仲直りにあたって必要もないのに、龍驤は考えた。
ナミは勝ち気な少女である。
気の強い人間というのは、愛されて育った人間だ。人生で二度も親を失ったナミには当てはまらない。
もう一つ、我慢を覚えずに育った人間だ。やはり、ナミほど我慢を強いられた人間もいない。
しかし、ナミは愛されて育ち、望みのほとんどを叶えられて生きてきた。
義理ではあっても敬愛する家族がいて、その能力が故に、なんでも買い与えられた。
本当にほしいものは、決して手に入らない環境で。
龍驤はそんな人生を送る人間の呼び名を知っている。
魔王である。
冗談ではなく、歴史上の暴君という奴はそんなである。周囲にめちゃくちゃ甘やかされるけど、王様になる運命から外れたら殺されるか、幽閉される。そんな悲劇の人が暴君、魔王になる。
国とか世界とか滅ぼしそう。
しかし、ナミの夢は世界地図である。
地図があるとどうなるか。
世界が発展する。
地図は軍事上の秘密であり、その作図方法からして秘匿されてきた。
現代の誰もが一度は触れて、ほとんどが二度と関わらないと言われる三角関数は、戦略情報であった。
三角関数で可能なことは、測量や天文学など多岐に渡り、わかりやすく言えば時間と空間を支配するということだ。
非常にカッコいい。
現実にチートスキルが存在するなら、三角関数こそが相応しい。
使いこなせるかどうかはともかく、知っているか知らないかで、空母の有無と同じ状況になる。
だから独占されてきたし、現代では義務教育に含まれる。身分差を生まないためだ。まさか、そんな、差別を生むゆとりとかあるわけない。知らない。
地図とは技術である。技術のあるなしが、格差を生む。
こうした技術を秘匿せずに広めた方がいいというのが証明されたのは、近代でも現代でもない。古代ローマだ。流石に義務教育までは無理なので、すべての道はローマに通ずしたら、なんか未だに使えるインフラを残すような大帝国が出来た。
決して皇帝がオモシロおかしいことではなく、どこにでも行ける道を誰にでも使えるようにしたのが、ローマの特徴だ。作り方はともかく、使い方を一般化した。
その効果というのは凄まじい。
ファンタジーでありがちな先史文明的な設定というのは、有り体に言って史実であり、ローマである。
その証拠に、うんこまみれで有名なヨーロッパが、上下水道完備の古代ローマに追いついたのは、近代になってからだった。
もうちょっとなんとか出来た気がしなくもない。
しかし、今に至ってもローマが作り出したネットワークを再現出来ないままなのは事実である。
まぁ、ブロック経済で弾かれた挙げ句、国を焼かれた身としては、そんな頃から自由経済の有用性が明らかだった事実には思うところもある。
経済と安全保障というのはなかなか両立しないものだ。
龍驤はつっと宙を見上げる。
つまり、なんというか、ナミはローマだった。
クロコダイルと合体したら、きっと大英帝国よりもヒドいものが出来る。
絶対に渡してはならない。
負けられない戦いである。
現実逃避なのに、逃げ道がなかった。
龍驤は諦めない。
技術は秘匿されるのだが、三角関数のような数学が利用されていると、ちょっと困ったことが起こる。
数字と四則演算だけ知っていれば、地面といい感じの枝だけで、簡単に公式を再現可能なのだ。
ウソだと思うかも知れないが、本当だ。古代ギリシャだとそうだった。
で、書いた落書きを踏めなくて帰れなくなったりした。
人間はみんなバカだ。
バカだけど、ちょっと暇するだけで、ローマ帝国の礎が手に入るのはマズい。
偉い人は考えた。
そうだ。数学を魔法にしちゃおう。いい大人が魔法に夢中になってても、生暖かく見守られるだけである。多分、広まらないだろう。そうしよう。
こんなフザけた発想の象徴が、日本にある。
陰陽寮だ。神道から、密教、修験道、風水、易占、その他もろもろなオカルトの集合体。それらを統括、運用する国家組織。
彼らは決して、いかがわしい宗教組織ではない。優秀な官僚組織だ。毎日、水時計とにらめっこし、空を見上げ、虫を探して這いずった。電気のない時代に夜を徹してである。
なんでこんなことになったかと言えば、頭の痛い数学的知識体系を、無造作に丸投げされたからである。
