泥沼の騎士 〜TSルディ子を救いたい〜   作:つばゆき

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間章Ⅰ
少年


 

 

 

 昼下がりの陽光が明るく照らす廊下を、エリオット・ボレアス・グレイラットは漫然と歩いていた。

 この一年は毎日を忙しなく過ごしていた。

 午前中の魔術教練、午後の剣術の鍛錬、夕食後には座学を数時間。立場を考えれば当然のカリキュラムだが、まだ一〇に満たないエリオットにとっては鬱屈した毎日だった。

 我ながら随分勤勉に過ごしていたものだ。

 が、山猿という評価を覆そうと思うならば、今まで逃げていたことに真面目に取り組まなければならない。向いていないことはわかっていたが、エリオットは他に手法を知らなかった。

 目礼とともにすれ違う使用人たちを受け流しながら、エリオットの耳は彼らの潜めた声を聞き咎める。

 

 エリオットお坊ちゃまも、随分と落ち着かれて。

 あの山猿が、この一年であんなにも。

 でもそうなると、やはり本家が黙っていないのでは。

 

「……ふん」

 

 鼻を鳴らす。

 いつの時代も使用人というものは口さがないものである。数代に渡り家に仕えているものや、しっかりとした教育を受けた執事やメイド長らはそんなことはなくとも、末端の使用人たちの噂まで留めることなど出来はしない。

 不満には思うが、エリオットにはそれを咎めるつもりなどなかった。全ては過去の自分の行いによるものなのだから。

 癇癪を起こさない程度には、彼の自制心も成長していたのだ。

 

 

 

 エリオットは己への評価を余さず理解していた。

 使用人たちが隠れて口にする山猿という蔑称も、過去のエリオットの素行を聞けば、妥当なものであると言えよう。

 一年前の彼は言ってみれば粗野で粗暴、手のつけられない悪童であった。つけられた家庭教師の授業は受けず、窘める教師を殴り、学校に行けば級友を殴る。なまじ暴力によって物事が押し通ってしまったばかりに、それはエスカレートしていた。

 ボレアス家には跡目争いに敗れた分家の男児を、成人まで王都の本家に養子として出される伝統があった。これは分家を次代の跡目争いから脱落させることを目論んだものであり、エリオットも当然王都の本家に預けられていたのだが、その手のつけられない凶暴ぶりに分家に戻されたのである。

 今にして思えば、エリオットの醜聞によって分家の悪評を立てられれば僥倖という魂胆、そうでなくとも山猿の面倒など見切れるかという本音があったのだろう。

 エリオットには兄と弟が一人ずついるが、かつての彼に似ずおとなしい彼らは今でも王都におり、今なお親元から引き離されている。

 

 そんなエリオットだが、七歳の誕生日を迎えて少しした頃、高熱を出し寝込んだのだ。

 何日も伏せり、命に関わるほどだったという。まるで他人事のように感じているのは、当のエリオットが当時のことをよく覚えていないからだ。

 使用人たちに煙たがれていようと、それでも愛情を持って育てられていたエリオットは献身的な介護によって一命を取り留めた。

 エリオットが異常性を見せたのはそれからだった。

 まるで人が変わったかのように以前までの凶暴性はなりを潜め、あれほど毛嫌いしていた勉学、魔術の講習に──憮然としながらも──真面目に取り組み始めたのである。

 これに驚愕したのはなにより両親たちと本家の人間である。

 フィリップとヒルダも悪魔にでも憑かれたか、あるいは取り替え子(チェンジリング)ではないかと疑り、一度は祓いと清めの儀式をすべきとの声があがったが、山猿からただの気難しい少年になったのならばむしろ歓迎すべきという結論に至った。

 むしろ、エリオットの変貌ぶりが気に食わなかったのは本家である。

 ボレアス分家の醜聞を期待して実家に送り返したにも関わらず、その矢先にエリオットのまさかの更生である。

 送り返されるためにわざと狂態を演じていたのか、精神操作の魔術か。猜疑の声は上がったが、一度送り返した子をやっぱりこちらが面倒をみるからもう一度連れてきてくれと言えるはずもなく、座して眺めるしかなかった。

