「つまり、アンタこうなることをわかってたのね」
「ウソはついてへんもん」
「それでいいってワケでもないでしょ!?」
「そや。ウソついたって悪いワケでもないしな」
グヌヌするナミ。煽る龍驤。拳骨が降った。
絞め上げられながら、雑に手順を説明する。
「でも、どうすんの? 私、嫌われてるわよ?」
「は? ガキのウソなんぞ、いい大人が信じると?」
締めた。龍驤は昇天した。
船を港に着ける。珍しい光景に人々の目が向くが、ナミと知って去っていく。それを見て、表情が暗くなる。
龍驤は両手を上げて飛び降りた。張り切っている。
「一日開けた割に、大して距離は空いとらん。ここは龍驤ちゃんの武威を見せるためにもやな」
その袖をナミが引く。
「あの、付いてってくれない?」
「おーい、ナミが助け呼んだぞ〜」
「なにィっ!!」
「ナッちゃんが!?」
「なんて無茶を!!」
「隠せ!! 早く、隠すんだ!!」
村人が突撃してきた。龍驤がナミを見る。ナミは見返せない。
「ほな、村人さんたち。ナミを頼むで。ウチはちょいと、アーロンパーク潰してくる」
龍驤は港から、艤装を使って海面を滑り出た。目を見張る村人。ナミを囲む村人。声をかける村人。いつも、ナミを見ると目をそらし、立ち去って行った人たち。
今は、怒っている。ナミを怒鳴りつけている。どうしてそんな危険なことをしたんだと、叱りつけている。
子供のときみたいに。
誰も、ナミを嫌ってはいなかった。
ただ、ナミを心配している。守ろうとしてくれる。もみくちゃにされながら振り返ると、龍驤は遠くで腕だけ上げた。
小さいが、頼りになる背中だ。
「とりあえず、みんなで避難しましょ。大丈夫。私の仲間は強いの。魚人にだって負けない」
龍驤はヤサグレていた。本当にいいことだと思うし、逆に常識的な反応をされて妙な空気になるのもアレだが、あんな一言であんな風になるとか、ほとんど関西人のノリである。
実はハマっ子の龍驤にはついていけない。いや、いいことだとは思うんだけど。
自分でやっておきながら、まだまだ結果に責任を取りきれない龍驤である。というか、ああいう底抜けの善意には、どうしても素直になれないのだ。
「難しなぁ」
そう言いながら、海に向けてあるアーロンパーク入口を砲撃する。鉄扉は吹き飛び、水柱を立てた。
「ものすっごい邪魔するでー」
「ホントにな」
動揺はないらしい。見回すと、なかなかエキセントリックな見た目の人々がいる。肌の色やなんかは見慣れないが、みんなアロハとハーフパンツや七分丈で、胡散臭くてチャラいおっさん感がする。思ったより親しみやすい感じだ。
そんな中に、海軍の制服は目立った。
「おー、第16支部大佐のネズミさんじゃありませんかー。いやいや、後でお伺いするんで、ちょいとお引き取り願えません?」
棒読みだが愛想よく、龍驤は話しかけた。ネズミは驚いていたようだが、龍驤を賞金稼ぎとでも思ったのだろう。姿勢を正して取り繕う。
「丁度、会談も終わったところだ。そうしよう。問題ないね?」
「ああ、構わねぇよ。悪いな、忙しいところ」
「お互い様さ」
「送って差し上げろ」
ウソップに匹敵する鼻の持ち主がアーロンだ。その一言で、龍驤の足元からタコが出てきた。すぐにでも、手の届く位置。
文字通りタコだ。魚人なのか人魚なのか、絶妙に判断が難しい。見下ろす龍驤と、見上げるタコの視線が絡み合う。
「タコ焼きは好きか?」
「うん。ウチもソウルが共鳴するのを感じたけれども」
「後にしな、ハチ」
蛸壺で運ばれるネズミ。ちょっと羨ましい龍驤。アーロンは眉をしかめている。
「で、要件は?」
「ちょいと話そうか。何、さっきのタコさんが戻るまでや」
「構わねぇよ」
さっきまでネズミが座っていた椅子に乗る。文字通り、乗る。龍驤は小さい。
テーブルには飲み物もなかった。一応、フルーツはあるが、それだけだ。互いにそうした関係なのかと思ったが、龍驤を取り囲む魚人は、半分が水の中にいる。
「客が来たら、茶の一つも出すもんやで。キミらはそうでもないやろが、人間ってな、喉が乾くもんや」
素直に、なるほど、と納得している者もいるが、目の前の巨漢は大げさに両手を広げる。
「そいつは気づかなかった!! そうだな!! 人間は俺たちとは違う。礼を言うぜ。次からはそうしよう」
