龍驤から連絡のあった翌日から、その小さな影は視界の端にチラついた。
そいつらはなにをやっても殺せず、追い出せず、クロコダイルをして放置せざるを得なかった。
彼女らが情報を流し始めたのは、クロコダイルがヤサグレきった後である。
麦わらの一味の航路と、もう一つ。ウィスキーピークで始末し損ねた、アラバスタの護衛隊長。
その航跡を、フザけた小人たちが描き出したのだ。
なにを今さらと思った。確かに、ニコ・ロビンを捕まえた麦わらの一味に注目するあまり、放置していた可能性ではある。
だが、もはやなんになると言うのか。クロコダイルはついでとばかりに、集結中のフロンティアエージェントの大群を差し向けた。
それが間違いだった。
とるに足らない小舟を包囲する様を、リアルタイムで見られるというのは便利だ。感染症への対処、クロコダイルを含めた幹部の隔離。その代償がこれだとしたら、ずいぶんと薄情なことだと、切り捨てられた護衛隊長に同情すらした。
理解出来ないものを、クロコダイルはそう理解しようとした。なんとか理屈をつけた。
精神の均衡を保っただけだ。目の前でわけのわからない小人が遊んでいるのだ。はっきり言って、クロコダイルは病んでいた。
次の瞬間、十隻を越える船団が消えて、撃破マークが刻まれた。さらに意味がわからない。
すぐさま確認させた。周辺には、他にもバロックワークスの船がある。簡単なことだ。
それらも、連絡を絶った。
ニコ・ロビンはその瞬間を目撃し、全力で無表情を保った。多分、人生で一番、心を殺した。
Mr.3が呼ばれた。
「我々の乗ってきた船は、跡形もありませんでした」
それは知っている。自分もこの目で見た。だが、沈痛なその顔はまるでこの事態を予見していたかのようだ。
クロコダイルは出来なかったのに。
なおも、小人たちは情報を表示し続ける。
現状だけではない。あらゆる想定、if、可能性を図上で再現し始める。
不幸だったのは、クロコダイルがそれを理解出来たことだ。
例えば、護衛隊長の船を確認した瞬間に全船を退避させた場合。
被害は出るが、バロックワークスが壊滅するという、現在の窮状は存在しない。
この図を信頼した場合。確認などに時間を使わなければ、やはり被害は大きいが、まだなんとか出来る余地があった。
全てが無駄な想定であり、その全てに意味があった。怒りに震えながら、謀略の意味を知った。
なにも信頼が出来ない男に向かって、そもそもそんな判断など無用なのだと思いっきり知らしめている。
疑ったところで、確かめられないのだ。確かめるという行為そのものがリスクなのだ。情報の真偽でなく、有無で判断しなくては手遅れになる。
その周辺ごと吹き飛ばされる。
クロコダイルはこの情報の濁流の中で、半ば自動的な装置として、ただただ判断を繰り返さなければならない。
最善だけを出力する装置として。
嘘、欺瞞、無能、クロコダイルが嫌い憎む、全てが無意味だった。そんなものは時間と船とともに、消えていくだけの感傷だ。
現実は押し寄せてくる。無能だろうが有能だろうが、海と空が飲み込んでいく。
必要なのは拙速。行動だ。
クロコダイルがなにを思おうが、勝利を希求する限りそれ以外の選択肢が存在しない。よっぽど、不貞寝したい。
現状の把握については、Mr.3に一任した。ニコ・ロビンにはその補佐をさせた。集結するエージェントたちの予定位置、航路。可能ならば退避させ、連絡を取り、なにが起こっているかを把握しようとした。
なにもわからない。
だが、知っていることはある。王女と麦わらの一味は囮だと、あの小娘は言い放った。ならば、主攻正面はどこだ。
護衛隊長に決まっている。
一人で操作可能なヨットに過ぎない船に、クロコダイルが長い年月をかけて揃えた兵力がすり潰されていく。クロコダイルはほとんど、見ているしか出来ない。
やがて、海図に海軍の船が現れた。なんの意図か。誰の意図か。やはりなにもわからないまま、情報だけが積み上がる。
本当になにもわからないし、把握出来ない。これだけ詳細な戦況図があるのに。
