亜蓮と鈴ヶ峰黎花の関わりは幼少期にまで遡る。
錬金術を探求する白銀家と人形作りを専門とする鈴ヶ峰家は、特殊な材料の製造者と消費者という立場から、数世代前からそれなりに良好な関係を築いていた。
白銀家にとっての鈴ヶ峰家は研究資金を稼ぐ副業の大口顧客のひとつ。鈴ヶ峰家にとっての白銀家は高品質な素材を安定して手に入れられる供給源。利害関係が生んだ繋がりではあったが、互いに尊重し合う関係であったのは間違いない。
そういう家に生まれたことから、亜蓮と黎花は子供の頃から親密な交友関係を築いていた。より厳密に言えば、将来を考えた当主達の根回しで、親密になるよう仕向けられていたのだ。
両家の関係、ひいては亜蓮と黎花の関係が壊れたのは、今からおよそ十年前。
とある理由で白銀家と鈴ヶ峰家は対立。闘争の末、当時の鈴ヶ峰家当主……つまり黎花の父親が命を落とす。更に亜蓮の父親で白銀家先代当主の銑理も半死半生の重傷を負い、家督と魔術刻印を長女の継都に譲らざるを得なくなってしまった。
更に銑理は鈴ヶ峰家との断交を宣言。幼くして当主の座を継いだ黎花には壊れた関係性を修復することなどできず、以後十年間、両家は一切の関わりを持つことはなかった――
◇ ◇ ◇
「――これが私と亜蓮君が引き裂かれた経緯です」
過去の事情を一気に語りきり、ランサーのマスターこと鈴ヶ峰黎花は流してもいない涙を拭う仕草をした。
あの後、亜蓮達は互いの同意のもとに場所を変え、大霧公園の敷地内に建てられた休憩所を訪れていた。いくら広さの割に客入りが少ない公園でも、広場で話し込んでいたら一般人に目撃されてしまう。そういった面倒を回避するため、休憩所の一室を借り切って、心置きなく対話をする運びになったのである。
金髪で和装の大男に色素の薄い混血で女連れという異様さから係員に不審がられたが、そこは軽い暗示を掛けることで解決した。魔術の濫用は望ましくないが、聖杯戦争における陣営同士の折衝のためと考えれば許容範囲だ。
「ああ、マスター……お家の事情で離れざるをえなかったとは……! 心中お察しいたします!」
変装スキルで現代風に姿を変えたランサーが、黎花の横で顔を覆った。
悲話に盛り上がる少女達からテーブルを挟んだ反対側。黎花の向かいの席に腰掛けたバーサーカーは明らかに
「おい。この話、本当なのか?」
「……嘘は、ついてない……確かにうちと鈴ヶ峰家は、そういう経緯で十年以上関係を絶ってる……それは本当だ。けどな……」
亜蓮は次第に語気を強め、黎花をじっと見据えた。
「十年間。事あるごとに俺のことを付け回したり、使い魔じみた人形で監視してたのはどこの誰だ? なぁ、鈴ヶ峰」
「それはその……亜蓮君が心配だったから……」
「まさか地元を離れても付いてくるとは思わなかったぞ。ひょっとして、こっちに来てからもいつもの『鳥』を使ってたのか?」
「……それは、えっと……」
非難がましい視線を向ける亜蓮とは対象的に、黎花は恥じらいを湛えた表情で俯き気味に視線を逸らした。
黎花の語った内容は大筋では合っている。白銀家と鈴ヶ峰家がかつては友好関係だったことも、両家の争いで先代当主が死亡ないし引退し、以降は関係が断絶していることも本当だ。しかし、黎花は肝心なことを語っていなかった。
関係断絶からの十年間、鈴ヶ峰家当主となった黎花は公式には白銀家に関わってこなかった。だがその裏では、あくまでプライベートな行動の範疇で亜蓮のことを追い続けてきたのだ。その距離感は絶妙の一言で、個人としては迷惑でも魔術師の一族としては抗議するに至らない一線を頑なに守り続けていた。
憮然とする亜蓮に、バーサーカーがこっそり耳打ちをする。
「これってアレか。この時代でいうストーカーって奴か?」
「あー、うん。それで間違ってない、かな」
「マジか。橋姫みてーな女だな」
最後の一言だけは聞こえたのか、黎花は長く伸びすぎた前髪の向こうで眉を顰めた。
