修羅とは。
人を斬り続けているうち、何故己が人を斬るかを忘れてしまい――人斬りそのものに、悦楽を見出した者の成れの果てだという。
かつて。狼は葦名一心より、修羅の相がある故気を付けろ、と。そう忠告を受けていた。
眼前にいる者は、修羅に堕ちた己が姿。
対峙し、流れる。己の記憶。
――一つ 親は絶対。逆らうことは許されぬ
――二つ 主は絶対。命を賭して守り、奪われたら必ず取り戻せ
――三つ 恐怖は絶対。一時の敗北はよい。だが手段を選ばず、必ず復讐せよ
己が義父より定められし掟。この掟により、狼は、御子を捨てるか――己が義父と相反するかの二択を突きつけられた。
狼は、義父を斬った。
――己が掟を定め、人を斬る。己が中にある修羅はこの瞬間より、消え去った。
丁度、この場所。葦名城の天守にて、狼は義父と共に己が修羅を殺した。
眼前の己は――修羅を抑えきれなかった己が成れの果て。
人殺しに悦楽を見出し。業を背負い。殺し続けた者。
全てを殺し尽くした。世話になった薬師も。一心も。義父も。葦名に住まう民も何もかも。
業に溺れ行く果てに、業に塗れ、業に沈み――炎を纏った。
修羅へ堕ちかけた仏師は。怨嗟の降り積もる業を担った。
その果てに。炎を纏いし、鬼と化した。
鬼へ成り果てんとする己へと。狼は斬りかかった――。
――修羅は、斬られども防ぐ事はしなかった。
不死故、斬られる事を恐れはしない。最早尋常の斬撃では殺せはしない。
狼の斬撃を受け――致命を狙いし一撃を放つ。
業火を纏い振り上げられたそれを、即座に楔丸を構え弾く。
弾き、その斬撃を跳ね返そうとも。――不死斬りに纏わる業火が、狼の身体を焼く。
その纏わる炎を、狼は知っていた。
「....怨嗟の炎か」
怨嗟。
葦名に――否。戦国の世にて渦巻く怨嗟が降り積もり、炎と成りてその身を焼く。
その炎は。狼の肉体に蓄積していき、いずれその身を炎上させる。
踏み込みと共に、修羅は二刀を振るう。
振るう軌跡に紅を灯しながら。
最早その斬撃に、かつての面影はなし。
縦横に、思うが儘、殺す為だけに振るわれる剣筋。
一太刀を避け、避けた先に振るわれる二太刀目。
金属同士がぶつかり合う音と共に。修羅の剣は跳ね返される。
狼の忍び義手より――傘が開かれている。
紅蓮の鉄傘。
――紅蓮に染まりし鉄傘は、炎をも遮る。
剣で弾けども降りかかりし炎を、防ぐ。
修羅に堕ちた狼が手に入れる事は出来ぬ、義手忍具。
その傘を一瞥し。
修羅は己が体幹を左に捩じり、二振りを己が肉体に巻くと――ぐるり肉体を回旋させての斬撃を繰り出す。
炎は渦を巻き天へ立ち上り、修羅の肉体を覆い隠す。
巻き上がる炎より逃れた先。
燃える天守の炎もまた吹き上がる。
「ぐ....!」
炎が視界を遮り、修羅の姿が陽炎に揺らめく。
紅の最中より、修羅が剣先を構え――突き込んでゆく。
『狼よ。忘れてはおらぬな』
声が、己が内側より聞こえた気がした。
低く、太い。己が師の声が。
――忘れておりませぬ。
これは、形を変えし師の技だ。
爆竹にて視界を遮り、その最中より突き込みの一撃。
同じ原理の技だ。
故に対応も出来る。
不意を突かんと飛び出てきた剣先を見切り、狼は踏みつける。
踏みつけからぐるり己が肉体を回旋させ――二刀目が来るよりも前に、修羅の首へ楔丸を突き込む。
喉元を斬り裂きし狼の一撃。されど――修羅の目はより愉悦の色に染まっていく。
首を裂こうと、死にはせぬ。
ならば幾度となく殺し――己が背負う赤の不死斬りにて介錯を果たす。
修羅の肉体に纏わる炎が、より深く、濃くなっていく。
踏み込み、一閃。
吹き荒れし炎を纏い、修羅は斬撃を飛ばす。
爆風と共に衝撃が狼を襲い、修羅の剣戟が襲い来る。
「が....!」
降りかかる二刀の連撃の間隙に、十文字を挟まんとするが――二撃では弾き切れず、狼は一太刀袈裟に貰う。
