鬼神と呼ばれた男 作:鬼人
夜の静寂を暴力的に引き裂くように、ドゴォンッ、ドゴォンッという腹に響く凄まじい爆発音が、不確かな物の終着駅の広大な敷地全体に響き渡った。
一瞬の遅れののち、夜空を真っ赤に染め上げるほどの巨大な炎の柱がいくつも立ち上る。
無造作に積み上げられていた巨大なゴミの山々、そこに張り付くように建てられていた木造のボロ小屋、そしてそこに生きていた人々の暮らしのすべてが、まるで飢えた大蛇のような猛火の中に呑み込まれていった。
「火事だァーッ! 火事だァーッ! 誰か助けてくれぇーッ!」
「逃げろ! 早く海へ走れ! 街への大きな扉が閉じられているぞ!」
「開けてくれ! 頼む、開けてくれよ! 俺たちはここで焼き殺されちまう!」
「お母さん! お母さん、どこにいるの……!? 怖いよぉ……!」
阿鼻叫喚の絶叫、絶望的な悲鳴、そして親とはぐれた幼い子供たちの狂おしい泣き声。
ほんの数時間前まで、ただの
ゴア王国の王族や貴族たちが裏で計画した、悪魔のような隠蔽工作。
東の海で最も美しく高貴な国と称えられるこの国に、世界貴族である「天竜人」を迎えるにあたり、国の恥であり汚点とされる不確かな物の終着駅を、そこに生きる住人たちもろともゴミとして焼き払おうとする、凄惨極まりない大火事件が、ついに牙をむいたのだ。
狂乱する熱風と火の粉が舞い散る中、俺は水で濡らした頑丈なボロ布を鼻と口元にきつく巻きつけ、身を低くかがめながら炎の海の中を疾走していた。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
激しい熱気が肌を焼き、吸い込むたびに肺の奥が灼熱の針で刺されたように痛む。
視界のすべてが狂おしいまでの真っ赤に染まり、黒い濃煙が月明かりすら完全に覆い尽くしていた。
前世の知識として、この事件が起きることは知っていた。だが、こうして生身の肉体で渦中に立ち、皮膚で熱気を感じ、耳で人々の絶叫を聞くとなると、その生々しい凄惨さは想像を絶していた。
(狂ってやがる……! 自分の国を綺麗に見せたいっていう、たったそれだけの身勝手な理由で……これだけの数の人間をただのゴミみたいに焼き殺そうってのか……!)
胸の奥底から、ヘドロのような重苦しい怒りがフツフツと湧き上がってくる。
だが、俺はどれだけ怒りが燃え上がろうと、頭の先だけは氷のように冷たく冴え渡らせていた。ここで感情に任せて無計画に火の中へ飛び込めば、待っているのは犬死にという最悪の結末だけだ。
俺の最大の目的は、この地獄の中で生き残り、己の肉体と技を極限まで鍛え上げること。そして、この世界の理不尽さと身勝手さを骨の髄まで自分の胸に刻みつけることだ。
「助けて……お母さん……! お母さん……っ!」
突然、燃え盛る木造小屋の影から、ひときわ小さな女の子の泣き声が耳に届いた。
崩れ落ちてきた巨大な燃える木柱に足の骨を挟まれ、身動きが取れなくなった状態で、大量の火の粉が容赦なくその小さな身体へと降り注いでいる。
「チッ……!」
俺は迷うことなく派手に舌打ちをすると、一瞬で少女のもとへ踏み込んだ。
「どいてろ!」
腰のベルトから左のトンファーを引き抜き、右足で力強く足元のゴミを踏みしめる。
半年間の修羅場で練り上げた体重移動と手首の返し。重密な鋼鉄の球体を、燃え盛る巨大な木柱の側面へ向かって、下から突き上げるように叩きたたきつけた。
ガツンッ――!!
