早朝の麻葉三輪神社――
亜蓮とランサーが社務所を辞し、バーサーカーも家路について一夜。新たな来客が麻葉三輪神社を訪れていた。美那子はその老紳士を丁寧に迎え入れると、二人分の緑茶を用意して持て成しの準備を整えた。
「お久しぶりです、碓氷さん。今日はどうなさったんですか?」
「いやいや、偶然近くに寄ったものだから、せっかくだからこの子を紹介しておこうと思っただけさ」
老紳士――碓氷清正は人好きのする笑顔を浮かべた。
彼の来訪は特別なことではない。清正はこの地のセカンドオーナーであり、美那子は霊地の以前の所有者の血縁者である。互いに儀礼的な接触を欠かさないようになるのは支援の成り行きだ。
清正に促され、隣に座っていた和服の少女が不機嫌そうに会釈をする。
本来なら少女の和装は現代社会にはそぐわないものだ。隣に座る清正が紳士然とした恰好なので余計にギャップが目立っている。ここが伝統ある神社の社務所でなければ異物でしかなかったことだろう。
「……
何かあったのかと心配する美那子を、清正は軽く制した。
「きまぐれな子で。お気に障ったなら申し訳ない」
「い、いえ、そんなことは。お茶請けをお持ちしますね」
美那子が客間から立ち去ったところで、少女は苦々しく口を開いた。
「忌々しい……奴の気配が残ってる。どうしてこんなところに、あの男が……」
「あの男というと、例のバーサーカーかな」
「そうよ。坂田金時。私達の怨敵。この残留具合だと……半日前か」
「ほう、そんなに前なのに解るのかい」
「連中の気配だけならね。輪廻を三回巡っても忘れないわ」
術によって鳶色に偽装されていた瞳が淡い赫に染まる。
キャスター――
やがて美那子がお茶請けの生菓子を持ってきたところで、清正はさり気ない態度で問いを投げかけた。
「ところで美那子さん。昨日の夕方、この辺りを散歩していたら見慣れない子達が神社にいるのを見たんだが。彼らはお知り合いかね」
「……え、ええ。息子の学校の繋がりで」
相変わらず嘘の下手な子だ。清正はしみじみとそう感じた。バーサーカーの関係者と接触を持ったことはおろか、自分がマスターに選ばれていることすら隠しているつもりなのだろう。
この土地のセカンドオーナーとして、魔術師同士の生き馬の目を抜くような裏工作に長年関わってきた清正にしてみれば、彼女のそれは稚拙この上ない偽言である。それを踏まえた上で、清正は美那子の嘘に気付いていない振りをすることにしていた。
老人はもはや聖杯にも願いにも未練を抱いていない。それなのにマスターに選ばれたのは、本家の聖杯戦争で御三家に優先的に参加権が割り当てられたのと同様に、土地の提供者ということで令呪が割り当てられたに過ぎない。故に、他のマスターと積極的に敵対する理由も、誰かにあえて肩入れする意味もないのが道理だ。少なくとも清正はそう考えていた。
「良ければ、その子達の話を聞かせてくれないかな」
「話……ですか」
「職業病みたいなものさ。他所から来た人の話は耳に入れておかないと気が済まなくてね。ま、隠居した老人の暇潰しともいうがね」
「は、はぁ……」
美那子がぽつりぽつりと語り始めた内容に、清正は笑顔で耳を傾けた。
曰く、彼らと初めて出会ったのは三日前のこと。息子のかかりつけの病院の近くで荷物の多さに往生していたところを助けられたのがきっかけだったという。聖杯戦争の関係者であることは流石に伏せて語っていたが、金髪で長身という特徴からしてサーヴァントの方だろう。以後、一昨日と昨日の両日に渡って息子と遊びに来てくれたとのことだ。
マスターの方――銀髪の少年と会ったのは二日前。二人ともしばらく朝葉市に滞在する予定の旅行者だと美那子は語った。美那子の話しぶりを見る限り、彼らに対する印象は悪からぬものであるらしい。むしろ好印象を抱いているようですらある。
「なるほど。拓真くんに良いお友達ができたようで何よりだ」
「ええ、本当に……」
和やかに会話を交わす清正の横で、キャスターが静かに不機嫌さを蓄積させ続けている。このままだといつ癇癪を起こすか分かったものではない。清正は適当な理由をつけてこの場を辞すことにした。
