幾たびか死んでは回生し、この絡繰り兵達の仕組みが理解できた。
この絡繰り共は、視界とは別に――人間の内側にある力を探知している。
回生を果たし。変若の御子より受け取った外套を着込むと、絡繰り共の探知能力が明らかに落ちたのを感じた。
そうとなれば、こちらの土壌にて戦える。
後は、覚えていくのみ。
葦名城へと連なる道を阻む絡繰り共の幾つかを排除しつつ。ただひたすらに進んでいくのみ。
本城へ向かうに当たり、大手門へ向かわねばならないが。――年月を経ても、未だ門を繋ぐ橋は落とされたままである。
橋が使えぬというならば。崖下から回り込むほかない。
狼は迷うことなく橋先より崖へ飛び込み、鈎縄を以て――崖底へと向かっていった。
「……」
一つ間違えればそのまま崖底へ落ちていく危険な道の中。
狼は自らへ突き刺さる視線を感じ取っていた。
●
鈎縄を用いてあっという間に崖底へ向かっていく様を、隠密状態で見ている者がいる。
それは――崖に張り付き、隠密用トリガーに身を包んだ三人組であった。
『あれ、本当にトリオン体じゃないんですよね』
『はい。間違いなく』
長めの髪を後方に上げた、鋭い目つきの少年――歌川遼がそう尋ねると。
女性の声が脳内に響く。
『あの男性自身はトリオン体でもなく。持っている武装にもトリオン反応は見えません』
『――そうか』
切れ長の目を持つ小柄な男――風間蒼也が、女性の声にそう返す。
その目に多少の驚きを見せながらも。冷静さをしっかりと保っている。
『でも。あの黒い刀、トリオン兵ぶった斬ってましたよ』
『……そうなんですよね』
垂れた目つきに肩口までの長さの髪を持つ少年――菊地原士郎は、そう疑義を投げる。
それは、彼等の常識ではあり得ざることであった。
トリオンは、トリオンでしか干渉できない。
それが、トリオンというエネルギーにとっての絶対条件。
大なり小なり、必ず人間に存在しているトリオン器官より生み出される、トリオン。
そのエネルギーそのものも。そのエネルギーにより形成されたモノも。干渉するにはトリオン以外に存在しない。
故に。彼等が住まう世界も。そしてこの世界も。侵略された際にろくな抵抗も出来なかったのだ。如何なる兵器であろうとも。トリオンにより構成された事物に干渉できぬ故、手勢であるトリオン兵に効かなかったから。
しかし。あの黒の大太刀はその前提を崩している。
『暫く、あの男を追う。――トリオン兵の感知範囲に入ればカメレオンは解除する。緊急脱出の範囲外にまで追跡が及ぶことも考えられる。慎重に追うぞ』
『あの黒い外套にはバッグワームと同じ効果があるようです。トリオンの探知は出来ないので、気を付けてください』
現在。狼を監視している三人は『カメレオン』という名の『トリガー』を使用している。
トリガー。それは、トリオンを用いた武装の総称である。
トリオンに干渉できるは、トリオンのみ。それ故、トリオンにて武装を拵える。それが、トリガー。
彼等――風間隊は、奇しくも狼と同じ。隠密行動に特化した部隊である。
彼等は、己の身体を風景と同化させるトリガーである『カメレオン』を使う。
透明である間は他のトリガーは使用できず。またトリオン反応を隠す効果はない為、トリオンを探知できる存在に対し己の位置を隠す事は出来ない。基本的には”視界を欺く”為のトリガーと言える。
しかし。トリオン探知能力を持たぬ相手に対しては、一方的な隠蔽効果を持つ。
この場合――例えば、トリオン体はおろか、トリオンを通した武装であるトリガーすら持たぬ狼などには、何より効果的なトリガーになるであろう。
故に。このトリガーの選択。及び風間隊そのものが、狼の追跡には何よりも適している。
――されど。
「――歌川、避けろ!上だ!」
真っ先に気付いたのは、隊長である風間蒼也であった。
狼は――鈎縄にて崖下に向かう、と見せかけ。風間隊の視界より消えた瞬間を見計らい急旋回し、――その頭上を取った。
カメレオンにて風景と同化している相手に対し。
狼は――トリオンの探知能力すらない状態にて、その居所を暴いたのだ。
風間の肉声にすぐさま歌川は横側にすっ飛び、――頭上から降り落ちてきた男の首投げより、避ける。
そこには。一人の忍びがいた。
冷たく、鋭く、何処か飢えたような目。柿色の忍び装束の上に羽根に塗れた黒外套を羽織る男が、一人。
相手の頭上より己を落下させ、一瞬のうちに命を奪う。落下忍殺の技巧。完全に相手の虚を突いて避けられた事は、これまで数えるほどしかない。
