泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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愚かなるもの、力なきもの

 

 

 

「ルイジェルド、いるか?」

「……いや、今のところそれらしいのはいないな」

「そうか」

 

 傷んだ窓枠の外には、暗い闇が立ち込めていた。

 二人のやりとりを黙って、しかし張り詰めた表情で聞いていたルディアは、ルイジェルドの報告に小さく安堵の溜息を漏らした。

 

 ルディアたちがアイシャを保護してから、実に一週間近くが経過しようとしていた。

 シーローン王都を転々とする四人を、ごろつきどもはその日のうちに、遅くとも次の日には見つけ出してしまう。

 衛兵達は区画を跨げば撒きやすいが、ごろつきたちはそうではなかった。北部の国境の防衛に力を割く必要がある王国は、他国に比べ治安維持に兵士たちを回す余裕はない。必然、後ろ暗いはみ出し者の跳梁を許すこととなる。

 迷宮に一攫千金を求める冒険者が数多いのも影響しているだろう。人の出入りが多いということは、それだけ衛兵の目も届きにくいということである。巡回する衛兵たちよりもなお、ごろつきどもの目から逃れるのは難しいということだろう。

 

「今晩は大丈夫かな」

「さあな、なんとも言えん。この街はならず者の庭らしい」

「一度王都を出るべきですかね……」

 

 ちらりと毛布に(くる)まれたアイシャを見やり、眠っていることを確認したルディアが呟いた。

 

「王都は敵が多すぎますし、一旦街から出て、野営しながら機を窺うという手も……いいえ」

 

 言いながら首を振る。

 この一週間、移動と戦闘を繰り返すばかりの日々だった。ごろつき共とて流石に日中に襲撃をかけてくることはなかったため、休息の時間は取れているが……慣れぬ逃避行にアイシャが消耗している。

 ルディアも月のものによる体調不良は改善したが、それでも日がな一日神経を尖らせるのは難儀だった。体力的にはまだ保つが、集中力に翳りが出てきている。

 

 王宮に夜襲を仕掛け、リーリャを奪還しないのには理由があった。逃走用の馬の調達が済んでいないのである。

 王宮への城攻めともなれば、侍女一人の拐かしとは話が違ってくる。下手人の首を上げねば国家の威信にも関わるだろう。当然追手がかかる。足の悪いリーリャと幼いアイシャを抱えながら、徒歩(かち)で国外まで脱するのは無謀というものだ。

 食糧ならルディアやルイジェルドが昼間に忍んで買い出しに行ける。だが馬はそう容易くはない。

 いっそ奪うか? 王宮への侵入、侍女の誘拐。更に一つ罪が重なったところで誤差というものだろう。

 

 ルディアの葛藤を遮るように、ルイジェルドの槍が、エリオットの剣帯が僅かな金属音を立てた。

 二人が立ち上がっている。最早慣れ切ったとでも言うかのような戦闘態勢。

 

「……また、ですか」

 

 諦観混じりに呟いて、ルディアは杖を片手にアイシャを起こしに掛かる。

 剽悍としたルイジェルドと、その気配に慣れ親しみつつあるエリオットは、再びの襲撃に動揺する素振りなどかけらも見せることはない。

 ルディアにはまるで見当がつかないが、二人には宿の外の気配というものが感じ取れるのだろう。数を恃み、悪意を持つものならば尚更に。

 さて、今夜もまた宿を脱さねばなるまい──手早く準備を終えたルディアは、しかしそこで扉を忙しなく叩く音に怪訝な顔を向けた。

 時刻は深夜に差し掛かる頃合いだ。客というわけではないだろう。外のごろつきが侵入してきているのならルイジェルドが気付いたはずだ。

 

「俺が出る」

「お願いします」

 

 エリオットが警戒混じりに小さく扉を開ける。が、すぐに毒気を抜かれたように大きく開いた。

 扉の外にいたのは白髪混じりの小柄な宿の主人だった。怯えと焦燥を滲ませた表情でエリオットに訴えかける。

 

「外になにやら剣呑な連中がいるんだけど、そいつらがあんたらを出せって言ってきてるんだよ。心当たりがあるんじゃないのか?」

「それは……なんだ、悪かったよ」

「困るよ、うちはああいうのには睨まれたく無いからこんなとこで細々やってるんだ。明日の朝には出てってもらうからね」

 

