鬼神と呼ばれた男 作:鬼人
ゴア王国の大火から二年。
15歳になったギンである。
13歳の頃の削ぎ落とされたような痩せぎすな肉体は影を潜め、二年間におよぶ過酷な自主鍛錬と大自然との闘いによって、その骨格は一回りも二回りも強靭に肥大化していた。引き締まった背筋には鬼の如き筋繊維が浮き上がり、二本の鉄球トンファーは、もはや皮膚の一部であるかのようにその両腕にしっくりと馴染んでいる。
(……できた)
ギンはトンファーの柄を握り締め、目の前に聳え立つ全長十メートルを超える巨岩を見据えた。
深く息を吐き出し、丹田に意識を集中させる。脚の踏み込み、腰の回転、肩の引き、そして腕からトンファーへと繋がる力の伝達――それら全てのエネルギーを、先端の鉄球の一点へと集約させる。
「――
ドゴォン……ッ!!
凄まじい衝撃音が島中に響き渡った。
だが、巨岩の表面にはかすり傷一つついていない。表面を破壊するような派手な打撃ではないからだ。
一瞬の静寂の後――パキ、と甲高い亀裂の音が響き、巨岩の裏側から拳大の岩片が勢いよく弾け飛んだ。続いて、巨岩の内部全体に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、内側から瓦解するようにガラガラと崩れ落ちていく。
「ふぅ……」
ギンはトンファーを収め、汗を拭った。
二年の歳月をかけて、ついに内部破壊の基礎を己の肉体に叩き落とした。外側の装甲を無視し、内臓や骨、構造体の内側を直接破壊する打撃。悪魔の実の能力を持たない人間が、この苛烈な海で生き抜くための絶対的な牙だ。
「そろそろ、海に出るか」
ギンは無人島の海岸に打ち上げられていた小型の帆船を見つめた。
ただ生き延びるための修行は終わった。ここからは、己の足で仲間を集め、東の海の修羅場を駆け抜け、「鬼神海賊団」としての基盤を築く刻だ。
数週間後。東の海でも屈指の荒くれ者が集まる無法者の港町。
潮風と安酒の臭いが漂う酒場の扉を押し開けると、店内の一角で大きな騒ぎが起きていた。
「ハハハハ! おいおい、この『鉄壁のパール様』の装甲に傷一つつけられる奴はいねぇのか!?」
酒場の中央で、全身を分厚い鉄板の防具で固め、両手に巨大な丸盾を装着した巨大な男が居座っていた。足元には、血を流して転がる数人の海賊や賞金首たちが転がっている。
まだクリーク海賊団傘下に入る前の、15歳歳のパールであった。
「ちくしょう……! なんだあの鉄くず野郎、攻撃がまるで通じねぇ!」
「あいつの鉄壁は伊達じゃねぇぞ! 銃弾すら弾き返しやがる!」
周囲の荒くれどもが恐怖に慄く中、パールは胸を張り、大口を開けて高笑いしていた。
「無駄無駄! 俺の防御は世界一! 過去の闘いでも血一滴流したことがねぇんだ! この鉄壁を破れる奴がいるなら連れてきやがれ!」
自信過剰でプライドの塊のようなその姿。
ギンはカウンターの隅に腰掛け、注文した酒を静かに煽りながら、パールの全身の防具と体の使い方を観察していた。
(なるほど……分厚い鉄板と盾で身を固め、相手の攻撃を完封してから力任せに押し潰すスタイルか。確かに東の海の有象無象相手なら無敵だろうが、今のままじゃただの重装甲の張子の虎だな)
だが、ギンの目はパールの素質を見抜いていた。
あの巨体を支える下半身の粘り、重い鉄具を軽々と振り回す腕力、秩序なき暴力が吹き荒れる海で「絶対に攻撃を通させない」という異常なまでの防御への執着。叩き直せば、鬼神海賊団の最高の「盾」兼「重装甲アタッカー」になる。
グラスを静かに置いたギンは、椅子から立ち上がり、ゆっくりとパールの方へと歩を進めた。
「おい、鉄くず」
静かだが、酒場の喧騒を切り裂くような低い声が響いた。
