ちょっとじっとしているだけで雪が積もった。景色というか、白に紛れた。追撃がないのは、こちらが動くのを待っているのか、そんな雪の幻惑作用で見失ったのか。
敵は世界を股にかけるとはいえ、こんな雪国に慣れているとは思えない。ウソップたちが立ち止まって、しばらく間を空けたのは、風を読んでいたからだ。踊る雪に惑わされて、狙いを定められなかった。
そして外した。肩に当たった弾丸よりも、頭を掠めた方が危なかった。修正したのだ。
腕と、最初の迷いが釣り合っていない。やはり、この環境に慣れはない。追撃がないのは、見失ったからだ。我慢比べになる。こちらには怪我人がいる。
血を失い、寒さで体温が奪われている。その上で雪に突っ伏している。早めに終わらせなければ。
負けることはない。慣れないのはウソップもだが、だからといって外しはしない。
状況は互角。ドルトンさんの体調だけが心配だ。先に相手を見つけた方が勝つ。
「ビビ、ドルトンさんの怪我は?」
「軽症よ。出血も酷くない。ただ、弾が体内に残ってる」
「鉛弾か」
「多分」
こんな場所で待ち伏せながら、癖のない鉛弾。殺傷力を高める工夫がない。狙撃で勝負をかけてきたのに。
これまでバロックワークスがとってきた手段に比べれば、ずいぶんと微温い弾丸ではないか。
風の影響を受けやすい大きな弾では、当てる自信がないのだ。となれば、本来は連射による制圧が目的だったか。もっと近づくのを待って、三人をまとめて倒すつもりだった。
ウソップが立ち止まったせいで、向こうの予定は狂っている。焦りがあるはずだ。やはり、状況は互角。
いや、むしろ有利だ。
「地形の起伏がわかりにくい。ドルトンさん、この道に沿って崖みたいなのはあるか?」
「少し先、あの二本の木が見えるかね?」
「あれか?」
「そう。あの根本の辺りが、ちょっとした傾斜になっている」
下が吹き溜まりになって、雪が深くなっている。咄嗟の反撃が難しい場所だ。逆に、その上は吹きさらしになって、積雪が薄い。
逃げやすく、狙いやすい。
わかる。どこをどう動けば、どうなるのか。村で海賊団を結成して走り回り、冒険した。山や森を駆け巡った。どんな場所が危険で、どんな場所に風が集まるのか。どんなものが障害で、なにを迂回するべきなのか。
かくれんぼ、鬼ごっこ。単なる遊びでしかなかった経験が、ウソップに敵の位置を知らせる。
「そこは、寒いだろう?」
パチンコをはるか上へ、明後日の方向に向ける。丸い水筒のような、陶器の入れ物。
船に窯なんかない。瓶やボトルで代用するしかなかった、ウソップの手札。妖精さんがいるから出来た、ウソップ専用の特殊な弾丸。まだ、ちょっと大きくて使いにくい。
「必殺、油星」
「え? ちょっと?」
ビビが驚いた。見ていた方向とは、まるで違う。それどころか、膝立ちになって姿を晒してしまった。
「伏せて!!」
「俺の前に姿を見せたな?」
だが、逆だ。遠いウソップを狙うために、敵が身を乗り出した。相手は銃。ライフルではなく拳銃だが、ウソップのパチンコよりは間違いなく速く届く。
ウソップはパチンコを引き絞るが、撃たない。敵が引き金を引く。
風が一際強く吹いた。銃口をこちらに向けながら、弾は明後日の場所を通り抜ける。わずかに、憐憫の情が湧いた。
「必殺、焼夷星」
ウソップが調合した手製の火薬より、少しばかり火力が高い。それは風に乗って、敵の正面ではなく、斜め上から迫る。
敵は撃たれたとすら思わなかっただろう。自分の弾が外れた感触だけで、行方も確かめずに身を翻した。やはりそれなりの腕はあるようだ。
厚着をしている。カモフラージュを兼ねて、分厚い毛布を身体に巻いていた。それを蹴散らしながら、敵は一歩だけ進んだ。
そこに、油の詰まった陶器が降ってくる。頭に当たり、油を被った。たたらを踏んだ敵が、油のヌメリを振り払おうとした。