 主人を宥めすかし、戻らせる。その眼は恨みがましげだったが、それ以上に不安と危機感の色を宿らせていた。大丈夫だと思った客が、想像以上の火種を抱え込んでいたのだから当然とも言えるかもしれない。

 

「ご指名のようですね」

「そうみたいだな」

 

 湧き上がる違和感に首を傾げる。

 ごろつきどものいつものやり口とは違う。数を恃みに問答無用で奇襲を仕掛けてくるのが奴らのやり方のはずだ。

 

「どうする? 罠の可能性も……」

 

 というか十中八九罠だろうけど、と続けながらエリオットは振り向いた。

 

「……応じましょう」

「いいのか?」

「どの道このままではジリ貧です。罠でも、ルイジェルドさんが居るなら突破できます。……ルイジェルドさん、お願いできますか」

「そういうことなら、是非もない」

 

 ルディアは寝ぼけ眼のアイシャをちらりと見遣った。

 その視線の意味をエリオットもルイジェルドも過たず理解していた。

 他の三人はともかく、アイシャはまだ幼いのだ。この逃避行を続けていたら、最悪体調を崩しかねない。まともな療養が叶わない状況下では、それだけでパーティの足は止まってしまう。

 もしこれで光明を見出すことが出来なければ……一度王都を脱し、近隣の都市で準備を整えることも視野に入れるべきだろう。

 きっとアイシャには不安な思いをさせてしまうが、背に腹は変えられない。

 

 

 

 

 

 王都の街並みを照らす月明かりの届かぬ、闇に落ち込んだ通りの中に、複数の人影が佇んでいる。先頭の一人が松明を手に、出てきたばかりの四人を伺っていた。

 

「ルイジェルドさん」

 

 宿を出たルディアはその人影を見咎めるや否や、傍のルイジェルドに声をかける。

 

「三人だ」

 

 その返答に頷いて、明かりに向けて歩を進める。

 

「へえ、まさか素直に出てきてくれるたあな」

 

 最初に口を開いたのは、先頭の松明を持った一人だった。衛兵に睨まれるのを防ぐためか多少身綺麗にしているようだが、月明かりの代わりに松明に照らされたその人相は、堅気のそれとは似つかわしくない。

 

「よせよせ、今日は戦いに来たわけじゃねぇんだ。そのあんちゃんも、槍を担いだ魔族の兄さんもおっかなくってしょうがねぇ」

「……では、何の用ですか?」

 

 構えていた杖を下ろしても、警戒を解かずにそう問うたルディアに、男はルイジェルド、エリオットと視線を一巡させる。

 こちらを相手取るには少なすぎる人数といい、非友好的な視線を前にしても腰の得物に手を伸ばさない様子といい、どうやら本当に戦闘に来たわけでもなさそうだ。

 

「交渉だよ。さしずめ俺らは雇い主サマの言葉を伝えにきた使者ってところさ」

「……」

「要件は単純、そこのおちびさんを返して貰いてえ。さもなくば──」

「さもなくば?」

 

 続きを促すと、男は下卑た笑みを浮かべた。演技か、それとも本心からかはルディアにはわからなかった。

 

「その子の母親の安全は保証しねえ。まだまだママが恋しいお年頃だろ? 再会させてやろうぜ、一週間ぶりにな」

 

 これじゃ交渉じゃなくて一方的な要求だな、と男は肩をすくめ、積み上げられていた廃材に肘をつく。

 ルディアは歯噛みした。雇い主というのが誰かは知らないが、王宮に囚われているリーリャの進退を決め得る存在だと言うことが明らかになった。

 それがなぜ衛兵ばかりでなく、ごろつき紛いも私兵のようにけしかけてくるのかはわからないが。

 

「断ったら?」

「断るのかい?」

「……」

「おおっと、やめてくれよ。俺を殺したってなんも変わりゃしねえぜ」

 

 殺気を放射し始めたルイジェルドに男は冷や汗をかく。

 

「むしろ逆効果だ。俺が雇い主サマのところに戻らなかったら、その子の母親はどうなると思う?」

 

 ルディアとて、この状況を想定していなかったわけではない。

 身元が割れているなら、リーリャを人質として扱ってくる可能性は想定して然るべきだ。ロキシーを釣るための餌である以上、命を取られるような事はないだろう。だが、あちらからすれば最終的にリーリャかアイシャ、どちらかさえ居れば良いのかもしれない。

 

「あなた方の雇い主が誰か、聞かせてもらってもいいですかね」

「シーローン王国第七王子ことパックス様さ。俺らみたいなはみ出し者にも金を落としてくれる、我儘な馬鹿王子だよ」

 

 様々な葛藤がルディアの中で渦巻いた。

 ちらと振り向いて、エリオットの背に半身を隠すアイシャを目の端に捉える。

 アイシャを引き渡すか?

