物質の性質は、分子配列によって変わる。
水と氷の違いは温度ではない。分子の並び方だ。
人類はこの事実をずっと利用してきた。
人工的に分子配列を変えることで、土器を作り、金属を扱い、セラミックやカーボンなど、新たな素材を生み出してきた。
言ってみれば、人体がゴムになったり、砂になったりぐらいなら、なんの不思議でもない。
空気だって、条件によっては固体のように振る舞い、衝撃波となる。常識はスーパースロー映像によって覆された。
まして、ここは異世界。そういうこともあるのだろう。
悪魔の実が不思議なのは、可逆性の変化であることだ。
エントロピー的な意味で、変化ってのは、起こったら戻らないもんである。
水で考えてみよう。凍って、溶けて、蒸発する。逆もまた然り。だが、この変化にはエネルギーが加えられている。
基本的に火を使ったり、太陽だったり、電気でもって、水は分子配列を変える。
戻っているのではなくて、その都度、変化しているだけだ。
これが結構、手間がかかる。
たくさんのエネルギーが必要なのだ。
土器を作るには、丸一日、粘土を焼かないといけないし、鉄は溶かすだけでなく、鍛えてやらねばならない。
人体から別の物質。別の物質から人体へ。悪魔の実の不思議なところは、実は能力そのものではなく、裏付けとなるエネルギー源なのだ。
諦めたとも言う。
というわけで、質量の出番である。エネルギーは質量。質量はエネルギー。脂肪もガソリンも、火薬や核であっても変わらない。
取り出す効率が違うだけで、みんな質量である。
食べたら誰でも使えるのが、悪魔の実。鍛えたら誰でも使えるのが、覇気。どちらも、身体能力として発現する。
じゃあ、この世界には体重以外の質量があるんだね。
これが龍驤の結論だ。
で、その質量は、ロギアのような疎になっても同一性を失わず、エネルギーを遠くに届けたり、遮断したりする役割を果たさなければならない。
よくわからないので、龍驤はそれを魂であると仮定した。
なんか、量子的な意味で情報処理とか出来そうじゃん。
龍驤は現実を見ない。これは慈悲である。
「食わせたんは、あんま意味なかったかな?」
「おい、やめろ」
そこまでわかったら、わかってないが、あとは技術へ落とし込むだけだ。
物理学など知らん。世の中、なにもわからなくても工夫は出来るし、しないと渡れない。頑張らないと。
幸い、肉体は可愛らしい艦娘だが、龍驤の魂は戦艦である。日常生活のために課せられた制限を上手いこと取っ払ってやれば、龍驤は空母として十全に振る舞える。
これ、覇気じゃねえかと思いつきへ飛びついたわけだ。
都合がいいとか、悪いとか気にしない。艦娘なんぞ、悪魔の実より悪魔的に決まっている。必要だからやる。軍隊とは、妖精さんとは、邪悪なものなのだ。
で、この覇気の性質は、空気が泥であることと、関連がある。
「要はあれか。力を加え続けとる間は流動性を保持し続けるが、慣性運動へ移行した途端、粘性が上がるんか」
「よくわからんが、すぐにやめるんじゃ」
ダイラタンシーと逆。チキソトロピーというやつか。
塗れるけど、取れないみたいな性質だ。ケーキとかに生クリームを絞ると、その形のまま飾りになる。ペンキは乾いていると言えばそうだが、水を加えずとも、練ると柔らかくなったりする。
力を加えているときは流動性のある物体として扱えるが、静置しているときは固体のように振る舞うのだ。
で、空気って惑星が自転している以上、常に力が加えられている状態だ。一見して性質が違うとは、わからない。
カームベルトのような気候があって、初めてなんかおかしいなって気分になる。
そして、この性質を利用すると、ただの空気鉄砲が風来砲になる。
不思議だ。ノロノロビームで空気はノロノロしないのに、覇気だと最悪、覇国する。能力に比べて、覇気は空気との相性が高い。
「うーん、着弾の急制動で固着化するんか。覇気ってのは、そこを解決する手段なんやな」
「やめろと言っている」
龍驤はルッチに吊り上げられた。頭、鷲掴みだ。ブランブランした。龍驤は気にしない。
「こうか?」
的がないので虚しい。一万トンモードは、すでに解除している。
当初の勢いをなくしたパウリーと、傍観者のロビン。そして、龍驤だけが駅に残った。CP9は空を走って戻ってきたが、龍驤に止められた。碇が足に絡んだルッチが、パウリーの前でビタンとした。