バカだが、アホではない。バカのフリをして嫌がらせをしながら、表向きは愛想よく鷹揚に振る舞う。そんな演技を、仲間にすら気づかせていない。
低俗な差別意識ではありえない。違和感が大きい。コイツらの掲げる理念のはずだが、茶を出すことへの賛意が見えた。あの大佐殿に仲間意識とは笑える。
本来は、こうした悪意を共有することで、差別はより深く強固に醸成されるのだ。アーロンもそうして育ったはずだ。
この程度の中途半端な差別意識を放置して、アーロン自身が体験した経験則に従わないのは、それよりももっと強固な意思があるからだろう。
無知を装い、正反対の態度を取る陰湿さは、アーロンという男から受ける印象とも真逆。滲み出るのは憎悪だ。
この男の中にあるのは、とんでもなく深い憎しみ。憎んで、憎みきって、もう狂っている。
どうしようもない。
龍驤は後悔した。
話し合いは無駄だ。
「クリークを始末した」
「自慢か?」
「わかるやろ?」
とぼけている男の筋肉が盛り上がっている。東の海で、最大の海賊組織は壊滅した。これからは掃討戦だ。足りなかったり、分散していた戦力を結集して、一つずつ問題を解決していく。
見逃されていたアーロンパークも、例外ではない。
「そうだな。面白くなりそうだ」
「憎いか?」
「ああ、心底憎いね」
目の前に龍驤を置きながら、龍驤に向けた言葉ではない。方向性のない、拡散する対象。
龍驤のことなど知らないのだから、艦娘も知らない。龍驤は人間に見えるはずだ。つまり、人間のことではない。環境や世界。それを形作るのは、同胞だ。仲間が憎いのだ。狂人に認識出来る世界は、それぐらいだ。
同時に大切で、愛している。むしろ、この馴染みのある感覚は忠誠心だ。やはり、対象は失われている。アーロンにとって魚人という存在は残滓に過ぎないが、漠然と守る対象ではあるようだ。
そして、僅かに残った敬意。現時点で心当たりは一人しかいない。
だから、こんな東の海に来たのか。故郷を離れ、兄貴分と袂をわかって、こんな遠い場所まで。意地だろうか。
「戦争でも起こすつもりか?」
「さぁな。魚人の俺に従うってんなら、生かしてもいい。俺は寛容だ」
自主性が失われている。魚人を取り巻く、境遇、歴史、体制への挑戦であり、反逆であるはずだ。その割に他責的だ。ここまで来て、支配までして、国を作ると嘯いて、戦争は人間側が仕掛けてくるという認識なのだ。原因を自分だと考えていない。
それぐらい、理不尽にさらされてきたのだ。なにをしても、しなくても、ただただ地獄だけが続く。それに慣れ過ぎて、もはや役割を演じることだけが、アーロンの個性なのだ。
野蛮で乱暴で冷酷で残虐なことすら、世界の期待に応えた結果でしかない。社会が生み出した化け物というより、世界に改造された怪人か。
本当のアーロンとはどのような魚人なのか。龍驤でも推測すら出来ない。
だから、アーロンに欲望はない。性欲や食欲すら、機械的な反応に過ぎない。周りに誰もいなくなったら、そのまま死ぬ類だ。
もう、生きていない。
そのくせ、怒りの感情を制御出来ていない。国を作りに来て、支配下の街を滅ぼす。周りにいる仲間たちの願望や期待には忠実なくせに、ある条件下では暴走する。
その時だけ、生き返る。怒りのスイッチがあるのだ。
「魚人とは?」
「種族だ!! 人間より優れた能力。海に適応した、進化した人類。人間は、ただ魚人に支配されればいい!!」
その通りだ。普通なら人間は魚人に敵わない。魚人が負けるはずがない。殺されないし、捕まらない。
なら、何故、魚人が虐げられるのか。
魚人が魚人をそうしているからだ。魚人が同じ魚人を排斥して、魚人が魚人を捕まえて売り、それを全部人間のせいにして、人間を憎み、魚人を助けようとも助かろうともしないからだ。
魚人が優れているという事実が、現実ではなんの意味も、結果を生まない時に、この男はキレる。
何故だ。
「タイのお頭は?」
「人間があの人のことを口にするな‼ あの人はっ。あの人は死んだ!! 人間の血を拒んで!! 人間を憎んで!! なにが、なにが次代に受け継ぐな、だ!! 俺は、俺はぁ!!」
「知らなんだか」
「そうだ」
突然、激昂し、突然、落ち着いた。躁状態だ。精神の均衡が失われている。
周囲はそれを、当然としか思っていない。気性の荒さかなにかと勘違いしている。