 引き渡せば、衛兵とごろつきどもの追撃は止むだろう。アイシャは元の通りに抑留されるだろうが、代わりにこちらはひとときの安寧と、奪還のための準備期間を得ることが出来る。

 だが──この妹を、再び敵の手に委ねてしまって本当にいいのか?

 逡巡は短かった。もとより悩むまでの事柄ではない。

 

「……わかりました」

「なんだい、えらく物分かりがいいじゃねえか。……まあいい。話が早いに越したことは──」

「私が代わりに行きます」

「……ああ?」

 

 ルディアのその突拍子もない提案に、男は眉根を寄せる。

 

「なあ嬢ちゃんよ。話聞いてたか? 俺はその子を渡せっつったんだぜ」

「聞いていました。ですが、渡せません」

「嬢ちゃんがその子の代わりになるのかい?」

「なります」

 

 静かな口調で断言し、ルディアは続ける。

 

「第七王子の目的は元宮廷魔術師のロキシー・ミグルディアを釣り出すことです。なら、餌としては直弟子だった私の方がよほど効果があるはず」

「ふぅん……」

「自分の進退を気にしているなら、むしろ私を連れて行った方が得でしょう?」

「おい、ルディア!」

 

 交渉を進める最中、声を荒らげてルディアの肩を掴んだのはエリオットだった。

 

「勝手に話を進めるな……! わざわざ自分から人質になりに行くだって? 結局そうなるなら、なんで今日まで逃げ回ってきたんだ」

 

 エリオットの顔に浮かぶのは、怒りと、戸惑い……そして焦燥だった。物事を抱え込み、一人で決めてしまうルディアの悪癖。重要なことを相談の一つもされずに決められて、また自分が置いてけぼりを喰らってしまうのではないか。そんな焦燥がエリオットを突き動かしていた。

 それが熟考の結果でなく、浅慮によるものならば、エリオットはなんとしても彼女を諌めなければならない。

 

「じゃあ、他に何か妙案があるんですか。アイシャを引き渡すなんて論外です。それとも、今ここで彼らを斬りますか?」

「……それは」

 

 だがルディアの返答もまた頑なだった。柳眉を逆立てて、刃のような声音で切り返す。

 

「確かに、アイシャが脱走した今師匠(ロキシー)に対する人質はリーリャだけです。王子が馬鹿じゃないなら人質を無為に傷付けることはしないでしょう。でも、私にはそんな希望的観測に家族の命を張るなんてできません」

 

 その、あまりにも真っ当な主張にエリオットは返す言葉が見つからず、歯噛みした。

 エリオットとて、置かれた立場がルディアと同じなら、同様の判断を下しただろう。あるいは彼女なら、虜囚の身にありながらも人質を救い出し、脱出する方策を探れるかもしれない。だが、それとこれとは話が別なのだ。自分から人質になりに行くと言う相手を、どうして黙って送り出せようか。

 ルディアとて、ここまで強い言葉でエリオットを突き放すつもりはなかった。だのに、噴き上がった言葉を喉元で抑えることはできなかった。体調不良が改善されても、精神の不安定さは改善されないままだった。

 

「話は終わったかい」

「……ええ」

「ルディア」

 

 呼び止めたのは、無言を貫いていたルイジェルドだった。

 

「お前の案に理があることはわかった。他に案がないことも。俺はそれに従おう。だが、それを歯痒く思っている奴がいることも忘れるな」

「……はい。ルイジェルドさん、アイシャをよろしく頼みます」

「ああ」

「エリオットも、その……」

「そら、行くぜ」

 

 話が長いとばかりに背中を小突かれて、ルディアは続く言葉を失った。

 

「……お姉ちゃん!」

 

