結局、バーサーカーが戻ってきたのはすっかり日も暮れた後だった。
亜蓮は探知結界の圏内にバーサーカーが入ってきたのを察知し、遠隔操作で玄関前の防衛用結界を緩めた。
マスターの傍らを丸一日留守にするサーヴァントなどそうはいないだろう。ランサーのように指示を受けて駆け回っているならまだしも、バーサーカーの場合は聖杯戦争の定石から掛け離れている。
――が、亜蓮はバーサーカーを非難するつもりなどなく、そもそも怒ってすらいなかった。
バーサーカーを召喚したとき、亜蓮は彼と約束した。聖杯を求めないという方針に同意する代わり、バーサーカーが会いたいと願う相手と遭遇した場合は、彼のやりたいことを最大限優先すると。
キャスターがその『腹を割って話したい相手』であるという確証は取れていないが、相まみえた際の反応からして可能性は高い。ならば文句を言う方が身勝手というものだ。
暫くすると、玄関のドアが開く音がした。
「……ん?」
どうやらバーサーカーはわざわざ玄関から入ってきたようだ。てっきり結界の緩いところを霊体化してすり抜けてくるとばかり思っていたのだが。亜蓮は玄関まで様子を見に行くことにした。
玄関先では、簡素な和装で長身の男が大きな紙袋を両手に抱えたまま、肘を使って扉を閉めようと躍起になっているところだった。
「……お前、何してんだ?」
ギャンブル帰りのダメ男か。そんな表現が喉元まで出掛かったが、どうにか堪える。
バーサーカーは亜蓮がいることに気がつくと、身振りで紙袋を片方持つよう要求してきた。亜蓮は呆れの表情を隠す努力すら放棄した。アレが偉大な英霊の現身であるという事実も忘れたいくらいだ。
「何なんだよ、この紙袋……うわっ、重!」
「いやな、途中で色々あったんだよ」
「色々って……」
亜蓮は両腕で抱えた紙袋の中を覗き込んだ。白菜大根数個の林檎に二リットル入りペットボトルの緑茶と飴飴飴飴飴……。その他諸々、商店街で売っていそうな品物のオンパレードだ。道理でやたらと重いはずである。
「……こんなに買ってきたのか? ていうか金はどうしたんだ」
「いんや、貰った。ほんと色々あったんだって」
荷物を運び込みながら、バーサーカーは今日一日の出来事を喋りだした。
キャスターの拠点を探しに街へ繰り出したものの、運の悪いことに――亜蓮に言わせれば当然の結果だが――成果を上げることはできなかった。
そうやって街を歩き回っている間、バーサーカーは事あるごとに人助けをしていたらしい。
本人としては、目の前で困っていたから何となく手を貸しただけだそうだが、助けた相手や世話焼きな第三者からお礼の品を渡され続け、気が付いたらこんな大荷物になっていたのだという。
それを聞いた亜蓮は呆れと関心で何も言えなくなった。秩序・善という属性の成せる技なのか、それともこのサーヴァントが特別お人好しなのか。
「こんなのも貰っちまったぜ」
バーサーカーは嬉しげに小さなお守りを見せてきた。どんなご利益を謳ったお守りかは知らないが、麻葉美和神社という社名が刺繍されている。
「はぁ。美和、神社ね」
「
「……詳しいんだな」
考えてみれば、このサーヴァントが生きた時代は西暦一〇〇〇年前後だ。神仏に関する知識は現代よりも遥かに一般常識だったのだろう。それこそ子供でも有名どころは知っているほどに。
予想通りの一面と以外な一面をまとめて見せられた気分だ。
バーサーカーが貰ってきた食品を冷蔵庫にしまいながら、亜蓮はふと肝心な用件を忘れていたことに気が付いた。
「ほら、これ」
ずっしりと重みのある袋をバーサーカーに押し付ける。怪訝そうに袋を開いたバーサーカーだったが、中身を見るなり喜色満面。欲しかった玩具を貰った子供のようにはしゃぎだした。
「うおぉ、凄ぇ! ホントに作れたのか! ゴールデン過ぎだろ!」
袋の中身は地下室で錬成した金の装飾品の数々と、バーサーカーの体格に合わせた現代衣装一式。全て作るのに半日使い潰した産物だ。
特に装飾品は、作り始めたら妙に気が乗ってしまい、
「お前の霊体に機能と性質を転写して作ったから、普段の装備と同じ感覚で霊体化させられるはず――」
「最っ高だぜマスター!」
「――ぐえっ!」
思いっきり抱き寄せられ、背中をバンバンと叩かれる。亜蓮はヒグマにじゃれつかれた犠牲者のように肺から空気を吐き出した。筋力Aオーバーのバーサーカーの喜びと親愛の表現は、ただの人間には破壊力があり過ぎる。
いい加減に助けてくれと令呪で命じたくなった頃になって、亜蓮はようやく剛腕と胸板から解放された。
