熊谷友子の戦闘スタイルは、狼のそれに近しい。そう互いに思っていた。
熊谷は、部隊におけるエースではない。
エースである那須玲の補助と防護を背負う事を主とする、攻撃手に珍しい役割を担ってきた攻撃手であった。
弧月による防護を基本とし。捌きと返しを用いて相手の隙を伺うか、もしくは作り出すか――。己から積極的に攻勢をかけるという類の剣士ではなく、基本的には相手の攻撃を凌いで好機を作る。
攻めるではなく、凌ぐ。凌ぐ中、攻撃を挟み込む機を伺い、突く。攻防における基本的な思考が、非常に狼と似通っている。
だからこそ、熊谷は自ずから頭を下げ――狼の”弾き”を教えて欲しいと願い出たのであった。
――戦いにおいて、一朝一夕で得た技術は、付け焼刃と同じ。それは重々解ってはいるが。
だが狼が操るそれは、己が積み上げてきた技術の延長線上に在るものであると感じていた。
「――弾きは、刹那」
狼は、熊谷に”打ってこい”と言う。
熊谷の弧月が上段から振り下ろされると、――狼はその刃が、己が皮膚に触れるかどうかの刹那にて腰を落とし、刀身を眼前に置く。
置いたそれと、熊谷の斬撃が触れると共に。熊谷の斬撃から生まれ来る衝撃を、刃を押し出す事によりそのまま返す。
自身の斬撃の衝撃が、己が腕を通して肉体に流れ――体幹がぐらつく感覚が、熊谷に走る。
そうして弾き返された瞬間より、狼もまた弧月による斬撃を振るう。
踏み込みからの袈裟斬りの連続斬り。熊谷もまた防護を行い、斬り結ぶが――鍔競りにならない。
刀身が触れあう瞬間には、押し込まれている。
弾き返され。己が振るった斬撃から生まれた衝撃が、体幹に直接叩き込まれる。
「.....く!」
己が繰り出す斬撃の全てが、全て己に返される。
互いに刃をぶつけ合っているはずが、背後に追い込まれていくのは己の方。
攻防の刹那――体幹が完全に崩され、膝をつく一瞬。
その一瞬のうちに、狼の突きが熊谷の喉を突く。
「――これが、弾きだ」
狼は、言葉少なにそう言った。
弾き――それは、シンプルであれど。あまりに絶技であった。
相手の攻撃を抑え込むのではなく。己が肉体の最も間近にて”押し込む”。
最も相手の力が籠められる一瞬に刀を合わせ、押し込む。
相手が繰り出す攻撃を防護すると共に、その衝撃を返す。
やっている事は解った。
だが――これを駆使するという事は、凄まじいまでのリスクが孕んでいる。
刹那の防護を繰り返し行うという事は。すなわち失敗すれば死ぬという事だ。
防御は、基本としては死なぬ為に行う。
だがこれは――生と死の狭間にわざわざ自ら踏み込む事と同義である。
その結果生まれるものは。相手の体幹を削る、という効果。
――本当に綱渡りだ。
「――巴流は、切れ目のない舞いの剣技で構成される」
故に、――弾きが肝要だと、狼は言う。
ただ防護を続けるだけであるならば。いつまでも受けねばならない。いつまでも削られ続けねばならない。
「後は――弾かねば死ぬ技を、弾き切り生き残れ。それまで、ひたすら死に続けよ」
狼の師の教えを、そのまま狼は実践していた。
手取り教えるわけではなし。
忍びの技は、絶え間ない戦いの中でのみ覚えてゆく。
ここには、死ねども死なぬ環境がある。
ならば。死に続けるがいい。
死なずに済む時――その時こそ、技の粋を知る事となるであろうから。
そうして――狼が巴流の技を用いた訓練を行おうとした瞬間。
「....落水さん」
『はい。どうしました、熊谷さん』
「トリオン体の痛覚の設定を――生身と同じようにしてくれる?」
『え?』
御子は――何を言われたのか一瞬理解に及ばず。及んだ瞬間には、血相を変えてかぶりを振った。
『いえ。これは訓練で――』
「訓練だからこそ」
ブースに入った瞬間。
熊谷の目には――恐怖交じりの覚悟が、見えていた。
「あたしは――痛む恐怖に身を竦ませるわけにはいかない」
「.....」
「
だから、と。熊谷は言う。
「――お願い」
『.....』
御子は。
無言のまま――機器を動かす。
熊谷の皮膚に、確かな感覚が戻っていくのを感じる。
「――容赦はせぬぞ」
「....上等!」
熊谷は――その目に恐怖を宿しながら、笑みを浮かべた。
引き攣ったそれは、明らかに痛みを恐れている。
――それでも、と心で言え。
親友の為に、恐怖を乗り越えると決めたのだ。
ならば、踏み出せ。声を上げろ。痛みに悶えるよりも前に剣を振るえる己を作り上げろ。
弾きの神髄が刹那というならば。痛みに恐怖した剣先で体得できるわけがない。ならば、やれ。やるのだ。恐怖を受け入れた先にある、己の剣を、作り上げろ――!
