隻腕の狼、玄界に降り立つ   作:丸米

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空閑遊真×平田屋敷×父の残影

 空閑遊真の肉体は、死へと向かっている。

 かつて――彼は己が力量を見誤り、敗北を喫し、死の淵に立たされた。

 

 死の淵より――己が肉体は、彼の父である空閑雄吾の命を代償に、その崖先より転げ落ちる事は防がれた。

 されど。それだけ。未だ死の淵の崖先は、軋みを上げて崩壊するを待つばかり。

 

 ゆっくりと――空閑遊真の肉体は死へと向かっている。

 死へと向かう道はゆっくりであれど、戻る事はない。治癒が不可能な程の損壊を負ってしまったが故に。

 

 だが。

 確かに――今、空閑遊真の肉体に、生命力が回帰した瞬間が見えたのだ。

 

「....」

 

 その報告を聞き、三雲修は――無意識のうちに安堵の表情を浮かべた。

 

「何故こうなったのか解らないが....少なくとも三年の猶予は出来たと考えていいだろう」

「それは....良かった」

 

 原因は解らぬ。

 されど、間違いなく良い事が起こった。

 

 こうなれば――原因の方を探りたくなるのは当然の事で。

 

「.....迅さんに聞いてみようか」

 

 こういう時に頼りになるのは、暗躍に精が出ている男であろう。

 三雲修は一つ頷くとそう呟き――迅悠一の下へと向かった。

 

 

 

 

「――と、いう訳で。お邪魔してま~す」

「....失礼します」

「お、オオカミさん。久しぶりですな」

 

 那須玲の体調が大きく改善された、その次の日。

 三人、落水隊の作戦室に訪れていた。

 迅悠一、三雲修、そして――空閑遊真の三者。

 

「ようこそいらっしゃいました。どうぞお掛けください」

「おーおー。この前おっさん一人にやられていたメガネとチビじゃねーか」

 

 三人は特段変わりはなく、いつもの風情で来訪し。そして御子もエネドラも特段変わりなく受け入れた。

 何用であろうか、と狼は思った。

 自身や、エネドラに個人戦を申し込みに来たのなら三雲や迅の付き添いはないであろう。また――以前、空閑の処遇に関して上層部と揉めていた時のような、問題が発生したのだろうか。

 

「....何かあったのか?」

「実はあったんだよね。実は昨日、那須隊長の身体が急激に良くなった時に。同時に、――遊真の生命力も大きく戻ったんだ」

「.....どういう事だ?空閑もまた、病の身か?」

「そっか。その辺りの事はまだ教えていなかったね」

 

 生命力が戻る、という表現に何処か違和感を覚えながらも、狼がそう尋ねると。迅は首を横に振った。

 

「病じゃない。――遊真は、今死の淵に立たされている」

 

 

 

 ――空閑遊真は、かつて近界の国々を巡る傭兵であった。

 玄界出身であったという彼の父と共に。多くの戦場を回り、暮らしていた。

 

 廻る戦場の最中。

 遊真は己が力を超えた敵と戦い、瀕死のダメージを負った。

 

 遊真が死の淵に立たされ――彼の父である空閑有吾は、己が息子を救うために黒トリガーとなった。

 

 

 現在、遊真の本来の肉体は黒トリガーに格納されている。

 死の淵に立たされた遊真の肉体を維持する為である。

 

 日常生活を送るためのトリオン体で生身の身体を代替して。

 

 だが。生身の肉体は今は死を免れてはいるものの、徐々に肉体の生命力は喪われていく。

 近い将来。遅らされていた死は、いずれ――。

 

 

 

「.....」

「死が近づいていたオレの身体が、死にかけていた当時くらいの水準に戻ったんだとレプリカが言っていたんだ。――何か知らないか、オオカミさん」

 

 恐らく。未来視経由で那須の経緯を知った迅が、狼の事を話したのだろう。

 

 狼は御子と目線を合わせ、「話すべきだ」という意思を合わせ――これまでの経緯を、三人に話した。

 

 

 

「――そんな事が」

 

