泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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夜闇の逃走劇(前)

 

 

 早急に拠点を移さなければならなかった。

 

 衛兵とごろつきからアイシャを連れて逃げたとき、エリオットは顔を見られていた。それらを振り切りはしたものの、エリオットやアイシャの姿は目立つ。この辺りでは珍しいアスラ系の人種、かつエリオットの容貌は、ルディア同様一目で貴種のそれと判別がつく。

 聞き込みをされれば捕捉されるのは時間の問題だった。

 なにより、ルディアはロキシーを頼る手紙を王宮に向けて出してしまっている。王宮への手紙にはすべて検閲が入ることだろう。

 手紙には名前と、逗留している宿の名前と住所を記してしまっていた。それを確認されれば、衛兵たちが大挙してやってくるのは想像に難くない。

 今夜中……可能ならば陽が落ちてすぐにでも、宿を移すべきだ。

 だが解せない点もあった。身元も不確かな少女が逃げ出しただけで、その確保にそこまでの時間と労力を費やすだろうか? 否、それを言うならそもそもシーローン王国に何一つとして益を齎さない母娘(おやこ)二人を、二年半に渡り縛りつけてきたことこそが謎である。ヒトガミもその点については触れなかった。

 情報は些細なものでも可能な限り把握しておくべきだ。

 ルディアはその疑問を氷解させようと、移動のために荷物を整理していた手を止めて、寝台に行儀良く座るアイシャに問いかけた。

 

「アイシャ、今までどうして王宮に閉じ込められていたのか、理由とかわかりますか?」

「ふえっ?」

 

 アイシャはびくりと肩を震わせ慌てて口元を拭った。

 よほど疲れていたのか、うとうとと座りながら微睡んでいたらしい。それを微笑ましく思いながらも少しだけ申し訳なくなる。

 おおまかにしかわかりませんが、と断ったアイシャに頷いて先を促す。

 

「私とお母さんは、そのロキシーさん? という方を釣り出す為の餌ということらしいです」

「餌?」

 

 その理由を問うも、事情を深くまでは知らないらしい。子供に聞くのも酷な話だろうが。

 なるほど情深くも慈悲深いロキシーなら、かつて世話になったリーリャが囚われていると知ったならば助け出そうとするだろう。だがそもそも、ロキシーを釣り出してどうするつもりなのか。殺すのか、捕えるのか……そしてその理由は?

 ふむ、とルディアは顎に手を当てて思考を巡らせた。

 ロキシーはシーローン王国滞在中に水王級魔術師となったはずだ。王宮内にあった水王級魔術の書が実は門外不出の品で、ロキシーが出奔した後に騒ぎ出したか。

 あるいは北部の紛争地帯の小国群との関係性が悪化しつつあり、(きた)る戦争に備え強力な魔術師であるロキシーを連れ戻そうと躍起になっているのか……

 ルディアの記憶にあるロキシーは、誰かの恨みを買うような人物ではなかった。個人の怨恨を抜きに想像するならその辺りが理由としては妥当だろうか。

 ごろつき紛いまで加わっているのは解せないが、末端の兵士たちがあそこまで統率の取れた動きをしたのも頷ける話である。

 

「アイシャ、眠いなら寝てていいですよ。夜になったら動くことになりますから」

 

 また船を漕ぎ始めたアイシャにそう促す。

 荷造りはほとんど終わったが、エリオットとルイジェルドの二人が帰ってくるまで身動きは取れないのだ。

 しばらく眠気に抗っていたアイシャも、その幼さゆえか耐えきれず、糸の切れたように眠り込んでしまった。

 小さなメイド服を脱がせて自分の代えの着替えを着せると、備え付けの毛布をアイシャにかけてその横に座った。

 再会を喜びたい気持ちはあった。しかしそれは、リーリャを王宮から救い出したあとである。

 込み入った状況に頭を悩ませながら、ルディアはアイシャを起こさないよう、小さな溜息を一つ落とした。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 曇りガラスの採光窓から差し込んだ朝焼けが照らし出す廊下を、シーローン王国第七王子親衛隊の兵士であるジンジャー・ヨークは、逸る気持ちを抑えながら足早に進んでいた。

 肩口までの茶髪を後頭部で一纏めにし、前髪を一房垂らした騎士風の女性である。幼い頃より王族付きの騎士として教育を受けた彼女は、常に無機質な無表情を貼り付けているが、今はその面持ちも常とは異なり僅かに焦りの色を滲ませている。

