泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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ルディ子編再開


中央大陸編
船の中で


 

 

「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん──ヒーリング」

 

 頭に手を当てながら治癒魔術を唱えると、体に張り付いていた鉛のような倦怠感が幾らか和らいだ。

 深呼吸をしながら、ふう、と大仰なほどにため息をつき、荷物の中から薄手の毛布を引っ張り出す。色褪せた木材の壁に寄りかかり、腿の上に毛布を乗せて楽な体勢をとった。

 

「大丈夫か? つらいなら我慢せずに言え」

「平気ですよ。治癒魔術があればこのくらい」

 

 近くで座っていたルイジェルドが気遣わしげな声をかけてくる。

 ルイジェルドは同行者であるルディアとエリオットのことをよく見ている。言葉少なだが、その観察力は本物だ。軽い誤魔化しならたちまち見破られてしまう。

 ルディアたち一行は、ミリス大陸西端のウェストポートから、中央大陸南端のイーストポートへ渡る輸送船に揺られていた。

 ミリス大陸から魔大陸間の船と比べ、中央大陸とミリス大陸の交易は圧倒的に盛んだ。香辛料、穀物、染料、芸術品など、扱う品々は枚挙にいとまがない。

 ゆえに大陸を渡るのは旅人のみならず、交易商とその商品も多いのだ。ルディアたちが乗る船も、交易商たちの船団のうちの一つである。

 

「そうか。俺にできることはほとんどないが、話し相手くらいにはなってやる。それで気が紛れることもあるだろう」

 

 誤魔化せたのかそうでないのか、ルイジェルドはあっさりと退き、立ち上がった。

 

「日も暮れてきた。暗くなりすぎんうちに船室に戻れ」

「了解です」

 

 頷いて、すぐに動けるように荷物をまとめる。甲板の日陰に座り込んでいるが、陽が落ちて風が冷たくなれば体も冷える。

 

「……ヒーリング」

 

 再び詠唱し、治癒魔術をかける。

 かけても直ぐに復活するこの倦怠感は、乗船する前からルディアの苛立ちの種だった。

 軽い船酔いとの相乗効果で気怠さは常よりも強い。我慢できないほどではないからこそ、鬱陶しくも感じるのだ。原因不明なのもそれに拍車をかけている。

 しばらく風に当たっていたおかげか気は楽だが、夜の潮風が体に悪いというルイジェルドの主張も尤もだ。

 

 いそいそと船室に戻ると、僅かに湿った木材と鯨油ランプの匂いに出迎えられる。採光窓の少ない船室は僅かに薄暗さを感じるが、その分ふんだんに灯りは確保してあるのだろう。以前に乗ったキャラベル船よりも、この輸送船の内装は遥かに充実していた。

 旅人がちらほらと見える程度の船室では、二人の姿など探すまでもない。すぐに見つけて近寄ると、ついさっきのルディアと似たような体勢でエリオットが壁に寄りかかっていた。

 

「ルディア……大丈夫か?」

「それは割とこっちの台詞です」

 

 ルイジェルドと似たような気遣いの声を上げるエリオットの顔色は悪い。

 それでも以前に船に乗った時よりもはるかにマシではあった。終始吐き気に悩まされ、眠っている間しか安息がなかったことを思えば、見違えるようだ。

 これも船旅の前にテレーズが方々に手を回してくれたお陰である。食糧だけでなく、それなりの金額のする酔い止めまでも取り寄せてくれたのだ。

 無論その恩恵を最も受けているのはエリオットである。陽が出ているうちは甲板に出て、うねる潮風や白い波を眺めるだけの余裕もできた。時折自分で治癒魔術を行使しているようだが、彼の魔力総量でも充分賄えるくらいには体調もマシらしい。

 

「酔い止めがちゃんと効いてるようでなによりです」

「まだちょっとだるいけどな」

 

 以前は常に億劫そうに横たわっていたことを思い出せば、テレーズには感謝してもし足りない。

 ただ、彼女には少年性愛(ショタコン)の気があったのか、エリオットを見て「あと一年……いや、二年早く出会えていれば……うーん」と唸っていた。

 確かにエリオットの容貌は整っているが、少年らしいあどけなさというものは薄れつつある。一四歳という年齢を鑑みればむしろ当然だろう。あるいは魔力災害が起こらず、領地で安穏と過ごしていれば違ったかもしれないが。