小人たちは口がきけないのか、なにを尋ねても首を傾げるだけだ。イラつき暴れても、喜ばれるだけで自分たちばかりが被害を被る。
隔離してるから、掃除とかは自分たちでやるのだ。クロコダイルはとっても真面目である。ほうきとちりとりで砂を集めてる。
動揺して、能力を制御出来ない。クロコダイルは綺麗好き。思いがけずSAN値が回復して、鼻水が引っ込んだ。
なにが便利なものか。こんなもの、手の込んだ脅迫に過ぎないではないか。なんだかイライラしてきた。
だが、クロコダイルは折れない。手は打ち続ける。
人工降雨船は処分を決めた。アルバーナだけを狙うのも、アラバスタから雨を奪うことも、もはや出来ない。嫌がらせはしたが、偶然に頼るだけだ。
脅威が迫っていた。
海軍が近づき、それがスモーカーだと言う。こっちから話しかけてもダメなくせに、いらんことばかりわからせられる。似顔絵が上手い。
七武海嫌いの石頭だ。アラバスタを見ればなにも知らなくても、クロコダイルというだけで疑念を持って、なにかを探し始めてもおかしくない。
今はあらゆることで手一杯だ。海軍の干渉は迷惑である。
それでも、クロコダイルにはまだ選択肢があった。護衛隊長の乗る船を中心に、被害は拡大している。途方もなく大きな、円形の領域。島を覆うような規模だ。
それはまだ、サンディ島を囲んではいなかった。逃げ道が、退却路があった。
失敗を認め、再起する道があった。
あの小娘の下卑た笑い声が聞こえる。
「信頼出来んのやろ? 誰も、自分でさえも」
野望を、理想を、野心を裏切るのか。この自分が。クロコダイルが。
結成直後のルーキー相手に、尻尾を巻いて逃げるのか。
集めた人材は優秀ではあったが、まだ未熟だ。やがて新世界に攻め込むにしても、まだまだ足りない。あの新世界は、人材すらも飲み込んで、現状を維持するのだ。
だからこそ、まだ青い芽を従えた。だからこそ、今はまだ空中の敵には手も足も出ない。
三年、いや二年あれば。オフィサーエージェントを含めて、誰劣ることのない勢力を築き上げられたのに。
プルトンなどなくとも。
そうだ。クロコダイルはニコ・ロビンを信頼していない。プルトンはあるのだろう。だが、ニコ・ロビンにそれを教えるつもりなどない。表ではともかく、裏ではオハラ滅亡の経緯など鳴り響いている。
古代兵器の復活など、オハラの目的ではない。ただ、歴史。それだけだ。そんな下らない理想をたった一人で、幼いうちから今日に至るまで受け継いできた女が、それを海賊に教えるはずなどない。
どれだけ恨み、悲しみ、怒りを抱いても、オハラが世界を滅ぼすわけがないのだ。
それでいい。
たった一人の裏切りで、瓦解するようなちゃちな計画は立てていない。
だがそれが、クロコダイル本人ならば。
王下七武海、サー・クロコダイルが失敗したのなら。
信頼を裏切ったら。
信用に値しない弱者だと。
情報ごときに振り回される愚者だと。
「無理やろぉ? 出来へんやろぉ? ゲラゲラゲラゲラ!!」
声が聞こえる。耳障りな、あの幼い声が。
クロコダイルの限界を嘲笑っている。
ほんの少し、慎重であれば。敵を侮らずに、警戒しておけば。
クロコダイルにはそれが出来たはずなのだ。自らの手で、誰にも任せずに調べたのだから。
あのガープの孫だと確かめた。戦歴を見た。操船技術の異常さも、不可思議な能力者がいることも確認した。
目の前で、自分たちは囮なのだと馬鹿にされた。
それなのに、本命に向かってなんの警戒もせず、貴重な戦力を突っ込ませた。
あまりにも馬鹿だ。それに関してクロコダイルはなに一つ騙されていない。ただただ、間抜けなだけで計画は頓挫した。バロックワークスの半分が沈んだ。
なにも信頼しないと言った男が、常識を疑わなかったのだ。
そして今は、騙されているのかどうかもわからず、あったかも知れないことの対処に忙殺されている。
解決策も見つけられないまま。
酷である。非常に酷である。そんなのわからないに決まっている。でも、妖精さんは喜々として、またクロコダイルの前で演習を始める。
だって、おもしろいぐらい落ち込むから。
