蒼銀の蛮族、筋肉にて運命を破る   作:飴玉鉛

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第15話

 

 

 

 

 

 耀ける世界樹(ユグドラシル)の神代現実。地表に残された数少ない神秘の世。

 

 八つの枝葉は焼け落ちた。幹たる黄金の大樹は赤く延焼し、灰となった森羅万象が無に堕ちる。

 

 光輝世界(ヴァナヘイム)へと侵攻せしは終焉の火の巨人。枝葉を渡る巨人王スルトの背後に広がるのは、灰燼に帰し虚無となった暗黒空間である。星々の輝きすら消えた全き闇だ。

 見るがいい。天をも衝く巨躯は黒く、噴出する炎が赤く化粧している。さながら天を巡る太陽が、意思を持つ人型と化したかのような非現実的な光景だろう。炎の厄災はしのび笑い、世界樹最後の幻想を焼き滅ぼさんと、ゆっくりその足で光輝世界に踏み込んだ。

 これが北欧世界の神代終末。神々の黄昏を過去として、長い夜の末に朝日を齎す破壊の足音。新しき時代の為に旧き時代を終わらせる、正しい終わり。だがそれは、新しきの為に旧きを駆逐する冷酷な所業だ。旧きものとして今を生きる人々は世界の終わりに恐懼した。

 

 北欧世界の神々の一族が支配する光輝世界に、本来は人間の姿などあるはずがない。故にそれは緊急避難の一時的な措置だろう。本来なら滅びの後に復活するはずだった光神が、完全に復活の目を断たれる前に最後の力で八つの世界の生き残りを退避させたのである。

 ほんの僅かな神々と。ほんの僅かな人々と。ほんの僅かな動植物。心のある人や神はおろか、ただの植物ですら絶望の具現を前にうなだれる。

 強力で勇敢な神々は死に、伝説の勇士の軍勢エインヘリヤルも消滅した。もはや抗う者もなく、力もない故に希望はない。そのはずなのに――彼らはふと顔を上げた。

 

 そして見た。光輝世界の果てに立つ、三つの人影を。

 光輝世界の水際で巨人王を食い止めんとする最後の希望達の姿を。

 

 中心に立つのはつばの長い帽子を被った隻眼の翁。それは嵐の神、軍神、農耕神、死の神の側面を持つ神々の父であろう。魔術神は右手にグングニルを持ち、左手側に二羽のカラスと二頭の狼を従えている。オーディンは()()()()()()しもべを下がらせ隻眼を閉じた。

 父たる神の右に立つのは赤髪赤目の偉丈夫だ。両手に分厚い手袋を嵌め、赤熱する鉄槌を持つ者。稲妻を纏いし神の名はヴィング・トール、威名高らかな巨人殺し。人と神を守護せし要の者だ。雷神は首を傾けてゴキリと鳴らし、切り札である鉄槌を両手で構えた。

 智慧の神の左に在るのは白髪の老戦士。青いマントを纏い、白銀の戦斧を担ぐ者。信じられない、なぜお前がここにいる。なぜそこに立ち戦わんとする。破壊と悪逆しか為さぬ無道の雄、数多の屍と涙の海を築いた悪の化身ヘルモーズ。我意が終わりを拒んだのか。

 

 人間の最強、神の最強を率いる神々の父にして主は、開眼すると遠望できるスルトを見て呟く。

 

「……久しいなユミル。いや、その残照よ」

 

 万感の籠もった郷愁。原初の霜の巨人ユミルを解体し、その肉体の九つの部位を以て世界創生を成した大神は、確かに巨人王の姿にユミルの怒りを視た。目を細めた魔術神はグングニルにて鎮魂するかの如く地を叩くと、両脇に立つ双つの最強を見遣ってニヤリと笑った。激昂する者という意の名を持ち、かつて若かりし頃は名の通りの性分で。確かにその名残を残した深い色の笑みだ。

 

「トール、そしてヘルモーズ。お前たちに、これより試練を課す」

 

 光輝世界の端に上陸した巨人の標高は、成人した人間の腰までしか身長がない小人(一メートル)を1000体縦に積み上げたようなもの。纏う炎により立ち上る陽炎で、遠近感が掴めない。

 遠くにいるのか近くにいるのか、肉眼だけに頼れば感覚が狂うだろう。喜悦を滲ませた笑みは破壊への喜びか、怒りを晴らす終末への猛りか。いずれにせよ、目にするだけで強大さが伝わる。

