元帥は得意げであり、薄ら笑っている。
「え? お前ら、エースが南の海へ逃げたと思ってたの?」
赤犬は激怒した。必ず、このイタズラジジイどもを除かねばならぬと。
「落ち着け!! 茶が沸騰しとる!?」
「説明してもらいやしょう」
「説明たって。ガープの孫だぞ?」
赤犬には政治はわからぬ。赤犬は軍人である。犯罪者は尽く焼いて来た。けれども、バカの感性は本当によくわからない。
なんで、そこに上司と大先輩が混じってるんだ。
自分たち、大将の行動方針をセンゴクに報告していたら、突っ込まれた。不本意である。
方針、変えなきゃじゃん。先に、言えや。
「まあ、実際、確証があるわけじゃないが、そりゃそうだろう? 出身地だし」
「南の生まれっちゅう、話ですが?」
センゴクは鼻で笑う。生まれてすぐ、連れ出したバカがいるからね。本当にバカ。
腹は立つが、考えれば当たり前のことだった。赤犬は、自分が海軍の常識に囚われていたことを知る。
「逃げるならば、知らん海へなど行かん。いくらバカでも、海の怖さぐらいは知っている」
海図がないのだ。グランドラインも酷いが、別に四方の海が安全なわけでもない。
多少なりとも、経験を役立てようとする。
それが海軍の優位だったが、サカズキは忘れていた。別に、優位な気がしないので。
言ってみれば、犯罪捜査の基本だが、腐っても白ひげの幹部である。知らないってことはないだろう、という期待すら甘いものであるらしい。
「まあ、ビッグマム辺りならわからんが、白ひげに野心はないからな」
世界は、地理的に分断されている。レッドラインの向こうにまで、興味を向ける海賊は少ない。出身者がいたとして、地理よりも食い物へ向かう。
だからこそ、この分断をものともせず、四方を睨む海賊は恐ろしい。
白ひげを海賊勢力の頂点に置いているのは、その恐ろしさから目をそらさせるためだ。だって白ひげは、別に喧嘩を売らなきゃ脅威じゃないし。
懸賞金は、脅威の度合いという建前。
野心のない白ひげと真逆の、例えば勢力を広げたり、商売に精を出したり、そういうのを、弱いからだと喧伝することで、ことさらに個人戦闘力を重視する。
本当は、海軍やよその海賊などと喧嘩せず、大人しく友好的に勢力を広げていく海賊の方が、支配者にとって脅威なのだ。
やっぱ、白ひげ怖い。
「ドフラミンゴですけ?」
「寄生虫は宿主より、大きくはならない。他人の便宜を図っとるうちは大丈夫だ。おつるさんに任せておけ」
「ちゅうと?」
「クロコダイルには、裏がある。上手く逃げられたがな」
バロックワークスは、その全容が明らかになる前に、また地下へ潜ってしまった。傘下は増えたが、海軍は把握しきれていない。
クロコダイルが二十年近い年月を、英雄として過ごすこともおかしいし、個人戦力のままでいるのも変だ。
そして、変だと思っていたら、なんかダンスパウダーが出てきた。
世界政府が、海賊よりもきちんと規制している物質である。
なんでかと言えば、精製過程で、下手すると麻薬が出来るからだ。
それが、チラッとだけ見えた、クロコダイルの尻尾だ。
政府で製造方法から管理していたものを、秘密裏に生産する。手助けしているだろう組織は、麻薬業者。
覚醒剤である。
頼むから、CPでやってくれ。なんで海軍が、そんな七面倒臭い捜査を、全世界規模で。
サカズキの厳しい顔にも、疲れが浮かんだ。
「氷山の一角と?」
「ゴキブリだ。ゴキブリ」
嫌悪感もあらわに、ベロベロする。最近、このじいさんはっちゃけている。腹が立つ。
しかし、蔑ろにはしない。
「戦略は統一されるべきだ。苦労するからな。だが、お前らに枷を嵌めたくもない」
「ありがたく思うちょります」
言葉以上に、ありがたく思っている。目標はなんでもいいし、やり方だって選び放題。
そんな太っ腹なことが言えるまで、海軍は回復した。センゴクのおかげだ。
積み上がる報告書に目を落とす。
