天国の門とか言う、完全に観光スポットな外観の建物に、龍驤は中指を立てた。
「地獄やろが」
「そんな感想を持つの、あなただけよ?」
ただし、手前にあったもふもふの雲は気に入ったようで、切り出してさっそくメリーの甲板に並べた。楽しんでいた。それをグレムリンそっくりな婆さんが写真に収める。
「誰?」
「いや、観測手」
そんなの、みんなとっくに気づいてた。なんならピースしてた。ガン・フォールさんから話だって聞いていたのだ。グラサンしてクリームソーダを飲んでるバカは、さすがに一人しかいない。
ルソッチョは観光で忙しい。しっかりしなきゃと、残りのクルーが気合いを入れている。
「入国料を払いな。それが法律」
「税関、検疫、入国管理のどれや?」
「え?」
「えやあらへん。執政権のありかを問うとんねん。シャキシャキ答え」
「よし、黙れ」
龍驤がケンカを売った。クルーは止めた。めんどくさいからだ。官僚に法律など語らせてはならない。
要は、行政を行う能力のない場所で違法性を問うても知りませんよという話だ。そういうことが言いたいなら、ここに軍なり警察なり入国管理局なりを置かなくてはならない。
守らせるつもりもないような法律は、ないのと一緒だ。例えば、常識ってちゃんと存在するものだろうか。
なんとなくあるものと扱っているが、実際にはないから大変なのだ。目玉焼きになにをかけるかだけで、人は争う。守るのも守らないのも自由。強制される根拠はない。だからちゃんと明文化して、法律にするのだ。強制するために。
法律にした以上は責任を取らなければならない。責任も取れないようなことをする人間も国家も、認められることはない。
なぜなら、イギリスがあるからだ。
あいつらに騙されるような国とか人とか、本当に迷惑だからだ。
滅ぼしてやりたい。
だが、龍驤の世界はあの国をどうにかすることを諦めた。よって、自立した国や人間の基準を、そこへ置くことに決めた。
認めざるを得ないのだ。本当に腹立つが、やつらの外交と二枚舌と屁理屈は、驚くほど有効なのである。
油断するとスパイとか特殊部隊とかを暗躍させるし、なんならただの商人と見せかけて麻薬を広めてくる。海賊を送り込むし、テロだってさせる。
それで勝つ。俺が正しいと言ってのける。
面の皮が厚いにも程がある。
およそ、あらゆる紛争の陰日向にあの国がチラつくようになって、世界は学習したのだ。
あれを放っといたらヤバい。でも、勝てない。
最低限。最低限だ。あの国を信じないだけの常識を備えていてくれないと、いつまでたっても世界は平和になんてならない。
せめて自分の国でぐらいは、あいつらに法律の穴とか裏とか突かれない程度の能力がなければ、安心して付き合えない。
だって、真似してしまった。
研究して、分析して、学んでしまったのだ。みんな、同じ穴のムジナだ。後悔しても遅い。世界は支配された。
英国のルールに。
見ろ。イギリスのいないこの世界の住民の善良なこと。王様もお姫様も、神様と呼ばれようと、みんないい人。
悪党にだって愛嬌があってツンデレだし、モックタウンのゴミクズにだって、敗者に示す敬意があるのだ。
そして挙げ句に、ドクロを掲げた海賊船へ、こんな詐欺まがいなことをしてくる。
両替出来なきゃ、億単位の貨幣など持ってるはずがないだろう。船の積載は限られているのだ。貴金属はもちろん、そんな大金を積んでおく理由などない。イギリスが世界を支配したもっとも大きな要因は、為替と保険。つまり、金融である。
為替と両替はよく同じに勘違いされるが、まったく別のものだ。為替は現金以外の取引のことなので、現金同士の交換である両替は、欠片も為替ではない。
つまり、為替相場と呼ばれるものは、円とドルの交換レートを表しているのではなく、円の為替とドルの為替の交換レートを示しているのである。
いや、なにが違う。
この意味わかんない取引システムは、遠隔地との商取引を非常に円滑にした。現金がいらないからだ。船が沈んでもいい。
