人の心内は、その者にしか理解が及ばぬ。
いや。その者自身すらも、曖昧で掴みどころがないもの。ならば、猶更他者の心内に潜む感情は読み取れぬ。
だが――それが正しい形なのだ。
心内を隠す為に人は表情を覚え。時に己すらも欺き、他者と関わる。
己の中に、無意識に生ずる澱み。如何に清廉な河川であろうとも、その深みに潜れば土砂が舞い上がる澱みが生じているように。人の心も、翳り一つ存在しないなどあり得ぬ。
それら全て読んでしまうならば。もしくは、読まれてしまうのならば。人と人が関わり合う事の難度が、至極高まってしまうであろう。
隠さねばならぬもの。暴いてはならぬものもある。
だが――どうしようもなく。その者が持つ性質故に、己が意思と関わりなく、人の心内を暴いてしまう存在がいるのだとしたら。
それは。本当に、凄まじいまでの不幸であろう――。
――B級2位、影浦雅人。
彼には一つの副作用がある。
それは――『感情受信体質』
己に向けられる感情を、視線を媒介として皮膚で感じ取る特異体質。
人は。他者の視線から、感情を読み取る能力を備えている。
その瞳の形や、そこに付随する表情によって。己に向けられしその視線に籠められた感情を判別する。そういう機能は、備えている。
だが。影浦のそれは、明らかに異なる。
彼は感情を判別しているのではない。
感情に、刺されているのだ。
視線というものが、刃となって影浦の皮膚を突き刺す。
それは悪意であればあるほど、より鋭く。より深く。彼の肉体へと、突き刺さる。
彼は。悪意も好意も問わず。己に向けられた感情を、その皮膚感覚により暴いてしまう。
その能力故。彼は――戦闘時、己に向けられた感情を読み取る事で、機先を掴んでいる。
人は――本来、他者へ攻撃を行う際に。何某かの感情を浮かべるであろう。
それは義務感かもしれぬ。もしくは憤怒や憎悪もありうる。そんなものでなくとも、「今からこの相手へ攻撃をする」という意思すらも、覚悟という感情を付随させる。
――何だ、こいつ。
そして。
影浦雅人は――眼前の男の異質さを、その身を以て味わっていた。
――こいつの攻撃が俺に当たるまで。そこまでは、何の感情も刺さらねぇ。
攻撃する事に、何の感情も付随させない。無心のままただ影浦を追い、刀を振るう。
こういう手合いは、今まで影浦と立ち会った中で一人しかいない。
攻撃をする、という行為に。何の感情も浮かべない者。
――だが。俺に攻撃を当てた後。そこだけ、感情が刺さる。
攻撃を当て、傷ついた様を見る。その瞬間だけ――狼の表情は、一切変わらぬというのに。そこに、確かな『哀しみ』の感情だけが、僅かながら己が皮膚に流れ込んでくる。
己が剣で相手を傷つけ。もしくは命を奪う。その事実を前に、哀しみを纏わせる。
――こいつ、もしかすると。
これは、トリオン体同士の戦いではあり得ぬ話だ。
攻撃をする、という行為に感情は付随させぬが。攻撃をした、後に感情を浮かべる。
トリオン体同士の戦いにおいては、例え相手を倒したとて仮の肉体が壊れるだけ。その事実を、皆受け入れているはず。
この男は――武器を振るう事は、呼吸と同じようなただの動作以上でも以下でもない。
だが。その剣を振るった事により生まれた結果には、どうしようもなく感情を無意識に浮かべてしまう。
――マジで、人殺したのか?
