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「エトんとこの奥さんが怒鳴り込んで来たときには何事かと思ったが……そういった事情があるなら、父さんとしては言うべきことはない。むしろ、よく頑張ったな」
「当然です」
ふんす、と鼻息を吐くとパウロは苦笑いをしながら頭を撫でてきた。
だが誤魔化されんぞ。最初俺のことをちょっと疑ってたのは忘れんからな。
じっとりとした目を向けると、パウロは待て待てと冷や汗をかいて弁明してきた。
「俺だって普段のお前を見てたんだから、考えなしな行動をしないと思ってたさ。そりゃたまには父親としての威厳を見せたいと思わないでもないが……」
「別に、気にしてませんよ」
「ルディ……」
ぷい、とそっぽを向くと慌てたパウロがしゃがみ込んで目線を合わせてくる。
「悪かったって。ルディもこの間の約束守ってくれたんだもんな?」
「約束……?」
はて、約束とな。なにかしただろうか。
「強さとは?」
「弱いものを守るためにある……?」
「そうだ」
満足げな笑みを浮かべて頷いたパウロに、思わず笑ってしまう。まあ、いいか。拗ねたってなにも出やしない。誤魔化されてやるとしよう。
「父さま。今度家にシルフを連れてきてもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
だがすまんなパウロ。女の子を連れてくるという約束は破ってしまうことになりそうだ。
まあ構うまい。俺もシルフもまだ五歳。気にする歳でもないからな。
×××
一年が経つのはあっという間だった。
寝て起きて、御神体に祈りを捧げ、パウロと剣術の稽古をしたら午後はシルフと魔術の鍛錬。帰ったらゼニスやリーリャと談笑しながら家事の手伝いをする。
そんなルーティンが出来上がっていた。
雨が降らず干魃になると、雨を降らせて欲しいとの要望が村人の中から上がり、パウロを通じて俺のところまでやってきた。
我が神たるロキシーが家にいた頃は、彼女に話が回ってきていたらしく、幾らかの対価を貰って仕事をしていたらしい。
水聖級魔術師たる彼女を雇うにはそれなりの金が必要だったろうし、ブエナ村にとっては決して安くはなかったろうが……きっと大海原の如く広い心根を持つ師匠の事である。幾らかまけてやったのに違いあるまい。
かくいう俺も水聖級魔術師を名乗れるほどだが、師匠と同じだけの給金を貰うのは畏れ多い。とはいえあまり安く受けるのも良くない。冒険者ギルドに依頼を貼り出すよりかは幾らか安く受けてやることにした。
そう決めたのはパウロだが。
冬には除雪作業も手伝った。
《バーニングプレイス》を維持したまま道を練り歩くと再凍結してスケートリンクを作ってしまうので、魔術で一箇所に集め、それをまた魔術で溶かすとかそんな感じである。
こちらも魔術の練習になるため率先して行った。
ブエナ村での除雪作業は、冒険者に依頼するほどではないが、多大な労力はかかるものである。お陰で幾らかお駄賃ももらった。定期的に行商人も来ることだし、貯めておいてある。
という訳で、再び夏が巡ってきた。
ルディアちゃん六歳。しょうがくいちねんせいである。
ソマルとやらを筆頭としたいじめっこたちも、時折襲撃に来たが、その全てを撃退した。
そのたびにソマルの母親が家に怒鳴り込んできたが、どうにもそのソマル母、パウロに熱を上げているらしい。
子供をダシにするとはなんともけしからん。
ソマルもなんだか気の毒になってしまった。鬱陶しいのは変わらないが。
こちらもこれでも女の子なのだ。
いくら中身がニートだろうと、ガワはゼニスの血を引いたとんでも美少女である。
いじめに気が引けていた男子も居たし、何度目かの襲撃で辟易していたパウロが、抗議にかこつけて会いに来ていたソマル母に苦言を呈したのだ。
曰く、年下の女の子を徒党を組んで襲うとは何事なのか、というものである。
至極もっともな言い分にソマル母は鼻白んだが、次第にしどろもどろとなり、そのまま撤退していった。