 

「じゃあ、前みたいに膝枕は要りませんね」

「もう一年近く前のことだろ。それに、あれはルディアが無理矢理……」

「そうでしたっけ」

 

 反論するエリオットを受け流し、ルディアは腰を下ろした。

 エリオットの傍にあった小瓶を拾い、中の酔い止めを口に含むと魔術で出した水で飲み下す。

 返す返すも、テレーズと出会えたのは幸運だった。酔い止めは高価と聞いているので、好意で貰える訳でもないならわざわざ買おうとも思わなかった。パウロのいる捜索団からは既にミリス王札二〇枚という大金を受け取っているが、それから崩そうとは思わない。

 

 パウロと言えば、別れ際に親子の歓談の場を設けようと一度会食していた。

 そこでは同席したエリオットが「フィットア領領主サウロスの孫として、捜索団団長殿の献身に深く感謝する」などと言い出したものだから、ルディアとしてはどんな毒舌が飛び出すものか戦々恐々としていたばかりに衝撃だった。面食らったパウロが慌てて取り繕っていた姿にヴェラと併せて吹き出してしまったのはご愛嬌だ。

 ノルンは終始ルディアにつかず離れず、くっついて居たいのに距離感を測りかねている子供のような態度だった。一丁前に照れているのかずっとべったりという事は無かったが、それは災害前からだ。どちらかというとアイシャの方が甘え上手だった。

 そのくせ、別れ際にはしがみついて泣くものだから困ったものだった。どうやらノルンはルディアがこれから捜索団と同行するものだと思っていたらしく、別れを切り出したときには期待を裏切られたような顔をしていた。心は痛んだが、妹に懐かれるというのはルディアとしても満更でもない。

 

「……ふう」

 

 酔い止めの薬がある程度効果を発揮してきたのか、妙な倦怠感が和らいだ。だがやはり効果があるのは船酔いに対してだけのようで、根本的なものは別にあるのか頭の重さは変わらない。

 

「ルディア?」

「大丈夫ですって」

 

 ひらひらとエリオットに手を振って、ルディアは横になった。

 

「夕飯、食べないのか」

「なんか食欲もないですし。朝多めに食べますよ」

 

 いつの間にか外はだいぶ暗い。

 やることがない船の中では、さっさと眠ってしまう方が良いだろう。

 床の上に毛布を敷いただけの寝床は固いが、野営に慣れたルディアにとっては雨風が凌げるだけで十二分だ。もっと金を出せば、個室のあるより上等な船に乗れたかもしれないが、浪費は御法度だ。

 スプリングの効いた柔らかなシーツが恋しくならないと言えば嘘になるが、それでも我慢できる範囲である。なにより寝ている間は余計な体の不調に気を囚われずに済む。

 ルディアは枕にした背嚢に頭を預け、鯨油ランプの灯りを瞼の裏に感じながら意識を手放した。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

「やあ」

 

 白い世界。

 地も空も、見渡す限りの白だ。

 だがそれは清廉さを感じる純白ではなく、一切の意味を無に帰すような、虚無を感じさせる白。

 懐かしい不快な感覚。だが今日のそれは、なぜだか違和感がある。

 振り向くと久方振りの卑猥なモザイクが、やはり何処かカンに障るような態度で、へらへらと俺に語りかけてくる。

 

「毎回さ、カンに障るだとか不愉快だとか言うけど、そんなにかい?」

 

 ああ、最悪だ。

 どうしようもないほどにね。

 そういうなんか、卑屈に見せかけてお前のことなんかわかってますよっていうのが透けて見える態度とか、諸々全部が不愉快なんだよ。

 

「別に全部わかるってわけじゃないさ。そりゃ君より多くのことはわかってるけどね? だから助言もしてあげられる」

 

 ああそうかい。

 そりゃどうも、一年振りにご苦労様。

 俺もお前みたいな生活が送ってみたいよ。

 昔は将来の夢はサンタクロースだったんだ。なにせ、一年に一日しか働かずに済むからな。

 

「そのなんとかっていう職業の事は知らないけど、確かに一年振りだ。僕は君のことを見てたから、久しぶりって感じはしないけどね」

 

 ……ちっ、そういうとこだよ。

 一年に一回顔を見るだけで済めば、俺としても気が楽なんだけどな。

 

「別にこれ、僕が制御できてるわけじゃないからねえ。波長が合うって言うのかな、君とはなんとなく相性が良くて、気がついたら繋がってるようなものなんだ」

 

 意図してるわけじゃないってのはよくわかったよ。

 でもお前が俺が苦しんでるところを面白おかしく見てたってのは変わらないぞ。

 

「うん。まあ見てたよ。君ほど奇特で破天荒な人生を送ってる人間もそういないからね」

 

 で? また今回もありがたい助言をくださるってか?