 

「これは、エリオット様。ごきげんよう」

「……ああ」

 

 そっけない態度のエリオットにも、獣族のメイドの声に険はない。

 教育に携わることのないメイドたちは、サウロスの気性や、ボレアス自体が獣族に甘いことが相まり、以前からエリオットに対して然程の苦手意識を抱いていなかった。

 ショートボブの黒髪に、猫系だろうか、つんと斜めに立った猫耳がぴこぴこと動いている。触りたい欲求を堪え、口を開く。

 

「修練場は?」

「はい。サウロス様が先ほどまで使用されておりましたので、清掃の者だけです」

「そう。じゃあ、キリーを見かけたら修練場まできてくれるよう言って欲しい」

「かしこまりました」

 

 そう伝えると、修練場に向けて歩き出す。

 何故だか無性に体が動かしたくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 エリオット・ボレアス・グレイラット。

 中央大陸西方を支配する大国の、上級貴族の次男である。

 アスラ王国の四方を守護する武官貴族であるグレイラット家は、ノトス・ボレアス・エウロス・ゼピュロスの四家を本家として構え、それぞれの領土が王家直轄領に準ずる、いわゆる大貴族である。

 アスラ王国に爵位制度はないものの、実に侯爵以上の権威と実力を持ち合わせていることは間違いのない大家だ。

 その大貴族の、分家とはいえ次男。

 そこは幸運だった。それは間違いない。

 コネも財力も持ち合わせない平民の家だったら、高熱による昏睡で命を落としていても不思議ではなかったのだから、貴族の子女として適切な処置を受けられた幸運には感謝すべきだろう。

 

 快復したエリオットは、それまでの態度を改めた。

 むっすりとした態度は治らなかったが、わがまま放題な性格はなりを潜め、手が出そうになってもぐっと堪え、難題にぶち当たったら一先ず考えるようになった。

 そして勉学や剣術の鍛錬に取り組み始めたのである。己の読み書きすらまともに出来ない今までの不勉強を詰り、山と増えた課題に文句を垂れながら。

 

 この変化に最も喜んだのは実父フィリップである。

 本家から次男が送り返されて来たときは、父親としては喜んだがロアの町長としては苦虫を噛み潰したような気分だった。が、更生後のエリオットを目の当たりにすれば、本家の浅慮をせせら笑うばかりである。

 唐突に意欲を見せ始めたエリオットに対し、フィリップが英才教育を施した。

 外交、内政、語学、算術、帝王学──貴族の子弟が学ぶものは数多い。出来はあまり良くないが、将来性は感じさせる。苛烈な気性のサウロスが為政者として有能な様にだ。

 教えを受けるエリオットは相変わらずつまらなそうだが、それでも真面目に取り組んでいた。

 

 凶暴な次男の突然の変貌に、周囲はまず困惑した。

 次いで、家庭教師や使用人たちは然程長続きはしないだろうとたかを括っていた。

 それが一週間続き、一ヶ月に及ぶ頃、困惑の視線は気味悪気なものへと変わった。口さがない者は、エリオットお坊ちゃまは悪魔に魅入られたのではないか、と漏らす程に。

 半年経つ頃には、エリオットを見る目は一変し好意的なものになっていた。

 むっすりとして愛想がない態度も子供と思えば可愛らしいものと映った。変に捻くれたところがない分、プライドだけが高い貴族の子供より余程付き合いやすかったからだ。むしろ憮然とした態度の割に、ちゃんと接すればちゃんと応えてくれる、とメイドたちからは評判だった。

 両親は諸手をあげて喜び、祖父はさほど気にしていない風を装っていたがやはり喜び、今まで以上にエリオットを可愛がった。

 

 そうして、一年が経つ頃にはエリオットはボレアス家での評価を固めつつあった。

 

 

 

 

 

     ×××

 

 

 

 

 

 屋敷の修練場に、木剣を手に立つ。

 踏み固められた土に、立木打ち用の標的しかない殺風景な場所だ。鍛錬に適した広さを持つ場所はここの他に中庭があるが、そこは客を招いたりする庭園調の場所なので、魔術を使ったり木剣を振り回すのは躊躇われた。