パールが眉をひそめ、ギンを見下ろす。
「あァ? なんだお前は。見ねぇツラだな……ガキが俺に何の用だ?」
「血一滴流したことがない、だったか。随分と気楽なおままごとをしてきたようだな」
ギンの冷ややかな言葉に、酒場全体が静まり返った。
パールの顔から余裕の笑みが消え、怒りで真っ赤に染まっていく。
「んだと……!? 俺の『鉄壁』をバカにしやがったな! 後悔しても遅ぇぞ、骨も残さねぇくらいに叩き潰してやる!」
パールが巨大な鉄盾を前方に構え、地響きを立てながらギンへ向かって突進を開始した。
その圧倒的な質量と突進力は、木造の酒場の床をバリバリと破壊していく。周囲の海賊たちが「逃げろ! 潰されるぞ!」と悲鳴を上げた。
しかし、ギンは一歩も引かない。
トンファーの柄を握り、静かに腰を落とす。
「来い」
「死ねぇぇッ! 『鉄壁アタック』!!」
巨大な鉄の壁が、ギンの目の前に迫る。
打撃が衝突する直前――ギンは右足を踏み込み、パールの突進の勢いを寸前で殺さず、あえてその正面から右の鉄球トンファーを叩きつけた。
狙うは、パールの持つ最も分厚い正面の鉄盾。
「――
ズドォォン……ッ!!
激しい金属音が店内に響き渡った。
パールは自分の盾がギンの鉄球を受け止めたのを確認し、ニヤリと醜く歪んだ笑みを浮かべた。
「ハッ! 愚か者が! 俺の盾に打撃など――」
だが、言葉は最後まで続かなかった。
(な……んだ……!?)
パールの目が見開かれる。
ギンの鉄球は、パールの盾を破壊してはいない。だが、衝撃が盾を通り抜け、それを保持するパールの両腕の骨、そして胸板の奥にある内臓へと“波”となって直接突き抜けた。
ゴフッ……!!
パールの口から、大量の血が吐き出された。
外側の鉄壁は何の傷も負っていない。しかし、その内部でパールの筋肉と内臓が凄まじい衝撃波によって破壊されていた。
「ガハッ……!? あ、足が……内側が……燃えるように……!?」
巨体が崩れ落ち、膝を折るパール。
血を流したことすらなかった男が、生まれて初めて経験する内部からの激痛に、恐怖で全身を震わせた。
ギンはトンファーを構え直すことなく、冷ややかな視線でパールを見下ろす。
「分厚い鉄で覆えば安全だと思ったか? 外側をいくら固めようが、お前の皮膚や肉体はただの生身だ。衝撃は通り抜ける」
「お、お前……一体、何を……!?」
パールは血を吐きながら、信じられないという目でギンを見上げた。
自分のプライドであり、絶対の誇りであった「鉄壁」が、目の前の同年代に見える少年のたった一撃で、内側から崩壊させられたのだ。
ギンは手を差し伸べるでもなく、静かに告げた。
「お前の『鉄壁』の執着心は悪くない。だが、道具に頼って己の肉体と覚悟を磨かねぇなら、ただの動く標的だ。……どうだパール。俺の船に来い」
「……あ?」
「お前のその鉄壁を、本物の『誰も破れねぇ最強の盾』に鍛え直してやる。俺と一緒に、この甘っちょろい東の海を飛び越える覚悟があるなら……立ち上がれ」
酒場の中は静寂に包まれていた。
パールは自分の血で汚れた手を見つめ、それからギンの底知れない瞳を見つめ返した。
激痛と敗北感。しかし、それ以上にパールの胸を突いたのは、自分の「防御」を否定せず、さらにその先へ引き上げようとするギンの圧倒的な強さとカリスマだった。
「……クソが」
パールは荒い息を吐きながら、激痛に耐えてゆっくりと立ち上がった。
「血が出ちまった……恥ずかしくて死にそうだぜ。……だが、負けたままじゃもっと恥ずかしい。乗ってやるよ、お前の船に!」
こうして、15歳のギンのもとに、最初の仲間である「鉄壁」パールが加わった。
「鬼神海賊団」結成へ向けた最初の一歩が、東の海の小さな酒場から踏み出されたのだった。