「失礼です。私はあんなに嫉妬深くはありませんから」
バーサーカーが言った橋姫とは京都の『宇治の橋姫』のことだ。
強い恋心を抱いた貴族の娘が、嫉妬心のあまり貴船大明神に祈って異様な儀式を行い、生きながら鬼神と化して妬ましい女や想い人の親類、果ては無関係な者まで殺し続けたという。丑の刻参りや呪いの藁人形等の呪術の原典となったとされる伝説だ。
橋姫が生まれたとされるのが九世紀前半で、バーサーカーこと坂田金時が仕えた源頼光の活躍時期が十世紀後半から十一世紀前半。バーサーカーが現役だった頃にも橋姫の伝説は伝えられていたのだろう。
また、バーサーカーと同じ頼光四天王の一人である渡辺綱に腕を切り落とされた鬼は、酒呑童子の腹心・茨木童子とも宇治の橋姫とも伝えられている。そういう繋がりもあっての連想だったのかもしれない。
「……まぁ、昔のことは置いといて。鈴ヶ峰はどうして聖杯戦争に参加しようと思ったんだ」
亜蓮はひとまず話を先に進めることにした。過去の諍いはいくら時間があっても追求し足りない。そんなことに貴重な時間を使うのはもったいなさすぎる。
「ご、ごめんなさい。ちゃんとそこから話さないと」
バーサーカーに対しては険のある顔を向けていた黎花だが、亜蓮が話しかけると途端にしおらしく態度を変える。
「継都さんが聖杯戦争を開催すると聞いたときは、参加しようだなんて思わなかった。だけど亜蓮君がこの町に来たことが分かって、いてもたってもいられなくなったの。亜蓮君が危ない目に合うかもしれないのに黙って見てるなんて……」
乙女らしく微笑む黎花。可憐な見た目とは裏腹に、発言の内容は悪寒すら覚えるほどの異常性を帯びていた。
懸想する男のために
「本当にそれだけか? 普通、聖杯戦争のマスターは聖杯を求める理由がある奴が選ばれるんだろ。鈴ヶ峰も聖杯が欲しい理由があるんじゃないのか」
人のことは言えないがな、というバーサーカーの呟きはひとまず無視する。
「それは、その……」
言い淀む黎花。そんなマスターを庇うように、ランサーが目尻を吊り上げてテーブルを叩いた。
「バーサーカーのマスター殿にはでりかしーが足りていません!」
「デリカ……は?」
意味が分からない。どうしてこの話の流れでデリカシーという単語が出てくるのか。怒りを買った原因すら理解できない。
言葉に詰まる亜蓮の隣で、バーサーカーがテーブルに両脚を投げ出した。
「要するに! お前らはオレのマスターに協力するってことでいいのか?」
清々しいまでに単刀直入な問い掛けであった。
黎花とランサーは不意を突かれたように顔を見合わせてから、それぞれの答えを口にした。
「私はもちろんそのつもりよ。あくまで亜蓮君が最優先。それ以外は二の次三の次だから」
「拙者には拙者なりの願いがあります。ですが黎花殿の決意は拙者も強く共感できるモノ。その思いは最大限尊重するべきであると考えております」
「だとさ。どうする? マスター」
収集がつきそうになかった対話がバーサーカーの一声で見事に収まった。理屈であれこれ考えこむタイプには難しい直観的な捌き方だ。
こんな表現をしたら侮辱になるかもしれないが、野生動物のリーダーが群れの諍いを一吠えで収束させるのとイメージが重なってしまう。亜蓮はそう思った。
「はぁ……父さんにどう説明すればいいんだか……」
対立する一族の当主との共闘。戦場では珍しくないことなのかもしれないが、筋金入りの堅物である銑理が何と言うか。鈴ヶ峰家との争いで現役を退かざるを得なかった私怨もあるだろうから、反応が苛烈なものになるのは想像に難くなかった。
――だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
目的のために手段を選んでいられるのは、それに足る能力の持ち主だけだ。
「……分かった。鈴ヶ峰、こちらこそよろしく頼む。力を貸してくれ」