もうちょっと、神様や神秘に配慮とかなかったのか。
安倍晴明はヤサグレている。
魔法陣は幾何学文様であり、数学なのである。五芒星とか六芒星を描いて、カッコいいと満足しているわけではない。よって、偉い人は気軽に方違えとかで陰陽師を呼ぶ。
現代で言う、SEだからだ。うん、説明書見て。
龍驤が陰陽型であることと、一切合切関係はない。そこに関連性はない。ないのだ。
つまり、ナミは魔王で、ローマで、魔法少女である。
滅んだり滅ぼしたり、消し飛ばしたりしそう。
女児向けコンテンツのはずが、どうしてこうなってしまったのだろうか。
やはり逃げ場はなかった。
これ以上考えると、ナミが極太のビームを撃ち始めてしまう。
龍驤は扉を開いた。
「元気か〜?」
「そんなわけなくない?」
その通りである。熱は下がったが、まだ平熱ではない。
「外、どうしたの?」
「ケンカ」
変形合体バトルの間違いである。
「じゃ、大丈夫ね」
龍驤はほっとした。これでまた仲間外れとか言われたらどうしようかと思っていた。
「まだ、気にしてるの?」
「加減がわからん。価値観の違いはどうもな」
音楽性の違いというやつだ。簡単に集団が離合集散する。海賊だからきちんと組織化されていないだけに、気を使う部分ではある。一種の経験則なだけに、一味の誰も気にしていなくても、龍驤は気にする。
「そんなに違わないと思うけど」
「大違いや。ウチが合わせとるだけやな」
「そんなに?」
どう説明したらいいものか。麦わらの一味はみんな優しくて、龍驤に我慢なんかしなくてもいいと言ってくれるし、態度で示してくれる。
なんなら、怒ってしまう。ルフィすら苛立ち、ナミは爆発した。そうもいかない事情を、ちゃんと飲み込めない。
ルフィに関しては聞かないので自業自得だが、一般人のナミには説明しないとわからないかも知れない。
ナミはこんな生い立ちながら、甘やかされるのが当たり前のように生きてきた。守られて不満に思うわけがない。
自分が弱いこともわかっている。ただ、なんというか、魚人たちと暮らしていたときと変わらないのだ。
なに不自由ない生活。与えられた仕事さえすれば、破格の報酬が手に入った。麦わらの一味でもそうだ。
男たちにそんな気遣いは出来ないので、ナミの待遇は龍驤が保障している。
だが、ナミは貧乏でも、一緒に苦労をしたかった。お金がない、力がない、そんな理由で誰かが犠牲になるのは嫌なのだ。それで自分だけ守られるぐらいなら、一緒に死にたかった。逃げ出したかった。
かつて、本当の家族じゃないと飛び出して、絆を確認して、仲直りをする間もなく、別れを強制された。
つい先日、本当の仲間じゃないと飛び出して、迎えに来られて、なんだかわからないうちにケンカして、仲直りの間もなく、龍驤はボロボロだ。
あの日、ナミは我もなく泣いたが、今はそんなことはしない。それだけの関係を築けたと思っている。
そもそも不満は、誰にも、誰に対してもある。それはその都度ぶちまけているし、龍驤だって変わらないはずだ。
それでもなにか、どうしても龍驤だけが一味の中で特別であり、わけもわからずにナミは爆発した。嫉妬かも知れないし、不満かも知れない。
結局、同情したのかも。ナミ自身ですらわからないが、龍驤の待遇は男たちの共通認識であり、ナミには理解出来ないものだ。
戦いの中に身を置けばわかるのだろうか。そんな感覚はある。だから、仲間外れにしないでと叫んだ。
でも、本当に戦いたいかと言われると、やはりあれは熱による妄言に過ぎないのだ。
化け物バトルに巻き込まれるのはゴメンである。ナミが外の光景を見たら、顔を引きつらせるだろう。
そんなナミに、どう戦う者の感覚を理解させるか。龍驤は頭を捻り、結論した。
「強いやつに勝つ方法が戦術や。ほな、戦略ってな、なにかわかる?」
「圧倒的に勝つ方法でしょ?」
解答が魔王である。龍驤は気圧されつつ、答えた。
「戦わん方法や」
ナミは不思議そうな顔をする。軍隊だとか国だとかが操る、小難しいのが戦術だの戦略だ。人々を弾圧したり、敵を滅ぼしたりするためのものだと思っていた。