友達として、パウリーはもう、ルッチへ声をかけられない。
で、龍驤は試し撃ちを始めた。その間、CPは頑張ったが、妖精さんが邪魔をした。鎖が絡みついた。
尊厳がだいぶ死んだ。
諦めて、大人しくなった。それでも焦燥に耐えられず、ついに龍驤へ手を出したら、咎められなかった。
だからとりあえず、バカの頭蓋をメキメキ言わせている。
一体全体、この状況をどうしたものか。
フランキーはもちろん、麦わらにも逃げられた。そして、海列車が横転している。
CP9も龍驤も出ていきたかったのに、これでは出ていけない。
実は、やるべきことは、はっきりしている。
アイスバーグさんに、ガレーラに修理を頼むのだ。
さっきの今でか。
こんな頭の痛いときに、敵対する麦わらが姿を眩ませている。これがイヤらしい。
転進は言い訳と言われるが、兵隊は走るのが商売。走っていなければ、隠れている。だから、後ろへ向かって前進することは、運動戦の範疇でしかない。
この理屈を実に自由な感じで運用すると、ゲリラかロンメルになる。補給さえなんとか出来たら、とんでもない威力を発揮する戦術だ。
そして、ついさっきCP9は正体を表して、現地行政、及び住民と対立した。麦わらは地元と連携しているのに、こっちはみんなの敵。
どうしたらいいかわからない。
そんな意図はなかっただろうに、的確にこちらの嫌がることをやってくる。
どうせ今頃、サンジ辺りが吹き飛んだ迷子の世話をしているだけなのに。
これが麦わらと敵対するということだ。
龍驤はヤサグレている。
「なんのつもりだ?」
「自覚もないか、素人ども。邪魔やから、海列車修理しとけ。船大工やろ?」
龍驤はどうしていいかわからないが、こいつらは決まっている。
退路の確保が最優先だ。本気でバスターコールをするつもりか。
青キジがどんなつもりであるにせよ、CP9が任務を失敗しないと発動しないのが、バスターコールである。
まあ、世界政府の役人が失敗したらどうなるかって話だが、程度ってもんがある。
中将という同格を五人も揃える以上、バスターコールの目的は地上制圧だ。海軍はネイビーではなく、マジな意味でマリーンなのだ。
空いている最高指揮官が、天竜人でも驚かない。
ロビンが経験した地獄は、バスターコールの入り口でしかない。人間の想像を、人間が越えるだろう。
で、覇気のぶつかり合いは、下手したら核爆発だ。実際の衝突で核反応が起きるかはともかく、あの見事なまでに制御され、指向性を持たされた覇国が、まったく集束せずに破裂したら、島なんか丸ごと消える。
艦砲射撃なんておまけなのだ。
当然、艦隊戦を想定した作戦ではない。となれば、青キジがぶつけようとしているのは、艦が破壊されても問題なく上陸出来る戦力。
空を駆けるCP9の上位互換だ。
立場ない。
もはや、任務に従って、ロビンとフランキーを連行する以外にやることがない。そして、それは龍驤の目的と合致する。
これに逆らってウォーターセブンを危険に晒せば、世界政府の敵になるのは、手配もされていない小娘ではなく、CP9の方だ。
そんなことは、考えずともわかる。
はずなのに、わからない。
なんで味方が、味方の、しかも重要拠点の、さらに一般人を巻き込むことについて、なんの疑いも持たないのだ。
だけでなく、自分の都合を優先しやがる。ウォーターセブンなど、どうでもいいかのように。
自分がそうであるだけでなく、青キジもそうだと信じられるのが怖くて仕方がない。海軍まで、ガープまでそうだったら、どうすればいい。
少なくとも政府の役人にとって、当たり前なのだ。そんなことは。
嫌悪感だ。龍驤は我慢している。
こんなやつらと話すのは、嫌で嫌で仕方がない。
悪を成さないのは、その方が都合がよいからだ。なのに、わざわざ悪を成して、都合の悪い方向へ向かう。
麦わらとまったく逆だ。あいつらはワガママで、自分のことしか考えないが、だからこそあんまり悪いことはしない。
バカだけど、ちゃんと頭がついているからだ。
本当に、面倒臭い。ウソップなら、なにも言わずにやってくれることを、こいつらはしない。
任務に忠実だと言えば聞こえはいいが、自分で判断が出来ないだけだ。人形め。
同族嫌悪である。
いや、まあ、ルッチさんに関しては、フランキーの身柄に人生がかかってそうなんで、冷静じゃないんだが。