 普段であれば、主である王子の傍に侍っている彼女であるが、その主より王宮から逃げ出したメイドの少女を捕える命を受け、昨日より王都を奔走しているのである。

 彼女が今歩を進めるのは冒険者用の安宿の廊下である。こここそが彼女の目的の人物が、件のメイドの少女を匿っている場所だった。

 

 目的の部屋の前に立ち、事務的にノックをする。

 反応がない。

 繰り返しノックする。再度の沈黙。

 

「……おはようございます。自分はシーローン王国第七王子親衛隊所属、ジンジャー・ヨークと申します。ルディア・グレイラット殿、いらっしゃいますか?」

 

 致し方なく、名を明かし呼びかけた。

 が、期待した反応はなく、それどころか部屋の中から人の気配すら感じられないことに訝って、ジンジャーはドアノブに手をかけた。

 ──鍵が空いている。

 部屋の中は、もぬけの殻だった。

 

「遅かったか……!」

 

 最低限の家具が備え付けられ、綺麗に整頓された一室──たまたま部屋の主が留守にしているだけという風情ではない。

 ジンジャーは宿の狭いロビーに取って返した。

 

「主人、あの部屋には一二、三歳頃の少女が逗留していたはずだが?」

 

 宿の主人は詰め寄るジンジャーに迷惑そうな視線を向けた。早朝からの来訪者、それも客でないと言うならば愛想を振り撒く理由もない。

 

「出てったよ。昨晩ね。槍を担いだ魔族と、赤毛の坊主との三人組だろ?」

「行き先に心当たりはあるか?」

「知らないよ。わざわざ詮索なんてしない。ただ、急ぎの用って感じだったけどね」

 

 半ば予想通りの回答に、ジンジャーは歯噛みした。

 あれだけ綺麗に整頓して出て行ったからには、部屋をひっくり返したところで手掛かりも出てきそうにはない。

 最早ここに留まる意味はない。

 

「……失礼した。では最後に一つ、侍女のような服装をした六歳か七歳頃の少女も連れていなかったか?」

「メイド服じゃあなかったが……たしかにそんくらいの子を連れてたな」

「感謝する」

 

 最低限の情報を得たが、限りなく無駄足に近い。

 ジンジャーは宿を後にして王宮への道を急いだ。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

「ええい、アイシャはまだ見つからんのか!」

 

 眼前の石床に(ひざまず)いた親衛隊の兵士──ジンジャー目掛け、シーローン王国第七王子パックス・シーローンは語気を荒らげて唾を飛ばした。

 短く切り揃えられた焦茶色の髪に、寸胴の体躯に脂肪を溜め込んだ小男である。その短躯と童顔から、とても昨年成人を迎えたようには見えない。

 

「……捜索を続けておりますが、目撃情報はあれど足取りを掴むには至らず……」

「丸一日探してもか!」

「は、面目次第もありません」

「使えん奴め! 子供一人に何を手間取っている!」

 

 罵倒と共に、グラスがジンジャーに向けて投げつけられた。

 厚いガラス製のそれは額に命中し、まだ僅かに残っていた中身をぶち撒ける。切れた額から血が滲み、顎を伝う。

 鈍い痛みに顔を顰めながら、ジンジャーは口を開いた。

 

「ですが殿下、報告では手紙も破り捨てたとのこと。それこそ子供一人消えたところで然程問題とはならないかと」

「ダメだ! ジンジャー、貴様余の方針にケチをつけるつもりか!?」

「いえ、そのようなことは……」

 

 喚き散らしていたパックスは髪を乱れさせたまま椅子に腰を下ろし、息をついた。そして思い出したかのような視線をジンジャーに向ける。

 

「そういえば、ロキシーの弟子から手紙が来ていたようだな? 余も確認したが、王都に来ているようではないか」

「ルディア・グレイラットという十三ほどの少女で、聞けば幼くして水聖級魔術を行使する俊英だとか」

 

 ジンジャーの隣でそう口を挟んだ兵士に、パックスがぎろりと鋭い視線を向けた。

 

「そんなことを余は聞いているわけではない! 貴様、それはロキシーに逃げられた余への当てつけか!」

 

 パックスはルディアと同じく家庭教師にロキシーを持っていたが、その不真面目さによって水系統の中級魔術までしか習得出来ていない。

 まるで威圧感はなかったが、それでもパックスの権力は本物である。第七王子という立場と素行の悪さから疎まれてはいるものの、親衛隊のジンジャーに比べれば一兵士程度木端のようなものだ。

