鬼神と呼ばれた男 作:鬼人
二人の少年と出会ってから、さらに数日の月日が流れた。
俺はグレイ・ターミナル(不確定物終着駅)の境界線に近い、海岸沿いの崖にぽっかりと口を開けた小さな洞窟を拠点とし、連日連夜の過酷な修行を継続していた。
ゴア王国から吐き出される大量のゴミの山には、腐りかけた食料の残飯から錆びついた鉄くず、壊れた道具まであらゆるものが無造作に捨てられている。
時折、俺の存在を危険視したブルージャム海賊団の無法者たちが、大人数で囲み取材のように襲撃してきたが、そのたびに二本のトンファーで完膚なきまでに返り討ちにしてやった。
その噂は瞬く間にゴミ山全体へと広がり、「東の浜辺には、鉄球を振り回す恐ろしいガキがいる」と囁かれ、いつしか誰も俺の領域へ近寄らなくなっていた。
「ふぅーっ……ふぅーっ……ふぅーっ……!」
夕湿りする波打ち際に固く立ち割り、俺は二本のトンファーを高速で旋回させ続けていた。
先端の重密な鉄球が空気を切り裂く重低音が、ブウン、ブウンと連続して海鳴りのように響き渡る。
実戦での揉み合いを経験したことで、手首の返し、肘の押し引き、そして体幹を用いた遠心力の制御が、確実に俺の血肉となりつつあった。
だが、まだ到底満足などできない。
この広大な世界で勝ち残り、頂点を目指す強者たちと渡り合うには、より速く、より重く、圧倒的な破壊力と精密さを手に入れなければならないのだ。
(……そろそろ、刻限か)
俺は旋回をピタリと止め、汗をぬぐいながらトンファーを腰のベルトへと収めた。
ここ数日、この場所を包む空気の雰囲気が明らかに変質していた。
高台の白い壁の向こう――王族や貴族たちが優雅に暮らす中心街の方向から、気味の悪いほどの静寂が漂ってきている。
そして何より、グレイ・ターミナルの各地で、ブルージャムの部下たちがコソコソと妙な怪しい動きを見せ始めていた。
黒い樽に入った大量の火薬や、臭うような油が入った壺を、ゴミ山のあちこちの物陰に運び込んでいるのだ。
「おい、これ本当に全部の場所に仕掛けるのかよ?」
「余計な口を挟むな! 上からの直々の命令だぞ。これを指示通り全部設置すれば、俺たちも貴族の仲間入りができるって話だ!」
積まれたガラクタの影に潜み、気配を消していた俺の耳に、男たちの浅はかな下品な笑い声が聞こえてくる。
(貴族の仲間入りだと……? ハッ、おめでたい頭をしてやがる)
俺は闇の中から、吐き気を催すような冷ややかな目で男たちを見つめた。
用が済めば、口封じのために真っ先に裏切られ、炎の中に投げ込まれて捨てられるとも知らずに、男たちは手柄に目をくらませて必死で火薬を仕掛け続けている。
ゴア王国の愚かな貴族たちは、世界貴族(天竜人)の訪問を迎えるにあたり、この国の「恥」であり「汚点」であるグレイ・ターミナルを、そこに生きる住民や住処ごと、すべて焼き払って隠蔽する気なのだ。
(どこまでも狂っている……だが、これがこの世界の『現実』なんだ)
胸の奥底で、ドロドロとした冷たい怒りの炎がフツフツと湧き上がってくるのを感じた。
いまの俺の力では、この計画のすべてを未然に防ぎ止めることなど不可能だ。
国中の兵士やブルージャム海賊団の全戦力を相手に、たった一人で正面突破を挑めば、どれだけ前世の知識があろうと返り討ちに遭い、俺自身が焼け死ぬだけだ。
だが――指をくわえて黙って歴史を眺めているつもりも毛頭なかった。
「……! 誰だ!?」
背後の茂みから微かに草を踏みつける音が聞こえた瞬間、俺は電光石火の速さで腰のトンファーの柄へと手を伸ばした。
「うわっ、待て待て! 俺だ、俺だよギン!」
ゴミの山から飛び出してきたのは、息を切らした金髪の少年――サボだった。
手にはお気に入りの大きな鉄パイプを強く握りしめているが、その整った顔立ちには、尋常ではない強い焦りと動揺が色濃く浮かんでいた。
「……サボか。一人でこんなところで何をしている?」
「ギン! お前、もう知ってるのか!? この街の奴らが……ブルージャムたちが、何か取り返しのつかない恐ろしいことを企んでるんだ!」
サボは激しく肩を上下させながら、俺の着物の胸元に詰め寄るように叫んだ。
「街中に大量の火薬と油が仕掛けられてる……! このままだと、今夜にもグレイ・ターミナルが全部燃やされちゃうんだよ! ここにいる人たちも、みんな焼き殺されちまう! エースやルフィにも早く伝えないと……!」
サボの瞳は、どこまでも澄んでいて、まっすぐで、優しかった。
腐敗した貴族の家に生まれながら、その地位を捨て、このゴミの街でたくましく生きる人々を本気で心配し、救おうとしている。
(やっぱり、お前はどこまでも真っ当で、眩しい奴だよ……)
俺は深く息を吐き出し、サボの固く緊張した肩をぽんと力強くたたいた。
「落ち着け、サボ。お前がどれだけ取り乱しても、事態は一刻も変わらない」
「でも……! このままじゃ、ここにいるみんなが死んじゃうんだぞ!? お前だってここにいるのに!」
「分かってる。……だがなサボ、これはこの国のトップに立つ奴らが組織的に決めたことだ。お前一人がどれだけ叫んで暴れたところで、この巨大な企みを止めることはできない」
俺の冷酷とも取れる現実的な言葉に、サボは息をのんで言葉を失った。
「お前は……見捨てるっていうのかよ!? あんなに強い力を持ってるのに!」
「見捨てるわけじゃない」
俺は逃げずに、サボの葛藤に満ちた目を真っ直ぐに見つめ返した。
「俺は自分の命を投げ打ってまで他人を救うお人好しの聖者じゃない。……だがな、上の連中の身勝手な都合で理不尽に踏みにじられるのは、反吐が出るほど嫌いだ」
俺は腰のトンファーの鋼鉄の柄を、指関節が白くなるほど強く握りしめた。
「サボ。お前は今すぐエースたちのところへ戻れ。……俺は俺のやり方で、この地獄の結末をその目に焼き付けてやる」
「ギン……」
サボは何か言い返そうと唇を震わせたが、俺の眼光に宿る揺るぎない覚悟に圧され、悔しそうに歯を強く噛みしめた。
「……わかった! 俺はエースたちを助けに行って、できることをやる! お前も……絶対に死ぬなよ!」
サボは鉄パイプを強く抱え直し、風のように素早い動きでゴミの山を駆け上がっていった。
その小さくも逞しい背中を見送りながら、俺は不気味に静まりかえる暗い空を見上げた。
黒い死の煙が、もうすぐこの世界を覆い尽くす。
15歳の鬼人・ギンにとって、自らの足で歩む最初の試練が、ついに幕を開けようとしていた。