●
「.....」
狼が伝授する、と約束したのは『弾き』と『雷返し』。
まずは――熊谷に、弾きを伝授した後に。那須に雷返しを教える。そういう手筈にて教導を行うとした。
待つ間。
エネドラと那須は――その訓練の様子を、映像越しに見ていた。
「.....」
狼が繰り出す切れ目ない斬撃に、幾度となく熊谷は斬られる。
弾きの刹那に間に合わねばその身に斬撃が降りかかり。弾きの刹那より前に防護すれば、体幹が崩され斬り捨てられる。
狼は、本人が言った通り容赦はなかった。
剣で斬られる痛みを前に、恐怖で身を竦めぬように訓練する。その為に熊谷は、痛覚の設定を常人のそれに戻した。
故に。
半端な情けは、彼女の願いに反する。
だから――痛みは与える。
弾きに失敗した瞬間も。無意識に弾きの刹那に怯え、ただの防護に成り下がったならば体幹を崩しても。
必ず――死痛を与える。
この恐怖を乗り越えねば。この痛みに慣れねば。――あの幻影の中にいた女剣士には勝てぬ。
「はぁ....!はぁ....!」
体力の限界などないトリオン体であれど。彼女は無意識に呼吸を整えていた。
その身に浴びせられる斬撃も死痛も。己が脳を恐怖にて委縮させる。
その恐怖を振り払い、精神を落ち着けさせる。その為に――。
「くまちゃん....」
その様子を目に焼きつけ。那須の表情は――どうしようもなく歪んでいく。
斬り伏せられ悲鳴を噛み殺し。死痛に怯え。恐怖をその表情に刻み込む。
それら全てが――己の為にやっていると理解しているが故に。
「おいおい....!何やってんだよ!何で痛覚を戻してんだよ!」
エネドラは――珍しく困惑したように言葉を荒げた。
あれは、間違いなく。痛みを与えられている。
わざわざ痛覚を戻して訓練を行う理由は何処にあるというのか――。
「――これより那須隊が挑まねばならない戦いは、痛覚の遮断が効かぬ場所だからです」
「な....!」
「詳しい事は省きますが....これもまた、葦名を源にする別の理であるとお考え下さい」
エネドラは、熊谷の姿を改めて見た。
そこに、狂気じみたものが見られれば、どれだけ良かっただろうか。
人に理より外れた、狂った思いがあれば。
だが。
あの者の目には、普通の感性しか感じられない。
恐怖に怯え、痛みに苦しみ、それでも。それでも、と。歯を食いしばり立ち上がる姿。
己の為ではない。
己の為だけにあれだけの苦痛を受け入れられる程、あの者は強くはない。それが――如実に伝わってくる。
「....そうか」
――その姿を見る、那須の目は。
――苦し気でありながらも。それでも、覚悟が据わっているように思えた。
あの時。
己が策で、狙撃手を捉えた時と。似て異なる。
絶望は、そこには無かった。
〇
熊谷の限界を見定め、一度弾きの鍛錬を終え。狼は那須を呼び出す。
彼女に伝えるは――『雷返し』の技巧である。
「巴流は、異形の雷を操る」
巴流は、舞いの剣術。
舞により操りしは、その身だけではない。
異形の雷を呼び起こし、己が身をもって操る術を持っている。
「異形の雷は、地に足ついてるまま打たれれば為す術もない。だが――空にて打たれれば、それを返す事が出来る」
雷は防護が効かない。
そして、地に足付いたまま受ければ、その雷が地に流れゆくと共にその身を焼く。
故に――空にて受け、その身に宿した雷を、空にて返す。
それが『雷返し』である。
「巴の雷もまた同じ原理だ。空にて雷をその身に受け、敵に向け放つ。そして雷が放たれれば、それを空にて受け、返す。――お主のトリガーならば」
「....バイパーですね」
「ああ。――トリガーにて返せる保証はないが。出来る事を前提にやる他ない」
――とはいえ。狼は雷を扱えるわけではない。
どうやって伝授すべきか悩んだが。
仮想空間が切り替わる。
天候が雷雨へと切り替わりざあざあと降り注ぐ雨と共に。雷鳴が轟き始める。
「――俺が空へ飛ぶ瞬間。御子殿が、雷をお主に落とす」
「....」
「通常の雷と、巴の雷とは性質が異なる。落としたところで返せはせぬが――雷に恐れる事無く、飛び込む事をその身に刻ませる」
