泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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メイド服誘拐犯

 

 

 懐かしさすら感じる感覚だった。

 癇性に任せて怒鳴り散らすのも、差し伸べられた手を振り払うのも、深い記憶の奥底に、消えるでもなく蟠っていた確かな自分のかたちだった。

 否定していたはずの、古い前世の記憶。

 それにすら縋りそうになっている。

 

 自分の精神がかつてないほどに不安定になっていることを、ルディアは過たず理解していた。だが同時に、そこから脱する術がまるで思いつかず、袋小路に陥っていることもまた、同様に理解していた。

 パウロと仲違いしたときのように、和解という明確な解決策があるわけではない。

 女、ということに対する違和感自体は、ずっと昔から抱いていたものだった。どうしようもない、という諦念もまた同時に抱いていた。その上で自分自身で折り合いをつけ、これはこれで、と納得して生きてきた。

 それなのに、夢の世界で認識した己の変わりように、変質しつつある己の魂に、他ならぬルディア自身が動揺していた。

 結局のところ、受け入れていたつもりでしかなかったのだ。

 

 冒険者ギルドに足を運び、ロキシーへの手紙を(したた)め、出す。

 それだけのことに随分と時間をかけてしまったのは、内容の推敲をしていたのもあるが、それ以上に気が重かったからだ。

 宿に戻ったら、エリオットに謝らなければ。

 彼は許してくれるだろうか。さほど気にしていないかもしれない。だがそれに甘えていては駄目だ。

 全ては己の問題なのだ。エリオットやルイジェルドに迷惑をかけるわけにはいかない。

 そしてそれ以上に、それにかまけている場合でもない。ルディアの家族が……リーリャとアイシャがこの国にいるのだ。彼女たちを救い出すまで、そんな些事にかかずらってはいられない。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドを出たエリオットは、大通りの人の多さを目の当たりにして、路地裏へと足を向けた。

 宿に向かうには路地裏をショートカットして、新たな通りに出た方が早いからだ。整備がアスラ王都やミリシオンほど行き届いているわけでもない街では往々にしてあることだ。

 普段のエリオットからすれば考えられない行為である。よほど慣れた街でなければ基本大通りを使うし、それはルディアからも口酸っぱく言い含められていたことでもあった。

 だが人目の多い通りを選んで帰れば、拠点の宿まではどうしても三〇分以上はかかる。それが今のエリオットにはどうしても億劫で、普段自分に課されていたルールを思わず破ってしまったのだった。

 それは、冷たい態度を取られてしまったことに対する、ささやかな反抗とも言えたかもしれない。

 

 大通りの活気に倦んだエリオットにとって、路地裏の黴臭さの感じる静謐さは、何処か心地よさすら感じるものだった。

 大通りは石畳によって整備されていたが、路地裏は土を踏み固めただけのものだ。だが湿度が多い風土のためか、埃っぽさはそれほどでもない。

 ぬるい風が吹く路地を、エリオットは最低限の警戒だけしながら通り過ぎた。如何に王都とはいえ小国の路地裏は、ロアのそれよりも安全とは言い難いだろう。思い出せばミリシオンですら、人攫いは衛兵たちの目を盗み横行していたとのことだ。

 その警戒のおかげもあってか、エリオットはともすれば聞き逃してしまいそうな剣呑な罵声を、大通りの喧騒に紛れてしまう前に聞き咎めることができた。

 足を止めて咄嗟に周囲を見渡し、視界にそれらしいものがないか確認すると、エリオットは耳をそばだてた。

 漫然と歩いているだけでは自分の足音に混じり、意味ある音として聞き取れなかったそれが、僅かに明瞭になって聞こえてくる。

 

『あのガキ、どこに行きやがった!』

『所詮は六か七のガキだろ、そう遠くは行ってねえはずだ』

 

 響く濁声と、慌ただしい足音。

 必要以上に鷹揚で、威圧感を与える声は、その主が堅気ではない仕事を生業としていることを物語っている。

 