「ひゃあッ!?」
凄まじい打撃音とともに、大人が三人ががりで抱えるような重い木柱が粉々にはじけ飛び、爆風となって火の粉が夜空へと舞い散る。
俺は木くずが散る間髪入れずに左腕で少女の身体をしっかりと抱き抱えると、炎の隙間を縫うようにして再び猛烈に疾走を開始した。
「泣くな! 舌を噛むぞ!」
「う、うん……! お兄ちゃん……っ!」
煙の薄い海岸沿いの安全な砂浜へと辿り着き、泣きじゃくる少女を、逃げ惑う住人たちの群れの中へと力強く押し込んだ。
「ここなら火はすぐには来ない! 走れ!」
少女の背中を強く押し、俺は一秒の躊躇もなく、再び燃え盛る炎の地獄へと背を向けた。
(お人好しのヒーローになるつもりなんて毛頭ねぇ。……だがな、目の前で理不尽に死にかけてるガキを平然と見捨てて通り過ぎるほど、俺の心は腐っちゃいねぇんだよ!)
己の意思で腰のトンファーを強く握り直す。
その時、炎の奥深くから、怒号と金属が激しくぶつかり合う凄まじい殺陣の音が聞こえてきた。
「ブルージャム船長! 騙された……俺たちは貴族どもに騙されたんだ!」
「黙りやがれ! 街への巨大な扉を壊せ! 貴族の街へ破城槌を打ち込んで扉をこじ開けるんだよォ!」
ゴミの山の中央、炎に包まれた巨大な大門の前で、血みどろの激戦が繰り広げられていた。
ゴア王国の貴族たちに金で利用され、仕掛け終えた途端に用済みとして裏切られ、街への入場を拒まれたブルージャム海賊団。奴らは狂乱し、門を守る王国の兵士たちと醜い殺し合いを演じていた。
そして――その殺戮と炎の渦の中に、二人の小さな影があった。
「返せ! 俺たちの貯めた宝を返せ、ブルージャム!」
大きな鉄パイプを振るい、血を流しながら必死にブルージャムへ立ち向かう黒髪の少年――10歳のエース。
その横には、身体中に傷を負いながらも、必死でエースを援護しようとする幼いルフィの姿もあった。
(サボは……サボはもう街へ向かった後か……!)
原作の歴史通りなら、サボはこの国の腐敗と狂気に完全に絶望し、一人で海へ出ようとして天竜人の砲撃を受けることになる。
そして目の前では、エースとルフィが、追いつめられて理性を失ったブルージャムという凶悪な海賊の命狙いに晒されているのだ。
「死ねや、ガキどもがァ!!」
ブルージャムが顔を狂気に歪ませ、身の丈ほどもある大刀を高く振り上げ、傷ついて動けないエースに向かって容赦なく振り下ろそうとした、その瞬間――。
(させるかよ……ッ!!)
俺は全身の筋肉を極限まで跳ね上げ、爆発的な脚力で地面のゴミを強く蹴り飛ばした。
ブウンッ――!!
空気を切り裂く重苦しい重低音が、激しい炎の爆発音をかき消して周囲に響き渡る。
「ぬぁっ!?」
ガツンッ――!!
ブルージャムが振り下ろそうとした大刀の側面へ、俺の右のトンファーが正確無比に叩き込まれた。
凄まじい打撃の衝撃波が走り、ブルージャムの分厚い刀身が耐え切れずに半ばから真二つにへし折れる。
「な……なにぃっ!?」
驚愕に目を見開くブルージャムの前に、着物の袖を熱風になびかせた俺が静かに舞い降りた。
「……ギン!?」
地面に膝をついていたエースが、信じられないものを見たような顔で目を見開いて叫んだ。
「お前……なんでここに……!? 逃げたはずじゃなかったのかよ!?」
「言ったはずだぞ、エース」
俺は折れた大刀の破片を足元で踏みつけ、ガツンと重い音を立てながら、背後のエースとルフィへ向かって冷たく言い放った。
「この地獄の結末を……俺のやり方で見届けるってな」
二本の鋼鉄トンファーを低く構え、先端の重い鉄球をゆっくりと旋回させる。
対峙するブルージャムは、折れた刀の柄を投げ捨てると、顔を血走らせて腰の大型拳銃を引き抜いた。
「クソガキが……飛び入り参加か!? 邪魔する奴は、誰であろうと頭を撃ち抜いて細切れにしてやる!!」
「やってみろよ、三流海賊」
俺の全身から、半年間の地獄の修行で練り上げられた圧倒的な殺気が溢れ出す。
燃え盛る紅蓮の炎の中。
13歳の鬼人・ギンと、無法者ブルージャムとの命がけの死闘が、ついに幕を開けた。