仲間ではない。祭り上げられたか、騙したか。誰も、この男の悲しみを理解していない。だから、復讐するのか。だから、一緒に滅ぶのか。愛しい同胞として。
龍驤もたくさん知っている。高い理想。崇高な理念。厳格なモラル。心地よい連帯。
その全てが偽りで、敵ではなく、味方の無能で失われて、気がついたら、もう死ぬしかなくて。戦いをやめられなくて。
降伏もしないで死んでしまった。
降伏を認めない、というのは確かに死守命令ではある。
南方の島々を攻略された結果、本土が無差別爆撃に晒されたのは事実であり、予想されたことだった。なんとしてでも守らなければいけないと考えるのは当然だ。
鬼畜米英の被害者は無辜の民。銃後の人々なのだ。前線の兵ではない。
それでも、兵士如きに不可能なことは不可能なのであって、軍の命令とは前提に必ず、可能ならば、という文言がつく。だって、飛べないものは飛べないし、勝てないものは勝てない。どうやっても無理。命令したら物事が実現するわけではない。
そんな時は、ちゃんと降伏出来る。まぁ、その辺の教育を受けた士官が、軒並み自殺しちゃったりと手続き上の問題はあったが。
戦場で手続きとかルールとかちゃんとしてないと、余計に人が死ぬ例である。
この自殺の方法に、仲間や部下をみんな巻き込んでのバンザイ突撃があった。そいつらは、部下に対して理想の上司を装い、大言壮語と美辞麗句を並べ、極論を振りかざして反論を封じ、極限状態に追い込んで恍惚と死ぬように仕向けた。
例えば、降伏は恥だとか言って。
あまりにもたくさん、無意味に死んだ。
こうした破滅的な自殺は、日本だけでなく、ヨーロッパ戦線の塹壕でも頻出した。
よって現代では、前線の兵を必ずローテーションする体制が敷かれている。軍艦と同じだ。メンテナンスしなければ、人間だって働けない。
「ウチら、海賊なんや。これから、グランドラインに行く」
「あの野郎は、まだ甘っちょろいやり方をしてんのか」
「そうらしいで。キミを、殺せんかったままや」
「シャハハハ!! よろしく言っといてくれよ!! 出来たらな」
水しぶきが帰ってきた。遠い。なるほど。あのタコだけは違うのか。思ったよりも、まだ理性があるのか。それとも、違和感の正体か。アーロンが親指を下に向けた。
龍驤は艤装を展開した。
「さよならだ。嬢ちゃん」
「またな、小僧」
アーロンパークは崩壊した。
久しぶりに浴びた血と臓物は、潮の香りと似ていた。
いや、かなりかっこつけた。
臭いし、気持ち悪い。
でも、拭うことも億劫だった。怖がられるかな、と思い、でも寂しいので港に座り込む。事前の打ち合わせとは違うが、ここで一味を待ってようと思う。
確実に当てられた。おまけに、この世界で初めて殺した。その衝撃と不快感というのは、なかなか経験した者でなければ理解出来ない。
慣れることは出来ても、なくなったりはしないのだ。ずっと重い。そうとしか言いようがない。
気分が沈む。いつもの元気な龍驤ちゃんには戻れない。でも、大丈夫。ここに一味が来る。
アーロンもだが。
龍驤は想定したよりも、ずっと悲惨なアーロンの境遇に、衝撃を受けてしまった。それなのに、殺した。アーロンの愛する同胞を。
二重にショックを受けて、アーロンと同じになってしまった。
一味が先か、アーロンが先か。賭けをするように、命を捨てた。消極的な自殺を選んだ。どことなく楽しそうに鼻歌を歌いながら、運命に身を任せようとした。
ドンっと、龍驤は捕まった。抱きしめられた。
「ちょっとアンタ血だらけじゃない!? 怪我したの!? ホラ、ちゃんと見せて!? ニヤけてんじゃないわよ!!」
ナミが迎えに来た。頭に風車を付けたケッタイな駐在と、白衣を着たじいさんもいっしょだ。少し遅れているのは、お姉さんだろうか。医者がいる、という事実が龍驤に希望を蘇らせた。
ナミが龍驤の顔を乱暴に拭い、血を落としていく。ニヘラと笑う龍驤を叱りつけ、心配し、怒っている。
さっきのナミみたいである。龍驤は嬉しくなった。
そして、正気に戻る。
「クリーニング代は払わんで?」
「心配して損したわ!!」
「アンタが龍驤か。その様子だと、勝ったのか?」
「まさか。何人かは生きとるよ。少なくとも、アーロンは確実にな」
「ここで迎え撃つのか?」
