蒼銀の蛮族、筋肉にて運命を破る   作:飴玉鉛

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あと少し


第12話

 

 

 

 

 

 奇妙なガキだった。赤子というのは世話をするのに難儀をするはずのものだが、マナガルムは俺のような奴が煩わしいとも思わんぐらい手間が掛からないガキだったのだ。

 

 乳を飲まない。妊娠したことがないアスラウグは乳が出ない為、当初は乳母になれないと焦っていたようだし、他の女を捕まえてもマナガルムはそういう女から乳を飲もうとしなかった。

 代わりに俺が飲み食いしている物を欲した。試しに与えてみると、当たり前のように喰らい、飲み、問題なく消化したのだ。生後一週間とせずにそれだったのである、異常に成熟が早かった。

 無駄に泣きもしない。排泄の時も不定期には漏らさず、食い物や飲み物を摂取した後、一定の時間ごとに排泄する。まるで赤子じゃないように、だ。おかしなガキだろう、マナガルムは俺に憎しみの目を向け、殺意すら見せていたが、俺が傍から離れようとしたりすると悲しそうに泣き、寂しそうに泣く。そのせいで俺の頭の上から離すに離せず、付きっきりでいてやらざるを得ない。

 

 そして憎しみも、殺意も、怒りも、次第に薄れていった。夜にジッと月を見上げるのを好み、嬉しくて楽しくて満ち足りたような笑顔を浮かべている。そうして時を経るにつれ俺への殺意が薄まり、憎まなくなり、寂しそうにせず、ただ不満そうにしているようになった。

 訳が分からん。俺を父としてだけ見るようになったのだ。

 手間の掛からん奴なのは、いい。だが煩わしくはある。俺が人里で略奪を働くのはジッと頭の上で見ているくせに、アスラウグ以外の女を抱こうとすると咎めるように見てきた。そのくせガキを遠くに置こうとすると泣き喚く。はっきり言って萎えて萎えて仕方ない。

 いや……元々、そこらの女を見ても常なら勃ちもしなくはなっていたのだ。肉体から生じる無尽蔵の性欲さえなければ、食指も動かずピクリとも反応しなかっただろう。

 

 だが俺の肉欲は無限とも思えるもの。抑え込むのは難しかったが、ガキから煩わしい目を向けられるぐらいなら耐えた方がマシだ。禁欲の経験がないでもない。俺は久しぶりにセックスの時間をほとんど削り、相手も限定して残りの時間は筋トレにあてた。

 

 ――貴様は……まさか、神秘喰い!? なぜ貴様がここに……!

 

 雑多な魔獣を狩る。奇妙な瞳で見てくる妖精を縊る。お高くとまった精霊をバラす。黄金の人狼は旨く、人間を弄んでいた妖精は不味く、聖剣や魔剣や財宝を蓄えていた精霊は薄味だ。精霊や妖精が蓄えていた奇妙な小袋――どれだけ多くの物品を押し込んでも収納できる物を奪い、見つけた財宝やらなんやらを根こそぎ小袋に詰め込んだ。異空間にでも繋がっているのだろう。

 稀に見掛ける魔術師や、その集団からは刻印だけ奪う。人間を喰う趣味は無い。中には真祖が使っていた環境を変化させるような魔術を使う奴や、魔眼やら炎やら水やら氷やら、水銀、溶岩、底なし沼、剣や槍など様々な手段で抵抗してくる奴らもいたが、生憎と魔術の類いで傷ついたことも惑わされたこともない。俺にとって連中は、栄養素の高い刻印を持つ奇術師のようなものだ。

 

 そうしながら大陸を流離っていると、極稀に神格を失い失墜した神霊、かつて天だったモノを見掛けることもあった。そういう奴らは何処かに立ち去ることが出来ないまま、あるいは去るタイミングを逃した阿呆である。そういう奴を縊り、調理して喰うと絶品だった。それにこういう奴ほど財を蓄えていたりもするし、ソイツを殺すと近隣の人間がもてはやしてくる。

 鬱陶しいが、マナガルムは嬉しそうだ。誇らしげにもしている。アスラウグは当たり前みたいな顔で饗されてやっているし、俺も美味い飯を食った後だから機嫌が良かった。

 だから大抵は饗されてやり、翌日には立ち去るようにしている。そういう時に機嫌が良いままでいると、財宝の一部を置いていったりもした時はあった。

 