この世界に飛行機はないのだ。公式に確認された飛行能力さえ、五つしかない。その威力をなにも知らない状態から察しろと言っても無理だ。現物があっても無理だったのだから。
しかし、妖精さんは執拗に煽る。ほんの僅か、例えば被害が半数ですんでいたらどうだったとか。あんな解決策、こんな解決策を、言葉を発しないで机上演習だけで表す。
クロコダイルはなまじ頭がいいせいで、思考を全部そっちに誘導される。どうしようかの前に、妖精さんの動きを理解することに頭を使ってしまう。
幻聴ではなく、実際に小娘は悦に入っている。
所詮、机上演習なのだ。クロコダイルが多少慎重になったところで、技術格差は明白である。
なんの慰めにもならないが、どうやっても結果は変わらない。変わるように思うことが騙されている証である。
クロコダイルは、目に見えて憔悴していった。Mr.3はどうやって逃げ出すかを考え、Mr.5はレモンティーをミス・バレンタインと一緒に入れた。鼻くそは入れてない。
ミス・ゴールデンウィークは、変わらずお茶を飲んでいるが、クロコダイルの側にいつもいるようになった。
なにも信頼しない男の慕われている様子に、ニコ・ロビンは表情をムズムズさせた。
電伝虫が鳴る。
「わかったか?」
『せっかちじゃのう。開口一番か』
「どうなんだ?」
『ふむ、面白いオモチャじゃ。要は外輪船と、またはお前さんが知っとるかどうか、スクリュー船と同じじゃな。違うのは空気を推進力としているぐらいか。これで飛ぶというのは、なかなかに刺激的じゃ』
「弱点は?」
『弱点? 所詮はオモチャじゃぞ。弱点だらけじゃ』
「教えてくれ」
『……ふむ、そうじゃな。まず、空気の流れを使って飛ぶ、その構造じゃ。天気が良ければいいが、このグランドラインでは気圧の些細な変化すら、飛行に影響するじゃろう。そして、軽い。なんせ、オモチャじゃ。石礫が当たっただけでも致命傷じゃろうな。まるで紙のような装甲じゃ。ま、木だからそのものと言える』
「他には?」
『速度かの? どちらかと言えば遅い部類じゃ。自然界でもな。それでいて、その速度がないと落ちる。武装も豆鉄砲じゃのう。これで傷つくのは一般人だけじゃ』
「それだけか?」
『大まかにはな。なんなら、もっと詳細なレポートを作らせようか?』
「いや、構わねぇ。助かったぜ、ベガパンク」
『金が貰えるなら構わん。むしろありがたい程じゃ。商売をしとるならどうじゃ、ワシに投資してみんか?』
「今の仕事が終わったら考えよう」
『なるほど。では、幸運を祈る』
クロコダイルは受話器を置いた。その目に希望が、殺気が宿る。
「小細工だ。だが、俺を追い詰めた。称賛しよう。麦わらの一味は、まさに我々の敵だ」
Mr.3は、脱出計画をすぐさま破棄した。命が危ない。クロコダイルの周囲に、他のオフィサーエージェントたちが集まった。そして気勢を上げる。
ニコ・ロビンはその光景を見て、人って変わるものだなとありきたりな感想を抱いた。
妖精さんがお菓子を強請っている。
とある秘密結社は、堅い絆で結ばれている。
ちなみに、戦況は時間軸を微妙にズラして教えているし、実は遠くから始末しているし、もっと遠くにも行けるし、手に入れたと思い込んでいるサンプルはこっちで手配したし、初期型の零戦だし、機関銃には曳光弾しか詰めてない。
緯度も経度もわからないで、龍驤がもたらす情報の正しさなど検証しようもない。
そもそも妖精さんはクロコダイルのところにしか送ってないから、不思議な感じにサイズを無視した性能なんて発揮しない。爆弾なんかリトルガーデン以来、見せてもいない。
信頼なんてするものではない。させるものだ。でなければ、世に宗教が蔓延るものか。
信じる者は騙される。疑う者はカモである。
龍驤はヤサグレている。
数日の間だけではあるが、龍驤は悩んでいた。それなりに深刻な葛藤を抱えていたのだ。
うるせぇの一言で切り捨てられると、なんとも言えない。
いいことだと思うんだけど。あんな可愛くていい子が、自分を化け物だと思い込む方が間違いだけど。
本当にルフィの生き方が羨ましい。
「なに拗ねてんのよ」
「ヤサグレとんのや。アイデンティティを奪わんで」