 一対一では相手にならない。相手は九つの世界全てを終わらせられる者。この惑星全土を当たり前に焼却してしまえる破壊神。全てのヴァン神族、アース神族を束ねて漸く相手になるかどうか。それに二柱の神と、一人の人間で挑むという狂気に、更に狂気の沙汰を下すのが軍神としてのオーディンであった。

 隻眼の大神は言う。試練を課す。試練という名の死刑宣告を。

 

「アレに通じる術を通すには、我が権能の悉くを費やし、余力も残さず全霊で投じねばならん。である以上、我が術を行使するのは二度のみだ。それで勝利できねば敗北するだろう」

「まどろっこしいな、何が言いたい」

「勝機を手繰り寄せよ。我が術を開陳する機が訪れるまで、お前とヘルモーズで、()()()()()()()()

 

 ハッ、と雷神は総身に帯電しながら鼻を鳴らした。

 不可能だ、無謀だ。強大な敵を前にして、そんな弱音などこの(おとこ)には有り得ない。

 むしろ逆だ。滾っている、高ぶっている、そして父たる神々の王の弱腰を詰るように気を吐いた。

 

「オーディン、ここは()()()()()と命じるべきだった。いつも通りにな」

 

 どこまでも強気に断定する。雷神トールはそんなものは試練にもならぬと本気で言っていた。

 見ただけで分かる、巨人王の強大さは。しかしこの身は最強なのだと、あらゆる神々を凌駕する存在なのだと信仰されていた。人に、神に、だ。

 故にオーディンの課す試練は試練に非ず。勝つべくして勝つ当然の闘争である。

 

 ――だが、だがである。トールもスルトとの力の差は解っていた。なのにこうまで強気でいられるのはなぜか、理由はたった一つの単純な想いにある。

 既に前に進み出ていた戦狼に並び立つべく歩むと、トールは男臭い笑みを湛えて言葉を伝えた。

 

「ヘルモーズ、拳を合わせろ。それで、分かる」

 

 真横にいる男へ、男は左拳を突き出す。ちらりと視線を寄越したヘルモーズに、男は万の言葉よりも雄弁な覇気を浴びせていた。

 男と男の間に種族の壁はない。戦場を共にするなら同胞である。至極シンプルな熱い魂、この男と共に戦うのであれば、如何に強大な敵を迎えようと勝利してみせる。雷神の目はそう語って。

 

 戦狼は滾る獣気で応じ、神の覇気に畜生の如く噛み付いた。

 

 差し出されていた左拳に、右拳を上から叩きつけて疾走(はし)り出したのだ。共に戦うだと? せいぜい()れているがいい、俺は俺で勝手にする、と。億の言葉より雄弁な独断専行だった。

 飛び出した戦狼に、トールは破顔した。無愛想(短気)で無骨な男が、腹の奥底に沈殿させていた快活な豪傑らしい、力強くも朗らかな笑い声を上げる。

 

「そうか、お前はそういう男か! ハ、それでこそだ勇者ヘルモーズ――!」

 

 狂奔する殺意に怯懦はない。獣の道をひた走る男に遅れて飛び出したトールもまた、一層の歓びを胸に追い越さんと地を蹴った。人間の勇士に遅れを取れば恥になるとばかりに。

 オーディンもまた血が滾っていた。狂い果てた運命の戦い、全知を得た身が得られた未知の舞台。これに心躍らずにいるほど枯れていなかった――そんなことすら忘れていた。忘れていた戦への高揚を大事な宝の如く胸に抱き、一度目の術を戦の開幕と共に行使する。

 

 魔術神は戦の最初と最後に司る叡智を注ぎ込む。二羽と二頭のしもべを使役し、この光輝世界全土に刻みつけた極大の原初のルーン。

 これこそが古今東西あらゆるルーン使いが束になっても再現の能わぬ魔術神渾身の大権能だ。規格外の規模で以て行使されるのは、ただただ単純で純粋な強化の概念。膂力、速度、強度、肉体的な機能の全て。それらを極限まで高める術。対象は、たったの二つ。一柱と一人の男たちだ。

 オーディンが全力を惜しまず注ぎ込んだ力の波動を受けた男たちは、迫りくる炎の終焉へと開幕の洗礼を叩き込まんと猛っている。

 