『捕まえねえとあの馬鹿王子がまた喚き散らすぜ?』

『幾らでも喚かせろよ。どうせ衛兵どもが見つけんだろ』

『先越されたら追加の報酬がなくなっちまうだろうが。そら、ぼやいてねえで探せ!』

 

 何処の国でも、そういう輩はいるものである。

 表面上どれほど取り繕おうとも、日の当たるところを離れ薄暗がりに足を踏み入れれば、探すまでもなく巣食っている。

 現地のごろつき紛いと、無闇矢鱈に事を構えるつもりはなかった。余計な労力を払うべきではない。名前を売れるならともかく、滞在初日に面倒事を増やすなど御法度だ。

 だが。

 

『……やだ! やめてぇ!』

 

 少女の悲鳴が裏路地に響いた。

 先ほどの剣呑な声よりももっと近い。

 すぐ近く──進行方向にある十字路の、曲がった先から聞こえてくる悲鳴に、エリオットはふんと鼻息を一つ落とした。

 ここで見捨てるのは余りにも目覚めが悪い。声音から察するに、絡まれているのは一〇歳未満の少女だろう。抱えて逃げるくらいの事は難しくない。離脱したら衛兵に子供を預ければいい。

 エリオットは足音を殺し周囲の警戒を怠らぬまま、建物の陰に背中をつけてそっと声の出所を窺い──その現場を目の当たりにした。

 

「返してよぉ!」

 

 小さな侍女風の服に身を包んだ少女と、それを囲む二人の男。一人は少女の肩を掴んで押さえ込み、もう一人は便箋を手に持っている。

 取り上げられた手紙と思しき便箋に手を伸ばす少女。

 その容貌に、どことなく既視感を憶えた。

 

「なんだお前、字読めたのか?」

「いや、わかんねえ」

「なんだそりゃ。さっさと破いちまえよ」

「やめて! お父さんに出す手紙なの!」

 

 日に焼けた濃い色の肌が多い地域には珍しい、血色の良い白い肌。ボルドーのような深い赤髪のポニーテール。ルディアと同じエメラルドグリーンの瞳は涙を湛えている。

 あの顔は、何処かで……いや、それは後だ。

 かぶりを振ったエリオットは、ごろつきの視界の中に身を晒した。身の隠す所のない狭い裏路地では奇襲は難しい。ならば正面から行くのみ。

 

「お前ら、その子に何をしてる」

「あっ……!」

「……なんだ、てめぇ」

 

 険しい声の誰何に、ごろつきが胡乱な声を返した。

 少女は現れたエリオットに光明を見出したのか、ぼろぼろと涙を溢しながら男の腕を振り払って駆け寄ってくる。

 

「おっ……おねがいします! たすけてください!」

 

 涙をぼろぼろと溢しながら胸元に飛びついてくる少女を、反射的に抱き止める。

 

「……おい、何やってんだよ」

「うるせえな。丁寧に扱えって言われてんだろうが」

 

 悪態をつく男たちは、少女にしがみつかれるエリオットを見て威圧するように声を上げた。

 

「おい坊主、俺らの仕事の邪魔をするんじゃねぇよ」

 

 恫喝する男たちは油断しきっている。

 剣士風の格好をしたエリオットだが、背丈はまだまだ少年のそれ。迷宮探索に挑む熟練冒険者の多いシーローン王国では、それらを見慣れてしまった者からすれば、エリオットの若さは侮るに充分なのかもしれない。

 

「さっさとその餓鬼を渡しな」

「断る」

「あぁ?」

 

 エリオットの返答は短く、明瞭だった。

 その躊躇のなさにごろつきたちは顔をしかめ、大仰に溜息をつく。

 

「……なぁおい、こっちは忙しいんだよ。正義の味方ごっこなら余所でやれや」

「あー……めんどくせぇ。殺すか?」

 