それもこれも、CPの長官辺りが独自の判断をしているからだと思うと、臨機応変も良し悪しだ。
龍驤も自分の判断で家出しているわけだし。
上手くいかないね。
龍驤はヤサグレている。
「自由にさせると思うのか?」
「今さら、これに意味あると思ってへんよな?」
龍驤は海楼石の枷を見せつける。ずっと自由ですが、なにか。
「役人風情が偉そうに。表に出た以上、キミら特別な誰かやないねんで?」
CP9は闇の正義を掲げ、殺人すら許された組織だが、明るみに出ちゃったら、そんな無茶は出来ない。今の彼らは、コーギー氏と変わらない小役人である。
本当に、なにをやっているんだろう。
「安心せよ。死人だったフランキーが、設計図の継承後もウォーターセブンに残った理由を考えりゃ、もう終わった話や。説得してくるよ」
龍驤がそうであるように、フランキーもこの島やアイスバーグさんを危険には晒さない。
この島を出ることについて、始めから同意が出来ているようなものだ。
「頼んでいない」
「そもそも、探せんやろ? その顔晒して、聞いて回るつもりか? 裏町の顔を?」
「政府に逆らうようなバカはせんじゃろうて」
要は、住民がフランキーを売るだろうと言っている。かつて、同じことがあった。
龍驤は心から、憐れむようにカクを見た。
「誰がキミらに協力すんねん?」
八年前、この島は、一人の英雄を世界政府へ差し出した。
海列車を造り、島を救った男だった。
理由は暴力への嫌悪でも、魚人への差別でもない。ただ、世界政府へ逆らうことの意味を知っていた。今、ロビンが誤魔化している恐怖がそれだ。
英雄ですらないフランキーなら、苦もなく差し出すだろう。
ところが、もう若いのはその恐怖を知らない。アイスバーグさんが、凄く上手に付き合ってたし。
役人も海軍も、自分たちの都合で動いている。つまり、どちらも天竜人の代理ではない。正義などの名目で動いている。
ルッチも青キジも知らないだろう。知っていたら、脅しになど使わない。
もはや、彼ら自身が証明している。世界は変わった。バスターコールなんて、怖くないんだ。
だから、別に逆らう。海賊が海に溢れて、人々がそれを歓迎する。
「流した血の量さえ忘れた木偶の坊が、弱者が強者を食い物にするこの現実で、なにが出来るつもりでおる? また、騙されたいんか?」
このやり取りが現実逃避な龍驤に、逃げ場はない。
バカしかいないせいで、ウォーターセブンが焼かれ、CP9は粛清され、海軍は造船拠点を失い、麦わらはそのど真ん中に放り込まれ、龍驤は本気を出さなければならない。
こっちとら、観光しに来とんねん。
「ここで戦争は始めるつもりなら構わん。約定はなし。この島も、住民も、キミらの安全も保障せん。つーか、また鎖で巻く」
妖精さんがこんにちは。
ルールは守る。妖精さんは、約束を破らない。その範囲内であれば、無敵である。
強いからだ。
割りに信用はない。
「そんな条件じゃったか?」
「聞かへんかったやろ?」
龍驤は一万トンモードをオンにする。
「約束は交わすもんや。奪うだけしかしてこんかったキミらには、想像もつかんことかも知れんが」
社会ってのは、お約束で出来ている。神も悪魔も変わらない。だって、信じるものだから。
ご利益がなくなれば、捨てられる。一方的な関係など続かない。関係がなければ、社会じゃない。価値がない。
海賊ですら、信用を築いて取引する。価値を生み出す。
CP9は支払った協力の代償に、なにを差し出せるのか。価値はあるのか。龍驤の質量が場を圧する。
身体能力の一部であり、単なる質量を、どうして覇気と呼ぶのか。
この世界の人間には、それを感じ取れる機能があるのだ。ルッチは龍驤の、有り余る質量を読み取った。
スゴイ覇気。つまり、デブ。
ハッタリには充分だった。ロビンでさえ、今の龍驤には青ざめた。自分ではあんまり、変わった気はしないのだが。
デブい龍驤はこれ以上駅を壊さないように、気をつけて歩き始めた。
CPは追って来なかった。パウリーがこれからどうするのか、ちょっと気になった。
そして、思い出した。
「そういや、援軍が来るはずやったやん?」
「そうなのか?」
「なぜ、知っている」
「線路を走ってくるから、お迎えしてあげて」
「どういうことです!?」
龍驤は街へ繰り出した。
約束がある。