 那須隊の経緯を聞き、最もその表情を変えたのは三雲修であった。

 玄界とも近界とも異なる世界、葦名。

 その力をもってすれば――己が親友の窮状を変えられる手立てがあるのかもしれない。

 

 恐らく。空閑遊真自身よりも――三雲修が、窮状を脱する手立てを求めている。

 遊真も、そして修も。本人の事情よりも他者を優先してしまう。

 

「....空閑の黒トリガーは。お主の父の命と引き換えに作られたと言っていたな」

「ああ」

「....機能としては、俺の”回生”の絡繰りに近いと感じる」

 

 狼がポツリそう呟くと、エネドラが首を傾げた。

 

「どういうこったおっさん?」

「....回生は、他者の生命力を奪う事で成立する仕組みだ。恐らくだが――この黒トリガーもまた、空閑の生命力を何かで補っている。その補っている何かは、恐らく空閑の父なのだろう」

「ああ....成程」

 

 瀕死の息子を救うため、己が命を代償に作った黒トリガー。

 それによって、空閑遊真は生かされている。

 

 己が死を、他者の命で補うのが狼の回生であるならば。

 恐らく――空閑有吾の命で、遊真の命は繋がれている。

 

 

「――他者の命によって、己が命を補完する関係。この部分においては、竜胤の力に近いものを感じる」

「実際に、竜胤の雫の効果が遊真殿に及んだ、という事実もある」

「その葦名に行けば、このチビの身体を治す何かが見つかる可能性があるわけだな」

 

 そう言うと――皆の視線が、葦名の仏様へと集まる。

 

 那須隊が勝ち取った竜胤の雫。その効果は、仏様を通して瀕死にあった空閑遊真の肉体にも及んだ。

 遊真もまた、――同様に、この仏様が見せる世界の中にて、彼自身を救う手立てがあるのやもしれぬ。

 

「――おおかみさん」

「何だ?」

「おれも――行ってみてもいい?」

 

 遊真は、変わらない調子で――ただそう言った。

 

「――構わぬ。が....」

「死ぬほどの痛みを味わうかもしれないんでしょ?大丈夫。――そいつは一度、味わったから」

 

 

 遊真は、にやりと笑みを浮かべ、そう言った。

 

 

「――チカのこと、助けてやらなきゃいけないからな。なら、いつ死ぬかも解らない身体も、治せるものなら治した方がいい」

 

 遊真は、己が指輪を引き抜き、仏に備える。

 そして――両手を合わせ、祈りをささげた。

 

 

 

 

 轟々と、燃え盛っていた。

 

 炎の音が聞こえ行く。

 幾つか、争うような音もまた。

 

 燃え盛る炎の最中。全身が冷たくなっていく感覚を覚えていた。

 

 

 全身を襲う激痛も鈍くなっていく。意識が朦朧としていく。

 片目を失った視界から、己の肉体を見る。

 

 全身が穿たれ血を流す己が肉体が、ここにある。

 

 

 

 

 ――遊真。

 

 

 声が聞こえる。

 ぼやけた輪郭の中。もうはっきりと思い出せない程曖昧になってしまった記憶の中の誰かが。

 

 

 ――そら、起きろ。ここに来た理由を思い出せ。

 

 

 倒れ伏す己の眼前に立ち尽くす男がいた。

 

 

 ――やるべき事は単純だぜ。強敵がいる。これは試練だ。

 

 

 男は炎の最中、一つ微笑む。

 

 

 ――安心しろ。しっかり見守ってやるからよ。

 

 

 男は。

 炎に吹き荒れる灰のように崩れ去り。眼前から消え去った。

 残されしは――指輪が一つ。

 

 

 

「....ああ、そうだった」

 

 

 感覚を失った手で、それを手に取る。

 

 

「行こうか親父。――トリガー、オン」

 

 

 激痛が消える。意識も明瞭となる。

 そうだ。ここに来たのは、己が命を拾う為。

 

 全身を覆う、黒色の外装。

 遊真は炎より出で、――燃え盛る屋敷の中心地まで向かっていく。

 

 

 待ち受けるものが何であれ。挑むほかないのだ――。

 

 

 

 