戦術にしたって、強い相手に勝つというより、簡単に勝つ方法だとばかり。
しかし、龍驤はそう思ってはいない。
「巨人に勝つために、ある英雄は石を投げた。巨人ですら届かん場所から、一方的に攻撃するために。一回殴られただけで、人は死ぬからな。一方的言うても、楽ではない」
「へー」
それが戦術らしい。
「じゃ、戦わんためにはどうしたらええか。争わんように法律を作るとか、物を交換して取引するとか、色々あるけどな。本質は一つ。うんこ投げるんや」
「は?」
「うんこや。投げられたら嫌やろ?」
「そりゃ、そうだけど」
「一般人なら、石を投げりゃ逃げてくれる。せやけど、戦士とかやと、石ぐらいじゃ逃げん。戦わなあかん。投げ続けたら勝てるかもわからんが、戦いたくないねん」
「だからって、その」
「石に当たって死ねば名誉や。やが、うんこなら? そのせいで病気になったら? うんこの雨に耐えて、うんこまみれで敵の前に立って、うんこを投げてくる敵に勝つんか?」
「うっわっ。性格ワル」
龍驤は常に言っていた。戦いの中に身を置ける人間こそが、戦士であり兵隊だと。それ以外は一般人だ。
では、戦士と兵隊の違いは。
「戦士から、名誉と栄光を奪う。うんこにまみれて義務を果たせるのは、農民か兵士だけや。それがウチの戦い方や。どう思う?」
「大人しくしてて?」
「敵もそう思う。ウチもそう思う。みんなそや。だから、出来るだけ裏方まわろ思うねんけど、敵が弱いか、強過ぎてなぁ」
ルフィたちの誉れとならないような、例えばクロだのクリークだのといった小物。龍驤の罵詈雑言と、ちょっとした策だけで勝負は決まっていた。
後のことは戦いですらない。ただの残務処理だ。
アーロンは強く、彼なりの誇りを持っていた。
だが、アーロンだけが生き残ったところで、アーロンパークはもう終わっていた。龍驤が殺せなくても、殺されても、戦略上はついでである。
鷹の目に、砲撃をぶちかました。剣一本に、空母と言えど戦艦一隻分の大砲を向けたのだ。鷹の目を殺す必要はない。あんな小舟である。龍驤ならば、いつかは沈められる。
ゾロが対等に立ち向かい、ルフィが見届けた戦いの相手だとしても、そうやって勝負を終わらせてしまえる。
モーガンは部下たちの頑張りで、運命は決していた。きっかけではあるが、ゾロを仲間にしただけで、あの戦いの勝利者は町と海兵たちだ。
一味がまともに戦い、その価値を示したのは、どれだけバカにされていてもバギーぐらいだ。
だから、龍驤を仲間にした麦わらの一味と戦って、彼らだけが生き残っている。自分たちの旗を掲げ続けている。
「戦いに意義や誇りを見出しとる仲間の隣でうんこ投げるんは、気が引ける。キミも安全やからってうんこは投げたないやろ?」
「そうね、ゴメンだわ」
「だからって、なぁ?」
「あいつらの隣には並べないわね」
龍驤が疎外されている理由がわからなくて、だから仲間外れの気分になっていたが、よくわかった。
いや、なんでバギーがまともな海賊扱いなのか全然わからないが、わかった気はする。
シロップ村でウソップがドン引きしていたり、ルフィやゾロが顔をしかめていたのは、龍驤が悪罵という形のうんこを投げていたからだ。
例えに過ぎなくても、うんこまみれの敵とは戦いたくあるまい。
だが、龍驤に戦うなとも言えない。ナミが弱いからだ。そして守りきれるほど、一味が強くないからだ。
「やっぱり、わたしが弱いのがネックなのよね」
「いや、そんなことは」
「少なくとも、自分の身は自分で守れるようにならなくちゃ」
「いやいや、普通の女の子でいてほしいねん」
「今さら鍛えたって無理よね。じゃあ、武器?」
「わかっとったでぇ。キミらホントに人の話を聞かんもん」
「龍驤の武器って、私も使える?」
「アカン」
ではなぜにワポルに与えたのか。どうせ食べたらうんこに変わるからだ。あと、サンジは龍驤を蹴れないからだ。
ルフィについてもよくわからないし、ちょうどいい実戦の機会だった。強くなったにしろ、この世界基準だとどう評価していいかわからないし、なにをしてもワポルに負けるわけもない。
しかし、どうもさっきからうんこについて考えてばかりなのはどうしたことだろう。女の子二人の仲直りの場面なんだが。
