鬼神と呼ばれた男   作:鬼人

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第九話:孤島の修行

ゴア王国を離れてから、どれほどの月日が流ただろうか。

 俺が乗り込んだ小さな木造船は、東の海の気まぐれな潮の流れに漂い、人知れず海上に孤立する小さな無人島へと漂着していた。

 島の中央には天を突くような険しい岩山がそびえ立ち、周囲には荒々しい波が打ち寄せる切り立った断崖絶壁が広がっている。人間が暮らす痕跡は一切なく、ただ風の吹き抜ける音と海鳥の鳴き声だけが支配する場所だった。

「つ、ついた……か……」

 船から砂浜へ倒れ込むようにして這い上がり、俺は大きく荒い息を吐き出した。

 全身を襲うのは、叫び出したくなるほどの猛烈な激痛だ。

 ブルージャムとの死闘で負った、左肩の削られた弾傷と、右脇腹を貫いた銃創。傷口は熱を持ち、とき折意識が白く跳んでしまいそうになるほどの猛烈な痛みが全身を駆け巡る。三日間、まともな手当てもできずに海を漂流していたせいで、傷口は化膿しかけており、甘ったるい血と汗の不快な臭いが漂っていた。

「くっ……カハッ……!」

 手持ちの古い布を口で噛んで引き裂き、固く傷口に巻きつけて縛り直す。

 さらに島の中に生えていた薬草らしき草を岩ですり潰し、生々しい傷口へ直接押し当てた。

「痛っ……! クッ……ふぅーっ……ふぅーっ……!」

 あまりの激痛に歯を強く噛み締め、全身の筋肉が強張る。

 口の中に熱い血の味が広がった。だが、この血の味と身を裂くような激痛こそが、俺が今生きている証であり、己の甘さを忘れないための刻印だった。

(ブルージャム……そして天竜人……)

 目を閉じると、あの日目撃した情景が鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。

 本物の海賊が放つ泥臭い殺意と、大人の圧倒的な肉体美。

 そして、ただそこにいたという理由だけで、自由に憧れた少年の乗った船を一瞬で粉々に打ち砕いた世界貴族の理不尽なまでの暴力。

(いまの俺は、あまりにも弱すぎる……!)

 俺は砂浜の冷たい砂を、爪が割れて血が滲むほど強く握りしめた。

 前世の知識があるからといって、自分は特別だとどこかで自惚れていたのだ。

 いくら修行のマネごとを積み重ねたところで、命を奪い合う本物の修羅場においては、一歩間違えれば一瞬で命を落とす。あのブルージャム戦だって、一撃のタイミングが狂っていれば死んでいたのは俺の方だった。

 強くならなければならない。

 誰にも踏みにじられず、己の意思で大海原を自由に生き抜くために。そしていつか、あの理不尽な世界の頂点に立つ者たちへ一撃をたたき込むために。

「ハッ……ハッ……ハッ……!」

 傷が癒えるまでの最初の数ヶ月は、まさに生と死の境目を彷徨う地獄のような時間の連続だった。

 高熱にうされながら洞窟の暗闇の中で横たわり、海鳥や野生の獣を石で叩き落として捕まえ、その生肉を喰らい、冷たい岩肌から滴り落ちる湧き水で乾きを癒す。

 13歳の若い肉体の回復力と、前世から受け継いだ強靭な精神力だけを頼りに、俺は死の淵から泥臭く這い上がっていった。

 ――そして、半年が過ぎた。

 傷口には分厚い赤い痕が残り、ようやく激しい運動に耐えられるまでに肉体が回復した。だが、長期間の静養で落ちた筋肉と感覚を取り戻すのは容易ではなかった。

「よし……始めるぞ」

 俺は腰のベルトから、二本の鋼鉄製トンファーを引き抜いた。

 潮風が吹き抜ける砂浜の上に固く立ち割り、足指でしっかりと湿った地面を掴む。

 これまでの修行は、ただ遠心力を利用して重い鉄球を振り回すだけの「力の技」だった。

 だが、ブルージャムとの死闘で痛感したのは、実戦においては相手も命がけで間合いを詰めてくるということだ。ただ力任せに振り回すだけでは、スピードのある敵に懐へ潜り込まれてしまう。

(必要なのは……さらなるスピードと、衝撃を逃がさず相手の内部へ叩き込む『貫通力』だ)