 巨人王スルトは見た。臆さず自身に挑む者達の姿を。全長1000メートルを超える巨躯は、スルトが担う終末装置として最大規格(サイズ)。スルトにしてみれば二つの武と暴など塵芥に過ぎない。

 だが、良い。灰となるモノの最後の輝きだ。その輝きを焼き尽くすのが終末装置たる己である。終わらせるだけ、破壊するだけ、焼却する機能だけしか知らぬまま、己が妻すら終わらせて来た炎は歩を刻む。いや、走る。奔る。疾走(はし)った。天を衝く巨躯の炎が。

 世界そのものが揺れる。その足が地を蹴る度に世界が灼かれ、スルトの領域が拡大した。炎の勢力が光輝世界を侵食し、灰となる景色を背景に紅蓮の終末が嗤いながら炎の剣を振りかぶった。

 

「グォォオオ――ッ!」

 

 受けて立つのは凶獣ヘルモーズ。まだ接敵していない、だのに近づくごとに空気が薄くなり、全身が高温で炙られ、今に発火しそうなほどの熱波に圧される。如何に凶獣といえども、翳した戦斧を叩き込む頃には全身の肉が爛れて骨となり灰になるだろう。これでは戦いすら成り立たない、そうと悟ったが故に凶獣は吼えるのだ。喰らいて己が身に宿る氷結の風を。冬の化身の息吹を。

 ニヴルヘイムの風――魔狼が喰らった霜と氷の世界から流れ込む絶対零度の吹雪だ。凶獣より解き放たれた吹雪の勢力は、オーディンの強化を受けているが為に本来のものよりも強力となり、スルトの纏う炎の余波を相殺する。そして魔狼の吹雪を放つ為に止まった瞬間に雷神が追い越していく。一番槍の栄誉を手にするのはやはりこの男だった。

 手袋は太々とした太腕を包む籠手ヤールングレイプルへと変じ、腰に巻かれた力帯メギンギョルズが雷神の力を倍加、握り締める持ち手の短い鉄槌が帯電する。振りかぶられた炎の剣を迎撃し、そのまま叩き潰さんと烈火の気迫を以て神造兵装を巨大化させた。

 

 振るわれるのは、悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)

 

 世界蛇ヨルムンガルドすらも三撃で仕留め、その他全ての敵対者を一撃で粉砕した武具。太古の巨神も斯くやといった巨人王すらも撲殺することが能うほど、天を打ち据える大地の如き巨大化を果たして振り下ろされ――しかし、振り上げた炎の剣を下ろし、斬り上げる迎撃へ舵を切ったスルトによって、その一撃は弾き返されてしまう。

 スルトは本気で、全力で雷神の槌を迎え撃ったのだ。己を殺し得ると認めた証左であるが――雷神は己の手に返る衝撃に驚愕した。世界蛇をも屠った? だからどうした――嘲笑する悪意。俺ならあの程度の蛇、素手でも殺して喰らえていたぞ――交感される思念。確かにスルトは全力でトールの一撃を迎撃した、だがそれだけなのだ。トールほどの神が権能たる稲妻を纏わせ、神造兵装の真価を叩き出して振るった一撃を――ただの力だけで、相殺してのけた。

 トールは憤怒で顔を赤黒く変色させる。鉄槌と炎の剣が接触した衝撃で、過半部が焼け落ちている世界樹を震撼させた。おのれ、とトールは更に鉄槌を振るう。スルトも己が領域とした炎の大地に確り腰を落として紅蓮の剣を幾度も走らせた。――激突に次ぐ激突、数十の交錯で光輝世界の大地へ亀裂が奔る。先に圧されたのはトールだった。

 

 全ての攻勢に掛け値なしの全霊を込めていたのである、ただ全力で炎の剣を振っていただけのスルトよりも先に力尽きるのは道理だろう。

 

 己をも撃ち殺し得る鉄槌の乱舞を、スルトは完全に無傷のまま突破する。彼は嘲笑った。雑魚を幾ら一撃で仕留めようと、世界蛇を三撃で昇天させようと、火の巨人王を仕留めるにはたとえ百回振るってもまるで足りぬ。――フレイ神が勝利の剣を担っていればこのスルトに勝利し得たというのは、勝利の剣には破壊という炎を鎮める何かがあったからであり。そうであるが故に、炎を鎮められないミョルニルではスルトに届かないのは自明であった。

