強がったはいいものの、龍驤とて重症だった。
空母の特性上、区画を細かくしてダメージコントロールをするようには出来ない。どうしても広い格納庫が必要だからだ。
そのせいで、小破やバイタルパートへのダメージでなくとも、中身が派手に損傷することがある。
艦娘になってそれが反映されると、どうも見た目に悪い。おかげでナミが泣いている。
「いや、大丈夫やから。ちょっと、放っときゃ、すぐに見た目も治るから」
「黙って!!」
この調子である。実際、ショッキングな映像であることは確かだ。龍驤の相手は怪獣だったが、本来の艦娘だって重砲と爆弾と魚雷のやり取りである。どうしているんだろうと、他人事のように思った。
まぁ、港につくまでにはダメコンも終わるだろう。人間に知られるということはないのかも知れない。医者の手伝いすら拒否する取り乱しように、龍驤は他人事を決め込んだ。
そんなふうに集まってきてしまったので、アーロンを機銃掃射で牽制しつつ引き離している。最初に、アーロンが砲弾になって飛んで来たため、位置関係が逆転していた。
挟み撃ちにするどころか、救出に来て貰わなければならなくなったので、都合よくはあるが情けない。あれだけ派手な爆炎を拵えて、仕留めるどころか単なる合図になってしまった。
幸い、そうやって引きつけるのと遠ざけるのを同時にこなせているが、避難した住民もいるのだ。
壊れた手を無理矢理握ったため、ナミの悲鳴が響いた。龍驤は再び宥めだす。
そんなこんなで一味が揃った瞬間、龍驤の目からも涙が溢れた。船を降りる前から、派手な戦闘の経緯は見えた。大急ぎで来て、景色と一緒にボロ雑巾になった姿と、そんなものに出くわしたのだ。
ルフィ以外がギョッとした。
「あ、アレ? おかしいな? いや、別に大丈夫なんよ? 痛いけど、慣れとるし、こんなのなんともないねん。なんでやろ? 安心したんかな?」
龍驤自身も混乱している。言い訳を重ねる龍驤を無視して、混乱の絶頂にいるナミの頭を撫でるように、押し込むように帽子を預けて、ルフィは無言で歩き始めた。
アーロンの咆哮と龍驤を探す怨嗟の声は、先ほどから鳴り止まない。
「まぁ、聞くだけは聞いてやるよ。後でな」
そう言って、ゾロも続いた。サンジはその背中を訝しげに見つめ、ウソップは駆け寄った。
「バカだな、お前。後は任せとけ」
本格的に決壊した。サンジにはなにがなんだかわからないが、護衛は必要だろうと、背中を向けた。
これまでも、龍驤の手当てを間近で見ていたウソップの手際は頼もしい。
新人ってこんないたたまれないことがあるんだなと、サンジはバラティエでの日々を反省した。
一番居場所がないのは、賞金稼ぎコンビである。
あれだけ丁寧にひっくり返した建物を、怒りのままに破壊しつつ、アーロンは艦載機を追っていた。ちょっとした鋼板なら射抜く機銃掃射を、多少は痛みを感じるのか、キリバチで防いで、振り回す。
怪獣の定番には乗らないと、妖精さんも近づかない。近づきたいとは思っている。ちょっとソワソワしている。
彼女らが一斉に上昇し姿を消して、アーロンは苛立ちのままに雄叫びをあげた。サンダルが砂利を踏む。アーロンが気づいた。振り返ったその横っ面を、拳が振り抜けた。
「なんだ!? 誰だッ、てめぇ!!」
「ウチのクルーを泣かすなよ」
よろけたアーロンを更に蹴り飛ばし、殴り、吹き飛ばした。地面を転がりながら獣のように四肢を踏ん張ると、アーロンが立ち上がりざまに、キリバチを振り上げる。ルフィは後ろ手にゴムを伸ばした。
「ゴムゴムの」
「死ねぇ!!」
「大人しくしな」
砂糖細工のように建物を壊していたキリバチが、三本の刀で繊細に絡め取られ、万力のように挟まれた。アーロンは不思議な顔をする。
「ブレットっ!!」
突き刺さった拳の衝撃だけが貫通していった。アーロンが血を吐きながら仰向けに倒れていく。
「ナミはお前らの仲間じゃねぇ。俺の仲間だッ!!」
