泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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 メリークリスマス



夜闇の逃走劇(後)

 

 

 安宿に居を移した翌日の正午、外出していたルディアが三人分の昼食を持って戻ってきていた。

 用心のため、例によって外に出れないエリオットとアイシャは揃って部屋に籠りきりである。

 

「少し、席を外しますね」

 

 朝食を前にしたルディアが、手をつける前に席を立った。

 

「ああ……どこに?」

「お手洗いですよ」

「……ごめん」

 

 迂闊な質問を咎められて、エリオットが苦虫を噛み潰したような表情で黙り込んだ。傍から見ていたアイシャとしても、今のはエリオットが悪い。

 ルディアが退出しエリオットと二人きりになると、アイシャは決意をこめた眼差しで寝台から降り、備え付けの小さな椅子に腰掛けていたエリオットに近付いた。

 

「お兄さん、お兄さん」

「ん?」

「お兄さんは魔大陸からうちの姉と旅してきたんですよね?」

「そうだけど……どうしたんだ急に」

「あたしずっとシーローンにいたので、他の国とか、魔大陸のこととか聞きたいんです!」

 

 屈託のない笑顔で距離を詰めるアイシャに、いっときは目を白黒させたエリオットだが、警護の対象がただ雑談を求めているだけだと理解すると、すぐに警戒を解いた。

 

「俺よりルディアに聞いた方がいいと思うけど……」

「姉もいいですけど、お兄さんの口から聞きたいです」

「そうだな……じゃあまずは、飛ばされてすぐの話なんだけど……」

 

 利発で物怖じしないアイシャにとっては、王宮での三年間は甚だ退屈なものだったのだろう。アスラや王竜王国といった大国ならばまだしも、国庫の殆どを戦費に費やすシーローンでは他国ほど真新しいものは入ってこないのだ。国賓を招く機会が薄いのもそれに拍車を掛けているのだろう。

 

 説明やら報告などの簡潔で端的なものならともかく、詩人のような語り口を披露するのはエリオットには難しかった。

 だが幸いにして二年半分の話の種はそうそう尽きない。エリオットにとってもいい暇つぶしとなる。年に見合わず聞き手が優秀なのもあった。合いの手を入れるように質問が挟まれ、その都度補足を入れる。

 転移後の二年半は、屋敷で送った数年間よりもなお濃い日々だった。目を閉じれば瞼の裏に思い起こせるほどに。それもいずれ終わりがくるのだ。この少女とその母親を助け出せば、ようやく終わりが見えてくる。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 ルディアお嬢様に仕えるのに、恥ずかしくないだけの淑女となりなさい。

 

 母であるリーリャ・グレイラットは、アイシャの所作の一つ一つを丁寧に修正しながら、度々そう繰り返した。

 アイシャ・グレイラットは母譲りのボルドーの髪と、父譲りのエメラルドグリーンの瞳を持つ爛漫な少女であった。三歳の半ばを過ぎた頃、母と一緒にシーローンの王宮に飛ばされるまでは、アスラ王国の片隅で、少々特殊な家庭環境の中で育つ何処にでもいる少女だった。

 

 ルディア・グレイラットという腹違いの姉のことについて、知っていることは少なくない。それはリーリャが事あるごとにその名前を出し、褒め称えていたからだ。だが幼いアイシャにはやはり、何処か実感の伴わない話であった。

 三歳の誕生日を迎える前だったか後だったか、リーリャがアイシャに対して侍女としての教育を施しはじめたのはその辺りの時期だった。少しばかり厳しく、しかし確かに愛情の籠った教育にアイシャはよく応えた。

 だがすくすくと育ち、思慮を巡らせるようになるにつれ、アイシャは母親に反発するようになった。反抗期というには随分可愛らしく、まだまだ子供の駄々の域を程度のものであったが。

 これが、アイシャが一人っ子だったならば何の疑問も抱かなかっただろう。主人のお手付きとなった使用人の子が、世代を跨ぎ家に仕えるという例は珍しくもない。その数あるうちの一つとして、アイシャは育ったはずだ。