 

「お、今日は話が早いね。そんなところさ。

 聞くかい? 助言」

 

 ああ聞いてやるさ。

 でも聞くのは一つ、家族の居場所だ。

 

「家族?」

 

 そうだよ。生前のじゃなくて、こっちのだ。

 ゼニス、リーリャ、アイシャとかな。

 

「ふーん」

 

 なんだよ、ヒトガミ様にもわからないこともあるのか? 魔界大帝に会わせて魔眼をくれる事はできても、家族の場所は教えられないってか?

 

「そんなことはないさ。教えてあげてもいい。

 ただ、代わりに一つ約束して欲しくてね」

 

 ……約束?

 家族の場所を教える代わりに、操り人形になれとか言うつもりか?

 

「違う違う。ただ、僕のことを信じて欲しいんだ」

 

 信じるだぁ?

 今後は助言にハイハイ従えって言ってるのと、そりゃ何が違うんだよ。

 

「うーん、そういうことじゃなくてね。いつもその喧嘩腰ってのも疲れるじゃないか」

 

 直せってのは、次に出てくるのも確定かよ。

 俺としちゃ、二度と会いたくないんだけどな。

 

「つれないなあ」

 

 わかったよ、聞いてやるよ。

 でもな、お前も譲歩しろ。

 

「譲歩?」

 

 そうだよ。

 例えば、もっと助言の内容を詳しくするとかさ。

 そうすれば、獣族の集落であんな目に遭うこともなかったし、パウロと喧嘩しなくても済んだ。

 

「なんか、全部僕のせいにしてない? よくないと思うなあ。そういうの」

 

 ……。

 急に尤もなこと言いやがって。反論できない分腹が立つ。

 

「おっと、気に障ったかな。ごめんごめん。

 詳しく助言だっけ? いいよ、そうしよう」

 

 ああ、頼む。

 

「では、助言を授けましょう……」

 

 

 ────。

 

 流れ込んでくる光景。

 石壁に囲まれた部屋に、暗く澱んだ空気が充満している。

 ボルドーのような赤い髪をした妙齢の女性が、口枷を嵌められ、後手に縛られながら、ごつごつとした冷たい床に転がされている。

 そのそばに立つのは下卑た笑みを浮かべる樽のような体型をした小太りの男と、柄の悪いならずもの。

 あれは、リーリャだろうか。

 だがリーリャが、何故……?

 

 

「ここまでかな」

 

 ……今のは、なんだ。

 なんでリーリャが……

 

「さて、よくお聞きなさい。

 彼女はアイシャとともに、シーローン王国の王城に抑留されています。

 防備は固く、助け出すことは容易ではありません。

 王宮にいる知人に手紙を出し、機を窺うのです。

 さすれば、アイシャ、リーリャ共に王宮より助け出す機会が訪れるでしょう」

 

 俺が混乱しているうちに、モザイク野郎はこんなところかな、と頷いている。

 

 シーローンって、中央大陸の東部だろ? 動こうと思えば半年かからない距離じゃないか。この二年で魔力災害の存在は知れ渡ってる。見つからないわけがないじゃないか。

 それに抑留されてるって、二人は無事なのか?

 

「無事だよ。今見ただろう?」

 

 無事? 無事だって?