 そういった行為を慣れ親しむほど繰り返しているのだろう、なんの躊躇いもなく腰の得物を抜き放ったごろつきに、エリオットの意識は既に氷結した刃の如く冷え切っていた。

 腰にしがみついていた少女は、剣呑な気配を察知してエリオットの背中に回り込む。聡い少女だ。

 

「もう一度警告してやるよ、坊主。その餓鬼を寄越しな。死ぬなら路地裏よりはベッドの上の方がいいだろ。それとも達磨にされて少年好きの変態貴族にでも売られてぇか?」

 

 殺意も露わに近づいてくるごろつきは、年若いエリオットよりも頭半個分上背が高い。

 足取りが弛まぬままに、その頸が──なんの予兆もなく刎ね飛ばされた。

 

「は……?」

 

 虚空を睨んだままの頸が、放物線を描いて石畳の上に落ちた。その背後で、ごろつきの片割れから気の抜けたような声が漏れ出る。

 視線の先では、赤毛の少年が振り上げた腕を降ろす所だった。その手には、腰に納まっていたはずの曲剣がいつの間にか握られている。

 ごろつきはそこでようやく、相方が抜き打ちの一撃によって屠られたことを理解した。

 中古の装備品に身を包んだ、駆け出しの冒険者──魔物相手ならいざ知らず、人間を相手取るだけの覚悟の備わっていない少年であるという想定は誤りだったのだ。

 それを理解したごろつきの判断は早かった。

 すぐさま腰の得物を抜き、油断なく構える。

 

「……野郎ッ!」

 

 エリオットが頸を失った骸を蹴り倒した。

 噴水のように噴き出す血を浴びるのを嫌ったからだ。

 曲剣を持った対の手は、その光景を見せまいと少女の目元に添えられている。その少年目掛け、濁った気合いの声とともに凶刃が振り下ろされ──両者の間に、甲高い衝突音とともに火花が散った。

 

「クソ餓鬼が、すかした(つら)しやがって……」

 

 弾かれた鉄剣を素早く構え直しながら、ごろつきが憎々しげにエリオットを睨め付ける。

 ごろつきとて、自らの剣技にはそれなりの自負を持っていた。認可こそ受けてはいないが、北神流にして上級剣士と腕前は遜色ない。中級あたりで燻っていた相方は不意打ち染みた一撃で屠られたものの、己は違うという実力に裏打ちされた矜持があった。

 眼前の少年の上背は一七〇に満たない。得物から予想するに流派は剣神流か。背後に幼い少女を庇ってでは、さぞ戦いにくかろう。先の一撃を回避ではなく、あえて迎撃したことからもそれは窺える。

 

「そうかよ。すかして見えるか」

 

 エリオットの口調は淡々としていたが、緩やかに吐いた息は熱く、眼光は鋭い。なるほど、ごろつきの立場からしてみれば、エリオットのこの態度は義憤に駆られた少年のそれに見えるのかもしれない。

 すかした、などと……心外だった。今の自分は、特に虫の居所が悪いのだから。

 だからこれは、義憤というよりも八つ当たりに近い。

 

 次に仕掛けたのはエリオットが先だった。

 風切り音と共に振るわれる曲剣とごろつきの鉄剣が衝突し、王都の路地裏に金属音が連続する。

 もし対面していたのがルイジェルドならば厳しく咎めただろう。常よりも激しい剣筋は、常よりも僅かに荒い。しかしそれでも、ごろつきを圧倒するには充分だった。最早今のエリオットは、アスラ王都で北神流剣士に翻弄されたときのエリオットではない。この二年半余りで、剣士として劇的な成長を遂げている。

 

「ちぃ……ッ!」

 

 互いの得物を挟んだ向こうで、ごろつきの表情に焦りが浮かぶ。

 エリオットに力任せに鉄剣を弾き返されたごろつきがたたらを踏む。泳いだ腕が壁面に触れ、崩れかかった漆喰を掴んだ。手の中で握り砕かれ、破片となった漆喰がエリオットの顔面目掛け撒き散らされる。