 巨大化させていた槌を雷神は元の規格に戻した。憤怒に燃えるトールの目に諦めの色はない、これで駄目ならもっと強く、もっと速く、もっと巧みに攻め立てるのだ。力押しである、力で圧すのである、力で上回らねば話にならぬ。これだけの体格差だ、もはや技の介在する余地はないだろう。圧倒的な力での攻めでなければ、巨人王を討ち取ることはできないと痛感した。

 

 だからこそ、()が馳せていたのだ。

 

 筋肉とは力である。力とは速さである。速さとは筋肉である。数多の理、道理を踏み均して蹴散らした理不尽の権化は、雷神と巨人王の撃ち合いを黙って見ていたわけではない。

 スルトの顔面に氷結の魔力を纏った戦斧が飛翔していたのだ。彼我のサイズ差により針が飛んできたようなものであるというのに、スルトの眼力は正確に戦斧を視認し、そして破滅的な威力が内包されているのを看破する。受けてもいい、だが無視しがたい。スルトは炎の剣の振り終わりを狙われた故に素手での防御を選択する。紅蓮に発する漆黒の腕を動かし、手の甲で戦斧を逸らすという器用で絶妙な受け流しを成してみせた。体皮の表面を滑り、彼方に飛んでいく戦斧に巨人王は嗤い――次の瞬間だった。凶獣ヘルモーズはスルトの頭上を取っているではないか。

 

 持ち合わせていた元々の筋肉と、魔術神による光輝世界全土に記された原初のルーンの強化。二つが掛け合わされたヘルモーズはスルトの死角を取っている。果たして冷気を体内に溜め、一気に爆発させながら突き出したヘルモーズの拳がスルトの脳天を痛烈に殴打する。

 

「――ガッ……ッ、グ……」

 

 さながら頭の上で地殻変動が巻き起こったかの如き拳打の威力。意識の外からの強襲で、堪らず地面と接吻する羽目になる。スルトほどの巨体が地に叩きつけられる衝撃はもはや災害だ。

 来い! 担い手の呼び声に応じた戦斧を掴み、落下しながら戦斧での追撃に出る。しかしその巨体からは想像もつかないほど俊敏に起き上がり、膝立ちしたスルトは速やかな反撃を見舞った。

 振り向き様の肘打ち。まるで大地が起き上がったかのような面積は、空中に在るヘルモーズに回避を赦さない。直撃を受けたヘルモーズは塵のように弾き飛ばされ、地面にめり込んでしまう。

 喀血しながら地面から出たヘルモーズは、余りにもデカすぎる火の巨人王を見上げた。スルトを殴打した拳には氷結地獄が如き冷気が込められていた、だというのに痛痒を覚えてもいない。凶獣の顔が険しくなる。スルトはやはり、嗤った。嘲笑った。悪意のみの嘲りだ。

 

「――ク」

 

 愚かだ。愚かに過ぎる。小賢しいオーディン、原初の霜の巨人ユミルを弑した者から何も聞かされていないのか? 巨人殺しで知られる雷神ともあろう者が知らないのか? ああ、答えは確かめるまでもない。聞かされていないのだろう、知りもしていないのだろう。聞かせて言うことを聞く者達ではなく、知るまでもなく巨人達を殺めて来た雷神は気にした試しもないのであろうから。

 スルトの肉体を構成するのは最高峰の巨人外殻。巨人種の強靭な体皮。他に例を見ない特殊な組成で成り立ち、攻撃的エネルギーを吸収して魔力へと変換する驚異の鎧だ。吸収限界を上回る分は魔力変換できず、ダメージを負いはしたが軽微なものでしかなかった。

 そう。つまりは、準備が整ったのだ。トールの乱れ打った鉄槌の衝撃で魔力が溜まり、規格外の膂力で脳天を殴打されることでスルトの魔力は臨界を超えたのである。

 

「――クク。返礼だ。星よ終われ、灰燼に帰せ。太陽を超え耀く、(ほのお)の剣を見せてやる」

 

 息切れし止まってしまっていたトールは鳥肌を立たせた。赤毛が、赤髭が総毛立つ。地より這い出た血塗れのヘルモーズは目を見開いて空を見上げた。

 赫々と、赤々と燃え盛るは終末の炎。これにて九度目の解放、前八度にて八つの世界を焼き滅ぼした灼熱地獄の具現化した業火。単純に、純粋な、熱量だけで世界を滅亡させる対界攻撃。神に、世界に、そしてありとあらゆる生命を害する滅却の裁き。人の文明の開闢、神の発展が火と共にあったのなら、終わりもまた火と共にあるのが摂理というもの。