そこに二発目が着弾した。そして燃え上がった。
「お前らって、ペアで任務に就くんだっけ?」
「え、ええ」
風でかき消されそうだが、身を焼かれた男の悲鳴が聞こえる。ウソップは気負うこともなく、ビビにそう訊ねた。
「丁度いい。あいつに炙り出させよう」
半裸に、雪をまといながら、ゾロがこちらに向かってくる。
何故か、山の方、向かう川とは反対から。
ウソップは笑いながら手を振った。
「おーい、ゾロー!!」
ゾロが気づいた。ウソップはそれを確認して、そそくさと隠れた。
「ゾロが撃たれなかったら、身を起こして手当てをしよう」
とっても素敵な笑顔だが、ちょっと怖いと思うビビだった。
撃たれなかった。本当によかった。
いや、なんか当たらないか、なんとかしてしまいそうな気はするのだが、心底、もう一人の敵がいなくてよかったと思う。
短い間なのは確かだが、この一味のことがわからない。
「なんで燃やしたんだよ」
「なんで文句を言われなきゃならないんだ」
囮にされたのだから言っていい気はするが、ビビは黙っていた。何気に衣服を奪うつもりなのが恐ろしい。
震えているだけでピンピンしている本人を前に遺憾だが、この寒空で裸は死ぬ。
やはり、彼らは海賊なのだ。
バカだからわからないんだとは思いたくない。
どう見てもわかってなさそうだけど。
実際、誰一人、風邪がわからなかった。
どうしよう。自分で自分に反論出来ない。
論理的思考は人も自分も傷つける。龍驤を手本としなければならない。
上着から靴、帽子、手袋と交渉が続く。ウソップから借りようとしているようだ。ドルトンさんがちょっと貸してあげたそうにしている。
人がいいのにも限度がある。怪我人なのだ。ゾオン系の能力者ということだが、悪魔の実ぐらいで一味の非常識さを越えられるわけがない。
ちゃんと人間として気遣うべきだ。ドルトンさんは困惑している。
「自前で毛皮を着れるんだが」
「ダメだ。ちゃんと躾けないと、またやらかす」
ゾロは聞かないフリをする。躾は一味の流行りである。どいつもこいつも年上ヅラしているが、対象は全員である。
肝心のバカだけがなんにも改善しない。
船に帰ればゾロの着替えというか、脱ぎ捨てた服はある。
だが、バロックワークスのもう一人がいなかった。ウソップの勘を信じて、ドルトンさんの家がある、ビッグホーンに向かっている。
国一つを混乱に陥れた組織である。嫌な予感がした。
それで迷子を裸のまま連れ歩いている。
「なにをやってるんだ、君は!?」
人目に触れた途端、ゾロが怒られた。さもありなん。本当に困惑された。底抜けな上に、天井知らずである。みんなどうしていいかわからなくて、とりあえずバシバシ叩いて温めた。
「痛ぇッ。こらッ、顔はやめろ!!」
もはやリンチだけど、遠くから眺めておくことにした。
「君たちこそ、どうしてこんなに集まっている?」
「ん? ワポルが来たんだろう? 追い払うために、みんなぞくぞく集まっているぞ」
「どこでそれを」
「どこでって、そういえば誰から聞いたっけな?」
ワポルに襲われたという話はした。そうだろう。わかる。生きていると思っていた。帰るために、近くを彷徨っているだろうと。いつか、戦うことになると、みんなわかっていた。
それが確認された。
だが、来たとはどういうことだ。みんなグランドラインの住人である。ログのない船が近くで目撃されたからと、いちいちこのように集結していては疲れてしまう。
「見張りから知らせが?」
ちらりと視線を送られるが、ウソップが否定した。海岸線にワポルを含めて、不審な船はいない。
だが、ウソップは、龍驤がヨサクたちの船を見逃したのを覚えている。
リトルガーデンも同じだ。先に到着され、隠蔽されることはある。
「そういえば、今日は見張りだろう?」
