読み聞かせは、子育てのリーサルウェポンである。
どれだけ元気で暴れていた子供たちも、膝に座らせて話に集中させれば寝る。大人しくさせてしまえば、こっちのものなのだ。
小さな怪獣かなにかでしかなかった子供たちも、寝ればかわいいだけの天使になる。
麦わらもそうだ。龍驤が張り切って語った、黒髪の冒険者。タンクトップに短パンで、パルクールしながら大自然と遺跡を駆け抜ける女傑のお話。
なぜか最後は崩れ行く遺跡と、何百年と待ち続けた騎士との別れで幕を閉じた。ガン・フォールさんは感動した。
飲んで踊り狂っていた一味が龍驤の講談に聞き入ると、一人、また一人と夢の中へ旅立った。ジャングルは、キャンプファイヤーの熾火に沈んでいる。
「ああ、明日は満月なんや」
飛び出た手足を毛布にしまって、みんなが濡れたり零したりしないように飲み物や食べさしを片付け、ふっと見上げた空に月を見つけて。
龍驤は気がついた。
切り札でもなんでもなかった。神はただのロマンチストだ。あれは、本当に、龍驤でもわからない。おそらくは本物の天才なのだろう。
中身がなくて、落とし穴にハマるようによろめいた。それを見た一味が、龍驤を守った。メリーより優先して。それが真実だ。龍驤は知らない。
誰も話さない。
天才が、神が人を救うのか。
完全無欠な存在による人類の管理統治についての思考実験は終わっている。
邪魔なものは排除する。一切の倫理も、道徳もない。人類は作り出したAIなり、神なりに合理的に滅ぼされ、痕跡すら残らない。
バカみたいに罵りあって、下らない政治を玩び、多数決でゴリ押しするしか、人類をまともに統治出来ないと、明確に答えは出ている。
誰も理解出来ない存在は、誰も理解しない。
「キミは、誰の願いを叶えとるんや?」
「さあな」
龍驤は目を剥いた。いや、聞いてるかもとは思ったが、答えるとは思わなかった。つーか、本当になんなのこいつ。
エネルが不良みたいな姿勢で、キャンプファイヤーの残り火を見ていた。あんなパリパリしていたのはなんだったのかと思うような唐突さだった。
「俺に願いなどない。ただ、目障りだったのだ。わかるだろう? どいつもこいつも、私を利用することしか考えない」
いきなり来て、自分の話。大丈夫、龍驤はそういうの得意だ。ちゃんと、歓待してやろう。
「あー、うん。生まれつきか。その意味で言いや、ウチ、道具として生まれたから」
この男に、罪の意識などない。悪など理解しない。応報の概念がない。ならばなぜ、人を罪に落として支配しようなどと考えたのか。
法になどなんの価値もない。守ろうともしないが、破ろうとすら思わない。利用する知恵はあるが、あると理解しないのだ。それこそわけがわからない。それを敷くなどという発想は生まれない。
道徳と倫理は人間が培ってきた文化だ。それを理解しないのに、どうやってルールが存在することを理解したらいいのか。ルールや法則がなくて、他人になにを期待すればいい。
だから彼らは強制しないし、交渉しない。その言葉はすべて嘘で、人を操り、利用するためだけのものだ。
サイコパスには、マジでコミュニケーションが通じない。なので、コミュニケーションの発展系である歴史も、文化も、法律もなにも理解しないし、作れない。常識なんて、当然通じない。
本当に社会生活が無理な障害をサイコパスと呼ぶのであって、多少デリカシーがなかったり、冷酷だったり、効率厨なだけでは、とてもサイコパスとは呼べないのだ。
もちろん、医療用語である以上、その定義は時代などによっても変わるが、医療用語であるだけに、一般的な感覚よりも深刻である。
俺、私などの自称に揺れがあるのは、マントラ、もしくは見聞色の制御が甘く、自己と他者の境界が曖昧な結果かも知れない。
そうした乖離性障害が、むしろ擬態として有効だったか。
生まれつき、その能力があったことは、誰にとっての幸運で、悪夢なのか。