 地球上に有り得てはならない、摂氏400万度を超える焔。解放しただけで周囲が灰燼に帰し、振るえば八つの世界を無に落としてきた。生命に対する優先権を有するのは終末装置ゆえであり、だからこそ歩く生命の宝庫のヘルモーズや、形ある生物である神トールは慄然とさせられる。ただ呆然と魅入っていたのでは何もかもが終わりを遂げるだろう、雷神と蛮神は同時に我に返った。

 

「ッッッ――――!!」

「――――ウゥゥウオオオオォォォォォッッッ!!」

 

 この瞬間、雷神は限界を超えた。男だろう、男なら限界の超え時を誤るな。今こそ命を燃やして吼え猛る時だ。終わらせはしない、終わりはしない、終わるのはお前だけでいい、最強の神の命の輝きに呼応し、豪雷の鉄槌が極限まで光り、稲妻と化す。トール自身ですら見たことがない限界を超えた神造兵装、その真の姿。雷鳴が轟き、鋼鉄が赤く溶け、稲妻となった槌を両手で握る。

 ――同時に、蛮神もまた限界を超えた。今まで力の上限を高め続けることに腐心して、一度たりとも限界を超えたことのない、ある意味で理性の怪物でもあった蛮神だったが。この終焉の炎を前に己の力を制御(セーブ)したままでいるのは愚の骨頂、蛮神は意識的に限界を超えた力を捻出し、戦斧に致命的な亀裂が奔るほど強力にして強大な魔力(ちから)を注ぎ込む。

 

 稲光る青白き雷轟の槌を、総身が余さず白く染まった雷神が構える。

 溢れ出る怨念と断末魔で白銀に耀く戦斧、怨嗟で総身が黒く染まった蛮神が構える。

 

 横薙に払われる終末の剣。地平線の彼方に至るまで、悉くを焼き払わんとする炎の津波。迎え撃つは雷劫の神槌、担うは雷神。跳躍した蛮神が力の限りを振り絞り戦斧を投じた。

 桁外れの熱と力、光と炎が激突する。光輝世界が、光の世界が暴力的な光に呑まれた。地表が捲れ上がり、震撼する衝撃が法則性を狂わせ内側に向かい、新世界開闢を想わせる大火を発する。内に閉じた力に余波はなく――果たして数分に亘り消えなかった光の末に、二つの人型が地に落ちているのを生き残り達は目撃した。

 

「――――」

 

 仁王立つは雷神。しかし立ったまま雷神の心臓は止まっていた。燃え尽きて灰となった体が形を保てているのは奇跡か意地か。双眸に赤い瞳はなく、半壊した鉄槌を握り締めたままの焼死体だ。

 片膝をつき、纏う衣は消え、無惨な腰布がしがみつくだけの蛮神。全身に壮絶な火傷を刻み、治癒することなく止まっている。魔力炉心たる心臓が破裂して、六割の血液が蒸発し死んでいた。

 ――対して。巨人外殻に皹を走らせながらも、片膝を突いてはいるが健在なのが巨人王スルト。しのび笑う悪意に歯止めは利かない。絶命した二つの人型を踏み潰そうと立ち上がる。

 

「トール様!」

「ヘルモーズ――!」

「トール――」

「ヘルモーズ様――!」

 

 神への祈りは悲鳴と悲嘆に満ちている。

 だが、戦乙女の最後の生き残りたる三姉妹、半神の女は檄を飛ばした。

 まだだろう、まだ終わりではないはずだ、と。

 死んだ程度で()むのなら――お前(あなた)は己が自由を謳歌する獣になどならなかったはずだから。

 これは信頼ではない。信用ではない。

 愛ではなく、友好ではなく、祈りではなく、願いでもない。

 ただ知っているのだ。彼は、あの男は、最悪の獣は、災厄なのだと。

 世界の終焉程度の災害などで、焼き尽くされる男ではない!

