「――いや。データ見てみたけど。間違いないんだよな?そいつ、生身だよな?」
「生身だよ~」
「マジか~。いや。俺も戦ってみたかったわ」
黒コートを着込み、二刀を握る顎髭の男は――脳内を駆け巡るデータを見ながら、実に嬉しそうであった。
単身、風間隊と斬り合いを演じた生身の男。その技巧の数々に、――太刀川慶は、魅せられていた。
トリオンを介さずトリオン体を斬り裂く異様の太刀も。死して尚回生する様も。太刀川にとってはどうでもよかった。
隠密のスペシャリストである風間隊の目を欺き頭上を取った様が。歌川のアステロイドを刀身で弾く様が。目にも留まらぬ二連撃が。歌川を空中にて仕留めた手管が。
己も、己の師も、――今まで出会い、斬り合ってきた何者にも重ならない技巧を持つ男。
それを目にして。太刀川はどうしようもなく、この男と斬り合ってみたかった。
「しかし、まあ。――ここは本当に退屈しない場所だな」
太刀川が現在居座っているのは。何かの頭の上であった。
それは、あまりにも巨大な蛇であった。
葦名に横たわる谷を横切る巨大なぬし蛇。雪のように白い鱗を持つその蛇の口元から頭部を斬り裂き倒れ伏すその頭上にて、太刀川慶は腰かけていた。
「城の周辺はトリオン兵でうようよ。なら谷に遠征艇隠すか~ってなったらこんな化物がお出ましと来た」
「当真君は、崖に住んでる狩猟民族みたいなのと撃ち合いしているよ~」
「.....しかし。こりゃあ城戸さんに土産を持って帰るのも一苦労だ。どいつもこいつも、見ただけで襲い掛かってくる」
太刀川は、そうぼやいた。
これまで遠征してきた近界の世界は、どれほど過酷であれそこに人があり、営みがあった。
たとえ強大な国に支配されていようとも。支配されているなりに体制があった。
しかし――ここには、もう人も営みもない。
既に滅びた世界の中に。人の営みから外れた外法の者共や、外側からこの世界の異様の探求をせんと来ている者ばかり。
交渉も通じぬ。市民もいない。なぜならもう滅びているから。
遠征の目的は情報を持ち帰る事。その情報の中には、形あるものがあれば当然望ましい。
だが。それは叶わないかもしれない。
「……あの忍者。今どこに向かっているんだろうな」
●
「.....」
崖底を抜け、再び葦名の城を目前にする。
そこには。変わり果てた城の跡があった。
絡繰りの兵がよりひしめき合い。巡回し。時折空から黒い孔が開いては、絡繰り兵が落とされる。
大手門。
葦名城本城に続くこの場は。かつて、開かずの門であった。
葦名の将、鬼庭形部雅孝。大馬で駆け、大槍を振るう。豪の将であった。
あの時。門の前に開かれた広場には。鬼刑部に蹴散らされた内府の兵の屍が積みあがっていた。
その広場は今。戦ではなく、確かな搾取の跡が残されていた。
何処からか攫ってきた者達であろうか。心臓付近より血を流し、積み重なった人々の死骸が積み重なっている。
「……これは」
城は崩れた上から、無機質な黒の壁に覆われている。ただそこから、絡繰り兵がいるのみ。
「――今や異界の者共の餌場となったこの世で、忍びが何をせんとする」
音もなく。大手門前の広場に近付くものがおり。
その者の音なき気配に、狼は勘付いた。
「奴等が餌とするは、心の臓に宿りし異形の力。脆弱であらば心臓ごと貫き奪い。精強であらば人そのものを奪う。――この身も最早奪われた身よ。忍びよ。貴公の主は、何だ?」
「……おらぬ」
「そうか。はぐれ忍びか――ならばこの場にて貴公を討つのが我が責務よ」
その者は。黒の忍び装束の上に合羽と傘帽子を着込んだ老人であった。
その身のこなしから、狼は――その人物が、同じ忍びである事は理解できた。
だが。その人物からは、得物の一つも見えない。
代わりに。籠手に忍ばせた腕輪を己が眼前に掲げる。
その瞬間――老忍びの姿が変化する。
「忍びよ。もうこの世には何もない。異界の者共が、葦名に流る摩訶な力の探求をしているだけに過ぎない。――ここには、最早何もない」
その見目に、特段の変化はない。ただその右腕に、光が剥きだしたような巨大な刃が握られている。
だが――老境に達していたはずのその肉体に。あり得ざるほどの力が宿るのを、狼は感じ取っていた。
「さて。やろうかの、はぐれ忍び殿――」
老人は、人を超えた速度にて狼へ走り出した。
〇
頭上に掲げられた右手から、縦に剣戟が走る。