 それが崩れるきっかけを作ったのは、同日に産まれた腹違いの姉、ノルンの存在だった。

 正妻の子のノルンと、妾の子であるアイシャ。父であるパウロと、ノルンの母であるゼニスは姉妹に対して一切の分け隔てなく接したが、リーリャは常にノルンを立てた。

 自分とノルン、一体何がちがうのだろう。普通の子供であれば、そういうものだと流したはずの疑念だが、そうするにはアイシャは利発に過ぎた。

 その疑念はほんの少しずつ大きくなり、転移事件から数年を経て、反発心を得るようになる。

 疑念のきっかけがノルンならば、それを決定的なものにしたのはルディアだった。

 アイシャにとってルディアは、姉というよりも他人という意識が強かった。血の繋がりが半分しかないことと、そして六歳という大きな年齢差がそうさせたのだろう。フィットア領にいた頃、半年に一度だけ会っていたが、正直に言ってしまえば最後の一回か二回くらいしか、アイシャはよく覚えていなかった。

 その頃は、侍女という立場に疑念は持っても、ルディアに仕えることには実感がわかないだけで、特段嫌だという気持ちは生まれていなかった。

 シーローンに飛ばされたあとのことである。抑留された王宮の中で、少しの不便と不自由の中安全が保証されるとリーリャはアイシャへの英才教育を再開した。厳しい教育に文句はなかった。ただ事あるごとにルディアを持ち上げるリーリャに反発心を抱くようになった。

 リーリャの語るルディアは荒唐無稽で、到底信じられるようなものではなかった。そして二言目には必ず、ルディアお嬢様の為になりなさいと続けるのである。

 リーリャが後生大事に抱えていた小箱──姉が大切にしていたものだというそれが少女用の下着だということを知ってから、アイシャのルディアに対する不信感は跳ね上がった。

 姉は変態なのだ。それも、両性愛と小女性愛(ロリータコンプレックス)を兼ね備えた変態なのである。

 そんな変態にはアイシャは断固仕えたくはなかった。身の危険すら感じた。今となっては本当に優秀なのかさえ怪しい話である。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

「お姉さんは苦手か?」

 

 この少年は、段階を踏むというのが苦手なのだろうか。

 だが下手に言葉を選んだりされるよりも、よほど効果があったのは事実だった。いきなり核心にまで踏み込んできたその質問に、アイシャはすっとぼけることすら出来ずに言葉を詰まらせてしまったのだから。

 悟らせてしまったのは、アイシャがまだ幼いゆえか。

 自分にもう少し人生経験があれば、眼前の少年くらい騙しおおせたかもしれない。だがそうはならなかった。そつがなく才に溢れたアイシャでも、あまりに人生経験が足りなかった。

 

「どうして……そう思ったのでしょうか?」

 

 おそるおそるそう尋ねたアイシャに、エリオットは苦笑いをして肩をすくめただけだった。

 致し方なく、昨日今日の行動を振り返る。

 確かに──アイシャの姉に対する態度というものは、ぎこちなかったかもしれない。他所行きの笑顔が少々わざとらしかったのもあるだろう。姉のいないタイミングを見計らって近付いたのも、今思えば確かに早計だった。

 ……だが、ルディア本人ならともかくこの少年がこうも容易くそれを察するものだろうか?

 そこまで考えて、眼前の少年の由縁を思い出した。

 少年の名はエリオット・ボレアス・グレイラット。家庭教師をしていたとかいう──未だに半信半疑だが──その生徒の貴族の少年。

 ボレアス・グレイラットが貴族としてどれほど偉いのか、まだリーリャの教育が及んでいないが故にアイシャには判じかねたが。それでも百歩譲って貴族という肩書きが本物なら、人を見る目は養われていてもおかしくはないだろう。

 

「ルディアのこと、信用できないか?」

「……」

 

 その質問に、アイシャは返答に詰まった。

 今更取り繕っても意味がない。だが返答に窮する質問なのも事実だった。

 人格面に関して、以前ほど否定的に捉えてはいない。それでもまだ、疑念はアイシャの奥底に存在している。 

 訓練された兵士たちを容易く出し抜けるこの少年が、己以上の実力だと太鼓判を押すほどに、魔術の腕に長じているというなら──それも認めよう。少なくとも、彼の主観においてはそれが事実だ。だが話に聞くルディアが、幼少期に奇行を繰り返し、少女用のパンツを後生大事にしていたのもまた事実なのである。

 

「姉は……その、変態なんです」

「そうだな」

「そうだな!?」

 

 あっけらかんと頷いたエリオットに、俯いていたアイシャは目を剥いて顔を上げた。

 この小さな胸のうちに抱いていた悩みやら葛藤やらを、どう打ち明けるべきか悩んでいたばかりに、アイシャは出端を挫かれてしまったのである。

 

「……ちなみになんで変態なのか、聞いてもいいか?」

 

 ルディアが変態なのは今更である。思い返せばロアの屋敷でも、スキンシップに見せかけてセクハラ紛いのことをメイドにしていたし、ドルディアの集落でもミニトーナとテルセナの身体をだらしない顔でまさぐっていた。