 

 立ち上がった。得物たる戦斧を喪失し、無手となった狼が原始の戦士に回帰する。

 

 立ち上がった。背にした祈りを無碍にするのは男ではない、半壊した鉄槌を素手で掴んだまま、力帯や籠手が焼失したというのに限界を超え死を超えた雷神が駆動する。

 

 スルトは目を細める。

 

 

 

 ――()()()()()

 

 

 

 まだ終わっていないのだろうと。

 

 

 

 だから。

 

 

 

 絶望を、告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――二度目は、どうする?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「       」

 

 一度目の炎剣は、雷神と蛮神の攻撃により変換・吸収した莫大な魔力を投じたもの。

 そして今度は、スルトの自前の魔力を込めたもの。

 連射はない。連続しない。そう信じたがっていた無意識の祈りを踏み躙り、破壊たる炎は残忍に嗤い太陽を超えて耀く剣を、世界から現実を剥ぎ取る神造兵装を掲げてみせた。

 瞬間、ひたすらに耐え忍び、趨勢を見極めていたオーディンが幻視する。

 視えた。視えてしまった。未来が、視えたのだ。

 

 ――たった一つの後悔があるとするなら。たった一つの過ちがあるとするなら。それは、自らが邪悪な獣であったことだろう――

 

 大神が視た通りに残虐な悪意を滴らせる巨人の王。

 

 ――暴れ狂う暴風に、庇護する術はなく、知る意思もなく。極限まで高めた力は、奪い、殺す為の暴力でしかなかった――

 

 

 

「守ろうとしているのか、愚かな男だ」

 

 

 

 ――故に、永年の悔いは此処に――

 

「…………!!」

 

 大神の視た通りに、立ち上がった蛮神が戦慄き、身を翻して跳躍した。

 間に合わない。間に合うはずがない。炎の剣を再度振るうより先に、極大の魔力放出は炎の形態となりて、光輝世界の生き残り達がいる地点に打ち込まれる。

 

 ――力を信じたのに、力が足りない憤怒へ収束する――

 

 大神が視た通りだった。炎の津波が光輝世界の一角を焼き落とし、生き残り達は全て死ぬ。

 戦乙女の三姉妹も。大英雄と戦乙女の娘も。文明の破壊者と蛮神の子も。

 守れなかった。救えなかった。その事実に、蛮神は呆然と立ちすくむ。そして自らの死の瞬間まで、彼はもう動けなくなっていて。

 世界は終わる。雷神は討たれ、魔術神の待った機は訪れず。結局は過程は違えど予言の通りにこの北欧世界は終焉を――否、予言よりも酷い惨劇を辿る。

 神代現実を剥ぎ取ったスルトは、己を阻む者が消えた故に『外』の世界へと進出するだろう。そしてこの惑星は炎に呑まれるのである。酷い結末だ。魔術神の高揚は消え去った。

 

 だが――しかし。

 

 だが、しかしだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()男がいた。

 

 

 

「がァァアァ嗚呼亜阿猗婀亞――!」

 

 

 

 解き放たれるのはこれまで蓄えた全ての力。その身が宿した命の奔流。地上に残っていた全ての幻想種を平らげたが故の、何もかもを捧げる乾坤一擲。

 これにて仕舞い。終いだ。あらゆる超常の力を返還し、裸一貫ただの男に立ち返った。そして放たれた獣道の結晶は――果たして、戯れに放たれただけのスルトの悪意を相殺してのける。

 

「――なに?」

 

 今度こそスルトは驚愕した。

 

 戯れではあった。悪意でしかなかった。だが、たかが人間――己に似ていながら破壊ではなく、守りに重きを置いていた破壊の匂いが薄い者。嫌悪した弱者が、まさか児戯とはいえ己の一撃を相殺するとは思わなかったのだ。だからこその驚きは不愉快で。顔を顰めたスルトは炎の剣で何もかもを滅ぼそうと思い切る。終わりの運命を超えた奮迅を、無価値の灰にしてやるとばかりに。

 トールはまだ動けない。苦しげに、重そうに、鉄槌を抱え。まだ、動けないでいる。超常種を捨て只人に回帰した蛮神――否、単なる野蛮人に己を止める手立てなどない。魔術神は来るわけがない勝機を待ち座して動かぬ妄想の徒、恐れる必要はなかった。もはや終焉は決定されている。このまま全てを焼却してやろう、約束通り末期に星の終わりを見せてやるのだ。

 

 運命は、決まった。固定された。

 

 剪定される結末が世界を待っている。

 

 固定され、定められ、終わった未来。ありとあらゆる者は虚無の灰になるのを待つだけとなった。

 

 

 

 ――しかし、ここに例外が存在する。

 

 

 