声を上げ狼の奇襲を察知した風間蒼也。そしてその声に即座に反応し、命を拾った歌川。――その姿を目前として、狼は理解する。彼等もまた、これまで己の命を奪ってきた強者達と遜色のない実力の持ち主であろうと。
そして、風間隊もまた。眼前の男に対し驚愕の念を抱いていた。
カメレオンによる擬態を見透かし、こちらの位置を正確に見抜き、そして視界から逃れるや否や――その虚を完全に突き、頭上を取った手練を。
「……参る」
三人と、一人。尚且つ片方は生身の肉体。されど、狼の目には恐れは見えない。
殺すために尖らせた牙が、剥き出される。
『やむを得ない。――相手は生身だ。安全装置のないスコーピオンの使用は禁じる。肉弾戦でやるぞ。射手トリガー持ちの歌川を前に出しつつ、俺と菊地原で挟み込んで戦う』
『了解』
『如何に化物とはいえ、トリオン体に膂力で勝る道理はない。背後から抑え込むか、首を絞めるか。もしくは歌川の射手トリガーでの気絶を狙う。――あの黒い刀の攻撃だけは当たるな』
狼と、風間隊。忍びと、隠密部隊。
異なる世界にて、異なる技巧を磨き――されど、同じ有り様を持った二つが、刃を交える。
○
「アステロイド」
そう歌川遼が声に出すと共に。彼の周囲に、光を纏いた立方体の塊が生まれる。
それは幾つかに分裂し、彼の周囲に散らばると共に――狼に向け弾丸となって放たれる。
相対せし狼は臆することなく散らばる弾丸の前に踏み出す。
己の肉体に弾丸が叩き込まれる刹那――弾く。
「な」
射手トリガー、アステロイド。
トリオンをキューブ状の弾丸とし、放つ。それが射手トリガーである。弾丸は幾つか種類があり、追尾するもの。爆発するもの。思うがままに軌道を決め撃つもの。様々あり。
アステロイドはそれらの特色を排除し、[真っ直ぐに弾丸を飛ばす]事に特化したトリガーである。
特化するが故。そこに込められる威力、速度は射手トリガーの中で最も強力。
それを、狼は難なく得物一本にて弾いた。
だが。当然――弾きの絶技を持っていようとも、己が正面から襲いくるものにしか対応できない。
故に。風間と菊地原は、狼の左右の脇を挟み込むように動き出す。
歌川のアステロイドにより剣先は正面に向いている。トリオン体を脅かす得物を防護に使わせ、無防備な脇より叩く。
二人は最小限の動きで狼に殴りかかる。
その拳は――紅蓮色の傘にて阻まれる。
「……む」
義手忍具、仕込み傘。
紅蓮の色に染まりしそれは、狼の死角すらも覆う鉄の壁となる。
人の力をはるかに超えたトリオン体の殴打。硬き鉄傘は難なく、それを防いだ。
風間隊の猛攻を防ぐと共に。狼はくるり体幹を回し、地より足を離し、二振りの斬撃を行使。
左右。正面。己を囲む全てを巻き込みし、旋風斬り。
狼の返し刃に、たまらず風間隊は三者共散るように飛び上がり、その場を離れる。
散るならば、重畳。
僅かな時間であろうとも、三者の連携が切れ。単独でいられる時間を作れば――狼にとっての好機となる。
現在四者がいる場所は、葦名の橋下の崖で足場は少ない。
飛び上がり避けたとしても。最終的に着地する地点は限られている。
それ故。狼は読んだ。
己が斬撃から逃れるであろう、三者の挙動を。
仕留めるならば、弱い方から。
対集団での戦いにおける鉄則を、狼は遵守する。
三者ともに手練れであるが。最も屈強なのは小柄の司令塔の人物。
残る二者より選ぶは――射撃手段を持つ事が確定している男の方。
狼は――歌川が飛び上がりし方向へ、己が呼吸を合わせ飛び上がる。
「……!」
寸分たがわず己に飛び込んできた狼に、歌川は迎撃の為の弾丸を形成する。
だがアステロイドが形成されるよりも早く、狼の斬撃の方が速い。
両腕を斬り落とし、とどめにその腹部に剣先を叩きつけ――崖先の足場に歌川を叩きつける。
地に足つけぬ戦いは、忍びの本領。
風間隊、歌川遼は――悔しげでもあり。何処か申し訳なさげな目をしていた。
「……俺を、崖に落とさないようにしてくれたんですね」
「……」
狼は。この三者より、殺気を感じなかった。
恐らく自分を監視し、戦いになればそれに応じはする。が、その戦いから自分を殺すつもりはないのだと判断できた。
狼は、トリオン体の仕組みを簡単に変若の御子より聞き。そして道中にて実際に敵と相対し己が目で見ていた。
トリオン体とは、トリオンにより形成した仮初の肉体。
その仮初の肉体は強力な身体能力と、”トリオン以外に干渉されない”強力な性質を持たせる。が、トリオン体が破壊されると生身の肉体に戻される。
