現れたお嬢様に、龍驤は失敗を自覚した。
きっと逃げると思っていた。折られ、歪められたとはいえ、海賊の脅威を思い出したのなら、余所者や外れ者など捨ててくれると信じていた。
若いお嬢様は嫌がるかも知れないが、執事がもう一人いるのは確認していたから、引き止めると思っていた。
艦娘に備わる膨大なマルチタスク機能を以てしても、意識の半分を彼女に持っていかれた。
なんで、と思う。
世界史に例のない、絶滅するまで戦う軍隊。確かに誇らしいが、ただ蹂躙されただけとも言える。
単純に弱かったという話ではない。龍驤には、半島やベトナムの知識もある。
アフガンやコソボも知っている。
彼女は海軍だから、陸の連中には恨まれていたから、よくは知らないけど、一応は支配地であり、占領地だったのだ。
どうして、彼らは、ジャングルのど真ん中で飢えに飢えながら死んだのだ。穴の中で生きたまま腐り果てながら、あるいは彷徨い、狩りたてられたのだ。
沖縄ですら、真っ平らになるまで抵抗した。悲劇は無数にあったが、南方ほどの地獄ではなかった。
解放のお題目に殉じ、民間人を巻き込まなかったからではないのか。
理由は一つではないし、幻想かも知れない。だが、実際にあそこでそうして死んだ兵士がいるのだから、信じていいはずだ。
ただ、現地の人々に見捨てられただけかもしれなくても、誇っていいはずなのだ。
そうして、龍驤は気づいた。暴虐な日本兵にも、厳格だが真面目な兵隊さんにも、何者にもなれていなかった。
村の人間どころか、お嬢様を囲んで農具やフライパンを構える子供たちだって、龍驤がどんな艦娘かなんて知らないままだ。
だから四人はただ、それぞれの気高さと責任においてこの場に姿を現した。
遠ざけるつもりで、龍驤が巻き込んだのだ。
「余所見をッ!!」
幸運だったのは、頭に血が上った執事が龍驤しか見ていないことだった。気落ちした龍驤は防ぐことすら億劫に思った。仲間たちの焦る表情は認識していたが、申し訳ないというより、こんな自分を心配してくれることが嬉しかった。
無防備に斬撃を受け入れた龍驤は、執事に一瞥をくれた。
「なんかしたか?」
「化け物め!!」
「今さらやなぁ」
フェイントのつもりか、掲げた右手ではなく、左手を振り上げた執事の武器は、龍驤の装甲に阻まれて砕け散った。これでも鉄船。岩に引っかき傷を拵える程度の威力で、破れる装甲をしていない。呆れだけで興味を示さない龍驤に、執事のボルテージがさらに上がる。
「お前の相手は俺だぁ!!」
ルフィが襲いかかったが、執事は難なく避けた。避けてはいたが、標的であるお嬢様から離れた辺り、まったく冷静ではない。
「こいつ、速ぇ」
「ルフィ、捕まえられるな」
「あったぼうよ」
龍驤はお嬢様たちに向き直った。怯えられたが、不思議と気持ちよかった。自分を知ってもらえた。少なくとも、逃げられたりしなかった。
「助けにきてくれたんか?」
「え、ええ」
「すまんな、でも、大丈夫や。ウチらは強いからな。さっさとシバき回して、いつもの朝にしたる」
「でも、彼らはッ」
「大丈夫、大丈夫や。ええ子や。ちゃんと戦えるやないか。なんで、寝たきりやったん?」
「それは」
「ウソップ。送ったり」
「ハァっ?! いいのかよ?!」
「こいつらだけに護衛させるつもりか? 息も上がっとる。エスコートしたり」
「だけどよ」
「村人は逃したんやな?」
「は、ハイ!」
「なら、いつものようにウソやって触れ回れ」
「どういうことだよ?!」
「カヤ、やったかな? もう、あのアホはおらんぞ?」
船番二人を沈めたゾロが、あくびを噛み殺しながら坂を登ってくる。焦る執事がルフィを躱そうと無駄に動き回る傍らを、まるでそよ風の中を行くように。
誰の目に見ても、もはや消化試合だった。そして、カヤに初めて自覚が生まれる。幼い頃から傍らにいた、兄とも父とも言えないような、信頼する誰かとのお別れであることを。
「二人で説明し。もう、頼れないんや。ちゃんと、あんたがお嬢様をするしかないんや。それを、村人の前で、ちゃんとしぃよ」
うつむくお嬢様の肩に手を置いて、ついでに子供たちの頭も撫でて、龍驤は離れた。中途半端に警戒したり怯えたりしながら、構えは解かないでいるのが、可愛くて仕方がなかった。
