マダム・マルキンの洋装店で制服を買ってこいと言われ、ハリーは店に押し込まれた。一緒に来たハグリッドの気質はここまでの道中で少しは分かっている――ハリーをわざと置いていくようなことはあるまいが、うっかり置き去りにすることはありそうだ――ので、外の人混みに消える背中をじっと見て特徴を覚える。巨人みたいにデカくて体格が良くて、濃い枯れ草の髪に髭面。あれだけ目立つ見た目だ、人に聞けばすぐ分かるだろう。
「ホグワーツの新入生ね? こっちへどうぞ!」
この時期は新入生ラッシュだからなのか、店員はハリーを見た瞬間そう断定して採寸台へ登らせる。
ハリーの登らされた台の隣にはやはり同じような台があり、宙を浮かぶメジャーにあちこち測られている少年が立っていた。つんと尖った顎やぴっちりと整えられた髪型からは神経質そうな印象を受けるが、目つきは穏やかだ。話しかけようと口をハリーは口を開きかけ――少年がハリーの方へ向いた。
「君、ホグワーツの新入生かい?」
「あ、ウン……君もだよね?」
「もちろんさ」
少年の声はハキハキとして良く通った。ハリーと比べて彼の胸板は倍ほど厚い――鍛えているのだろうが、ハリーが細すぎるという理由もあろう。
「僕はスリザリンに入ると決めているんだ。兄がいてね、一緒に鍛錬すると約束しているのさ。君はどの寮に入りたいと思っているんだい?」
「……あー」
「スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフ、グリフィンドール……それぞれどの寮も魅力的だが、もしまだ決めていないならスリザリンに入ると良い」
「ええと」
ハリーは言葉に詰まった。ホグワーツに四つの寮があることを今ここで知ったばかりだ、どれが良いかなど分からない。
「僕――そうだ、君のお兄さんはスリザリンのどんな話をしてくれるの?」
「スリザリンの話を聞きたいのかい? スリザリンの素晴らしい話はたくさんある。ただ残念ながら、その話をするには採寸の時間じゃあまるで足りない……。端的にまとめよう、スリザリンは仲間との繋がりが一番強固な寮さ」
「ふうん」
「他の寮もそれぞれ特色があり、好みや向き不向きがある。それについては君の引率の先生から聞くといい。僕が話すとスリザリン贔屓になってしまうからね」
「あー……君、僕が、ええと……魔法界のことを知らないってわかってたの?」
「親へ聞こう」ではなく「引率の先生へ聞こう」という言葉に、ハリーは目を丸くして少年の顔を見る。少年が穏やかな目をしているから気負わず聞くことができた。
「そりゃそうさ。魔法界で育ったなら、どの寮に入りたいかなんて質問にはすぐ答えられるものだよ。さて、君の採寸は終わったみたいだ――スリザリンに入ったら是非仲良くしてくれたまえよ」
店員がハリーに「終わりましたよ、坊っちゃん」と台から下りるよう促したが、少年はまだ台に乗ってあちこち測られている。ハリーより先にいたのに。
台から下りれば、ハリーの身長やら腕周りやらを書き込んだ表を持った店員が、日付と番号と名前の書かれた半券をくれた。ここで買った制服はホグワーツに届けてもらえるそうだ。
「……あの、彼の採寸はまだ終わらないの?」
店員は少年を見ると「ああ」と言って頷いた。
「あの坊っちゃんはドレスローブもお作りになるのでまだまだ終わりませんよ。奥様がお戻りになったらデザイン選びもありますからね」
「……そうなんだ」
指の長さまで測られている少年を何度も振り返りながら、ハリーはマダム・マルキンの店を出てハグリッドに合流する。
名乗ればよかったろうか? そう考えるも、漏れ鍋で囲まれたことを思うと名乗りづらく、ハリーが名乗ることも相手に名前を聞くこともできないままになってしまった。それがとても残念だ。
「ねえ、ハグリッド。ホグワーツの寮って自分で選べるの?」
「ありゃ、教えちょらんかったか。ホグワーツの寮は――」
ハグリッドは四つの寮について、「勇気がある」グリフィンドール、「奇人が多い」レイブンクロー、「我慢強い」ハッフルパフ、「陰湿で陰険な」スリザリンと説明した。学校の職員がそんな偏見に満ちた説明をしていいのだろうか?
