蒼銀の蛮族、筋肉にて運命を破る   作:飴玉鉛

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第14話

 

 

 

 

 

 たった一つの後悔があるとするなら。

 

 たった一つの過ちがあるとするなら。

 

 それは、自らが邪悪な獣であったことだろう。

 

 暴れ狂う暴風に、庇護する術はなく、知る意思もなく。

 

 極限まで高めた力は、奪い、殺す為の暴力でしかなかった。

 

 故に――永年の悔いは此処に。

 

 力を信じたのに、力が足りない憤怒へ収束する。

 

 愚かな男の、愚かな結末まで――後、二戦。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界蛇ヨルムンガルドは人間世界(ミズガルズ)を囲い、自らの尾を噛めるほどに巨大な毒蛇の神獣である。

 

 身動き一つで津波を起こし、暴れ、既に人間世界の地表を洗い流した世界蛇は、首魁ウートガルザ・ロキに課された使命を全て果たしたと言える。だが安寧はない、寧ろヨルムンガルドは使命を果たしたからこそ、絶体絶命の窮地に立たされていたのだ。

 

 人間世界ミズガルズを静寂で満たし、大地を海底に沈没させた蛇の許に、終末装置の一角たるヨルムンガルドを屠らんと最強の神が襲来したのである。

 

 神の名はトール。『武器を振るう者トール』という意のヴィング・トール。戦神にして雷神、農耕も司る武神。アースガルズの全ての神々を集めるよりも強い豪力を誇り、数多の巨人――フルングニル、スリュム、ゲイルロズという強大な霜の巨人をも討ち取った神格。

 巨人はトールを恐れた。トールがミョルニルを振り上げる音だけで、遠くに在りながら震え、怯えて警戒するほどに。そうだ、稲妻の光を知れ、雷鳴の轟を聞け、彼こそが神々と人間を巨人から守る要であり、燃え上がる真紅の瞳と紅蓮の髪持ちし偉神だ。

 だが小さき者である。

 世界を覆うほどの大神蛇に比較すれば塵だ。だがその塵にこそ、世界蛇ヨルムンガルドは極大の恐怖を覚えた。過去二回もの邂逅を経ている故に雷神の力を識っていたのである。

 しかしヨルムンガルドは恐怖に溺れず、自らへ死を運ぶ為に訪れた雷神に戦いを挑んだ。トールが挑んだのではない、挑戦者は世界蛇であった。だが、世界と塵の戦いは一方的なものとなる。

 雷神の放つ雷撃で鱗の数割を焼き焦がされ、見舞われた拳撃の殴打により護りを剥がれた。世界蛇を撲殺するに充分なほど巨大化した鉄槌ミョルニルが二度擲たれた後、最後の一投で蛇が仕留められる寸前である。人界のあらゆる生命と物質が洗い流された以上、雷神が力を抑える理由はない。雷神が本気で見舞った鉄槌を受け、一撃で死ななかったのは現状だと世界蛇のみだが、如意で大きさを変え、電熱で朱く光る鉄槌は世界蛇の巨体を叩き潰して余りあった。

 

 末期(まつご)の時に総身を引き攣らせ、己の最期を悟った世界蛇は、せめて己を殺すトールだけでも道連れにしようと毒の飛沫を槍として吐きつける。

 

 渾身の一投。これまで一撃であらゆる敵を葬ってきた故に、二度も耐えられたのには怒りを覚えた。短気で激昂しやすい雷神の、その苛立ちこそが彼を殺すのである。

 まさに三度目の投擲で鉄槌は稲妻となって放たれ、ヨルムンガルドを潰しながら焼き払う威力を叩き出したトールは、全力の攻撃の直後だったからこそ毒液の槍を躱すことができなかった。

 

 しまった――トールは失策を悟る。

 

 全力で投じずとも後二回か三回、隙を見せずに鉄槌で殴れば殺せていたというのに、怒りに身を任せたが故に致命的な神殺しの毒に襲われた。

 果たして雷神と世界蛇は相討ちになる――はずだったのだが――あわや神殺しの猛毒に貫かれ掛けた雷神の前に、見知った魔術の防壁が展開される。毒液の槍はルーンの壁に堰き止められた。直後に貫通されるもそれだけの間があれば雷神の退避は叶う。辛くも死から逃れた雷神であったが、己の救い主を見る前に、横合いから英雄的殴打を食らわされ海面に叩きつけられた。

 

「ッ………!?」

 

 気が遠くなるほどの威力だった。瞼の裏で星が散る。

 受け身も取れずに着水し、しかし瞬時に海水を蒸発させて跳ね起きたトールは見た。信じられない。この雷神を殴ったのは、いつか見た人間だったのだ。

 まるでいつぞやの意趣返しだとばかりに戦斧を振るわれ、斧の腹で殴り飛ばされたのである。頭に血を上らせ憤激するよりも、まずトールは唖然とした。

 

 大神のルーンを足場とするその男の一撃が効いたのである。

 

 力を誇り、孤高の最強だった神に、たかが人間如きの一撃が通用したのだ。

 

 だが殺す気のない一撃だ。蛮神は雷神を不意打ちで殺すのを好しとしなかったのか。今のは意趣返しがしたかっただけで、殺すなら正面から殺すのが蛮神の遣り方である、奇襲で殺す気はない。

 なぜ躱せなかった。トールは舌打ちし、思考する。

 己の失策で死を確信していたから? 紙一重で運命の魔手から逃れられて、流石の最強も気が緩んでいたから? ……いや、そもそも躱すだと? この俺が人間に脅威を覚えたのか?