 最近は対象となる相手がいないため忘れかけていただけだ。

 

「それは、はい。あたしのお母さんが大事にしている小箱があるんですけど、お母さんは中を見ちゃだめだって言うんです」

「……小箱?」

「なんでも、姉が大事にしていたものだそうです。それで、あたし気になってこっそり開けてみたんです。何が入っていたと思います?」

「いや……わからない、けど」

 

 困惑しながら首を振ると、アイシャはばんと膝を叩いた。

 

「パンツです! デザインとサイズ的に、一四、五歳用の女の子用のパンツです! それをうちの姉は、四歳か五歳の頃から後生大事に持っていたんです」

「そ、そうか。パンツか……」

 

 そのパンツが誰のものなのかはともかく、なるほどアイシャの言い分もわからないことはない。

 アスラの貴族としては下着フェチなどあまりにノーマル過ぎてだから何? となるくらいだが、他者から見れば変態に映るのかもしれない。

 特殊性癖持ちが溢れかえるアスラの社交界に放り込まれようとしていたエリオットは、どんな性癖にも動揺しないように教育が施され、相応の理解があった。同時に本人はアスラ貴族にしては珍しくノーマルだったが。

 とはいえエリオットとて、パンツ隠し持ってるくらい普通だろ、とアイシャに言うほど空気が読めないわけでもなかった。確かにアスラ貴族としてはその程度子供のままごとも同然だが、そう諭されてそういうものか、と納得するほどの柔軟さをアイシャに期待するのはよくない。

 もちろんエリオットとて、ルディアのそれまでの行動や言動を知らなければちょっと引いたかもしれない。

 

「でもなアイシャ。確かにルディアは変態かもしれないけど、アイシャを助けたことに下心なんて一切なかったはずだぞ」

「う……それは……そうかもしれない、ですけど」

 

 言葉尻を窄ませるアイシャの頭をエリオットは不器用に撫でた。

 子供の扱いならルイジェルドの方が長じているのだろうが、この場にはエリオットしかいない。姉妹の仲を取り持てるのは自分だけだ。否、ルイジェルドが相手したところで結局似たような対応にはなりそうだが……

 

 アイシャとて、エリオットの言に頷けるところがないわけでもなかった。昨日の再会の場面で、姉が一切の打算なしにアイシャを助けると即断したことは明白だ。

 昨日、合流した直後の、『私がリーリャを助ける』という一言──あれを信頼していないわけではないのだ。それで絆されてしまったわけではないが、その言葉に思いの外安堵を覚えてしまったのもまた事実で──疑いたくはない、と思う。

 他人を嫌い続けるのにも労力は要る。昨日のルディアの行動と、今日のエリオットの取りなしに、アイシャはその意気をすっかり削がれてしまったのだ。

 

「家族を助けるのに理由なんていらない。中にはろくでもない奴だっているけど……ルディアは幸いその少数じゃない。だったらここまで一緒に旅を続けられたはずもないしな」

「……」

「まだ時間はある。ルディアがアイシャの言う変態か、見て確かめればいい。それで駄目なら、お母さんを助け出したら、今度は三人で話してみろ」

 

 隔意は残っている。疑念もまだあった。

 薄れつつあるそれらは、しかし確かに胸の内に蟠っている。

 エリオットはそれを否定しなかった。頭ごなしにルディアの善性を訴えるのではなく、アイシャの言に耳を傾けた上で、自分の目で確かめろと諭した。

 それは新鮮な感覚だった。

 リーリャや王宮の兵士、侍女たちといった大人とはまた違った距離感だった。

 故にこそその言葉は殊の外アイシャに響いて──こくりと、小さく頷いたのである。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 眠りの中でどれほどの時が過ぎたのか、そっと毛布を揺り動かす手にルディアは覚醒した。

 重たい瞼をうっすらと開けると、ぼやけた視界の中に赤毛の少年の横顔が映る。体感で、自分が寝始めて数十分しか経っていないのだろう。身体がだるく、重い。

 

「窓の外で何か動いた」

 

 そう聞いた瞬間に、ルディアは跳ね起きた。

 毛布を蹴り退けながら寝台の脇の杖を引き寄せる。

 見回せば、ルイジェルドは既に槍を手に立ち上がっていた。先にエリオットに起こされたのか、あるいは気配を察知したのか。

 窓際に寄ったルイジェルドが、カーテンの隙間からそっと外の闇を窺う。

 