「彼らを案内するために戻ったんだ。知らせはないんだな?」
「あ、ああ。いや、確かに、俺たちは知らせを聞いて」
「大丈夫だ」
ドルトンさんが戻ってきた。低空で、妖精さんが飛んでいる。
「ゾロ! 着替えと、剣だ。妖精さんが届けてくれた」
「ありがてぇ!!」
満面の笑みで受けとった。本人もそうだが、見ているみんながひと心地ついた。
「ド、ドルトンさん!! あんた怪我してんのか!?」
「やっぱり、ワポルが!?」
と、思ったら、またワチャワチャしだした。説明が、話をするのが難しい。ちゃんと聞いてくれない。
なんとなく、龍驤が適当にする理由の一端を垣間見た気がする。なにか言うたびにリアクションされて、心配されて、ウソップもビビも、揉みくちゃにされてしまった。
落ち着いて、誤報だとみんなが納得するまでずいぶんかかった。
「やっぱり、入り込まれてるな」
「混乱を助長されてるわ。多分、この中にいるはずだけど」
「バロックワークス。聞いたことはないな」
ドルトンさん曰く、知らない顔は混じっていないらしい。その確認にも時間がかかった。
「どうでもいいだろ。敵ならぶった斬るだけだ」
「その敵は誰だって話だ」
「適当に全員、ぶっ飛ばせば」
「こいつは無視だ。俺たちで考えよう」
三人は深く頷いた。ゾロはブスくれた。
パンパンパンと、花火に似た音がした。雪で見にくいが、ウソップの目には合図をする妖精さんが見える。
「ワポル来ちゃった」
「よーし、出番だな? ぶった斬っていいんだよな? 敵なんだよな?」
「え、ええ、まぁ」
「ビビ!!」
ゾロは出撃した。
山に向かって。
「ご、ごめんなさい」
ビビのせいではない。
「ゾロはおまけだ。元から三人でやるつもりだった。とにかく、状況はかき回されちまった。だから、ドルトンさん。どうしたい?」
「どう、したい?」
するべきことではなく、やりたいこと。
「そうさ。やりたいことがわかんなきゃ、なにをしたらいいかもわかんないだろ?」
やっぱり、麦わらの一味なんだな、とビビはウソップを見直した。
自由な彼らに、ビビやドルトンさんのような、やるべきことはなにもない。
「状況は、龍驤が電信って奴で教えてくれる。幸いなことに、人手もある。なんでも出来るぞ。さぁ、どうしたい?」
ウソップは楽しそうに、唇を歪めた。
「山、登らねぇのか?」
「登りたいか?」
ルフィは黙ったが、登りたいのだろう。そこに山があるのだから。
「なんか知らんが、ゾロが山登り始めたし、登りたければ登ってええぞ」
「どうしてだよ」
サンジが空を見上げた。合流したと安心した直後だ。わかっている。そこに山があるからだ。ルフィはソワソワと、ナミと山を見比べる。
「いや、待つ!!」
決意を込めてそう宣言した。鼻息が荒い。ナミがウンザリと言った。
「お願い。疲れるの」
「キミは寝とれ。ネギ、挿すぞ」
「どこによ」
民間療法の濫用はいけない。寒気の増す脅しだが、命がかかっている。この三人を相手に、油断は出来ない。寝てられないのだ。
ナミは一味のためにも、死ぬわけにはいかない。
三人は大木をくり抜いた、素敵なお家の前にいた。入りたかったが、止めた。断腸の思いである。
一応、焚き火はしている。気休めだ。
「もう来る。てか、来た」
雪のなかから、ソリが現れた。トナカイが立ち止まり、角を向ける。迷うこともなく、スラリとした影が降りたった。
「ハッピーかい?」
「こんにちはー」
とりあえず、ご挨拶である。そして、顔を見合わせた。
「どうかな?」
「病人抱えて、ハッピーはちゃうやろ?」
「寒い!!」
老婆が笑った。老婆だと思う。老婆であってほしい。
ニコ・ロビン並みに隙のないスタイルをしているが。
「なんだい、あんたたち」
「海賊だ」
「医者を探しに」