 トールの短絡的な脳にぐるぐると思念が渦を巻く。

 

「危うかったな」

「………」

 

 原初のルーンにて防壁を張った大神が、口角を上げ嫌味ったらしく皮肉を告げる。対してトールは沈黙を強いられていた。

 何も言い返せないのではない、己を救ったのが大神だったのに驚愕していたのだ。彼はオーディンを凌ぐ北欧最強の神である故に、大神の力の程も測れている。大神は氷雪の魔狼に敵わず敗死を遂げるだろうと思っていた。見立ては正しい。だが魔術神がこうして生きていること、人間の殴打で意識が飛びかけたこと、二つの事象に驚愕していて声を出せなかったのである。

 

 ――蒼銀の戦狼はルーンの防壁の上で、海底に沈没したミズガルズを見下ろす。

 

 見ているのは、世界樹の枝葉の一つに並ぶ巨大さを持つ、規格外の大魔獣の遺骸。叩き潰されて息絶えた神の如き獣。性質は異なる、在り方も違う、だが存在や力の規格は氷狼に匹敵していた。

 それを、雷神は単騎で葬った。

 些細な怒りで相討ちに持ち込まれそうではあった。だが勝っている、殺している。殺されそうだったが勝利している。蛮神は歯を食いしばった。相性の差はあるだろう、氷狼の方が厄介ではあるだろう、雷神が単騎で氷狼と戦っても相性差で負けるかもしれない。

 しかし世界蛇には勝った。圧倒的に。強い――力の信奉者である故に認めざるを得なかった。己がここまで強くなってもなお、目標とした最強は己よりも明白に強い。明確に上だ。

 

 世界蛇の骸を、内臓を、鱗を、肉を、骨を、毒を、牙を見る。

 あれは、雷神の獲物だ。横取りして貪るのは盗人以下の畜生だろう。

 目標とした天の獲物を掠めとる真似はできない。そんな恥知らずな所業は己自身が許容しない。

 

 ――殺気に貫かれる。雷神は飛び上がって押し寄せる海水から逃れると、蛮神と同じくルーンの壁を足場とした。そして己に殺気を向ける蒼銀の戦士に向き直る。ヤるのか、と睨んだ。

 来るなら応じる。心がフツフツと滾り出し笑みが浮かびかけるのに、とうの蛮神はそっぽを向いた。拍子抜けした雷神だったが、戦士の殺意は収まっていない。戦士はただ優先順位を設けているだけで雷神は殺すと決めてはいる。今殺ろうとしないのは、雷神よりも優先しなければならない敵がいるからだ。――オーディンが言う。楽しげに。隻眼で狂戦士を横目に見つつ。

 

戦神(テュール)めは冥界(ニブルヘイム)と現世の境を守る獣、境界の魔犬(ガルム)と相打った。今頃ロキとヘイムダルは相打っているだろう。残すはムスペルヘイムの巨人王だ」

 

 スルト。既存世界に終焉を齎し、新たな時代の到来を促す終末装置の一角。ムスペルヘイムに住まう火の巨人達の王にして、原初の霜の巨人ユミルの分かたれたユミルの怒りそのものである。

 スルトは世界を滅ぼすだろう。世界とは即ち今在るこの世界樹だ。蛮神の宿す叡智はその終焉の足音を掴んでいる。どこにいても感じている。

 この神話(テクスチャ)の中には己だけでなく、己のものである女達と息子がいた。ならば滅ぼさせるわけにはいかない。断固として奪わせはしない。だが口惜しいかな、スルトは誰よりも何よりも、己はおろかトールですらも及ばぬ炎である。スルトという巨人王を倒す為には、巨人殺しであるトールの力は必要不可欠であった。同じ理由でオーディンに手を出さず、ヘルモーズは巨人王の殺害を最優先の目的に据えている。これは戦争だ、決闘は後回しでいい。

 

 オーディンは愉快そうに笑っている。死ぬはずの己、死ぬはずのトール、二柱の神が生き延びた。直接雷神を救ったのは魔術神だが、狂いは連鎖した。

 関わっていない者は死ぬだろう。だが関われば? 関わった運命はどこまで捩れる。興味深い。しかしこうして立ち止まり、時を浪費していては元の木阿弥だ。現に視るがいい――旧時代に終末を告げ新時代を齎す灼炎が、世界樹の枝葉を焼き落としたぞ。

 