「さて、朝っぱらから押しかけて済まなかったね。そろそろお暇するよ。さ、行こうか
「……お邪魔しました」
帰りの道すがら、キャスターは偽装の術を解いて赫眼を露わにした。
整った顔を不愉快そうに歪め、しきりに何事か呟いている。
「不機嫌そうだな」
「そんなことはない。坂田のはああいう輩だと昔から解っている」
しかし言葉と表情は裏腹だ。
どうやら、バーサーカーに対する美那子の評価が悪くなかったことがキャスターの感情を逆撫でしたらしい。しかも、キャスター自身もその評価を否定しきれていないようだ。
ある意味で最も質の悪い心境だろう。そんなことはない、あいつはろくでなしだ、と声を大にして言えたなら気も紛れる。だが、良く言われていることが気に食わないのに否定出来ないのでは、苛立つ感情の逃げ場がない。今、キャスターの内心はそういう状況にあるはずだ。
清正はキャスターに向ける慰めの言葉を持たなかった。これでも数々の修羅場を乗り越えてきたと自負しているが、一度人生を生き切って生涯を閉じた英霊達と比べれば、一度も死んだことのない未熟者に過ぎないとも自覚していた。
故に、決して慰めはしない。
「やはり憎いかね」
「当たり前だろう」
「ならば一度、腹を割って話してみたらどうだ」
「――はぁ? ふざけてるのか?」
キャスターが進行方向に回り込んで先を塞ぐ。
赫い眼が爛と輝いて清正を睨み上げる。渦巻く魔力が魔眼一歩手前の濃度で眼球に渦巻き、返答次第ではマスターであろうと焼き尽くさんとばかりに灼熱を帯びていく。
「アレを赦せと? 我らを欺き
「まさか」
キャスターの憤怒を、清正は柳のように受け流す。
「決着をつける前に、一度互いの心の内を明かし合う方がいいというだけのことだ。その上でやはり赦せなければ殺せばいい。万に一つ赦せるのならば赦せばいい。どちらに転ぶにせよ、相手を知るという一手間を欠かすべきではない――私はそう思うよ」
「はっ、笑わせる。あいつと膝を交えて語り合えと。冗談じゃない。想像するだけで反吐が出る」
そう言いつつも、キャスターの瞳から怒気が薄れていった。
一応の納得はしてもらえたようだが、なおも不機嫌さは消えていない。大江山の鬼と四天王の確執は外野が思っている以上に深いようだ。
「……そうか。ところで、話は変わるが。君達の首魁はどのような人物だったのかな」
ふとした思いつきから出た問いであった。
そも、キャスターこと茨木童子は源頼光と四天王に斃されていない。これについては、後世の伝承による改変ではなく、実際に生き残っていたことを既に本人の口から確認している。それでも宿敵を絶対に赦せないというあたり、怒りの原動力は自分への危害の恨みよりも仲間達を謀殺された憎悪にあるはずだ。
それを思うと、首魁たる酒呑童子は彼女達の忠誠心を集めるに足る名君――もちろん鬼の価値観でだが――だったのでは、などと想像してしまったのだ。
「ん、酒呑様か」
キャスターはうっすらと笑みを浮かべ、口元を綻ばせた。
まるで想い人について語る恋する乙女のように。
「とても可憐な方だったよ」
そう言ってキャスターは踵を返し、清正に背を向けて拠点に向かって歩き出した。
清正は思わず細い眼を丸くしていた。可憐だなんて鬼につける形容詞とは思えない。酒呑童子と聞いて思い浮かべる象形は真っ赤な肌をした巨大な鬼だ。
けれど、先を行くキャスターの後ろ姿を見れば納得もいく。
茨木童子があんな乙女の姿をしているのだ。酒呑童子が後世の想像どおりでなかったとして、一体何の不思議があるというのか。
だが、それならば大江山の鬼を討ち果たした武士達は――
「……」
清正は小さく首を振って想像を打ち切った。当時の人間達の心境など考えるだけ無駄というものだ。無意味で無責任な妄想にしかなりはしない。見た目がどれだけ愛らしくとも、実際に人々に害を成していたのなら、武士達も討たねばならなかったのだろうから。
「どうした清正。腰でも痛めたか」