対し、狼は刀身を横に斬撃を弾く。
弾きと共に、老人は軽くバックステップすると共に――己が右足を高く上げ、そのまま踵を落とす。
「.....!」
落とされた踵より、煌々とした光が漏れ出し――それは狼へ襲い来る散弾となる。
狼は仕込み傘にて散弾を防ぐ。
瞬間。老人は即座に腰を落とし、狼の下段から突き上げるような足技へと繋げていく。
その踵には――更に刃を生み出しながら。
「ぐ....!」
その鋭い蹴撃を避けきる事叶わず、狼は脇腹へ傷を作る。
このまま攻撃を受け続ければ、先に崩れるのは解り切っている。故に、狼は後退を選択。
老人も無理に追わず。構えを正し、再び狼と相対する。
この一連の攻防で――狼は、その正体を見抜いた。
「お主……孤影衆の者か」
孤影衆。それは葦名を滅ぼせし内府が最も信を置きし忍び衆である。
その手練の程は凄まじく。剣技と足技を併せた技巧を用いて幾度となく狼の前に立ち塞がった強敵であった。
内府の忍びが、今未知の絡繰り兵を操りし勢力についた所以。想像するに容易い。
「……老いさらばえ。それでも私には奴等が求める”トリオン”があった。あったが故に、あの死骸共の一つとならず。奴等の武装を以て、ここにいる」
「……」
「トリオンのある若い者は、この世ではない何処かに連れていかれ。別な次元の世界で使われておる。老いたりし私はただここにいるのよ」
さあ、と。老人は告げる。
「来るがよい、はぐれ忍び。――私を斬れ」
老人は右足を上げ、何もない空に横薙ぎの蹴りを放つ。
その蹴りはトリオンの光に巻かれ、斬撃となり狼の足下へ飛んでいく。
飛び上がり避けた狼に、追撃の左足。
踵から放たれる散弾のようなトリオンを空中にて弾き、着地。
着地に合わせ、前進する老人の動きに合わせ――己が剣先を引き、体幹を落とす。
足先より力を籠め剣先を突き出し、瞬時に前に出る。
老人は身を捩るが、避けきれず腹先よりトリオン光が漏れる。狼は流れるように、突きこみから老人を足蹴に飛び上がる。
そのまま空より大きく不死斬りを振り上げ、その頭部に叩き込む。
「....!」
不死斬りと、トリオンにより形成された刃が鍔競る。
己が体重全てをかけて叩き込んだ斬撃。されど鍔競りにて押されるのは、狼の方であった。
仮初の肉体、トリオン体。そこに籠められし力は、尋常のものに非ず。純粋な膂力において、狼はどうしようもなくトリオン体に勝つ事は出来ない。
押し負け。弾き返される狼に、追撃の一撃が狼に降りかかる。
頭部を吹き飛ばさんと散弾と共に突きこまれる蹴り。狼は半ば反射的に見切りを行い、体軸を横に反らし。その足を己が足にて踏みつける。
そのまま跳ね飛ばし、体勢を崩させようとしたが――膂力に差がある相手故、跳ね飛ばされるは己の方であった。
されど。そこからの動き出しは、狼の方が速い。
狼は――手裏剣を老人に放つ。
それを見咎めた老人は――その手裏剣を、弾いてしまう。
「....!」
トリオン体であらば、放たれし手裏剣など。防御動作すら不要の存在である。ただの武具に、トリオン体を傷つけることなど出来ないのだから。
だが。この者は――異次元の者共の手先として生きるよりも長く、孤影衆の忍びとして生きてきた年月が長い。
放たれてきた手裏剣を己が得物で弾くこの動作は何千と繰り返されてきたもの。
故に。好機となる。
弾く動作に合わせ、狼は前進しつつ横薙ぎの一撃。手裏剣を投げる動作と並行した、追い斬りの技法。
その斬撃に胸部から肩口にかけて斬り裂かれる老人は――そこから、足技での反撃に出る。
「ぬぅ...!」
だが。読んでいたのか、狼は蹴りの軌道より飛び込みにより外れると共に、こちらも蹴りを叩き込む。
飛び込みからの回し蹴りの連撃、仙峯脚。
傷はつけられぬが、体幹が幾らかブレるのを感じた。
ここで、決着をつける。
その覚悟と共に。狼は、一つ息を吐き。心中にて、この技の名を唱える。
――秘伝・渦雲渡り。
老人が繰り出す、攻撃の起点。
右腕の剣による斬撃。両足に仕込まれた絡繰り銃や刃と合わせた、蹴り。
その全てを。――舞により抑え込む。
廻る、廻る。
斬撃が風のように、廻る。
流る水のように切れ目なく。
廻り、流る。反撃すら許さぬ九連撃。
その果て。
老人の膝が、一瞬崩れる。
その様を見咎め、狼は老人の肩を抑え、背後へ。
その心の臓へ向け、一刺し。