 嘲るような冷笑を湛えた男たちに連れられて、エリオットたちに背を向ける。その背に、アイシャの声がかかった。

 判断を誤ってはならない。自分は歳の離れた妹と、もう一人の母親を救うために動いているのだから。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 拠点にしていた安宿を離れ、ごろつき共に連れられたルディアは一晩を古びた貸し倉庫で明かした。

 漁閑期の漁港は小さな漁船が係留されているのみで、人気が少なく、そういった輩が屯しやすいのだろう。盗むものもない漁港は衛兵が巡回する理由もない。時折船の整備に来る人員さえ黙らせれば、あとは漁が再開するまで違法薬物や盗品の集積所として使用することが出来る。

 ごろつき共からすれば、ルディアは盗品と同じ略奪の成果物のようなものなのだろう。逆に衛兵に捕まったのなら拘置所に入れられたのかもしれない。

 にやついたごろつきたちの、品定めをするかのような視線を受け流しながら朝を迎えたルディアは、そのまま王宮まで足を運ぶこととなった。

 王宮はアスラ王城のような絢爛さはなく、どちらかといえばロアの屋敷のような堅固さに重きを置いた造りだ。

 王城の裏門を守る門衛は、誇るような、嘲るような態度のごろつきたちを睨みつけ、次いで連れられたルディアに憐みの籠もった視線を向けた。

 彼らの脇を通り過ぎて、ごろつきは勝手知ったる風で王宮の敷地内に入っていく。無論、武装は外している。

 流石に城内までは入れないのだろうが、それでも敷地内の通行を許されるのは、王子が背後についているからなのかもしれない。

 

 迎えの兵士に引き渡されたルディアは、数少ない手荷物を渡し、その背を追うことになった。

 回廊や小さな庭園を抜け、城内に入る。

 彼女を連れ歩く人が変わっただけだが、それでもルディアの内心は僅かな安堵を得ていた。

 油断ならないと了解していても、ごろつきどもよりはまだ幾らか、衛兵のほうがマシだ。昨夜から先ほどにかけてまで、ごろつきどもの視線は背筋に怖気をもたらすものだった。檻の中で歯向かえない小動物を見るような視線と、品定めをするような好色な視線。このあたりでは珍しいアスラとミリスの血を引く顔立ちのルディアは、珍しい上玉に映るのだろうか。

 貧民街(スラム)の通りには似たような年代の娼婦も数多くいた。その日の糧を手にするため、冒険者を相手に身体を売るより他にない子供たち。痩せて不衛生な彼女たちよりも、身綺麗で、歳の割に発育の良いルディアは男たちの食指を動かすには十分らしい。

 ルディアが優秀な魔術師であると聞き及んでいたためか、手を出されることはなかったが。

 

 裏門から城内に入り、奥へ奥へと進むのかと思いきや、衛兵の足は中央から逸れた所へと向かっていた。王侯貴族の場所というよりは、どちらかと言えば下女や末端の使用人しか来なそうな場所である。

 ほどなくして、衛兵の足も止まる。

 剥き出しの石壁に四方を囲まれた半地下の一室は、部屋と言うよりは牢と表現する方が適切な気がした。

 ルディアが連れてこられたその部屋は、上階の清潔さや居住区の生活感を根こそぎ剥ぎ取った、寒々しさすら感じさせる場所だった。

 事実として牢なのだ。

 視界の先には、壁に併設された硬い石階段がある。あれを上り、重そうな扉を押し開けない限り部屋の外には出られない。

 

「ここに入っていてくれ。……寒いし不便を感じるかもしれないが」

「はい」

 

 現状は想定の内だった。監視がどれほどつくかはわからないが、今は反抗の意思を見せず、大人しくしておくべきだ。

 

「脱走なんて考えない方がいい。王子のやり口は幼いが、その分陰湿で執念深い。しばしの不便だ。我慢してくれ」

「……」

「もうすぐ王子がやってくる。くれぐれも粗相のないように」

 

 念を押すように言い含められる。

 ルディアの沈黙を前に、兵士は気分を害した風でもなく去っていった。

 かつかつと軍靴が石床を叩く音が離れていく。その足音が、扉の開く音と共に止まった。

 

「余のやり口が……なんと申した?」

 

 怒気と嗜虐に染まったその声は、ものの少ない部屋によく響いた。

 

