――他者を殺める。この行為には、理由が求められる。
いや。
求められる、というより。無くば堕ちるのだ。
怨嗟の海へと。
斬り、殺める。この行為に甘き蜜を見出し、その味に耽溺するは。
果て無き怨嗟の生み手となる。
修羅となってはならぬ。
人を斬る事への理由を、痛みを、哀しみを、忘れてはならぬ。
――俺は忘れてしまったのだろうか。
鳴り響く怨嗟の音が聞こえ来る。
これが、己が生み出してきたあらゆる業の末魔である。そうせせら笑われるように。
轟々鳴り響く炎が吹き荒れる音。破砕と共に聞こえ来る悲鳴。刃を交え、己を殺さんとする者共。
溺れ行く。
怨嗟の炎吹き荒れる、己が全てに。
もうどうにも抑えられぬ。
炎を抑えられぬ。
――誰か。俺を、もう――
●
燃え盛る建造物が、一瞬で撫で斬りにされる瞬間があった。
幾層にも重ねられた、星の杖の斬撃が――円回転と共に、切断音すらも聞こえぬ程の鋭さで斬撃を走らせる。
倒壊するビル群が地面へ叩きつけられ、生まれ来る風圧を背に――ヴィザは、エネドラへと向かう。
風圧は炎を押しのけ、ヴィザが進みゆく道を切り開く。
ビルを斬り裂きし不可視の斬撃は――縦横に弧を描き、エネドラの下へ振り下ろされる。
「――こうして。痛みに耐えながらの戦は久しぶりです」
エネドラの猛攻を受け。ヴィザの左手が、火に塗れ炎上している。
他の部位へと燃え移る前に即座に斬り落としたものの――切断面の肉が焼ける感覚は残る。
されど。ヴィザの表情は全く動かない。微笑みを浮かべ、戦場を見渡していた。
もう火の手があまりにも広まり、外側に配置されていた出水をはじめとした射手は撤退し。
狙撃手も火の手で視認が出来ず。手が出せない。
ここまでくれば――この炎の中にいる者だけで、対処する他ない。
ヴィザはエネドラの足先に叩きつけ動きを止めると共に、左肩と腹部に刃を叩き込む。
攻撃を重ねていく。硬く、分厚いその骨を断ち切れるよう。
崩壊する建造物の狭間。
鈎縄を伝い、狼が迫りくる。
エネドラは、その軌道を見て――その着地場所に火柱を置く。
先程、韋駄天を駆使しエネドラが泥の王のブレードを置いた策と同じ。鈎縄の軌道を読んでの、エネドラの置きの攻撃であった。
狼は――着地の瞬間より、トリガーを手にトリオン体に換装する。
「――やはり。トリオンも復活していたか」
トリオン体を盾に火柱の攻撃を受けつつ。韋駄天を用いて更にエネドラの懐に飛び込んでいく。
「成程。――生身の肉体を守る為に、トリオン体を盾に....」
韋駄天の速度をそのまま威力に転化した突き込みをエネドラの左肩へ叩き込むと共に、跳躍。
突き込みからの跳躍。韋駄天による空中機動からの、二連撃。
秘伝・大忍び落とし。その斬撃は、変わらずエネドラの左肩へ。
刃から――骨が軋む音が聞こえ始めてきた。
「.....」
ヴィザは――狼が行使した技に、感心したように頷くと共に、星の杖を重ね攻勢をかける。
炎に巻かれ限界を迎える直前であった狼の肉体を隠れ蓑にした、エネドラの重ね斬り。
狼の肉体ごと斬り裂きしそれは――着実にエネドラの肉体に楔を打ち込んでいく。
生身に戻った狼は、眼前の鬼と対峙する。
ここが勝負所であると、判断した。
狼は、鬼を前に。見得を切るように刀を上段に振り上げ、大きく踏み込みを行った。
御霊を、降ろす。
己が内側より、燃え上がるような激痛が走ると共に。狼の肉体は――炎のそれとは違う。鮮血の如き紅の空気を纏う。
――夜叉戮の御霊降ろし。
かつて護国の為散っていった勇者の成れ果て。その御霊を、己が肉体に降ろす。
御霊は荒ぶり、狼の肉体を蝕むが。狼の全身に漲るような膂力が満ちていく。