 怒りに晒された兵士は、更なる怒りを買わぬよう縮こまるしかない。

 

「……それで、そのルディアとか言ったか? なんでも、その小娘の仲間がアイシャを攫ったという話ではないか」

「は……」

 

 既にそこまで知られているのか。

 頭を垂れたまま、パックスに悟られぬようジンジャーは顔を歪ませた。

 否、それも当然とも言えた。アイシャを追った衛兵たちが、その道中でパックスの私兵たちと行き合ったとのことだ。

 奴隷市場の伝手を頼って雇い入れた私兵はごろつきや野盗崩れと大差なく、ロキシーが絡む事案ともなると、度々兵士たちの現場に干渉し踏み荒らす。

 またぞろパックスが、親衛隊や兵士だけでは足りぬとばかりに私兵を差し向けたのだろう。ならば報告が行っていてもおかしくはない。統率はまるで取れていないが、奴等はこと王都の情報収集能力においては衛兵たちのそれを上回る。

 ジンジャーは顔を伏せたまま、高速で思考を回転させた。

 手紙の内容も既に把握されているだろう。不自然のないような、しかし己に有利になるような報告を心掛けなければならない。

 

「……今朝方、ルディア殿が逗留されている宿まで訪問致しましたところ、既に宿は引き払われたあとでした」

「ちっ、やはりか。それで?」

「現在捜索隊を組織し、城下の巡回も増やしております」

 

 報告に納得が行ったのか、パックスは鼻を鳴らして背もたれに体を預けた。短い足を苦労して組みながら口を開く。

 

「余も兄上達からの小言は聞きたくはない。早めに見つけ出すのだぞ」

「はっ」

「ふむ、そうだな、余の私兵たちも出そう。一番最初に見つけた者に褒賞を出すとでも言えばやる気になるだろう」

「なっ……」

 

 その言葉に顔色を変えたのはジンジャーの脇に控えていた兵士である。

 

「お言葉ですが殿下、そのような下賤の者に頼らずとも、我々だけで確実に見つけ出してご覧にいれます!」

「黙れ! 現にまんまと逃げられたあとではないか! いいか、余りに時間がかかるようなら貴様たちの家族の首を一人ずつ刎ねてやるからな! わかったなら行け!」

 

 

 

 

 

「ジンジャー殿、大丈夫ですか? 直ぐに包帯を……」

 

 部屋から退出したあと、傍に寄ってきた兵士の気遣わしげな声にジンジャーは首を振った。

 

「お気遣い感謝します。ですが、自分で治せるのでお構いなく」

 

 詠唱し、初級の治癒魔術で額の傷を治したジンジャーは、懐から取り出したハンカチで血を拭った。

 

「しかし、動きにくくなりますな」

「ええ、あの私兵達は厄介です」

 

 ごろつき紛いの私兵達といえど、その実力は侮り難い。玉石混合の彼らだが、中には上級剣士並みの実力者が数人入り混じっているという。

 

 第七王子の親衛隊として勤めるジンジャーには、主であるパックスや、その私兵であるごろつき達よりも早くルディアと接触したい理由があった。

 元より愚鈍かつ、周囲に疎まれるばかりのパックスに仕えるだけの理由などない。第七王子付き親衛隊に所属となった段階で、ジンジャーは退職を願い出ていた。しかしそれを阻んだのは、誰あろうパックス本人である。あろうことかパックスは、奴隷市場の私兵を使いジンジャーの家族を拉致、人質に取ることで親衛隊の騎士としての立場に縛り付けたのである。

 こうなるとジンジャーには抗する術はない。家族の場所も私兵の規模もわからなければ、他の誰かに窮状を訴えることもできない。仮にもパックスは王族である。彼を表立って咎めることが出来るのは、より高位の王子達か病床に伏している現王以外にいないのだ。

 そして一騎士であるジンジャーの目通りが叶うはずもなく──貴人への謁見は監視されているためそもそも出来ないが──面従腹背の徒に甘んじているのである。

 故に現状の打開のため、元宮廷魔術師のロキシーの弟子に活路を見出したのである。

 そもそもがロキシーからして、吟遊詩人に謳われる偉大な魔術師である。世界に数えるほどしか存在しない水王級魔術師にして、単独で迷宮を踏破した高位冒険者。王宮の兵士の援護があったとはいえ、指名手配の聖級剣士を撃破した実績すらある。

 そんな彼女が日々褒め称えていた愛弟子ともなれば、若くともそれに準ずる実力を持つはずである。

 