 だがエリオットは既にその動きを見切っていた。破片の軌道から顔を逸らしつつ、追撃の鉄剣に切り返しの一撃で応じた。

 無理な体勢、かつ片手で振るわれる鉄剣はエリオットの曲剣に剣速で劣る。振り下ろされる鉄剣と対称となる軌道の曲剣は後の先を制し、ごろつきの手首を断ち割った。

 

「ぎゃあぁッ!」

 

 異なる世界に於ける 合撃(がっし)、あるいは切落(きりおとし)と術理としては同じ技である。これを究めた剣神流剣士は、《光返し》としてこの技を振るう。

 悲鳴を上げながら手首もろとも鉄剣を取り落としたごろつきに、エリオットは身体を旋転させて踵を顔面に叩きつけた。曲剣を警戒するあまりそれ以外への警戒を疎かにしていたのだ。蹴り技という、純粋なる剣神流剣士としては有り得ぬ攻め手にごろつきは応じることすらできなかった。

 堪らず曲剣の間合いから這い出たごろつきが、残った腕で短剣を引き抜きながら蹴り砕かれた奥歯を吐き出した。

 

「畜生、てめぇ……俺の腕を……ッ!!」

 

 殺意も露わにエリオットを睨み据えるごろつき。その背後から、慌ただしい足音とともに野卑な格好の男たちが現れた。眼前のごろつき同様に、腰に得物を提げている。

 いたぞ、餓鬼だ。一人やられてるぞ、といった濁声が路地裏に連続する。

 

「クソッ! ……遅えぞ、てめぇら!」

「うるせぇ! 勝手に先走った結果だろうが。いい気味じゃねぇか」

「ああ!? 殺すぞ!」

 

 ぞろぞろと現れた新手が更に三、四人。

 狭い路地は戦いにくくはあるが、同時に複数人を相手取ることもない。上級剣士以上の実力者が複数人でもなければ、そう悲観するような事態でもなかった。これがエリオットだけならば与し易いが──ちらりと背後の少女を見遣る。

 侍女風の小さな少女は、優勢だったエリオットにいっときは希望を見出していたようだったが、並いる増援に怯えの色を濃くしていた。

 

(ここは退くか……)

 

 小さな子供を守りながらでは攻め手も鈍る。戦闘が長引けば背後から強襲を受けるかもしれない。元来た道を全速力で戻り、大通りの雑踏に紛れてしまうのが最善だろう。少女はその後に衛兵にでも保護を願い出ればいい。

 これが引き際だ、とエリオットが少女を促して踵を返そうとしたその時、まさに退路と見定めた路地から人の気配が近付いてきた。

 

「貴様ら、そこで何をしているか!」

 

 挟み撃ちか、と警戒を滲ませて視線を向けた先から現れたのは、剣や鎧といった装束を身につけた兵士が二人。

 エリオットにとっては援軍も同然だった。側から見れば、人攫いに抵抗する少年と幼い少女、そしてそれを拐かそうとするごろつきたちである。衛兵がどちらに味方するかなど考えるまでもない。

 

「お兄さん、駄目……!」

 

 だのに、腰にしがみつく少女は焦燥を滲ませた表情でエリオットに訴える。

 

「ちっ、嗅ぎつけやがったか」

 

 王都の秩序を守る衛兵たちの声に、ごろつきは旗色が悪いと踵を返すだけでもなく、ただつまらなそうに唾を吐き捨てただけだった。

 

「……どうやら、先に見つけられたようだな」

「遅かったじゃねぇか、衛兵さんよ。ええ?」

「後は我々が対処する。貴様らは戻れ」

「おっと、そうはいかねぇな。手柄の横取りなんてさせるわけねぇだろ? こいつらは俺らが先に見つけたんだからよ」

「……ハイエナどもが。だが貴様らの手には余るのではないか?」

「ほざけ、一人二人先走っただけだ」

 

 毒づく衛兵たち……否、衛兵とごろつきたちの遣り取りに、なにか致命的な違和感を感じて、エリオットは警戒も露わに衛兵を見遣った。

 

「そこの君、その子をこっちに渡してくれないか? あとは我々が責任を持って面倒を見よう」

 

 なにより、この少女の反応が気がかりだった。

 多少腐敗していようが、衛兵とは仮にも法の番人である。それに対し、幼子は必要以上の警戒はしない。

 そこでエリオットははたと、少女に感じていた既視感の正体に思い至った。

 赤みがかった茶髪。翠緑の瞳は仲間の少女のそれと酷似している。否、それ以上に、自分は昔、この少女と会ったことがあるのではないか?