〇
狼と影浦の戦いは、傍から見れば見応えのあるものとなっている。
長尺のスコーピオンを鞭の如くしならせ、縦横に振るう影浦と。その猛攻を掻い潜り、高い機動力をもって肉薄していく。
烈火の如き猛攻を。その剣技でもって弾いていく。
――俺に対しては。あの機先を取るような先読みの回避は出来ていない。
つまりは。アレは常在の能力ではなく。何かしらの条件が揃わねば出来ぬ能力という事。
しかし――その能力なくしても、この男は強敵であった。
スコーピオンを繋げた攻撃から見て、肉薄すれば好機を得られるかと思えたが――そう甘い手合いではなかったようだ。
肉薄し、斬り合いへの戦いとなると。影浦はスコーピオンを己が体内に仕舞い込み、狼へ敢えてより肉薄していく。
刀の間合いの、更に中。より近くへと潜り込む。
そこからの戦いは、格闘戦に近い。四肢を振るい、そこにスコーピオンを生やし、狼へ攻撃を仕掛ける。
刀を振るうよりも前に、己が攻撃を通らせる。そして動きが読みにくい無軌道な動作から攻撃を挟み込んでいく。
だが。こういった手合いとの経験は、狼にはある。
己が攻撃よりも素早く、激しい攻勢を仕掛ける者。落ち谷の鈎爪の男。仙境の大薙刀使いの破戒僧。ああいった手合いに対しての戦いは、心得ている。
刀を己が頭上に掲げ。相手の攻勢に合わせ、弾く。
鳴り響く剣戟の音は、影浦が振るい。そして狼が合わせ防護をする。
一見すれば影浦が優位なように見える。
だが。
スコーピオンが弾かれるたび――その体勢が崩れていくは、影浦の方。
「――ぐ」
手首を返し、最低限の動作で影浦は突き込む。
だが。瞬間に影浦の視界は歪む。
影浦の突き込みより速い肘鉄にて影浦の機先を奪い、掌底にて互いの距離を離す。
拝み連拳。
死なずの探求故に仏を捨てた、仙峯寺。彼等が正しく仏の御許にいた頃より伝わる拳法である。
掌底を受け――影浦の体勢が崩れ、背後へよろめく。
その僅かに生まれた隙を見逃さず。
狼は左手にて影浦を引き込み、その背後に回ると――その背中から、供給器官へ向け刀を突き込んだ。
〇
「.....」
「すっげ....」
村上は、冷静にその剣戟を見届け。
荒船は、白熱した斬り合いに殺陣の風情を感じ思わず目を奪われていた。
猛攻する影浦。それをいなしつつ、一瞬の隙を見出す狼。
互いが互いの正面からの戦いを、全力でぶつけ合う。
特に――狼は、韋駄天やカメレオンといった、搦手に用いるトリガーは敢えて使わず。弧月一本と己が剣術のみで影浦と果たし合っている。
この者――影浦雅人は、弾きを用いた体幹奪取の戦闘こそが最良であろう。そう判断したが故である。
防ぎ切れば狼が勝つ。攻め切れば影浦が勝つ。実に単純な戦い。
単純故に、地力の強さがものを言う。
最初の五戦。影浦の猛攻を防ぎ切れず押し切られ負ける展開もあったが。
残る五戦にて動きを覚えた狼が全勝。
――10本勝負は、8本を取り狼の勝利となった。
「.....」
「.....チッ。解ったよ」
互いにブースから出た後。狼の無言の視線に、影浦は口を開く。
「俺のクソ副作用は『感情受信体質』。――俺に向けられた感情を、皮膚で感じとる副作用だ。これでいいか?」
「………成程」
成程、と狼は呟く。
感情を読んでいるというならば、納得が出来る。戦が日常となってもいなければ、攻撃を行う際に何の感情も籠められぬという事はあるまい。
そう。………戦が。ひいては武器を振るい、他者と戦う事が特異な事でもなければ。
己に、その副作用の効果らしきものが発生しなかったのも。また頷ける。
そして。それを”クソ副作用”と吐き捨てる、影浦の心情にも。
「なあ、おい」
「………何だ?」
「………アンタ」
影浦は――問いかけようと思ったが。言葉を詰まらせた。
何と問いかければいいのか?
人を傷つける事が悲しいのか?
何故悲しいのか?
そもそも――本当に人を殺した事があるのか?