倒れるに従って、ゾロはキリバチを離した。その途端、アーロンの目の色が変わる。地上に顕現した海王類は、その場に暴風を巻き起こした。ルフィとゾロが大きく飛び退く。
「お前ら、あの小娘の仲間か。お前らもそうか?」
いっそ静かに、アーロンは訊ねた。二人は構えを取ることで答えた。
「俺たち魚人から奪うのか? 下等な人間風情がぁッ!!」
「うるせぇよ」
機先を制して、ゾロが飛び込んだ。キリバチで受けたが、アーロンは押し返せないことに驚いた。
「最初からツブしに来てんだぜ? 狼狽えてねぇでさっさとまな板に乗りな、サカナ野郎」
「サメってウマいのか?」
「小便臭いんだとよ」
「じゃ、いらねぇや」
「舐めるなぁッ!!」
「三刀流、刀狼流し」
アーロンの押し返しに逆らわず、ゾロは体勢を崩させた。そのままそよ風が吹き抜けるように斬り刻む。
「やっぱ、使いにくいな」
「なんか違うのか?」
「どうもな」
昭和12年式軍刀。太刀拵えなのもそうだが、扱いやすさや癖のなさが、逆に違和感を増す。型に嵌めてくるような、機転の利かなさがある。
多少高くても、数打ちじゃない銘入りを買おうかと思う。麦わらの一味はお小遣い制。海賊である。
「しっかしよ」
満身創痍を越え、もはや息も絶えだえの男を放置して、ゾロは景色を見渡す。
「バラティエまでは、アイツがおかしいと思ってたんだがな」
「そうだな」
「グランドラインってところはそれが普通らしい」
「それじゃ足りねぇ」
「ああ、その通りだ」
もともと、滅ぼされた街ではあった。しかし、瓦礫の山になって炎に彩られ、あれだけ立派だった基礎も地面も抉られて。
全てたった二人の戦いで、引き起こされた結果だ。戦場と呼ぶに相応しい景色だ。
こんな悍ましいものに憧れなどない。だが、二人には、守らねばならないものがある。
作り出すぐらいでは足らない。消し飛ばしてしまえなければ。
「何なんだ、お前らは?」
「モンキー・D・ルフィ。海賊王になる男だ」
「ロロノア・ゾロ。あの女二人の仲間ってことになるのか?」
カッと大口を開けて、アーロンは血痰を吐き出した。
「アーロンだ。二人がかりでいいのか?」
「卑怯とは言うめぇ? 泣く子が待ってるんでな。時間はかけられねぇのよ」
「ハッ。泣いてんのか。あの小娘。だから、だから人間ってのは」
全身から血を噴き出しながら、アーロンの体躯が盛り上がった。
「心底気に食わねぇんだ!!」
振り下ろしたキリバチが、瓦礫の大瀑布を生んだ。触れるだけで骨が折れ、肉が爆ぜるような理不尽。速さも技術も超越した、絶大な膂力。
間合いは外しても、引かない流星がアーロンを襲う。それを左手で受け止めた。キリバチを振り上げ、斬撃も止める。
「人間がぁ!! たかが二人でなにが出来る!?」
「お前に勝つ!!」
暴風や竜巻を越えて、粉砕機と化したアーロンの間合いに、それがなんだと手を伸ばす。斬り込む。
そこにいるだけで傷ついていくような場所で、更に一歩。なおも、一歩。
やがてルフィは避けることを止めた。ゾロはキリバチの暴風を制御しようとした。アーロンは防ぐよりも、ただただ暴れ尽くした。
三人が同時にたたらを踏んだ。最初から傷だらけのアーロンと、見た目に違いがなくなった。血と煤で真っ黒になる中で、眼光だけが、互いを貫いた。
「黙って死んでりゃ楽なものを」
もはや、アーロンの意識は朦朧としている。ゾロが言い返す前に、ルフィが言った。
「アイツらは泣かねぇんだ」
「は? そりゃ小娘か?」
「ナミは誰も傷ついて欲しくないから、ウソつくんだ」
「てめぇ?」
「龍驤だって本当は戦いたくないし、殺したくないんだ」
「勝手なことを!!」
「嫌なことがあっても、泣かねぇんだ。泣いたってどうしようもないって、知ってんだ」
「そうさ!! お前ら人間じゃ、俺たち魚人相手にどうしようもない!!」
「俺たちって誰だ?」
アーロンが口を塞いだ。もう、いないのだ。