「いるな」

「何人だ?」

「一〇人はいる。宿の入り口も固められているだろう」

「私、アイシャを起こしますね」

 

 泰然としながらも警戒を崩さないルイジェルドと、早くも臨戦態勢に入りつつあるエリオットを尻目に、ルディアはアイシャを揺り起こす。

 

「んぅ……お姉ちゃん……?」

「アイシャ、起きてください。移動の準備をしますよ。静かにね」

 

 アイシャは寝ぼけ眼だったが、それでもルディアの声音から何か察するものがあったらしい。眠そうに瞼を擦りながら小さな靴下に足を通し、靴を履く。

 杖に(くる)んだ布を取り払うルディアの内心に過ぎるのは、何故ここに潜伏しているのが露見したのかという疑念だった。

 昨晩宿を移したときに見つかり、尾行されていたのだろうか。否、だとしたらその時点でルイジェルドが気付いたはずだ。

 いずれ見つかるにせよ、それまでもう二、三日は猶予があったはずである。これでは余りに早い。

 

(……タレ込まれたか?)

 

 今日一日、外出していたのは顔が割れていないルディアとルイジェルドの二人だけだ。

 思い当たる節があるとすれば、この宿の主人か。

 四人を──とりわけエリオットとアイシャを舐め回すように見てきたあの老婆。子供を連れた冒険者パーティなど訳ありですと喧伝しているようなものだ。

 

「俺が突破口を開く。アイシャはエリオットが抱えてやれ」

「わかった」

 

 エリオットは最小限の荷物を背に、アイシャの前で片膝をついた。意図を察したアイシャが両腕をエリオットの首に巻き付け、体重を預ける。

 腰に片腕を回せば、もう片方の手で剣を振れる。立ち上がった下腿や体幹に乱れはない。

 

「ルディア、灯りを消せ」

「はい。わかりま──」

 

 窓際のランタンに近付いたルディアが、返事を返すその刹那、窓の外の空気が動いた。

 耳を聾する破砕音。いきなり窓を突き破って飛び込んできた幅広剣が、回転しながら寝台に突き刺さる。

 咄嗟に抱き寄せたルイジェルドの腕が、砕け散るガラス片からルディアを守った。

 

「無事か、ルディア」

「は、はい……ルイジェルドさんは?」

「問題ない」

 

 咄嗟に手を引っ込めたため、ガラス片はルディアの指先を軽く切るのみで終わった。むしろ庇ったルイジェルドこそ怪我をして然るべきなのだが、強がりでもなく本当になんでもないようだ。

 上半身は半裸に近い格好をしているだけに、ルディアとしては信じ難いが。粗塩でも擦り込んであるのだろうか。

 

「立てるか。来るぞ」

 

 外れかけた粗末なカーテンを乱暴に引き剥がした男が、剣を片手に窓枠に足を掛けた。その喉元にルイジェルドの短槍が突き込まれる。

 

「がっ──」

 

 白い穂先に頸椎を寸断された男が、腕を泳がせて倒れ込む。その後に続いた二人目は、飛来したランタンを額に受けて仰向けにひっくり返った。部屋の床に転がったランタンをエリオットが投じたのであった。

 古めかしい見た目のランタンは鈍い色の金属製で、重い。うっかり足に落としたら骨折は免れないそれを顔面に受ければ、良くて昏倒、悪ければ頭蓋が陥没する。

 起きてやがった。怯むな、どのみち逃げ場はねえ──

 囁き声というには乱暴な声が、深夜の路地裏に響いた。

 

「突破する。エリオット、お前は殿だ」

「ああ」

 

 剣帯に吊り下げた鞘から既に曲剣を抜き払っていたエリオットが、ルイジェルドの指示に頷きを返す。

 片手にアイシャを抱えているとはいえ、今のエリオットは中級剣士程度なら苦もなく受け流せるだろう。ルディアの援護があれば尚更である。

 今から宿の入り口には向かえない。固められているだろうし、詰まってしまえば窓から侵入した敵と挟まれることになる。

 剣の突き立った寝台を扉の前に置いてバリケードにし、それをルディアの土魔術が補強する。

 ものの数秒で終わった作業をルイジェルドが横目で確認すると、槍を手に窓枠から飛び出した。

 ルイジェルドの第三の目をもってすれば、夜の闇など枷足り得ない。

 短槍が闇に白い軌跡を描き、男たちの肉を裂き喉を貫く。暗闇の中で血が飛沫、短い悲鳴が連続した。瞬く間に三人を屠り去ったルイジェルドの背中をルディアが、その更に後ろをアイシャを抱えたエリオットが追い、闇の中に飛び込んだ。