「……今行くよ」
キャスターの背中を追ってゆっくりと歩き出す。
枯れ果てた老骨が再び聖杯と巡りあったことには、いかなる形であれ、きっと理由があるはずだ。最後のあがきであった七年前の戦いに敗れてもなお生き長らえた意味、と言い換えてもいいだろう。
聖杯を求めるつもりはない。そんなものは欲しい者同士で取り合えばいい。老魔術師は”死ななかった理由”を求めるためだけに戦場へ舞い戻ったのだから。
◇ ◇ ◇
朝葉市郊外の臨海地域には広大な廃墟が存在する。元は大手鉄鋼会社の製鉄プラントだったのだが、施設の旧式化および老朽化により同県内の別地区への移転が決定し、七年前に閉鎖された工場跡地である。
工場施設は一年掛けて解体される計画だったのだが、閉鎖の一ヶ月後に亜種聖杯戦争が勃発。ここでサーヴァント同士の戦闘が繰り広げられたことから、隠蔽工作のため解体工事は無期限延期となり、今も有耶無耶のままに廃墟が残され続けている。
巨大なパイプが三次元的に交錯する鋼鉄の遺跡。
その最奥に魔術師の根城が築かれているなど、果たして誰が思うだろうか。
「指定通りの時間だな」
工房の主たる魔術師が、かつて工場長執務室だった一室にて来客を出迎える。朝葉市の聖杯戦争を戦う者で、頬に深い傷跡を持つこの魔術師の顔を知らない者はいない。聖杯戦争荒らしの仇名と共に秋御宮縣の名はこの地に知れ渡っている。
荒廃した廃墟の一室にそぐわない
「さて、要求を聞こうか」
「要求というほどのものじゃない。聖杯戦争ではよくある
視線の先、黒衣の青年が口を開く。外見は秋御宮より一回りは下の二十代半ば。どことなく焦点のぶれた瞳は空虚な笑みを象り、内に秘めた感情を読ませない。ただの一瞥をもってして秋御宮は理解する。この男は真っ当ではないと。
「同盟を組まないか。こちらには最強の駒がある。今は連れてきちゃいないが、もう一騎、別のサーヴァントとそのマスターも味方に付けている。ここにお前の力が加われば七騎のうち三騎。これなら聖杯は手に入ったも同然だ」
黒衣の青年はやたらと饒舌に捲し立てた。
熱に浮かされたように喋り続ける青年のことを、秋御宮は冷めた眼差しで眺めている。
幾つもの亜種聖杯戦争を戦ってきた秋御宮にとって、こうした要求は決して珍しいものではない。最終的な対決を前提とした同盟要請は日常茶飯事。三騎から五騎という限られた勢力数で争うのだから、首尾よく同盟を成立させられれば大きな優位を得られるのは明白ではある。
「己を売り込むつもりなら、己が提供できる戦力を開示するのが筋だろう」
「なるほど確かに、それはご尤も。ならばここはひとつ、お互いのサーヴァントを見せ合うのはどうかな?」
「いいだろう。出ろ、ライダー」
「来い、
光の粒子が渦巻いて、二騎のサーヴァントがそれぞれのマスターの側に実体化する。
魔性の鉄装具に身を包んだ
古代中華の具足を纏った巨躯の剣士。
秋御宮は油断なく青年のサーヴァントの姿形を観察した。その巨体は執務室の天井に頭が付きそうなほどで、具足の上からでも膨れ上がった筋肉の鎧が見て取れる。ライダーも騎兵として充分な体格を備えているが、セイバーはそれよりも一回り以上は大きいように思われた。
秋御宮の視線に気付いたのか、セイバーが猛獣のように歯を剥いて笑った。
「ほほう、あの高加索人よりはマシな面構えだな。こやつと組むというのであれば
地の底から響くような声が廃墟に反響する。
太い喉を膨らませて笑う様は水牛を連想させ、眼光は閻魔のそれを思わせる。最強の駒と自負するだけあってステータスは軒並み高水準。魔力が並なのを除けば、宝具を含む全てのパラメータがランクB以上という高性能ぶりだ。
容貌からして中華由来の英霊であることは確かだが、真名を絞り込むには手がかりが少なすぎる。しかし、これほどの高ステータスを誇るサーヴァントである以上、日本国内でも
「どうだ。俺のサーヴァントは間違いなく最強の一角だ。俺と組めばこいつに加えてもう一騎も味方につく。勝利に大きく近付けるとは思わないか」