そんな問いを、この男にするのか。
戦闘の中、どうしようもなく浮かんできた違和感を。どう言葉にするべきか――。
「………」
その時。
影浦の肌の上。新たな感情が流れ込んでくる。
それは。刺すようなものではなく。単純な、慮るような視線であった。
言葉を選ぼうとしている影浦の様子に、狼が新たに浮かべた感情。
それは僅かであれど。影浦に届いた――。
それだけで、影浦には十分であった。
この眼前の男が、どういう存在かを知る上には。
「――時間があったら、また遊ぼうぜ」
己が副作用による利を消せる相手。
同じ攻撃手――鍔競って斬り合える相手では、間違いなくはじめての相手。
普段では味わえぬ。確かなスリルを与えてくれる相手。
どういう人間かを知ったら――影浦にとって、狼は再度戦いたい相手となった。
「………承知した」
影浦との対峙を終え、狼は――自身の端末を見、時間を確認する。
「………昼餉の時間か」
そう言うと――狼はブースの席に座り、懐より何かを取り出した。
「.....」
それは。透明な容器であった。
そこには。一面の、白色で埋め尽くされていた。
「なァ、おい」
「………何だ?」
「アンタ....それ、昼飯か」
「ああ………」
白米だけが埋め込まれたそれを、箸を用いてちびちびと狼は食う。
「………おい。なんでそんなもん」
「………三食。決まった時間に取る事と。米は炊く事を約束したからだ」
「………」
「………?」
影浦は、狼に「何で米だけを食っているのか」と疑問を提示したつもりであったが。
恐らく狼は「何故わざわざ炊いた米を食っているのか」と質問されたと思ったのであろう。何処か二人の会話は、噛み合っていなかった。
米を炊くことを約束した――という事は。
こいつ、元々炊きもしなかった米を食っていたのか?
信じられず、影浦は村上へ視線を移す。
「………狼さん。米、炊くようになったんですね」
「………ああ」
「そっちの方が美味しいでしょう?」
「………ああ」
白米のみの弁当を食い終えると。狼は手を合わせ、その場を立った。
表情は変えてはいないが。何処か、満足気な風情を醸し出していた。
「………何だアンタ。金、ねぇのか?」
「………銭は、ある」
その時。影浦は間違いなく、この男からの視線から「金がないのに、強がっている」と言った風情の。そういう感情が受信されるであろうと推測していた。
が。狼から流れ出るは。強がりではなく、「何故そのような疑問を投げるのか」という、僅かながらの当惑の感情であった。
金は………本当にあるらしい。
「.....」
影浦、沈黙。
「おい」
「.....なんだ?」
影浦は溜息をつきながら。懐より小さな紙を取り出し、狼に渡す。
そこには。店の案内が書かれたポイントカードであった。
「――気が向いたらこの店に来い。最初だけは奢ってやる」
影浦雅人。
彼の実家は、お好み焼き屋を営んでいる。
狼のあまりにもあまりな食事事情に、思わず救いの手を差し伸べたのであった.....。
●
「――もうじき、玄界に着く」
薄暗い、空間の中。
六人の男女が、卓を挟んでいる。
卓の上。星間を映した球状の地図に、遠征艇の航路が示されている。
「――いやぁ、随分長い間この狭い中で縮こまっていたからな。久々に暴れられるのは楽しみだ。なあ、隊長?」
「俺が前線に出るような展開は御免被りたいなランバネイン」
「そうですな。――とはいえ。玄界のトリガー技術の進歩は目覚ましいものがある。油断はしないようにしましょう」
その集団は黒い外套を羽織り――一人を除き、その頭部に角が生えていた。
いや。埋め込まれていた。
「今回、あくまで目的は雛鳥、及び金の雛鳥の回収だ。暴れるのは結構だが、目的を忘れるなよ」
「了解」
メンバーの中で、恐らく一番若輩の身であろう端正な顔立ちの男がそう返事をすると。
己が正面に座る――長い黒髪の男へ視線をやる。
「エネドラ………体調は、大丈夫か?」
「ああ」
エネドラ、と呼ばれた男は。
そう――静かに答えた。
男は目を閉じ、両手を合わせ、顔を下げ俯いていた。体調が芳しくないのか――そう疑念を持たれても、致し方ない風情。
その男も、他の者と同じであった。黒い外套を着込み、角が植え込まれている。
しかし――。
「――もし、何か異変があったら迷わず申告するのよ。詳しいデータも無いのだから」
「解っているぜ、ミラ」
男は、本当に静かであった。
それは生来の性質というより。己の内側に在るものを、必死に抑え込んでいるかの如く。
男は――瞑目を終え、その面を上げた。
その姿が、浮かび上がる。
「――どうなろうと。オレは、オレの役割を果たすだけだ」
男の目は、血よりも深く。炎よりも鮮やかな赤目となり。
その角は――より長く、伸び上がっていた。
「――例え。どこぞの異界の水を飲んで、赤目になったとしてもな」
――近界国家、『アフトクラトル』
――玄界へ降り立つまで、あと僅か。
恐らく。次か、次の次の話から大規模侵攻編に入るかと思われます。