鬼は、炎の刃を広域へ飛ばすと共に。炎を纏う左手にて狼に襲い掛かる。
されど。
広域に散った炎の刃は、星の杖による回旋斬撃により弾き飛ばされ。
左腕による攻撃は――鎖に巻きつけられる。
「――アンタが、オレを助けてくれた人だな。借りは返すよ」
黒ずくめの姿の、小柄な白髪の少年が頭上にいた。
頭上の彼の両椀より『鎖』の印字が空間に刻み込まれ。エネドラの左腕を絡めとっていた。
見覚えがあった。
彼は――近界民の、空閑遊真だ。
アレが、彼が持つ黒トリガーか。
「――怨嗟の鬼よ」
かつて。
修羅となった仏師を、葦名一心はこの技にて斬ったのだという。
狼の踏み込みと共に、周囲の炎は飛沫を上げるかのように散っていく。
怨嗟を前にし。己が境地へ至る。
怨嗟の炎が、狼の意思に呼応するように――鬼へと雪崩れ込んでいく。
鬼は、一際苦し気に悲鳴を上げた。
炎そのものの熱さにではなく。
己が身体に蓄積された怨嗟が、更に己の内側を駆け巡って。
「――此度は。此度こそは....!」
鎖に繋がれ、悶え苦しむ鬼へ――炎を散らす踏み込みと共に、抜刀する。
葦名十文字。
夜叉戮の御霊まで降ろし行使したその二撃は――終ぞ、怨嗟の鬼の左腕を叩き斬った。
●
左腕が断ち切られた瞬間。
エネドラの左腕からは――いっとう大きな火花が、巻き上がる。
爆裂と爆炎を撒き散らしながら、怨嗟に塗れた絶叫と共に――エネドラは倒れ伏す。
狼は――迷うことなく、その火の中に足を踏み入れていく。
炎に焼かれる激痛。怨嗟による怖気。それら全てを受け入れながら。
「――いずれ、お主が。お主の中にある修羅を、鬼を、斬れることを。俺は望んでいる」
未だ火花を撒き散らすその身体に、狼は触れる。
「――生きろ」
狼は、炎を上げ続ける断ち切られた左腕に。以前、己が修羅と向き合い打破した際に手に入れた、黒の義手を嵌め込む。
まるで炎に溶接されたかの如く。エネドラの左肩に装着されると――黒の義手は、炎を纏う。
それが受け皿になったのだろう。
周囲に満ちていた炎は鎮まり――静寂が辺りを包んだ。
「.....」
その様を。ジッと、ヴィザは見つめていた。
狼は。断ち切られたエネドラの左腕より泥の王を引き剥がすと、ヴィザに差し出す。
「よろしいのですか?」
「約定故だ。....それに、あの手練を前に、今の俺で勝てると思える程己惚れてはいない」
「――貴方は不思議ですな。私よりも遥かに年若く見えるというのに。今まで見てきた誰よりも、濃密な死の気配を感じる」
「....」
「では。エネドラ殿を任せます。――またいずれ会う時は。心行くまま、剣を交えられるのを願っております」
そう言うと。
ヴィザは、その場から消え去っていった。
「......」
狼は、地面に倒れ伏すエネドラへ近づき。その身体を背負う。
気を失っているが。心拍は整い、息もある。――生きているようだ。
その姿形は最早、以前のそれとはもう別物の如き姿であった。炎に巻かれた髪は焼け焦げた色に染まり、顔半分は鬼の如き形相となっている。
ただ――その身に宿した怨嗟が消え去ったが故か。禍々しく伸びきった角は、その額から抜け落ちていた。
「――お主もまた、歪みに呑まれた者が一人か」
そう呟き。――狼は、ボーダー本部に向け歩き出した。
――大規模侵攻、決着。
●●▼●●
異界からの大規模侵攻は。
侵攻者たる近界民と、その船が玄界より消え去った事により、ひとまずの決着へと至った。
とはいえ。未だ投入されたトリオン兵は警戒区域に残り。その処理に奔走している最中である。
「....俺も行く」