「ふふ……任せて。亜蓮君の邪魔をする奴らは許さないから」
目を細め微笑む黎花を見て、亜蓮は今更ながら一抹の不安を覚えた。果たしてこの
とはいえ、大筋では適切な判断だと自認はしていた。
今ここで黎花と接触していなくても、黎花が聖杯戦争に参加してしまった事実は変わらず、亜蓮の与り知らぬところで勝手な行動を取っていたことだろう。それを思えば、味方に引き込んで目の届く場所にいた方がずっと安全だ。
「黎花殿、協力関係を結んだのなら例の情報をお見せしては」
「それもそうね。ランサー、準備をお願い」
黎花はどこからか片手に乗るサイズの人形を取り出すと、テーブルの上に置いてみせた。
形状のモデルはフクロウの雛。どこかの国の民芸品を思わせるデザインで、屋外で使っていた鳥人形のような擬態性能は考慮されていない。眼窩に収まった
ランサーが厚手のカーテンを引き、蛍光灯のスイッチを切って、室内を真っ暗にしていく。黎花は人形について説明することもなく、煙水晶の眼を何もない壁に向けさせた。
「
黎花が一小節のごく簡易な呪文を唱えると、人形の煙水晶の眼が眩い光を発し、白い壁に映像を映し出した。
「ほぉ……魔術ってこんなこともできるのか」
驚きの声を漏らしたのはバーサーカーだけだった。もっとも、付き合いの長い亜蓮にとっては既知の魔術であり、ランサーも前に見せられたことがあるようなので、そもそも初見なのがバーサーカーだけだとも言える。
「朝葉市中に飛ばしてる『鳥』の一羽が録画した映像よ。……何度見ても不可解な奴なんだけど、何かの参考にはなると思うわ」
映像は夜空を効果していくところから始まっていた。遠くに見える明かりは夜の朝葉市で、降下していく先は市街地の郊外に広がる里山周辺の森林のようだ。
鳥人形が手頃な気に止まり、視線をある一箇所に固定する。
本来なら人が通れる道もなく、木々が生い茂っているはずの一画が、まるで大型の建設機械の一団が暴れまわったかのように荒れ果てていた。木々は圧し折れ、ひび割れ、切り倒され、地面は地下で幾つもの爆弾を爆発させたかのようにかき回されている。
そんな惨状の向こう側、崖の淵に一人の男が立っていた。
金髪の巻き毛に、筋肉と造形美が見事なバランスで両立した長身の美男。上半身の大部分を露出した軽装は古代ローマの
不意に男が振り返り、鳥人形と視線を合わせた。
『おや、観客か。残念ながら一足遅かったな。今宵の対戦相手は既に立ち去ってしまったよ』
男は凄惨な戦いの痕跡ととは似合わない、にこやかな笑顔を浮かべた。
『ライダーと余の死闘、是非とも観賞して頂きたかったのだが。無観客試合ほど興醒めするものはないからな』
映像を眺めながら、亜蓮は軽く眉をひそめた。
風体の異様さ以上におかしな発言だ。通常、サーヴァントはここぞという時まで己の能力を秘匿する。能力の露呈は、単純に手の内を知られて不利になるだけでなく、真名の発覚にも繋がるからだ。自身の戦いを第三者に見せたがるなど真っ当なサーヴァントのすることではない。
例外があるとすれば、あえて性能を知らしめることで真価を発揮する特殊能力の類か、自己顕示欲が強くなおかつ精神的に破綻したサーヴァントくらいだろう。
なるほど確かに、黎花が『不可解な奴』と称したのも道理だ。
「鈴ヶ峰。こいつの能力は分かるか?」
「ご、ごめんなさい。視覚共有型じゃなくて映像記録型の人形だったから……マスターの透視力も及ばないの」
「そうか……」
だが、黎花が事前に言っていたとおり、多少の判断材料にはなりそうだ。
クラスが重複することはないため、少なくともバーサーカーとランサーではない。アサシンやキャスターの雰囲気でもなく、情報撹乱のための偽証でないと仮定するとライダーも除外できる。可能性が高いのはセイバーかアーチャー。いずれにしても三騎士だ。
もっとも、狂っていないバーサーカーという実例がすぐ側にいる以上、あの