「いや、どういうことだ? わかんねぇよ!! ちゃんと説明しろ!!」
「ウチらじゃ、お嬢様の手助けにはならんのや。お前だけが頼りや。助けたって」
「だから、どうすりゃいいんだよ!!」
「自分を見くびるな。お前はな、そこに居ればええねん。英雄なんやから」
混乱と照れを見せるウソップを突き飛ばし、お嬢様の元に行かせる。帰ってきたゾロとタッチを交わすと、彼は完全に飽きているナミの隣に座った。
「悪いな。やっぱ、邪魔やったか」
「そうでもねぇが、あんまり気分は良くねぇな。だがまぁ、楽ではあった」
「あんた実は優しいな」
ナミが吹き出した。実際、カヤが来る前までは、龍驤が全てをコントロールしていた。油断か未熟か、助けるべき人間が助けに来てしまったのは、間違いなく龍驤の不手際だ。
執事を煽った言葉の全てがブーメランして、ちょっと死にたい気分ではある。普段、それの被害を一番に受けているゾロに追撃されないのは、ありがたいを通り越して不可解だ。
まぁ、龍驤ちゃん美少女やしなと無理矢理納得させ、戦場を見る。
朝日に照らされ、消えて行くお嬢様を、執事が唇を噛んで見送っていた。
「ジャンゴ、俺に命を預けろ」
「な、なんだ? 何をするつもりだ?」
問うておきながら、オモシロおじさんは答えを察した。三年が経とうと忘れられない構えを、執事が見せたからだ。
「あいつらはまとめて俺が抑える。お前はただ駆け抜けろ」
「バカな!! その技はっ!!」
「信じろ!! どうせ、他に道はない」
「なんだぁ?」
ルフィが首を傾げる。必殺技やと、龍驤のテンションが上がる。生暖かい視線が、等しく注がれた。
「俺の計画をめちゃくちゃにしやがって。だが、こいつらは俺の速さに対応しきれていない。俺がこいつらを皆殺しにするうちに、お前の催眠術で、お嬢様に遺書を書かせろ」
「ブゥワッハッハッハ!!」
龍驤が爆発した。大爆笑だ。視線が思いっきり集まった。
「お前、負けたんか?! ウソップに?! 男っぷりで?! 世間知らずの箱入りお嬢様一人だまくらかせず、口説き落とせんかったのか?!」
心底楽しそうである。ゾロとナミは呆れ、ルフィはニヤリと笑った。
「本当は婿にでも納まるつもりやったんか?! それがポッと出のウソップに邪魔されて、奪われてまったんか?! お嬢様を?! 計画なんぞ、とっくに狂っとるやないか!!」
手を叩き、指を差し、とんでもない上機嫌である。
「なぁ、この場合、ウソップの色男を褒めるべきか? カヤの見る目があったんか?」
「ウソップはいいやつだ」
「俺はお嬢様に見る目があったと思うね」
「あたしも。なんだ、あいつ、ずっと村を守ってたのね」
「そういうことや」
フッと執事の姿が消えた。
「ごめんなさい、ウソップさん」
「気にするな。軽いもんさ。むしろ、もっと食えよ」
「一人だと味気なくて」
ウソップにもわかってきた。突然、両親を失った女の子が、あの広い屋敷で、たった一人で食事をする風景。
彼にも覚えがある。あんなにも温かかった食卓が、何よりも冷たい時間になる。彼はそんな家を飛び出して、イタズラに走った。それが出来た。村人は怒り、叱り、時に殴り飛ばしもしたが、ウソップを受け入れてくれた。
この村はそういう村なのだ。それなのに、カヤだけが仲間外れでいた。それをしたのがあの執事なのだと、それが悪意からなのだと、今ならわかる。
辛かっただろう。ウソップも辛かった。本当に辛かったのだ。毎日、毎日、ウソという名の、夢を見るぐらいに。
助けてやらなければいけない。でも、どうしたらいいかわからない。背負った女の子の軽さが重い。
憧れた戦士は、こんな時にどうするのだろう。夢やウソは答えをくれない。
戦いの中に実際に身を置いてみて、結局そんなものは現実と比べものにはならなかった。初めて目にした海賊は恐ろしいが、情けなくも見えた。同年代の彼らの方が憧れには近かったが、海賊には見えない。
背負った女の子だけでなく、手下である子供たちもいる。怯えていたはずなのに、今は元気だ。信頼されている。
龍驤にも、頼りにされた。嬉しかったが、どうしたらいいかわからないのだ。情けなくて涙が出そうだ。
ぐるぐると思考と足だけが回る。もうすぐ、いつもの時間だ。明け方近くに始まった戦いは、もう終わる。今さら負けるはずもない。