 今の光景を見せて、よくもそんなことが言えるな。

 

「五体満足で生きているなら十分無事だと言えるんじゃないかな。

 ……ああ、ごめんって。そんなに怒らないでよ。心配しなくても、リーリャもアイシャも大丈夫だよ。ちょっと憔悴してるけど、あとは至って健康さ。貞操も無事だよ」

 

 ……。そうか。

 気に食わない……気に食わないが、無事なら、いい。

 不便な思いをしているのだろうが、助け出せば済む話だ。魔力災害の被害者は半分以上が死んでるんだから、まだマシな状況だろう。

 

「お、前向きだね」

 

 うるさいな。

 少なくとも、俺みたいに魔大陸に転移してなくてよかったと思うことにする。

 場所もわかってることだしな。ルイジェルドもいるし、最悪力づくでいけばなんとかなるだろ。

 

「彼なら子供のことなら断ったりしないだろうしね」

 

 そうだよ。

 だから俺たちのことも助けてくれたんだしな。

 

「君がかわいい女の子だからかい?」

 

 茶化すなよ。

 ルイジェルドだって、中身がこんな捻くれたおっさんだってわかったら、きっと幻滅する。

 

「なんだ。やっぱり君、気付いてないんだ」

 

 ヒトガミは何処か呆れたような、何処か面白がるような雰囲気を伺わせながらそう言った。

 は?

 俺が、何に気付いてないって?

 

「自分の姿、見てみなよ」

 

 自分のってそりゃ、お前……

 そこまで思って、俺は絶句した。

 

 ヒトガミと会う度に大きくなっていた、全身にくまなく走るノイズ。それに、いよいよ生前の体が分解されかかっている。

 数瞬、俺はパニックに見舞われた。

 転生した世界で改めて死んだらどうなるのか、夢想した事はあった。

 だがヒトガミのいる夢の世界でまで死んだらどうなるのか?

 

「落ち着きなよ。別に死ぬわけじゃないんだからさ」

 

 嗜められて、落ち着きを取り戻す。

 だが、これはなんなんだ?

 

「わからないかい。まあ僕にもよくわからないんだけど。

 これは予想だけどね。僕は魂を見てるんだ。だから君はいつも、あの肥満体で現れる。でも、君の魂が変質しているとしたら……?」

 

 ぶよぶよの、醜い肥満体がほとんど分解されかかり、その内側から華奢な体が覗いている。

 今世の体に。

 なんで……なんでだ? どうしてこんなことに。

 

「僕に聞かれたって知らないよ。

 ただ……君さ、前世の自分の名前、思い出せる?」

 

 言われて初めて、俺は前世の名前を思い出せないことに気がついた。

 

 名前……

 名前だ。俺の名前。

 ルディア・グレイラットじゃない。

 思い出せない。

 前は思い出せたはずなのに。

 まるで、まるきり記憶が欠落したかのように──

 

「多分、その変化は不可逆だよ。魂の変質からは逃れられない。精神はある程度体に引っ張られるものさ。

 ずっと寝ているならまだしも変化はゆるやかだろうけど」

 

 いや、欠落しているのだ。

 前世の男だったという記憶が、意識が、まるで櫛の歯が欠け落ちていくかのように、ぼろぼろと崩れ落ちていく。

 

 髪を掻きむしるその感覚さえ違う。

 昔のぼさついた黒髪じゃない、長く伸びた栗色の髪。

 

 俺に前世があっただのと、かつて男だっただのと、それを証明できる人間など、誰一人いない。

 それを主張できたのは俺の自意識だけだった。

 その俺の意識さえ、ルディア・グレイラットに変質してしまうのだとしたら、俺の前世の記憶は誰が保証する?

 

 前世の醜い肥満体の事を、俺は確かに嫌悪していた。

 決別し、脱却しようとしていた。

 そういう覚悟で生きてきた。

 それが駄目だったのか?

 

「だって、変わりたかったんだろう?」

 

 こんな形での変化なんて望んじゃいない!

 

「それこそ僕の知った事じゃないよ。あのぶよぶよの体が嫌だったんだろう? なら君がそう(・・)なるのは必然だった。次に会うときは、完璧に女の子になってるかもね」

 

 受け入れるしか、ないのか。

 女として生きる事は覚悟していた。だけど、それは前世の全てを否定していたわけじゃない。それを否定してしまったら、こっちの世界で本気で生きるという覚悟さえ否定してしまうことになる。

 

「取り乱す君を見るのも楽しいけど、助言もしたし……そろそろかな。あんまりからかって、これ以上嫌われたくもないし」

 

 俺は。

 俺は……

 

 にやにやと薄笑いを浮かべたあいつが遠のいていく。

 視界がぼやけていく。

 白かった視界が次第に霞がかっていき、遂には暗く沈んだ。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 目が覚めた。