「目の届かぬを良いことに余の陰口か? まだ躾が足りんと見えるな。ええ?」

「……で、殿下……」

 

 その声の主は隣に侍らせた兵士たちに顎をしゃくる。

 兵士たちは苦渋に塗れた表情のまま、鞘に納まったままの剣で、膝をつく同僚を──主人に不敬を働いた兵士を殴り付けた。

 

「ぐぅっ!」

 

 硬質な金属音。命中したのは兜だった。もんどり打って倒れ込む兵士が、硬い石の階段に背を打ちつけて肺の空気を搾り出す。

 

「手を止めるな! 貴様らも余に逆らうか!? 叛逆者として扱われたいか!」

 

 罵声のような叱咤が飛び、兵士たちは肥えた貴人の側からぞろぞろと離れ、倒れ込んだ同僚に次々に手に持つ鈍器を振り下ろした。金属音に混じり、硬い鞘が肉を打つ鈍い音と、くぐもった呻き声が狭い半地下の部屋に反響する。

 打擲は数十秒続いた。呻き声が漏れるばかりとなった衛兵を、他の衛兵が肩を貸すように抱えあげる。

 

「連れて行け」

「……はっ」

 

 爪先を引き摺られて去る兵士を尻目に、一人の小男が階段を降りてくる。

 その光景に、ルディアは目を見開いた。

 樽のような外見をしたその小男は、傲然と見下すような態度でルディアを睥睨する。その態度の不遜さは、ごろつきたちの横柄さとはまた違う、己の地位と身分に絶対の自信を持つが故の驕慢さが透けて見えた。

 服装も平服だが、平民が日常的に着れない質の高いものだということが窺える。察するに、王宮でも特に身分の高い──おそらくは第七王子本人なのだろう。

 

 だがルディアが絶句したのは王子に対してではなかった。その短い足元に転がされた、一人のメイドに釘付けになっていたからだ。

 ボルドーの髪。眼鏡の奥の葡萄色の瞳。

 見紛うことはない。グレイラット家のメイドにして、アイシャの実母。そしてルディアの第二の母。

 リーリャ・グレイラットが、両手と両足を拘束され、猿轡を噛まされて転がされていた。

 

「リーリャッ!」

 

 ルディアの声音に抑えきれぬ険と、怒りが混じった。

 その手のひらに瞬時に魔力が込められ──すぐに霧散する。

 王子とリーリャに向けられた視線が、青白い燐光に阻まれていた。

 

「……!」

 

 どこか見覚えのある光だった。

 一年以上前に、ミリス大陸で見た憶えがあった。

 手を伸ばすと、指先が硬質なものにぶつかる。足元には魔法陣。見えない壁を縁取る燐光と同じ色合いで発光していた。もう一度手のひらに魔力を込めて見るも、魔術は発動せずに霧散してしまう。

 まずい。結界だ。

 ルディアの背を冷たい汗が伝った。

 

「無駄だ無駄だ! それはロキシーを捕えるために作らせた王級の結界だからな! 魔術師の貴様ではどうしようもあるまい!」

 

 哄笑を響かせる王子に、ルディアは胡乱な視線を向ける。

 

「消せ」

 

 王子の声に従い、部屋の隅に置かれていたカンテラを兵士が取り上げた。

 すると途端に魔法陣が輝きを失い、燐光の壁も幻のように消え失せる。

 これだ。ミリス大陸で聖獣が捕えられていたときの魔法陣とよく似たものだ。これは魔術師の魔術を封じる、その一点に特化した魔法陣なのだろう。

 

「そうだ。大人しくしたほうが身のため……いや、このメイドのためだぞ?」

 

 にやにやと薄笑みを浮かべた王子の背後で、兵士が抜き身の短剣をリーリャに突き付けていた。

 んむ、と猿轡を噛まされたリーリャが、視線でルディアに訴えかけてくる。彼女が言わんとすることは察せなくもない。大方、自分など見捨てて逃げろとでも言うのだろう。

 落ち着け、と湧き上がる焦燥を押さえつけた。人質としての価値はリーリャよりもルディアの方が上だが、ルディアが抵抗しない限り彼らに積極的にリーリャを害する理由はない。事前にアイシャから、王宮での扱いは聞き及んでいる。外に出る自由がないだけで、普段は他の侍女より幾分待遇が悪いだけだ。少なくとも、奴隷のそれよりはマシのはず。