商品が届かなくても、現金は移動していないので返金してもらえるし、物を売っても、その売り上げをわざわざ持ち帰る必要がない。
これと保険を組み合わせて、イギリスは交易を支配した。
なにがユダヤ金融資本か。あんなリスクの塊。なにがスイス銀行。裏でしかない。
一番手堅くて、一番儲かる部分は、ずっとずっとイギリスのものである。ブレトン・ウッズでもなんでも、それはちっとも変わらない。
世界の貿易は、イギリスが運営するシステムによって支えられている。
当然、龍驤も一味の資産は為替で持っている。現金なんか小遣いぐらいしかない。
「は、払いたくないなら、それでもいいよ」
「なにを言うとる。払わせろっつっとるんじゃ」
いつもと違う対応に、おばあちゃんが困っている。法律を押しつけるつもりが、支払いを押しつけられる。なんか、こう、麦わらの一味は止めたかったのだが、どう介入していいかわからない。
おばあちゃんに龍驤の相手は無理だろう。それはわかる。だが、払わないと犯罪なわけで、龍驤はちゃんと払おうとしている。間違ったことはしていないのだ。
「ウチらが出したもんを受け取れんのは、そっちの神さんの無能やろが。入国せな無理やっちゅうなら、そこまで行くしかなかろ?」
「ほ、法律は法律だよ!!」
「ほな、出来るやつをここに呼べや」
「神官を!? そんな権限、あたしにはないよ!!」
「ワガママ抜かすなや!! 法律守る気あんのか、コラぁ!! ああん!? 破らせんように手配も出来んっちゅうなら、犯罪者はお前ちゃうんかい!?」
「そんなこと言われても!!」
かわいそうだとは思うのだが、払う金も意思もあるのに犯罪者にされてはたまらない。理不尽な対応は嫌である。
これが海賊一味の共通認識なのだからたまらない。すき好んで自分から、君たちは犯罪者になったんだろう。なんの法に違反したか知らないが。
一応、正真正銘の賞金首まで加入してはいるのだが、冤罪被害者なだけに、どうも自覚がない。
そして、めちゃくちゃ声を荒らげてはいるが、龍驤が楽しんでいるのは、仲間であれば誤解のしようがない。おばあちゃんは気の毒である。
しかし、助けてやれない。麦わらの一味は無力だ。財布を握られた悲哀に溢れている。力だけでは解決出来ないことが、この世界にはたくさんある。
麦わらの一味はとてもよい子なので忘れがちだが、とても強いのだ。むしろ、力でならあっという間に解決出来る。理不尽に犯罪者扱いなどして、力で押さえつけようとしても無理なのだ。ウソッチョ、ナミでさえ、やる気になれば島の一つや二つ、焼け野原にするだけの実力がある。
ナミは天候を操り、ウソップの狙撃には龍驤すら届かず、チョッパーの知識は自在に病を操る。
で、残りが暗殺と空爆。
わかりやすい暴力である三人の方が、まだ逃げようもある。
龍驤が意地悪するぐらいならいいが、海賊が力で物事を解決するときに、手抜きは一切ない。生きるか死ぬかだ。
そんな海賊を全うする覚悟に不足があるわけもなく、なんと言われようが、この先なにが待ってようが、やりたいことをする。必要なら金も払うし、そうでなければ犯罪者にだってなる。
だからって、おばあちゃんを殴るのは。
こんな雑なことを仕出かすのは、本当の悪意や強さ、つまりイギリスを知らないからだ。覚悟を完了しているからこそ、こんな無邪気は困る。
このケンカを買うべきかどうか。
ルフィや、ゾロ、サンジにはわかっていた。そう決断した瞬間、おばあちゃんの命はないのだと。一番、手を抜かない上に、頑固で融通が利かないのがあれだと。
前世に誠意を示すためなら、海賊として何万人も殺す女だと。
「ええから受け取れやぁ!! 今なら、賄賂で五万ベリーつけちゃる!!」
「やめておくれよ!! そんなのあたしが殺されちまう!!」
「ほうれ、ほうれ。早うせんと、金だけ置いて逃げるで? スカイピアとやらに。払ったのにウチらを犯罪者にしたらキミ、横領やでぇ?」