 神々の世界アースガルズが最初だった。巨人世界(ヨーツンヘイム)氷結世界(ニブルヘイム)も終焉の炎に呑まれ灰と化し、妖精世界(アルフヘイム)も同様の末路を辿っている。次の標的はこのミズガルズだろう。この一撃で多くの神々が死に絶えて、エインヘリヤルも巨人も小人も妖精も、あらゆる怪物も絶滅する。これは確定事項だ。避けられない。

 遠見する隻眼は視ていた。未来を、ではない。単に遥か遠くを視ただけ。

 やはりだ。妖精世界が滅んでいる時点で明らかだったが、やはりスルトに単身で勝利し得たはずの平和と豊穣の勝利神――実り豊かなユングヴィの君(ユングヴィ・フレイ・イン・フロージ)は敗れ、消滅してしまっている。テュールもヘイムダルも、ガルムもロキも死んでいた。

 それだけではない。

 スルトは魔術神と雷神の生存に辻褄を合わせようとするかの如く、予言通りなら彼の後継となるはずの息子ヴィーザル、生き残るはずだったトールの子達も徹底的に焼き滅ぼしていた。

 

「炎の巨人は別格だ」

 

 あらゆる神々が力を合わせて挑み、なお滅ぼされ、最後になんとかオーディンが相討ちに持ち込んですらも封印が限界か。オーディンはそう読む。

 無論、対スルト戦を想定した『神々』の中に、勝利の剣を持ったフレイ神、本来ヨルムンガルドと相打つはずだったトール神は含んでいない。前者であれば単騎でスルトを倒している。相性が絡んでいる故の勝利だが、勝ちは勝ち。また最強の神もスルトと戦う前に死ぬはずであったから計算に入れる方が間違いだ。

 

 だが、ここには強大な魔力を持つオーディンがいる。理不尽な暴力を有するヘルモーズがいる。最強の名を恣にするトールがいる。この三つの存在と戦うと想定するなら結果はどうだ。

 

 わからない。

 

 オーディンですら分からなかった。らしくなく、獰猛に笑む。

 

 

 

「スルトを討つ。我々でだ。異論はあるか、両名」

 

 

 

 宣言に、反対はない。オーディンは頷き、武勇高らかなる二騎を引き連れ滅びゆくミズガルズから立ち去った。オーディンの魔術により忽然と姿を消した三騎は、まだ残っていたヴァン神族の世界である光輝世界(ヴァナヘイム)に現れた。この世界で待ち構えるのである。

 神々の黄昏。旧時代を畳む大戦もいよいよ大詰めか。最大最強の巨人王がミズガルズを焼き滅ぼし、光輝満ちるヴァナヘイムへと侵略する。待ち構える者がいると気づいていながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――クク……クククク……。

 

 ――なんだこれは。なんなのだそれは。

 

 ――俺は絶望していた。

 

 ――運命に沿うだけの己に。

 

 ――単なる終末装置でしかない己に。

 

 ――だが、これはなんだ?

 

 ――この運命はなんだ?

 

 ――知らないぞ。お前は誰だ。

 

 ――ユミルの知らぬお前は誰だ。

 

 ――知らない。識らない。不知()らない!

 

 ――俺が発生して以来、初めての。()()、だ。

 

 ――クク。お前か、哀れな男。愚かな男。

 

 

 

 ――お前がヘルモーズ。

 

 

 

 ――俺に未知なるもの、驚きを教えた男。

 

 ――礼がしたい。礼をしよう。

 

 ――破壊でしかない者に、破壊でしかない俺が。

 

 ――星の終わりを、見せてやろう。

 

 

 

 

 

 

 





 九つの世界最後の国ヴァナヘイムに、僅かな生き残りを導いた。
 どうか生き延びてほしい。滅びを超え、再生の時に生きてほしい。
 それは復活するはずだった神、バルドルの声だったか。

オーディン
 想定外の未知の武と暴を引き連れ、炎の終焉へ挑む。
 この決戦に上下の関係はない。要らない。
 横並びに、対等に、戦士として、魔術神として、戦う。

トール
 最強の神は、最強の炎に畏怖を懐く。
 だが己はトールである。
 傍らには不可解な人間――己を殺すと告げるおかしな人間。
 不思議と、負ける気がしない。
 挑まれるのなら受けて立つ。だがまずは、巨人王を屠ろうぞ。

ヘルモーズ
 優先順位を設けてまでトールとの共闘を受容。
 驚天動地の異常事態。だが、そうしなければ全て滅ぶのならやむをえない。
 この最後の世界には宝がある。

スルト
 おかしな男を視た。おかしな流れに乗った。
 驚いた。ただ、驚いた。
 運命に抗うでも、叛逆するでも、従うでもなしに。
 運命が白紙の者がいて、それが生む流れに驚かされた。
 炎と破壊の巨人王は喜悦する。
 礼がしたい。
 どこか己に似ていながら弱い人間に、星の終わりを見せたくなった。
 そして見たくなった。
 あるいはそれは、同族嫌悪に似ている。
 破壊の匂いが薄いぞ人間。愚かだ。お前は、守ろうとしているのか?
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