 これはルディアに己の立場を理解させるためだけの、ただの茶番だ。

 

「ほう? ほうほうほう」

 

 王子がルディアの前に立った。

 至近距離で見れば、目線はルディアよりも僅かに高いだけの、肥えた小男だ。成人して間もないのだろう。ルディアの前世の基準ではまだ少年といっても差し支えない年頃だと窺えた。

 丸く肥えた指が伸びてきて、ルディアの顎先を掴み、持ち上げる。相手の抵抗などまるで考慮しない、無遠慮な手つきだった。

 身近な人間にやられたなら気にもならないが、初対面の小男に──醜男にやられるのは不快だった。それを抑え込む。どのみちリーリャさえ確保すればこの国に用はない。ならば多少の狼藉など気にもならない。

 それに、この小男にはそこはかとない既視感と親近感を感じるのだ。

 

「抵抗しないのか。いいぞ、余は従順な者は好きだ」

 

 しないと言うよりも、出来ないと言うのが正しいだろう。それがわかっているが故の言葉であった。

 自分が絶対上位であることを確信しているのだろう。王族として何不自由ない生活をしてきたステレオタイプの放蕩王子、というのがルディアの第一印象だった。

 好きに思っていればいい。リーリャを奪還したら、その確信は妄信に変わるのだ。

 

「お前……確かルディアとか言ったか? 余の名は知っているな?」

「……ええ。存じ上げていますよ。パックス・シーローン殿下」

「そうだ! 弁えているようで何よりだ。お前はこれからロキシーへの人質として、余に飼われることになるのだ!

 リーリャとアイシャでは足りんようだったからな。直弟子が囚われたとなれば、あのロキシーも顔を青くして駆けつけるに違いない!」

 

 ルディアの顎先を掴んだまま、喜色の滲んだ声で高らかにそう言い放つパックス。

 そして不意に、その目つきに粘性が帯びる。無表情を保つルディアの顔や体を舐め回すように、上から下へと視線が走った。

 

「それに……くくく、見目も良い。これは拾い物だな! 余の好みよりはちと乳がでかいが」

「ぐっ……」

 

 気にしていた点を突かれ、ルディアが呻くような声を漏らした。

 ルディアとて、好き好んで大きくなったわけではない。初潮のはじまる少し前から痛みと共に大きくなりつつある乳房には、疎わしさしか感じない。頻繁に下着を新調せねばならないのもそれを助長していた。

 恨みがましげな視線に、パックスは掘り出し物を見つけたような、心底嬉しそうな声を上げた。

 

「おお、従順な態度もいいがその顔もいいな。いいぞいいぞ、余は抵抗されると燃えるタイプだ。お前のように視線で不屈を訴えてくる者は尚更良い!

 ……どうだ? 何か言うことはないか? 哀願も罵倒も、余はどっちも歓迎だぞ」

 

 思うところはあるが、ルディアからパックスに言うべきことは決まっていた。

 

「パックス殿下にお願い申し上げます」

「なんだ? 何を(こいねが)う? 言ってみろ、聞き届けるかはわからんがな!」

「私が人質になったことで、師匠は私を助けにやってくるでしょう。そうなればリーリャはもう用済みのはずです。どうか彼女を解放していただけませんか?」

「ほう、リーリャをか……」

 

 ルディアの視界の隅で、パックスの肩越しに、縛られたまま這いつくばるリーリャが必死に首を振っている。

 息を殺すルディアの背筋を、嫌な予感が撫でた。

 

「ダメだ」

「なぜですか」

 

 にべもなく切って捨てられ、ルディアは信じられない思いで食ってかかった。対するパックスは強硬な態度でルディアの懇願を跳ねつける。

 

「その手には乗らんぞ! ボレアスとか言ったか? 貴様らはアスラの上級貴族の庇護下にあるのだろう! 誰が助けなど呼ばせるものか!」

「は……?」

 

 ボレアス? とルディアの思考が数瞬停止した。

 何故今その名前が出てくる? フィットア領が消滅した今、赤竜山脈の向こう側のルディア達を救出するだけの余力はボレアス家には残されていないはずだ。

 そもそも、自分とボレアス家に繋がりがあることを何故把握されているのか。この見るからに愚鈍な王子にそれだけの情報収集能力があるとは考えにくい。そしてそれ以上に、情報を収集し精査するだけの時間もない。