血飛沫と共に、襲い来る紅蓮が傷口より己が内側を焼く。
身体の内側より焦げ行く。血が沸騰し、燃え上がる。想像を絶する激痛を前に――狼は苦悶の声と共に膝を折り、倒れ伏した。
『十文字では足らぬだろう』
またも、声が聞こえる。
死へと近付いていく己の肉体に、暗闇から響くような声が。
『さあ、隻狼。己が修羅を、斬ってやれぃ!』
記憶が、雪崩れ込む。
先程、修羅と成った己と対峙した際に流れ出た記憶。
それは怨嗟に焼かれながらも人斬りを愉しむ己が記憶であり。
――修羅と成った狼を止めんと、立ちはだかった葦名一心との死闘の記憶。
老境の一心は。修羅との戦いの最中、新たな境地へ至った。
炎を操り、そして十文字を超える神速の抜刀術を編み出し――修羅へ挑んだ。
その記憶。
修羅へと、あと一歩及ばずとも。戦いの最中にて新たな境地を切り開いた、一心の記憶が――。
回生。
己が肉体を蘇らすと共に。修羅と向き合う。
炎を巻き上げ、斬りかかるそれを前に。納刀した楔丸による居合を一閃。
修羅の肉体に一太刀の傷が生まれると共に、狼は鞘を前に突き出し、また納刀する。
瞬間。
幾重にも生まれ出た斬撃が――修羅の肉体を斬り裂き、放たんとした修羅の斬撃を抑え込んでいた。
――秘伝・一心。
ただ斬る。その他に、何も思惟を挟まぬ。
神速を生み出す一瞬の連撃は、そうして生み出される。
人斬りに悦楽を見いだせし者には、踏み込めぬ領域。
神速の抜刀。神速の斬撃。修羅との戦いにて編み出せし一心により生み出された、秘伝である。
修羅は――咆哮を上げながら、更なる炎を身に纏っていく。
――怨嗟の業に焼かれ苦しみながらも。それでも修羅の悦楽を忘れられぬ。
狼はその姿に向け。
忍び義手を、前に差し向け――指を、鳴らした。
燃え盛る炎に焼かれる音の最中。
川のせせらぎに澄むような、哀し気な音色が。一つ、響いた。
義手忍具、泣き虫。
獣を。怨霊を。その音にて狂わせる、忍び忍具が一つ。
その音は、寂しく、美しい。
――燃える怨嗟を、一時忘れるほどに。
音を前に、修羅は立ち竦む。
その目に、一瞬だけ――哀しみを湛えて。
瞬間。狼は背負いし不死斬りを手に、二連の斬撃を浴びせる。
「.....」
紅の軌跡を描き放たれる斬撃を、無感動に修羅は見る。
修羅の肉体は炎に巻かれ。塵となり消えゆく。
――燃え盛る炎に巻かれた忍び義手を遺して。
「....これは」
炎が消えた忍び義手は、その姿を変える。
それは、木彫りの腕であった。
腕先が黒炭と成り。燃え痕が残る黒き腕。その腕は、燃えるような熱を孕んでいる。
「.....」
腕を手に取り、狼は背後へ振り返る。
「――行くか、狼よ」
「....はい」
振りまかれた炎も、修羅が殺した三人の亡骸も、その全てが消えていた。
「....ではな。そなたも、人としての生を終え。こちらに来たのならば」
「....」
「茶屋でも、共に開こうかのぅ。それまで――そなたの生き様を、見守っておくぞ」
「....御意」
笑みを湛え、見送りしかつての主が消えゆくと。
天守の光景もまた霞み行く。
●▼●
「.....」
瞑目していた目を開けると。
そこは、対座した仏と、無機質な壁があり。
己が足元を見ると――黒く染まった木彫りの腕が、一つ。
「――戻られましたか、狼殿」
「....ああ」
無事戻ってきた狼に、変若の御子がそう語り掛ける。
その声に振り返った先――
「よ、狼さん」
そこには――ばりぼりと揚げ菓子を喰らう、何者かの姿があった。
「....迅か」
「やほ。この前ぶりだね」
未来視を持つ男――迅悠一の姿があった。
「....また、何か用か?」
「うん。まず一つ報告ね。――狼さんの尽力のおかげで、無事遊真はボーダー隊員になれたよ」
「そうか」
「これからは――狼さんと同じように、新しい部隊を設立してメガネ君諸共A級を目指していくらしいね。――で」