なんの共感もないまま、代替するマントラによる、他者の期待や願いに適うことに利便性を感じる幼少期。血筋と家柄がよく、天才であるために砂が水を吸うように、空だと雲かも知れないが、知識を吸収し、地位を高め、そして自我を得た。
乖離性障害の克服だ。おそらく、親しい者たちは人格が変わったように感じただろうが、そうではない。
成長したのだ。それだけだ。
そして、破滅した。一切がひっくり返った。
「そうだ。私は、故郷であるビルカを滅ぼした」
理由は些細なものだろう。ウザいとか、臭いとか、単純にちょっと不快な気分になったのだ。しかも、それを感じた瞬間ですらなかったかも知れない。機会を待って、確実に実行した。
どうしてそんなことを、という疑問の答えに一番近いのは、親の仇に会ったから、だ。
肩がぶつかった、でサイコパスが抱く殺意は、それほどのものだ。もはや、他人では推し量れない。親すら理解せず、されない人間にとって、自分の情動以上に大切なものなどない。
サイコパスは殺人鬼だ。息を吸うように犯罪を犯す人間だ。でなければ、反社会的だの暴力的だのと、病気や障害を分類するべきではない。
「いや、私は神として行動したに過ぎん」
常識も思い出もルールもないサイコパスは、自分の中に宗教を持つ。一種の指針となる、世界への理解だ。我々が理解出来ないものを神と名付けたように、彼らもそうする。
「還幸。すべてのものは、あるべき場所に帰るべきなのだ」
「異世界人によー言うた」
その通りだとは思うが、生きて帰れないんだわ。
「キミ、ワープ使える?」
「ワープ? いや、そうだ。そのことでお前に聞きたかった」
「で、船か? 船なんやろ? 黄金の?」
「それがなんだと言うのだ!?」
龍驤はもう、エネルに興味をなくした。本当に無価値で、なんの面白みもない。
ワープもしない黄金船だと、バカバカしい。たかが120億ばかりの金塊が宙に浮いて、なにが珍しいものか。
龍驤の世界には、もっとド派手で、もっと破天荒で、もっととんでもない光景がいくらでも転がっている。
そもそも、こんな空の上まで旅をしてきた人間に、帰るところがあるだと。
そんなお母さんが一人立ちする息子へ口にするような常識しか身につけられなかったのか。サイコパスのくせに。
だけど龍驤はサイコパスではないし、親切な艦娘だから教えてやった。科学知識ではなく、SF知識を。
「エネルギーってのは、使えば失われるもんや。慣性も重力も、失ってええもんやない。問答無用でこの世とはおさらばバイバイや。物理的にな」
自転速度を人間が失ったら、どんなに腕のよい医者でも、地獄への道行きは一方通行にならざるを得ない。重力がなかったらこの惑星にいられない。
目の前のなにかに火をつけようなんて目的でそんなものを使ったら、惑星から飛び出してしまう。慣性を失って、系から独立して、自分以外のすべてが相対的な速度で遠ざかっていく。孤立する。
重力も同じだ。波形の形は変えられても、歪みの大きさは変わらない。使えるのは自分が持つ質量だけ。そんなもの、わざわざ科学の粋を集めなくても、武術が実現している。
「制御する意味がない。慣性制御も、重力制御も、せいぜいが重力加速度程度の運動量を得ることしか出来ん。一時期は恒星間移動の切り札みたいに言われたが、ハッ。惑星間の移動にすら使えるか」
物語は人類の夢を語るものだ。いつか魔法のような科学が。光よりも早い移動が。時空間を超える手段が見つかるのだろう。
しかしそれが、SFで語られるそのままである保証はない。実用化出来るとは限らない。あるときの流行りは、すぐに覆る。その逆もしかり。想像だけでは、なにも検証出来ない。
人間の想像を超えたところに、大自然はある。単純な話だ。意志だの夢だのだけで、人間は進歩しない。
行動しなければ。冒険をしなければ。研究して、勉強して、たくさん経験して、それを後世に伝えていかなければ。
歴史を積み重ねなければ、アルゴリズムは進化しない。