 宿の入り口から回り込もうとするごろつきや、路地裏から飛び出ようとする増援に、片っ端から岩砲弾(ストーンキャノン)を叩きつけて牽制しながら脱兎の如く駆け抜ける。背後から響く剣戟音に肝を冷やして振り返ったものの、エリオットは蛮声とともに振り下ろされた鉄剣を何なく弾くや、返す刃でごろつきを袈裟懸けに斬り伏せた。力の抜けた相手の体を後続に向けて蹴り転がして、少女一人を抱えているとは思えない俊足でルディアたちに追い縋る。

 僅かに荒れた息──やはり体調が思わしくない。背後に土壁(アースウォール)で最低限の足留めをして、ルディアは再度足に喝を入れた。

 裏路地はごろつき共の庭のようなものだ。かといって無思慮に大通りに出るのも愚かしい。突破したあとは衛兵の巡回にかち合わないようルイジェルドに先行してもらう必要がある。

 

「ルディア、急ぐぞ……!」

 

 追走するエリオットに叱咤され、ルディアは駆け足に専念する。

 差し当たってはどうやって次の宿を見繕うかだが──それを案ずるのは、兎にも角にも追っ手を撒いてからだ。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

「ごめんなさい……」

 

 アイシャがそう切り出したのは、更に十数分もの間夜の街を駆け抜けたあとだった。

 暗く闇に落ち込んだ王都を照らすのは、楚々とした月明かりと巡回する衛兵の松明だけだ。ごろつき達の粗野な罵声も遥か遠い。もう足音を忍ばせる必要は無さそうだった。

 抜き身のまま握りしめていた曲剣を血振りとともに鞘に戻し、僅かに歩調を緩める。

 四人は衛兵の巡回を避けながら冒険者区を抜けて商業区を跨ぎ、居住区まで辿り着いていた。

 ルディアとルイジェルドの二人は幾らか先行し、斥候と安全地帯の確保を担っている。僅かに遠くにある二人の背中を見てから、エリオットは腕の中のアイシャに視線を落とした。

 

「どうしたんだ? 急に」

 

 だって、と暗く沈んだ声を漏らしてから、アイシャは続けた。

 

「あの人たちが来たのは、あたしのせい、ですよね? あたしが逃げ出して、お姉ちゃんに助けを求めたから……」

「……そうかもしれないけど。気に病むことじゃない」

 

 子供ながらに、否、小さな子供だからこそ、先の光景には肝を潰したに違いない。漏らさなかったのだから大したものである。

 明らかに堅気ではない手合いなど珍しいものでもないが……そういった輩に恫喝されてもまるで動じないエリオットとルディアが異常なのである。

 

「アイシャはルディアの家族なんだろ。なら、助けるために骨を折るのは当然だ」

 

 腕に抱かれたままじわりと目尻に涙を溜めるアイシャに、ぽむぽむと不慣れな手つきで頭を撫でる。

 

「この程度の修羅場なら、魔大陸で何度も潜ってるよ」

「で、でも」

「それに魔大陸にいた頃より、今の俺は強い。だから大丈夫だ。……ルディアとルイジェルドもいるしな」

 

 最後の一言は余計だったか、と内心で反省して周囲の警戒に移る。

 子供の体温は高く、ぬくい。子猿のようにひっついているなら尚更だ。もぞりと動いたアイシャの小さな手が、エリオットの二の腕を叩いた。

 

「おろしてください」

「大丈夫なのか?」

「自分で歩けますから、大丈夫です!」

 

 一四歳の少年が六歳のアイシャを抱いて走るのは難儀するはずだったが、エリオットは然程苦にしなかった。

 とはいえ、アイシャが降ろしてくれと訴えるのならその通りにしてやってもいいだろう。重りはない方が不測の事態に対応し易いのは確かだ。最悪また抱え上げて走ればいい。

 ぐしぐしと袖で目元をこすったアイシャが足音も高く歩き始める。しかし、ややもせずアイシャは立ち止まり、振り向いた。

 

「お兄さん、今はご好意に甘えさせていただきます!」

 

 そうして頭を垂れると、その勢いにつられてボルドーのポニーテールの毛先が跳ねる。

 

「あたしと、あたしのお母さんをよろしくおねがいします」

「……それは、ルディアにも言ってやれ。多分喜ぶから」

「はい!」

 

 元気の良いアイシャの返事に、エリオットは苦い笑みで口角を歪めながら、しぃっと人差し指を唇の前で立てた。

 

 

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