『ではまた会おう。次こそは余の絶技を堪能してもらいたいものだ』
男の肉体が光の粒子になって消えていく。
にわかに映像が揺れたかと思うと、今度は破壊された森の一画を俯瞰する映像に変わった。鳥人形が飛行を再開したらしい。森の被害は甚大で、対軍規模の威力がぶつかり合ったとしか考えられない有り様だ。
――ふと、亜蓮は変わり果てた地形の一部に違和感を覚えた。
あのサーヴァントがいた場所の付近、先程まで崖だとばかり思っていた地形は、自然にできたものではないように見える。圧倒的な力で物理的に抉り抜かれ、地層を外気に晒しているのだ。
「……これが聖杯戦争の
映像が終わり、蛍光灯が室内を照らす。
亜蓮も聖杯戦争については可能な限りの下調べをしてきたつもりだったが、実際に戦いの爪痕を目の当たりにすると言葉もなかった。人目につかないよう戦うという原則も、神秘の隠匿のためだけではなく、無制限に暴れて街を破壊し尽くさないための配慮ではないかと思えてくる。
「のんびりしてる暇はないな……」
聖杯を獲得するつもりがなかろうと、他の参加者にとって亜蓮は紛れもなく競争相手のひとりだ。早いうちに今後の行動指針を決めて実行に移さなければ、本来の目的の達成も、バーサーカーという戦力を活かすこともできないまま、敗北して命を落とすことになりかねない。
「鈴ヶ峰。さっそくで悪いんだけど、ひとつ頼まれてくれないか」
「私にできることなら、何でも言って?」
黎花は心底嬉しそうだ。
正直なところ、黎花に借りを作ることには少なからぬ不安がある。それを盾に脅されるとまでは言わないが、亜蓮にとって不都合な形で活用されるおそれがあるのは否定できない。
だが、こればかりは亜蓮にはできないこと。
誰かの協力をが得られなかったなら、実行しようとすら思わなかったであろう選択肢。
「姉さん……いや、主催者の白銀継都に会いに行ってくれ。参加者として、出来るだけ情報を聞き出して欲しいんだ」
◇ ◇ ◇
同日、朝葉市某所。
商業地区の喧騒からも、住宅街の煩わしさからも切り離された静かな土地に、一件の大きな和風邸宅が佇んでいる。
住人の名は碓氷清政。現役時代に幾つもの会社を興し、現在も県内有数の資産家とされる人物だ。全ての会社を後継者に譲ってからは、故郷である朝葉市にひとり移り住み、通いの家政婦に家事一切を任せて安楽に暮らしているとされている。
子も孫もずっと前に独り立ちを済ませ、今や彼の家に子供が訪れることはない――これは近隣住民にとっては周知の事実だった。
ならば、床の間で手鏡を眺めるこの
「――――」
腰まで届く美しい黒髪。紅葉のように鮮やかな着物。
それよりも更に紅く深く
視線の先に在るのは、彼女の姿ではない別の風景を映した、古風な手鏡。
「見つけた――」
赫い瞳が鏡に映った風景を睨む。ただの人間がその視線を受けたなら、瞬く間に精神を砕かれるであろう濃度の殺意。掛け値なしの憎悪。
今にも立ち上がり、殺意の対象の元へ駆け出しそうな少女の背中に、温厚で柔らかな老人の声が投げかけられる。
「キャスター。あまり根を詰めすぎないようにな」
「……分かってる」
蝋燭の炎を吹き消すように、少女の殺意が息を潜める。
声の主――碓氷清政は、自ら汲んできた湯呑みを少女に渡し、自分も隣で湯呑みの茶を啜った。
一分前までの剣呑な空気はどこかへ消え去り、まるで祖父と孫のような穏やかな雰囲気が漂いはじめる。
それを破ったのは、やはり赫眼の少女――キャスターであった。
「今夜、行くから」
「ん」
「屋敷の結界は強くしておくけど、用心して。外にも出ないで」
「ん」
要件だけを素っ気なく言い放つキャスターに、一言にも満たない返事を返す清政。
清政は湯呑みの中身を一気に喉に流し込んでから、物憂げに目を細めた。
「そんなに会わなきゃならない相手なのかい」
キャスターの返答も、また簡潔。
「ええ。殺したいほど」