Golden Wars   作:吟醸丸

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1日目/召喚

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 地下室を薄暗い蝋燭の光だけが照らしている。

 呪文を訥々と紡いでいるのは、青年と少年の境目に位置する年代の男。その男――白銀亜蓮(しろがねあれん)が手にした小瓶から水銀が滴り、石の床に巧緻な図形を描いていく。水銀は蝋燭の光を受けて淡く輝き、薄暗闇にぼうっと浮かび上がっていた。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 最後の文様を描き終え、召喚の準備は完了した。

 亜蓮は魔法陣を描くために使った水銀の瓶を床に置き、所定の位置に立った。急拵えの祭壇には触媒の鉄片――鬼を斬った太刀の破片とされる遺物。急いで取り寄せた触媒にしては存外悪くない代物だ。

 時間も場所も理想的だ。自身の魔力がピークを迎える時刻。魔力の散逸を防ぐ密閉された石造りの地下室。マスターに選定されたことは亜蓮にとって予想外の事態だったが、短期間で首尾よく準備を整えられたのは運が良かった。特に理想的な物件を拠点として確保できたのは大きい。

 

「……よし」

 

 呼吸と魔術回路のコンディションを整える。

 袖を捲り、赤い文様が刻まれた右腕を露わにする。

 

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

 詠唱を開始すると同時に、疼きにも似た痛みが全身を駆け巡る。魔術回路が活性化し、亜蓮というニンゲンの肉体を魔術の実行装置に切り替えていく感覚。それに怯むこともなく、亜蓮は更に呪文を紡いでいく。

 

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 魔術回路を膨大な魔力が駆け巡る。魔法陣が放つ黄金の輝きが強まるにつれて、皮膚の下で無数の蛇がのたうつような吐き気を催す痛みも増していく。

 しかし、それを苦痛と思うことはなかった。規格外の奇跡に一歩一歩近付いているという実感が心を高揚させていた。

 我ながら現金な奴だと亜蓮は自嘲する。ほんの数日前……聖痕がその身に宿るまで聖杯戦争に参戦するつもりすらなく、今も聖杯を得ようという意志を持ちあわせていないというのに。

 

「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の折に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」

 

 亜蓮は些かの躊躇もなく、サーヴァントに『狂化』を付与する一節を唱えた。

 ――そう、亜蓮には聖杯を手に入れるつもりがない。彼の目的は別にある。故に英霊の理性は邪魔でしかなかった。

 聖杯戦争への召喚に応じる英霊は、大なり小なり聖杯戦争に参加する動機を持っている。強者との戦いだけを望むバトルマニアなら問題はないが、どうしても叶えたい願いを持つ者が召喚された場合が厄介だ。サーヴァントの裏切りという最悪の展開で命を落とすことになりかねない。

 その点、バーサーカーのクラスならどんな英雄であっても問答無用で戦力として運用することができる。理性がなければ願いを訴えることもできはしまい。魔力供給の負荷が無視できなくなったら、そのときは令呪で自害させればいい。聖杯を手に入れられなくなったところで何の問題もないのだから。

 

「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 魔法陣から放たれる黄金の輝きが頂点に達する。

 地下室は光輝に満ち溢れ、その中央で神域の奇跡が具現していく。

 解き放たれた暴風が地下室で暴れ狂う。小瓶が吹き飛び、水銀の雫を撒き散らしながら壁に叩きつけられ、粉々に砕け散った。

 やがて眩い光と荒れ狂う風が収まり、地下室は静寂を取り戻す。

 輝きの薄れた魔法陣には、見上げるほどの長身の偉丈夫が立っていた。

 平安期の大鎧を大雑把に仕立て直し、金糸や金箔で装飾した黄金飾りの鎧。雷光を思わせる金色の頭髪。マスターとしての透視力で把握したステータスは極めて高水準で、真っ当なマスターであれば己の幸運を喜んでいたことだろう。

 だが、亜蓮は自身を襲う理不尽に呆然としていた。

 