「いや、魚人相手に海の近くはな」
「じゃあ、なんでさっさと来なかったのよ!?」
「だって汚いもん」
「そんなの水でもぶっかけたらすぐでしょ? さっさと飛び込みなさいよ」
「ウチ、船やから」
「だから?」
「潜るんはちょっと」
「さっさとしろ!!」
蹴落とされた。妖精さん印の装甲も相まって、龍驤はキレイになった。笑顔で飛び出して、ナミにしがみつく。
「さー、あとひと踏ん張りや!! ウチが煽り倒して、怒らせて、キレさせた、かつての魚人海賊団No.3が相手やで!! 頑張ろ!!」
「なんて、余計なことを!?」
「船長が承認しました」
「あのバカっ」
「あーあ、反対する人がおったらなー」
「悪かったわよ‼」
「まぁ、反対とか意味ないけど。バカやから」
「なんなのよ!? もうッ‼」
「苦労するなぁ」
「アンタのせいよ‼」
生きるって楽しい。
目が覚めると、瓦礫の中だった。身体中に衝撃が走って、渦に放り込まれたようになったが、そんなことより水圧にも勝る音の津波が意識を失わせた。
強い、潮の香りがする。生臭く、鉄混じりの。
アーロンは身を起こした。瓦礫の重さなど気にならなかった。みっともなく這い出して、かつてアーロンパークだった場所をこの目で見た。
仲間と瓦礫が混じり合って、形を保っているものが一つも見つからなかった。
アーロンは咆哮を上げた。滂沱と涙を流しながら、口元には笑いがあった。
こうなるのはわかっていた。
自分よりも強い兄貴たちが逃げ隠れしていたものに立ち向かって、どうして勝てるだろう。最後の最後に、生かされて別れたのに、どうやって国など作るのだ。
滅ぶしかないのだ。憎しみを捨てられないバカは。
離れるしかないのだ。お頭の意志を継ぐには。
どうして魚人には、ジンベエのような甘ったれたバカと、自分のような感情に支配されるバカしかいないのだ。
魚人だろうが、かつての部下だろうが、クズならクズと割り切って殺せるクズなら、人間のような本当のクズなら、問題なんて何もなかったのに。魚人は支配者になれたのに。
ただ、同胞のために。
同胞を虐げたままに。
見て見ぬふりをして、同胞が欲を満たすのを見逃して。
誰が知っている。誰が、一体誰が、俺たち魚人が、奴隷上がりの魚人が、人間を殺さないと知っていた。それを信じた。どうやって信じた。俺でさえ信じられなかった、あの掟を、どうして人間が。
あまつさえ、利用出来た。子供だから人間を助けて欲しいなんて、あの当時の俺たちに申し出れた。赤の他人が。そうして、お頭を殺す作戦に組み込めた。なにを、どうやって。
捕まって考えた。あれだけ襲われて、あんなにも戦って、殺さずにいて、怯える人間は減らなかった。あんなに幼いコアラでさえ、やがては慣れたのに、あの海軍がどうして。
それなのに。
考えた。考えたのだ。他にすることがなかったから。どうしてお頭が死ななくてはならなかったのか、真剣に考えたのだ。
誰かが、漏らした。いや、提案した。こうすれば、お頭を殺せると。もはや裏切ったとか、そんな話ではない。
お頭は暗殺されたのだ。同胞に。同じ境遇の仲間に。あの船の誰かに。
誰かだけはわからなかった。候補なら幾つも挙げられた。なんなら自分さえも疑った。もう、正気である自信もなかったから。
わからなかった。わからなかったから、確かめられなかった。どうしても出来なかった。
アーロンは絶望した。
もはや、怒りしか残っていなかった。人間と、愛する同胞たちへの、やり場のない、どこに向ければいいのかもわからない怒りだけが。
だが、今は違う。同胞はもういない。
肉片になった。
もう誰も裏切らないし、売り飛ばさない。魚人街に追いやることもないし、支配もしない。
死んでしまった。殺されたのだ。仇を討たなければ。
同胞のために。
アーロンは立ち上がった。満身創痍だ。しかし、気にならない。ここ数年でもっとも充実していた。海軍本部とやり合っていた、あの頃よりも力が漲っている。
幸いにも、匂いは残っていた。同胞の匂いが海を渡っている。血の匂いだ。あの小娘。
アーロンは怒りを向ける対象を、ついに見つけた。喜びの咆哮を上げて、海に飛び込んだ。
それでも、涙は溢れてきた。
「ア、アーロンさん。ダメだ」
片隅にまだ、息のある者がいた。
アーロンの耳はもう、聞こえない。