「それじゃさっそく……」
「げほ……っておい! 玄関先で着替えんな!」
咳き込みながらもバーサーカーを空き部屋に押し込める。
外から扉を閉め、疲労感を込めて深々と息を吐く。
「それにしても、まさか
修得
そもそも、一子相伝が基本原則の魔術師の家系において、魔術刻印を継がないことが確定した二人目の子供が
「どうだ、マスター。似合ってるだろ」
扉が勢い良く開け放たれ、着替えを終えたバーサーカーが現れる。
鋭利な襟と袖のワイシャツにスマートなシルエットのロングパンツ。視線を覆い隠すサングラス。ゴールドアクセサリーの数々は予備のつもりで作った分まで身につけていて、首周りから腰回り、両手に至るまでとにかくゴールデン。
どこからどう見ても堅気には見えない格好だが、奇妙なことに、本当に不思議なことに、バーサーカーにはよく似合っていた。
「似合ってるっていうか、今までその格好じゃなかったのが不思議なくらいだ」
亜蓮は心の底からそう思っていた。今までの装束の方が何かの間違いで、こちらの服装こそがバーサーカーの真の姿だと言われても違和感がまるでない。
「だろ? ゴールデンって呼んでもいいんだぜ」
「ゴールデンは形容詞だろ」
お礼のつもりなのか、バーサーカーは先ほどのお守りを亜蓮のポケットにねじ込んだ。
悪い意味ではなく、子供のような喜びようだ。こんなに上機嫌なのを見せられたら、とてもじゃないが訊けなくなってしまう。
腹を割って話したかった相手とは茨木童子のことなのかだなんて――
◇ ◇ ◇
「――鈴ヶ峰? まだ
バーサーカーに衣装とアクセサリーを渡した後、亜蓮は屋敷の廊下で黎花とばったり出くわした。
腕時計の作成に手を貸して貰ったのを最後に姿を見なくなっていたので、てっきり自分の拠点に戻ったものだとばかり思っていた。もちろん、黎花がここにいることを咎めるつもりはない。成り行きとはいえ屋敷の清掃をさせてしまった上、野暮用の手伝いまでしてもらったのだから。
ただ、それはそれとして。
髪をしっとりと湿らせた風呂あがりの姿なのはどうしてなのか、気になって仕方がなかった。
「あ。シャワー借りちゃったけど、ダメだったかな。汗かいちゃったから……」
「いや、別にいいっていうか、むしろこっちから使ってくれって言わなきゃいけないくらいだけど……」
右に黒水晶、左に白水晶――通常の透明な水晶の義眼を嵌めた両眼が不思議そうに瞬きをする。
亜蓮は黎花の頭から足までまじまじと視線を動かした。
寝間着だ。より正確にはパジャマだ。風呂あがりの格好としては自然だが、どう見ても外にでる格好ではない。ハッキリ言えば、これから自分の拠点に帰るつもりが感じられない服装だった。
視線が不躾過ぎたのか、黎花は軽く身を捩りながら後ずさった。
「……あ、あの」
「と、悪い。変なことは考えてないから」
「……だよね……」
黎花は小声で何事か呟いた。
亜蓮がその反応を訝しがっていると、風呂場の方から扉の開く音がした。
「黎花殿。シャワーとやらもいいものでした!」
ランサーだ。こちらは服装こそ普段通りだったが、湯気の立ちそうな濡れた髪をタオルでわしわしと拭っているその様は、誰がどう見ても二人目の風呂あがり。
「おいそこのサーヴァント」
「わひゃっ、白銀殿!? せ、拙者、黎花殿に勧められましてからにゆえ!」
まだ何も責められていないのに、ランサーは勝手に弁解を始めた。文法が滅茶苦茶になっている辺り、勝手に風呂場を借りたことへの後ろめたさを感じてはいるようだ。
「まだ何も言ってないって。というか、サーヴァントも風呂に入るのか」
「ええ、その、霊体化すれば汚れも髪の痛みも初期化されるのですが、現代風に表現するなら精神衛生上の問題と申しますか。身体を洗い清めるという行為そのものがないと満足できないと申しますか」
女性らしいというか、バーサーカーには期待できそうにない価値観だ。
ランサーの真名は未だ伏せられたままだが、長尾景虎を名乗るということは室町時代か戦国時代の英霊だと推測できる。確かあの時代には蒸し風呂や掛け湯といった入浴習慣が広まっていたはずだ。きっと生前にもそういう設備を愛用していたのだろう。
「言ってくれたら風呂くらい貸すからさ。それはいいんだけど……」
亜蓮はランサーから黎花へゆっくり視線を移した。
「ひょっとして、鈴ヶ峰はうちで寝るつもりなのか?」
「大丈夫よ。着替えは持ってきてるから」
「そういうことじゃなくてだな!?」