 だがその目的の人物との接触が出来なかったことには、ジンジャーとしても焦りを抱かざるを得ない。

 

「今一度冒険者区の宿を洗い直して頂きたい。それと冒険者区から出た者に似たような風貌の者がいなかったか、関所の兵士たちにも聞き込みを」

「了解です。聞けば侍女の少女ともども、ロキシー殿の弟子も目立つ風貌だとか。見つからぬはずはありません

「だと良いのですが。なんにせよ時間の勝負です」

 

 ジンジャーは軽く周囲を見回すと、隣の兵士に囁きかけた。

 

「ですが王子の私兵達も厄介です。彼らは私達よりもよほど王都の裏に通じている。ロキシー殿の弟子が深みに潜れば潜るほど、私達には捕捉しにくく、彼らにはしやすくなるでしょう」

「ジンジャー殿、これもまた好機と捉えるべきかもしれません。今の状況ならば、我々が貧民窟(スラム)を探ったとしても王子には怪しまれない。もしかしたら家族の手掛かりが見つかるやも……」

 

 兵士もジンジャー同様に、私兵達に家族を人質に取られ無理矢理従わされているうちの一人だった。

 直属の親衛隊のみでは足りぬパックスが、己の手駒を増やそうとした結果の被害者であった。この二人だけでなく、他にも多くの兵士が人質を背景にパックスに屈している。

 人質が幽閉されている場所は王宮ではない。パックスに雇われる以前の私兵達の溜まり場である、奴隷市場のある一帯か貧民窟(スラム)のいずれかに囚われているものと、彼らは当たりをつけていた。

 

「かもしれません。が、油断は禁物。焦る気持ちは私も同じです。深追いはし過ぎないように」

「ええ、徹底させます。では小官はこれにて」

 

 兵士が一礼して去っていく。

 返す返すも、ルディアと接触を果たせなかったのが悔やまれる。だがよもや昨日のうちに宿を引き払うとは、ジンジャーとしても誤算だった。

 否、兵士に追われる立場から考えればむしろ当然の用心とも言えるが、それでも事のあった日のうちに即断し姿を眩ませる果断さは、成人もまだな少女のものとは思えない。

 そもそもルディアが王都に来訪した日とアイシャが逃げ出した日が重なり、更に王都の路地裏でルディアの仲間がアイシャを救出。二人が再会を果たすなど冗談にしても大概である。一体どれほどの偶然が重なればそんな事が起きるのか。せめてそれさえなければ、ルディアとの接触は叶っていただろうに。

 ジンジャーは立ち止まってかぶりを振った。

 必要以上に現状を悲観する必要はない。

 状況は良いとは言えないが、最悪でもないのだ。ここを正念場と心得て最善を尽くすしかない。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 濃い闇が、王都の夜を黒く塗り込めていた。

 臨海都市である王都ラタキアには(ぬる)い潮風が絶え間なく吹き込み、港のある商業区の空気を侵食する。

 ジンジャー達の懸念した通り、ルディアたちはそこにいた。

 王都ラタキアの冒険者区と商業区の狭間にある貧民窟(スラム)。その外縁に位置する宿の一室である。

 シーローン王国には迷宮が数多く存在し、やはり多くの冒険者が一攫千金を狙い来訪する。それは駆け出しや、個人単位の冒険者から複数パーティを擁するクランまで層は幅広い。故に、シーローン王国の冒険者用の宿は、他国に比べて割高である。

 まとまった金が必要な後ろ暗い背景を持つ者や、資金に余裕のない者は設備の整った冒険者用の宿を見繕う事ができないことがままある。故に、そういった者たちの受け入れ先が出来るのもまた自然の摂理だ。

 今ルディアたちが逗留している宿もまた、そういった宿のうちの一つである。貧民窟(スラム)と冒険者区の境にあるこの宿は、冒険者用のそれと比べると破格で、一般の旅人が使うものと比べても幾らか割安である。

 一転して追われる立場となってしまったルディアたちにとっては、利用者の幅が広いこういった宿こそが最適な隠れ家と言えた。

 

 ランタンのオレンジ色の灯りに照らされた部屋の中は僅かに埃っぽく、シーツからは微かに(かび)の匂いが香っている。いつもの三人のパーティに、アイシャを加えた四人ではやや狭い。

 昨日泊まった宿に比べるとどうしても見劣りするが、日頃野営に慣れたルディアたちにとってはそれほど苦になるものでもない。多少の狭さも魔大陸の木賃宿に比べれば遥かにマシだ。