 大神は、笑った。己が視た未来は確かに幻視、幻に過ぎなかったと再認し。

 故にこそ確信したのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 死に体の凶獣が馳せる、残留思念の如き氷狼が勝者へ最後の手向けを寄越した。近寄るだけで蒸発したであろう凶獣に、ニヴルヘイムの風を送り熱波を相殺している。

 速い。速すぎる。疾く、走る。人間の速さではない、無傷の時と比べてなお遜色はない。すなわち何かの力を借りずとも、力を奪うまでもない筋肉の力が獣にはあるということ。慮外の捷さで獣は筋書きを置き去りに馳せた。スルトは失態を犯している、敵対者の勝機を発芽させている。児戯とはいえ気を散らして獲物を狙わず、敵とした者達の後方を狙ったことが隙だった。

 炎の終わりを解き放つ寸前に、獣が飛び込む隙間の時間を作ってしまったのだ。

 

「――グゥ……!?」

 

 炎の剣を振るわんとした腕、その肘に渾身の力で突撃されたスルトが狙いを逸らされる。

 薙がれた終末の一撃、ラグナロクそのものの炎は――光輝世界の遥か上空へと消え、虚無に堕ちた世界樹の外縁を照らす流星となる。

 瞬間だった。

 これだ。これしかない。今しかない。此処で限界を超えずして何が男だ。何が最強だ。死んでいるのに運命を二度も覆した勇者がいる、ならば死んでいる程度で終わっていては名折れ!

 

 雷神が始動する。再起動する。以前までは力帯がないと持ち上げられなかった鉄槌を、半壊しているとはいえ素の力で持ち上げる。雷神ヴィング・トールは二度も限界を超えた。

 人間の勇者は偉業を魅せた。ならば己も魅せねば死んでも死にきれない。その意地が、雷神に最大最強、至大至高の一撃を見舞わせる。稲妻そのものと化した鉄槌が、炎剣を振り終えた力と、狙いを逸らされた反動で体勢を崩しているスルトのこめかみを殴打した。

 

 束の間――火の巨人王の意識が途絶える。全ての抵抗力が弱まる。

 

 

 

 この瞬間を、熱望していた。

 

 

 

 魔術神オーディンが吼え猛る。掲げるは神槍グングニル。起動するは光輝世界に収まらず、残った世界樹の面積全てに刻んだ原初のルーンだ。

 大権能たる超級大魔術は後世に定まる魔法の領域を易々と超える。

 世界樹全体から閉じていく秘跡文字が失神した巨人王を捕らえ、包み、閉じ込め、疑似太陽の形へと封印する。封印して終わりなのか? 否だ。大神もまた無理を通しての()()()()()()を行使し、グングニルを巨大化させ全身全霊の力で擲って疑似太陽を中のスルトごと貫いた。

 激痛の余り意識を覚醒させたスルトが現状を把握する。封印する気かと憤怒し、腹部を貫く神槍を見て赫怒する。疑似太陽をも燃やし尽くそうと全霊で魔力を滾らせ、赤々と球体を赤熱させた。

 

「――今だ。やるがいい」

 

 魔力が尽きたオーディンが地に膝をつき、静かに終幕を告げる。

 

 雄叫びを上げて巨大化した神槍の柄を掴んだのは凶獣ヘルモーズ。両足が炭化するのも構わず疑似太陽を疾走し――突き刺さったままの神槍が己の体を縦に割ることにスルトが絶叫した。

 駆け抜け、地に落ちた。獣は黒焦げ、全身のいたる箇所が炭化している。そしてトドメだ。雷神は己が誇る象徴の鉄槌を自壊させながらも振るい、疑似太陽を上から叩き潰して――スルトの命脈を完全に断ってしまった。

 

 戦いが、終わる。

 

 黄昏が終わった。

 

 既に灰でしかない神と、灰でしかないニンゲン。

 

 奇しくも肩が触れ合うほどの近くに降り立った両雄は、間髪入れず互いの顔面に拳を叩き込んだ。

 

 

 

「クハッ……」

「……ハッハ」

 

 

 

 命の終わりが視えた。だが、まだだ。まだ終わっていない。

 たたらを踏み後退した両雄は笑っていた。

 戦いは終わった。黄昏は終わった。だがまだ敵が残っている。

 不本意な共闘が終わったに過ぎない。ならば後は、我欲のままに。我意のままに、尽きるまでに力を振り絞ろう。

 

 雷神ではなく、ただのトールが。

 獣ではなく、ただのヘルモーズが。

 