その時は内心で歓声をあげたね。
俺が男だったら放置されていたかもしれないが……。最初は男子だろうと複数相手だろうと構わず撃退していた俺をまるで心配していなかったのだが、流石にソマル母を相手するのも疲れたのだろうと睨んでいる。
それからいじめっこたちの襲撃もぱったりと止んだ。
めでたしめでたしである。
×××
ある日、シルフに無詠唱魔術を教えてくれとねだられた。
俺だけの特権だったらいいのになー、とか思いながら教えると、シルフはあっという間に会得してしまった。
現実は無常である。
正直ちょっと落ち込んだ。
六歳で何を言うのかと思われるかもしれないが、魔術とは俺のアイデンティティなのだ。いやそこまでではないかも知れないが、少なくとも数少ない得意なものの一つなのである。
ゼニスもロキシーもできなかった無詠唱……それをあっさり体得されてしまったルディちゃんの内心、推して知るべし。
正直、いざ実戦で使うとなったら剣より魔術なのだ。
パウロに鍛えてもらっている剣術を蔑ろにするつもりはこれっぽっちもないが、適性があるかはまた別問題である。
水神流はそこそこ才能があるらしいが、この身は女。男に比べたら筋力も違うし、手足のリーチも差がある。聖級以上は男も女も関係なく人間やめてるらしいので違ってくるのだが、中級くらいで同じ技量なら多分同年代の男の方が有利だろう。
その点魔術には性差など無関係だ。
あのちんちくりんのロキシーが偉大で優秀な魔術師であるように。
暑い日だ。
周囲に
「雨雲……やば」
見上げればいつの間にか、黒々とした雨雲が空を覆っていた。
ぽつ、ぽつと降り始めた雨は、瞬く間に勢いを増し、叩きつけるように降り始める。いつもなら家に帰るまでは上手いこと調整していたのだが、降り始めてしまったのなら散らすのも面倒だ。
「シルフー! 一旦うちに帰ろ!」
「うん!」
シルフの手を握って駆け出す。
シルフの家は遠いため、一度うちで雨宿りさせよう。
家に帰ると、リーリャが大きなタオルを持って待ってくれていた。
魔術教本を手渡し、タオルを受け取る。教本は服の下に入れて庇っていたため、被害は最小限のはずだ。
「おかえりなさい、ルディアお嬢様。それと、お友達の方も」
「リーリャさん、ただいま戻りました。いつもありがとうございます」
「お、お邪魔します……」
ちらと外を見遣ると、雨の勢いはいよいよ増していた。もう数分外に出ていたら、全身余すとこなくずぶ濡れになっていたかもしれない。
流石に夜まで止まなかったら、一度雨雲を散らしてシルフを家に帰そう。
リーリャに促されて二階に上がると、大きな桶に湯が張ってあった。気の利くリーリャのことだ、魔術も使えないのに、雨が降り始めたのを見てすぐに準備してくれていたのだろう。彼女には頭が上がらない。
お湯だ。お風呂である。
いや、風呂というほどでもないな。でかくとも所詮は桶だ。だがまだ小さなこの体なら、胸元くらいまで浸かれてしまう。
生前は面倒くさがりで風呂嫌いだったが、この体になってからは湯に浸かるのが好きになった。女の子になったからか、綺麗好きになったのだろうか。
服に手をかけて、はたと気付いた。
服を脱ぎ捨てて湯に浸かろうとする我が身を顧みる。
濡れそぼった艶やかな明るい茶髪。濡れた髪や服が体に張り付き、未だ起伏に乏しいものの健康的な肢体のラインを見せていた。
振り向けば、同じく濡れ鼠となったシルフがいる。
これは……このまま一緒に風呂に入ってしまっていいのか?
お湯に浸かり上気した体、狭い桶の中で触れ合う肌、美少年と美少女。なにも起こらないはずもなく……
いや、起こるわけないか。流石に六歳だしな。
そこんとこわかっててリーリャも一緒に部屋に送ったはずだ。
いやいやだからと言って軽率かもしれん。
俺の体はまだ幼い。が、この年頃では異性の裸というだけで無条件で興奮するマセガキも出てくるのだ。
将来有望なシルフに変な性癖を残すわけにも……ってシルフさん?