――大手門の目前。元忍びは、背後からの一撃を見舞われ、敗北を喫した。
「.....」
生身に戻った老人は、何も言わなかった。
何も言わず。狼の前にて座を正し、――己の腕輪を外し、狼に手渡した。
「……何のつもりだ」
「餞別だ。好きに使うといい」
老人は――己が”トリガー”を狼に手渡した。
「よいか、はぐれ忍び。葦名にいたとて、何も変わりはせぬ。ここに黒幕はいない」
「……」
「これは。次元を阻む者同士の、己が国の覇権をかけた戦よ。戦故、葦名は喰われた。喰う者はここにはいない。餌箱を幾ら駆けずり回ろうと、ただ喰われた残骸のみしか残されてはおらぬのだ。御子の忍びよ」
御子の忍び。
そう言った老人の言葉に――狼は眉を顰める。
「知っていたのか……」
「不死斬りに、その忍び義手。ここの忍びじゃあ知らぬ者はいなかった。――どんな手を使ったかは知らぬが、死人帰りしてたのだな」
「……」
「さて」
座を正した老人は――狼に、己が首を差し出す。
「定めた主を裏切り。裏切った末に敗れた。ただ、老いさらばえた野良犬が一匹。――最早、生きてはおられぬ」
「.....」
「やってくれ」
狼は一つ頷くと。差し出した首に向け――介錯の斬撃を見舞った。
〇
「……」
元孤影衆が敵を屠り。大手門より、葦名の本城を眺める。
かつての面影は最早なにもない。
この老人の言う通り。最早――ここに、状況を解決する手立てなど無いのだろう。
もう。滅びたのだから。
敵と呼ばれるものは――こことは異なる、別なる次元にいる。
狼は――数珠を手に、大手門の中心にて一つ唱える。
仏渡り――。
鬼仏へ回帰せんと。帰り仏に一つ念じ――狼は、変若の御子のいる奥の院へと向かっていった。
●
「どうすっかね……」
「どうしようもなくない?」
溜息をつきながら――出水公平と冬島慎次はそう息を吐いた。
まともな人間は、最早葦名には存在しなかった。
城下・本城は既にトリオン兵に占拠され。ならばとその外れに遠征艇をおけば怪生物に襲われる。――まともな調査すらロクに行えていない現状がある。
何とか、葦名の落ち谷の水面下に遠征艇を沈め隠す事で事なきを得ているが。ここから谷上の城近くまで調査を行えるかというと、かなり微妙な状況であった。
「ただまあ、とんでもないデータは集める事は出来たからな。こいつを何とか『成果』という事で……」
「くっそぉ。苦しいなぁ。――せめてトリガーの一つくらい回収する事が出来たらな....」
この苦境を思えば、彼等を派遣した”ボーダー”の上層部は文句をつける事はあるまい。
だが。彼等とて遠征部隊に選ばれたが故のプライドはある。
何かしら、形ある成果を得たい、と。そう思っていた。
『冬島さん』
「ん?――風間か。どうした?」
『二人ばかり。現地の人間を連れていきます。彼等が交渉を持ちかけてきました。――他の遠征員も集めておいてください』
「おっ。まともに話が通じる相手を見つけられたか」
『はい。――先程、うちが交戦した忍者と、その連れの者が一人』
「……」
風間隊と交戦し歌川を落とし。追い詰められ自害した――ように見せ、復活し菊地原を仕留めた。怪奇まみれのこの場にて、何よりの化物。
何せ。生身のままトリオン体との戦いを行い。その果てに死して、生を取り戻したのだから。
その人物が――おのずから交渉を申し出たというのだから。訝しむのも無理はない。
「.....」
暫くすると。落ち谷に二人の人物が現れた。
柿色の忍び装束を着込んだ男と。旅装の袈裟を着込んだ若く、端正な少女。
「俺は冬島慎次という。アンタ方は?」
「……狼という」
「はじめまして。私は、変若の御子。――この方と同じく。死なずの者でございます」
死なず、という言葉を聞き。
まだ――この忍者と同じような、死んでも黄泉返りを果たせる者がいるのかと内心溜息をついた。
「単刀直入に言います。――我々を、貴方達の所属する組織へ、連れて行ってもらえぬでしょうか?」
――さあ。ここからが交渉の始まりだ。
元孤影衆の老人。
かつて耳にした、竜胤の御子とその忍びの伝来。それを聞きし少年は、内府に仕えし忍びとなった。されど、己が主も、民草も、終ぞ守る事叶わず。老境の果てに、ただ死ぬを待った。
伝来に聞きし、忍び義手を携えし男が葦名に再び現れた時。彼は己が役割を知る。
絡繰り兵を下げ、大手門へ向かう。老忍者は人生の最後、ただ一つだけ望みを叶えた。