 ただ黴臭いシーツでアイシャを寝かせることを嫌がったルディアが、荷物から毛布を供出し、代わりにシーツはカーテン代わりに使うことになった。陽射しを遮るというよりは、外から部屋の中を窺えないようにする用心である。

 宿の主は染みの浮かんだ顔に幾つもの皺を刻んだ老婆で、昨晩深夜にも関わらず唐突に来訪したルディアたちを品定めするように睨め回したあと、無言で部屋の鍵を手渡した。訳ありの相手は慣れているのだろう。ルディアとアイシャを無遠慮に眺める視線は不快だったが、文句をつけられる立場ではなかった。

 

 当のアイシャは寝台の上で毛布に(くる)まれながらすやすやと寝息を立てている。その寝顔を眺めながら、ルディアは部屋に備え付けられた粗末な椅子に腰掛けていた。

 ルイジェルドは例の如く、部屋の隅で槍を抱え座り込んでいる。目を閉じたまま寝息一つ立てないが、あれで体を休ませているのだろう。何かあれば直ぐに飛び起きるはずだ。

 エリオットはアイシャの眠る寝台に背を預け、項垂れるように船を漕いでいた。寝台は狭いが詰めれば二人でも寝れなくはない。だのに使わないのは、幼いアイシャに遠慮したからだろうか。剣帯を付けたまま寝ているのを鑑みるに、彼なりの用心なのかもしれない。

 不寝番は今はルディアがやっている。ローテーションで行うそれには当然アイシャが入る余地はない。できればこの小さい妹には、他の三人が見張りをしていることにも気付いて欲しくはないのだ。

 

 ルディアが椅子から腰を上げた。

 見張りの交代の時間である。野営のときだけにしていたはずのそれを、まさか街中でも行うことになるとは思わなかったが。

 

「……エリオット、起きてください」

「ん……」

 

 顔を寄せ、アイシャを起こさぬように声を潜めてエリオットを揺り起こす。

 ルディアの報告により既に意識を街中のものから野営のそれに切り替えていたエリオットは、軽くかぶりを振るだけで早々に覚醒した。

 

「交代か」

「はい……あの、」

 

 立ち上がり、それまでルディアが座っていた椅子に向かうエリオットの背中を、思わず呼び止めた。

 かける言葉が見つからないままに、訝しげに振り返るエリオットの顔を見て、ルディアは視線を彷徨わせた。

 

「……その……助けてくれてありがとうございます。私の、家族のために」

「なんだよ、今更……当たり前だろ」

 

 出てきたのは結局、そんな当たり障りのない言葉だった。

 そうじゃないのだ。ルディアはまだ、昨日の昼のことについてまだエリオットに謝っていなかった。言うべき言葉はもっと他にあるはずなのに。

 あれからずっと、二人の間に流れる空気はどこかぎこちなく、微妙なままだ。それはルイジェルドも勘付いているだろう。

 見張りの間、なんと声をかけたものかずっと考えていたにも関わらず、ろくな台詞も思いつかなかった。ただ非を詫びて頭を下げるだけのことが、どうしても出来ない。そのことに言及したとき、エリオットがどんな顔をして、どんな反応を返すのか、まるで想像がつかないことが恐ろしい。

 いつか、部屋に引き篭もった自分に会いに来た友人に、癇癪をぶつけたときのように。自分の不用意な一言が、それまでの関係性を崩してしまうのではないかという危惧が、ルディアの心を縛り付ける。

 きっと自分はまだ、前世のトラウマを克服できぬまま引き摺っているのだ。

 

「エリオット、」

「さっさと寝ろよ。あとは朝まで俺が見てるから。昨夜(ゆうべ)はろくに眠れなかったし……ごめん、何か言ったか?」

「……いえ」

 

 ルディアはなんでもないとばかりに首を振り、顔を背けた。

 言われた通りに諾々と、身体を休める態勢に入る。部屋の寝台は手狭だが、まだ幼く小柄なアイシャが眠るには充分な余裕がある。少し詰めればルディアが身体を横にする程度の隙間はあるだろう。

 エリオットに見えないように顔を歪めながら、空いた毛布の隙間に捩じ込むように横になる。

 せめてこんな状況下でなければ部屋を分けたり、そうでなくとも部屋を出て夜気に当たるくらいのことは出来た。それすらままならない現状が息苦しい。

 夜明けまで二時間か三時間か。さっさと寝入ってしまおうとルディアは瞼を閉じた。

 

 

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