「ギリギリの綱渡りだな」
それでも、世界は楽観を許さない。
東の海で、賞金額上位の海賊が、立て続けに姿を消した。だけでなく、海軍の腐敗も一掃された。ガープが新入りを連れて散歩を繰り返し、治安は劇的に改善している。
おかげで、戦力に余裕が出来たと思えたが、アラバスタの騒動だ。
余った戦力は消えた。事件はなかったことになったが、赤犬の失態だ。
しかし、単純に悪かったとも言えない。
海軍が動いたことで、クロコダイルは辛うじて七武海に残留した。
もしも、クロコダイルが七武海から離脱していたら、東の海の安定で得た余裕など、吹き飛んで余りある被害が生まれただろう。
グランドラインの前半を楽園たらしめているのは、間違いなくクロコダイルの影響である。
加えて、ドラムが復帰し、より安定は高まっている。
この状況を作れたのなら、戦艦の二十隻ぐらい、安いものと言えなくもない。世界の海はあまりにも広い。
戦艦が二十隻あっても、クロコダイルの代わりにはなれない。
じゃあ、よかったかと言うと、そうでもない。
「白ひげの動向はどげんですかい?」
「わからん。本隊が動いていないのは確かだが、隊長クラスが楽園へ入り込んでいる恐れもある。そうであるなら、マルコか、イゾウか、あるいはハルタか」
「魚人のナミュールちゅうことも」
「あり得るな。全員はなかろうが、複数人の可能性もある」
白ひげに野心はないが、じゃあ本当に、ずっと縄張りに引きこもっているかと言えば、そうでもない。配下には、それぞれの海の出身者がいる。
で、そいつらの身内や国がなにかに巻き込まれると、軽率に出てきたりもする。
さらに、義理、という任侠的な関係が、マジの家族並みに濃いのが特徴である。ビッグマムより。
そのうえで、海賊だけど気のいいやつらでもあって、一般人とも友好的に付き合える分別もある。
加えて、エースを助けに来ていて、土地勘とかもなくて、多分、少人数なわけだ。
仲良くなっちゃうじゃん。楽園の人間と、縁を繋いじゃうじゃん。恩を売っちゃうじゃん。
地雷でも仕掛けに来たのか。爆発したら、白ひげが出てくるタイプの。
一宿一飯で命をかけるような最強の武装組織が、敵地をうろつくのは、どこまでも悪夢だ。
核地雷を放置するぐらいなら、正面戦争の方がマシまである。
少なくとも、いつ爆発するかはわかるし。
よって、エースを必ず捕まえなければならないが、戦力は余っていない。
「ルーキーにかまけている暇なんぞ、ありゃしませんな」
「それが、狙いだとしたら?」
サカズキは眉を上げた。
「お前を襲ったのが、金獅子でないことはわかっているだろう? 当然、クロコダイルでもない」
「なるほど。放ってはおけん、はずですのう」
「それでなくとも、今年は豊作だからなぁ」
元帥は嘆く。被害が増えると、書類が増えるのだ。チラッと見上げたら、赤犬は目をそらしていた。
仕事をしていないとは言わないが、次期元帥候補の一人なのだ。別のことしてないで、センゴクを手伝ってほしい。なんたって、中将は余っている。
書類仕事しないのばっかだけど。
「意図して、引き起こされたと?」
「意図があるなら楽なんだがな。利用しているだけだからな」
意図があるなら、それを挫けばいい。人間の意志によって歪められた現実は、不自然なものだ。阻んでしまえば、自然に戻る。
だが、状況そのものが自然に出来たものならば、意図を挫いても、現実はそのままだ。
時流に乗った人間を阻もうとしても、まとめて溺れてしまう。そうでなくとも、確実に流される。
海軍は、防波堤や堰であるべきだ。
「市民のための、剣であるべきじゃありゃしませんか?」
「それも否定しない。だが、その剣で切り拓けるか? 時代を」
「やって見せちゃりますけえ」
センゴクは満足そうに頷いた。
「うむ。新たな動きがあるまで、好きにやれ」