トリオン体が壊されど死ぬ事はない。だが、その後生身の肉体が死ねば終わり。
狼は――無意識の内。歌川が生身の肉体のまま崖から落ちるのを防ぐべく、足場にて仕留める事を選択したのだ。
こちらを殺そうとまで思わぬ相手であるならば。こちらも可能な限り殺しまではしたくはない。忍びは非情であらねばならぬが――この手の優しさまで捨てきれぬのが、狼であった。
「……すみません。俺は、貴方の優しさを利用します」
「……!」
トリオン体が崩れ落ちるよりも早く。
狼の眼前に、光る立方体が現れる。
――この弾丸は、両手が断ち切られようと作ることが出来たのか。
「メテオラ」
そう呟くと、歌川の肉体は崩れ落ちると共に空へと飛んでいき。
その周囲は爆撃に呑み込まれた。
爆撃により狭い足場は崩れ去り。狼は鈎縄をもって別の足場へ移動する。
煙に巻かれ相手の視界も制限されている。ならば距離を取ることは容易い。
しかし。
「……ぐっ」
煙の中であろうとも。残る二人は正確にこちらの位置を把握し、攻勢を仕掛けてくる。
己が脇腹に。胸部に。凄まじい膂力の殴打が叩き込まれる。
「――無駄だよ。こっちは耳がいいんでね」
狼は察する。
この者達は、耳がよく利くのであろう。
かつて相対した者の中には、耳がよく利く猿がいたが。――あちらは、その耳を逃げ足に利用していたが。この者達はひたすらよく攻め、よく追い立てる為に使っているのだろう。
狼であろうとも。目が見えなくば弾く事は出来ぬ。
煙から脱し、別の足場へと鈎縄を用いて着地する。
それと同時。二人もまた狼を追い立てる。
追い詰められた狼は、二人の殴打を受けながらも――更に、別の手を使う。
義手忍具、霧がらす。
攻撃を受けると共に己が身を幻と共に消失させ、別方向へ動かす。幻術の絡繰り。
これを用い――垂れ目の少年の背後へ向かう。
「だから、無駄だって。――そのテレポーターみたいなやつ、もうこっちは見てるから」
されど。
移動した先には――もう少年の強烈な肘鉄が置かれていた。
霧がらすは、既に狼の第一発見者である当真よりデータが送られている。
「ぐぉ……お……」
尋常ならざる体術と忍術の使い手である狼であるが。その肉体そのものは然程強くはない。
トリオン体の膂力にて、虚まで突かれ腹部を打たれ――狼の肉体は激痛に崩れ落ちる。
「……生身で歌川が落とされるとは。とんでもない奴だった」
そう呟き。一先ず息をついた瞬間。
さて、どうするかと風間は思案する。
このままこの男をこのまま放置するか。それとも尋問を行うか。ここは、実質的な遠征のリーダーである冬島に連絡を取ろうとした瞬間。
菊地原が、狼の異変に気付く。
「……風間さん。こいつ、心臓が止まりました」
「なに?」
狼の肉体からは血の気が引き。そして――その心臓は、鼓動を止めていた。
「まさか。自害したのか…」
風間はそう呟き。少しだけ顔を歪めた。この忍者は、恐らく自らに仕込んだ毒か何かで、自害したのだ――。
――己の中にある情報を守る為、敗れれば自害をする。それが忍びで。ここはそういう世界なのだ。
「……すまない」
もしこの忍びに気付かれず尾行できていれば、こんな結末には至らなかったであろう。風間は己が未熟さを、強く悔いた。
それは恐らく、菊地原も同じ思いであったのだろう。少しだけ目を細め、死した狼より目を逸らした。
その瞬間。
あり得ざる事が起きた。
「え?」
止まった心臓が、再びその音を取り戻す瞬間が。
ゆらり。死したはずの狼が幽鬼の如き立ち上がると共に――傍にいた菊地原の顔を掴み、そのまま首先に刃を当て、引き抜く。
首を断ち切られた菊地原は――何をされたかのか把握できぬまま、トリオン体が崩れ去る。
崩れ去った後。そこに残るはずの生身の肉体は何処にも存在せず。ただ音を立てて空へ飛んでいき、彼方へ消えていった。
「……」
「……」
相対するは、狼と風間蒼也。
互いに、無言にて睨み合う。
「……お主等、あの絡繰り共を使っている勢力の者か?」
「いや、違う。――あれらを調査している別の組織の者だ」
「そうか。ならば退け。追わぬ」
「……」
少なげなその言葉に、風間は無言にて頷き――その場を去っていった。
「……」
一つ息を吐き。狼は、崖下に向かっていった――。
――界境防衛機関所属、A級三位部隊風間隊。
異界の者と戦うには尋常の力では足りぬ。
潜み、忍ぶ。影なる力も求められる。
隠るる力と、聞く力。両輪を手にした彼等は、瞬く間に機関の影となった。