「お前らが、何をしようとしてたのかなんて知らねぇ。でもよ、アイツらが泣いてた」
アーロンパークも、魚人帝国も、東の海の支配も、全部終わりだ。野望は崩れさった。
「どうしようもないから、泣いてたんだッ!!」
呆然と、アーロンはその拳を受け入れた。歯が砕けて、地面に倒れこんだ。正気に戻って、聴覚も取り戻して、再び現実に襲われた。
「お前らがいなくなんなきゃ、二人が笑えねぇ。だから、ぶっ飛ばす」
さっきのように、涙は出なかった。もう、全部、溢れるそばから焼かれてしまった。代わりに笑いが出た。
「シャハハハ。そりゃいい。やってみろよ、人間!!」
「うおっ、生えた」
「サメだからか? あんまり羨ましくはねぇな」
「俺たちを滅ぼして見ろよぉ!!」
キリバチを持つ手と反対に、取り出した牙を掴んだ。
海王類の雰囲気を纏ったまま、死にかけで、たった一人で、アーロンは楽しそうに襲いかかった。
しばらくして、小破した服以外は治ったのだが、ナミが離してくれないので動けない。一生懸命、目を逸らそうとはしたのだが、こうなってしまったのは龍驤のせいに間違いないので、文句も言えない。
事情を知る姉ちゃんにしたところで、好きにさせるしかないと、救出を諦めてしまった。龍驤はぬいぐるみに徹している。
ナミの金を狙って、海軍がココヤシ村に上陸したのだが。
「なんだと?」
「マジか!?」
慌てて駐在と、ウソップが多分、何も考えずに親切で付いてった。これ幸いと賞金稼ぎコンビも。かわいそうに、おじいちゃん先生も急いでいる。
「なんだか、俺は事情がわからねぇよ」
「わからないで来たのかい?」
「レディのピンチなのでね」
ドヤっているが、ノジコは呆れている。龍驤は吐きそうな顔をする。
龍驤をギュッと抱えたままの妹を見下ろして、サンジに合わせて背を向けた。
「母親をね、殺されたのさ。私たちを生かすためにね」
なんとなくわかった。こんな光景を作り出すような戦いに巻き込まれ、ただでさえ恐ろしかっただろうに、思い出したのだ。
人生で一番、怖かった日のことを。
サンジが首だけ向けて、龍驤を睨む。責められた龍驤は、納得がいかない。
「ウチも女なんやけど」
「俺の守備範囲は人類だけだ」
差別である。猛抗議したい。今は無理だが。
「で、そっちは?」
「生憎と、新人なもんでね」
「なんだい。残念だね」
振り返って笑顔を向ける。ちょっと、キュンとした。流石、ナミの姉である。サンジの詰問っぽい視線は無視しておく。
龍驤とて恥ずかしい。
前世のことを思い出してしまった。
アーロン一味は、龍驤が負けた後の日本軍の現実を突きつけた。
ただ、負けたのではなく、死んだのでもなかった。補給も武器も失い、モラルブレイクを起こした。
日本が負けることは運命だった。ミッドウェーで趨勢は決していたのも事実だ。同じ轍を踏んだのも、仕方がないことではあった。
だが、あそこで龍驤が負けなければ、日本軍はもっと余裕を持って撤退することが出来たかも知れない。モラルブレイクは起きず、地獄は少なかったかも知れない。
全てはIFだ。
だからこそ、後悔は深い。
あのような島嶼地域での大規模な戦争は史上、初めてだった。
だから、玉砕を果たした日本軍を、高いモラルを失わなかったと誤解する向きがある。
モラルがあれば、降伏する。ルールと手続きに基づいて、自分の戦争を終わらせる。ルールにも手続きにも従わず、しないのであれば、それはもう、そいつ個人の戦争になったのだ。
ルフィたちと同じだ。義理も義務もないのなら、個人の事情以外で、命をかける理由などないのだ。
それがなんであれ、国家と軍が課した義務を越えた戦争の、どこに統制があるのか。
結果、ヒドいことになった。統制を失って、誰も戦争を止められなくなった。みんな死んだ。
それだけなら悲劇だ。しかし、彼らは様々なものを巻き込んだ。