 となると……情報の出所はリーリャだろうか。

 転移直後、リーリャはアイシャとともに王宮に保護を願い出る間、ロキシーやボレアスの名前を出したのだろう。

 

「確かに私はボレアス家に所縁がありますが、それは昔の話です。それにボレアス家は領地の復興に一杯一杯でこちらに手を回す余裕なんてありません。殿下の仰ることは杞憂です」

「ふん、どうだかな。お前の言うことなど信じられん。なにしろリーリャは何度も助けを乞う手紙を出そうとしていたからな!」

 

 おそらくリーリャはボレアス家にではなく、パウロに向けて手紙を出そうとしていたのだろう。フィットア領が消滅したことを知っていたとしても、そこに復興や難民捜索のための組織があることくらいは想像がつく。

 しかしそうなると宛先はどうしてもフィットア領だ。幾度となく手紙を出すことを妨害してきたのだと思えば、パックスがそう勘違いするのも無理はない。

 そして、強硬な姿勢をとるパックスの誤解を解くのはほぼ不可能に近いだろう。この手の人物は、自分の考えこそ正解と疑わないタイプだ。

 

「返す言葉もないか。リーリャの身柄は諦めるのだな! なに、そう悲観するな。お前の態度次第では、リーリャの待遇を変えてやってもよい」

 

 粘つく視線と、含みのあるその言葉に、ルディアの背中にぞわりと蛇のように悪寒が走った。

 今の今まで忘れていた。ロキシーとの文通では、しばしば教鞭を執っている王子の好色さについて、愚痴られていたではないか。色を覚え、年を経て、己の地位と権力を自覚した傲慢な少年がどういった行動を取るか。己の一存で無垢な母娘を軟禁するような輩が、健気にも義妹の代わりに人質としてやってきた少女に、どのような対価を要求するのか。

 

「お前はロキシーと一緒に余の性奴隷として飼ってやる。

 まずは縛り上げたお前の目の前でロキシーと一回、懇願するロキシーの前でお前と二回目だ! いや、助けに来たはずの弟子が既に調教済みというのも趣があるかもしれんなぁ……くくく」

 

 ルディアの心臓が、動悸のように早鐘を打った。男から性慾の籠った視線を向けられるというのは、思いの外不快で、耐え難い。

 僅かに浅くなった息を、悟られぬように懸命に堪える。

 

「口うるさい侍女も、奴隷も、木端のような使用人も、余は何人も手籠にしてきたのだ。抵抗してもいいぞ……出来るものならな!」

 

 パックスの手が、ゆっくりとルディアの胸元に伸びた。

 ルディアとて、幼い頃より剣術を修めている身だ。魔術が使えずとも、無遠慮に触れてくる武に疎い王子一人、素手で制することは難しくない。

 だのに抵抗しなかったのは──出来なかったのは、視界にリーリャが入っていたからか。それとも、こうまで直截に向けられた性慾に、身体が竦んでしまったから?

 

「……ッ!」

 

 短い指先が、ローブの上から胸に触れた。

 僅かに身じろぎしたルディアは、唇を噛み締めて耐える。パックスのズボンは、股間の部分が盛り上がってその存在を主張していた。

 布越しに蚯蚓の群れが這うような掻痒感に、生理的嫌悪が湧き上がる。

 

「おぉ……いい感触だ。くく、これはロキシーでは味わえんな」

 

 ルディアの心に、ふと、邪念が鎌首をもたげた。

 パックスは、己が弄んでいる少女が、なんの抵抗もしないものとたかを括っている。ルディアの胸ばかりに意識を向け、他に思考を巡らせる余裕などない。今ならば、ルディアの視線や、腕の動きを悟られない。

 今ならば。一撃でこの小男を昏倒せしめ、魔法陣の範囲から逃れることが出来れば、あるいは。人質を取り、リーリャを確保し、兵士たちを悉く無力化すれば、彼女を連れて王城から逃げおおせることも叶うのではないか。

 

 それはまさに邪念だった。

 普段の明晰なルディアならば他に手段はないか模索したであろう愚行だった。

 パックスに手を挙げれば、護るべき王族を害された兵士たちは、ルディアを捕えようと躍起になるだろう。そうなれば生死は無論、人質となったリーリャに配慮もすまい。

 リーリャが人質となっている。彼女の無事のためならば、自分はどんな辱めでも耐え抜こう。心に傷を負ったとしても、家族の無事とは代え難い。

 だが今直面している事態から逃れるためならば、貞操の危機から脱するためならば。

 