「めちゃくちゃだね!! あんた!!」
イギリスを知る者の誠意などこんなもの。
ルフィすら決断出来ないまま、おばあちゃんが折れた。
ベリーではなく、青海の品であれば代替として認めてくれるそうである。
龍驤は男たちに命じた。
「ガラクタ持ってこい」
「本当にガラクタじゃないかい」
そうして並べられた、セントブリス号を漁った成果の数々。男たちは悲しそうである。ルフィが名残り惜しそうに、鎧をまた着て船室へ消えていく。逃げようとしている。
龍驤に止められて、脱がされた。抵抗は無駄だ。おばあちゃんは呆れている。
「あたしら空島の住民でさえ、どうかと思うのに」
「やっぱ、金物は貴重か」
「そりゃあね。食い物に不自由したことはないが、布だって貴重さ。役立たずみたいだがね」
旗やらの類もボロボロである。金属なら打ち直しも出来るが、こっちはどうしようもない。おばあちゃんは残念そうだ。
着ているのが白いワンピースと言えば清楚か海賊王にも思えるが、貫頭衣と言えば一気にみすぼらしくなる。日差しの強いこんな場所だと、目が痛くなりそうだ。繊維も染料も貴重なのだ。
農業が難しい。
高空にも関わらず、空は実に快適な陽気だ。まさにバカンスにもってこいである。下が夜になるぐらいだから、この雲海は太陽光を存分に吸収しているのだろう。だから、半裸のゲリラがいたりするわけだが、人間が暮らしやすいかと言えばそうでもあるまい。
地面がないのでは、大海原と大差ない。まさに草も生えない、不毛の世界である。
もっとも原始的な道具である石器や土器も、ここでは作れない。島雲はある程度のまとまりでないと、海雲に変わって消えてしまった。エアロゾルである雲がなんらかの要因で、普通のゾルやゲル状になっているのがこの雲海であるらしいが、食器サイズだとさすがに性質を維持出来ないようである。
単なる武器や道具なら、猿だって使う。食器と服がダメで、なんで文明が存在しているのか。
環境に伴う謎はまだある。
気圧的な意味で、この世界が不思議なのは雲ではなく、空気そのものだ。液体である水が、ある条件下で分散質となると、空気が液体や固体になるからだ。
まず、水に戻れよ。惑星の水循環の根幹を否定すんじゃねえよ。気候がおかしくなるだろうが。
おかしかった。
いや、まあ、そういう状態にある水を雲と呼ぶこと自体は間違いではないのだが、雲が海や島になっているのではない。
空気がそうなっている、というのが実際だ。水は混ざっているだけである。これがなにを意味するのか。
要はこの世界、虹に乗れる。斬撃が飛ぶ。空気を踏める。翼、いらない。
空気や水が流体なのは、密度が低いからだ。固体は物質が押しくらまんじゅうなので、力の逃げ場がない。だが、流体は物質同士の距離に余裕があるので、どこへでも逃げられる。
よって形が定まらず、流動するわけだ。
だが、あまりにも強く押されると、逃げられずに押しくらまんじゅうの状態が出来てしまう。酸素ボンベなんかがそうだ。
強い圧力で閉じ込められて、液体にされている。
強さとは重さと、速さである。速いと、物質が逃げるより先に押しくらまんじゅうの状態が生まれてしまう。
実際、隕石なんかは速いので、大気圏で水切りしたり弾かれたり、一気に減速してしまったりする。大気が液体や固体のように振る舞ったのだ。
これが水上走りの原理であり、実は飛行機が空を飛ぶ秘密である。
揚力はまあ、揚力であるのだが、じゃあロケットやミサイルはどうなんだという話だ。これらはもう、速いだけで飛んで、なんなら衛星軌道から落ちて来なかったりする。速いおかげで、流体が流体のまま、地面みたいに機体を支えてくれているわけだ。
で、速すぎるとその支えすらいらない。速いということは、飛ぶということである。
だが、流体の中で速いのは大変だ。
密度の高い物質に当たると、押しくらまんじゅうなので一度にたくさんの物質と当たる。これが抵抗であり、反発だ。