現地住民もそうだし、戦っていたアメリカ兵もそうだ。出会った味方、隣の部隊。海に囲まれて逃げ場のない、全てを戦争に付き合わせた。
敵も味方も、仲間にしたのだ。同じものになろうとした。言語も国籍も、種族さえも越えて、必ず辿り着く結果を得ようとした。
死だ。みんなで死体になろうとした。誰も彼も死んじまえを、実際に実行したのだ。
海軍はアーロンの仇である。人間もそうだ。なのに、金で仲良くしていた。金で生かしていた。ナミと似たようなことをしていたのだ。
ナミはアーロンから自由になるためだった。だが、アーロンは違う。巻き込むためだ。
奉貢という名の増税は圧政かも知れないが、なにが支配なのか。金を払う約束をしたナミを縛っていたのは、アーロンではなく、愛する村だ。
金を払うこと以外で彼らが強制したことなど、逃さないぐらいではなかったか。
そして、ナミを仲間にしようとした。
仲間だ。同胞でもなく、アーロンたちの仲間とはなんなのか。
誰も彼も死んじまえと、そうやって全てを巻き込むような、そんな不幸のドン底で、怨嗟を撒き散らすような、そんなものにナミを変えようとしたのだ。
だから、今、海軍がナミの金を奪おうとしている。きっとこれから、なにか理由を付けて、村人やナミの家族はまた一人、また一人と殺されていったに違いない。
全てに絶望して、何もかもを失って、本当の本当にナミがアーロンを殺そうとした時、ナミはアーロンの仲間になるのだ。
アーロンたちは、そんな生きた祟りかゾンビのような存在だ。
龍驤が負けて、日本軍が辿った結末がそうなのだ。
殺すしかなかった。
迷惑だし、有害だ。人の道に外れ、もはや戻る術もない。それ以外の結末を、彼らは受け入れないだろう。
だから、龍驤が介錯してやるしかなかった。龍驤が、責任を取ってやるしか救えなかった。そう思い込む以外に、なんの選択肢もなかった。そうでなければ、自分も救えない。
本当なら、誰にも譲りたくなかった。
しかし、アーロンは強かった。龍驤では殺せなかった。だから、殺されてやろうと思ってしまった。
自分が死んだ後に、不幸のドン底に叩き込んだ人間を、転生して救う機会を与えられて、それを逃した。助けられなかった。
死んだり、負けた自分を情けないとは思っても、憐憫など欠片も沸かない。なんならどうしてここが地獄じゃないのかと思う。
だって、自分が負けた後の地獄に、取り残された僚艦がいるのだ。姉妹と言ってよい、初期空母四隻の、最年長が。
加賀と赤城が日本の敗北を決めて、龍驤が地獄を作った。その地獄の住人を、生き残りを、故郷に帰した艦がいたのだ。
申し訳ない。死んでもやれない。あまつさえ、仲間が来たことに心底、ほっとした。そんな想いとともに、涙が溢れた。
もちろん、その当時、龍驤は船で、ただの兵器だった。だが、艦娘として生まれ変わって、関わりのある記憶や想いを継承して、もうどうしようもなかった。
どうしようもなかったのだ。
恥ずかしい話である。
泣いたので落ち着いた。
ナミにもそろそろ落ち着いて欲しいのだが、宥めようと撫でると、更にきつく抱きしめられる。
なるほど。戦って、傷ついて、負けて、受け入れて、そして二人を抱いて逝ったのか。幸せな生き方だ。戦争を生きた龍驤にはそう思えた。同時に、残された人間にとってなんの意味もないこともわかっていた。
仕方がないなぁと思いつつ、ナミを抱き返した。天然二人はともかく、アイツはこれぐらいの慎みかなぁと、会ったこともないのに記憶が蘇る。
寂しい。帰りたい。
あそこには家族がいるのだ。
「女王ってなによ」
「なんのことやぁ?」
「言ってたじゃない。女王様とお呼びって」
「知らんなぁ」
「誤魔化すんじゃないわよ」
涙の跡を付けたまま、ナミが龍驤を睨み付けた。同じ有り様で、龍驤は笑顔を見せた。
「秘密やよ。秘密」
「アンタねぇ」
まぁ、こちらには友達がいる。精一杯生きてから会いに行こう。なんたって、家族なんだから。