「ルディ? どうしたの?」
ぽいぽいと水分を吸って重くなった服を脱ぎ捨てて、パンツ一丁となったシルフが振り返る。
真っ白い珠のような肌だ。きめ細やかさでは俺にも劣るまい。……いやいや、そうじゃなくてですね?
「あの、シルフさん? もうちょっと恥じらいというものをですね」
「濡れた服ずっと着てたら風邪引いちゃうよ? ほら、手上げて」
「あ、はい」
されるがままに服を剥かれ、あっという間にシルフと同じパンツ一丁となってしまった。
シルフ、恐ろしい子……! いつの間にこんなテクを!?
それだけでは足りず、なんとシルフは己のパンツにまで手をかけた。このままではシルフ君のシルフちゃんとご対面してしまう。
俺はその手をがっしりと掴み、止めさせる。
「ちょちょちょ、シルフさん! いけませんわ、わたくしという淑女の前で! はしたないですわ!」
「もう、ルディ……邪魔しないで」
「ほあーっ!」
俺の拘束など知らぬとばかりに、パンツがずり下ろされた。俺の目の前には、シルフのシルフが、若々しくもはっきりと存在を主張するポークビッツが──
「あれ?」
ない。
ないのだ。なにがないって、そりゃあもちろんナニがである。
あるはずのものがなく、ないはずのものがあった。
雄々しく屹立すべきものはなく、そこには未熟な縦筋が──
──要するに。
彼は彼女だったという一年越しの真実を、俺はこれ以上ない形で突きつけられたのである。
×××
「──ルディ。おい、ルディ?」
「うえっ。……あっ、父さま」
夕食後、雨も上がりシルフィエットを帰すと、家では我が子ルディアが椅子に座ったまま呆けていた。
顔の前で手を振っても、声をかけても呆けたままだったので、仕方なく肩を揺らすとようやく目の焦点が合う。
ルディアはしばらくぼーっとしてたが、やがて思い出したように周囲を見回すと立ち上がった。
「あれ? 今何時ですか? うわ、暗い! シルフを送らなきゃ!」
「もう送ったぞ」
「へ? あ、そうですか……」
立ち上がったルディは再び椅子に座り込む。
「じゃ、じゃあ寝る前に湯浴みしなきゃいけませんね」
「おいおい寝惚けてんのか? 風呂ならさっき入っただろ?」
「……そういえばそうでした」
今日の娘はなんだかおかしい。
どうおかしいかと問われると、いつもなら小生意気でよくわからん自信に溢れているはずの表情が、口が半開きで目線がふらふらしているし、行動に移るテンポが二つくらい遅い。
「なんだ、ルディ。もしかして悩み事か?」
「いえ、そういうわけではないんですが……ところで父さま、シルフの本名って知ってます?」
「シルフィエットだが……?」
「……」
頭を抱えて蹲ったルディから聞き出してみると、驚愕の事実が発覚した。
どうやら娘はこの一年間、シルフィエットの事を男の子だと勘違いしていたらしい。
え? マジで?
うっそだろ、と驚愕の視線を向けると、ルディは手をぱたぱたと慌てたように振り回しながら弁明してきた。
「いや、だって初めて会ったときは髪も今より短かったし、ズボン穿いてたし、自分のことボクって言ってたし……」
「だからってな。あんな可愛い子を男の子と間違うかあ? 普通」
「……うう」
小さく唸ると、ルディは膝を抱えてしまった。
いつもは元気に跳ねているアホ毛も、今は力なく垂れている。
「父さま、内緒にしておいてくださいね?」
「そりゃ構わんが……」
「でないと、リーリャの尻を撫でていたことを母さまに報告します」
「見てたのかよ! わかった。わかったから」
しかし、シルフィエットを男と勘違いしていたということはだ。このマセた娘のことである、多少の気があったんじゃあ……。
そういう様子はなかったか。あるいは男心を弄んでいた気にでもなっていたのだろうか。
ルディははあ、と物憂げに溜息を零すとぽつりと呟いた。
「……今度からは、シルフのことをシルフィと呼ぶことにします」
「……そうしとけ」
うちの娘は、思っていたよりもアホらしい。