「狼殿はまだ療養していて下さい」
狼は――怨嗟の鬼との戦いの果て。全身に大火傷を負っていた。
回生の力を使う訳にはいかず。治療で治るまで安静にしておくようにと、医者に言われた訳であるが――とはいえ。この程度慣れ切ったものでもある。トリオンの回復と共に、葦名より持ってきた薬水をがぶ飲みし外傷を治すと共にトリオン兵の残党狩りへ赴こうとするのを、御子が止めていた。
「――狼殿は、恐らく特級戦功が与えられるとの事です。もう十分な成果は出しました」
「その戦功に、対価はあるのか」
「はい。多くの銭が、こちらに与えられるとの事です」
「そうか.....」
これまで地道に銭を貯めてきた狼にとって。これは非常に喜ばしい事であった。
知人の話を聞く限り。この玄界では、学業を修める環境が非常に充実した場所であるが。その環境を得るのに、どうしても銭が掛かってしまうのだという。
今通っている高校を卒業した後。もしやすれば、御子は大学に行く事を望むかもしれぬ。
もし銭が無ければ、御子はその願望を口にすることなく静かに諦めるであろう。
そうはさせたくはない、と。狼は貯蓄を続けていた。
「なので、狼殿」
「....?」
「その金額は全て、狼殿のものです。――全てご自分の為にお使いください」
「いや....それは」
「いいですか。――私も清貧は良しと考えはしますが。狼殿のそれは少々度が過ぎております」
なので、と。御子は呟き。
「一日ごとにどれだけ銭を使うか決めて。ちゃんとその分は使い切って下さい」
「.....」
狼、瞠目。
悲しいかな。この忍者、銭の使い道など今まで知りもしないのだ――。
〇
「で」
焼ける鉄板を眼前に静かに座る狼を前に――呆れたように、影浦雅人は言葉をかける。
「金の使い道が解らねぇから、ここに来たと」
「.....ああ」
お好み焼き屋、かげうら。
――の、店主の息子。影浦雅人。
彼は、今日は店員としてではなく。同じ客として狼の眼前にいる
大規模侵攻が終了し、三日ほど。薬水をがぶ飲みしつつ療養を続け完全に回復した狼は。その夜、影浦の両親が経営しているというお好み焼き屋にいた。
金の使い道がなく途方に暮れ。せめて銭を落とすならば知人の下がよかろう、という狼の思惑であった。
「....これが、お好み焼きというものなのですね」
おお、と声を上げ。御子は眼前のそれを見やる。
粉が溶かされた液の中。幾つもの野菜や魚介が投入され、豚肉が敷かれた鉄板の上で共に焼かれていく。
そうして出来た焼き物の上。ソースとマヨネーズがかけられ、鰹節が添えられていく。
「こ、これは....どのように食せばよろしいのでしょうか....?」
「お好み焼きははじめてかァ?こいつはなァ、このヘラで切り分けて取り皿で取るんだよ。ほら、やってみな」
「承知いたしました。――む。中々、難しいですね」
「中途半端な力じゃあ、豚肉が切りにくいだろ。肉の端っこから、力を入れて切り進めてみな」
「な、成程.....。おお。狼殿、見てください!切れました!」
おずおずと鉄製のヘラを手に、お好み焼きを切り分けると。実に嬉しそうに、変若の御子がはしゃいでいた。
その様を見て、狼は少しだけ頬を綻ばせ。御子が切り分けたお好み焼きなるものを、取り皿に寄せ。食した。
「.....」
「美味いだろう?」
「ああ....」
今まで味わったことのない、強烈な味が口の中で暴れ回る。
塩気が強い豚肉。そして――上にかかったソースやマヨネーズの甘味や酸味。どれもこれも、初体験であった。
初物であるが。どうにも口に合う。
甘味が好みの狼には、特にソースの味が非常に己と合っていた。