 そこまで思考が回れば、少女の正体にも自ずと察しはつく。

 

「お前、……もしかしてアイシャか……?」

「!」

 

 ぶんぶんとしきりに首を縦に振るアイシャ。

 今の今まで気付かなかった。それも無理からぬことだ。エリオットはアイシャとは数度しか会う機会はなかったし、その頃のアイシャはメイド服など着ていなかった。

 ルディア曰く、シーローンの王宮には義母と異母妹が囚われているという話だった。どこの情報筋から掴んだ情報なのかはまだ彼女を質していないからわからないが、真実ならアイシャが衛兵を警戒するのも当然だ。

 つまるところ──この衛兵は味方ではない。引き渡したらアイシャはまた、囚われの身へと逆戻りだ。

 

「大丈夫だ。事情はわかってる」

 

 エリオットの対応は当然決まっていた。

 片手でアイシャを抱え上げると同時に、もう片方の手を自分の腿に這わせ、投擲用のナイフ(スローイングナイフ)を数本掴み取る。

 

「ひゃっ!」

「振り落とされるなよ!」

 

 エリオットの腿には、刃渡り一〇センチ程度の小さなナイフが数本、自作の革製のナイフシースに納まっていた。ミリスでの一件以来、中距離以上の攻撃手段を欲したためだ。それから定期的な練習は欠かしていない。今では一〇メートル離れた南瓜(カボチャ)に投じれば、刃が根元がまで突き立つほどだ。

 それなりの威力だが、今の技量では上級以上の剣士が相手だと威嚇用にしかならないだろう。だがそれで十分である。もとより今回の投擲に威嚇以上の意図はない。

 

「──むっ!」

 

 肘から手首までのスナップを効かせ、エリオットはナイフを衛兵目掛け投擲した。

 狙ったのは兜である。衛兵に対する害意はなかった。だが幾ら厚い兜に防護されているとはいえ、顔面に飛んでくる投擲物に人は反応せずにはいられない。

 金属音が連続し、衛兵たちは咄嗟に抜き放った剣で叩き落としたものの、エリオットの肉薄を許すこととなった。

 

「ぐおっ!」

 

 繰り出された曲剣を、衛兵の一人が防御する。

 その軽さに致命的な違和感を感じると同時に、機敏に翻った曲剣が側頭部に吸い込まれる。峰打ちのそれは兜の上から衛兵の脳を揺らした。

 足をふらつかせ、崩れ落ちる衛兵。意識を飛ばさぬまでも、しばらくは立って走ることは出来まい。

 もう片方の衛兵は、エリオットに抱えられたアイシャを見て、迷った末に剣を振り上げたが、鞭のようにしなったエリオットの蹴りが胸元に叩きつけられ、怯んだ隙に脇をすり抜けられる。

 

「まっ──待て!」

 

 制止の声を背中に受けながら、エリオットは路地を駆けた。

 アイシャを抱えているとはいえ己の脚には自信がある。挟み撃ちの危機から脱した今、重装備の衛兵を撒くのは容易だ。抱えられたアイシャも面食らっていたようだが、よく耐えている。

 だがそんな予想は、路地に響き渡った甲高い警笛によって覆された。更に大通りから、近くの路地から、あるいは曲がる予定だった角からも応ずるような警笛が響く。

 追いつけまいと早々に判断した衛兵が応援を呼んだのだろう。こうなるとわかっていれば無理にでも昏倒させたのだが。

 