迅は、狼に――風呂敷を一つ手渡す。
そこには、狼が上層部に手渡した忍具と不死斬りがあった。
「――ここから先。狼さんは、こいつを使わなきゃならない事態になると思う」
「....戦か」
「うん。――近界の軍事大国が、こっちに攻め入っているらしい。多分、これまでにない大きな戦いになる。そこで....狼さんは、修羅に堕ちかけている奴と出会う事になる」
狼には、ボーダーの入隊時にきつく言い渡されている事があった。
それは――生身での戦闘の禁止であった。
あくまでこの世界にいる間は、トリオン体以外での戦闘を禁止する。
それは、生身での戦いに際し回生を行う事に代償が発生する事もそうであるが――生身の肉体が死に、そして蘇る様を、他の隊員や一般市民に見られるわけにもいかないから。
故に。
今この忍具が手渡された、という事は――その禁が解かれた、と見てもいいのだろう。
「トリオン体が壊された後に、生身でも戦えるというのは。――特にトリオン体での戦闘に慣れている近界の奴等には何よりの初見殺しになる」
「....とはいえ。回生には、竜咳の問題が発生する」
「うん。それも解っている。――実際。狼さんが死にまくってこの戦いを解決した時。狼さんと親しい人が、血を吐いて咳をし続けるのも見えた」
「....」
狼の不死は、他の生命力を奪う事で成立している。
己が死した際。――己の身近な者から生命力を奪い、回生を行う。
幾度となく死を繰り返せば。当然奪われる生命力もまた、増える。
その果てにある病が『竜咳』。
止まらぬ咳に罹り。血を吐けども止まらぬそれに肉体は衰弱していき.....その果てに、死ぬ。
竜咳は、不死の者の身近な者から罹っていく。恐らく罹るならばボーダーの隊員か、上層部の者か。いずれにせよ、竜咳の蔓延は最悪の事態だ。
以前――竜胤の御子がいた時ならば治療法があったが。今はない。
「――死ぬな、と言いたいけど。多分生身で戦う事を選択したなら、それは難しいだろう」
「....」
「三回。死ねるのは三回まで。そこまでなら、多分大丈夫。――本当に、こんな事お願いするのは申し訳ないんだけど」
「....」
「この戦い。一般市民や、ウチの職員が死ぬ未来も十分にあり得る。――そして、ここでの人死には、”怨嗟”を生む可能性がある」
――怨嗟。
「――俺は、炎を撒く化物が暴れ回る光景を見た。狼さんは以前、怨嗟の鬼と戦ったことがあるんだろう?」
「....ああ」
「アレが、もう一度生まれる可能性がある」
狼は瞑目し、記憶を思い出す。
荒れ寺の仏師。ある時は飛び猿。ある時は猩々。ある時修羅に堕ちかけ、怨嗟を背負う業を担い――最後は鬼と成り。最期は狼が介錯を果たした。
あれが、この地にも。
「そうか」
「うん」
「ならば....俺が、その分死なねばならぬな」
アレをもう一度生むわけにはいかぬ。
狼は――黒の義手を強く握り、一つ頷いた。
時が来たならば。己が全霊を込めて、戦へ挑もう。
それが――あの時。仏師から業を解放した己がやるべき事であろうから。
●
そして。
時は至れり。
「緊急事態発生です!『門』の大量発生!」
黒が、空を埋め尽くしていく。
トリオン兵を運び込む幾つもの穴倉が――三門市の空に。
「――来たか」
狼は、かつての姿であった。
柿色の忍び装束に、薄井の外套を着込み。その背に不死斬りを。その左腕に、忍具を仕込みし忍び義手を嵌め込み。
「――では、行きましょう。狼殿」
「ああ」
その姿のまま、トリオン体へ換装する。
――大規模侵攻編、開始――。
黒の義手
心中にて、修羅と成った己が遺していったもの。
積もる怨嗟に焼かれた忍び義手はその姿を変え、焼け焦げた木彫りの義手となった。
それはかつてあった仏像の残骸。仙峯寺にて焼け落ちた不動明王の左腕である。