スリザリンのことを「陰湿で陰険」だとハグリッドは言うけれど、あの少年はハリーの知る誰よりも穏やかで親切な人だった。ダドリー軍団やヒステリックな教師なんかよりよほど性格が良かった。余裕があるというか、泰然としているというか……そう、ゴリラみたいな目をしていたのだ。彼は動物園で見た森の賢者にそっくりだった。
彼がスリザリンを勧めるなら自分もスリザリンに入りたいとハリーは考えたが、ハグリッドはグリフィンドールに入ってほしいと言う。
「お前さんの親はどっちともグリフィンドールだったんだ、ハリー。お前さんのお父さんは頭が良くて、クィディッチっちゅうスポーツも抜群にできた。お母さんは学年で一二を争う才女でな、学年末の成績発表じゃあいっつも片手の指に入っちょった」
人の流れを邪魔しないよう端に寄ってミートパイにかぶりつきながらハグリッドはそんな話をする。あまりに美味しそうな匂いをさせていたため衝動的に買ったのだが、買って正解だったらしい。
パイくずを手のひらに乗せてフクロウ――ヘドウィグに差し出せば、柔らかく啄まれた。
「じゃあ僕は、お母さんたちと同じ寮に……グリフィンドールに入ることになるの? 必ず?」
「必ずってわけじゃあねぇ。寮は本人の資質や希望で決まるもんだ……が、代々同じ寮に入る一家っちゅうのもいる。ハリー、お前さんが入るのはグリフィンドールがええと思うぞ」
「ふうん」
目の前を通り過ぎていくカラフルな人混みに、ハリーと同じ年頃の少年や少女を何人も見かけた。彼らはみんな杖や鍋やフクロウの入ったカゴなどを手に持っていて、頬を喜びに染めて飛び跳ねながら歩いている。ハリーと同じ新一年生なのだろう。
親と別行動している子など一人もいない。
「制服の店で親切にしてくれた男の子がね、自分はスリザリンに入るって言ってたんだ」
「ふん、スリザリンにしてはマトモな奴がいるもんだな。だがな、いいかハリー、スリザリンは駄目だ。なんてったってあすこには――」
「だからね! 僕もスリザリンに入れたらなぁと思ったんだけど……お父さんもお母さんもグリフィンドールだったなら、僕もグリフィンドールがいいな」
少年は「スリザリンに入ったらよろしく」と言ったけれど、寮が別でも友達になれるはずだ。ハリーはパイを食べきり、ウンと頷いた。
ホグワーツで再会したら「僕と友達になって」って言うんだ、と。
++++
このホグワーツ特急にハリー・ポッターが乗っている。そんなニュースにパンジー・パーキンソンは「当たり前じゃない」と顎をそらした。
「私達と同い年なのよ? ホグワーツに来ないわけないでしょ」
どうせホグワーツに着けばイヤってくらい見ることになるのよと、ハリー・ポッター見学に行こうとする他の面々へパンジーはピシャリと言い放った。たしかにそうなのだが、彼らは十一歳だ。それで見に行くのを辞められるほどには自制心が育っていない。
ぞろぞろとコンパートメントから出る彼らを見送って、パンジーはため息をついた。窓の外には緑豊かな丘陵が遥か遠くまで続いており、時々思い出したように木立がぽつぽつとある。
「はあ……」
パンジーはため息をついた。車窓に映る自分の顔は物憂げに歪み、通り過ぎていく景色も秋めいて濃い色をしている。
今向かっているホグワーツはスコットランドにある。ブリテン島の南部にあるロンドンでも冬は冷えるのに、北部スコットランドの気温は更に低い。
つまり何が言いたいかといえば、外が寒いということだ。
入学前の最後の長期休暇を暖かい場所で過ごそうと、八月の後半、パンジーは家族全員でニシサツマ島に行った。