「……ちっ!」

 

 来たばかりの王都には当然エリオットは精通しているはずもない。警笛に追い立てられながらの逃避行。こうなる事を予見できれば、もっと事前に入念に、王都に地形を見て回っていたのだが。

 そしてそれも、唐突に終わりを告げる。

 遭遇を避けるうちに、袋小路まで追い詰められてしまったのである。

 振り返れば、先ほどにも増した数の衛兵たちが追いついて来るところだった。

 その先頭の、はじめに警笛を吹いた一人が威圧的な声を上げる。

 

「この一帯は封鎖した!

 応援もこれから更にやってくるだろう。今なら手向かったことは不問にする。投降しろ!」

 

 言い切ってから、次いで衛兵は口調を和らげ、諭すように語りかけてくる。

 

「抵抗しなければ、悪いようにはしない。君も、その子の安全も我々が保証しよう」

「……」

 

 アイシャがしきりに首を振って訴えてくる。

 それを見ながら、騙されるな、とエリオットは己を戒めた。

 そも、アイシャは王宮に囚われていたのである。その母親であるリーリャもまた同様だ。この国の兵士を当てにすることはできない。

 あるいはこの兵士も、命令されて仕方なく従っているのかも知れないが、それは現状ではただの好意的な解釈に過ぎず、それを信じるだけの愚かさをエリオットは持ち合わせてはいなかった。

 ちらり、と周囲と頭上に視線を配る。

 足場や手掛かりにできそうな凹凸は充分。アイシャの体重も、せいぜいが二〇キロかそこらだ。

 

「……アイシャ、しっかり掴まってろ」

「うん……へっ? ひゃああっ!?」

 

 エリオットの脚が(たわ)んだ。

 一息に飛び上がり、壁を蹴って更に上へ。貸し宿と思しき建物、その二階の窓枠を掴んで身体を引き上げ、サッシに爪先を引っ掛けて再度跳躍を繰り返す。

 意図を察した衛兵たちが慌てて駆け寄るも、既に遅い。足元に兵士たちが駆け寄ってくる頃には、さながら猫科の狩猟動物のような身のこなしで、エリオットは屋根まで到達していた。

 雨樋を掴んでアイシャを片手で押し上げ、間髪入れずに己も壁を蹴り、反動で飛び上がって屋根上に着地する。

 

「さあ、逃げるぞ」

 

 兵士は肩と胴体を覆うプレートメイルに手甲、そして膝下を覆う金属製のレギンスという重装備である。エリオットと同じ真似ができるとは到底思えない。今のうちに距離を引き離すべきだ。

 ひび割れたテラコッタ屋根の上で四つん這いになっているアイシャを再度抱えて上げる。荷物のような扱いだが耐えてもらうしかない。

 兵士たちの狼狽の声を背に受けながら、エリオットは屋根上を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 宿に戻ったルディアを出迎えたのは、メイド服の小さな少女だった。

 予想外の相手の出迎えにほんのいっとき、ルディアは目を白黒とさせたものの、それでも妹の顔を見誤るはずはない。きっと街中の雑踏に紛れようとも、苦もなく判別してのけたはずだ。

 ノルンと同じ日に生まれた、ルディアにとっての末の妹。

 

「──アイシャ?」

「お、お姉ちゃん……?」

 

 この国、この街で、助けようとしている相手が手の届く距離にいることに戸惑いながら、ルディアは表情に喜色を滲ませて両手を広げた。ノルンと再開したときのように、抱擁を受け止めるためだ。しかし予想に反してアイシャの両足は動かず、その場に留まったままだ。

 照れているのだろうか。首を傾げながら、ルディアは問うた。

 

「ええっと……アイシャは、どうしてここに?」

「エリオットさんに、助けていただきました」

 