「オレを喚んだマスターはお前か。ま、よろしく頼むぜ」

「……は?」

 

 バーサーカーが、流暢に、喋っている。

 何なのだこの理不尽は。

 別のクラスで召喚されてしまったわけではない。間違いなくこのサーヴァントはバーサーカーで、狂化スキルも備わっている。それなのに、亜蓮の身体から吸い上げられている魔力の量は聞き及んでいた『狂化スキルの負荷』とは程遠い。

 そんな亜蓮のリアクションが不満だったのか、バーサーカーは眉をひそめて顎を掻いた。

 

「嬉しそうじゃねぇな。ひょっとしてアレか、オレじゃ不満か」

「いや、その……性能に不満はないけどさ……あんた、バーサーカーだよな」

「おう」

「じゃあどうして平然と喋ってるんだ」

「そういうこともあるだろ」

「あるだろって……」

 

 理不尽だ。亜蓮は頭を抱えたくなった。

 どうやらこのサーヴァント、バーサーカーでありながら平時は狂化スキルが働いていないらしい。果たしてこんなものが許されるのかどうか知らないが、現に召喚できてしまっている以上、聖杯戦争のシステム上は問題ないということなのだろう。

 普通ならメリットとなるであろうこの特性も、亜蓮にとっては大問題だ。もしもバーサーカーが本気で聖杯の獲得を狙っているのなら、今後の戦略をゼロから考えなおさなければならなくなる。

 

「何だか思うところがあるみたいだが、召喚されちまったものは仕方がないねぇだろ。オレは坂田金時だ。これからよろしく頼むぜ、マスター」

 

 亜蓮の困惑をよそに、金色のバーサーカーはニッと歯を見せて笑った。

 

 

    ◇ ◇ ◇

 

 

「ええと……まずは何から話すべきかな」

 

 広間の椅子に腰を下ろし、亜蓮は思考を整理した。

 向かい側の椅子には鎧の実体化を解いて簡素な和装となったバーサーカーが窮屈そうに座っている。洋風の建物が珍しいのか、亜蓮の方に顔を向ける時間よりも、周囲に視線を巡らせている時間の方がずっと長い。

 この洋館は亜蓮の本来の目的を果たすための拠点として、白銀家前当主である亜蓮の父、白銀銑理(せんり)が手配したものだ。

 定期的なメンテナンスはされてきたようだが、数年間誰も住んでいなかっただけあり居住空間としての質は少々よろしくない。まさしく工房や防衛拠点に仕立て上げることを前提とした拠点である。それでも、明治期の富豪が作らせた内装と前の住民が残していった家具の数々は、充分にレトロな芸術性を発揮しているといえた。

 

「やっぱり、まずはお互いの優先事項と禁忌事項を……」

「おもしれーな、この家。ありゃ箪笥か? 変な形してんな」

「頼むから話聞いてくれないか」

 

 ダメだ、この男に遠回しな言い方は通用しない。亜蓮はそう直感した。多少のリスクを覚悟してでも、単刀直入に話を進めた方が良さそうだ。

 亜蓮は服越しに右前腕の令呪を撫でた。

 いざとなったらこれに頼ろう。そういうときのために与えられた代物なのだから。

 

「単刀直入に言うぞ、バーサーカー。俺は聖杯を獲る気はない」

 

 これ以上なくハッキリと告げる。

 バーサーカーが激昂するようなら即座に令呪を使うよう心の準備はしてあるが、いざ面と向かって言い放ってみると、今更ながら不安と恐怖心が沸き上がってくる。

 もしも激昂したバーサーカーの一撃が令呪の命令より早かったら。そのときは間違いなく無残で無様な死に様を晒すことになるに違いない。まして亜蓮とバーサーカーの距離は数歩分しか開いていないのだ。最悪、あちらが椅子から腰を上げることすらなく全てが終わることになるだろう。

 

「へぇ」

 