 

「……ん?」

 

 見回してみれば、先ほどまで祖父のサウロスが使用していたのだろう木剣が壁に立て掛けてある。

 サウロスは筋骨隆々とした初老の男性で、武官貴族らしく武術に秀でており、引退したあとも体をなまらせまいと時たま木剣を振るっているのだ。

 木剣を手に取ってみれば、ずしりと重い。

 握りも太く、八歳のエリオットには持ちづらい。鉄芯が入っているのだろう、重心も取りづらく、構えているだけで腕が震えてくる。

 昔ならそれだけでムキになって振り回したかもしれないが、これはだめだな、と思いショートソード程度の長さの木剣を手に取った。

 幼い体に負荷をかけるのは骨や関節に悪影響を与えるらしく、剣術師範は筋トレをほとんどエリオットにやらせていなかった。なので、剣術の鍛錬は専ら型と体力作りのランニングだ。

 

 握る手の形に擦り減り始めた柄をしっかりと握り込み、素振りを始める。

 惰性で振ったものは回数と数えることはせず、一本一本を意識する。次第に発汗し、滝のような汗を流しながら、それを二〇〇本。

 一呼吸の休憩を挟み汗ばむ手を服で拭うと型稽古に移行する。

 剣術の師範より教わった剣神流、そして水神流の形をなぞり、木剣を振るう。

 握りの(かなめ)は小指と薬指だ。振るうときは柄頭に近い左手を意識し、(グリップガード)に近い右手はむしろ制御に重きを置く。そうすることで剣先がブレず、正確な斬撃が放てる。

 そして何より重要なのが足腰だ。

 それらが鍛えられないと、剣の重さに耐えられず振るうたびに体幹を崩し体勢を乱される。そうして振るわれた斬撃に威力はなく、反撃に対応しようにも崩れた体勢では満足に応じることもできず斬り捨てられよう。

 実戦ではそんな無様は晒せない。

 

 大貴族の子女たるエリオットが直接剣を振るうような機会がくるかは疑問ではある。が、グレイラットは武官貴族だ。彼を要職につけようと思うならば、箔を付けようと部隊を率いて野盗討伐くらいなら命じるかもしれない。

 あるいは他の貴族から刺客が放たれたならばどうか。

 万が一護衛をすり抜けて刺客の凶刃がエリオットに迫ったならば。なにも独力で刺客を打ち倒さずとも、一合防ぐたびに護衛が到着するまでの数秒が稼げるのである。

 そう周囲が思えばこそ、エリオットは剣を学ぶことを許されているのだ。

 

 それにエリオットは剣が嫌いではなかった。むしろ好きだ。己に合った剣筋や体勢を探り、反復していくうちに剣の精度が増していく。それが僅かな差であれど、実感できるのがたまらなく楽しい。

 振るっていると没頭してしまうほどに。

 そうしてエリオットは師事から一年目にして、剣術師範より剣神流、水神流初級の認可を賜った。

 剣について多少の理解が及んで来ると、師の強さも理解できるようになる。剣術師範のキリーは剣神流上級と水神流中級の剣士であり、これはS級冒険者チームの前衛を務められるほどだという。

 冒険者というのは商隊の護衛やモンスターの討伐といったものから始まり、遺跡の探索や遺失物探し、果ては書類整理からホームヘルパーまでこなす文字通り何でも屋である。しかし基本的には腕っ節、つまり戦闘力が問われるもので、S級というのは最上位にほど近い。

 練度で言えば中級剣士が一般的な兵士のそれであるのに対し、上級剣士は数百人に一人というのが現状だ。才ある者が研鑽を積んで至る境地が上級であり、剣神流上級、そして水神流中級の認可を受けたキリーは攻防を卒なくこなせる熟練の剣士であるといえる。

 

 あるいは剣士として、冒険者になってみるのも良いかもしれないな。

 そう思いながら、ただひたすらに木剣を振るった。

 

 素振りと型を二巡するころには日も傾き始めていた。

 

 

 

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