「....解ったわ」
狼の攻撃から逃れながら――狼は機を見て、跳躍を行う。
それに一拍の間を置き、那須の位置に御子が仮想空間の設定から雷を落とす。
「――やって見せる」
〇
「――ありがとうございました」
その後。
那須隊は狼との訓練を終え、人心地を付いた。
――今日だけで、相当な回数死痛を味わわされた熊谷は、珍しく疲弊の色を見せ。放心状態となっていた。
「――防御面に関しては、かなり筋がいい。このままであれば、弾きを体得するのもそう遠くはないはずだ」
「ありがとう....ございます....」
――疲弊しきった中でも。狼に防御の筋がいい、と言われたのは素直に嬉しいようだ。放心しながらも、少し表情が和らいだ。
これは。エースである那須の一助となるべく、積み上げてきた技術。
それは己の血肉であり、そして一つの――ちっぽけかもしれないが。熊谷にとっての、プライドでもあった。
だからこそ。それが認められるのは嬉しい。
「.....」
エネドラは――そんな様子を、ただ見ていた。
そして理解していく。
『ここにいる者達は、己と変わらない存在である』
その――事実を。
――日浦茜を連れ去ろうとしたという事実とは他に。
――こうして他者の為に苦痛をも受け入れんとする、気高い人間性を持つ者達を殺し続ける事に悦楽を見出していた心が己の中に潜んでいる事に。
――このような者達の人生ごと、潰し殺めてきた過去が確かに刻まれているのだと。
己が修羅を自覚し。怨嗟の中に沈み。
理解できた。
「――貴方は、落水隊の新しいメンバー?」
人心地つき、周りを見渡せる余裕が生まれたのだろう。
那須玲が、エネドラに話しかける。
「....ああ」
「挨拶が遅れてごめんなさい。――私は那須玲。B級那須隊の隊長を務めているわ」
「....エネドラだ」
「外国出身の方なのね。――よろしくお願いします」
「ああ」
その様子を見て。
熊谷が狼に耳打ちする。
「....そう言えば。あの新人さんに諸々見せてもよかったんですか?」
「....あ奴も、”訳あり”だ」
「そうですか....」
訳あり、という狼の言葉に。熊谷はそれ以上の追及を止めた。
「――そう。バイパーを使うのね。デビュー戦はいつになるの?」
「多分次の試合は出ねぇだろうから、その次になるかね」
「ふふ。それじゃあ、記録が出てくるのを楽しみにしているわね」
――恐らく。何となく、エネドラに元気がないのを那須は感じ取ったのであろうか。
元気づけるように、エネドラに言葉をかけている。
「.....」
――想像通り聡明で。そして思った以上に真面目な性格の男なのだな、と。狼はエネドラを見ていた。
泥の王。変幻を主体とし、搦手を多く用いて戦うあの黒トリガーを用いてあの十全の戦いぶりを見せたエネドラは、知をもって戦う戦士であった。
変幻性を利用し。偽の情報を盾に敵を躍らせ。策を巡らせ立ち回る。――狼も、この男にトリオン体を破壊され、そして生身の肉体も一度死を味わわされている、その力と思惟の深さは、身を以て知っている。
そして。――これはあまりにも意外であったが。思った以上に真面目で、情が深い。
特段薄情であると思っていたわけではないが。黒トリガーを任せられる程に優秀な軍人である。人の生き死にに対して、強く入れ込む類の者ではないと思っていた。
恐らく、戦場でその類の感傷は捨てられるのであろうが。
かつて己が攻め込んだ場所に。己の身分を隠し。かつて――敵として相対した者を騙しここに存在している事に、罪悪感を抱いているのだろうか、と。そう狼は思った。
那須と熊谷が作戦室より出ていくと。
「エネドラ」
「....何だ?」
「ブースに、行くか」
「あぁ?」
「――思い悩んでも仕方あるまい。無心にて剣を振るえ」
「....」
そう狼に言われれば。
はん、と言葉を漏らし。エネドラは笑む。
「上等だぜおっさん。気が済むまで相手してもらう」
「いいだろう」
今この時は。己もまた、部隊の一員だ。
助けられる時に助ける事も、また肝要なのだろう――。