「これは....とても美味しいです。お米と合いそうですね」
「頼むか?」
「その....よろしくお願いします」
「あいよ」
二人の様子に気をよくしたのか、影浦が追加注文を行っていた。
「そういや――そろそろあいつ等も来るのかね」
そう影浦が呟くと。
玄関口が開く音と共に――新たな客が現れる。
「お~お疲れ。カゲと....お、忍者さんじゃん」
「狼さんか。随分珍しい顔だな」
A級冬島隊、狙撃手の当真勇。
B級鈴鳴第一、攻撃手の村上鋼。
そして。
「あ....この前の」
B級那須隊、攻撃手の熊谷友子。
三人が、現れた。
〇
「いやいや。まさか生米齧ってた人が、ちゃんと店で飯食ってるだけで感動もんだよ。なぁ、鋼」
「そうですね....。良かったな、落水」
「はい。これを機に、狼殿の食事事情も改善できればいいのですが....」
「.....」
狼がお好み焼きを食っているという絵面が余程楽しいのか。
三人は狼たちと同じテーブルに座り。注文した品が届くまで、楽し気に狼を弄り倒していた。
その空気感に狼は、純粋な疑念を抱きつつ。まあ、いいか――と流していた。
「この前は、ウチの茜を助けてもらってありがとうございました。後日、改めてお礼しにいきますね」
「....礼は不要だ」
「そういう訳にはいきません。狼さんのとっさの判断が無ければ、茜が連れ去られてしまった可能性も十分ありましたから。.....ウチの隊長も、一度会って礼を言いたいらしいので。玲の体調が戻り次第、改めて挨拶に行きます」
「....那須隊長は、病か」
「病というか。生まれながら、ずっと病弱な子でして。――今回の侵攻でも、ちょっと心身の負担が大きな状況が続いちゃったので。今寝込んでいるんです」
「....そうか」
「ランク戦までに体調が戻ればいいんですけどね。あたしも、ここでご飯を食べたら玲の見舞いに行こうと思います」
「.....」
そうか、と狼は呟く。
――病弱の身にても、こうして戦いに赴くだけの理由がきっとあるのだろう。
狼も覚えている。日浦茜がラービットに囚われようとした瞬間の必死な形相と。己が判断ミスを前に絶望しきった表情。その双方を。
だからこそ――あの時、咄嗟でも救い出せることが出来て良かったと。少しばかり安堵の感情を、狼は得た。
「――まあ大規模侵攻じゃあ大きな世話になったが。次からはこの人敵になるんだぜ。多分、戦闘スタイル的にランク戦じゃあ漆間より嫌われるだろうな」
やって来た豚玉を切り分け食いながら、当真は言う。
「ソロ部隊で敵に旨味が少ない上に、隠れるのも暗殺するのも上手いと来てる。――俺も、この人の接近に気付かずに何も出来ずに殺されたからな」
「....え、それ本当ですか?」
「おう」
以前、空閑遊真の黒トリガーを巡り争奪戦が行われた際。
当真勇は、狼の襲撃に気付かず忍殺を受けた。
――ボーダー最強の狙撃手たる当真の目を欺き、接近し、背後を取り殺す。それがどういう事かを、重々に皆が理解できていた。
「まあ、ランク戦は点の取り合いだ。狼さんは下位からのスタートで点を取らなきゃならない訳だしな」
「上等だ。隠れてコソコソやるってなら、見つけ出して勝負の土俵に引きずり込んでやる」
そう村上と影浦が続ける中。
そうか、と狼は呟いた。
ある意味で、ここからが本番なのだ。
ランク戦。
この戦いを勝ち抜き、A級への道を開かねば――己と、御子の本願は果たせぬ。
「.....頑張りましょうか、狼殿」
「.....ああ」
やる事は変わらない。
成すべき事を成す。その為に――この新たな戦いに身を投じよう。
次からランク戦編です