向こうから村人たちが来る。ほっとする自分と、ここからが戦いだと思う自分がいる。
龍驤に説明されてわかった。海賊は強くなんかない。だからこそ、村人が来ても、援軍だなんて思わない。
獲物が来たと奮い立つ。龍驤が作り出したあのグダグダな一騎討ちが仕切り直しになってしまう。
龍驤やナミがあの二人に向ける無辜の信頼がわかった。
岩を割るような怪力にも、しなやかで素早い動きにも剣士は一歩も引かず、むしろ跳ね返した。船長は人数などものともせず、1600万相手にふざけているのかと思うような余裕で対峙した。
卑劣さで言えば、ウソップも龍驤も相手も変わらず、腰の引けた臆病さで、あの海賊団と自分に変わりがあったと思えない。
苛つく執事と、笑う仲間たち。器は明確だった。ウソップは誇りを保てたが、向こうはただ消沈していた。
海賊は夢だったが、あんなものになりたいとは思わない。
じゃあ、なにになりたかったのか。
確かにこの村を守りたい。だが、それが目指した人生だったのか。
ウソップは足を止めた。
「カヤ、ワリぃ。村人たちを止めてくれるか?」
「ウソップさん?」
「ワリぃ、でも、戻らなくちゃ。俺は、勇敢な海の戦士になるんだ。それは捨てられねぇ」
ウソップの背から、カヤがズリ落ちていく。ウソップは、走って来る村人を睨んでいた。
「本当にすまねぇ。ウソップ海賊団、手伝ってやってくれ」
「当たり前だよっ、キャプテン!!」
「でも、戻るの?!」
「カヤさんを置いて?!」
子供たちが周りを囲むが、ウソップは視線を向けなかった。ウソップはくるりと振り返り、海岸に足を向けた。
「ええ、そうですね。いってらっしゃい、ウソップさん」
カヤは朝日の中で、ちょっと困ったような、透き通った笑顔をその背に向けた。一瞬立ち止まったが、ウソップは駆け出した。子供たちがギャーギャー騒ぐ。村人たちはもうそこまで来ていた。その慌ただしい足音に紛れて、彼女は呟いた。
「謝らないで、ウソップさん。貴方がそういう人だと、わかってました」
執事が消えて、ルフィが斬られた。
地面に爪痕が出来て、壁が削られ、ナミを守るためにゾロが傷ついた。ヤケクソで走るオモシロおじさんの足元に龍驤が錨を投げると、その身が吹き飛んだ。
そして次々と、執事の海賊団たちが切り裂かれて血の海に沈んだ。海岸は悲鳴と怒号に溢れていたが、ナミはそれよりも目の前に転がった艦娘から目を離せなかった。
「手ぇ出すなよ」
「耐えられへんのやけど」
「ダメだ。お前のケンカじゃねぇんだ」
「そういうもんか」
「むしろ、お前のケンカは負けだろう? じゃあ、大人しく見てるしかねぇよ」
「そうか、そうやな」
よくわからないが、ゾロの言葉で龍驤が起き上がる。さっきまでの物騒過ぎる気配はなかった。
「なにがアカンかったと思う?」
「取り繕い過ぎだ。ウソって奴は信頼させなきゃ成り立たねぇが、お前は胡散臭さ過ぎる」
「不器用なだけやねんけど」
「じゃあ、ウソップを見習いな」
「あー、そこはバカにしとったわ。そうか。むしろ、アレぐらいの方がいいのか」
「さぁな。俺もそんなに得意じゃねぇ」
「なんの話?」
ゾロは肩をすくめ、オモシロおじさんの牽制に向かった。
「お前は仲間をなんだと思ってるんだァ!!」
ルフィが怒っている。龍驤とウソップに散々翻弄され、ルフィとゾロが散々に転げ落とし、今や自分の船長にまで散々な目に遭わされている彼らに、同情はしない。海賊は嫌いだ。
だから、意外ではあった。この一味は尽く、ナミの印象を裏切る。
「ウチは誰かの役に立ちたいねん。誰かを助けたい。でも、海賊やろ?」
「海軍にでもなればいいじゃない」
「海軍はな、人を助ける組織やない。人を殺す組織や。ウチらはな、それを間違えたんや」
「ウチら?」
「前世の話。まぁ、とにかく、ウチらは真面目過ぎたんや。だから、賊になった。賊にはなったが、やっぱりまだ海軍気分やったんや」
よくわからないままである。しかし、それ以上説明する気もないのか、ゴロゴロと地面を転がって遊び始めた。ついさっきまで腰にあったアームのようなものが見当たらない。
謎過ぎる生態である。
「ウソついてたの?」
「信用も実績も名すらあれへんのやぞ? 何を言ってもウソや」
なるほど、嘘つきの思考ではない。
「人は変わるのよ」
「怖ぁ」