地面に立つと、足裏と土の表面が当たり、次に表面の土がすぐ下の土に当たる。しかし、水面に当たると表面の水が足裏に押されて流動してからでないと、次の水には当たらない。
当たると反発や抵抗、つまり浮力が発生するので、地面では沈まず、水面だと沈んでしまう。固体と液体の差は、この時間差とも言える。
だとすると、物が速く動けば、単位時間当たりの物質との衝突回数は、流体の中に存在していても、固体に近づいていくことになる。
これが衝撃波だ。まさに、空気が壁になる現象である。
空気が固体っぽく振る舞うには、最低でも音速が必要だ。水中はもっと速いので、とんでもなく忙しいおっさんが出来上がる。
これは龍驤の世界の性質である。
単位時間当たりの衝突を増やしたいなら、速い以外だと密度を増やしたらいい。
増えたら固体になると思うかも知れないが、ゾルってのはそういうものだ。片栗粉を入れたら粘っこくなるが、別にゼリーやプリンにはならない。泥になる。で、ダイラタンシーなんてところまで混ぜものをすると、おっさんが足踏みするだけで水上走りが出来るようになる。
これがこの世界だ。
なんか空気に混ざってる。空気が泥なのだ。だから、気圧が変だし、ビームが撃てる。
撃てるのだ。衝撃波が簡単に発生するから。
たぶん、コツとか色々、必要な条件は速度だけじゃないかも知れないし、衝撃波そのものではないのかもだが、そうだとしか思えない。
これは龍驤の大砲が弱まっていることを意味している。というか、この世界だと銃が弱い。パチンコよりも。
だって、速く動くと衝撃波って壁が出来るのだ。龍驤の世界よりも加速していない段階で、しかも強く。こうやって、船が浮く規模で。
覇気という選択的エネルギー交換フィールドでもないと、どんなに火薬を使って撃ち出しても豆鉄砲になる。龍驤の大砲もそうだったから、物理法則を無視したようにエネルギーが伝わらなかった。
空気との衝突で、砲身にまだ弾がある段階から、エネルギーが失われていたからだ。
この不思議な現象は、恐らくだが、この世界のピストルの弾速を越えてからしか発生しない。そうでないときは、龍驤の世界と同じ空気であるかのように振る舞う。
バギー玉やガイモンさん。なんならモーガンの斬撃など、ヒントはいくらでもあった。この事実は普通に利用されていた。
だから逆に気づけなかった。気づけてよかった。
テンションで威力が変わる覇気なんてもののせいで、バラティエで使ったときは問題なんて感じなかったのだ。
全部、覇気のせいにしてたら、敵の戦力を見誤っていた可能性がある。実際、アーロンがなんか凄い熟練者みたいに勘違いしていた。
彼は強かったが、技量まで卓越していない。覇気を使いこなしてはいなかった。
技量さえあれば、多少の不利は覆せる。それを証明したのが龍驤だし、後の空自なのだ。なんなら、麦わらの一味はみんなそうである。
才能を含めて、技量で勝負するタイプばかりだ。龍驤の世界と変わらない身長ってだけで、この世界だとハンデである。
フィジカルに期待は出来ない。チビなので。
龍驤といっしょ。
考えることが多すぎて、龍驤の頭は忙しい。ストレスだ。発散しなくては。
「いやいや、こんなんで誤魔化せるわけないよ。勘弁しておくれ。あたしだって死にたくないんだ。金があるなら、罰金ぐらいいいじゃないか?」
「んなわけあるかい。なんでやってもないもんに金出さなあかんねん」
「だから、それが法律」
「じゃあ、張り切って運用せえや」
龍驤は空島に来たストレスを存分に晴らす。一味はそれを止められない。
最終的に、ウソップファクトリーに溜まった開発ペンギンで補填した。一応、布と綿である。生きている。おばあちゃんは戦慄した。
妖精さんが泣いた。
龍驤と麦わらの一味は、実質タダで入国を果たした。
これがイギリスの力。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・国家とは一切関係ありません