 ルディアは部屋の中に視線を巡らせた。

 先に帰っているはずのエリオットの姿がない。

 先程は突き放した物言いをしてしまったため、顔を合わせることが気が重かったが、いないとなればそれはそれで淋しくもある。

 先程の一件で、もしかしたら愛想を尽かされてしまったのかもしれない。そんな懸念すら湧き上がるのだ。

 だがまずは、事情をアイシャから聞き出すことが先決である。その優先順位を違えるルディアではない。

 

「……詳しく聴いても?」

「はい! もちろんです」

 

 問われたアイシャはここに至るまでの過程を語り始めた。

 自分がリーリャと共に王宮に囚われていたこと。隙を突いてリーリャが逃してくれたこと。パウロへの手紙を出そうとしたところで衛兵に見つかり、街中を逃げ回ったこと。

 そして、自分たちを閉じ込めていた王子の息がかかったごろつきに捕まったところで、エリオットに救出されたこと。

 

「危ないところを助けていただきました」

「こっちもアイシャが無事で良かったです」

「無事に逃げのびることができました。お礼を言う間もなかったので、後ほどその機会をば!」

「エリオットなら気にしないと思いますよ?」

「そういうわけにもいきません」

 

 妙にかっちりとした言葉遣いをするなとルディアは思った。ノルンとはえらい違いである。

 あ、そうだとばかりに、アイシャは手に持っていた紙をルディアに手渡した。

 

「これは?」

「エリオットさんから、お姉ちゃ──お姉さまへ言伝だそうです」

 

 紙には、路地裏でアイシャを保護したということと、追手の警戒と情報収集に行くという旨が、丁寧な字で簡潔に記されている。メイド服姿のアイシャは目立つ。エリオットのことだ、抜け目なく追手をしっかりと撒いてから宿に戻ったのだろうが、一般人に聞き込みをされれば方角くらいは割り出されると思ったのだろう。

 その簡素な筆跡を指でなぞりながら、別れる直前のエリオットへの対応を思い返して、ルディアの胸がちくりと痛んだ。

 

「ともかく、事情はわかりました。アイシャはしばらく私たちと行動しましょう」

「はい。ありがとうございます」

 

 淡々と、そして丁寧に礼を述べるアイシャに違和感を感じて、ルディアはそう言葉尻を浮かせた。

 こちらを見遣る視線が、身の置き場に困っているような態度が、どことなく余所余所しく、固い。その表情に覗くのは、僅かな隔意と──警戒心?

 人見知りの子供が、初対面の大人を前にしたときのような、不安と警戒のないまぜになったような態度をとっている。例えるならばそれが近いだろうか。

 だが、何故?

 かつてのアイシャは──前に会ったのはもう三年も前になってしまうが、どんな相手にも物怖じしない闊達な性質(たち)だった。人見知りするのは、どちらかというとノルンの方がそういう性格だったはずだ。

 

「えーと、その……」

「どうしました?」

「手紙を書きたいのですが、書くものを頂けないでしょうか!」

 

 遠慮がちな表情をぐっと引き締めて、アイシャがぺこりと頭を下げる。頭の動きに応じてポニーテールが大きく揺れた。

 見るほどに、記憶の中のリーリャに似てきたとルディアは思った。もっと幼い頃の、記憶の中のアイシャはもう少し明るい髪色をしていたが、成長に合わせて色が落ち着いてきたのだろう。

 

「対価が必要なら、雑用でもなんでも申しつけください! よろしくお願いします!」

 

 打って変わってハキハキとした態度に変わったアイシャを訝しみながら、ルディアはその頭を上げさせた。

 先ほどまでの態度はルディアの気のせいだったのだろうか。

 

「対価なんて、私たちはきょうだ……いえ、姉妹なんですから要りませんよ。父様に手紙を送りたいんですよね?」

「はい!」

 

 見ず知らずの他人にただ助けを乞うだけなら多少諌めもしただろうが、アイシャは律儀にも対価を払うと言っている。見上げた心掛けだが、家族であるはずの自分にまでそういう態度を取られてしまうと、少しばかり距離も感じるものだ。

 