ケラケラと笑う。そして、ピタッと止まると盛大にため息を漏らした。
「カヤと居れば幸せやろうに」
土壇場で必死なのだろう。執事とオモシロおじさんは、息のあった連携プレイを披露し始めている。制御不能だった必殺技も、なんとなく使いこなしていた。
ルフィとゾロはその点不慣れというか、互いに一本気過ぎて邪魔し合っている。まぁ、結成から数日だ。仕方がないというか、男の子というか。敵をそっちのけで額を突き合わせているのは何があったのか。
「アホやなぁ」
「大丈夫なの?」
「ウチがおる」
ナミも龍驤が海を割ったのは見ているが、どうにも信用出来ない。強いとは思うが、あの二人と比べると数段劣る気がする。
「ジャンゴ!!」
「おう!!」
言う間に、執事を土台にしてオモシロおじさんが崖を飛び上がった。焦る剣士が坂を駆け上がってくる。
「ちょっと⁉」
「オレサマが来た!!」
「丁度ええ、あっちに逃げたで」
「え? ハッ‼ 待て、コラァ‼」
ナミが信じられないという顔で、龍驤を見ている。ゾロがその横を駆け抜ける。
「俺も行く」
「よろしくなぁ」
ウソップが到着したが、なにしに来たかを問う前に、オモシロおじさんを追っていった。嵐というより、通り雨のような男である。
「アンタ、ワザと逃したの?!」
まるで全ての責任は自分が取るかのような口をきいた直後である。聞こえていたのか、ルフィが腹を抱えて笑っている。
「誰も負けてへんやん?」
笑いながら、ルフィがふらりとよろめいた。そこに猫手の斬撃が刻まれる。
「もう慣れた」
笑いを納めたルフィが、足を開いて待つ。そして、虚空に手を伸ばしたと思ったら、執事が投げ飛ばされていた。
「黙って斬られてやがれッ!!」
「ヤダね!」
ベッと舌を出す。
また、変な構えから、執事の姿が消える。拳を構えたルフィがしばし集中し、それを突き出したら執事が殴り飛ばされた。
龍驤はニヤニヤ。ナミは驚いている。
「このヤロウっ」
「お前みたいな海賊には、絶対に俺はならねぇ」
「テメェにはなれねぇんだ!!」
「誰が憧れんのや」
ボソッと呟く。憧れに届かなかった女の愚痴である。なんか、こう、もっと格好よくなりたい。
ルフィの軽さは、覚悟の重さと裏腹だ。命のやり取りをしなければ、その凄味はわからない。わかってしまえば、ゾッとする。
ウソップの憧れは空虚なのに、ウソがない。どんな現実を前にしても憧れをやめないから、本当にしてしまう。
ゾロは強い自分になろうとして、そうでない自分を許さない。だから、本当に強くなるか、死ぬかだ。
似たようで、対称的で、補完的である。羨ましい。
「何よ?」
ナミは使命を持っている。だが、それだけに生きられない誇りを握りしめている。能力に自信があり、信奉している。
「自分があってええなあ」
「アンタにもあるでしょ?」
「そやな。否定してもしゃーない」
龍驤は兵器だ。しかし、艦娘である。人間ではないが、人ではあるのだ。
戦場ではルフィが派手にゴングを鳴らす頭突きを披露し、森の奥では火薬の破裂音がする。
「とりあえず、海賊やらなな!!」
黒猫海賊団の金庫は空になった。
「というわけで、船寄越せ」
急にやる気になった龍驤は、海岸に行こうとする村人と、それを押し留めるカヤの前に現れるなりそう言った。
ちなみに船長は海岸で寝ている。
付き合ったゾロとナミは後悔していて、ウソップは身の置きどころがない。
「なんや? ウチらは海賊やぞ? 大人しい差し出せ!!」
「えっと、ハイ」
頷かれた。龍驤はズッコケるのを我慢した。
「それから、食い物とー、金とー、食い物とー、食い物」
欲しいものが出てこない。
「こっち見んな」
「アタシもお金ぐらいしか欲しいモノなんてないわよ」
「落ち着け、とりあえず」
ツレない態度の仲間を指さし、カヤを見上げる。苦笑でしか応えられない。
「お怪我しているようですし、治療します?」
よく見ると、ウソップはボロボロだし、ゾロにも傷がある。そういえば、ルフィも斬られていた。
「お願いしよか?」
「もうブレてんじゃねぇか」
「海賊難しい」
そんなはずはないと思うのだが、どれだけヤサグレても艦娘ということだろう。
タダ飯を食い、荷物をまとめ、パジャマで語り合い、一味はウソップとメリー号を加えて出航した。
村の見張りは、ウソップ海賊団が引き継ぐだろう。