ヨーロッパが悪い。
「一応、ウソップには依頼してある」
「ホント?」
「費用はウチ持ちや。ウソップの作るもんなら、まぁ、そこらの化け物相手でもなんとかなるやろ」
そうでないと困る。ウソップが技術的に再現出来ないと、龍驤だって使えない。一応、龍驤の戦闘力は、ロボット的なサムシングで構成されている。
陰陽師なのは形だけで、妖精さんの手も入っているが、断じて機械工学的な技術を投影した感じなのだ。
多分。連装砲ちゃん的な意味で。
どうしよう。協力を頼んだ妖精さんの悪ノリ次第では、ナミが峯風型駆逐艦に。
「アリやな」
「不穏なこと考えてるわね?」
男たちも成長しているが、ナミも目に見えて成長している。ニコ・ロビンにも迫る勢いだ。どうやら龍驤の世界でも、女王になれそうである。守護らねばと決意を新たにした。
下らない妄想も大事だが、あとはウソップを信じる。
ナミは覚悟を示したのだ。
「すまんな。キミも戦う者なんやな」
「やめてよ。あくまでも、最後の手段なんだからね?」
変形バトルは、ネタの切れたワポルが追い詰められつつある。この島で過ごす時間も僅かだ。
チョッパーの言う通り、笑わせてプレゼントをチラつかせたらなんとかなった。謝罪とともに、礼もしなければならない。
めんどくさい葛藤は終わった。
龍驤は、絶賛うんこを投げつけている相手に集中した。
ドラム島から遥か東。アラバスタ王国のあるサンディ島。
クロコダイルの本拠地であるレインベースの地下では、グランドラインの海図が広げられ、その上で走り回る妖精さんたちが、アラバスタへ向かう船を象る駒を、また一つ、また一つと蹴り出して、バッテンを書き込んでいた。
「こ、これで集結予定の兵力。その三分の二が沈められたことになるのカネ?」
「沖合の人工降雨船は?」
「自沈させたわ。回収は事実上、不可能よ」
「それでいい」
「アラバスタは雨を取り戻すわ」
「だからなんだ?」
食い殺されそうな視線を受けて、ニコ・ロビンは黙り込む。
「オフィサーエージェントは合流出来そうか?」
「さらに東から回り込ませてなんとか、というところですな。囮に使った船団は全滅だガネ」
「構わねぇさ。もはや、雑兵なんぞなんの役にも立たん。温存する術すらねぇ」
「確かに」
「哀れね」
「哀れなのは俺たちさ。いや、およそ奴らと敵対する全てがそうだ」
クロコダイルは苛立たしげに葉巻を咥える。
「魚人でさえ、移動には船を使う。その船が、尽く沈められる」
「誰も、海には出られないガネ」
「飛行能力。これ程厄介とは」
クロコダイルは盛大に煙を吐き出して、頭脳を働かせる。まだだ。まだ、負けたわけではない。
ピリリと笛が鳴る。妖精さんがクロコダイルに敬礼し、海図を指差す。別の妖精さんが、そこに新たな駒を置いた。
「白ひげのマーク!? どういうことだガネ!?」
「落ち着け。情報は?」
「ないわ。いえ、待って。未確認だけど、火拳の目撃情報が」
「あの跳ねっ返りッ」
「これはマズくないカネ!? なぜかこちらに向かう海軍と、この島で鉢合わせする可能性が!!」
ドンと海図を含めて、机の上のものが飛び上がった。妖精さんが驚いて右往左往する。
その場にいる、全ての視線がクロコダイルに向いた。お茶汲みをしていたMr.5ペアも、お茶を飲んでいるミス・ゴールデンウィークも、彼を見ていた。
クロコダイルは葉巻を噛みちぎり、葉巻は涸れ果てて粉々に消え去った。
最後に吸い込んだ煙を吐き出し、血を吐くように、クロコダイルは聞いた。
「Mr.4ペアは、到着していたな」
「ええ、スパイダーズカフェで待機しているわ」
クロコダイルの拳が、音を立てて握りしめられる。
「ここを放棄する。移動の準備を」
「いいの?」
「従え。今はな。白ひげの小僧も海軍の若造も、俺が対処する」
「拠点化は進めておきます。臨時で指揮をとっても?」
「助かる。出来りゃ、生き残りで行き場のない奴らも収容しろ。裏切りで瓦解するのだけは勘弁だ」
Mr.3は敬礼した。それは妖精さんに釣られてのことだった。クロコダイルは複雑そうな表情で、それを見送った。
ニコ・ロビンは無表情だが、実はちょっとほっこりしている。