 俺は蓄財を好んでいた。元からその性質はあったが、邪竜プロテインを喰ってからはその傾向もかなり強まっている。だが同時に散財も好んでいたから、溜め込んだ財宝をばら撒くのは好きだ。特に好きなのは俺のくれてやった財宝に、人間の目が欲に染まるのを見る事で、俺の残した財宝を巡って争う奴らを遠目に見た時は心が洗われるようだった。

 人間の欲深さは、いい。それでこそだとも、やはり人間は獣だと再確認できる。ほんの一握りの人間は財宝に興味がないが、欲の向き先が違うだけだ。例外的に聖者のような奴もいるが、俺はそういう奴にこそ財宝をくれてやった。決して手放せず、手放せたとしても持ち主の許に帰ってくる呪いの宝をだ。するとソイツを中心に争いが起き、聖者は嘆き悲しんで命を絶った。

 ハッハ。嗤った。頭の上でマナガルムが叩いてくるのも気にならんぐらい。

 笑える。聖者は、凄い奴だ。認めよう。だが愚かだ。他人を信じるからそうなる。力で押さえつけないからそうなる。無理矢理に押さえつける力もない奴が何を嘆く? 無様でしかない。そう表面上は思っても、失望していた。俺は英雄を探していたのだと思う。聖者の如く正しい者が、英雄としての力を持ち、英雄として生きる様を――無念を残さず誰かと愛し合うのを見たかった。

 

 見れなかったが。

 

 シグルドとブリュンヒルデを超える英雄はいなかった。心はあっても力がない。アイツらは最期には愛を失い死んだから、失わないままでいる奴らがアイツらより上の英雄なのだろうと思ったが、そういう人間には一度も出会えずに終わってしまった。

 アスラウグのお蔭で迷わず大陸中を流離ったはずだが、魔獣も妖精も、精霊も魔術師も見掛けることがなくなり、ついでに空気が軽く薄くなっていっていたのだ。苦しくはなかったが退屈ではある。得られる物も単なる黄金、宝石ぐらいで面白みはない。

 地元に帰ろうと決心が付いた。

 

 ――人理が星の表層にほぼ定着したらしい。抑止力はお前を利用し、居残ろうとする幻想種達を駆逐するように導いていたみたいだ。あと百年か二百年したら島国以外に神秘は残らないだろう。

 

 アスラウグが言う。ニュアンスは察した。そんな気はしていたので驚きはない。

 

 俺はなぜ英雄を探していたのか。シグルド達を超える英雄を見たかった? それはある。ソイツを殺してみたかったのか? それは……違う気がする。

 ただ、確かめたかったのかもしれん。

 シグルド達は愛を失い死んだ。

 俺とアルテラは愛を失わずに別れた。

 だから、失って死ぬことがなく。失わずとも別れず。そういう結末を迎える英雄が、力や欲がない奴が見てみたかったのかもしれん。そういう奴もいるのだと知って、何かを満たしたかった。

 まあ、無理な話だろう。欲は人を狂わせる。裏切らせる。たとえ欲のない奴がいたとしても、ソイツの周りには欲がある。奪われない為にはなんらかの力が必要で、支配されない心が必要だ。

 そんなものを兼ね備えた奴なんか、普通の人間の中にいるわけがない。そんなことは解っていたが、失望はした。期待していたのかもしれん。俺のような奴でさえ失わないことが出来たのに、他の奴にはそれすら出来んのか。雑魚共の囀る愛や勇気の虚しさを知る。

 

「………」

 

 マナガルムは寡黙だ。喋れんわけじゃない。だが不必要な言葉は紡がなかった。ジッと俺を見て、夜になると月を見上げ、声もなく何かを話している。

 マナガルムが七歳になっていた。つまり、俺は70歳になったってことだ。相変わらず老いはしていないし、衰えてもいない。強くなった実感はある。アルテラと引き分けた出会いの時と比べ、アルテラを超えて更に力を付けている確信があった。今の俺ならいけるんじゃないか。あのいけ好かないジジイや、ハンマー男を殺せるんじゃないか。そう思った。

 自分の脚で歩くようになったマナガルムの歩調に合わせてやりながら、深刻な顔をしているアスラウグを見遣る。どうした、アスラウグ。

 