 バーサーカーは椅子に座ったまま長身を屈め、亜蓮に向かって顔をずいっと突き出した。薄手の和装の大男が洋室の真ん中でそんな格好をしているというのは、言葉では表現できないほどに奇妙で威圧感に満ちている。

 喩えるなら生身で羆と相対している気分だ。ここから先、生き残れるかどうかは運とバーサーカーの気分次第。不公平なギャンブルに全財産を賭ける方がまだマシなシチュエーションだ。

 

「当然、それなりの理由ってもんがあるんだろうな」

 

 問い詰めるというよりはからかうような口調だった。まるで、こちらの心の奥底を見透かそうとしているかのような。

 少なくとも、今すぐ叩き切られるということにはならなかったらしい。亜蓮は安堵の表情を押し殺し、これまでの経緯と事情を語り始めた。

 

「俺は、姉さんが……白銀継都(けいと)が今回の『聖杯戦争』を開催した理由を調べに来たんだ」

「姉? てことはアレか。お前さんは主催者の弟ってことか」

「厳密には主催者の一人の弟、だけどね」

 

 一呼吸置いて、話の続きを喋り続ける。

 白銀家は日本を拠点に活動する西洋錬金術を専門にした魔術師の家系であり、亜蓮の姉である白銀継都はその現当主。本来なら魔道の探求に力を注いでいなければならない立場だというのに、本来の責務を放り出して聖杯戦争の開催を布告したのだ。

 理由は一切不明。一族の誰も、父親の白銀銑理や弟である亜蓮すらも、継都がそんな準備を進めていたことに気が付かなかったくらいだ。

 

「もちろん、聖杯の力で一族の研究を完成させるっていうなら、事後報告でも父さんは納得したと思う。だけど今回の聖杯戦争は少し勝手が違うんだ」

 

 国家すらも巻き込んだ『第三次聖杯戦争』から数十年。

 今日、冬木の聖杯戦争を模倣した亜種聖杯戦争が世界中で行われている。それらは多くてもサーヴァント五騎が上限で、本家の七組によるバトルロイヤルには規模の面でも及ばない。

 ところが、継都が布告した聖杯戦争は、なんと本家同様の七騎による殺し合いだった。

 そのからくりは『二つの聖杯』にあるのだという。

 継都は自分以外の魔術師と共謀し、それぞれが一つずつ亜種聖杯システムを構築。それらを連結・並列化することで擬似的に七騎の聖杯戦争を実現したらしい。

 ここまで話したところで、バーサーカーが口を挟んできた。

 

「今回は七騎の潰し合いだってことくらい、召喚されるときにしっかり頭に刻み込まれてるぜ。それのどこが問題なんだ?」

「もちろん、システム自体に問題はないさ」

 

 そう、聖杯戦争そのものに懸念があるわけではない。むしろ厳格な父親ですら逆転の発想に感嘆していたくらいだ。

 

「問題は共謀相手だ。姉さんは進行役として表に立っているのに、もう一人の方は名前どころか姿形すら徹底的に隠蔽してるんだよ。明らかなのは『白銀継都以外に主催者がもう一人いる』ってことだけ」

 

 こんなの怪しむなって言う方が無理だろ?と尋ねると、バーサーカーはそりゃそうだとばかりに首肯した。

 

「だから俺は前当主に命じられて、白銀継都の目的ともう一人の主催者の正体を探りに来て……バーサーカーを召喚した」

 

 一旦言葉を切り、右腕の袖を捲って令呪を露わにする。

 

「令呪が発現したのは予想外だったよ。既にマスターの席は埋まってるものとばかり思ってたからね」

「で、せっかくマスターになれたのにサーヴァントを召喚しないなんて勿体ない、なんて思ったわけか」

「戦力が欲しかったんだ。ついでに白状すると、バーサーカーのクラスを召喚しようと思ったのも、狂化していれば聖杯欲しさに裏切られることもないから。それだけなんだ」

「なるほどねぇ」

 