「残念ながら、キミには無理や。既存のものは利用出来てもな。なんにも生み出せんよ。諦めろ」
「そうか。結局、私の求めるものはこの世界にはないか」
陰鬱に見える顔で、エネルは呟いた。騙されてはいけない。サイコパスは、見た目だけならカッコいいのだ。
あんなん、明日の朝ごはんを考えているのと変わらない。龍驤だって、黙っていれば美少女だ。
「死ぬまで結論なんか出んよ。それまでは壮大な暇つぶし。そんなことより、明日、楽しもうや」
エネルは龍驤と目を合わせずに、口元だけ微笑んでパリっと消えた。本当に静かだった。
それが出来れば、ナミの反撃を食らうこともなかったのにと、龍驤は辺りを見回す。
「トイレなら付いてったろか?」
みんないっせいに背を向けた。寝返りをした。
龍驤は嬉しそうに、自分も寝床へ潜った。
やっぱお願いと、二人ぐらいに起こされた。
サカズキがセンゴクを説教した。
中身はわからないが、海軍本部に激震が走った。噂の関心はただ一つ。
なにをしたんだ、センゴクさん。
ある意味でサカズキに対する高い信頼と、センゴクという人物の人柄を思わせる内容であった。上層部の不和とか権力闘争とか、欠片も疑われなかった。
そして、今日。忙しい執務の合間を縫って、その瞬間に同席した者たちが集まった。
三大将である。気になる説教の内容は、なんで重大な情報を隠して軍の派遣を許したんだと。あまつさえ、その留守を狙って七武海を動かしちゃってるんだと。
「だって、忙しそうだったし、確証もなかったし」
「だってじゃあ、ありゃあせんでしょう!?」
なんだこの厄介じじい。ガープに並ぶ英雄にして、海軍の頂点が、部下のおっさんに愛嬌を振りまくんじゃない。
「まあ、仕方ない。そうそう、全体で共有出来ん情報もある」
「わしらにでもですけ?」
「というか、ないのか? 君らだってそういうの?」
サカズキはなかった。だから、堂々としていた。だが、センゴクがニンマリしている。振り向くと、同僚があさってを見ていた。
「おんどりゃあ」
そんなわけで、緊急会議である。ほんの一週間かそこら前までは、こんな機会を得られるとは思っていなかった。
こんな形では嫌だった。
「吐け。貴様らはなにをしとんのらぁ」
「心当たりはないねえ」
「別に」
火事になりかけた。光の速度でぶっ掛けた水を凍らせて、なんとかことなきを得た。
サカズキは加湿器になりながら考える。
「ボルサリーノ。確か、政府の仕事をしとったのぉ?」
「バーソロミュー・くまだねえ。新戦力のテストだよぉ」
「ベガパンクか。技術開発の恩恵は、無視出来ん」
キョロっと、サングラス奥の目が動いた。サカズキは見過ごさない。
「ベガパンク。問題のある男とも聞くが」
「マッドなだけだよぉ〜。政府には忠実さぁ」
「つまり、なにかしとるんじゃな?」
黄猿は黙った。黙ってしまった。
「いやいやなにもぉ〜」
「そうか。黙認しちょるんか。まあええ。そのままなにもするな」
「いやぁ~、だからぁ〜」
「CPを舐めちょったら、足元をすくわれる。一から九も厄介じゃが、ゼロがある」
政府機関というより、天竜人直属だ。黄猿の任務に関わってこられると、確かに厄介だ。黄猿は諦めた。
不器用な友人に、感謝を示す。
「気をつけるよぉ〜」
青雉は全力で顔を逸らしている。断じて赤犬と目を合わせないようにしている。そんなクザンを、サカズキはじっと見つめ続ける。
「オハラか」
ビックッウ震えた。飛び上がるかと思った。楽になった黄猿は、ニヤニヤしている。
「まだ気にしちょるんか?」
「親友を失くしたんだ」
「わしを恨んどるんか」
「そういうわけじゃ」
「甘いのう、貴様。ちゅうことは、ニコ・ロビンか」
「もう、なんか気持ち悪いぞ、お前」
サカズキは気にしない。自白が得られたからだ。サカズキは地図を見る。
「ルーキーども、麦わら、ニコ・ロビン、白ひげの息子に、ジンベエ。なんとか、エニエス・ロビーの手前で片付けたいのう」