何という用意周到さ。一体いつから準備を済ませていたというのか。放っておいたら、黎花は際限なく亜蓮の生活に混ざり込んできそうだ。まるで既成事実を一つ一つ積み重ねていくかのごとく。
「あれ? 亜蓮君、それ……」
不意に、黎花が亜蓮のズボンのポケットに視線を落とした。左眼の白水晶の義眼が淡い魔力の光を帯びている。
「これか? バーサーカーがどっかで貰ってきたんだとさ」
「ちょっと見せて」
「……? いいけど」
三輪神社のお守りを渡すと、黎花は前髪の左側をかき上げて、白水晶の瞳で観察し始めた。その眼差しは真剣そのもので、まるで危険物を検めているかのようだ。
「やっぱり。これ、物凄く簡易だけど魔術品みたいね」
「なんだって!」
「大したものじゃないわ。どういう効果かは詳しく分析してみないと分からないけど……どうする?」
今すぐお守りの正体を調べるか否か。
亜蓮は少し考えてから小さく首を縦に振った。
「頼めるか? 俺はお守りの出処を探るから」
黎花にそう伝えつつ、念話でバーサーカーを呼ぶ。すぐには来ないだろうと思っていたが、意外と近くにいたらしく、すぐにひょっこりと顔を出した。
ゴールドで着飾った現代衣装を目の当たりにしたランサーが目を丸くする。
「バーサーカー。このお守り、どこで誰から貰ったんだ?」
「さぁ? 名前なんてわざわざ聞いてねぇからな。貰ったのは確か……なんらた病院とかいうデカい建物の近くだったか」
「病院か。分かった」
亜蓮は館に持ち込んだ荷物の中から朝葉市の地図を引っ張りだし、リビングのテーブルに広げた。地図上の比較的大きな病院に赤いサインペンで印を付け、続いてお守りの販売元と思われる『美和神社』を探した。
朝葉市内にはいくつも神社があったが、美和神社の名を冠しているのは一つだけだった。
「おいおい、どうしたんだ急に」
「そのお守り、どうやら簡易な魔術品だったらしい」
事態を飲み込めていないバーサーカーに簡潔な説明をする。亜蓮は麻葉美和神社の位置と近隣の病院を絞り込んでから、バーサーカーに印付きの地図を見せた。
「お守りを貰ったのはどこの病院か、思い出せるか?」
「んん? ……ああ、これだこれ。赤い十字が目立ってたな」
バーサーカーが指したのは朝葉赤十字病院という病院であった。市内に存在する病院の中で、最も麻葉三輪神社に近い施設だ。ここまで条件が重なったのは偶然とは思えない。
「……あー、いまいち状況が分かんねーけど、聖杯戦争に関係ありそうなのか?」
「当然。そのお守りを作ったのは十中八九魔術師だ。聖杯戦争の戦場にいる魔術師はマスターの可能性が高い。決めつけるわけじゃないけど、警戒しておくに越したことはないさ」
実のところ、亜蓮はこの神社の関係者がマスターである可能性は五割前後だと推測していた。
確たる願いを持たないはずの自分がマスターに選ばれたということは、マスター候補が不足していて選定のハードルが下がったことを意味している。つまり、朝葉市在住の魔術師のうち、聖杯戦争が始まっても避難しなかった魔術師が優先的にマスターに選ばれた上で、不足分を補う数合わせとして自分が選ばれたという顛末のはず――亜蓮はそう考えている。
この推測通りのパターンの可能性が五割。
残り五割の可能性は、お守りが流通したのが聖杯戦争開始以前で、魔術師本人が一時退去した後に、それを入手していた一般人がバーサーカーに譲ったというパターンだ。あまり褒められたものではないが、神社を表向きの生業とする魔術師なら、ご利益に沿った効果の魔術品をお守りに仕込んで評判の向上を目論んだとしても不思議はない。
どちらが正しいか確信するには証拠が足りない。せめてお守りに仕込まれていた術式の種類でも分かれば――
そう考えていたところに、お守りの解析をしていた黎花が戻ってきた。
「亜蓮君。お守りの解析、終わったわよ」
「もう出来たのか? 早いな」
「本当にシンプル極まりなかったもの。仕込んであったのは警戒用の術式だったわ。これを持った相手が術者に近付くと、その事実が術者に伝わるっていうだけの代物ね。要するに発信機。単純でしょ?」
「……決まりだな」
こんなものを一般人に渡す意味はない。恐らく、バーサーカーにお守りを渡したという相手は、魔術師の関係者かあるいは魔術師本人だ。猫の首に鈴を付ける説話のように、敵陣営との不慮の接触を防ぐ策を打ったつもりなのだろう。
魔術師の策としては酷くお粗末だが、このまま放置しておくわけにもいかない。せめて魔術師の素性くらいは知っておかなければ。
「バーサーカー。明日はこの神社に行ってみようと思う。付いてきてくれるか」