 ――ヘルモーズ……私は、なぜ孕まないのだろう。アトリ様は産めたのに。

 

 知るか。呆れて鼻を鳴らし、目を背けるとマナガルムに膝を叩かれた。

 あ? ……チッ。ちゃんと教えてやれだぁ? 教えてやる必要はねぇよ、馬鹿なチビガキが。

 ムッとしたマナガルムにまた叩かれると、頭に拳骨を落とした。頭を抱えてのたうち回り、涙目でこちらを睨む顔はアルテラに似ている。……俺に似なくてよかったな。無駄にバカデカくなり、厳つくなられたら暑苦しくって傍に置きたくなくなるところだ。

 

「アスラウグ」

 

 ――む、なんだ。

 

 おい。生意気なガキめ、余計なことは言うな。

 

「父さん、うるさい。悩んでいるアスラウグを放っておけない。アスラウグが命を孕めないのは、半分がワルキューレで、ワルキューレはオーディンに機能を制限されているからだ。この機能の制限を外すかオーディンが死なない限り今のアスラウグは孕めない」

 

 ――何……!? 大神が、私がヘルモーズの子を孕めないようにしている?

 

 両方の拳でマナガルムの頭を挟み込み、グリグリと抉ってやる。悲鳴も出ないほど壮絶に痛がるマナガルムに容赦しない。いつもなら助けに入るアスラウグも愕然として立ち尽くしていた。

 賢しらに語れて満足かクソガキ。あのジジイはコイツらにとって軽い存在じゃねぇ、安易に教えんなってのはそれ込みの話だ。分かったかクソガキ。

 必死に俺の拳を掴むガキの力は、ガキとしては強い。だが貧弱だ、俺の筋肉には到底及ばん。

 暫く折檻して反省を促すと、マナガルムを離してやる。声を上げて泣き出したクソガキを蹴って吹き飛ばして黙らせると、岩石に激突して止まったマナガルムが癇癪を起こし、泣きながら「いつか殺してやるからなクソ親父!」と嬉しいことを吼えてくれた。

 

 俺を殺す? いいな、お前に殺されるなら良い最期だ。笑って歩み寄り、頭を撫でてやるとマナガルムは虚を突かれたような顔になり、泣き止んだ。

 無言でタックルしてきて、抱き着いてくる。

 

「やだ」

 

 何がだ。変なガキだ。お前も俺のガキなら……アイツと俺のガキなら、俺を超えてみろ。俺を殺してみせろ。一度だけ挑戦は受けてやる、親父としてな。いいか、一度だけだぞ。覚えておけ。

 

「………」

 

 動かなくなったガキに嘆息し、掴んで肩の上に乗せた。

 呆然としているアスラウグを促して、また歩く。

 帰路についてからは何もない旅だった。

 殺戮も、虐殺も、略奪も。陵辱も、蹂躙も、追跡も。

 獲物のいない旅。獲物を探さない旅。何も求めない旅。欲がない、旅。

 

 季節が変わる。何度も変わる。

 マナガルムはすくすくと成長し、10歳になり、俺も更に歳を食った。

 

 故郷が近い。肌で感じる。失われていくばかりなはずの濃厚な空気を感じられた。

 肌がひりつく。ぶるりと震える。武者震いだ。

 戦の気配が、いや予感が俺を襲う。

 穏やかで静かなだけの旅からは得られない、獰猛で血に溢れた予感だ。

 戦が起こる。もうすぐ起こる。あるいはもう起こっているのか?

 

 神秘とやらが濃厚に残る異常な世界が俺の国だ。俺の故郷だ。懐かしい。

 

 ――ここだ。

 

 神妙な面持ちで、アスラウグが言う。何もない地点に立って。

 俺もここだと思った。だから足を止めた。

 すると、()()()()()()。何もない空間に扉が出来たように広がり、俺達を呑み込んだ。

 幻視する。一瞬だけ垣間見えたのは――遥か彼方の(そら)まで伸びた、巨大で荘厳なる生命に満ち満ちている、九つの世界を具えた黄金の大樹。これこそが偉大なる世界樹(ユグドラシル)

 頭痛。

 知らないはずの、しかし知っていて当然のこと。

 煩わしい。こんなのは要らん。知る必要はない。

 

 微かに苛立つも、苛立ちは長続きしなかった。いつか見た懐かしい景色は、しかし赤く燃えていて。

 

 ――ヘルモーズ様!