「ああ、そういう話だったな」
次第に熱を帯びていくセイバーのマスターとは対照的に、秋御宮は冷徹な態度を崩そうとすらしなかった。そして、過去の聖杯戦争で秋御宮との同盟を望んできた有象無象に放った言葉と同じ返答を口にする。
「断る。この戦いは俺自身の手で聖杯を掴まねば意味がない」
「……分け前の心配か? それなら安心しろ。俺は聖杯を求めちゃいない。欲しいものは他にある。もう一人のマスターも聖杯が絶対に必要というわけじゃ――」
「同じことを言わせるな。朝葉の聖杯戦争は
「――なるほど。個人的なこだわりというわけか。口説き落とすのは無理そうだ」
黒衣の青年は肩を竦め、セイバーに霊体化を命じて踵を返した。その顔に感情らしきものは断片すらも浮かんでいない。あれほどまでに熱意を込めて弁を振るったのが嘘のようだ。
「まぁいいさ。秋御宮縣が他の誰とも組まないと分かっただけでも収穫だ。次に会うときは敵同士だが――釈迦に説法か」
振り返ることすらせず立ち去っていく黒衣の青年。
その背を見送りながら、今まで沈黙を保っていたライダーが口を開く。
「後を追って轢き潰すか?」
「いや、いい。セイバーの能力を見極める前に攻めたくはない」
「だろうな。お前はそういう男だ」
製鉄プラント跡地の内側にいる限り、セイバーとそのマスターの動向は、幾重にも張り巡らせておいた魔術によって手に取るように解る。何かおかしな仕掛けを施そうとしても即座に対応可能だ。ならば無理に追撃を試みて反撃のリスクを被るより、ここはあえて泳がせておいたほうが安全に事を進めることができる。
「それはそうと、注視すべきはやはりあのサーヴァントだ。流石に最優のクラスに相応しい駒を見繕ってきたとみえる」
「ライダー。セイバーの実力、貴様はどう見立てる」
「ふむ。武勇は上の下、天下無双とは言えんが豪傑を名乗るに相応しい能力はあると見た」
ライダーは見た目の若さに反した老獪な語調で推論を述べた。
地理的に近いとはいえ、サーヴァントがあれだけの性能を発揮するためには、本来の能力と日本における知名度、そしてマスターの能力がいずれも高いレベルで揃っていなければならない。
最有力候補は三国時代の武将、次いで封神演義に語られる殷周革命の時代、秦王朝の治世を挟んで戦国時代と楚漢戦争か。いずれにせよ、千八百年から二千二百年、殷周革命であれば三千年は前の英雄ということになる。
名だたる英霊であるクー・フーリンの活躍時期とイエス・キリストの生存時期が近いことを考えれば、他の民族が神話を生きていた時代を駆け抜けた豪傑という可能性すらあるのだ。
「――あれもまた、王か?」
「器ではないな。罷り間違って王権を握ることはあったかもしれんが、あの手の男は国を巧く治めることができん類だ」
僅かな時間の邂逅だったというのに、ライダーの観察眼はセイバーのサーヴァントについて如実に分析している。
これが古代帝国を率いた王者の眼力かと思うと、秋御宮は己のサーヴァントのことながら怖気を覚えた。自分もこの眼力に常日頃から晒されているのだと否が応でも実感させられてしまう。
「だが、王の器と戦場で求められる能力は別物。サーヴァントとしては儂を打ち倒しうる代物かもしれんぞ」
「悪い冗談だ。喩えあれが殷周革命の英霊だろうと貴様の方が
「冗談なものか。格上が常に勝つ――それがいかなる時も罷り通るならば、儂は敗軍の将として歴史に残っていただろうよ」
魔術を介した感覚が、黒衣の青年とセイバーの完全な退去を告げる。結局、あの男は一切の置き土産を残さずに立ち去ったようだ。些か拍子抜けしながらも、秋御宮は油断なく魔術式を操り周辺警戒を継続した。
「かの王はそんなにも強かったのか」
「ああ、強かったとも。地上に降りてきた太陽を相手に軍を動かしているようですらあったな」
ライダーは昔を懐かしむような笑みを浮かべた。きっと生前の好敵手を思い出して感慨に耽っているのだろう。
窓硝子を失った窓の向こうで大きな太陽が沈んでいく。
全てのサーヴァントが揃ってから五回目の夜が訪れようとしていた。