 かつて狼が御子の忍びであり。

 そして、己が主を奪われた時。

 

 竜胤の御子が暮らしていた平田屋敷である。

 

 内府の野盗により襲撃されたこの屋敷の最中にて、狼は――御子と契りを交わし、死なずとなった。

 

 

 空閑遊真は、屋敷の庭園を走っていく。

 

 

  ――この世界では、トリオン体の機能が弱くなっているね。

 

 

 走る最中。遊真は、火の手と共に襲い掛かって来る手勢と戦う事となった。

 現在襲い来る矢の数々を体術で弾き、迫りくる敵兵を蹴散らす。

 黒トリガーの出力により強化された膂力。それによる攻撃を行うが――本来のそれより、明らかに力が弱まっている。

 

 そして。燃え盛る火の熱さや。矢が掠める際の痛みもまた、感じる。

 この世界では、トリオン体の痛覚緩和作用は働かない。事前に聞いていた通りである。

 トリオンの干渉能力が弱まっているが故に。トリオンの”出力”の力が弱まっているのだろう。だから、出力の強い黒トリガーは、明らかに弱くなっている。

 

 実感する。

 この世界は、別の理で動いているのだと。

 

 

 

 

 

 

「.....あの外道ジジイ、屋敷の中でおっ死んだかね。いつまで経っても姿を現さねぇなァ正就さんよぉ」

「恐らくな。――ふん。かつては大忍びなどと呼ばれた者も。自ずから放った炎にやられては世話ないな」

「.....ひっく。ああいう腐れ外道に限って、そういうヘマは踏まないもんだと思うがねェ」

 

 屋敷の本殿前にある庭園まで遊真はやってきた。

 一番激しい戦いがあったのだろう。野盗の他にも、屋敷の者であろう侍や兵士の死体が転がっている。

 

 その最中。

 二人、周囲の兵とは比べ物にならぬ雰囲気を纏った者がいる。

 

 一人は、でっぷりとした下っ腹をぶら下げた半裸の大男。

 もう一人は、黒と紫の装束を纏い、装束に左腕を隠した忍び。

 

 大男は反り返るような巨大な刀をその肩に掲げ。忍びは静かに佇んでいた。

 

 両者が――屋敷の本殿までを駆け抜けてきた空閑遊真を認識する。

 

 

「――見慣れぬ装束の者だな。南蛮の者か?ここまで来たというのなら、仕留めねばならぬ」

「ひっく。こんな所までご苦労なこったなァ。ババアみてぇな白髪しやがって糞餓鬼が。ここで叩き殺してやる」

 

「――久々だな、この空気」

 

 ボーダーでの模擬戦とは違う。

 こちらを殺さんとする意思が殺気となり伝わる。

 

 戦場の匂い。空気。

 ずっと歩き続けてきた世界が――火の音と共に、遊真の全身を駆け巡っていく。

 

「殺しにかかって来るってなら――こっちも、遠慮なくやってやる」

 

 周囲の兵が殺到すると共に。大男も黒の忍びもまた己が得物を振り上げていく。

 

 その様を見て――遊真はその目をいっそう真剣なものに変え、鉄火場へと足を踏み出した。

 

 

 うわばみの重蔵。

 そして。孤影衆、牙伏せの正就。

 

 両者は共に――とある忍びの手引きにより平田屋敷に襲撃をかけた内府軍の手勢であった。

 

 元相撲取りの剣士である重蔵と、内府直轄の忍びである正就。

 両者共に遊真に狙いをつけ襲い来る。

 

「おお....!」

 

 周囲の雑兵をその膂力にて遊真が弾き返すと共に。

 重蔵の大振りの剣戟が走りくる。

 その大振りの隙を打たんと拳を走らせた――その瞬間。

 遊真の横合いから、正就の蹴りが叩き込まれる。

 

 叩き込もうとした拳を引き、蹴りへの防護に使った瞬間。内側から軋むような感覚が遊真の全身に走った。

 

「成程。――体術もしっかりダメージがある訳か」

 

 トリオン体は、トリオン以外に干渉されない。

 故に。トリオンにより生成された武具を用いねば、トリオン体にはダメージが入らない。

 しかし。この世界においては、その理は崩れ去っている。

 