「エースとジンベエは、見つからないねぇ。目撃情報はG2管内が最後。今はルルシア王国を中心に捜索させてるよぉ」
王国にたどり着いたとしたら、医者にかかったかも知れない。深手は負わせたはずだが、次に姿を現したときには回復している可能性もある。
「ジンベエは魚人だからねえ。カームベルトを迂回されたら面倒だよお?」
「東へ行くほどバカじゃあるまい。となると、南か?」
「そっちも手は足らない。待ち受けるしかないな」
女ヶ島は防壁足り得るか。ジンベエは魚人。しかも、なぜか正式名称で呼べない海賊団の後継者だ。
三人は難しい顔で、考え込む。
「あ、どうも。以前、弟がお世話になったようで」
「お前が、あの非常識の兄貴だと……ッ!?」
「いやいや、オーナー。見て下さいよ。ツケだからってこの遠慮のなさ。間違いなく兄貴ですよ」
「すまんのう。補給もままならん逃避行じゃ」
「ますます、ルーキーどもをシャボンディには近づかせたくないのう」
「そうだね~。出来ればやめてほしいねぇ」
クザンが頭をかく。
「麦わらに関しては、スモーカーに追わせてたが、例の海域で見失ってる。最悪、合流しているかも知れない」
「それはないじゃろ」
「カマバッカもあるぞ?」
「考えんことにしよう」
四皇以上のアンタッチャブルだ。一応、今現在で言えば、革命軍とかとも関係のない、無害な、たぶん無害な国である。
魚人のスペックが反則過ぎて、海軍の常識だと進路が予測出来ない。加えて、遊覧船でグランドラインに入ってくるバカを推し量れない。
そんなのが何人も、毎年やってくるのが、大海賊時代である。
「例の海域ってどこじゃ?」
この会議には参加者がもう一人いた。正確には居座っていた。三大将でもどうしようもなくて、無視することにしていた。
その人物はせんべいを食べていた。
「いいからいいから。あんたは茶でも飲んでなよお」
「なんじゃい。年寄りを邪魔者扱いしよって。最初にわしが寛いどったじゃろ?」
「俺の執務室だよ」
大将の中で、一番来客の少ない部屋だ。何気ない密談には丁度よかった。なのに、唯一と言っていい常連客がいた。なんか、散歩だか徘徊から帰っていた。
「ボケ老人扱いするな!!」
「ボケとった方がまだマシじゃ」
現役だから困る。なんなら敵いそうになくて落ち込む。まだまだ三大将と言えど、伝説には届かない。
すべてを超越して、ガープ中将が大将たちの隣でバリボリしていた。ロギア三人が、無理矢理肩を組まれて連れ込まれた。
一目見て、三人は逃げようとしたのに。
「いいから言ってみい。これでも人生のほとんどを海で過ごしとるんじゃ。経験が役に立つこともある」
「ここだよ、ここ」
クザンが投げやりに言った。話し合いの場は持ったが、気まずいだけで文殊の知恵とはいかなかった。
やはり、地道な捜査以外に道はない。その確認が出来ただけでもよかったと思おう。
「おう、ここか!! 懐かしいのう。わしもここでロジャーを見失ったんじゃ」
「ガープさんも?」
ところがそれを年の功がひっくり返した。なんか、重要そうな情報である。
「やめとけ、やめとけ。こんなところを探し回っても徒労に終わるだけじゃわい」
そして、指で地図に線を引く。
「あのとき、次にロジャーが確認されたのが、この辺り。待ち受ける、というならうってつけじゃろう?」
ガープには出来なかった。取り逃がした。しかし、その苦い経験を、若い者に伝えられた。
海列車のネットワークにも加わらず、国というほど大きくもなく、非加盟国というには政府や海軍に近い島々。
三人が素早く目配せし合った。様々な、様々なやり取りが一瞬で行われた。ある種のマウント合戦だったが、敗者は決まっている。なにより、都合がよかった。
クザンはため息を吐いた。
「俺が行くよ」
「わしは、センゴクさんにきっちり報告しておこう」
不器用だなあ。
部屋の中が統一された瞬間だった。
連載二十年で、なにが変わったって
物理法則、マジで変わってんのよね