サカズキは退出した。クザンはもう、出発しただろうか。その背中からは、気合いが見えた。
センゴクはそれを見送った。
「剣では守れず、盾では倒せず。そして、両手では抱えきれんのだ、世界は」
センゴクはペンを手に取る。
ある船上では、宴が行われていた。
「おい、この火の輪くぐれ、ライオン!!」
「やってやれ!! リッチー!!」
「動物虐待ではないか?」
楽しそうである。なにせ、いい汗かいた後だから。
異世界人から、なぜか正統な海賊認定されている“道化のバギー”さんは、なぜか上がった懸賞金のために、グランドラインへ入ってからも、しつこく海軍に追われていた。
しかし、そこは正統派海賊のバギーさん。見事に逃げ延びて、キャプテン・ジョンの秘宝を探す日々を送っている。
「だから、麦わらのルフィを仕留めるんじゃないのかい?」
「そうだった!! ハデに忘れてた!?」
「何度目だい。本当にバカだね」
「だから、ルフィの居所なら、俺が教えてやるって」
そして、なぜいるのだろう。エースが親切に申し出る。今、まさに話題の人物である。いつの間にか、宴に混じっていた。
アンタッチャブル過ぎて怖い。なんとなく、一緒にいるジンベエの方を見るが、なんかホクホクとご飯を食べている。
かわいい。
バギー船長は、度胸もすごい。全部、無視して聞いた。
「よーし、じゃあハデに教えて貰おうか!?」
「いいんですか、バギー船長!? 麦わらは、白ひげの身内ってことですよ!?」
「なに!? そうなのか!?」
「別に、ルフィは俺の身内なだけで、白ひげの身内じゃねえよ」
「ほら見ろ、ハデにビビってんじゃねえッ!!」
任侠、面倒臭い。義理だのなんだのが発動するのは、何親等からとかはっきりして欲しい。盃交わしたら、書面で知らせて欲しい。
そうした古い流儀を、部下へ教育出来るバギーが正統過ぎる。どっかの空母を弟子入りさせてやりたい。
これは、真面目に社会制度の話である。
海賊が旗を掲げ、ガープが許され、歴史が失われていく背景になる。
例えば、誰かの子供だの身内を名乗るのは、詐欺の常套なのだ。遺伝子検査があるわけでもなし。というか、身分の詐称は、なんであれ詐欺である。天上金なんてものもある。
しかし、どうやって身分を確かめればいいのか。この世界は地理的に隔絶され、通信技術も未発達だ。
国が通行証なりを発行してくれても、海の向こうの書式だとかわからない。
だから、顔を売り、顔を広げ、顔を利かせて、顔を立てる。
まったく電子的でない顔認証。これがかつての、身分証明だ。
この身分証明は社会生活において、とても重要である。マイナカードから社員証まで、身分証明を省略して生きていくことは出来ても、それなしに生活することは、とても出来ない。
極めて感覚的な話で、昭和一桁生まれの龍驤ならわかるが、若者のルフィやエースだと、実感が湧かないはずだ。
顔は万能の道具である。なんでも顔でする。商売も政治も、犯罪でさえも。なんなら、道を歩くことすら。
写真のない時代、その人物の顔、手紙や筆跡、縁の品や共通のエピソードなど、思い出、が特権ですらあった。現代では陳腐な好物の話も、プライベートとビジネスでは、分けていたりする。
人の記憶こそが、認証手段だ。だから、顔も知らない誰かに届く、名声、というものが、特別な意味を持っていた。
はっきり言って、戸籍のない日本以外の国だと、未だに個人認証がいい加減だったりする。アメリカ国民、だとは辛うじてわかるが、どこの誰か。つまり、血縁関係やなんかは、まだ仕組みを整備している段階だ。住所すらわからないことも。
よって、そのような社会では、子供だろうが孫だろうが、勘当したの一言で無関係になれる。
一切の公的認証が、それで無効になるからである。
認証されないので、親も息子もないという。
そんなバカな、ではない。
恐らく、現代人は認証を舐めているが、これはとても便利で、すごいシステムだ。しかも、欠片も容赦がない。