 殴られれば身体は怯む。蹴られれば身体の内側へ痛みが走る。武具を用いぬ体術ですらも、脅威となる。

 

 正就の蹴りは、確かに――遊真の肉体の内側に届いていた。

 

 

 大振りの剣戟が遊真の首元へ向かっていく。

 腰を落とし横薙ぎのそれを回避すると共に。落とした腰先から力を込めて重蔵の腹先に拳を叩き込む。

 

「が.....!」

 

 黒トリガーを纏った膂力にて、重蔵は弾き飛ばされる。

 トリオン体による干渉遮断機能は落とされ、出鱈目な出力こそ無くなっているが。それでも遊真が纏っているものは、一人の命を引き換えに作り上げられた至極のトリガー。

 その力を以て、大柄な重蔵の肉体を叩き伏せた。

 

「ほう。物の怪の類か。その身にはあり得ぬ膂力を持っているようだ。――ならば」

 

 正就は遊真の死角側から斬撃を放つ。

 遊真は刀の身幅を裏拳にて止め、返しの蹴りを正就に放つ。

 が。

 その蹴りより早く――正就の隠された左手の貫手が、遊真の脇腹を打つ。

 

「う...ぐ....!」

 

 苔のような色合いに染まったその手から放たれたそれは――毒手。

 毒を宿した左手を外套に隠し、不意を打つ。

 

 指先から分泌された毒が――遊真の肉体へと回っていく。

 

 

「――バケモンでも、毒は効くみたいだなァ」

 

 そうせせら笑うと。吹き飛ばされた重蔵はせせら笑いながら遊真へと走りくると。

 傍らに持っていた瓢箪を口に含み――その口先より霧状の毒を遊真へと撒き散らしていた。

 

「――成程ね。二人とも、毒使いか」

 

 肉弾戦の最中に毒手を使う正就と。

 口から霧状の毒を撒く重蔵。

 

 重い攻撃を繰り出す重蔵の隙を埋めるように、小回りの利く足技と剣術を繰る正就。

 その上で。両者共に毒を用いた搦手も躊躇なく使っていく。

 

 両者の特性を理解した上で。――全身に毒の効果が回り切る前に倒しきらねばならないと、遊真は理解できた。

 

 毒霧で遊真の動きを制限し。重蔵は敢えて側面を取らせ、――遊真の攻撃を誘い出す。

 

 

 重蔵は、大きく踏み込みを行うと共に――遊真に向け、張り手を放つ。

 

 

 

「『強』」

 

 

 遊真はその張り手を前に。

 己が右拳に”印”を作り出すと共に、打つ。

 

 張り手へと突き出された遊真の拳は。

 重蔵の左手をめぎめぎと骨砕音を鈍く響かせ――砕いた。

 

「がああああああああああああああああああああああ!」

 

 重蔵の悲鳴の最中。

 足音を消した正就が宙高く飛び上がり――がら空きの遊真の頭部に叩き込まんと足を振り上げた。

 

 

「『鎖』」

 

 

 空を舞った正就の肉体は。

 地面に刻み込まれた印より生え出た鎖に絡めとられる。

 

 

「な.....!」

 

 

 

 鎖に絡めとられた正就は、身動きが取れぬままに遊真の拳をその頭部に叩き込まれる。

 ごしゃ、と頭が潰れる音と共に絶命。

 

 

「らああああああああ!」

 

 

 左手を潰された重蔵もまた、残された右手にて遊真へ斬りかかる。

 

 

「『射』」

 

 

 印から作り出された弾丸がその全身に叩き込まれる。

 肉が出っ張った肉体の全てが弾丸にて穿たれ。――重蔵もまた、斃れた。

 

 

 

「.....甘く見ていたか」

 

 

 

 出来れば、”印”は使わず乗り切りたかったが――そうもいかなかった。

 

 

「――さて。本命の所まで行こうか」

 

 

 炎に燃え盛る、平田屋敷。その本殿を前に――遊真は真顔のまま足を踏み入れた。

 

 

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