 バーサーカーは背もたれを軋ませて天井を仰いだ。

 亜蓮がバーサーカーに語った内容には一片の偽りもない。最初から最後まで全て真実、全て本音だ。内情を素直に打ち明けたのが功を奏したのか、バーサーカーの態度や語調からは怒気も殺意も感じられない。

 亜蓮はだんだん心が落ち着いてくるのを感じていた。サーヴァントとの衝突という最悪の事態を回避できつつあるのに加えて、目の前のサーヴァントの振る舞いから妙な親しみやすさのようなものを感じつつあった。

 

「オレはな、マスター。一度腹を割って話してみたかった奴がいたんだ。ひょっとしたらそいつが聖杯戦争に喚ばれてるかもしれねぇ……そう思ったから召喚に応じたワケだ」

 

 バーサーカーが亜蓮に視線を戻す。

 

「もしも『そいつ』と出くわしたなら、オレのやりたいことを最大限優先してもらう。それが条件だ」

「分かった、約束する」

 

 拒否する理由はなかった。

 最大の懸念だったバーサーカーの側から妥協案を出してくれたのだ。それも無茶な要求を突きつけられているわけでもない。むしろ条件が易しすぎて困惑しそうなくらいだ。

 

「よっし、交渉成立だな。それじゃ出かけるか」

 

 バーサーカーは亜蓮の答えを聞き、満足そうな顔で立ち上がった。

 雑に切り揃えられた金の頭髪が今にも天井に届きそうだ。

 当然のように踵を返して部屋を出ようとするバーサーカー。亜蓮も慌てて席を立ち、その後を追った。

 

「お、おい! 出かける? どこにだよ」

「決まってんだろ。街にだよ。せっかく現世に喚ばれたんだぜ? 少しくらい楽しんだってバチは当たんねぇだろ」

 

 亜蓮は絶句した。親しみやすさを感じたのは勘違いではなかったが、その度合いが少々行き過ぎている。現界して早々に街を見て回りたがるなんて。これではまるで落ち着きのない子供みたいだ。

 

「お前なぁ……そこは建前でもいいから『戦場の下見に行く』とか言ってくれよ」

 

 そう言葉にしてしまった後で、亜蓮はおかしなことを口走ったと後悔した。どうにもこうにも、一方的にペースを崩されて指摘まで的外れになってしまう。

 マスターの気苦労など何処吹く風といった態度で、バーサーカーは「お、じゃあそれで」と気楽に答えたのだった。

 

 

    ◇ ◇ ◇

 

 

 亜蓮の拠点である白銀家別邸の外。侵入者感知用結界の圏内からぎりぎり外れた街路樹に、一羽の鳥が止まっていた。

 傍から見ればなんということはない光景だ。ごく当たり前の日常的な風景でしかない。しかし、適切な知識を持つ者がしっかりと観察すれば、たちどころにその異常に気付くだろう。

 枝を掴む足は金属部品で構成された把持装置。

 丸い眼球は魔術的処理を施された黄水晶。

 それは巧みな技法で組み上げられた鳥人形に他ならなかった。

 亜蓮がこの鳥人形の存在に気が付かなかったのは、常に十分な距離を保たれていたのと、術者と常時パスで繋がれた使い魔とは異なり、予めインプットされた行動を取るだけで、魔力の気配を殆ど漏らさない完全なスタンドアロン型であったことが大きかったのだろう。

 本人には未だ知る由もないが、この鳥人形の存在は亜蓮にとっての大きな脅威の存在を示唆している。

 探知結界を張るときの癖。どれだけの範囲を探知するかの傾向。如何なる仕掛けで作られた人形であれば、亜蓮に魔力の気配を悟られないかという地道な研究。どの時間帯なら効果的な偵察ができるかという事前情報。

 それらの全てが高い水準に達していなければ、これほどまでに鮮やかな諜報は成し遂げられない。

 やがて規定された時間を消費した鳥人形は、長時間に渡る映像記録を腹に抱えたまま、どこにいるとも知れない主の元へ飛び去っていった――

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