 視界の端で、船の揺れに合わせて吊るされたランプが揺れている。

 前髪が額に張り付いている。呼吸が荒く、ルディアは自分が汗だくのまま魘されていたことを自覚した。

 熱のこもった毛布を蹴り退けて起き上がる。じっとりと湿った下着が酷く不快だった。

 

「ぅぶ……っ!」

 

 唐突に込み上げた吐き気に、顔を青くして厠に駆け込む。胃の中のものを空にするまで散々に吐き散らし、胃液に汚れた唇を拭う。

 がんがんと、頭蓋が割れんばかりに痛んだ。

 吐き気と眩暈と頭痛に足が萎え、壁に手をついてへたり込む。

 

 しばらく体を休めることに集中し、口を濯いで深呼吸を繰り返す。

 この痛みと倦怠感には覚えがあった。

 限度を超えて予見眼を行使したときのそれに似ている。おそらくヒトガミは、ルディアの魔眼の力を増幅させて未来を垣間見せたのだ。

 その結果がこの有様である。

 

「ぐ、ぅぅ……ヒーリング」

 

 堪らず詠唱し、治癒魔術を行使する。

 詠唱できるほどには回復したが、それでもなお耐え難い。

 

「ルディア、しばらく籠っているが大丈夫か」

 

 厠の扉の外から、ルイジェルドの気遣わしげな声がかかった。

 何故彼が、とも思うがなんのことはない。

 血相を変えて船室を飛び出したルディアにルイジェルドが気づかぬはずもないのだ。

 

「大丈夫です。少し……寝ぼけて魔眼を使ってしまったみたいで」

 

 努めて平静を装い、扉の外の声に応える。

 おそらく傍目から見ても酷い有り様だろうが、時間とともに回復するはずだ。

 

「そうか……」

 

 ルイジェルドが不審に思うのも仕方のない話である。

 船に乗る前から、ルディアは不調を隠しきれていなかった。それとはまた別口とはいえ、今回の奇行である。

 不審を抱かれるのも当然だ。

 

「何度も言うが、つらいなら我慢するな。いいな」

「はい」

 

 ルディアが了解を返すと、ルイジェルドの気配が遠ざかっていった。

 それに安堵して、再び壁に寄りかかる。

 

「……くそ」

 

 思わず、悪態が口をついた。

 見せられた光景、あれが未来で本当に起こるならば考えるべきことは幾らでもある。だのに、脳裏を占めるのは他の事柄だ。

 夢の中の出来事……ほとんど、半ば以上に分解されかかっていた前世の自分。あれは紛れもなく、前世の意識が消えかかっていることの証左だ。

 己の魂が男のものであるという事は、この身が女であるのも同じように揺るがしようのない事実であったはずだ。それを証明していたのは皮肉にも、あれほど疎んじていた夢の世界での己だった。

 だのにそれは揺らいでいる。その認識に齟齬が生まれ、齟齬が亀裂となって破壊しようとしている。

 

『その変化は不可逆だよ。魂の変質からは逃れられない』

 

 ヒトガミの声が脳内に反響する。

 これはきっと、喪失感だ。

 穴の空いた樽から水が漏れ出ていくように、この世界で女として生きるうちに、男としての意識が消え、塗り潰されようとしている。

 この漠然とした恐怖と喪失感は、消えかかった前世の自意識の断末魔なのだ。

 

「ぅっ……。…………?」

 

 ふと生じた違和感に、ルディアは自分の身体を見下ろした。

 湿っていた下着は冷えはじめ、体温を奪い始めている。戻って汗を拭き、着替えなければ風邪をひいてしまうかもしれない。だのにルディアはそういった懸念を無視し、備え付けられていたランプで体を照らした。

 

 寝汗ではない湿りで、下半身が濡れている。

 膝までのズボンを捲り上げると、赤茶けた液体が真っ白な腿を伝った。

 血だ。

 

 




 久々にTS作品らしい回を。

 身体の変化に一番びびるのはやっぱり本人ってね。
 もちろん精神の変化にも。

 そりゃ一二〜三年も女の子してりゃ精神も変化しますよ。わからせもちょいちょいあったわけですし。
 とはいえもともと願望があったならともかく、普通はショック受けるんじゃないでしょうか。いや、TSしたことないんでわかりませんが……
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