 最後に戦わんとして、決着をつけようとしていた。

 

 大神も笑う。

 

「バカ者共が……好きにやれい。勇者共に、無限の賛辞を。そして勝者に報酬を約束しようではないか」

 

 

 

 

 

 




オーディン
 視えた結末が、直後に白紙化した。
 笑うしかない。極まった力を前にすれば、如何なる叡智も机上の妄想に堕すのだろう。
 契約した。拘束力のない単なる口約束を交わした。だがオーディンは必ず約束を守る。
 それが運命を破った勇士への、せめてもの報酬なのだ。


トール
 此処にいたのか。とうに出会っていたのか。熱望した好敵手よ。
 互いに全死無生、己は死の上に立ちほとんど力は残っていない。
 だが、どうか戦ってくれ。
 スルトの炎に蝕まれ、無為に死ぬ前に戦いたい。
 己もまた戦士である故に、死ぬなら戦いの中で死にたいのだ。
 人のまま人を超え、人でない何かになった人でなし。在り方を損なわぬ腕力の果てよ。
 せめて万全であればとは言わない。権能を使えれば、鉄槌を使えたらなどと泣き言は吐かない。
 全力で挑め。俺も全力で挑もう。

 ――雷神は既に死んでいる。死んでいてなお、意思の力で戦うだろう。


ヘルモーズ
 死の結末を勝手に決めつけるものを筋肉で破った。
 だがスルトの炎は、確かにヘルモーズの命に届いている。
 永遠に生きたかもしれない魔人はもう永くない。
 それでも殺すと決めている。死んでいても殺すと決めている。
 雷神を殺す。これが最後の戦いだ。
 常に限界の上限を高め続けた反英雄は、スルトとの戦いに次いで、再び限界を超える。
 ただ我意を押し通すだけの暴虐を、最後まで貫くのが獣に等しい戦士の誇りである故に。

 ――蛮神は既に死んでいる。死んでいてなお、我欲のまま戦うだろう。

 雷神と。そして死のうとする自らの体と。
 まだ終わる気はない、まだ、まだ――月に眠る女との約束が残っている。
 俺は嘘吐きにだけはならない、裏切り者にはならないのだ。



設計図
 ・ニヴルヘイムの風(B):冬の化身に由来するスキル。フェンリルが喰った霜と氷の世界から流れ込む絶対零度の吹雪。炎に類するものの中で地球最強は間違いなくスルトであり、本スキルで熱の余波を相殺しなければ、スルトと対峙することすら不可能だった。高ランクの対魔力、魔力放出(炎)に類するスキルまたは宝具がない相手の全能力を2ランクダウンさせるか凍結させる。
 ・戦死者の獣(A+):ヘルモーズが喰らい手に入れた獲物達の力。中でも最強だった魔狼の性質が強く出ている。真祖の再生力、邪竜の無尽蔵の魔力、叡智、巨人の怪力、妖精の瞳、精霊の環境改変力、失墜した神霊の権能、その他多数の数々のスキルを自在に操れる。本人の好みにより打ち消されている力が殆ど。本スキルの本質は「喰った相手の力を手に入れる」ことにある。
 ・白紙の獣道(EX):決まったもの、定められたもの、そうした自身に押し付けられる概念を白紙にする特異な筋肉。あらゆるモノのルールに従わないし、従うことも選択できる。本スキルによりヘルモーズは概念・神秘の干渉を受け付けず、如何なる特別な瞳でも肉眼の機能としてしか視認できない。打倒するには極めて物理的な直接攻撃をする他にないのだ。魔術であろうと呪術であろうと、効くか効かないかはヘルモーズが決めることである。


魔術世界
「白紙の獣道」と「戦死者の獣」のスキルにより、魔術師たちはヘルモーズを「神秘喰い」という魔術世界の禁忌の一つに認定。決して関わらない。


余談
 上記三つのスキルがなければ、そもそもスルトと対峙することすら出来ず、戦いを成立させることが出来ず、勝利する結果も手に入らず、近寄っただけで燃え尽きて焼滅していた。
 そして四人の戦乙女と息子も死んでいただろう。
 故に上記のスキルは基本スキルに過ぎない。他にも多数のスキルを保持しており、グランドとして現界したなら限りなく生前に近い暴力を発揮する。敢えてヘルモーズを形容するなら人間版スルトというべきだ。最大の差異は役割がないこと。

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