 俺は深く静かに息を吐き出し、右のトンファーを構えた。

 打撃の瞬間に、手首を力任せに振るのではなく、肘の押し引きと肩の回転を極限まで連動させる。

 さらに、踏み込んだ足の裏から腰、背中、腕へとエネルギーを直線的に伝達させるイメージだ。

 だが――そう簡単にうまくいきはしなかった。

 島の中央にある巨大な岩塊にトンファーを叩きつけるたび、ガツンッと鈍い音が響き、強烈な反動が俺の手首と肘の骨を激しく痛めつけた。

「ぐっ……アァッ!?」

 力任せに叩けば叩くほど、衝撃は岩の表面で跳ね返り、自分の腕を破壊する。

 手首の骨にヒビが入り、激痛でトンファーを握れなくなる日も一度や二度ではなかった。

 何度やっても、岩には浅い傷がつくだけ。自分の狙う「内部へ叩き込む打撃」には程遠かった。

「クソッ……なぜだ……どこで威力が逃げている……!?」

 血と汗に塗れながら、俺は毎日毎日、自分のフォームを何万回と見直した。

 足の踏み込む角度、遠心力を乗せる一瞬のタイミング、手首の絞り込み。

 諦めそうになる自分を、ブルージャムの殺気とサボの乗った船が爆発したあの光景を思い出すことで奮い立たせた。

 ――さらに一年近くの月日が、飛ぶように過ぎ去っていった。

 季節が何度も巡り、過酷な無人島での生存生活と絶え間ない振り込みによって、俺の肉体は劇的な変化を遂げていた。

 13歳だった華奢な少年時代の面影は完全に消え去り、15歳となった俺の体躯はひと回り大きく引き締まり、肩周りや背中には丸太のようなしなやかな筋肉が浮き出ている。

 毎日岩を叩き続けたことで、手のひらには分厚いマメが層を成し、鋼鉄の柄が完全に自分の手の一部のように馴染んでいた。

 ある日の夕暮れ。

 俺はいつものように巨大な黒い岩塊の前に立ち、無心で低く身をかがめた。

(ただ叩くのではない……力みを捨て、踏み込みから手首の先まで、一直線に音を置き去りにする……!)

 呼吸を整え、全身の力を抜く。

次の瞬間、爆発的な脚力で地面を蹴り込むと同時に、左のトンファーを突いた。

 手首を鋭く内側へ絞り込み、遠心力と体重移動が完璧な一つの直線となって重密な鋼鉄球へ収束する。

ガツゥゥゥンッ―――!!!!

 これまでとは明らかに違う、腹の底を揺さぶるような深い重低音が孤島に轟いた。

 手首への反動がない。衝撃のすべてが、岩の奥深くへと突き抜けていった感触。

 静寂のあと、バコンッという凄まじい音とともに、見上げるほど巨大だった岩塊の中心から網の目状の亀裂が走り、真二つに叩き割れて豪快に崩れ落ちた。

「……できた」

 砕け散る石くずが舞い散る中で、俺は己の手のひらをじっと見つめた。

 一年半に及ぶ血反吐を吐くような修行の末、ついに掴み取った『鬼神の打撃』。

単なる力の振り回しではない。遠心力と貫通力を極限まで高めたこの一撃なら、どれほどタフな大男であっても、内臓から破壊することができる。

「ふぅーっ……ふぅーっ……!」

 俺は荒い息を整えながら、岩山の上へと登り、夕日に染まる広大な大海原を見渡した。

 無人島に着いてから、およそ一年半。

鏡のように海面へ映る己の姿を見る。鋭さを増した目つき、精悍に引き締まった顔立ち。かつての甘さは消え去り、数々の修羅場と修行を潜り抜けた者だけが纏う、静かで凶暴な「鬼」の気が漂っていた。

(傷は完治した。技も、体も、あの頃の俺とは完全に別物だ)

 腰の二本のトンファーに触れる。

冷たい鋼鉄の質感が、今の俺の覚悟を静かに支えてくれているようだった。

(そろそろ……次の段階へ進むか)

 原作のタイムラインを頭の中で整理する。

そろそろ東の海の情勢も動き出す頃だ。このまま一人で海を漂っていても限界がある。

 俺は孤島の砂浜へと戻り、補修を重ねて頑丈になった小舟に乗り込んだ。

 目指すは、東の海で自分の名前を売り込み、最初の『仲間』や『拠点』を見つけること。そしていずれ来る原作の大きな波へと乗り込むための準備だ。

(待ってろよ……東の海(イーストブルー)の海賊たち)

 俺は櫂を強く漕ぎ出し、一年半を過ごした思い出の孤島を後にした。

 15歳の鬼人・ギン。

死線を乗り越え、確固たる力を手に入れた男が、ついに本格的な覇道へと動き出したのだった。

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