「ずっと手紙を送ろうとしていたのに、お城の人がダメって言うんです」

「だから逃げてきたんですか?」

「そうです! なにか行動しないと、いつまでもお城から出られないと思ったんです! お母さんも協力してくれました!」

「リーリャさんが脱出の手引きを……」

 

 王宮に囚われて実に二年半。

 いずれ助けが来ると信じていても、ただ耐え忍ぶには余りにも長い時間だ。人の忍耐には限界がある。それにリーリャは足を患っていた。日常生活に不自由はなくとも、長時間は走れない。故に代わりにアイシャを脱出させたのだろう。二年半という時間は、アイシャの成長を待ってのことだったのかもしれない。

 血色の良さを見るに、寝食での不自由はしていなさそうだ。それだけが救いだった。

 

「わかりました。じゃあ私から手紙は送っておきます」

「はい! よろしくおねがいします!」

「ところで、聞いておきたいことがあるんですが……」

「なんでしょう!」

「ロキシー・ミグルディアという十四、五歳くらいの見た目の女の子がシーローン王級で宮廷魔術師をしているはずなんですが、知りませんか?」

「……どうしてそんなことが知りたいんですか?」

 

 瞬間、アイシャは表情に警戒を浮かばせてそう問うてきた。

 

「いや……彼女は頼りになるので、是非連絡を取りたいと思いまして。アイシャが産まれる前のことなので知らないかもしれませんが、私の魔術の師匠だったんです」

「そうなんですか。申し訳ありませんが、そのロキシーさんという方は王宮にはいません」

「なん……だと……」

 

 その言葉にルディアは愕然と膝をついた。

 ロキシーが、師匠がいない?

 七年半振りの再会を果たせると思っていたばかりに、その情報には落胆を禁じ得ない。ルディアにとって至上命題はリーリャとアイシャの救出だが、次点での目的はロキシーとの再会だったのだ。

 

(……いや、まてよ)

 

 いきなり躓いた感があるが、それ以上に気にすべきことがあるはずだ。

 そう、例えば夢に出てきたヒトガミの助言である。彼はルディアに『シーローン王宮の知人に手紙を出せ』と助言した。その知人とはロキシーの事ではなかったのか? 自分は何か早とちりをして、助言とは違った行動をとってしまったのだろうか。

 眉間に皺が寄っていることを自覚して、ルディアはそれを揉みほぐしながら、小さく息を整えた。

 アイシャの前である。焦ったところは見せたくはない。年長者として、なるべく泰然と振る舞うべきだ。

 

「わかりました。では、私がリーリャを助け出します」

「えっ?」

 

 まったく予期していなかったのだろうルディアの言葉に、アイシャは目をぱちくりと瞬いた。

 

 




ルディア
 精神状態はよろしくないがそんな場合じゃねぇ! と思考を切り替えようとしている。でもきつくあたっちゃったエリオットには謝っとかないとな……手紙も出したし宿に戻るか……アイエエエエ!? アイシャナンデ!?

エリオット
 気にしてない風でもやっぱり気にしてる。
 思うところがないわけでもないがやっぱり心配>不満なあたりイケメンを感じさせるが、この対応はルディ子限定。
 なんか見覚えのある幼女が絡まれてるね。八つ当たりも兼ねて助けますか。

アイシャ
 失敗したとはいえ、単独で目的達成間近までいけたところから六歳とは思えないくらいには優秀。でもやっぱメイド服は目立つって。
 ルディ子のことは変態として警戒中。ちなみにエリオットのことは良いとこのおにーさんとしてしっかり憶えていた。優秀。


 いつの間にやら総合評価ポイントが4000ptを越していました。
 無職転生タグで総合評価順にすると一ページ目に当作品が並ぶことに……これも皆様の応援と評価とお気に入りと感想のおかげです。
 もっとどしどし感想くれても良いんですよ(乞食)
 ここ数日の伸びが良かったのも日間ランキングに載ったからかもしれませんね。
 なんにせよ応援ありがとうございます。
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