「うちの女神が病気なんだ。茹だっちまうぐらい熱が高くて」
「治してほしい」
「コレ、イッシー20の診断書」
「ここに来る途中で、変なカボチャ船に会ってよ。でも、薬がないって言うんだ」
龍驤が近づいてカルテを差し出すと、トナカイが進み出た。警戒しているようだが、撫でたいと全身で表現する不思議生物にビビっている。
口にくわえて、暫定的老婆に渡す。
「へぇ、珍しいね。ケスチアかい」
「古代の島でちょっち、バカンスを」
「ヒーヒッヒッ、呆れたねぇ」
サングラスを上げて、カルテを見ながら笑っている。顔と同じく、その手には年季が見えた。ちゃんと老婆らしい。
「若さの秘訣かい?」
「ウチ、年取らんから」
「つまんない奴だね」
「同感やな」
じっと老婆の視線が龍驤に向いた。なんとなく、キラリンブイしておいた。
「人間になりたいかい?」
「モドキで構わん。生まれたそのときから、ウチはウチや」
老婆は、初めて、微笑んだ。
「薬は城だよ。ついて来るかい?」
「あるのか!?」
「ああ、あるよ。年寄りはみんな、大事に取っておくものさ」
「ナミ!! 助かるぞ!!」
「よかった!!」
龍驤の間違いが確定した。空を仰いでも灰色と雪しか見えない。運が、よかった。それ以外のなにものでもなく、龍驤の知恵の及ぶ範囲ではなかった。
一味の力量や、龍驤の思春期、ナミとゾロの怒り。誰にとっても、なんら大したことではない。深刻ではあるが、きっと笑い話だ。
龍驤にとって重要だったのは、ルフィとの対立。
ルフィや一味がどう思っていたのかは知らないが、龍驤はこの瞬間まで、ナミは死ぬものと思っていた。なにも信じていなかった。
どれだけ希望があっても、どうしても無理だった。ルフィよりも、自分の情報と分析だけを当てにしていた。
だから、縋っていた。
要は目を逸らしたのだ。
軍の参謀ならばいい。別々の方向を向いていても、統制は取れる。だが、海賊としてはどうなのか。しかも、ルフィが理想とする海賊だ。
もしも、魔女の手に薬がなかったら、その対立は表面化していただろう。
一味はナミを最期まで諦めず、命をかけるだろうが、龍驤は諦めた。諦めて、一味に気づかれないように、ナミを静かに死なせた。一味には、その機会すら与えない。龍驤にはそれが出来る。
なにせ、本当に助ける方法などないのだから。
一番、やりたくなかったことだ。
当たり前だが、そういう態度は気づかれる。実際、みんな気づいている。いつものヤサグレだと、杞憂だと、そう思っている。
だが、本当にナミが死んだら、恨まれない自信はない。龍驤も仲間だが、ナミも仲間なのだ。
予言者が嫌われるのは世の常である。実際、龍驤が自己嫌悪で死にたくなるはずだ。
本当によかったと思う。どうしたって変えられないのだ。これまでのように謝ってどうにかなるものか。
龍驤は、麦わらの一味を追い出されたかも知れない。または、自ら去ったかも。
もはや失われた未来だが、忘れることはない。ルフィとの約束だ。
未来を予測して、勝手にどこかに行ってしまう龍驤を、捕まえてくれると言ったのだ。
これは愛の告白ではなかろうか。
龍驤は想像した。
たまにドカンと一山当ててくるけど、基本は穀潰しでフリーダムな旦那さまとの生活を。
「ないわ」
「なにがだ?」
サンジも、すぐに浮気しそう。ゾロは、帰ってこれなさそう。ウソップはいいかもだが、売約済み。
ナミは女だけど、でも、やっぱり、と龍驤は考え込む。
「カカア天下でも構わんけども、なぁ」
「ああ、失礼なこと考えてるわね」
ナミはそう言って気を失った。遺言になったらかわいそうなので、魔女に引き渡す。
トナカイが消えて、ちっちゃなヌイグルミが、ナミの額に蹄だかなんだかを当てている。
「スゴい熱だ。早く治療しないと」
龍驤は抱き上げた。
「ウチと結婚せん?」
ドラムは、吹雪である。