人を見たら泥棒と思えが、事実である社会を想像したらいい。都会のど真ん中で、通行人の一人一人を、泥棒かそうでないか、いちいち確かめなければならない社会だ。
そうでないと信じられることそのものが、身分証明である。
それを支えるのは治安の良さでもあるが、強靭な国家の体制が根拠だ。
どんな国でも、数百万から数千万の国民がいる。自治体に縮小しても、千人規模だ。そんな膨大な情報を管理するだけで、どれほどの手間と、スペースと、技術が必要か。併せて、認証の機会がある度に、それを引き出して照会するなど、インターネットどころか、コンピューターもなしにやることだろうか。
やってた中国も、続けている日本も、頭がおかしい。
だから、やらない。
この人は大丈夫な人だと、覚えておくのだ。書類作るの、面倒だから。
確かめる手段が人の記憶だけなのだから、否定したら終わりだ。たかが記憶だが、それはまったくの行政手続きなので、問答無用で議論の余地がない。誰がなんと言おうと、他に方法がないのだから、どうしようもない。
それが、身分証明というものである。
なのに、正統派海賊であるバギーですら、エースの認証は背中のシンボルで行う。
この世界では、顔はあまり認証手段になり得ないようだ。
理由は察するに余りある。誰もが納得するはずだ。
「ハデ馬鹿がァ!! アラバスタを出たことぐらい、知ってるに決まってんだろうがァ!?」
「そうなのか? てっきり俺は」
「使えねぇ。飲み直しだ。ハデに宴だぞッ、野郎ども!!」
アルビダは呆れ顔で、ビールをあおっている。
社会のはみ出し者は、文字通りにどこの誰とも知れない、幽霊みたいなものだ。マジで、何者であるとも認められない。
結果、海賊は犯罪者にもなれない。いるのかいないのか、よくわからないからだ。ややこしいことに、手配書が認証手段になってはいけないので、写真付きでバラまいておきながら、公的には存在を認められない。
政治も面倒臭い。
そこで、旗である。
個人はまあ、認めてやれないが、組織ならなんとか、みたいな妥協の産物でもある。
免許証やマイナカードみたいに、名声のある組織が、旗やシンボルを発行することで、身分証の代わりとするのだ。
なんたって、人の記憶が身分証明だ。確かめるためには、命をかけて海へ漕ぎ出す必要がある。
その点、名声は便利だ。風に乗って流れてくるから。
しかし、名声に便乗したり、思い出をでっち上げるような詐欺も、実にスタンダードだ。
だから、印鑑証明ではないが、旗やシンボルの扱いが、とても厳密な文化が生まれた。
文化なので、そこで生活しないと、ちょっと感覚はわからないかも知れない。
実際、エースやルフィも、よくわかっていない。なんで。
わざわざ配る手配書の写真より、旗の意匠の方が重要視されるのは、そうしたわけだ。ガープが許されているのも、文化のせいである。
ルフィもドラゴンも、ガープの親族であることは確実だが、公的ではない。
許されているのではなく、そういうものなのだ。
顔で他人を認証しないルフィは、大海賊時代に、極めて常識的な感覚の持ち主なのかも。
文化、面倒臭い。
「ごちそうになる。この恩義は」
「やめとくれ、縁起でもない。忘れてくれていいよ」
さて、行政文書である身分証明が、人の記憶という世界である。
歴史とは、なんだろうか。
実は、行政文書なのだ。
史書とか時記とか書記とか、官僚が書くものである。
民間人が残したりしない。
日記は他人に見せないし、新聞はバックナンバーを保存しない。便利だから、掃除に使う。
失われちゃうね。なんなら、誤魔化されちゃうね。
当事者に回想して貰わなければ、歴史は語られない。有史ではないのだ、この世界。
「そんで、ルフィがよ〜」
「もういいよ!! 麦わらの話は!!」
「覚悟せい。あと、五時間は止まらんぞ」
世界を混乱に陥れながら、若者は海を行く。