最近、こう、どんどん子供扱いが進んでいく。要は人間扱いされている。
別に文句はないのだが、詐欺を働いている気分になる。
「ウチは正真正銘、化け物なんやけどなぁ」
「あんたが?」
鼻で笑われた。チョッパーがショックを受けている。
「人を食うのか?」
「人を食った態度やと、よー言われる」
チョッパーがショックを受けている。怖がっている。ウソップが龍驤から隔離した。ナミが龍驤を叩く。
「いらんことすな!!」
「ケーケッケ」
龍驤は樽盃を傾ける。なんと、ラガーである。寒すぎて常温発酵しないのか、ドラムでは主流だった。
エールのような華やかさには欠けるが、雑菌の繁殖も起こりにくく、品質が一定で大量生産に向いたビールである。冷蔵技術の普及とともに、世界を席巻した。
「ウヒヒヒ」
つまり、売れる特産品である。ウィスキーピークとの穀物取引が軌道に乗れば、増産も可能。自然環境由来なので、大規模資本もいらない。
この海洋世界、淡水化設備があっても酒類の需要は高く、みんな依存症気味である。サンジがドリンクを用意するのは、伊達でも道楽でも、スケベ心でもない。一味の健康のためだ。
そうした工夫が必要なぐらい、フルーティなエールに慣れた人々が、喉越しスッキリなラガーと出会ったら。
笑いが止まらない。
「こら、儲かるでぇ」
獣毛を始め、毛皮や畜肉などの輸出向け商品も豊富である。龍驤はそんな国で、建国の手伝いをした。
合体して、二人分の仕事を一人で熟すことを約束された悪代官とともに、新王国の法律案とかスパパンと書いてきた。
ワポルは好き勝手に法律を追加するだけだったので、逆にちゃんとした法体系が無事だったから楽なものだった。王様っぽい総督的な政治体制とか、帝国軍人には慣れたものである。悪代官は死にかけのところに、追い打ちで瀕死だったが。
ビビと顔合わせもすんでいるようだし、立ち上がりは円滑に進んでいる。バカのおかげで独自の医療技術が流出し、下手したら衰退するところだったのだ。
医者を殺さずに追い出したらそうなる。
龍驤の考えることは、この世界の暴君よりも酷い。
仮初めでも王が立ち、安定すれば再びドラムを訪れる人々は戻って来る。これまでとは違うかも知れない。しかし、これまで以上に。
龍驤は恩を売った。
リトルガーデンで空になった酒樽に雪も詰めたし、成果は上々だ。
問題は、だ。
まず、カルーが死にかけていた。ゾロ救出に一番骨を折ってくれたのは彼だった。本当に申し訳ない。全然、気がつかなかった。羽毛がなければ即死だった。
今後も龍驤の布団として、任務に精励してほしい。
あと、ドクトリーヌの照れ隠しのせいで、半ば追い出されるように島を出た。
チョッパーを仲間に出来たのは、素晴らしいことだ。それに関しては、龍驤の手柄などない。脅しただけだし、まさかプロポーズを本気にはしていまい。
しかし、麦わらの一味がまともに補給出来たのは、ローグタウンが最後なのだ。悪天候に加えて、急いで逃げ出した町である。
双子岬は補給拠点ではない。ウィスキーピークは食糧不足。リトルガーデンでは肉オンリー。
航海とは、そんな簡単なものではない。ルフィがさせない。
まだ、寄り道による危機は終わっていない。
「新しい仲間に!! 乾杯だぁーッ!!」
「カンパーイ!!」
龍驤は唱和する。そしておつまみの追加でケンカする二人を鎮圧し、宣言する。
「これより!! 冷蔵庫は妖精さんにより警護される!! 銀蝿を狙うものは命を覚悟せよ!! 一同、団結せよ!! チョッパーとカルーを非常食にしないために!!」
すいっと、みんなの視線が動物組に向いた。二人が青ざめた。龍驤がその肩に手を置く。
「勘違いしたらあかんで。キミ、食われる側やから」
「ギャーっ!!」
「いい加減にしろ!!」
「止めて!! カルーを食べないで!!」
楽しい宴が阿鼻叫喚に変わった。龍驤は楽しそうに大笑いした。
故郷の花を、久しぶりに見られたのだ。
「俺、改めて龍驤がわからねぇよ」
ルフィの一言に、男たちが同意した。
悲報。麦わらの一味、軍人ジョークがわからない。
笑いのツボ