 

 懐かしい声に呼ばれ、咄嗟に見上げた空から三人の乙女が飛んできたのだ。

 抱き着いてくるのを三人まとめて受け止める。

 スルーズ……ヒルド、オルトリンデ。なぜ……? 解放されたのか?

 いや、されていない。ジジイの支配の感覚を感じる。縋りついてくる三人の様子もおかしい。

 

 傷だらけだ。泣いている。焦っている。涙ながらにスルーズ達は言った。

 

 ――ヘルモーズ様……お願いしますっ。

 ――助けて!

 ――オーディン様を、助けてください……っ。

 

「………」

 

 あのジジイを……助けろ? 俺はあのジジイを殺す気で戻ってきたんだぞ。

 それに何年ぶりに再会したと思っている。もっとこう、あるんじゃないか。

 そう思う。

 だが、ボケてはいない。そんな場合じゃないのは悟っていた。

 戦の気配だ。遠く、本当に遠くからは――俺よりも大食いの、ゲテモノ食いの気配もする。別のところには太陽が落ちている。更に別のところでは冷たい獣の臭いがする。阿呆みたいに巨大な、俺よりも馬鹿デカい巨人の姿が遠望できる。世界が――終わろうとしている。

 縋りついてきて、俺を見上げる三人。涙に濡れた顔。

 アスラウグを見遣った。険しい顔だ。ラグナロク……と呟いている。そして俺に頷いてきた。

 

 ……。

 

 ………。

 

 …………いいだろう。

 滅多にない気紛れを起こしてやる。お前の企み通りになるのは癪だが、乗ってやるぞ糞爺。

 たまには奪わないでやる。スルーズ達(コイツら)を、()()()行ってやろう。

 

 マナガルムをアスラウグに投げ渡す。戦斧で肩を叩きながら、スルーズ達を促した。

 再会を祝すのは後だ。まずはお前らを俺のものにする。取り戻す。その為に……まずあの糞爺に返し切れない貸しをくれてやろう。

 案内しろ、スルーズ。俺を導くのには慣れているだろう。

 

 ――っ……! はい、こちらです、勇士ヘルモーズ様……!

 

 ラグナロク。ラグナロクか。知らんな。どうでもいい。

 感謝しろよ大神オーディン。お前は殺さん。お前の娘達を貰った後で、残った片目を抉り右腕と片脚を刎ね飛ばすだけで勘弁してやる。なに、ご自慢の頭が残っているなら問題ないだろう。

 胸が踊る。血が沸き立つ。ああ、ああ、戦だ。我慢していた殺戮への渇望を開放できる場だ。ふつふつと殺意が全身を巡って高揚し、戦意で頭蓋骨の中が沸騰する。

 

 そうか。一度目は逃した。二度目はついてきた。三度目は捕まえた。四度目の運命は――俺を此処でこうして待ち構えていたわけか。予感がする――四度目の運命は、俺の死って訳だな。

 ハッハ。滾るねぇ。燃えてきた。

 馬鹿め。俺は、自由だ。何にも支配されない。何にも縛られない。

 俺は俺のやりたいようにして、そして好き勝手をして死ぬ。

 

 ここでは死なん。

 

 運命とやらが俺を殺すつもりか。殺せるものなら殺してみろよ。

 俺を殺していいのは――俺と、マナガルムだけだ。

 

 

 

 

 

 




ウルヴール・サガ
 終盤は、短い。中盤の最後に一度国を出た後、ヘルモーズは帰ってきた。サガの終盤は、帰還したヘルモーズが戦乙女に請われ、ラグナロクに参戦する所からはじまる。
 死んでおらず、ヴァルハラにおらず、エインヘリヤルにならぬまま、生身で神々の黄昏に参戦した唯一の勇士。その活躍の末に――。

ヘルモーズ
 退屈な旅だった。だが、悪くない旅だった。
 穏やかに過ごせたのは、終わりを前に昂ぶる血を抑えていたから。
 息子に己を超えて欲しいと願う。超えられて、殺して欲しい。
 殺されたいのではない。超えるということは、殺すということだと思っているだけ。
 叶わぬ願いだ。
 ヘルモーズは、強すぎる。抑止力が排除を諦めたほどに。

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