ニシサツマ島は暖かく住心地の良い島で、寒暖の差が小さく朝のつらい冷え込みがない。それだけでも素晴らしいのに、観光地区は広さが4キロ平米もあり見どころ満載で、ホテルの料理は芸術品のような見た目と美味しさの両方を兼ね備えている。一度は行きたい観光地ベストスリーに入るのも納得の素晴らしさだ。
一週間という滞在の間、パンジーは観光地区のあちこちを見て回った。足湯なる足用のプールで本を読んだり、熱帯植物園で花冠を作るワークショップに参加したり、海辺にある上陸記念碑で初代島長のナガヒサ・ウメモトの情熱的な恋物語を知ってときめいたり。下にも置かぬもてなしと魅力的な施設や逸話で、三日も経たぬ間に彼女はすっかりニシサツマ島が好きになった。
だが一週間など射掛けた矢のように過ぎる。そしてなによりパンジーはこの九月からホグワーツの一年生。帰宅したと思えばその数日後――それが今日だ――にはホグワーツ行き特急に押し込まれた。
コンパートメント内は暖かいがそれは暖房が効いているためで、気温が高いからではない。窓から見える景色はどの植物も冬支度を始めている。
寒いのだ。見ればわかる。寒いのだ。
ブリテン島の中でも特に寒い地域で七年も過ごしたいなど、どうして思えるだろう。指先に息を吹きかけ温めながらレポートを書けと言うつもりか? 石壁とタペストリーの間から忍び寄る寒さを、結露した窓ガラスの冷たさを、くるぶしを握りしめ背骨へ這い上がってくる冬の風を教員たちが知らないはずもないのに。
もっと暖かい土地に――そうとも、ニシサツマ島にホグワーツを移転させたらいいのに。
ニシサツマ島なら年中暖かいから冬に指先が凍傷になる心配がない。年間を通じて安定した気候で、話によれば雨の日でも凍えず外で遊べるそうだ。
スコットランドとはまさに天と地、月とスッポン、鯨と鰯。観光地区では誘惑が多くて駄目だというなら一般地区に建てれば問題ないだろう――ニシサツマ島は広いと聞いている。
まあ、ニシサツマ島でなくとも、スコットランドより暖かい地域ならどこでも良いのだ。未成年の氷漬けを量産する環境が嫌だというだけで、クイーンダムから脱出したいわけではない。ブリテン島内ならコーンウォール半島なんてどうだろう。
コーンウォールが駄目ならゴドリックの谷があるウェールズでもいい。スコットランドより暖かい場所ならばどこでも構わない。魔法族が隠している土地はあちこちにあるし、その中にはまとまった広い土地もあるはず。
魔法省が探せばいくらでも移転先が見つかるだろうに、依然としてホグワーツはスコットランドにあり続けている。おかしい。何かの意思が裏で糸を引いているのではないか?
悩むパンジーの頭に閃く光があった。
――そうだ、そうとも、魔法大臣やホグワーツの校長には子供を氷漬けにする趣味があるに違いない。なんせ冬の女王は男の子の心を凍らせたし、雪女なるモンスターは男の氷漬けをコレクションしているらしい。
わざわざ寒い場所に住み続けるのには
パンジーは校長や大臣の度し難い趣味に憤慨した。一人で勝手に凍えていればいいのに、と。
窓際から染み込む冷気にぶるりと体を震わせ、パンジーは気温も人の心も暖かかったニシサツマに思いを馳せる。観光地区のあちこちを案内してくれた、一般地区の男の子たち。そのうちの一人はパンジーと同い年ながら大人びていて、とても格好良かった――一昨年の社交界デビューで顔見知りになったゴイルやザビニたちとは大違いだ。ゴイルはお菓子のことしか頭にないし、ザビニはママの再婚相手がママを幸せにできるかしか頭にない。
「また会いたいな、ドラ公さん……」
パンジーは窓ガラスに額を押し付け、丘の先に目を向ける。
「ニシサツマ島のドラ公様宛て」でふくろう便が届くだろうか。パンジーはもう一度ため息をついて、目を閉じた。