 ルディアは右手を握り締めた。

 一本拳の形で力任せに喉を突けば、無力化は容易い。結果として喉が潰れてしまったとしても──構うものか。

 既にルディアは、リーリャを連れて逃げるという大義名分の虜となっていた。

 

「でっ……殿下!」

 

 リーリャの叫び声に、ルディアの肩がびくりと跳ね、意識が現実へと引き戻された。服の上を這い回っていた指が離れていく。

 乱雑に噛まされていた布の猿轡はほつれ、外れている。硬くざらついた石畳に無理矢理擦り付けたのだろう、その頬には細かい擦り傷が幾つも出来、血が滲んでいた。

 

「私ならどのような辱めでも受けます! お嬢様には、どうか、どうかご寛恕をくださいますよう……!」

「貴様のような年増になぞ何の興味もないわ! おい、貴様ら! 何を喋らせている! いいから黙らせろ!」

 

 苦労して上体を起こしていたリーリャの背に、下知を受けた兵士の手が伸びて、無理矢理石畳の上に押し付けられる。受け身を取れず、リーリャが苦しげに呻いた。

 

「ぐ、でっ、殿下……!」

「余の愉しみに水を差すな!」

 

 パックスの平手が、リーリャの頬を打った。

 パックスは息を荒らげ、興が乗った様子で振り返る。

 

「まあいい、貴様はそこでこの娘が犯されるのを見ていろ! 存分に絶望するがいいわ!」

「お嬢様はっ!!」

 

 リーリャの声は先にも増して、切羽詰まったものだった。

 

「お嬢様は、ボレアスに所縁あるのみならず……! その血は高貴なるもの!

 父をアスラのノトス・グレイラット直系に、母をミリスのラトレイア伯爵の息女に持つ方にございます! 意にそぐわぬ行いをすれば、それが漏れれば、両家より不興を買いましょう!」

 

 リーリャのそれははったりを多分に含んだものだった。

 血筋に関して嘘はないが、それがルディアの身分を保証するものではない。パウロの実家であるノトスは無論のこと、ラトレイアもルディアのことは関知すまい。

 だが、ルディアを保護するものがボレアス・グレイラットのみと早合点していたパックスには新たなる脅威に感ぜられ、獣欲に昂っていた思考に冷や水を浴びせるには十分だった。

 ルディアに再び伸びかかった指が、止まる。

 パックスはルディアに、一見美しいが、迂闊に手を出せばただでは済まぬ、茨のような魔性を幻視した。

 

「なにを、でまかせを……」

 

 嘘と断ずるのは容易い。

 確かに平民のそれとは思えぬほどに見目麗しいが──所詮は旅装の少女。その高貴たるを保証する者などいない。

 だが、そのどれか一つでも本当ならば?

 ボレアスのみならず、小国に匹敵する大貴族を敵に回すような行いをしたことが露見すれば、パックスは破滅だ。兄たる第三王子など話にならぬほど、国体の危機を招くだろう。

 パックスの内心に疑念が湧いた。

 否、否、そのどれもが嘘であったとしても、ボレアスに所縁が、というのは真実だろう。

 眼前の小娘は、リーリャやアイシャとは違う。災害に巻き込まれ、この王宮まで転移してきたのではないのだ。そんな少女が、シーローン王宮に登城してから戻らない。その事実がいずれかの貴族に漏れないとなぜ判断できようか。

 

「……」

 

 だが、戻すわけにもいかない。

 既にパックスはルディアに屈辱を与えたあとである。

 

「……ふん! 興が削がれたわ。余はもう戻る! おい、リーリャを牢に戻しておけ!」

 

 パックスは憤然と踵を返した。

 

 





ルディア
 王級結界とか読めないって、普通……ファッ!? リーリャが緊縛プレイされてる……!?
 あ、ちょっと! やめてください! セクハラですよ!?

エリオット
 また置いてけぼり。

パックス
 掘り出し物見つけて興奮。心底味見がしたい。頭の中がそれはもうすごいことに。

 ルディ子はかわいいからね、しかたないね
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